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2021-07-22

ルックバックの技巧

ルックバック」はどんでん返しに次ぐどんでん返しで、「衝撃の展開!絶対見逃せないこの夏イチオシ作品!」と呼ぶにふさわしく、ストーリー的なギミックがよく工夫されている。

コマの細部にヒントを忍ばせてみたり、わかりやすいくらい工夫に満ちて技巧的だ。

対して作中の犯人像は、なんの工夫もない。

100人100人が描けるような安易犯罪者を、安易に描いていた。

これは「あえて安易犯人像にした」という話とはまた違う。

序盤で描かれる小学校時代教師たちは、安易ステレオタイプでありながら、適度に工夫されて主人公感情に馴染むように(あるいは馴染まないように)描写されている。


しか物語の「裏の核」となる犯人には、その程度の工夫すらない。

あれは18禁同人でいう「竿役おじさん」のステレオタイプ並の解像度である

そして主人公も、大切な親友を殺した犯人に対して湧くはずの怒りや憎しみを見せない。

犯人を責めるよりも前に、自分を責め始める。

犯人に対しては妄想の中でお行儀よく空手キックをする程度である

なぜならもし主人公犯人に怒り、感情を剥き出し始めたら、作者にとって「都合が悪い」からだ。

せっかくテクニック満載の誰もが驚く「うまい」話を考えたのに、キャラクター感情を優先してしまってはテンポの悪い泥臭い話にしかならないからだ。

テクニカルストーリー台無しになるからだ。

ギミック満載の、作者が褒められるタイプお話」にするためには、

決められた筋書きからはみ出さない物分かりのいい主人公と、適当犯人描写でなくてはならなかった。

事実、読者はキャラクターの話などしていない。

みんないかに作者を褒めるかを考えている。

こうして、主人公が当然持って然るべき感情は、作者の都合のために消された。

作者を天才と呼ぶ声が増えるほど、作品空虚さ、軽んじられたキャラクターが浮き彫りになる。

正直、モチーフとなる事件想像されるのだから事件をあのようにしか扱えないで果たしてうまい」のか?

それはニュースサイト的な「バズりのうまさ」ではないのか?と疑問なのだが。

自分は、「ルックバック」を読んで「マイ・ブロークン・マリコ」という作品を思い出した。

同じく友人を失った女性の話だが、登場人物の心の痛みや迷いや悩みから逃げない作品だった。

それらといちいち向き合い工夫を凝らして描き、彼女を「殺した」犯人も嫌になるほど誠実に描いていた。

作者名なんかよりも「マリコ」、マリコを想い後悔に苦しむシイノのことが頭から離れない漫画だった。

理不尽に友人を奪われたシイノはすぐ泣いて鼻水を垂らし、無様に地面を転がっては起き上がってまた転んでいたが、

ルックバック」の主人公は涙も見せず、絵的な収まりの良さをキープしつつ、バランスボールの上に座り続けるのだった。

比べるのも馬鹿らしいが、雲泥の差だと思った。

anond:20210721182809

そうなの?俺この記事を読んで昔いた某電信電話会社研究所と同じだって思ったけれど...

あいまいな指示を出し、不明点を質問したら自分の頭で考えろと言うみたいな理不尽

もちろん、退職前は仕事できない人だと思われてた。

ルックバック』は犯人統合失調症として描いているか

二番煎じ・三番煎じだろうけど書いておく。

結論から言えば、描いていると考えられる。

何故なら、作中のニュース記事等で「薬物中毒による犯行」と明言されていないから。

被害妄想幻覚幻聴統合失調症典型的症状である

と同時に、覚醒剤アンフェタミン系の精神刺激薬)の中毒症状における典型的な症状でもある。

発生メカニズム的にこの両者の症状はかなり近い(Wikipediaで「ほぼ同じ」と書かれているくらい https://ja.m.wikipedia.org/wiki/覚醒剤)ので、単純な症状の描写だけでは両者が区別できないのは当然と言える。

ところで、作中の犯人の男は明らかに理不尽に命を奪う」というイベントの引き金的に描かれている。

用意された悪役というか、憎まれるための舞台装置に近いポジションである

であれば、メカニズム的にも矛盾はないので、ヤク中だったとするのが最も角は立たない。

「ヤクやるような奴だから人を殺すのだ」は一般的に受け入れやすストーリーで、犯人が薬物中毒だったとしたら新聞記事ニュースでそこに言及がないのはほぼあり得ない。「薬物中毒者〇人殺人事件」という事件名がついたケースすらある。

逆に言えば、そういった描写をしないことで、明らかに作中では「精神を病んだ患者犯行」の可能性を匂わせている。

「いわゆる『頭のおかしい奴』との断絶」を強烈なかたちで描くことで、犯行現場へ駆けつけて京本を救うヒーローとしての「ありえたかもしれない藤野」のカタルシスを描いている。

「僕はきれいな部分とか、優しいものを描くなら残酷な部分を描かないといけないと思っていて。そのほうが優しい部分に触れたときに、映えるじゃないですか」と語る藤本氏がいかにも好みそうな「残酷な部分」の象徴として、精神疾患の犯人を描いているのである

これがヤク中の犯人では「残酷な部分」にはならない。ヤク中では掘り下げて描写しないと「クソ迷惑阿呆がヤクやって人を殺す」という、「避けられたであろう理不尽さ」が拭えない。

