はてなキーワード: 習い事とは
そこそこ貧乏家庭で育ってきてるので、習い事に憧れて人生やってきてた。恋愛や結婚の類は完全に向いてないから諦めてるので、そこそこ稼げるようになった今、趣味以外にやることがない。
音楽が大好きで、大学のときから友人からもらったギターをぺんぺん弾いてたが、作曲を始めたら、鍵盤が弾けるようになりたくなってきた。ピアノ習いたい。好きな音楽ジャンルがケルティックな音楽なので、フィドル(ヴァイオリン)が弾けるようになりたい。ティンホイッスルは大学時代からちょいちょい吹いてた。安いからな。
あーーーー早くやりたい。上流ファミリーがメイン顧客のところに異常独身男性が殴り込みに行くの、恥ずかしい思いはあるけど、恥などに抑圧されている暇がないのだ。どこに出しても恥ずかしい異常独身男性なので、恥ずかしいのは当たり前なのだ。明日問い合わせるぞ。拒否されませんように!
数日前に、はてブで反出生主義について書かれた記事が話題になっていた(有料部分は読んでいないが)。
人間が生まれることは本当に良いことなのだろうか。昔からよく考える。むしろ、何一つ自分の思い通りにならなかった昔の方がよく考えていたかもしれない。
小学校低学年の頃、週刊ストーリーランドという番組があって(この番組は途中で打ち切りになっちゃったみたいなので、年齢がバレてしまうが)、読者からストーリーを募ってアニメ化するという趣旨のもので、私はとても面白いと思って観ていた。
占い師のおばあさんの超怖い話など、インパクトがあるものが多かったので記憶に残っている人も多いのではないだろうか。
この番組で私が特に印象に残っているのは、神様が世界中の人に同時に語りかけ、願い事を叶えてあげる、ただし叶えるのは1番願った人が多いもの1つだけね、と告げることから始まるお話だ。願いは1つだけだから、多数決でどんな願いにするか決め、皆でそれを願おうということになった。当然もめにもめまくるし暴動が起きるしで大変だったが、なんとか最後は心を一つにしてお願い事をしてハッピーエンド。と思いきや、実は神様は世界中の「人」ではなく「生き物」に語りかけていて(人間は自分たちだけに語りかけられていると思っていた)、人間以外の動物たちの共通の願いはただ1つだったので、世界中から人間だけいなくなったというオチだった。
コロナウイルスの蔓延っぷりを見ていると、鬱々としつつも、ずっと昔に流行したスペイン風邪とかペストの時代の人々の心境と今きっとシンクロしているんだなぁと妙に感慨深くなったり、自分がパニック映画のモブキャラであるような気持ちになったりする。そして、イッヌとかネッコにも感染るようではあるが、死にまくっているのは人間ばかりのようなので、上記の週刊ストーリーランドの人類粛清のお話を思い出したりした。
日本でちょっと前に人気を博した韓国のインフルエンサーのホン・ヨンギさんという女性がいる。彼女は、中3くらいからモデルとして活動を始め、高校生から服のECサイトを経営してめちゃくちゃに稼いだ。一見すると、ファッション好きな可愛くて商才のある女の子のサクセスストーリーだ。しかし実は、これまでの活動は彼女のお父さんの借金(約3億円)を返すために始めたことだった。返しても返しても利息分にしかならない。彼女が自分の出産・育児のために借金の返済が滞ったときがあり、子供の100日祝いの場に取り立てが押しかけてきたという(多分闇金だと思う)。その後も取り立ては続いた。これまで長きにわたって実家と新しい家族の2家族分を彼女が支えてきたが、もう精神的に限界で、肩の荷をおろしたいとインスタに綴っていたという。
彼女は子供の頃本当に貧乏だったらしい。サイズの合っていない靴を履き、中学校に入学しても小1の時のカバンを使うしかなかった。家庭の事情でなんども引っ越すのが嫌だった。それが、モデルの仕事を始めて注目されるようになって、サイズの合う靴を履けるようになるかと思うと嬉しかったらしい。
こういうクズな親の話はよく耳にするので、その度に、やはり産まれることが良いとは手放しに思えなくなる。
私は、どんな子も、色々あったとしても、数年単位で積分した場合になんとかプラスになるような人生であってほしいと心から思う。でも、この社会ではそれは難しい。恵まれた者とそうでない者の落差が大きすぎるのだ。上にいればいるほど、底に近い場所のことは暗くてよく見えない。底に近ければ近いほど、上の方は眩しくて、手を伸ばしても空を切るばかりだ。そんな社会で、子供を作ろうと思える人はどのくらいいるのだろうか。その結果が出生率の減少に現れているのではないか。
落差について考えたとき、映画「パラサイト」のことが頭に浮かぶ。とても緻密で素晴らしい映画だったが、かなりショッキングな重苦しいテーマを扱った作品であることから、数日間は精神的に浮上できなかった。
