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はてなキーワード: 芸術作品とは

2022-01-26

anond:20220126085926

そうはならんやろ。

フィクションやその創り手の尊さを理解できる人間は、そこらの自分が知らんもの安易に見下してかかるような人間よりもはるか想像力が養われているはずだ。

アニメとはいえ、長いこと多様な文化芸術作品に触れてきた人間であれば、平均よりも理知的かつ道理を弁えられる人間になっているはずと言えよう。

よっていたずらに己を卑しめる必要はない。外野に豚と嘲笑されようが、胸を張ってコンテンツ貪欲に消費して生き続け、豚のようなメンタリティ内面化することなく、誇り高い人として死んでいくべきだろう。

2022-01-23

雪国から東京へ人が流出するのはやむをえないのだろうな。  

橋田壽賀子の名作「おしん」も元増田の言う雪国ありがちな不幸な境遇からまれた。

人が生きるには、やっぱり弱い女子供犠牲になるんだろうな。

  

それに、吉幾三雪国だってあるじゃないかアナと雪の女王みたいな名作映画だってある。だから、たとえ貧しくとも素晴らしい芸術作品を生み出す元になっているのでは)

現代では、雪を利用してデータセンターサーバの冷却にも雪が使われることがあるそうな。

苦肉の策だよな。わざわざ、雪の使い道がほとんどない。

から田中角栄のような政治家は、日本列島改造計画なんて本を書いたりした。

本当に、雪国は不便だね。。

  

さな市町村は、過疎化していくだろうな。

 

  

2022-01-17

anond:20220117223213

芸術作品を作る。

死ぬまでずっとモナリザを持ち歩いて加筆してたダヴィンチみたいに。

2022-01-06

文化が洗練されると一般人から理解されなくなる現象

能とかが顕著

洗練され過ぎた伝統芸能は、普通の人はよくわからないし、気軽に能見に行く人は現在は少ない

歌舞伎なんかはもうちょっと大衆に浸透しているけど、それでもやっぱり格式が高くて難しいイメージがある

文学もそう

大衆小説やラノベなら読めても、ガルシアマルケス読むのは苦痛だった

円城塔はいくら読んでもわからない

現代アートなんかもそう

部屋中にスプーンが散乱してる様を見せられても頭抱えるし、ホールマラソンランナーが走り抜ける、とかを展示と言われても反応すらできない

これらの現象が生じる理由は、芸術表現技術継承習得過程で、それなりの作法や慣習、お約束事を学ぶ必要がまずあるから

その結果、技術歴史的背景への理解が深まり一般人の知り得ない見え方感じ方の習得も行われている

そして、芸術作品というのは過去にあった作品の発展形や、過去芸術家に対する解釈さらに新たな作品として世に出すこともある

まり作品時代の流れの中にあり、単品では完結し得ない

そのため、目の前のものだけでは理解必要材料が揃っておらず、理解には前提となる膨大な知識要求するようになっているのだ


ポップアート、いわゆる美少女イラストなんかも当然そうなっている

親しみやすく感じ取りやすいがため、一般人ポップアート理解できている気がしているから、批判も起きやす

が、本当は能がわからないのと同様、ポップアート全然わかっていない

歴史的には春画からまり戦前はノラクロ三等兵、そしてひみつのあっこちゃんにキューティーハニー、そしてミンキーモモあんみつ姫を経て、スレイヤーズなどの時代から萌え絵という概念誕生する

そしてスレーヤーズ的な絵柄からハルヒ的な絵柄へと変遷があり、さらに今はラブライブ的な絵柄がイラストアニメに携わるイラストレーター、アニメーターたちの、”お作法”となっている

これはまさに時代の中の芸術の変遷であり、我々がラブライブイラストを街で普通に見るのは、いわゆる同時代性と呼ぶべきものであろう

イラストレーターの技術継承や絵柄の流行り廃りがあるからこそ、岸田メルやさいとうなおきなどのような、現代の優れたイラストレーターがこの時代に優れたイラストを描ける

から彼らのイラストは今の世でお金の動きを生む

しかし、それらを「不快萌え絵」と呼び嫌悪する方が存在する、というのはつまり、他の芸術と同様、ポップアートに対する背景を共有できない者が存在する、ということだろう

イラストに関連する現代文化のものが、洗練されすぎ、先鋭化していっているがために、イラスト文化アニメ文化を共有できない者の理解が追い付かなくなっているのだ

この現象を軽く考え、反萌え絵派をただ批判するというのは、「ガルシアマルケスすらわからないやつがラノベ面白い、とか言ってて笑う」とか「高師直も塩冶判官も知らないやつが忠臣蔵ドラマ見てて笑う」みたいな態度と言えるだろう