精神病はそうじゃない。ヤクはヤク打ちたくて打って転げ落ちるイメージがあるが、統合失調症患者はなりたくてなるようなもんじゃない。

なりたくてなったわけじゃないのに「そう」なって人を殺してしまう、というのは残酷な話だ。

からアクセントに使われた。

そう読む読み手がいるのは自然な話であり、精神病の当事者から抗議が行くのも自然な話だ。

普通に精神病への偏見助長するような、配慮の足らない描写であるからだ。

個人的にはかわいそうなやつだ、と思う。『ルックバック』の犯人の話である

ヤクか病かは知らないが、登場時点で明らかに被害妄想に苦しめられている。

正史というか京本ヒッキー世界線では、この後人を殺すという大罪を犯してしまい、世間からクソボッコにされるのだ。

ただでさえ日常意味もなく四面楚歌なのに、一線超えてしまったせいで本当に世界の敵になってしまうのだ。かわいそうに。

かわいそうと言えば藤野もかわいそうだ。「京本を部屋からさなければ死ぬことはなかった」が完全に正となってしまった。部屋からさなくてもいずれ漫画家とアシとして組めたというウルトラハッピー世界線描写が逆に後味悪い。あれを藤野が直接認識することがないのは救いだ。あんなん見てもうたら残りの人生ずっと「京本を部屋からさなければ良かった」に呪われて、再び歩き出せるようになるまでにえらい時間を食ったことだろう。

なお、『ルックバック』が京アニ放火殺人事件モデルにしているという言及があるが、京アニ犯人精神疾患があり過去に投薬治療も受けている。

京アニ犯人犯行当時責任能力があった」という言を以って『ルックバック』を擁護する向きがあるようだが、擁護になっていない雑な話と言わざるを得ない。

それでも俺は人々の物語愛を信じている

今、はてな小山田批判の次くらいに熱い、ルックバック統合失調症患者問題

俺は基本的にあの批判に関しては否定的に見ている。

ただ、一方で、漫画描写統合失調症患者偏見を強めるという意見に関しては完全に否定できるモノではないとも思っている。

統合失調症患者描写に限らず、また「差別助長する」と言われるような描写に限らず、あらゆる物語は正負を問わず人に影響を及ぼし、社会価値観形成一助になるだけの力を持っているモノだ。

その力を無視して「漫画描写偏見助長することなどない!」というのは、あまりにもご都合が過ぎるだろう。

だが、それでも俺は「差別助長するのでああい描写はするべきではない」という意見には頷かない。頷けない。

それは身も蓋もない話だが、物語の持つ悪影響ということを言い出したら際限がなくなってしまうからだ。

マンガに男の殺人鬼が出てきたからといって「男は全員殺人鬼だ」と思う奴はいない(anond:20210719195613

追記 引用元を間違えていた。正しくは → anond:20210719205459

という意見は極論ではあるが、同時に本質でもあると思う。

どんな属性人間が悪役と描かれていたって、それはその属性=悪とする歪んだ価値観固定化に繋がる可能性は十分にあり得る。

あるいはどんな作品だってわずかな敵キャラの悪行の描写から読者に悪徳を学ばせ得るし、可愛い女の子キャラクターの姿が視聴者に不健全な形での性的衝動を呼び起こす可能性はあるし、不健康嗜好品を嗜む姿で閲覧者に自分もと思わせてしま危険性はある。

もし、そうした可能性を逐一あげつらって許さないと言っていたら、世の中の物語の9割以上が死に絶える。

大人気ヒット作も、歴史的な名著も、殺され尽くす。残るのは道徳教科書教育的な物語くらいではないか

いや、度々、道徳とは何かという議論が起きていることを思えば、人々の考える正義の違いによってそうした物語も誰かにアウト認定されるだろうか。

「それは暴論だ、程度の問題がある」という人もいるだろう。

だけど、「程度の問題」なんて言うのは大嘘だ。

そもそもルックバックの描写が『程度』を大きく逸して邪悪描写をしていたかと言われたら、そんなことはないだろう。

素直に読めば、あの殺人犯物語においてただ理不尽な死を与えてくる存在というだけで、それ以上にフォーカスされるような点はないキャラクターだ。

批判している人たちだって、おそらくその半分くらいは批判のバズりを目にしていなかったら気にも留めなかっただろうし、多少「ん?」と描写に引っ掛かりを覚えた人だってこれが無名新人作品だったらわざわざ声をあげなかった人がほとんどなのではないだろうか?

ハッキリ言って、あの程度で許されざる描写認定してしまうなら、どんな物語からでもいくらだって批判点を見つけることができてしまうハズだ。

結局、批判やり玉にあがるかどうかに『程度』なんて基準はなく、流行ものの人気作だから、人気がなくて誰かも擁護されないから、インフルエンサー批判しているから、マスメディア擁護しているから、キモオタしか読んでないから、馬鹿大衆しか持ち上げていないから、芸術的価値がないから、評論家気取りが持ち上げているから、俺が気に入らないから──、人々のそんなお気持ち次第でどうとでもなってしまものなのだ

もしも本気で人々に悪影響を及ぼす描写規制を考えるなら、そのような恣意的極まる基準規制することは断じて許されない。

少しでも偏見や加害や悪徳を生む描写は一律禁止にするしかない。

だが、果たして世の人々はそんな社会を望むだろうか?

もしも、あなたが「偏見を生まないためなら、あらゆる物語を殺して回るべきだ」というのなら、それはそれで良い。

それは筋の通った一つの意見だ。

だけど俺は僅かな偏見の種を積むためだけに人々から物語を奪うことの方がより重篤人権侵害だと考える。

そして、人々がこのどちらの意見を支持するか考えた時、俺は人々は物語を守る方を選んでくれると信じている。

まだ人類言葉すら持っていない頃から物語は連綿と紡がれ続け、今日まで人々に愛され続け、生み出され続けてきた。

そんな物語人類が手放す日はけっして来ないと俺は信じている。

ルックバックの描写一つではなく、あらゆる物語の『正しくない』描写全てを秤にかけた時、人々が物語を守る方向に傾いていくれることを願っている。

からルックバック批判に関しては、俺は一人の物語愛好家として強く否定をするし、もしもあなたルックバックの殺人犯描写批判するというのなら、その時、あなたの好きな作品も含めたあらゆる物語を殺し尽くすだけの覚悟があってその批判を行っているのか考え直してほしいとも思う。




追記

様々なご意見をいただいている中で、気になったこと、というか聞きたいことがあったので追記

表現の自由批判も認められるべき」という中立的意見が幾つも出てきているけど、そういう意見人達はどこに落とし所を想定しているのだろう?

