はてなキーワード: 自然発生とは
IT界隈でエンジニアとして働いているが、なんとか2年持ちこたえることができた。
まだまだ自信なんてものはないし、一生自信なんて生まれない気すらする、俺の同僚の優秀さ。
必死にやらないと戦力外通告を受けてもおかしくないくらいの気持ちで日々働いている。
それでも日本だったら、その辺の日本のなんちゃってCTOよりはマシなスキルを持っていると思う。
将来的には日本に戻って日本の社会に貢献できればと考えていたが、外から見える日本はヤバイ。
安倍の下りとか、まだ自民を盲信するアホな国民がいることに対して、民主主義が完全に機能してない点。
そりゃ他の党もまじでイケてないよ。希望の党?なんだあのルー大柴の弟子みたいなおばさんは?ルー小池?
中身のないやつほど、カタカナ語や精神論で話を濁すよな。馬鹿なおまえら、これだけは言っておく。どうせこういうカタカナ語大好き、精神論大好きなやつは100%大したことは言ってない。何がワイズスペンディングだ。当たり前のことをカタカナに直すな。
そもそも政治システムが終わってるから、どうしても短期的で無益な政策しか国民受け、特に老人受けしないことが破綻の原因だと思う。だから自民だけを攻めたりはしない。
政治に合理性がなく、本来やるべき政策が盛り込めないことが致命的すぎる。だって票とれなきゃ戯れ言で終わるからね。
でも残念ながら、政治システムを変える流れなんておそらく破綻したって起きやしないだろう。
この数十年、政治家は老人優遇政策+少子化対策度外視で、少子高齢化を歪なまでに加速させてきたよな。
日本の少子高齢化はある程度は自然発生している部分もあるが、世界一の少子高齢化社会は自然現象で起こっていることじゃないからね。
無益な過剰医療で税金を老人の延命に全力投入したって何の未来もない。政治家都合の老人票のために多額の税金が使われるとか、10年前にそろそろやめようぜって議論してたって時既に遅しだったのに、まーだ軌道修正せず、今までと同じ路線で政治をしようとしている。
短絡的な政策、未来なんて老人政治家は考えやしない。目先の経済政策に国民は歓喜。
このまま少子高齢化が今のペースで進んだらあと20年で日本船は沈むんだぜ。2年前の俺は30年は持つと思ってたが。
自分は日本の政治に完全に諦めた。破綻エンターテイメントなんておもしろいわけないじゃん。日本ヤバイって言ってるけど、嫌いで言ってるんじゃないからね。諦めたということは、破綻を受け入れるという意味だ。
次にビジネスの面。
二番煎じ以外でなんかビジネスあったっけ?創造性のかけらもないよね。さらに倫理観までないときた。
なんだよ、メルカリとかDeNAとか道徳なき商売とかまじで社会的大罪だからな。社会に混乱与えてるだけじゃねーか。国も国で倫理なんて知ったことではないときた。
ちょっと脱線するけど、目の前で事故が起きて、スマホで写真とる馬鹿が決してマイノリティーでない国民性はヤバイ。
金が絡むところでしかサービスがないのに、おもてなしが日本人の国民性かのように言うな。
完全に個人主義社会で人が困ってたって人助けするほうがマイノリティーじゃねーか。
こっちでは新しい独創的なビジネスが次から次へと生まれている。日本じゃ考えられないペースでだ。もちろん、お金になるかどうや怪しいビジネスもたくさんあるけど、他社のビジネスをコピーすることしか脳のない日本社会より全然マシ。
そして企業の凋落。既に国際競争力はほぼない。大企業すらボッコボコ潰れていくだろう。
これで少子高齢化が進んで、老人だらけになったら未来の見えない老人じゃ内需にすら貢献できないよ。
少子化で人がいない。完全に売り手市場なのをポジティブに考えすぎて若者は自民を支持してるらしいね。
ただの少子高齢化政策で人がいないだけだぞ。お前らの未来は真っ暗だけどな。
日本にいずれ帰ろうって思ってた自分は、そんなに馬鹿だったのか??少なくとも視野も経験も今より格段に低かったことは確かだ。
もうあと数十年で破綻することが目に見えている状況でさすがに日本には帰れない。