まり一般人はどちらか?を認識する必要がある

歴史的文化的背景の継承者のみしか理解できない芸術は必ず尻すぼみになる

絵や文字は、わかっていると勘違いやすものであるため、この認識を持ちづらいのも問題であろう

一般の場に出す実用作品に、背景を要求するものは相応しくない」というのも、萌え絵に関する議論で考えるべきひとつの側面だろう

2021-12-28

昨日から今日にかけて読んだBL

 そういやお給料が入ったんだった。BL買うぞぉ! と意気込んでKindleを開き、最近話題の『恋が満ちたら』を検索したところ、成年向け指定となっており、年齢確認されたので、スンッってなった。某BLレビューサイトでは面白いと評判で沢山の「神」評価がなされていたが、なんだ、エロしか見所のない系なのだろうか。

 ちなみに、Kindleは元からR18指定で売られた作品でも、輝く白さの白抜きに修正してくださるので、濡場が空白だらけで何が起きているのかわからない! てなりがち。なので、真面目にエロ本を買いたい人は紙の本を買うべきだ。

 『恋が満ちたら』のレビューをいくつか読んだら、「ゴムをするときパチンって鳴るのがエロい」と書いてあった。ゴムをするときパチンって鳴るのがエロい? いや、ゴムをするときってパチンと鳴るものなのか? あれって根本まで丁寧にくるくる上げるもんじゃないの? それとも髪を結ぶためのゴムのこと言ってる? 謎は深まるばかりだが、エロしか売りがないかもしれない漫画しか結構高い。定価で1000円。電子版は既に値引きされてるけど)に手を出す勇気は湧かなかった。それに私は(髪を結ぶほうでない)ゴムをするとき正座して穴開けないように慎重に装着するタイプの攻めのほうが好きだし。

 で、じゃあ他に何買おうかなー。『ララ婚』は正直もうどうでもいい。『よこ犬』は気になるけど全5巻で完結までの道程が長いし……と、思いつつ物色していたら、ちょうど前から気になっていた作品が二冊、期間限定サービス料金だった! わーいわーい! ポチッた。



『紅い椿と悪い虫』(博士




あらすじ

 陰気な高校生 貝柄(かいがら)は、美しいものが好き。独自美学に従い、美しいものを愛でたいと思っていた。

 ある日、貝柄のクラス転校生がやってきた。転校生の名は白椿(しろつばき)。とても美しい少年だった。白椿の美貌を気に入った貝柄は、彼を自分の色に染めて最高の芸術作品に仕上げようと画策する。



増田感想(がっつりネタバレ有)

 商業BL作品のうち、闇系の中でも最もヘヴィで救いのない話、ということで評判の本作。なんだけど、思ったよりも重くなかった。

 ストーリーに救いがないというのは確かにそう。異常で過激イジメ(というか、完全に犯罪レベル暴行脅迫)シーンがあり、最終的には人死にまで出るバッドエンドな訳だし。

 しかし、貝柄のキャラクターが飄々とし過ぎていたり、全体的に絵に迫力がまるで無かったりするために、重苦しい感じがしなかった。

 単純、漫画が下手? という気もしなくもない。凄惨暴力シーンというのは、思い切ってる感じはあれども、ベタっちゃベタなんだよなあ。商業BLではあまり描かれないのかもしれないが。昔のドラマの、黒田勇樹が出てたやつ……そうだ、『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』だ。あと、アニメだと『無限のリヴァイアス』でイクミの彼女レイプされる話とか。しかし、『紅い椿と悪い虫』の場合は、展開が酷いっていうだけで、読んでも別に怖くもなければ腹も立たない。ただ似たような先行作品を思い浮かべて、「あれの方が悲惨だったな……」と思うだけだ。

 白椿が初登場シーンで氷室冴子少女小説ばりの気高さを発揮したわりに、すぐに芯がへにゃりとしてしまったのも微妙。恋に溺れてしまたにしても、なんだかなー。



坊主蜘蛛』(ハジ)




あらすじ

 旅の僧侶 宗玄(そうげん)は、蜘蛛妖怪に取り憑かれている。人の子と間違えてうっかり助けてしまったのが運の尽きで、以来二年半ばかり蜘蛛にまとわりつかれているのだ。

 だが、この蜘蛛、見た目によらず床上手で、宗玄は蜘蛛そばに置いておくのも満更ではない。ただ、蜘蛛は異常なまでの腎張りで、しかも大の女嫌いときていた。女好きしかモテる宗玄に近寄る女を片っ端から追い払ってしまうのが、難点なのだった。