「その表現は人々や社会に悪影響を及ぼす良くない表現だ」という批判は、その表現存在のものを悪と認定するものだと俺は思っているのだけど、中立派はそうは思ってはいないのだろうか?

それとも、「邪悪だけど存在は許すよ」という立場なのだろうか?

自身表現の及ぼす悪影響というモノは認める立場だけど、でもその悪影響をあって当たり前のことと受け入れるのではなく批判という対応を取るのなら、それは「その表現を許さない」という表現への殺意の表明なのではないかと受け止めている。

言い方は悪いが、「悪だとは叩くけど、その表現の命に自分から手をくだすつもりはありませんよ」という態度は、卑怯責任逃れなんじゃないかとさえ思う。

自分なりの落とし所を持っている人がいたら教えてほしい。


shinonomen 批判=表現規制ではない。批判のお陰で読者は統合失調症への偏見留意することができた。自由創作批判の双方を享受できる状態が最も健全だ。

あと、特に気になったのはこの意見

統合失調症への偏見留意する」機会を作るなら、「この表現は良くない」と批判するのではなく、「統合失調症の人もそうでない人と同じで、人を殺す人もいればそうでない人もいますよ」とフラット啓蒙するだけで良くない?

なんでそのために作品を叩くというネガティブ方法を取ってしまうのだろう。

もっとポジティブ方法はないのだろうか?

どうせならその啓蒙が「普通統合失調症患者」の物語を描くという手法だったら、物語好きとしては素敵だなと思うけど。

2021-07-21

ルックバックのツルハシ男に対する誤解

あれは「百合に割り込んでくる男キャラ」のメタファーだろ?

なんで「京アニ犯人」「理不尽象徴」「この世すべての悪」「糖質」「ストーカー」「パクリ連呼マン」「無産」とかのメタファーにされてるの?

完全に間違いなく「レズ漫画に突然でてくる男性」のメタファーだろ。

ツルハシは壁(膜)を突き破る兇器(チンコ)のメタファー

異常な言動レズに割り込むという行為の異常さ。

なんかおかしい所ある?

これを機に精神障害者歴史を少し知ってほしい

まず、下のリンク先を読んでみてほしい。5分もあれば読めるはず。

『どうすれば、差別偏見をなくせるの?~人権侵害歴史を考える~』

https://www.jamhsw.or.jp/ugoki/hokokusyo/20110219-kenri/26-30.pdf

"1960年代に、駐日米国大使が、精神障害のある人に刺されてけがをするという事件が起こり、社会で大きな問題となりました。この事件精神障害イメージに大きく影響し、地域行政相談機関が設置されるなどの法制改革の一方で、強制的入院させる制度(→入院形態;p.35)が促進され、全国各地で、多くの精神障害のある人が強制入院をさせられました。"

もっと長くなるが、wikipediaのこの項目でもいい。

精神保健の歴史

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E4%BF%9D%E5%81%A5%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

"1964年昭和39年)、ライシャワー駐日大使刺傷事件が発生する。精神障害者を隔離収容すべき、と言う新聞雑誌などが主張し、世論も野放しは危険と支持して、厚生省日本ハンセン病問題同様に、精神病院への隔離収容政策社会入院)を始める。"

"2013年平成25年)、国際連合人権理事会日本に対し、精神障害者の非常に大勢が自らの意思に反して長期間に渡って社会入院されていることや、身体拘束と隔離が過剰に用いられていることを警告。"

社会入院」については一例として下の記事などを。

『60歳から青春 精神病院40年をへて』

https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/4/

"現在グループホームで暮らす時男さんが初めて精神病院入院したのは、今から46年前の1968年。当時、時男さんは16歳で親戚を頼って福島から上京し、働き始めたばかりでした。しかし、慣れない環境人間関係ストレスから体調を崩し、妄想などの症状に襲われるようになります。そして都内精神病院入院

このころ、国は精神障害者の隔離収容政策を進めていました。大きな契機となったのは、1964年統合失調症少年が起こした傷害事件マスコミも一斉にキャンペーンを展開し、精神障害者を「危険存在」と見なす社会の風潮が作られていきました。"

"精神病院入院患者の数はおよそ32万人。そのうち、1年以上入院している人は20万人以上、10年以上同じ病院入院し続けている人は7万人もいますしかもこの長期入院者のなかには、社会入院の人が相当多いといわれており、そのために「日本精神科の平均在院日数は諸外国に比べて突出して長くなっている」と精神科医の岡崎伸郎さんは言います。"

まり、一精神障害者が事件を起こす→精神障害者全体が危険視される→「危ないか隔離しとけ」という世論政策が生まれる→強制入院退院後の受け入れ先がないための「社会入院」が多発、というようなことが実際に歴史の中で起きてきた。これはまだ過去の話とも言えず、日本各地の精神病院にはこうして何十年も病院で過ごしてきた高齢の方がたくさんいる。

こういうことを多少とも念頭に置いて見ると、今回の『ルックバック』の描写幻聴台詞の内容で(統合失調症とは限らないが)何らかの精神障害を暗示した後、その人物理不尽に襲いかかってくる殺人犯としてのみ描かれるという描写に、精神障害者やその周辺の人々が危惧を抱くのは合理的に思える。少なくとも、危惧を表明した人に「被害妄想」や「自意識過剰」と言えるほど、現実歴史は優しくはなかった。

もちろん現在はまた時代が変わっている。また事実として精神障害者が犯罪を起こすこともあり、そういう報道描写を一律に避けるというのも不自然だろう。報道表現の自由偏見強化の危険との間でどうバランスを取るかという議論はこれからも地道に続けていくしかない。