映画の最後の方で、半地下のお父さんが咄嗟にしてしまった行動の理由が、私にはわかった。人間としての尊厳を粉々に破壊されて、でも破壊した相手は自分を「同じ」人間だとは(一切の悪意なく)思っていなくて、それがわかっていてもどうしようもなくてああするしかなかったのだと思った。
映画を観た後に、一緒に観に行った知人と感想を言い合っているとき、彼女が「あ、それそういう意味だったんだ!」と驚いていた。彼女は、地方都市出身だけど私と違って都心部に近いところで一人っ子として溺愛されて育ち、色々な習い事をして東京のそこそこ偏差値の高い私立大学を出た人だ。映画も本も音楽も好きで教養がある人だ。そのような人が、あのシーンの意味がわからなかったというのは結構衝撃的で、というのは多分だけど解釈不足ではなく想像が及ばなかったからだと思うからだ。そんな風に惨めな思いをしたことがないから。
私の一人暮らしの家にはテレビがなく、「逃げるは恥だが役に立つ」の新春スペシャルはTVerで観た。けど、途中で観るのをやめてしまった。前回のドラマも途中で観るのをやめて、その時は二人の恋愛模様が何だか気持ち悪くなってしまったという理由だったが、今回は、現実の社会問題をこれでもかとふんだんに詰め込んでおきながら、登場人物の設定は全部ファンタジーというちぐはぐさがあり、何だこれは?となってしまったからだ。ツイッターでは、恵まれた人の恵まれた物語、「持てる人」しか出てこない、などの声がある一方で、感動した!すごく良かった!という声もあった。
学生時代、研究者の人が昨今の就職難について嘆いていて、公募受ける時だけ女になりたいなと冗談めかして言っていた。最初、言っている意味がわからなかったのでどうしてか聞いたら、女性枠があるからだという。私はふいに怒りを覚えたが、ぐっと堪えた。
結局のところ、皆自分より下の階層については鈍感であるか、鈍感であろうとしているのだろう。私がパラサイトを観てショックを受けたのも、いつも自分が一番不幸だと思っていたのに、自分より下の見えなかった分断を突きつけられたからだと思う。アフリカの恵まれない子供達、肋骨が浮き出てお腹が膨れて上半身裸の彼らのことを知っているのに、普段は頭の片隅に追いやって考えないようにしている。私たち全員が、今より高いところとの間にある分断を見ていて、眩しくてつらい気持ちになるのに精一杯でいる。人生は不幸なことばかりで、自分より恵まれている人を憎んでいるのだ。その一方で、自分より下の分断も見たくない。
こんな気持ちを抱えてずっと生きていくのはつらい。
言うほどひどい状況ではないよ。
進学のお金出してくれてたし、大学も仕送りくれたし、習い事もさせてくれたし。
ここは父方の祖父母の家で、父親は頻繁に家来てご飯食べて帰るから、私と関わる時間はあるよ。
(自炊せずいまだに祖母(母)のご飯食いにくるってそれもそれでどうなのって話だけど。)
父はモラハラだから私には基本甘いけど母親は冷遇って感じで、父方の祖父母もおばさんもみんな母のことは嫌ってる。
夫婦の問題だから子供が何言ってももうダメだって気づいてからは無視してる。
あとは3歳くらいから(精神病発症して)何も母親らしいことしてくれない母親に、
今更「育てられなかった時間をやりなおしたいから昔みたいにまた3人で暮らそう」って母親面で束縛されかけてるのが苦痛ってだけかな。
書いてて気づいたけど両親がいる本当の実家にも祖母とおばさんがいる仮の実家にも私の居場所ってないかもしれん。
父親からは「新社会人で年収足りてないんだから一人暮らしするな 25になったら結婚しろ おばさんみたいになるな」って言われてる。
医療従事者でも何でもない一般人だけれど、この辺はものすごい温度差があるとは思う。
今時は電車でマスクしていない人をほとんど見ないけれど、ものすごい勢いでしゃべっている人はそこそこ見る。
マスクで軽減されているとはいえ、あなたの周囲にも飛沫が飛んでますよって思う。
買い物、習い事や公園では就学児であろう年齢でマスクしていない子供をまあまあ見る。
時には知り合いだからという油断なのかマスクをせずに話している大人もいる。
そういうところに連れていくことで不特定多数の濃厚接触者を生みだしていると思う。
イギリスからやってきた新型はきっとそんな子供たちの間で瞬く間に広がっていくだろう。
核家族なら子供がかかっても家族が重症になることは珍しいかもしれないが、
今年中にやらなきゃいけない大量の仕事をなんとか片付けて、帰りに寄ったコンビニでケーキとチキンを買って、暇つぶしに付けたAmazonプライムでクリスマス映画を見ながら1人でホールケーキを食べた。さすがに全部は食べきれなくて残りの半分は冷蔵庫に入れたし、ここ数年恋人もいないし、クリスマス映画なんか見ちゃったせいで人恋しい気持ちになったりしたけど、別に虚しいとかじゃない。元々1人でいるのが好きだし、結婚もする気ないし、来年も再来年も1人でクリスマスを楽しめる人生ならそれはそれで全然満足してる。