なんで沈む船に乗らなきゃいけないんだ?両親はギリギリ逃げ切り世代、自分が守るべきは自分だけだ。
もともと自分ではなく社会の先行き不透明さから子供は作らないって決めていた。その選択は正しかったと思う。
政治家さあ、お前らが馬鹿じゃないなら、意図的な破綻活動をしているってことだよな。
せめてもの償いとして、日本国民が世界で働けるように働きかけてくれ。労働visaのハードルが下がれば、あとは英語力があればやっていけるだろう。
どうしても最近のポリコレ化を欧米からの影響にしたがってる人がいるけど、違うからね。
そもそもとして30年以上も世間的価値観が変わっていないというのは文化の停滞であって、欧米においていかれているというのが実情なので。
欧米だって価値観が自然発生したんじゃなくて、過去からの議論の積み重ねがあって今も権利についての議論は進化してる。
価値観が変わらないということは文化も経済も発展しないということなので恥じた方がいいよ。
明治時代の価値観に日本戻ればよくなるとか思ってるバカウヨとかは、明治は文化が停滞していた江戸時代から価値観の大改革があったから躍進があったのであって、価値観が過去に逆行して文化が発展した歴史なんて世界中どこにもないことを知ったほうがいいね。
今から見れば初期の初期ということにしていいだろう。
ヒラコーショックを経て、大量のプレイヤーが押し寄せ、まともに着任すらできなかった頃。
艦これはその辺のよくある、大して期待もされない木っ端ブラウザゲーのひとつに過ぎなかった。
そこに光を与えたのが、札束で殴り合うような重課金を必須としないシステムと、
そして「急に人気が出たせいで中の人がまともに休めない」的かわいそう要素だった。
意識的か無意識的かは知らないが、同情マーケティング的な効果があったのは確かだろう。
誰も彼もが終わらぬ戦いに疲れていた中、安住の地のように見えたのかもしれない。
秋イベではさっそく、あの張り付き必須の難易度に加えて、矢矧を後から追加という暴挙に出る。
以後、艦これ改の度重なる延期→突然の販売終了、アニメ騒動などを経て、
残ったプレイヤーは多少の炎上騒ぎではいちいち驚くのもバカバカしくなったのだろう。
諦めなければ生き残れないのだ。
炎上繋がりで言うと、グラブルも当初は「あまり課金しなくても装備を集めれば強くなれる」
「ギルド戦のようなものはないので張り付かなくてもいい」みたいな評判だったのが、
結局後から古戦場が追加され、一通りのトラブルを経て今みたいな状況になったのだから皮肉である。
話を艦これに戻そう。
当初の牧歌的なコミュニティが自然発生したものか、人為的に作られたものかはわからない。
だがいずれにせよ、そんなものはとっくの昔に死んだ。
新しい(そしてクソな)要素が出るたびに萎えた者が去り、まったり勢は片隅に追いやられ、
一時期話題になり、既に定着した感のあるスクールカーストの話である。
学校は「勉強する所」であると同時に「友達に会いに行く所」でもある以上、相応のコミュ力が必要になってしまう。
ただコミュ力の高低には個人差があり、それがスクールカースト発生の一因だと思われる。
それが嫌なら学校を純粋に「勉強する所」に位置づけるしかないのだが、まあ難しいだろう。
さて、そんな自然発生するスクールカーストだが、カースト最底辺の子達に散見される癖の一つに「明らかに我が身可愛さでバレバレの嘘をつく」というのがある。
ちなみに嘘の内容は非常に特徴的で、例えば親子の会話だったら
「おつかい行ってきた?」
と訊かれた時、いくつか買い忘れたものがあるにも関わらず
「うん、行ってきた」
或いは騙されたフリはしているけど「コイツ信じらんねえ…」と内心思われると。
え?最初から「おつかいでお願いしたもの、全部買ってきた?」と訊けばいいじゃないかって?なに他人のせいにしてんだよ、嘘ついたのはお前だろ!って感じである。
とにかく、こういうことをやらかす子に致命的に欠けている認識があるとすれば
辺りだろう。
もしご子息やご息女がいる読者の方で、彼・彼女がここらへん弱そうな場合は、なるべく早めに、厳しく躾けることをオススメする。