増田感想

 ストーリーとか別にどうでもよくなるほど蜘蛛が可愛かった!! 蜘蛛が可愛かった!! で、どういう話なのかというとまあ坊主がお払いとかしながら旅をするのに蜘蛛がくっついていくというだけの話で、そこに坊主の出生の謎が絡んだり時の経過がバグっていたりとかして……、なんか色々ある(適当)。ヤマなしオチなし意味なしというか、ずっとヤマ? といった感じの、とにかく坊主蜘蛛イチャイチャを楽しめと。これだけBがLする事に極フリしていると、意味とかどうでもよくなるよな! そういう漫画スピンオフの『王子と蛸』と番外編と設定もついていて、なかなかの欲張りセット。

 とにかく蜘蛛が可愛くて……ハジ先生のいう「多腕男子萌え」という類いの萌えしかTwitter検索すると案外同好の士がいるらしいという謎)は正直それのどこに萌え要素があるのかわからないままだけど…可愛いからゆるす。

 あまりにも蜘蛛可愛いので、途中で脱皮して青年らしくなってしまったのにはショックを受けてしまったのだが、そこからまた徐々に可愛い系に戻っていったので安堵した。

 はぁ、蜘蛛かわいい……。ハジ先生のすごいキャラデザ力を拝見するにつけ、アニメゲーム制作会社は、是非ともハジ先生キャラクターデザイナーとしてスカウトすべきだと思う。




……って。冒頭で『恋に満ちたら』にかなり警戒した挙げ句に買うのをよした私は一体なんだったんだ。ストーリー重視勢と見せかけて、実はけっこう画が良ければあとはどうでもいいみたいなとこあるじゃないか。結局のところ、前情報で攻めがゴムをつける時パチンと鳴らすタイプだと知らなければ、買って読んで「あー面白かったー♪」と感想を書いたのでは?

2021-12-08

anond:20211208042209

は?小便時は屹立してないでしょ

まあ小便小僧という芸術作品にもなっている通り

立ち小便というものはそれなりに絵になる行為ではあるがな

2021-11-23

梅田LOFT対応批判してるやつらバカだろ

以前、梅田LOFTイラストレーター個展を開いたのだが、ほぼ全裸幼女イラストを仕切りもなしに展示していて、Twitterでその絵を拡散されたりクレームが入ったりしたので謝罪文ツイートした

↓これがそのツイート

https://twitter.com/LOFT_UMEDA/status/1462700019463892992?s=20

さすがに今回の件についてはLOFTTPOわきまえてなかったし謝罪するのは自然な流れだろう…と思っていたのだが、リプ欄を見ると「謝罪したら負け」という意見が多いことにびっくりした

特に多かったのが、ミロのヴィーナスや裸婦像みたいな美術作品が堂々と展示されているんだから堂々と展示していいだろう、これは芸術破壊する行為だ、という意見だった。でも、そもそもこれは芸術ではなくエンタメ目的とした展示物じゃないか…?と個人的に疑問だった

芸術作品を語るうえでは「文脈」に価値の重きが置かれる。つまり芸術価値というのは、ぱっと見の見た目よりもその作品が生まれた経緯や歴史に基づくものから、その文脈価値があって文脈を展示していると考えるべき。

一方で今回の個展はどちらかというと芸術的な側面に重きを置いてはいないだろう。可愛くてちょっとえっちイラストファンの人やたまたま通りがかった人たちが見て喜ぶのを趣旨としており、芸術文脈で語れるものではないと思う。だから芸術からえっちでも問題ない!って意見はまかり通らないと思うし、流れてきたイラストを見る限りでは肌色面積の多さから言ってもゾーニングはすべきだったから、LOFTの事後対応は誤ってはいなかったと思う。本音を言えば最初から予測できただろうと文句は言いたいけど。

結局何が言いたいかと言うと、性的表現を見て「うわっ」てなるのはその作品が「性的表現」を目指していることを見た人がくみ取ってしまうからゾーニングすべきだと思ってる。

文脈」を展示している芸術作品を見て性的表現意図している、と汲み取りうわっとなる人はほぼいないだろうから堂々と展示しても問題ないだろう、というのが自分結論です。

過激アンチフェミに取っては見た目が同じだからどっちかがアウトならどっちもアウトだろ!っていうのが理屈なんだろう。教養とか共感って難しいね

追伸

どこそこでは展示されていたんだからここでも展示できるだろう!って意見結構あったけど、この理屈がまかり通ると思ってる人がいるのにもびっくりだった。たとえば一度万引きして何も言われなかったからって、もう一度万引きして捕まった時に「前は見逃してくれたじゃん!」って言っても許されるわけないじゃんね…認知の歪みなのかな