でも、ケーキを食べながらこの1年を振り返ってふと気付いたことがあって、それに気付いた瞬間なんか感極まってしまって、誰かに聞いて欲しくて思わずこれを書き始めた。
初めに前置きしておくと、悲しかったことじゃなくて、嬉しかったことの話なんだけど、たぶん私以外の誰にも興味ない話だと思うし、リアルで接点のある友達とか家族に話すにはちょっと恥ずかしいような照れくさいような内容なので、匿名がいいなと。
まず私は今社会人5年目の会社員なんだけれども、今までの人生において、努力というものを全くした覚えがないし、しようと思ってもできないタイプの人間だった。それで開き直って努力なんかしなくても別にいいじゃん、と思えるような人間だったら良かったんだけど実際はそうじゃなくて、努力できない自分に対して呆れるというか、なんというか、なんでもっと頑張れないんだっていう思いを常に抱いていたし、それがいつも苦しかった。こんなことを言うと自慢みたいに思われるかも知れないけれど、学校でも、習い事でも、どこへ行ってもいつも「やればできるのに何故やらないの?」と言われるような子供だった。そんなこと言われてもできないもんはできないし、「努力できることはそれが既に才能だから、その才能が皆無な私は一生中途半端な人間で終わるんだ」という諦めがついてきていた。
元々器用貧乏の気もあって最初は何をやらせても人より上手くできるのに、しばらく続けているといつの間にか努力に追い抜かれていく。そんなようなことが人生のうちで数え切れないほどあって、プライドだけは高いのに能力はそれほどでもないっていう本当にどうしようもない自意識が形成されてしまったと思う。だから私は基本的に人より優れていたい気持ちがあるのに満たされなくて、承認欲求が人よりも強い。
就活の時はそんなちぐはぐな人格を見抜かれたのか、行きたかった会社全部落とされてやさぐれて、結局大学卒業の1ヶ月前になるまで就活もせずぶらついていた。そんな時、さすがに親もまずいと思ったのか「就活大丈夫なの?」と言われて初めてやばいと思った私は慌てて新卒向けのエージェントに行って担当営業さんに泣き付いた。どこでもいいから入れてくださいって言って、そしたらその人は困ったような顔で「この時期ですとさすがに求人もあまりなくて…接客業とIT業界どちらがいいですか」と言った。どちらも激務で人不足な業界で、もうその2択しかないと言われた私は迷わずIT業界を選んだ。何故ならコミュ障の上に体力が壊滅的だったので、接客業なんて絶対に勤まらないと思ったからだ。そうして私はなんとかエージェントのお兄さんが紹介してくれた中小IT企業の新卒枠に潜り込み、なんとか大卒ニートを免れることができた。
入社して数ヶ月は、研修と称してよく分からないシステムの勉強をさせられていた。そこで教えてもらったプログラミング言語とかは結構楽しかったんだけれど、ここでも私はいつものパターンを想像した。最初の方のプログラミングの課題では誰よりも早く提出できたし、それなりに評価されていたと思う。だからこそ、研修担当の上司の言葉が突き刺さった。
「プログラマやSEは、常に学び続けなければいけません。特にこの業界は旬の技術や言語の移り変わりも早いので、努力し続けられない人はすぐ用無しになってしまいます」
優しそうな顔で案外厳しいことを言う人だなと思ったし、この言葉を聞いた瞬間、私はプログラマにもSEにも向いてないなと確信した。まだ入社1ヶ月だったけれど、周りに段々追い付かれている雰囲気も感じていて、既にやっていける自信が無くなっていた。
そうして数ヶ月の研修ののち私は業務委託のSEとして現場に派遣されることとなった。最初の頃は打ち合わせの内容を理解することすらできなくて、手順書通りにポチポチするだけの単体試験などをやっていた。最初の現場では任せて貰える仕事が少なすぎて、暇すぎて、鬱になりかけた。それで、私は初めて暇すぎる仕事に向いてないということがわかった。次の現場ではまさに真逆で、膨大な単純作業をひたすらやらされる仕事だった。暇すぎるよりは忙しすぎる方がマシなんだと思ったけど、体調を崩して1週間くらい休んだ。其の次の現場でもやっぱり単純作業をひたすらやらされて、リリース前1ヶ月は毎日終電で帰っていた。そこで初めてやりがいのある仕事がしたいと思って、今度は企画寄りのことができる現場に入れてもらった。それが去年のことだった。ちょうど入社して4年目で、なんだかよく分からないうちに4年も経ってたなという印象しか無かった。SEは常に学ばなければいけないという上司の言葉をすっかり忘れるくらいにはあっという間の年月だった。
そして新たに入った現場では業界で言うところの「最上流工程」に位置するような、システムの必要性から議論していくレベルの仕事だったんだけど、これがなかなか楽しくて、やればやるほど認められるのが嬉しくて、これは割と最近の話だけれど、私はいつの間にかプロジェクトリーダーにまでなっていた。ついでに自社ではその功績が認められて、役職も付いた。