スクールカースト最底辺で過ごしたのも遠い思い出になり、今やカネがなくてキモいおっさんおばさんになった人は…まあ、今この瞬間が一番若いと言い聞かせて人生の挽回頑張ってください。
スコティッシュフォールド=人間で言うと障害を持ったかわいそうな子供
だと思ってスコティッシュフォールドを繁殖させないことを身体障害児を産ませない優生思想みたいな考えしてるけどそれただの被害妄想なんで。
スコティッシュフォールドはもともと突然変異で発生した病気種で自然発生数なんて微々たるものだからな。
しかもその突然変異が将来的に重篤な疾患を発生する可能性が高いという。
実際にスコ×スコでブリーディングしても健康体(耳の垂れていない)猫になる確率はかなり高い。
つまり将来つらい病気に苦しむことがわかっている遺伝子を持った個体をわざと残すために遺伝疾患を持った個体を集めてより病気の発症率の高い子供を残し続けているというのが今のスコティッシュフォールド。
生まれても耳が折れてなかったり、子猫の時は折れてたけど成猫になったら耳が立つようになった猫は飼い主からポイされているのが実情。
それでもスコティッシュフォールドの繁殖が正しいと思えるのがわからん。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170724-00010000-sippo-life
なるほどスコ猫は優性遺伝形質を持つので,繁殖には注意を要するだろう。イギリスでは実際に繁殖が禁止されている。ひろく動物愛護の観点から見れば,惨いと思うのは当然の感情だ。だが「かわいそう"だから"やめろ」と批判する論調には,若干の疑問を覚える。感情に訴えた煽情的な言い回しについては,詭弁ではないかとも感じる。
スコティッシュフォールドは自然発生した突然変異の猫を,1960年代に発展・固定した品種である。耳を折れ曲がる遺伝子変異をホモで持つ猫は耳折れ(いわゆるスコ猫)となり,ヘテロでは立ち耳となる。ホモ,ヘテロいずれにおいても(時期の差はあれ)宿命的関節炎を呈する。この変異遺伝子は特定されており,人間において関節炎を呈するものと同じと見なせるのだという。病気の個体をかわいがっているのである。猫当人(当猫?)にとってはたまったものではなかろう。ダックスフンドやパグなどもそうだ。悪趣味である。本当に,人間は,業が深い。
ところでブロイラーという鶏がいる。代表的な肉鶏で,日本では毎年数億羽が出荷されている。
>> ブロイラーは徹底した育種改良の研究により、過去50年間で、成長率が1日25gから100gへとあがっている。自然界の鶏は成鶏に達するのに4〜5か月かかるところをブロイラーは40〜50日で成鶏に達する。その急激な成長によりブロイラーの30%近くは体を支えることが難しく歩行困難となり、3%はほとんど歩行不能となっている。心臓にも負担がかかり、100羽に1羽は心臓疾患で死亡する。(Wikibedeiaより) <<
あるいはピンポンパールと呼ばれる金魚がいる。丸々と太った短い尾の金魚で,泳ぐのが極めてへたくそである(そこがかわいいので人気だ)。チンシュリンという品種の金魚から,より短尾で丸手な個体を選別交配して生まれた。これに限らず,金魚は異形のオンパレードだ。
猫の先天性奇形や動物実験などに比べて,これらがネットで話題になることは少ない。家猫や犬は大事にされているほうだと思われる。それは彼らが人間の私生活と深くかかわりあってきたからである。繁殖に幾度も手を加えられ,人間にとって「かわいい」「便利」と認識されるような形質が固定化された。
結局のところ全ては人間のエゴなのである。この手の話題になると必ず,猫を飼いたいならペットショップではなく保護猫を,という意見が登場するが,わたしはこの意見が好きではない。違和感を感じる。その辺を突き詰め始めたら,そもそも愛玩目的で動物など飼育するべきではない(愛玩ではなく家族,などという考え方は個人的には想像の埒外なので納得できない)。愛玩動物も産業動物も,人間が人間のために動物を利用しているのである。