2021-11-03

小説を書いていた俺が面白かった中世ヨーロッパの本を共有する

歴史を学ぶ上での四つの視点

かつて趣味小説を十年近く書いていた者だ。俺も理系だが、理系歴史を学ぶ上で決して弱みではない。むしろ物事を大局的に眺め、出来事意味や結果をロジカルに考えるうえでは助けになるし、論理的文章も得意だろう。なので、自信をもって執筆に向かってほしい。

とはいえ、いきなり中世ヨーロッパ舞台にした小説を書くのは難しい。農民であれ騎士であれ、生活の細部を思い描こうとするだけで筆が止まってしまう。朝起きて顔を洗い、用を足して食事をする、その半時間のことなのに細部がさっぱりわからず、筆が進まない。ありがちな悩みだが、深刻な悩みでもある。

仮に十年前の日本舞台にした小説を書こうとしても、「当時はスマホが既にあったか」「はやっていた音楽は何だったか」「あの事件はもう起きていたか」など、俺たちの記憶は甚だ頼りなく、資料に頼らざるを得なくなる。ましてや、生まれる前の出来事など仮定仮定を重ねた蜃気楼のようで、資料なしでは立ちすくんでしまう。よくわかる。なので、俺が読んで面白かった本を共有したい。

ところで、増田世界史勉強したいと述べているが、どうも「小説を書くための中世ヨーロッパ知識が欲しい」と「知識から漠然世界史について学びたい」が混在しているようだ。ブクマレスを見ると、その両方に対する回答がある。俺は、ひとまず前者について答えたく思う。後者については、中央公論社の「世界歴史シリーズか、講談社の「興亡の世界史」を読んで、そこから気になったキーワードからどんどん広げていくといいと思う。なお、俺は前者しか通読していない。

さて、過去世界を生々しく想像するためには、俺は四つの視点必要だと考えている。数理的視点物質視点、非物質視点それからエピソード視点だ。以下、それぞれについて述べる。各々の視点に応じて、手に取るべき書籍は異なってくる。

さらに、この四つの視点があると、頭の中で歴史知識を整理するのに役に立つ。少なくとも俺にとってははやりやすい。

数理的視点

過去世界は偉大なようだが、人口現代よりも少なく、都市の規模は小さく、穀物工業製品生産量も少ない。そういうわけで、もしもタイムスリップして中世大都市を眺めたとしても、その小ささに俺たちは意外さを覚えるかもしれない。確かに現代にも通用する芸術作品はあるかもしれない。時代は異なるが、ピラミッド紫禁城のような壮大な建物もあるだろう。とはいえ庶民はそんな生活とは無縁であったはずだ。パリ城壁は今や環状線であるが、今のパリ都市圏はそれを越えて広がっている。

さて、小説を書く上ではリアリティ必要になる。それを支えるのが数の感覚だ。例えば、ある国家人口がどれくらいで、即時に動員できる兵士がどれくらいで、都市都市距離がどれくらい離れており、移動速度はどれくらいか集落の規模はどの程度か。船舶で運べる量は。モデルとする時代数字をおおよその知っておくことで、明らかに自然描写は減らせるだろう。このあたりについては「銃、病原菌、鉄」や通史的に世界人口を扱った書籍が助けになると思う。細かいことは気にしなくていい。オーダーが合っている程度で充分だ。数字を確かめるだけなら、ウィキペディアだけでもいい。これは英語版を併用することを薦める。

物質視点

要するに衣食住の細部だ。先ほど騎士農民の一日を想像するのが難しいと述べた理由はこれになる。増田必要としているのはおそらくフランシス・ギースの出しているシリーズだ。都市農村、城の生活が細かく書かれている。

他に、当時栽培されていた植物動物については、「世界史を変えた50の○○」シリーズもいい。ある素材が手に入るか入らないか、あるいは知識の有無だけで国の命運が変わるというのは、たびたび起きてきたことだ。中世ではないが、例えばヒッタイトで鉄の製法が独占されたこと、柑橘類で長期航海の敵、壊血病が防げるとか、そうしたことだ。

また、具体的な書名はいちいち挙げられないが、図版の多い図解○○のようなシリーズも良い。もし、増田視覚的にものを考えるタイプならなおのことだ。慣れていくと建築芸術の○○様式というのが何となくわかるようになってくる。

加えて、児童書も侮っては行けない。専門家が監修した子供向けの本は、えりすぐりの内容を含んでいる。仮に含まれていないとしても、これだけは伝えておきたいという基礎知識は抑えてある。これは立花隆が言っていたことだったと記憶しているが、なじみのない分野を学ぶためには基本的な内容の本を三冊読むといいそうだ。なぜなら、本当に大事なことはその三冊すべてに書かれているからであり、結果的にその分野の基礎を身に着けることができる。