しかしとりあえず今言いたいのは、これを機に上のような日本精神障害者が置かれてきた状況、いまだに残っているいろいろな問題もっと知られてほしいということ。それから、昔にはなかったような形で出てきている精神障害の多様な語り方、その面白ももっと知られてほしい。有名でとっつきやすものとしては、やはり「べてるの家」の記録などだろうか。まあ「べてるの家」も最近内部告発が出て来たりいろいろ問題含みなのだが、『べてるの家の「非」援助論』(2002年)や「当事者研究シリーズなど、読み物としても非常に面白かったのでおすすめしたい。「偏見差別大歓迎」と掲げて近隣住民交流集会を開くなど、柔軟で斬新な実践の数々に衝撃を受けた。

あらためて、今回の議論が例の描写を認めるか認めないかというような話に終わらず、かかわった人が精神障害について新しく何かを知るきっかけになってほしいと願っている。

大卒に比べて高卒コスパ悪すぎぱおん問題

大学進学率50%を超えてるこのご時世に高卒なのはめっちゃコスパ悪い(一部の優秀な人を除いて)

というか、高卒に比べて大卒コスパよすぎ。タイトルこっちにした方がよかったかも()

この記事公務員試験センター試験の両方を受験した、ガチガチ文系24高卒税務職員が書いてます。そのことを踏まえて読み進めてください。途中自分語り愚痴がでてきます

早速ですが、大卒に比べて高卒コスパが悪いと思った理由をざっくり箇条書きでまとめて、それについての解説自分の考えや疑問を書いていきます

1 ・ 高卒大卒より頭が悪いと思われる

2 ・ 高卒大卒より就職結婚などの選択肢が狭まる

3 ・ 大卒より4年間余分に仕事してるのに立場が下

それでは1から

大学進学率が50%以上のこのご時世に高卒だと、かなりの確率頭が悪いと思われます。これ住んでる世界や関わる人のレベルによりますが、自分の周りは結構思ってる人多いです。

おそらくは、進学率が50%以上なのに高卒なのは、その中に入れなかった人、というレッテルを貼られるのかなと。

学ぶことに意欲的な人は基本的大学進学→つまり進学してない人は勉強嫌いor勉強できない人

みたいな感じ。

実際に自分偏差値45の私大卒の同僚に

おまえ高卒なの?あー、頭悪くて大学行けなかったんか

とか

高卒からそういうのがカッコイイと思うんやな〜

大卒の俺にはわからん世界やw

って面と向かって言われました。

なんで高卒だと頭が悪いとおもうんですか?とその同僚に聞くと

なんでって…このご時世に高卒は頭悪いだろ

って返答だったので、このご時世ってどういうことだ???と色々調べると、どうやら大学進学率50%以上指しているのだとわかりました。

ネットでもこのご時世に高卒なのは…といった意見を目にすることがあるので間違いないとおもいます

これが最初に書いてある大学進学率が50%以上の〜と思った理由です。

ただ、個人的意見を言うと、私立大学偏差値45ってかなり頭がわるい人達が集まらないと出ない数値だとおもうんですよね。

なぜそう思うかと言うと、自分勉強が苦手で頭が悪く、大学には行かずに高卒就職しよう。出来れば公務員がいいなー、って高校生の時考えてました。

そんな人間でも、学校強制受験させられる模試で高3夏以降の3教科偏差値は55〜60、センター試験は3教科75%でセンター利用で近畿大学法学部合格できました(近畿大学法学部偏差値55)

から自分が受かった大学より偏差値が下の大学行く人ってめちゃくちゃ頭がわるいか勉強サボった人がいくイメージなんですよね。家庭の事情で仕方なくとかを除いて。

まりそのレベル大学って言わば高卒以下、下手すると未満の学力人達が集まってる可能性が十分にあると。

でも高卒就職をすると、そんな自分よりも学力がない努力しなかった人達レッテルを貼られて見下されるなんて事が起こります。これっておかしくね???

皆さんもそう思わないですか?

あなたよりも偏差値が上の大学合格した人に頭が悪いといわれたとします。悔しかったり嫌な思いをするかもしれません。

でもその人は自分よりも偏差値が上なので自分よりも頭が良かったか、もしくは努力してその結果を手に入れたわけですよね。

から見下して良いと言うわけではありませんが、自分よりも優れた結果の人が見下してるといった状況です。

逆の場合だとどうですか?

自分よりも偏差値が下の大学合格した人が、偏差値が上の大学合格した自分にむかって頭が悪いと言ってきました。

おそらく自分よりも頭が悪かったか努力をしてこなかった人に見下されてる状況です。

いやいや、どの口が言うてんの?ってなりませんか?笑

自分が同僚に頭が悪いと言われた時はそう思いました。

かなーり話が脱線しましたすみません。今回は1例のみですが、どうやら世間には

大卒は全ての高卒に勝る

みたいな風に考えてる人多いなーと感じる体験をすることが度々あります

そういう考え方になる人ってどんな経歴なのか自分めっちゃ気になるんですよね。

皆さんは気になりませんか?

東大京大などの旧帝大早慶の人が言ってるかもしれないし、地方国立marchの人かもしれませんよね。

なんなら日東駒専の人かもしれないし、Fランかもしくは高卒自虐ネタ可能だってありえます

受験した人なら分かると思いますがこの人達って、難易度卒業したら享受できるメリットとか違いますよね。

旧帝大早慶に進学できるなら、高卒就職するよりも進学した方がメリット大きいと考える人が9割だと思います

地方国立marchも同じくらいかな。

日東駒専だとどうなんだろう…自分場合大学に求めているものと家庭の事情高卒就職を選びま

したが、進学8〜9割だとおもいます

全体の進学率考えるとFランですら結構ありそう。

皆さんに聞きたいんですがこれって不思議だと思いませんか?