それで冒頭に戻るんだけれど、チキンとケーキを食べながらこの1年を振り返ってみて、唐突に思ったんだ。あれ、私、今年1年めっちゃ頑張ってたじゃん。頑張ってたし、それが認められて、役職も付いたしプロジェクトリーダーにも抜擢されたし、努力できない人間は生きてる価値無いとすら思ってたけど、これが努力かどうかわからないけど、少なくともこの1年振り返ったときに私めっちゃ頑張ってたじゃん。そう思って、今までコンプレックスに思っていたことが報われたような気がして、ケーキ食べながら泣いた。そんなことで?って思われると思うけど私にとってはすごく嬉しかったし、救われた気持ちになったので、誰かに聞いて欲しかった。
なのでここに書きました。なんだただの自慢じゃんって思うかもしれないし、不快な気分になる人もいるかもしれないけど、その時はごめんなさい。もし最後まで読んでくれる物好きな人には、ありがとうと伝えたい。
落ち込んだので吐き出す。
幼少期、スポーツ系の習い事をしていた。指導役が肉親だったこともあり、脂の乗っていた時期には、練習が朝の五時まで続くことも稀ではなかった。
そんな日々が数週間も続けば嫌にもなる。
しかし、その「やらされていた」時間のお陰で(当時の精神状態や幸福度はさておきとして)当時はそこそこの成績を維持していた。
時が経ち、今、私は別の趣味を得た。
少しでも上手くなりたいと思った私は、技術書を読み、習慣的に練習を続けている。甲斐あって、以前の自分と比べれば巧くなってもいる。6年も続ければ当然の話だとも言える。
しかし不満がある。それは、自分が他者に嫉妬を抱けないという点だ。
ーーー
不満に至るまでの流れを思い出す。
練習法を探す私は、さまざまな媒体に触れた。本、Webサイト、動画、SNS、有償授業…ほんの少し探しただけでも、モチベーションの維持の重要さに触れている記事は多い。
未熟さを笑われたことへの反発、同世代のライバルへの負けん気、嫉妬…それらの感情は、素直に認められるのであれば、たしかに努力に対する強い原動力になるだろう。
私自身、覚えがある。
かつて習い事を「やらされていた」私は、隙さえあれば体を休めることや他の遊びをすることに執心していた。しかし、本当にその競技で人よりも巧くなりたいと思っていた友人は、常に積極的な努力を怠らなかった。鬼気迫るやる気を抱いていた。私が限界を感じた時間をゆうにこなし、同じ時間の練習でも密度に差が出来た。
当時は「こんなこと、よく好きでできるな…」止まりで、彼よりも巧くなりたい、彼に負けない結果を出したいとは一切思わなかった。当然だ。好きでやっていた事ではないのだから。
押し付けられた内容量が規定値に達したので、最低限たどり着いた。かつて私の技量はそんなものでしかなかった。
しかし今は違う。
今の自分は好きなことをやりたくてやっている。他の事が充分できる時間もあって、そのジャンルに固執しなければいけない理由もない。
だのに、だ。自分は、明らかに自分よりも優れた者相手に、全く嫉妬や反発心と言ったものを抱くことができない。
素晴らしいな、これは良いものだな、これは見たことのない表現だな、これはどのような意図で行われているのだろう…色々思うところはあるが、そのどれもがせいぜい感動や興味、憧れ止まりであるのだ。
ーーー
勿論、負の感情抜きでも練習は出来る。惰性にならないように心がけながら、自分なりに努力を続けている。
それでも、折に触れ彼のガッツを思い出す。
というか、逆に、どうして自分はあれを抱くことができないのだろうと思う。
思いつつもわかっている。負の感情や情熱と言うものは、抱きたくて抱くようなものではない。
あれは、抱いてしまったから抱くしかない類いの感情なのだろう。
つまり、今の趣味を、自分自身が好きでありたいと思っているほどには好きではない……それだけの話なのかもしれない…
まぁ、だとしても、この趣味が今一番楽しい趣味であることには変わりないので、マイペースに進めていくだけの話なのだが。
色々と吐き出してるうちに、気持ちも落ち着いてきた。
日が昇ってきた。朝食を作ろう。
仲良くなってすぐの頃に、たまたまご飯の帰りに通りがかった建物の前で、ここ私が行ってた学校なんだ〜って言われたことがあった。田舎者の私は、へーこんな都会のど真ん中にある学校だったんだ!いいなぁ!くらいしか思わなかったんだけど、後から知ったその学校は中高一貫の難関私立校だった。
もちろん彼女は大学も早慶上智クラスで、普通に生きてたら知り合いになれないような人だった。
変わってるなぁとは思ってたけど、趣味繋がりだったからなんとなく大学は上だけどあとは同レベルと誤認していて、本当に自分は恥知らずだった。
美味しいものもおしゃれなものも全部彼女から教えてもらったのに、大学上京で浮かれていた私は仲良くしてあげてよかった〜くらいに思ってた。世間知らずすぎる。