物質視点

これは当時の人間が何を知っており、どんな風に考えていたかを指す。直接は物質として残らない、人の頭の中にあった知識文化にまつわることだ。当時の科学知識価値観法律迷信などもここに含めてよい。

さっき中世人の朝を想像するのが難しいと述べたが、昼以降の社会生活想像するのはこれでさらに難しくなる。

たとえば俺は異世界ファンタジーをあまり読まないのだが、中世には叫喚追跡という風習があった。当時のイングランド自由市民犯罪が生じた場合には、その犯人逮捕処罰する義務を負っていた。隣保組織の長は角笛を吹き、大声で喚声をあげながら犯人を追跡しなければならず、また周囲の住民もその指揮に従って追跡に加わることが義務付けられていた。しかも、この協力を怠った住民に対しては制裁が課せられる。寡聞にして、こういうファンタジー小説は読んだことがない。

ここまではいかないにしても、海外文学を読むとなじみのない、ちょっとしたジェスチャー迷信出会うことがある。欧米だと、指を交差させることで幸運を祈るし、ロシア人は今でも扉越しに握手をすることを嫌う(宇宙ステーションでさえ)。この辺にリアリティは宿る。ジェスチャー関係なら、中世とは少しずれるが「常識世界地図」が面白い。

法に関しては詳しくないがが、習慣や生活については先ほど述べたフランシス・ギースの本が参考になると思う。価値観では「中世の秋」がいいだろう。科学史については、増田理系から「磁力と重力発見」を薦めたい。難易度はかなり高いが、知識いか科学になっていくかを肌で感じられる。

当時の職業に関しては、未読だが「十三世紀のハローワーク」がいいらしい。

キリスト教宗教史に関しては、聖書エピソードの概略や聖人伝を知っているといい。絵画が好きなら名画で学ぶ○○といったシリーズがたくさん出ている。ただし、聖書がわかったからと言ってキリスト教がわかったことにはならないので注意。

エピソード視点

これは著名な人物の伝記に関する話だ。あるいは、当時の人々が親しんでいた物語も含めてもいい。こういう偉人の伝記や小話をたくさん知っていると、歴史好きの物知りとしてマウントを取ることができるが、その出来事世界史上でどのような意味があったかを語れなければ、自己満足で終わり益は少ない。とはいえ、興味深いのは確かで、プロットの参考になるかもしれない。

このあたりの知識のためには、児童書も含めて伝記を読みあさることになる。または、ハプスブルク家歴史だとか、各国史だとかを扱った新書を乱読する。絵画に興味があるなら、これも名画で見る○○のようなシリーズおすすめだ。

当時の人々に身近だっただろう中世騎士物語については、ブルフィンチアーサー王伝説シャルルマーニュ伝説をまとめている。それとは別にマビノギオン」も面白い。とはいえ、いきなり原典に当たる必要はなく、入門書を読めばいい。

ギリシアローマ神話は呉茂一の本が細かいところまで網羅しているし、ホメロスオウィディウス岩波文庫に入っているが、呉茂一の本は初心者には細かすぎるし、原典に当たるのは趣味領域から小説を書くなら入門書で充分だと思う。同様の理由で、「史記」だとか「ローマ帝国興亡史」なども趣味に属する。当時ならではの視点面白いが、鵜呑みにできない誤謬もあるだろう。

かに読んで面白かったもの

もちろん、単純に上記の分類にすべて本が収まるわけではない。大抵の通史・各国史はこれらを兼ね備えている。

以下、何となく面白かったものを思いついたままに書く。「中世ヨーロッパ歴史」「十二世ルネサンス」「ケルトの水脈」「西ヨーロッパ世界形成」(ただしこの本は著名な王の事績ほとんどの載っておらず、当時の価値観や考え方についてのページがほとんどで、そこがアマゾンで叩かれている)。それから、隣人から視点として「「イスラームから見た世界史」「アラブが見た十字軍」など。

書き洩らしているかもしれないが、今のところ思いつくのは以上だ。

他に、中世舞台にした小説映画おすすめだ。難解だが読み応えのあるミステリ薔薇の名前」、SFだが「異星人の郷」がいい。「大聖堂」は未読だ。「モンティ・パイソン・アンド・ホーリーグレイル」はコメディだが細部の正確さは中世映画随一であるとのこと。毒のある笑いに抵抗がなければおすすめ

増田に注意してほしいこと

中世風の舞台を描くために中世について勉強する。素晴らしいことだ。俺は敬意を表する。それに読んでいるうちにどんどん楽しくなってくるだろう。何かを知る、これは純粋な喜びだ。

