はてなキーワード: 職場とは
うちの会社にいる海外の映画や音楽を好んで視聴する先輩がいちいち他の人の好きなものサゲをしてくるのが、本当にキツい。
「◯◯っていう邦画を観たよ!」という人がいれば「邦画ね〜…邦画ってどれもこれも似たような内容で社会的なメッセージも特にないし…観た方がいい映画もっと他にあるでしょ」みたいなことを言う。
「◯◯っていうアニメを観たよ!」という人がいれば「アニメね〜…海外の◯◯(作品名)とかはアニメだけど絵柄もオタクに媚びてないし、ちゃんと社会問題についても取り入れてるから観てるけど…日本のアニメって絵柄がキモくない?」って言う。
「◯◯ってアーティスト(邦楽)のライブに行ってきたよ!」という人がいれば「邦楽ね〜…最近の邦ロックとか本当に興味もてなくて(笑)日本人って本当に洋楽聴かないよね…恥ずかしい」って言う。
「ジャ◯ーズが好き!」という人がいれば「え!?カッコいい人…いる!?私は◯◯(外国人俳優)くらい身長も高くて顔も良い人じゃないと好きになれないわ(笑)」って言う。
誇張じゃなく、本当にこのまま言う。
友達とか恋人とか家族とか、今後も長い付き合いになるごく親しい人との会話ならまだわかる(わかんないけど)。
職場の休憩時間に数人で雑談してるときにこれされると当たり前だけどシーンって場が凍って「はは…あ、そうなんだね〜…」って周りが大人の対応してその会話は終わり。
ちなみに、私は無趣味人間なので「趣味がないって本当に理解不能(笑)何のために働いてお金稼いでるの?」ってその先輩によく言われるけど、実際自分でもそう思ってるし、みんなみたいに何か好きなものがあればもっと人生が楽しそうだな〜と思ってるので、そこに関してはあんまり腹は立ってない。
でも、先輩と他の人の会話を聞いてるとすごいイライラする。
他の人は先輩が好きなものの話をしていても馬鹿にしたりなんかしないし(当たり前だけど)、なんなら質問を交えたりして会話を膨らませたりしてるのに、先輩は人の好きなものをサゲてばっかり。
自分の好きなものをサゲられているわけじゃなくても、聴いていて不快になる。
先日、先輩が最近観た洋画の話をしていて「◯◯(俳優名)の演技がすごく良くて〜」と先輩が話すので、その場にいた同僚が「どんな人なのか気になる〜!その俳優さんは他にどんな映画に出てるんですか?」って質問したら「え!?◯◯知らない!?◯◯だよ!?…え〜、◯◯知らないのか…(ため息)」ってわざとらしく呆れた顔してて本当に不快だった。
職場にはいろんな趣味を持つ人たちがいて、私のように無趣味な人間からするとみんなそれぞれ好きなものの話をするときは目がキラキラしてて素敵だなぁと思ってる。
それは先輩に対しても同じで「もっとたくさんの人に海外の映画や音楽を視聴してほしい」って熱く語る先輩を見ていると、そんなに好きになれるものがあって羨ましいと心から思う。
一度、先輩の趣味に対して「私、そういうの興味もてないんです」ってはっきり言ってる人を見たことがあるけど、先輩はその人に対して「海外の映画や音楽は社会問題をテーマにしているものが多くあって、そういうものを知ることは大切なこと。興味を持った方がいいと思う」って答えてて。
先輩の言ってることは正論だなと思ったけど、でもやっぱり他の人の「好き」を馬鹿にするような人間の言葉は全然心に響かなくて、私は先輩のすすめてくる映画や音楽は一切視聴しないと心に決めてる。
「もっとたくさんの人に海外の映画や音楽を視聴してほしい」と先輩は言うけれど、少なくとも先輩のせいで1人は視聴者減ってるよ。
だいたい作り話ってパターン化するからネットで嘘松の話題を追いかけると「あっこれは胡散臭いな」くらいにはわかるようになる
悪者(大体ネットでたたいていいとされる会社のパワハラ上司とか馬鹿なこと言う嫁旦那、フェミとか左翼思想)が馬鹿をして俺が一閃して大衆から拍手喝采、的なスカッとジャパン話とか、実力があるのに認められてない俺を職場から追放したあとに公開してももう遅い、というIT系なろう話(現場で勝手に自動化マクロを作り仕事を効率化させてる派遣が、系話が多いので俺が勝手に名付けた)とか。
あとよくあるのが「話してるお前の立ち位置がわからない」「なんでお前がそれを知ってる」「お前の話が事実なら第三者でも確認できるはずだけど?」「当たり前の常識みたいな顔で断言してるけど検索に引っかかるのはお前のツイッターとそれをまとめたまとめサイトだけだぞ」とかでも、まぁ胡散臭いね。。。というのがわかる。