東京の山手線の中に実家があって、知識も教養もたくさんあって、進学や習い事や留学で得た豊かな人脈があって、なにもかも持っている彼女に縁を切られたのはある日突然のことだった。
突然とは言っても何回か私が無知で人との付き合いをするうえで大変失礼なことをしていたので、当然の結果ではあるんだけど、人格からなにから全て劣っていたと自覚した時は本当に辛かった。
私もあの家に生まれていたら、あの美貌と頭脳があれば、あの学校に通えていたら、私だってすきで今の親の元に生まれたわけじゃないのに。
知り合わなければよかった、あんな自己肯定感が高くて豊かに生きている人間を知らなければこんな劣等感に苛まれずに済んだのに、羨ましい、羨ましい、せめて出会った頃からやり直したい
私が発達障害でママ友ゼロだけど子供は母親の私が怖くなるくらいド健常で友達百人タイプ
とっとと親同士のやりとりが少ないところ探してスポーツか何か習い事に入れちゃったほうがいいよ
幼稚園や学校終わった後の時間を発達障害の母親しか家で過ごさせる訳にもいかないし、かといって子供の友達の親は発達障害の母親と関わるの面倒だから遊びたくはないだろうし
うちは幼稚園の頃から体操と水泳と楽器やらせててそれぞれで友達作って楽しそうにやってるし、発達障害の母親がいる事も気にしないようなできた親友がいて充実してるみたい
発達障害持ちの既婚女。
そんな苦手を克服したくて、
人並みにコミュニケーション能力を得てきたような気になってた。
数少ない友人とだけ付き合っていて
人生が楽になった。
ところが子どもを産んだら途端に苦しくなった。
輪に入れないから習い事では我が子だけ保護者が配ったお菓子をもらえなかった。
話しかけても嫌そうな顔をされる。
たまに話しかけてくれたママも他に仲の良いママが来ればそちらへ行ってしまう。
なにが悪いのか分からないけど、
輪に入れない。
コロナで会えていない。
1人で平気という人もいるけど、
私はたわいもない話ができる相手が欲しい。
苦しい。
生きているのが辛い。
こんな親でごめん。
をただ書くだけでお気持ち表明とかそういうのではない。なんとなくインターネットの海に、匿名で自分を表現したいと思いここに投稿する。
服装はパッとしない冴えない感じで(大抵はパーカーだ)、顔も良くはない。メイクも幼い頃にやった習い事の発表会用と成人式以外ほとんどしていない。
言われるならカッコいいのほうが嬉しく、可愛いと言われるのは苦手だ(可愛い、というのは内面的な部分を指してでしか言われたことはないが)。しかし別段かっこよくなる努力はしていないし、しようともあまり思わない。ありのままがいい、というと聞こえはいいが、要するにただのズボラである。ご想像の通り、彼氏も彼女もいたことはない。
そんなこんなで性自認については、「女性はこちら」と言われればそちらに向かえるが、社会からの役割期待からはズレている感じがする。なので「恐らく女寄り」という自認だ。
性的指向についてはまだハッキリとわかってはない。私はオタクなので異性に関しては基本的に二次元にしか興味がなかった。記憶を探れば、小学校低学年くらいにはやんわり好きな男子のような存在がいて、中学校もなんとなく男子への興味(これは恋愛感情ではない)はあった気がする。好きなキャラクターも男性キャラの方が多い。
一方、小学校高学年くらいには女子への興味がうっすら出てきていた。スキンシップが多い子にはドキドキしたし、プールの授業で密着されたときも内心うおお‥となっていた。中学の頃、割と仲の良かったクラスメートにすれ違いざま首を触られ、無反応でいたらぼそりと「感じないんだ」とつぶやかれた時も顔に出さずともめちゃめちゃドキッとした。女子に対しては恋愛感情未満、だとは思っているが何となく好きかもという感情を抱いていた。
また、小学校のときのクラスメート(女子)が私のことを好きという話を人づてに聞いたときも嬉しく思った。結局その子とはもう離れているので何もなかったが、私のことを好いてくれる同性の子がいたら私はOKを出すかもしれない。そんな気がする。
好きなキャラクターは男性が多いと述べたが、女性キャラクターも数は少ないながらも同じくらいの熱量でハマってきた。現在の推しも女の子である。最近は今までなら全く興味がなかった女性アイドルにも推しがいる。(男性アイドルには依然として興味が沸かないが)
これらのことを考えると、自分の性的指向はレズ寄りのバイなのかなとぼんやり思ったりしていた。しかしレズ寄りといえるほどなのか確信は持てない気もする。だが現状は、3次元に関しては男性への興味より女性への興味のほうが強い。可愛い女の子に言い寄られでもしたらすぐ付き合いたいと思うだろう。容姿がすごく良いわけではなくても、仲が良くて私のことを恋愛的に好いてくれる女性がいたら嬉しいと思うだろう。