もちろん,薄利多売を目的とした無責任な繁殖業者を擁護したいわけではない。それらは当然批判されるべきで,専門性の高いブリーダーが繁殖を行うべきだ。そして供給というのは需要のあるところに生まれるので,飼育者側の倫理感も重要である。そしてイオンで鰻丼を買って食べなければ鰻の絶滅が遠のくわけじゃない(水産庁による介入が必須)ように,本件についても結局のところ行政による介入が必要であろう。思うに犬猫はもはや市場が大きすぎる。そのためには地道なロビー活動が必要だ。それはわかる。
でも,人間が人間のために生き物を飼育しているという大前提から目をそらし,「猫がかわいそう」などというきれいな言葉で大衆を扇動する。そういうやり方に関しては,詭弁を感じるので,わたしは不快感を覚える。
病気の猫をかわいがってもそれが人間の業だと思う。我々がすべきことは,その種が他種と不用意に交雑せぬよう適切な管理下で飼育していくことではないだろうか。持続可能なペット社会。それがひいては人間のためである。決して猫のためではない。
1度目はうろ覚え
突然ゾンビが発生して自然発生しながら人間の生活を脅かしていく話。人間たちはゾンビに食われるとゾンビになる...のではなく単に食料として食われている。
自分と自分たちの数少ない友達と自宅を中心に籠城戦を開始する。
そしてたまに外に出て他の人間たちのコミュニティと交流しながら日々を過ごしていく話。
外に出た時にヘマをして襲われそうになったところで目が覚める。
2度目は続き
ゾンビの発生源と思われる場所を突き止めた別のコミュニティとともに山中にある直径10メートル弱の井戸にセメントを流し込む。
すると今度はゾンビではなく、黒羊をモチーフにしたちょっと可愛い奴がたくさん出てきた。その時夢の住人は「ユウレイ」と読んでいた。
セメントで固めてたところで動けなくなるだろうと思っていたが集団で塊魂(ゲーム)のように動きながら追いかけてくる。我々は必死に逃げた。
逃げて逃げて...気が付くと実家とよく似た建物に、友達のジェイ君とたどり着いた。そこで疲労が限界に達した私は夢の中で夢に落ちる...(夢の中の夢はもう記憶がないので勘弁してください。ただ、その夢から「ユウレイ」とカラーリングを逆にしたマスコットキャラクターを引っ張ってきました。このマスコットを適当にブドウくんと名付けます)
夢の中で夢に目覚めると周りの様子が一変していた。どこか廃墟めいていて、埃っぽい。ブドウ君に確認すると、私たちは既に100年間もゾンビに見つかることなく寝ていたらしい。
更に100年後ではゾンビではなく「ユウレイ」が町を徘徊して人間たち食料を探していた。玄関の覗き窓から見ると「ユウレイ」がすうっと徘徊している。
また10年くらい寝ると。なんか自分の家でコミュニティができていた。そこにはおばあちゃんと死んだはずのじいちゃんも生きていて、6~7人で村生活って感じだった。表は「ユウレイ」に見つかるのであまり行くことはできないが、なぜか庭にはあまり来ないため、自分たちで畑を作ったりしていた。110年も経つとなんか生態系が変わっていて、野生のムカデが昔の節足動物みたいな形になってた。作業をしていると村人の一人が「ユウレイ」に見つかってしまい、実家とよく似た家にみんなで逃げ込むことになった。そこで別のコミュニティから抜けてきた2人を家に入れて、「ユウレイ」の目を反らす雨戸を閉めた所で目が覚めた。
いやぁ~~怖かったな~~~~
中学生時代、実はその気があるのではないかと気がついてからはや数年がたった。幸いにも生来オツムの弱い俺は自身がマイノリティであることを深くは気にも留めず、それより目下のところの悩みは人間関係をうまく構築できないことにあった。