国立私立はあれど、全部「大学」という同じ括りなんですよね。東大Fラン大学なんですよ。

大学大卒という言葉日本だと上は東大、下はFランと凄ーく含みをもった言葉になるわけですね。

大卒という言葉を使えば、東大卒もFラン卒も同じ扱いなんて自分おかしいというか違和感感じるんですよね。

例えば、堀江貴文さんとか東大中退だったはずで、彼は高卒の扱いになるはずです。同じ高卒という括りになるんですね。

でも高卒という言葉基本的にそんな堀江さんみたいな極端な例を指すのではなく、自分のような底辺を指す言葉だとおもいます

なら大卒はどうなの?って自分は思っちゃうんですよね笑

大卒という言葉基本的にどの程度のレベルを指して言っているのか、ということですね。

大卒なら、高卒よりもいい人生をおくれる。

かに傾向としては間違いないと思います。平均なら絶対大卒高卒です。

で、この大卒というのはどのレベル大学を指して言ってるんですか?って話なんですよね。

それをわかってないと、親が身を粉にして働いて貯めたお金大学にいって遊び呆けて、無条件で高卒よりもいい人生がおくれると勘違いする馬鹿が出来上がります

1年前に、Fランで遊びすぎて就職できなかったか国立大学院に通っている、高校同級生たまたま再会しました。

その同級生自分

なんでお前は高卒で働こうと思ったの?人生損してると思うな〜。親の金でタダで大学いって遊ぶのめっちゃ楽しいのに!

と、言いました。

この時高卒という肩書きはほんとーーーにゴミコスパが悪いなと心底思いました。

なぜか?

こんなふざけた発言を、申し訳なさも悪びれもなく平気でできる人間性の終わったクズにすら見下されるのが高卒という肩書きからです。

世間の人に、この2人はどう映るとおもいますか?

勉強のできない高卒とかたや真面目で勉学に励んでいる国立大学院生

こんな感じでしょうね(諦め)

圧倒的不遇、圧倒的理不尽

神様、俺って何か悪いことしました?

兄を加えて3馬力公務員世帯年収1500万なのに

学費生活費はすべて利子付きで卒業後返してもらう

奨学金借金から借りるな。(そもそも世帯年収の上限超えてて借りれない)

私立から4年間で学費が約400〜500万円

生活費家賃込で月8万欲しいので4年で約400万。そこに利子がつくわけで、大学卒業後に1000万近い借金が確定。

そんなリスク取るなら高卒公務員なろ!なんて安易な考えだった自分への罰ですか?

自分語りおわり。隙があれば自分語りしたくなるよね()

話を戻して、皆さんこんな言葉を耳にしたことはありませんか?

このご時世、大学くらい出ておかないとね。

自分の周りではよく聞く言葉です。こう思ってる親御さん多いと思います

大学進学率が50%を超えてるこのご時世、大学くらい出ておかないといい人生を送れない、といったニュアンスでしょうか。

この意見、半分正解で半分間違いだとおもうんですよね。個人的には

大学くらい出ておかないとね、ではなく

「行く価値のある」大学を出ておかないとね

ではないのかなと思います

この行く価値というのは、正直わかりませんwその人の求めてるものによると思うので。例えば

学歴を求めて

就職の良さを求めて(自分はこれでした)

4年間のモラトリアムと人との出会いを求めて

大学本来学問を修めに

みたい感じで人それぞれ求めてるものが違うとおもいます

学歴求めるなら東大医学部であったり、就職なら早慶marchの人もいるかもしれません。

4年間のモラトリアムと人の出会いを求めるなら都会のFランでもいいですよね笑

学問を修めに行くなら本人のやる気があるなら地方Fランでもいいですよね。

目指すものによって目指すところが変わると自分は思います

自分場合大学就職予備校大手企業就職できないなら行く意味がないとおもっていました。

大手就職現実的になるのはmarchから上のクラスかなーとおもってます

いやいや、大卒なら高卒と違って応募資格があるからどの大学でも大手採用されるチャンスはある!って反論もあるかもしれません。

そんな人に聞きたいのですが、

高卒にも堀江貴文みたいなすごい人はいる!

と聞いてどう思いますか?確かにそうだな!高卒も立派!なんて思いますか?

何を一部の極端な例を持ち出してるんだ

こう思う人が多いと思います

大卒なら大手企業にも応募できるから採用されるチャンスがある!

かにそうかもしれません。でもそれってごく一部の人ですよね。

Fランだと大手就職率は余裕で1割未満です(知らんけど)

仮に1000人いて1人がたまたま大手採用されたとして、それを大卒ならチャンスがある!のはどうなのかなと。高卒堀江貴文みたいな有名人になれる確率よりは高いと思いますけどね笑

しか近畿大学大手就職1割くらいだったとおもいます

自分はその1割に入れる自信がなかったのもあり高卒で税務職員になりました。

〜つまり何がいいたいか

学歴めっちゃ大事

世間では4年間頑張って働いた高卒よりも遊び呆けたFラン大卒の方が社会地位は上。

だれも中身なんて気にしてない。肩書きなど上辺ばかりを気にしてる。

一般的高卒は中身を見られる状況までたどり着かない。

親のスネかじりした無能と、親孝行した無能世間はスネかじりの方を評価するので積極的にスネをかじりつくそう!

まとめようと思ったけど文章力的に無理だった。やっぱ高卒ゴミ

2.3はまた今度書きます

anond:20210721155909

金田淳子はまさにそれで

おかしななことを言ってるから批判されてる」のに、「自分が女だから/BLから/同性愛から批判されてる」→「つまり理不尽批判されてるだけだ」というロジックに陥っている