私は彼氏も彼女もいないし、暴漢に襲われるなんて不幸なことも起きなかったため、ありがたいことにまだ処女だ。オナニーはしているが、パンツの上から触るくらいの軽いやつだ。性行為についても2次元エロ画像くらいでしか知らない。童貞の幻想程度の認識しかしていない。それを踏まえて自分はどちらの性と行為をしたいか考えたとき、即女性とがいいと思ってしまう。男性との行為はなんとなく嫌悪感があるというか…変な話だが「男と女」を突きつけられるのが嫌なのかもしれない。蛇足だが、私は3回ほど男性から性的加害を受けたことがある。自分ではどうってことないと思っていたが案外トラウマになっているのかもしれない。
じゃあなぜ女性との行為はむしろ興味があるのか、自分でもここはよくわからない。男性じゃないからという消去法的な考え方なのだろうか。分からないけど女性とはそういう関係になってみたいとどこか思っている自分がいる。性的指向については結局よくわからないままでいる。
まとまりのない文になってしまったが、どこにも誰にも言ったことのない、言えなかったことが吐き出せてすっきりした。もし自分はこうだよ、とか、それはこうなんじゃないかな、とか、いやそれは理解できない等なにか思ったらコメントしてくれたら嬉しいです。それでは。
今の40台位の人々は、バブル絶頂機を小学校高学年から中学生くらいの間に経験し、大学を出た辺りで超絶的な氷河期に入った、という経験をしている。俺もその中の一人だが、日本社会で印象的だったことをなんとなく懐古してみる。そして、今の時代の伏線は30年前にすでにはられていたのだな、というふうに感じた、ということも書いておきたい。
最近パソナの某がどうしたとかそういう企業による国民の搾取が問題になっていると思うんだが、「こうなるための準備は30年かけて着々とされてきた」ということだ。我々の親の代にはすべて始まっていた、と言ってもいいかもしれない。
まず、自分にとって最も印象的だったのは以下の2つだ。
1. 職業選択の自由アハハン
2. バイト探しが週二回
この2つを覚えている人は多いだろう。つまり、「なにか特定の仕事をやるんじゃなくていろんなこと片っ端から好きなようにやっていこうぜ」という社会的な機運づくりだ。たしかどちらもリクルートがやっていたと思う。リクルートは賄賂かなんかで大変なことになったという印象が強いのはこの辺のせいだと思う。
これまでは、一つの会社に新卒から定年まで勤め上げていく、ということが美徳であり、給料も年功序列、会社はアットホームだった。今でいうとどれも警戒されてしまう単語になっているのだが、この頃の会社は本当に一種の共同体として機能していた。バブルでお金に余裕があったからというのもあったとは思うが、この点は本当で、誰一人ここに疑問を持っていた人はいなかったと思う。
会社で運動会をやり、社員旅行があり、ゴルフ大会なんかもあったりと今では信じられないような状況だった。だが、同時に過労死であるとか、24時間働けますかとかの過剰労働が問題視され始めた時期でもある。
まだ、軍国主義の発想も強かった時代で、過労死した社員は2階級特進で部長待遇で退職したことにするみたいな、会社がそれに報いるとか、なんかそんなこともしていた気がする。この頃は俺は小学生だから、テレビで見た印象、ドラマで見たネタなんかも多分に混ざり込んでいるかもしれない。
タクシーなんかも無礼で、乗車拒否の嵐だったとか、彼女がほしかったらなんとかいうアクセサリーのゴールドを渡さないとだめとか、とにかく金、金、金、の社会だった。なんたら言うアクセサリーのシルバーだと女に「だっせ!どっかいけよ!」とか罵倒されていた。
この頃になると、あまりお金を持っていない男性たちはアッシー、メッシーとか言われて単なる移動手段や金づるにされていた。この辺りフェミニストの女性陣はどう思ってるんだろうか。とにかくひどいのだ。ある女性が彼氏とデートするので自分のことを好きらしい別の男性に長時間列に並ばせてチケットを買わせるとかそんなのをドラマでやれて問題視されない程度にはこのへん行き届いていた。
この頃は女子高生がブルセラショップなる店で自分のパンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際とかに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランド物しか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観は蔓延していた。この辺は今もづついているかもしれない。
新築マンションも棟の単位で10億円とかで売っていたし、ゴルフ会員権とかも何百万円で取引されていた。とにかく金が余って仕方ない、金を使わなくては、という時代だ。
今若者たちが努めている会社にいる50代60代はこういう社会で生きてきた人たちだということは肝に銘じたほうがいいかもしれない。