(むしろお前それ作り話か嘘松じゃないとまずいだろ。増田やTwitterで話していい話じゃないぞ。。。。という話の方が個人的には怖い)
思えば、なぜ私はせっかく修めた専門分野を投げ捨てて品出しに従事しているのだろう。
たしかに物流は興味深い分野であったが、私の能力や適性を鑑みるに、相性はよろしくない。
要領や察しの悪さは、職場の不文律に対する不適合、業務知識の欠如、動作性IQの不足によるものだろう。
しかしながら、売り場の商品の位置は業務知識であるが、つぶしの効かない業務知識である。
この店の配置に精通したところで、この店でしか活かされることはない。
そういう虚しさが私の労働意欲を削いでいるのだろうか。
もっとも、それはどんな仕事にも多かれ少なかれ存在することである。
そんなことを口にしてまでこの仕事に疑義を呈するあたり、本来の不満は別にあるのではないか。
職場の上長と相性が悪いのもしかり、仕事を早くこなしたからといって特にメリットがないのもしかり。
けっきょく年次評価で、個別の貢献など一切考慮されることなく、自動的に一律賃上げされるだけだ。
資本主義の国にありながら、共産主義社会に身を置いているかのような心地だ。
というわけで、来週あたりに機を伺って申し入れてみるか。
その人を信頼できなければ、その食事も口にはできないだろう。
だから、人の信頼を掴み取るには、胃袋を掴むということが有用なのである。
また、職場においても同じことだろう。
自作のお菓子を振る舞ったり、直接的ではないが、宴会場所の予約をしたりする行為は、そういった意味合いがあるのだと思われる。
なので、私の場合、職場ではそういう立場を積極的に演じている。
信頼を勝ち取れば、それなりに良いことがあるだろうと信じて。
電車で乗り合わせた見ず知らずの隣の乗客に突然「彼氏(or彼女)いるの?」って訊かんやろ。
職場の同僚なんて所詮電車で乗り合わせた程度の間柄でしかないってことや。
逆に増田が仕事や職場とかの関係性を特別視しすぎなんじゃないのか。
本人が話してきたとしてもなんでここでそんな話…?ってなるのが普通の感覚だと思う。
そういう話したいならもっと当たり障りないプライベートの話とかよくするくらい仲良くなってからじゃないすかね…つかそこまで仲良くなりたいか?電車で乗り合わせただけの赤の他人と?
たしかに、私から見ても発達ボーダーであることが疑われる人材はたくさんいる。
それは、この職場が学生でも即戦力のお手軽肉体労働職だからである。
一方で、この職場の人間たちは、県内模試で一位を取り、ベンチャー企業でデイリー5万のユーザーを支える基幹をオペレーションし、
カルフォルニアにある企業からドルで対価を貰いながらリモートワークしている私をも、彼らと同じカテゴリに属する人間として扱ってくるのである。
この職場の人々は私を憐れんでいるつもりであろうが、私からすれば、私の方があなた方を憐れんでいるのである。
前時代的慣習を引きずり、人物の好悪を仕事に持ち込み、派閥を分けていがみ合い、客間であろうが怒鳴り散らし、ろくに仕事の標準化に貢献せず、
自分のことは棚にあげて他人の見解にケチをつけ続けるような、いい歳こいてクソガキの類ばかりのこの職場で、
あなた方に苦言を呈することなく今日までやってきたのは、全くもってあなた方に対する憐みと、私自身に対するプロ意識でしかないのである。
まともな職場では一切通用しない、一意に定まらない曖昧な指示を無頓着に垂れ流しておきながら、その意図を解するための思考時間を取られる私に対して、
のろま・発達障害・格下といったレッテルを貼り付けてくる、狭隘な想像力と自己客観性しか持ち合わせない、昆虫のようなあなた方に対する憐みである。
まじで最近メンタル的に糊口をしのぐ日々でどうしたらいいんや…
職場の同部署に性格もいいかなりの美女×3(既婚者、彼氏持ち、喫煙者)で、自己肯定感低くて小さいことが気になるタバコ大嫌いの独り身俺は日々ストレスを感じながら、お酒とかで誤魔化してる…
アカウント消去(LINEインスタTwitterfacebook楽天メルカリGoogle Yahoo)
写真消去
退職願い提出
現金全て引き出す
持ち物全てリサイクルショップ
離婚届け書く
診察券焼却
スマホ解約
サブスク解約(Apple Music、ネトフリ、アマプラ)
銀行口座解約
積立ニーサ解約
警察にストーカー相談しておく(捜索願い出ても受理しないように)
あとなんかある?