批判批判を受け止められない精神的な脆さがすべての原因

諸々嫌すぎて全部どうにでもなってほしい

自分が嫌でどうにかなってほしい

まず産んでほしいなんて頼んでないしこんな生き苦しい世の中に生まれたこ自体が間違いだった

まれたくなかった

かと言って死のうと思うとそれはそれでお金時間も労力もかかる

今死んだら家族にも仕事にも迷惑がかかる

もしこの世にお金を払ったら誰にも迷惑かけずに死ねサービスがあったら間違いなく利用する

いなくなりたい 誰から記憶から自分がいた痕跡すらも全部なくなって

最初から無かったことになってほしい

迷惑をかけてはいけないっていう考えがずっと頭にあるし辛いのは自分だけじゃないっていうのも全部全部重荷でしかないのにその考えが頭から離れなくて

自分が辛すぎて抱えきれなくても他人迷惑をかけてはならない、他人は私より辛いのだからって思い続けて

結局死にたさだけが募っていくしもう死んだほうが早い

好きだったアイドルも好きだったゲームも何もかもどうでもいい

コンサートに行って目の前でアイドルを見た時の興奮はもうない

何もない

友達子供が産まれ

友達純粋におめでとうって言ってるけど

どうしてこんな世の中に無責任にも人を生み出すのかが理解できない

の子のことを一生養っていくつもりもないのに

全部が嫌すぎる

どうにかして死にたい

死にたいと言うよりは最初からいない存在になりたい

選民思考じゃないけど世には生きていれば世の中にたくさん貢献できたろう人が死んでいく一方で

自分みたいに何もできない何もないようなのが生きているのはあまりにも理不尽

せめて生きたい人のために死にたい人が臓器移植して生きたい人は生きて死にたい人は死ね制度とかがあればいいのにね

っていう投稿がきっと溢れてるんだろうなって思った

早く全部が終わればいいのに

Twitterに書こうと思ったけど

フォロワーかに心配されるのも顔の知られている友達に見られるのも全部全部いやだからここに書いてしまった

早く死にたい

anond:20210721041852

リーク】はてな建設API採用された経緯の録音書き起こし

会議室にて

「○○ちゃんさぁ、ワシこのブコメどう思う?」

一言で言うと最高、っすね」


「でしょでしょー?でもつかないんだよねスター

・・・っ!(来た・・・!)」

「原因は・・・なんだと思う?・・・最高のブコメを書いてるのにスターがつかない。そんな理不尽が起きる原因は・・・?なんだと思う?」

「そ・・・それはブクマカ低能ぶりが云々・・・

「おまえだろ」

「は・・・?」

「おまえのつくる仕様ポンコツからワシのブコメスターがつかねーんだよおおおおお!」ガッシャーン(何かが割れる音)

「ひいいいい」


「今すぐ何とかしろ建設的な意見けが・・・スターを集められるように!」

「は・・・はひっ」

はてな・・・きれいなサービスにするんだ!わしのように知的人間けがスターを独占する!・・・圧倒的知的サービスを!」


こうして導入されたのが建設API

かくしてはてな冬の時代が始まったのであった・・・

anond:20210720115714

病名への言及なくても京アニベースの話なんだから当然仄めかしているでしょ。

それに犯人統合失調症罹患者という属性が今朝パン食べてきた人程度に薄められているとは考えられない。

あの中では統合失調症から意味なく殺される理不尽が描かれており

それ自体病気理解として間違っているのに都合よく世間の誤解を利用しているのでは。

anond:20210719195613

荻上です。ラジオOPで、2、3分ほどのフリートーク時間があります。僕はそこで、『ルックバック』現象について簡単に触れました。

https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355

内容は、「『ルックバック』というすごく良い漫画話題になっていた。漫画クラスターなどを含めてさまざまな反響があった。「過去を振り返る」「前を向く」ことについて読み手に考えさせる作品であるが、打ちのめされたようなツイートをしている人も。詳細は、社会的出来事に関わる漫画でもあり、触れるとネタバレになりそうなため、ひとまず読んでいない方は是非」というものです。

受け止め難い理不尽出来事を前に自分を責め、「あり得たかもしれない別の世界」あるいは「イマジナリーな救済」に一時避難するが、それでもなお「自分の席」に座り直すというストーリー主人公たちが過ごした時間サイレント手法リズミカルに描くことで、読者を、他者感情解釈理解へと誘う力強い漫画だと思い、紹介しました。

ここで割愛した評の一つが、加害者キャラクター描写についてでした。サイレントでも感情が豊かに表現される主人公描写に対し、加害者悪魔化・患者化された記号として登場し、その背景は描かれません。もちろん、加害者実相主人公理解可能かどうか、あるいは物語時間の中で必要情報が取得できるかなど、物語の制約上の限界がそこにはあります。それでも、悪魔化・患者化された記号としての加害者描写は、本作がモデル漫画であるか否かに関わらず、幻聴に関連する特定の疾病群に対する偏見助長する可能性は気になりました。同様の指摘は、複数精神福祉関係者が行っています

作中では犯人像について詳しく語られておらず、あくまメディア上に提供された定型的な警察発表のみが紹介されています主人公の浸る仮想or空想世界での犯行シーンは、実際におきた風景再現にあたるものなのか、あくま警察発表などの断片情報から作られた主人公想像のものなのかは、解釈に委ねられています個人的には後者であるという理解です。そのため、作品のものが「特定の病名について断定的な描写を行なっている」というより、「定型的なメディア事件報道を描き、またそれを元にイマジナリー加害者像を作り上げる主人公を描いた」という構図だと捉えています

このような描写が、特定精神疾患群に対して、「対話不能凶悪犯罪者」であるというステレオタイプ的な読解を生み、補強しうるというのは、その通りだと思います。作中の描写が、「従来の事件報道が各種疾患へのステレオタイプ拡散してきたことの再現」であり、主人公もそのイメージトレースしているからこそです。

そのことについての批評注釈割愛し、「ひとまず読む」ことを推奨するだけでよしとした判断の背景に、疾患に対する無理解や鈍感さ、語り手としての怠慢があるのではないかと言われれば、そうなのだと思います。僕のラジオ経由で漫画を知り、漫画を読んだということは、僕の発言一定の信頼をおいてくださっていたのでしょう。それが不意打ち的に、当事者性ゆえの脅威を強く味わうことになったのは、僕の言論責任だと思います

なお一部のブクマやツリーでは、元増田氏の投稿に対して、疾病名に絡めて嘲笑するものも多くありました。そのような非難には賛同できません。また、面白い作品、読むことが強く勧められる作品であると感じたからといって(実際、「ルックバック」は優れた作品であると思います)、その作品への懸念批判を一括して否定する必要はないでしょう。優れた作品も、推敲可能性が常に検討できますし、読者との応答を通じて描写が変化することもあります。「このようなレスポンスが確かにある」ということが読み手間で交わされることもまた、作品に対する同時代的な注釈にもなります