さて、バブル崩壊だ。バブル崩壊、という言葉自体は自分にはなんの印象もない。当時の経済状況をバブルと言っていた人はテレビには出ていなかったと思う。そもそもガキ過ぎてニュースを見ていなかったというのもあるだろうが。なんにしてもバブルが崩壊した直後に起きたのは「リストラ」だ。
この辺りで自分たちは家族だと言っていた企業が突然社員に牙を向き始めた。
いきなりやってきて「君クビね、さよなら」くらいカジュアルに社員をクビにし始めた。バブルで家を買ってローンもかなり高いものを組んでいた家庭の大黒柱がいきなり収入を断たれる、という状況だったのだが、社会としてそもそもリストラをきちんとルールにしていないので、とにかくやったもんがちだと言わんばかりにどの会社も社員をクビにし始めた。そして代わりに台頭したのが「職業選択の自由を謳歌していた人々」だ。
彼らはとにかく働いた。アルバイトを何個も掛け持ちして月収100万円なんていう人もいた。いつねてるのかはわからないが、バイトがとにかく儲かっていた。彼らは企業に雇われてしまうと自由がない、自由に職業を選べて好きなときに好きなだけ働けて、休みたければ休めばいい、こんな人生最高じゃないですか、というように言っていたが、彼らが今も息しているかはわからない。
バブル崩壊を契機に正規雇用から非正規雇用に企業は主軸を移し始めた。正規雇用はクビにしようとすると大変だが、非正規雇用は単に契約を打ち切れば終わる。正社員への登用をちらつかせることで企業は優位に立つこともできる。多分この辺は今も残っている。制度だけ残して給料は極限まで減らしているということでもありそうだが、移行期間というのは企業もお金を出すので、この頃はバイトは結構儲かった印象が強い。当時の経済状況でも時給800円くらいだったのだから、結構出していたと思う。考えてほしいんだが、携帯電話、インターネッとと言ったものは無いのだ。生活にかかるコストなんかそんなに高くなかったのだ。
同時に問題になったのは銀行の不良債権だ。バブルのときには土地の値段はとにかく上がっていくので、銀行も土地にどんどん融資をした。この辺金融機関としてリスク管理できていなさすぎだと思うんだが、とにかく金を貸した。例えば土地を買うので1億円貸したとする。この1億円はもはや回収できなくなった。なぜなら土地を売っても数千万円にしかならない。日本の不良債権問題は銀行がこの状況を受け入れてしまうとどの銀行も債権が取り返せなくなるのでどんどん倒産してしまう、というところにある。この頃になると俺もある程度ニュースを見たりするようになるので、なんとなくだが覚えている。
返してもらうこともできない、精算してしまった時点で大損確定する債権が大量にある、という状況だ。この辺りはよくわからないんだが、よくある含み益、含み損、と言うやつのことを言っていた。そして、債務者もお金を返せない。債務者は破産していき、債権者はどうしようもない債権ばかりが溜まっていく。そこで何が起きたか、国による救済だ。この不良債権に対して国は税金を注入して銀行を救ってしまった。資本主義の世界であれば、この辺は銀行の自己責任で倒産するのが正解だが、もしそうしたら、日本に銀行は一行も残らなくなってしまう可能性が高い。
銀行は金融庁による介入を受け入れて国は銀行を救済した。とはいえ、いくつかの銀行や証券会社は倒産してしまった。
このときに銀行は「もうこれで銀行は倒産しないことになった」という認識を得たかもしれない。国による救済というのは、ある意味で半分銀行を国営化するようなものだからだ。今後銀行が倒産すれば、国が損を被ることになる。そして熾烈な不良債権処理が開始された。
とにかく債務者から引っ剥がす。貸し剥がしというのが確かそれだ。銀行は自分たちが損したくないのでとにかく徹底的に国民から搾り取った。国民がどうなろうがお構いなしだ。少なくとも日本において債権者と債務者は全く公平ではないということがここに現れる。
ところでなんでこんなにひどいことになったのか、というはなしだ。どの国でもバブルが崩壊することはあるだろうが日本のそれはとにかく深刻だった。国が支配力を強めるためのシナリオでもあったのかと思うくらいにひどい。
おそらく当時の人々は何も考えないで借金して先物取引していたんだろう。借金と先物取引の組み合わせの極悪さは想像すればわかるだろうが、当時の人々はとにかく酔っていた。国はちっとも諌めなかった。
この辺は都市伝説だが、あるときにユダヤ系資本が急に日本から引いてしまったらしい。日本がアメリカの重要なものまで買い取り始めたからかもしれないとかいろいろ言われているが、俺の中にある投資に対する不信感はこの辺にあると思う。「ある時更に力を持つものが食い荒らすだけ食い荒らしていなくなってしまう」ということだ。