高校に上がるときに状況は変化した。うまく人間関係が行くよう、仮面をかぶることで自分自身を作ってしまえば良いと悟ったのである。高校生になるまでそんなことにも気がつかない程度には頭が悪かった。考えてみれば、あたりを見渡すと、みんな真っ白で、まるで自分には負い目がないかのように振る舞っていたのだった。美しい世界だった。互いが互いを牽制し合うことで、負の部分は徹底的に平らかにされ、狭い学園内に、その生態系特有の標準像が形作られていた。もちろん、個々に特徴はあった。しかしそれは決してマイノリティではなかった。それを知った途端、皆がよそよそしくなり、あるいは全力で忌避しだすような。
まんまと学園の標準像を手に入れ、学園内における人間関係に満足できるようになった俺は、初めてやっと自分がマイノリティであることそれ自体を直視し、その孤独に深く怯えた。暇ができれば「ゲイ 割合」でググった。ググったところで孤独がどう収まるわけでもないのにね。けれど、動揺は表に出さないようにして、ひたすらに勉学に打ち込み、孤独と不安がよぎりながらも結局はマイノリティであることを見ないようにする努力を重ねた。
大学に入った俺は、Twitterで界隈の情報を知るようになっていた。そもそも自分自身が性的志向を隠していたこともあり、いわゆる「お仲間」は一人も知らなかったから、出会う人達が本当にLGBTsであることが信じられなかった。
そこには様々な人が暮らしていたのであって、ウェイ系や趣味を謳歌する者、社会人や地味な者が渾然一体として存在していた。それはもう殆ど社会と変わらないのであって、一つ違うのは皆がマイノリティであることだった。彼らは一緒にコミュニティを形成し、つるむことで根底にある孤独を紛らわしているかのようだった。
そして同時に、ネット文化(淫夢など)やネットでの論調を目にするにつれて、俺にある疑問が浮かぶようになった。
「LGBTsであることはそんなにも悪なのか」
一部のLGBTsに対して進んだ国・都市ではPrideを大きなスローガンとして、市民権を得られるような活動が続けられてきた。日本にもPride文化は輸入されたのであって、実際にパレードも行われているし、わりと盛況しているようだ。だけど、違うんだ。そうじゃない。そもそもそれらの国・都市はアイデンティティや個性を重視する文化を長い間かけて育んできた。この文化が素地としてあってこそ、LGBTsにかぎらず、他の多くのマイノリティも声を上げることで市民権を得ようとしてきた歴史がある。だから、Prideなんて言葉を使うようになったのだろう。
でも日本はそうではない。少なくとも日本にはアイデンティティや個性を重視しようという文化はない。こんな文化は自然発生するものではないのであって、意図的に育んでいくものだ。日本は残念なことに育んでは来なかった。日本において個性を尊重しているようにみえるのは、実際には個性を見世物にして消費するか、あるいは黙認という形式を取り、なかったことにするかにすぎない。高校時代の美しい世界もまさにその通りで、別に性的マイノリティに限った話ではなく、ひたすら皆が標準像を追い求める一方、標準像として収束される先にも残り続ける、ただひとつの「日本人」という個性の姿や文化といった共有資産が賛美されることに満足を得る人間も出現し始めた。マイノリティに関して言えば、ゲイのアイコンとしての「オカマ」や「淫夢」は見世物として消費され、その他のゲイはなかったことにされている。そんな国でPrideなどと言ってみても滑稽なのだ。だからこそ輸入されたコンセプト・スローガンでは対処ができない。
ゲイが理解されないことの一つに、「自分にも危害が加わる可能性があるから」というのがある。でも、考えてほしい。人が自分に好意を持ってくれることは少しも危害ではないのではないのではないか。そもそも性的暴力で実力行使に出るような輩は、ゲイを理解云々の以前に一定確率で行使しようとする。でもそれは、ヘテロ男性の中に女性を強姦する人がいるのと変わらないので、ご指摘には当たらないような。