ところで、同趣旨荻上(および杉田俊介氏)を名指しする投稿は、ツイッター上の @YANA1952 ( https://twitter.com/YANA1952 )氏のアカウントでも行われていました。追記部分では、元増田氏とツイート主は同一人物であるように読めます。実際に @YANA1952 氏は、最初増田投稿17分後に、追記とされる増田については、投稿1分後に、ツイッターでそのURLリンクしています

@YANA1952 というアカウント名には見覚えがあります。以前は「矢那やな夫」( @YANA1945 )と名乗っておられたのですが、その後「障害者雇用の働き方」という名前に変わっていました。昨夜までも同アカウント名だったのですが、今日になって、IDを @CHL1952 ( https://twitter.com/CHL1952 )に、名前を「障害者雇用で働く人」に変えられました。

IDの推移

https://idtwi.com/63462725

リネームが続いておられるので、 @YANA1952 宛、あるいは @CHL1952 宛にリプライした場合、再度リンク切れになってしま可能性があると思い、増田にてレスポンスすることにいたしました。ウェブ上のテキストのみのコミュニケーションであるため、元増田氏、ツイート主含めて、どこまでその内容が事実であるのか、その当事者性がどういうものなのか、僕にはわかりません。ただ、特定投稿の真偽や有無にかかわらず、補足・応答の必要は感じていたため、こちらに投稿したいと思います

↓本人証明のためにリンク貼っておきます

https://twitter.com/torakare/status/1417636459775811591?s=20

ルックバックは別に創作賛歌ではないのでは

京本が死んでひたすら悲しい、その悲しみを消化しきれていない、ラスト以降藤野は悲しみから立ち直れるかわからない、強い喪失感が描かれている、という風に読める。というか私はそうとしか読めなかった(ただ後述するように、創作賛歌とも読めるのでタイトルは言い過ぎなんだが)。よくできたマンガだとは思うけど、これを読んで心を折られたりやる気をだしたりするのは違和感が強い。人生を共にした友は理不尽に失われたけど主人公は立ち直って自分の好きなマンガ描いていくんだ!とだけ読むのはポジティブシンキング過ぎるんだよな。

そもそも作者は私の読みも可能なように描いているとは思うが、強いてその根拠を挙げるなら、

1.京本の部屋で泣いて以降藤野の表情は描かれていない(ので、ラストでもどんな顔で机に向かっているかからない。漫画を描けているかすら不明)。

2.ラストコマ藤野のうなだれ方が他の同じ構図のコマと比べて大きい。悲しみに沈んでいるように見える

3.ラストコマは同じ構図の最も近いページのコマに比べて大して景色が変化していない(なので、事件後の藤野未来が描かかれていない)

といったところ。

作者は創作賛歌とも読めるようにこのマンガを描いている(例えば、2.はより深くマンガに集中しているともとれるし、3.は明確にどれくらい時間がたったか描写されていないので、立ち直ってしばらくたった後、ともとれる。1.は立ち直ってマンガ描きの日常に戻ったことを意味している、ととることは可能)というのはわかるんだが。まあ、解釈の幅を残すように描いているとは言えるだろう。悲しみを乗り越えて生きていくんだ!よりも悲しみとともに生きていくしかないんだ、人生は決定的に変わってしまったんだ、の方が私は好みなんだよ。

2021-07-20

追記 統合失調症という舞台装置

masakinihirota まず最初に薬物や他も疑うでしょ、そもそも医者最初にこれだと決めつけはしない、あらゆる可能性を考える、この人はもう最初から総合失調症だと決めつけている、これがプロ素人の差。

他も疑うことと統合失調症を疑うことは背反しないんだが。まあ、お前は犯人は薬中だと思うわけね。

医学的な精神鑑定の話ではなく、作中でどう描かれているのかという話なんだけどわかる?漫画が載ってるのは精神鑑定教科書じゃなくてジャンプ+だからな?作者も読者も素人であるという前提の上で、作中で犯人がどういう意図をもって描かれているか?って話よ?

nanamino 京アニ事件犯人精神鑑定の結果完全責任能力が認められてるんでしょ。統合失調症に対する偏見を持っているのは増田の方だよ。

京アニ事件の班員の精神鑑定結果がどうであれ、被害妄想統合失調症典型的症状なのは科学統計的事実だ。作中の犯人について統合失調症として描かれていると考察するのが偏見なら、医者が青葉の統合失調症を疑うのも偏見か?

misomico 統合失調症に対する世間イメージ実態乖離がある。精神疾患への興味がなく、理解解像度が低いためにいつまでもステレオタイプな疾患像から離れない。

ステレオタイプな疾患像もまた事実で(現に「如何にも」な患者はいるわけで)、その共有は一応進歩と認めてよいと思う。ただ、ステレオタイプイメージが先行すると、早期発見早期治療の妨げになる懸念はあるね。

JackP そもそもルックバックに描かれている通り魔京アニ犯人像とかけ離れてるのに、どうして京アニ犯人と結び付けられているのかが謎。犯人のおかれている状況、動機も実行方法も違うでしょ……

hedgehogx あの犯人創作者の誰もが持っている闇の具現化であって、そこに病名を結びつけようとするのが違和感作品内で開示されてる情報は「住所不定」「男性」のみなのだからむしろホームレス男性が危ないことになる

そうだね。

camellow 純粋事故ではなくかつ理不尽な殺され方描くためにヤク中が銃を乱射しても「ヤク中がみんな乱射するわけではない。更生してる人もいるのに偏見だ」とか言うのかな。どう描けば納得できたのだろう。

勘違いしているようだから言っておくが、描き方について何も不満は持っていない。ただ不満を持つ人がいるのは当然のことだと思うと述べたまでだ。

siglite ブコメを読んで、薬物による幻覚症状というのは確かにあり得るなあと。だとすると「被害妄想精神疾患」という偏見を強化してるのはいったい誰なんでしょうね…。