だが、小説を書く以上、ある程度は想像力で補わないといけない。ある場面を書く際に必要情報があるとしても、そもそもその資料存在しないかもしれない。研究者でさえわからないことは多い。俺もこれだけ読んできたが、わからないことだらけだ。むしろ、疑問が深まった感さえある。細部も忘れてしまった。増田はぜひ自分で本を買ってメモを取るなり線を引くなりしてほしい。読み飛ばさず、時間を掛ければそれだけ得るものも多いだろう。

もっとも、描写に困った場合は、該当シーンを省いてしまうのも手だ。小川哲がどこかで述べていたが、ある歴史SFを書くときに、細部を省略したシーンがあるという。ストーリーにあまり関わらない部分を省くのは、立派なテクニックだ。読者だって中世建築の細部について延々読まされても困るだろう。

もうひとつ忘れてはいけないのは、増田研究者になろうとしているのではなく、小説を書こうとしている、ということだ。知識目的ではなく、手段だ。これを忘れてしまうと、他人の設定の粗を探したり、中世なのに価値観現代的なのを揶揄し始めたりする。こうなると、物語世界を素直に楽しめなくなる。

大事なのは歴史的正確さよりも、読者を喜ばせることだ。そういう意味では、演出として火薬が出てきたっていい。あるいは、読者が感情移入やすくするように、人を殺してなんぼの武将ではなく、戦争で人を殺すことをためらう武将として、描写する必要がある(ドラマ戦国武将がやたらと戦争を嫌い、優しいのはそのためだ)。異世界ファンタジーの読者が読みたいのは中世ではなく、中世っぽいものだ。そもそも中世ヨーロッパ風なのに唯一神を信じていないファンタジーは多い。

そういう意味では、本を読んでもその知識が直接生きることは少ないかもしれない。くれぐれも、読者に向かって知識をひけらかしてはいけない。あるシーンの正確さのために資料に当たるのはいいが、その成果を延々披露しては読者のストレスになるだけだ。もちろんそういう衒学的な歴史小説もあり、固定ファンはついているが、ネット小説の読者には少ないだろうし、ネット小説の肝であるPVを稼ぐことにはならない。これはいい悪いではなく、ネット書籍媒体の差だと思っている。

また、レッドオーシャン中世ヨーロッパファンタジーに飛び込むのなら、正確さよりも作者の専門知を活かしたものの方が(ブクマで書いている方もいるが)読者の目に留まりそうである。そして、くどいようだが、これだけおすすめの本を書いてきたが、読者が欲しいのは正確な知識ではなく血沸き肉躍る物語である

だが、作者にとっての最大の危険は、どんな物語よりも過去に起きた事実の方が面白いのだと気づいてしまうことだ。この罠にはまると、どんな小説所詮作り事と思われて素直に読めず、何を書いてもむなしくなってしまう。言い換えるなら、創作欲が知識に殺されてしまう。増田には、これに一番気を付けてもらいたい。

それを防ぐには、面白小説を読み、面白ものを書くこと、これに尽きる。先行作品としての中世ファンタジーを愛し、数多く読み、繰り返し読むこと。

知識の増える専門書を読むより、中世ファンタジーの書き方を読むべきだった、と増田がならぬよう、幸運を祈る。

anond:20211031163129

2021-10-23

anond:20211023134350

「対面コミュニケーションこそが至上であるというルール世界を塗り替えたがる」んじゃなくて元々人間社会最初からそうなってるだけだよ。

コミュニケーション不自由で許されるのは、論文とか芸術作品とかの成果物だけで圧倒的な評価を得られる天才だけで、凡人がコミュニケーションできないならそれはただの低能

2021-10-11

anond:20211010200113

知能の定義が狭いことを自覚しよう。

その人が良い感じの芸術作品を作るってことは、創造的知能に関しては、君や君の同僚より高いってことだよね。

「なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか」という本を読むと、IQなどは、本来幅広い人間の知能の一部でしかないとわかる。

2021-09-26

anond:20210926233943

公共広告のあり方について、しばしばSNS炎上しているのは今の自民党政権でのことだよね?天皇写真にクソする芸術作品でも擁護するんじゃないですかねリベラル

ジャップの昨今の報道の自由理解してるの?民主時代では高かったけど安倍時代では低かった。お前の嫌いなマスゴミ全然機能してないって話じゃん

表現不自由展を都合よく忘れたネトウヨ哀れで草

2021-09-21

anond:20210920134105

読む気起きない長文の駄文からタイトルだけに反応するけど

商業作品表現必要性があってやってんだよ、ただの素人の客が趣味創作芸術作品混同して知ったかで語るなバー

エロで客を釣るための要素を自分チャンネルじゃなくてそれがふさわしくないとされる場所に持ち込んだ判断批判されてんだよ。

2021-09-06

anond:20210906095543

これもう絶対に通じないやつだな。

それは一般商業デザインの話で、紙幣はそうじゃないよねっていう前提を全く理解できていない時点で恥をかくだけだからやめておきなって。

そもそも紙幣デザインが気に入らないんじゃなくて、デザイン芸術作品勘違いしてプライド高く持ってる厄介デザイナーに対するヘイト紙幣元増田に置き換えてるだけだって自分から自白しちゃってどうすんだよwww

まぁなんか色々言うのも面倒だからとりあえずデザイン論うんぬんじゃなくて、俺の考える最強の紙幣デザインを挙げてみてよ。それに駄目出ししたほうが話が早いから。

anond:20210906084755

俺様デザイン論で恥かいてるっての、それは元増田に言ってあげれば?