そして、ゲイのくせにヘテロ男性に告白してきたらキモいというのもよくわからない。そのような人たちの中で、告白相手の女性がレズビアンである可能性を少しでも考え、躊躇した人間がどれくらいいるのだろう。結局、物事はすべてマジョリティが当然のこととして行っていることは当然のことで、同様のことをマイノリティが行おうとして、マジョリティの行動との間に違いが生まれた途端声高に主張し始める。マジョリティは自らの行動を顧みず、棚に上げた上で我々の一挙動を観察する。人から愛を向けられることがそんなに嫌なのだろうか。俺だったら、自分に魅力があるのだと知れて誇らしいことだと思うのに。
どんな社会を望むのかといえば、答えは明白で、「LGBTsの存在が当然のこととされている」社会だが、まあ無理だろう。こんな世の中じゃ。何か新たなネタが見つかるたびに、徹底して皆が食いつき叩き上げ、消費し尽くす。そこには様々意見が入るものの、結局はネタを消費する手段にすぎないから、意見は平行線上をたどったまま、次のネタ、次のネタへと移っていく。誰もが同じ生け簀から出ようともせず、古い水を変えようともしない。食い散らかした餌の破片と糞尿で薄汚れた生け簀の中で、同じ境遇であることに何故か安心感を覚える。そして誰も自分の意見を変えようとしない。それぞれが意見を表明し、その意見はどこか遠くへ流されていくのみだ。寛容などとは程遠い。日本の体質自体が変わらないと始まらない。俺だってなにも好き好んでこう生まれてきたのではないのに。
それにしても、「生物学的におかしい」とか「自然の摂理に反する」とか、「異常」「変態」「公の場には出ないでほしい」みたいな言説は読み飽きてしまった。もう死んでしまいたい。
1(同性でも可)日常的に腹を割って話せる友人がいない
の二点ということでしょうか。
どちらについても、ベースとなる「出会い総数」「外交的になれる元気」については、残業の少ない会社に見を置くことで強化できるかと思います。サルでも生きているっていい言葉ですね。サルの猿人関係はそれなりに厳しそうですが。
上記1については、過去を振り返り、「なぜか交流がなくなった仲の良い友人」を頭に描き、どうしたらその付き合いが継続できたのかを考えます。「日常的に交流できる」と「腹を割って話せる」の2条件が重なる出会いを自然発生で望むのは確率が低いので、自助努力で改善できる交流の仕方に注力して維持する、という話です。この先「腹を割って話せる」と感じられる出会いがあったら、関係の長期継続のためにこのコツを思い出してください。
上記2については、もしかすると「好みのタイプの女性が好きそうな人間タイプではない」という事態になってはいませんか。買い物大好きだけど断捨離女子が好き。ゲーマーだけど山ガールが好き。甘えん坊だけど自立した女性が好き。相手のマーケットにご自身がインできていない可能性をお考えください。ありのままの姿見せて何も恐れないのは自由ですが、現代日本では、まずは外的な属性から人となりを評価されることが多いです。我を貫いてそれを好きになってくれそうな人を探すのか(ブランディング)、相手に合わせて我を編集するか(マーケティング)、どちらも可能なので一度チェックをお願いします。
飲み会が嫌だ
何が嫌って、本人たちは垣根のない関係を!とか思ってるんだろうけど実際は何かというと社内の立場持ち出して自分の気持ちのいい発言しか許さないとこ。
あと本気で嫌がってるのを分かってないとこ。
そもそも飲み会なんて仲のいい奴らで集まって、自然発生的に「じゃあみんなで座れるとこ行こっか」で開くもんであって
「はい飲み会開始~~~ハイ俺たち仲良しな!」なんてものはもはや関係の強要なんだよ。レイプなんだよ。
酒は誰もが大好きって感覚を共有しているつもりなのも嫌だ。
親が酒のんで暴れてるの見て育ってるんだから嫌だよ酒なんて。気狂い水だろ。
実際俺も遺伝してるから酔うと暴れるし、思ってもいないこと言っちゃうし。大抵は本音だけど。
まさか酔っても本音を出さない忠誠心を試してる、とか冷戦時代のスパイ採用のテストみたいなこと言うなよな。
大抵飲み放題なのも嫌だ。
2時間強制拘束なのが嫌だ。悪臭と喧騒の中、2時間も人生が消費されるという悪夢。最悪だ。
2時間経ってもまずすぐ立たないのが嫌だ。店も店だ。「もうお時間ですが」くらい言いに来てくれ。
いや言いに来てもまだダベったりする。最悪だ。