自分は、要領悪い・頭悪い・ルックスも最下層という、人権ないおじさん三冠王。
結果的に、要領の悪さを労働時間でカバーすることが出来るようになり、仕事の評価が格段に上がった。
休みの日も仕事をしてることが多いが、たまの休みは映画を見たりジムに行って汗を流したりしている。
正直私生活に何らの不満は無い。
…ただ結婚を諦めたのが後に効いてくるような気がしている。
高校の仲が良かった連中はみんな結婚し、もう飲みに行けるのも年に1回あるかないか。
子どもの話には全くついていけない。
まぁそれはいいとしても。
仕事が辛くなったりメンタルを病んだりしたら、その自分にはなにがのこるんだろう。
結婚して配偶者と人生を共にし子どもを苦労しながら育てることがとても尊いことだと感じている。
そうなると今の人生の楽しさの根幹にある仕事での評価がされなくなるかもしれない。
世間のおじさんおばさんは仕事もこなして結婚子育てもして本当に偉い。
きっとないものねだりなんだろうなぁ。
https://anond.hatelabo.jp/20240829222653
思ったよりも反応があり答えていく。
### 自分の両親を頼らなかったのは何故か?
頼るのも面倒くさすぎて、もう考えるのも嫌だったから。
・自分の両親の方が頼れそうだったが、あくまでワイフの両親と比べて、という点。
・自分の実家まで片道1時間半。ワイフの実家より近いが気軽に行くには遠い。
・両親共に働く現役世代。子どもをみてもらうのなら、仕事を休んでもらうか、仕事終わってからになる。両親にも生活があるので、それと両立させなければいけない。
・世話を頼むにしても休みのタイミングで一時的にきてもらうか、僕らが実家に行くしかない。
・一時的なものだったら親を頼るのもありだったが、ワイフの産後うつの状態をみると、数回やたまに見る程度では良くならないのは明らか。
・僕らが実家に住むとなると、僕は職場までの通勤が問題に、ワイフだけ僕の実家に置いても遠慮して自分でやってしまうので良くならない気がした。
・僕自身が4人兄弟、母は保育士、子育てに関して常に最新情報をいれてるスペシャリストで、口移しやハチミツなどの地雷を踏むことはないが、それが故に気になることが多く、母の愚痴が激しくなる気がした。母はワイフに遠慮してる部分もあり、僕の家庭に関する文句は基本僕に言ってくる。精神的に消耗してる僕がそれを受け止めることができる気がしなかったし、そこで僕が逃げたらワイフがやられるし、文句を誰にも言わなかったら母がやられる気がした。
・事前に準備してあれば、多少頼りやすかったのかもしれなかったが、その準備は全くやれてなかった。母は「今は昔に比べ子育てに関わる事情が変わって考えることやることが多くて昔の1人分多めで見てる感覚で大変だよ」とも言ってて理解があったが、理解があるが故に大変さも分かっており、実家との調整を考えるだけで、あーめんどくせー、というものが勝ってしまった。そういう点では、ワイフが、というよりも、僕自身が面倒くさ過ぎて止めた、というのが正しいのかも。
そうしたかったが、できなかった。
うつで休んでたのは、仕事&プライベートでのストレスが許容値を超えていたからで。
1番ストレスが少ない状況はなにか?となった場合、その答えが僕が子育てに積極的に関わるということだった。
結局休んだ後、半月はまともに動けなかったので、相当疲れてたのだと思う。
このテの意見みて、最初の僕の反応は、「オイオイ、それ産後の女性には絶対に言うなよ、殺られるぞ、大丈夫か」という感じ。
産後1ヶ月、ワイフは自分の実家に帰っていたので、そこまで致命的に大変だと当時気付いていなかったのだが、自然分娩or帝王切開をすると女性は文字通り身体がガタガタになり数日動けなくなる。
帝王切開は文字通り切るわけだし、自然分娩だと20時間以上りきみっぱなしなんてこともザラなので、全身筋肉痛の酷いやつとか血管があちこちブチ切れてたりする。