デザインターゲット奉仕するような理不尽前提の仕事なのに、理解しないターゲットをこき下ろしてバカにしてるの、デザイン芸術作品勘違いしてプライド高く持ってる厄介デザイナーなんだよなぁ

2021-09-03

UXにつながらないデザインの善し悪しを語るのは滑稽

デザインが安っぽいとか、それって個人主観なんだけど、ドヤ顔で語ってるのがすごい痛い。

自分は高尚なデザイン理解できるんですよーってアピールしたいんだろうけど、それを聞かされてもだから何?なわけよ。

使い勝手が優れているか、わかりやすいか、の方が大事でしょ。

芸術作品のことじゃないよ。紙幣とかの話ね。

2021-07-22

anond:20210722124018

これから芸術作品団体が取り仕切る時代なのかもね。

個人がやるとスキャンダルで解任となるが、団体なら、その団体の中でメンバーチェンジすればよいので代役が立てやすい。

2021-07-20

circulate daemons

芸術作品価値

・いままでその世界で培われてきた評価基準によるもの(=金額)。

・全く個人的好き嫌いによるもの

・特異性によるもの(希少価値)。

などがあると思う。

注目して欲しいのは、特異性によるもの(希少価値である

個人個人みな特異なのだ個人的ものほど面白いものは無い。

当然、鑑賞者も個人で特異なのだから、相性というものがあり全て良いということは無い。

それに皆が良いというものは、100%鑑賞者個人フィットしているとは言い難い。

自分自分にピッタリな奴を見つけて欲しいと思う。

見つけられれば、自分人生にとって重要アイテムとなろう。

なぜこんな事を書いているのかというと、

人々(特に日本人)が余りにも人(他者たち)の評価に左右されていると思うから

小山田圭吾炎上と作者と作品は別という話

すげえ自分語り

小山田圭吾過去いじめ自慢が世界規模で炎上している。

元々エレクトロニカ好きな人には非常に有名な話で、「この人音楽めっちゃいいけど人間はそれ以上にカスだな…」というのはコーネリアスについて話せば一度はする話である

 

ただ、これまではコーネリアスの曲を聴いてからこの話を知るパターンが多かったので話を知った人がモヤモヤイライラして終わってはいたが、

今回は曲を知らない状態でこの話を知る人が多いのと、何より悪目立ち続きのオリンピック関連ということでもう何重にも炎上ブーストがかかっている。

正義の旗印がパチスロ演出が全部出た時ぐらい光っている。

 

さてここまで読むと、「小山田圭吾擁護か?」と思うだろう。

実はそうでもない。私は小山田圭吾という人間は心底好きではないが音楽は確実に良いと感じている。

そのため、単純に「いい作品を作るけどカスな人」という認知的不協和の塊みたいな概念について話したいだけだ。

 

この手の話のときに必ず上がるのが「作者と作品は別」という話だ。

これに関しては、私は「理想として別で考えておきたいが、現実として別けることが難しい」というスタンスである

 

なぜなら、芸術作品というのは例えばコンセプチュアルアートでもない限り作品のものを中心として捉えなければならないからだ。

その作品世界観に内包されるものけが語りうるもの作品評価として正当なものであり、

ここで「でもその人過去人殺してるんですよ」で作品単体の質が下がることはない。

人を殺している人の絵が下手に見えるというのはただのバイアスしか無く、

これがまかり通り始めると人種性別によって作品評価を上げ下げする輩が出始めるからだ。

 

しかし、人間というのはいたく不完全である

現実として「気にする」し、そういったエピソードを聞くと「良くなく見える」のだ。

これは我々が人間という生物である以上逃れられない現実である

人間である限り、感情無視した論理は全て現実無視した夢うつつ戯言しかない。

 

そこで私がどう考えたかというと、現実から正とするのではなく、

これを人間不具合として捉え現実だが正ではない出来事として捉えることで、

作品が良いのに人間カスときに感じる気持ち悪さは人間機能だが、社会が発展したこと不具合を引き起こす確率が高くなっている」

と考えることにした。

 

