はてなキーワード: ピンポンパールとは
やとみんに罵倒されたい、ですわ?
小さなところですわ。本来ならわたくしのような他県からの回遊魚はあまり来なさそうなところですわ
ピンポンパール?
アナルパーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーール!!!!!!!!!11111
からのwwwwwww
ピンポンアナルパーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーール!!!!!!!!!!!!!!!!!!11111wwwwwwwwwwww
油断してんじゃねえぞオラァwwwww
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170724-00010000-sippo-life
なるほどスコ猫は優性遺伝形質を持つので,繁殖には注意を要するだろう。イギリスでは実際に繁殖が禁止されている。ひろく動物愛護の観点から見れば,惨いと思うのは当然の感情だ。だが「かわいそう"だから"やめろ」と批判する論調には,若干の疑問を覚える。感情に訴えた煽情的な言い回しについては,詭弁ではないかとも感じる。
スコティッシュフォールドは自然発生した突然変異の猫を,1960年代に発展・固定した品種である。耳を折れ曲がる遺伝子変異をホモで持つ猫は耳折れ(いわゆるスコ猫)となり,ヘテロでは立ち耳となる。ホモ,ヘテロいずれにおいても(時期の差はあれ)宿命的関節炎を呈する。この変異遺伝子は特定されており,人間において関節炎を呈するものと同じと見なせるのだという。病気の個体をかわいがっているのである。猫当人(当猫?)にとってはたまったものではなかろう。ダックスフンドやパグなどもそうだ。悪趣味である。本当に,人間は,業が深い。
ところでブロイラーという鶏がいる。代表的な肉鶏で,日本では毎年数億羽が出荷されている。
>> ブロイラーは徹底した育種改良の研究により、過去50年間で、成長率が1日25gから100gへとあがっている。自然界の鶏は成鶏に達するのに4〜5か月かかるところをブロイラーは40〜50日で成鶏に達する。その急激な成長によりブロイラーの30%近くは体を支えることが難しく歩行困難となり、3%はほとんど歩行不能となっている。心臓にも負担がかかり、100羽に1羽は心臓疾患で死亡する。(Wikibedeiaより) <<
あるいはピンポンパールと呼ばれる金魚がいる。丸々と太った短い尾の金魚で,泳ぐのが極めてへたくそである(そこがかわいいので人気だ)。チンシュリンという品種の金魚から,より短尾で丸手な個体を選別交配して生まれた。これに限らず,金魚は異形のオンパレードだ。
猫の先天性奇形や動物実験などに比べて,これらがネットで話題になることは少ない。家猫や犬は大事にされているほうだと思われる。それは彼らが人間の私生活と深くかかわりあってきたからである。繁殖に幾度も手を加えられ,人間にとって「かわいい」「便利」と認識されるような形質が固定化された。
結局のところ全ては人間のエゴなのである。この手の話題になると必ず,猫を飼いたいならペットショップではなく保護猫を,という意見が登場するが,わたしはこの意見が好きではない。違和感を感じる。その辺を突き詰め始めたら,そもそも愛玩目的で動物など飼育するべきではない(愛玩ではなく家族,などという考え方は個人的には想像の埒外なので納得できない)。愛玩動物も産業動物も,人間が人間のために動物を利用しているのである。
もちろん,薄利多売を目的とした無責任な繁殖業者を擁護したいわけではない。それらは当然批判されるべきで,専門性の高いブリーダーが繁殖を行うべきだ。そして供給というのは需要のあるところに生まれるので,飼育者側の倫理感も重要である。そしてイオンで鰻丼を買って食べなければ鰻の絶滅が遠のくわけじゃない(水産庁による介入が必須)ように,本件についても結局のところ行政による介入が必要であろう。思うに犬猫はもはや市場が大きすぎる。そのためには地道なロビー活動が必要だ。それはわかる。
でも,人間が人間のために生き物を飼育しているという大前提から目をそらし,「猫がかわいそう」などというきれいな言葉で大衆を扇動する。そういうやり方に関しては,詭弁を感じるので,わたしは不快感を覚える。
病気の猫をかわいがってもそれが人間の業だと思う。我々がすべきことは,その種が他種と不用意に交雑せぬよう適切な管理下で飼育していくことではないだろうか。持続可能なペット社会。それがひいては人間のためである。決して猫のためではない。