その状態の産後すぐから、赤ん坊を見ることになるので、母親の方がもっと酷い状態からスタートすることも多いんやで………
と反射的に思ったわけだが「健康だったら」という点に関してはそれはそうだな、と思う部分も。
身体がしんどいのが続くから精神的にもつらくなるので、身体がしんどくなければつらくなくなる!?とも考えることができる。
よく4人も育てられるな、と言われるが、精神的にしんどい、の前の、身体がしんどい、を色々駆使して軽減してきたからこそやれたわけで。
ココに書きたかった理由も、その事例をいくつか紹介して参考にできれば、と思ったから。
結局うちはやらなかったのだが、その点オススメしたいのが、無痛分娩。
色々なママさんネットワークで見聞きする限り、産後の母親の体調が明らかに良いようで、子育ての最初のスタートダッシュは健康である分、だいぶ良くなると思う。
もし次産むんだったら、絶対無痛分娩だわー、もう絶対嫌だけど、とワイフは言っている。
### 正常性バイアスだろ
まさにその通りで1人目でやったノウハウをそのまま他人に展開するのはかなり危険だと思ってるし、どちらかというとちゃんと働きながら育てた2人目以降の話の方が皆には参考になると思う。
ただ大変だよねーツライよねー、男性目線から見た子育てって?という話は1人目の話の方が分かりやすいので、まずは1人目の時の話を書いた。
これは当時ワイフにも同じこと言われたのだが、結果的に欲しいとは思わなかったかな。
何やっても大人しくならないのに、乳首を使えば一発で大人しくなる、マジで便利、マジで救世主。
だが故に、乳首を外せばまた泣いてしまう、泣いている→乳首を!!という感じになり、他の人に渡していても泣き声聞くだけで落ち着かなくなってしまう。
超便利な乳首が一人に依存するという状況が、母親が休めない要因になってるようにも思う。
その点僕は、土日の昼にお昼寝して、ワイフに預ける時、安心してぐっすり眠れた。
きっと僕に便利な乳首があったのなら、気になって眠れなかったかもしれないし、土日の昼間眠れなかったら僕も子育てで病んでたかもしれない。
コレ言う人全般に関しての所感なんだけど、産後の恨みはどのようなものなのか?の重さを理解できていない気がしたので、ココに書いた次第。
確かに社会的には罪の重さに対してのトレードオフが釣り合ってないのかもしれない。
しかし、夫婦は加害者/被害者の関係ではなく良き伴侶なのだから、贖罪/刑期を終えたから良いッショ!と開き直るのでなく、つらかったことを分け合って寄り添うが大事。
一方で、夫婦は加害者/被害者の関係では無い、というのは妻側にも言えることなので、夫だけが完全に悪いわけでなく、夫婦の問題だと思う。
ただ、夫側はそこで開き直る態度がでがちなので批判されるような気がする。
### どうして4人も……
おかげさまで、夫婦仲は良く、身体の関係もちゃんと続いていて……
子どもができないように、ってゴムを常備するんですが、ちょこちょこ買い足すのを忘れることがあり、テンションが上がったまま、今回だけなら……というのをやって、結果的に……
結婚したら避妊とか気にしなくても良いんじゃないの?とか馬鹿なこと考えていた過去の自分が恨めしい。
子どもができた、と分かった時、いつも経済的にやっていけるのか?という試算を一緒に見直して大丈夫そうなら、どうする?→あー産むか!!みたいな感じでなぁなぁの勢いで決まる感じなので、完全に褒められる状況じゃない。
ワイフの最後の一言で決まる感じなので、何故産んだのか、の真意は僕には分からない。
けど、いつも産前産後には、産むのも産んだ後の世話もあまりにつらすぎる記憶だから記憶に残ってない、忘れるんだよね、でもその時になってくると段々思い出してきてもう嫌だー!!ってなる、と言ってる。