気持ち悪さを反射的に解消するのではなく、分析して理解することでじっくり気持ち悪さを分解して次のダメージを抑えることにしたという感じだ。

 

何故なら「悪い人が作るものは良くあってはならない」というのはそれはそれで現実逃避だからだ。

現実として、悪人にも正しいことはできるし、被害者やいい人でも間違ったことや悪いことはする。

その人の属性で行動の善悪が決定すると考えたり、気持ちいからという理由で無いことにしてしまうのははあまりにもルサンチマンをこじらせすぎている。

 

私は小山田圭吾作品メチャクチャ好きだが同時に彼という人間は全く好きではなく、

いつか本気の後悔と報いを受けてほしいな~とは思っていた。

なぜなら私はそもそもいじめ被害者であったためだ。そのため、高校ときにこのエピソードを知って大変狼狽したものである

願わくば人生に覆しようのない瑕疵がつき、その傷跡を残りの人生で眺め続ける羽目になりますようにと…。

 

しかし、改心までは願うべくもないが、今回は最大級の規模でそれが叶って多少溜飲が下がり、いつもより気持ちよくコーネリアスを聴けている。

 

まあ私も蟻塚の中から鷹が落ちるのを見て喜ぶ怠けた蟻のように、褒められた人間ではないということで一つモヤっとして欲しい。

2021-07-10

anond:20210707223357

シュリーマンの偉業を知ってる?

ギリシャ神話に出てくるトロイア遺跡を発掘した人たよ。伝記を読むといいよ。

文献だけではなくて、ピラミッド万里の長城や五重の塔のような建造物だって歴史的資料だろう。

(ただの文章以外にも古代地図や暦だって残っている。ラスコーの洞窟の絵もそうでしょ。数々の絵画音楽楽譜と言った芸術作品も。それらも、一種の文献だろうし。)

2021-06-18

目を瞑っても真っ暗ではないあの視界の芸術作品

専門的には眼閃というそうだが、とにかく「目をつぶる 色」とかいうようなキーワード画像検索して出てくる絵があまりにも雑すぎる。

色と色の境界がはっきりしすぎていたり、ただ一面バケツで真っ黒にした地で赤とか青点を打っていっただけみたいなのしかない。

眼閃が起こっている視界はかなり曖昧ものであるはずだ。そんな手抜きで表現できるようなものじゃない。

あれは目を瞑っているときしか見えないというふうに考えられがちだが、単一色の壁の前に立ってもなんとなく見える。目をゆっくり瞑っていくと地続きにその色合いが濃くなっていくのが分かる。

まり本当は常に起こっている現象なのだと思われる。普段雑然とした視界の中では目立たないだけのことだろう。

この現象をなんとか固定化できたらどれだけの価値があるだろうかと思う。

眼閃は絶えず変化していて絵として描くのは難しい。しか基本的に暗い所や目を瞑っているときしか見えないのも難点だ。

しか葛飾北斎スーパースローカメラのない時代に波の動きを見事に固定化したように、これを描き切れれば現代芸術の枠組みなどでそれなりの評価が得られることだろう。

頭の上からその絵をセロハンテープなんかで貼り付けて、目を開けたときにその人が目を開けても「視界が変わらない」ことに違和感を感じるかどうかで、作品再現度は図れると思う。ちょうど眼鏡のつけ心地が良すぎてかけてるのを忘れてしまったために眼鏡を探し始めてしまうことがあるように。

ただ目の前の眼閃のイラストを見るとき、その見る人の頭の自体で既に眼閃が起こっているわけで、いわば二重にその現象が視界の中に捉えられているような状態になるわけだから、そこらへんをどう吟味すればよいか問題はあると思う。

2021-06-11

anond:20180101131207

芸術作品を作ります

10人ほど買収します。

絶賛してもらってください。

くりかえすとそのうちちやほやされます

作品抽象画がいいです。

けっしてまともな物を描いてはいけません。

2021-05-31

anond:20210531023513

コンサルタントプレゼンパワーポイント作成技術はそれ自体が高度な芸術作品であり、無形文化財とも呼べるレベルだ。

パワーポイント工芸技術を磨く社会的需要がある。

かつての若者作品の美に魅了されて自らも刀鍛冶陶芸の道に入っていったのと同じ。

レジュメもたぶんそれ。

2021-04-03

anond:20210402191645

芸術作品存在価値は娯楽としての使用に耐えられてこそ認められるものではないか

西洋絵画史を少しでも齧っていたらこんな言葉が出るはずがない。偉そうなことを言う前に、己の無学を恥じて本の一冊でも読め。エルンストゴンブリッチの『美術物語』(河出書房新社)がお薦めだ。

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