大体長くて見ても30分くらいでいいだろ。10分でも長いのに。
仕事上のケアがあるわけでもないし、昇進の口利きがあるわけでもないし、そもそも昇進したところで昇給だってしないし。
2次会があるのが嫌だ。
なんで自然な流れで「次の店どこにする?」なんて話になるんだ。そんなに飲みたいなら一人でやってくれ。
お前の人生が中年になってもなお空虚で、今後も何ら実りのない人生が待っていることが分かっているとしても、それに俺を巻き込まないでくれ。
1秒でも帰りたいのに、「いいから来い」じゃないんだよ。
もう大騒ぎしてお巡りさんに助けてもらいたい。泣きたいよ。
ああバカバカしい。古くはシュメール人の頃からこんな文化があるらしいが、本当にバカバカしい。
みんな本当にこんなのが好きなのか?いい加減にこんな文化規制してくれ。
リクナビもリクナビだ。「飲み会あります」「人権軽視あります」とかそういう項目が必要だろうが。分かっていたら入ってなかったのに。
http://anond.hatelabo.jp/20170517144649
「全然お答えになってません、文科省の松尾審議官、平成30年の開学だということをうけて、それを了としたのは、スケジュールとしていつでしょうか。」
「あのー私どもの認識といたしましては、昨年の11月(9日)に内閣府の諮問会議においてまとめられました、追加規制改革事項において、先端ライフサイエンス研究や、感染症の水際対策など、新たな獣医師の需要に対して、関係制度の改正を直ちに行うということになったと承知しております。同会議におきましても、有識者から新たな分野にかかる獣医師系人材の育成は喫緊の課題であると、いうふうなご指摘、また獣医学部の設置を急ぐようにご指摘があったと承知してございます。これを踏まえまして、内閣府からご相談があり、共同告示という形で、30年度の開設を、のせるということになったという理解でございます」(これが残念だけど、間違った答弁になるわけですね、10月4日の段階で内閣府に30年度開設の是非について問い合わせてるわけだから。)
「略)今のご答弁も時期についてはお答えになってないんですよ。諮問会議で喫緊の課題だということで、今年1月に共同告示をした。ここまではわかりますよ。では30年度とフィックスしたのはいつですか」
「農水省としては本年1月4日の共同告示のときであると承知しております。」
「では確認ですが、農水省は共同告示のときにはじめて知ったと。事前のレクでも学校のことは農水は関係ないからといっていました。ではちゃんと農水省に相談はされたんですね。」
「当然共同告示の際には事前に了解を得ております。諮問会議ではなかった文言でしたが、最速のスケジュールということで、平成30年度4月とパブコメの文案にあるのを見たときに、私がこれで結構だと決断したものであります。そして、パブリックコメントを受けて共同告示となっていくわけですが、当然その際には各省の了解は得ております。」
「ここに時系列を用意させていただきましたが、11月9日が諮問会議、11月18日の間に、いまだとね、事務局から案が上がってきて、それを了としたという話だったけども、30年開学というのはどういう議論で決まったんですか。逆に、これまでの大臣の言い方から見ると平成30年度の開学に間に合わないから、京都産業大学は今回は残念だったというような趣旨に聞こえたんですよ。じゃあ平成30年誰が決めたんですかっていったら、事務局から自然発生的に文章があがってきて30年でしたみたいな話になってるんですが、じゃあいつ決めたんですか11月9日から18日の9日間の間に。いつ決めたんですか。」
「11月9日の諮問会議を受けて、最速のスケジュールということで、私が最終的にパブリックコメントの文案を決断したところであります。(略)」
けものフレンズの同人誌に蛸なんとかさんが参入してくるのだろうかということをちらっと考えたとき頭に兆したのがZOIDSのことじゃった。