今思えば笑える話なのだが、付き合っていた当時、ワイフに子宮筋腫が見つかり手術をすることになり、将来的に子どもができる可能性が下がるかもしれないから別れよう、と別れ話を打診されたことがある。
その時僕はとっさに、子どもができる確率が1/10になるのなら他の夫婦の10倍やればいい、僕らが仲良くやっていければ何があっても問題ないよ、と返した。
確率1/10なら10倍、というフレーズとともに僕ら夫婦の思い出深い一幕になったわけだが、今や子どもが増えすぎないように心配する事態になるなんて……
母や子どもらは無邪気に、5人目は?みたいに聞いてくるが、流石に歳を重ねてきて体力的にも経済的にも厳しい。
### 次に書こうと思ってた内容
ネタはまだまだ大量にあるのだが、書き続ける精神力が足りなさそうで、ここまで長く書きすぎて何書くかを今さら迷子になってる。
もうわけわからんから、書きたかったであろう内容を適当に。気になるやつがあれば深掘りするかも。
・専業主夫、2週間目あたりから急にしんどくなる問題。疲れとストック管理、誰にも指示されず自分で決めるコストがしんどい。
・専業主夫をやっていて良かったこと。メインとサブ、でなく、メインと(メインもやれる)サブに。つらさが分かるので寄り添いやすい。
・子どもの寝かしつけや大人しくさせるテクニックは哺乳類の輸送反応に起因してるようなものが多い。背中スイッチでなくお腹スイッチ。
・寝かしつけるためにやった事例集、苦労話。上の子を夜中寝かしつけるため、抱っこ紐で背中に背負い、自転車で走るのを毎晩のようにやっていた。
・1人目と2人目の間に1人子どもが流れてしまった話。流産の確率は15%くらいなので普通にありうる。それも外からみて妊娠したと分からない妊娠初期がほとんど。
・同じ遺伝子から始まったはずなのに4人とも個性が違いすぎる、子どもに対するテクニックは相性があるので探り探り開発してくしかない
・両親を頼るのも良いが、子どもの世話は想像以上に体力を使う。頼り過ぎると両親が病むのでほどほどに。
・子どもに関する情報はノイズが多すぎる。NHK「すくすく子育て」が一番バランスが良い。
・この10年で育児グッズは大分便利になった。新しく出てきて助かったもの。おむつのゴミ箱、1歳から飲めるゼリー、丸いスタイ、傾けても飲めるコップ、サマーシューズ、缶のミルク、
・家事の負担を減らすと、育児も楽になる。家電など札束で叩く選択肢も入れる。食洗機、乾燥機、ロボット掃除、電鍋等。
・ご飯を食べる子は色々楽。ご飯食べないことを起因に色々な問題が誘発する。
・体調不良が家族の崩壊の危機をもたらす。体調不良は新生児でなくとも、世話が大変になる。それが連続コンボだと……
・子どもとのトラブルエピソード。不測の事態が起きるのが日常に。出先での非日常はトラブルが起きやすい。
・子どもがいるのが何が良いのか、単純に楽しいよ、大変なことも多いけど刺激にあふれている日々は最大級の娯楽といえるかも。
・子どもの姿を見て自分の忘れていた過去を振り返ることになる、ちょうどゼルダBoWみたいな感じで急に思い出す。それがきっかけで自分の親に対する目線が変わったり、それを夫婦で話すことで何年一緒にいても知らなかった面を知ることになる
・結果的に仕事へフィードバックされた能力。精神的に追い込まれた人へのケア、トラブル発生時の安定感落ち着き具合、パワハラ気質の人への対応力胆力など。
他にもある気がするが、もうわけわからんので、またそのうち続きでも……
職場に手帳持って相談したけど何一つ配慮なんかしてもらえなかった。
本当に発達障害なのか確認するために意地悪な質問する人すらいた。
年金なんかもらえないし障害者雇用も給料安過ぎて赤字になることが目に見えてる。
かといって嘘をついて隠し事してまた一般雇用されることもできない。(特性で嘘つくのが苦手みたい)
詰んじゃったなーー!!!!