さて、このリストラが吹き荒れたことで企業は正規雇用を徹底的にダンシャリして非正規雇用に走った。就職氷河期というが、これは正規雇用を企業がひどく渋ったことによる。使い捨てのバイトがたくさんいたほうが企業としては助かる。だが、国民のメンタリティは社員になってなんぼ、というのが強かった。
更にこの頃になるとITも一般的になり、これまで10人でやった仕事が1人でできるくらいに合理化されていった。もはや人間はそれほど必要ない、という時代に突入したと言ってもいい。コンピュータならぶっ壊れるまで酷使しても違法じゃない。この大きく時代が変わるときにプログラミングが少しでもできた人は大いに特をした。20年後の今は結構苦しんでいるが。周囲が仕事のなさにあえいでいるときに適当な会社で仕事を手に入れることができた。多重請負地獄があるとも知らずに。
時代が変わるときは、大きく得する人と大きく損する人が出てくる。就職氷河期に仕事を見つけられなかった人々の現状はさんさんたる物だ。変な話だが、WORDとEXCELができれば仕事があったのだが、それを受け入れられなかった人(ここには仕事はEXCELカタカタやるもんじゃないという反発する人もいたかもしれない)との間で命運が別れたと言ってもいいかもしれない。
この頃になると、旦那の小遣いなんか0でもいいがそれだと死んでしまうから一日500円くらいは渋々許す(収入の殆どは旦那なのに!)という変な歪みが出てきたように記憶している。お金は子供の習い事や塾、そして、日々家事に忙しい奥様のたまの贅沢に主に使われるようになった。旦那は家に収入の100%を吸い取られるようになった。お金がない旦那似合わせて飲食店も値下げを始めた。ワンコインランチというのを出すようになった。
この辺は鶏と卵の話かもしれないんだが、男性が社会に還元するお金を持てなくなったこととデフレの開始は無関係ではないかもしれない。もうちょっと言うならば、お金の行き先が特定の業務に行くようになってしまい、ほかは旦那の少ない小遣いの獲得合戦になっていったように思える。
そして値下げ合戦が始まる。マクドナルドなんかは何でもかんでも100円とかで出すようになった。アルバイトたちが激務になることはお構いなしだ。値段を下げる、商品もしょぼくなる、デフレスパイラルの開始だ。
デフレスパイラルに入り、企業はお金が手に入らなくなった。手に入らないのだから給料も支払えない。年功序列型の給料をもらっていた中年層が今度は槍玉に挙げられた。日本ではリストラは絶対にできないと言われているが、実はできる。
こうしてみると、今の状況は変な話だがバブル崩壊から始まっていると思う。もっと言うなら明治時代から始まっているかもしれない。パソナの竹中平蔵に対するバッシングが最近すごいが彼の経済学者としての歩みを見ると、1990年くらいから始まっている。彼はおそらくバブル崩壊経済とそれが崩壊することの意味をわかっていたのかもしれない。
小泉内閣から急に出てきたように見えるが、実は小渕内閣の頃にはすでにいろいろやっている
びっくりするくらいブクマされてんのね。
よく調べてかけとか言う人々、嫌だよめんどくせえ。
はっきりいうと自分の記憶と印象だけで書いている文章だから、間違いや事実誤認、正確性の欠如、だらけだろうね。気になるならこの辺の正確な経緯でも書いてみてくれ。
実家が太い方だと思う。
私立4大でて授業料も卒業まで入っていた寮費も仕送りも親もち。
(私が成人してから3台に増えたけど)
今は結婚してとある都会に住んでいる。フルタイムで働いている。
世帯年収は大人二人がまあ多少贅沢しても毎月貯金はできるくらい。
そんな状況なんだけど、
正直人生でお金に困ったことあったか?みたいな認識なんだけど、
「貯金できない」じゃなくて「貯金できる余力があるのに全額消費しちゃう」人ね。
無理に捻出することはないと思う。
一度扶養に入ったけど生活費(食費とか通院代とか)にほぼ丸々消えて
夫に「食わせてもらってる」状態が怖かった。
(夫は無理に働かなくていいよ!って言うタイプだし、
正直それだけでも暮らしていける)
そんなに必死に働かなくても良いのでは?って考え。
まっっっっっったく共感できない。
未成年の頃はいざしらず、社会人になって自分で自由に使えるお金がないって不安にならない?
いやきっと、親からもらったものも夫のお金も自由に使っていいんだろう。
服を買ってもネイルやっても、美容院も喫茶店でも何もかもやっていいんだろうな。
でもそれができない・・・
人が許しても「すねかじり」の自己意識が巨大すぎてできない。
この先の人生で私が社会から不必要とみなされ、働き口がなくなり、ランニングコストに切迫して
自分が価値のない人間だと今より強固に思い込む前に貯金をしなければ。
貯金さえあればそれは私の目に見える実績になる。
貯金さえあれば、何かが起きても多少はなんとかなる。
そう思ってしまう。
いや、違うな。
「働いてる」「貯金できてる」だから私はちゃんと大人になれてる。って認めてほしいんだろな。
誰に認めてほしいのかはわからんけど。