といっても、いまの若い人はZOIDSなんかもう知らないと思うのじゃが、最近出たソーシャルゲームちょっとやってみたら、世界設定をだいぶ変えたようで少しさびしい。
新しい設定だとこの金属生命体は未来の地球人類が生み出して「ゾイド」と名づけられた…みたいな設定のようじゃが、昔のゾイドは、地球とは全く関わりなく自然発生的に誕生した生命体(という設定)で、しかも動物型や恐竜型だけでなくほとんど人間と変わりない惑星Zi人というのもいて、ヘリックとゼネバスという喧嘩した兄弟がそれぞれ率いる部族が牧歌的な戦争をやっていたところに宇宙進出した地球人類がやってきて、ゾイドを未来兵器に改造して一気にサツバツという設定だったのじゃ。
以下引用
これはただのエッセイというか最近思っていることなんですけど。
2000年以降、インターネットの普及も相まって、敵対的な隣国の情報が普及しだしました。しかしそれを報道するメジャーなテレビ局は無かったわけですし、新聞は産経を除いて報道してきませんでした。
なので、ネットユーザーの間には、自分たちでこの歪められた情報空間を正さなければならない、敵を見極めなければならない、国を守らなければならないという危機感と同じネットユーザーに対して連帯感が生じたと思います。
日本の戦後教育や日教組の価値観のせいで、愛国心を持つことは恥ずかしいことだ、よくないことだと教わってきた私達に、中国や南北朝鮮のような敵が生じたことで、自然発生的に「愛国心のようなもの」が私達に芽生えつつあるように思います。
いつからかわかりませんが、私達日本人は孤として生きるように社会に強いられてきたように感じます。各人、友達がいたり会社や学校、部活に属してそれなりの所属感を持って生きてきたのでしょうが、敵国が現れたことで、ようやく「国=日本」に所属しているという意識が発生したように思います。
日本は対外的な危機が年々強まっているわけですが、それでもそれが逆説的に私達の精神に活力をもたらしてくれた側面はあると思います。
今、家族は妻の実家に帰省していて、一人で過ごしているわけですが以前ほど孤独感を感じないのは、私が保守の立場に立ったからだと思います。昨晩は2chの辻元清美関係のスレにものすごい勢いで書き込みが続いていくのを見ながら、「俺は一人じゃない」という思いを強くしながら安心して眠ることができました。
言いたいことをまとめますと、
といったところでしょうか。
すでに指摘されているけれど、日本では屋外禁煙は一般的ではないと思う。というか喫煙可でしょう。屋外禁煙は東京都心など一部に限られるんじゃないかなあ。
私の通勤路では毎朝毎晩たばこの煙を避けながら、あるいは息を止めてやり過ごしながら歩くのが普通。そして道ばたにはたばこの吸い殻。
改札口の脇が自然発生的な喫煙所になっているのが辛い。風向きでその日の運勢を占っています。
しかし昔に比べればまだマシになった。吸い殻ゴミも減ってはきている。
海外のことをいうと、10年以上前に訪れたオランダは駅や道路での喫煙が多くて辛かった。
最近では中国は上海などに行く機会が多いが、昔に比べてなぜかそれほど気にならない。台湾では路上は気にならなかった。ホテルのロビーが辛かった。
去年はベトナム(ホーチミン市など)に行ったけれど、たばこの煙に悩まされた覚えが全くない。喫煙者を見かけた記憶もあまりない。我ながら記憶ミスではないかという気もする。
「神ってる」なんて野球オタ以外知らない言葉を大賞に持ってきたユーキャンが悪い
基本的にあれは「授賞式に話題になるような人が来るものを選びたい」と言う思惑があるし
(だから有名人が作った言葉が選ばれやすく、自然発生的な言葉は選ばれにくい傾向)
「ネガティブな言葉は避ける」傾向もある(まあ〇年の流行語はこんな暗い言葉でした、と言う歴史を残したくない気持ちは分かる)
と考えると
「トランプ現象」「PPAP」→海外の流行であって日本ではそれほどでもないので無理
「マイナス金利」→呼べる人が日本銀行関係者、というだけでは微妙
「盛り土」→受賞者に辞退されたし
って事で「神ってる」と「アモーレ」のうち前者にした、って感じだろうな