死にたいって言うと友達が泣くからもうここでしか言えなくなってしまった。
推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。
2000~2001年の話です。そのとき生まれた娘は健康に育ち独立して離れた場所で生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手と再婚しました。
前情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。
当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分を説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉も右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない。体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。
この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。
とにかく妊娠をきっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職。
田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担で病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。
というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしかも赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。
「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ちは微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリの人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者に気遣いの言葉をかけるようにしている。
ホルモンバランスが不安定で誰にも会いたくない状態で病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。
こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。
8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。
その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミはゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミは自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンをキレイにしてから朝ご飯を作った。
夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKのボーナスタイムという知識はあったらしい。
それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものをトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。
そして臨月。お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠期間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。
そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院に入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)
朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。
夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明で子どもの心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生や助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。
原因不明の心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。
いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較的若い人は穏やかに、経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。
入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。
退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社に申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院の荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?
退院日なんて入院する前から決まってた。しかも出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置は医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」
全然わからない。苗字も体調も体型も仕事も生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものをほとんど失わず、健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間でゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。
結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。
帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元で結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひときわ寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームもドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしまう新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊をウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。
さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーにアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんからの指導の甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。
夫は沐浴とか『これは父親の役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。
ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場で子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。
夫には結婚前から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務の地獄に落ちていた。闇金だ。
それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれて半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。
この時、社会問題化していたものの、今のように銀行は個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK。債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。
正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲーム。こちらから話しかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラーと電子音ならしてネットに繋いでいた時代。世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的に社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。
それと専業主婦の立場に居心地悪さも感じていた。自分のお金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつや趣味の雑誌を買うのも躊躇していたのだ。
自分の稼いだお金で子供の服を買ったときにちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要なものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。
あと外に働きに出て、ある程度自分の裁量で物事を決め、今後の見通しが立てやすい作業は子育てに比べてとてもやりやすかった。
そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦で食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。
こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。
遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバンに商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリがこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。
その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。
家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系に登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。
そこからは自分の実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分だけがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電や生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代の貯金から出していたので異論はでなかった。しかしプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。
若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。
いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。
夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さらに離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観で判断すると、子どものために養育費は請求するべきだったかもしれない。
長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。
でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対許さないと思っている。
労働から完全に解放されて過ごす日は「休日」以外の何者でもないよ。
仮に職場から連絡が来て、休日も仕事から離れられないとかなら怒っていいけれど。
そういう訳ではないんだよね?
・現実的な対応としては、契約書記載の「期限の利益を喪失したと判断できる条件」に1つ合致した時点で、給与差し押さえる予定。
分かってるよね?
4分の1までだよ。しかも額面じゃない。手取り+税金+社会保障費を除いた4分の1。
なんでみんなやらないのかって言ったら面倒だからだよ。
ついでに口座は「狙い撃ち」が必要なので、口座を変えられたら1から調査だよ。
あと行政と違って朝一銀行に行って、差し押さえ通知を出してそれからだから。その前に金を動かされていると差し押さえ失敗。
ついでにそのたびに有効な裁判所命令を取ってくるんだよ。期日あるからね。無限に使える無法魔法じゃねぇんだよ、差し押さえ命令ってのは。
それを防ぐため職場宛への対応は職場と協議してね。でも、会社は大概「それを理由に解雇することができる」んで、やっぱ取りっぱぐれるよ。
要するに「差し押さえ実行は、そいつを自死か、自己破産に追い込む」だけだから。
教えない方が良かったかな?(笑)せいぜい債権者ライフを楽しんで(笑)
追記:不動産差し押さえも有効じゃないね。銀行の根抵当があるわけだし、強制自己破産のアレも使えないし。使ってもいいけど、その段階でソイツを自死に(以下略)