被害妄想精神疾患と結び付けているのはアメリカ精神医学会という悪の組織。奴らは日常生活に支障をきたすレベルの強い被害妄想病気ととらえ、治療しようとうする。患者を薬漬けにして金を稼ぐために違いない。ちなみに、奴らは薬物中毒精神疾患扱いしている。これが何を意味しているのか・・・

とでも書けばいいの?無知で心の底から精神疾患差別してなきゃこういうコメントは書けない。強い妄想精神疾患と関連付けるのは、高熱をインフルエンザと関連付けるのと同じことなんだが。ほんと腹が立つぐらいバカ

 

俺の主張は

不快に思う人もいるだろう。

という点だけ。俺自身不快に思っていない。不快に思ったっていいし、作品不快に思われたっていいだろ。万人受けするものなんかないんだから

どうしてそんなにも「不快に思う人もいる」ことを認めたくないんだよ?

①作中の犯人はいかに統合失調症っぽいってのは、統合失調症を知ってれば誰でもわかることだろ。②京アニ犯人統合失調症を疑われていたのも周知の事実だろ。③作者だってそれぐらい意識して書いてるだろ。④で、作者が統合失調症にまったく寄り添って描いていないのも事実だ。

それで嫌な気持になる人がいるのは理解できる。作者や作品が悪いといってるわけじゃない。理解できると述べているんだ。どうしてたか漫画に違う感想を持つ奴に、そうも無理解を突きつけなきゃならないんだか。

解釈の仕方はそれぞれで、感想もそれぞれだ。

でも作品京アニ事件関係ないといってみたり、薬物中毒かもしれないといってみるのは間違いなんだよ。わかるか?国語テストと同じだ。

日本語の読めない奴に、日本語でそれを説明できる気がしないから、はてなー理解の欠如に無力感しかない、残念だ・・・

どうすれば話が通じるようになるんだ?教えてほしい。主張を最低限にとどめ、事実と俺の考えは切り分け、簡潔にわかやすく書いたつもりだったんだが・・・。どうすればはてなーに通じる文章になるんだ・・・ホッテントリ入りするたびに悩まされる。

 

本文

幻覚と強い被害妄想ときたら、医者はまず統合失調症を疑う。京本を殺した犯人が作中で統合失調症として描かれていたことはほぼ間違いがないだろう。たとえ統合失調症でなかったとしても、絵から声が聞こえると言うのが精神疾患であることは確かだ。

anond:20210719195613 の言う通り、フィクション差別助長することはあり得る。その可能性を差し置いて、なぜ、犯人統合失調症でなければならなかったのか?

それは統合失調症による殺人が、想定外・突然で、理不尽事故であるからだ。殺人統合失調症によって引き起こされたものであり、犯人によるものではない。事故のようなものである

から主人公親友が殺されたのにも関わらず、憎しみを抱かない。物語テーマは「描くことで前を向く」というものであり、犯人への憎しみは、短い読み切り作品にとって邪魔しかない。

統合失調症は便利な舞台装置だったのだ。

また、犯人統合失調症であることは、物語京アニ事件テーマにしていることも示している。

 

統合失調症患者による殺人は、健常者のそれよりもずっとずっと少ない。しかし、京アニ事件世間の「精神異常者は人を殺す」というスティグマを強化した。そして、ルックバック作者は、京アニ事件に似た事件を作中で起こすことで、僅かかもしれないが確実に、再びスティグマを強めた。

もし、作者にとっての京本のような人物、つまり親友統合失調症当事者であったのならば、彼は統合失調症を単なる装置として利用したりはしなかったろう。

現実には、作者にとって統合失調症は青葉の象徴しかなく、作中で救済する必要も、現実での差別を憂慮して単なる災害差し替える必要もなかった。

他の多くの人同様、作者にとって統合失調症はその程度のものである作品は伝えているのである

不快に思う人もいるだろう。

anond:20210719213535

オアシスDon’t look back in angerは爆弾テロ事件を悼む人たちが自発的に歌った経緯があり、決して遺族だけが歌ったわけではない。

京アニ事件だけでなく京都精華大学事件爆弾テロ事件などを示唆するように描いているわけで、どんな事件であれ理不尽暴力で命を奪われた被害者を悼む作品であり、それは遺族にしか許されない表現ではないはず。

はてな民ルックバックに対する着目点

ルックバックについて、メインストリーそっちのけにして統合失調症話題だけでここまで盛り上がっているのを見ると、「やっぱりはてなは頭おかしい奴らの集まりだな~」っていう一周回った安心感にすら近い感情が湧いてくる。

あんな数ページしか出番のない、ただ「理不尽な死」を与えてくる舞台装置以上の意味のない、モブに毛の生えた程度のキャラだけでよくそこまで盛り上がれるな。

小山田圭吾氏は息子米呂のSNS炎上から自分したことを学んでほしい

小山田圭吾の息子・小山田米呂さん、父のいじめ問題によりSNSコメント欄が大荒れに

https://quick-timez.com/2021/07/19/oyamadamusuko9202/

  

まず前提として小山田圭吾氏の過去いじめと、それに関する言及炎上している。

炎上小山田氏の息子米呂氏のSNSにも及んでいる。

  

イジメっ子「小山田圭吾」の謝罪に不可解な点 当時の学校運営に不満だったという証言

https://news.yahoo.co.jp/articles/2610688114c5564b44563778306c88002519ecc3?page=2

  

>「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコ喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」(「ロッキング・オン・ジャパン」)

  

イジメ内容については非難は仕方がないと思う。

特に障がい者に対してのイジメであり、私は弁護するつもりはない。

  

ここで私が述べたいのは被害者が「障がいという本人には責任がなく、改善不能なことを理由に、理不尽暴力」に晒されていた点である

本人にとって改善不能な障がいを理由に、理不尽暴力を与えたことは正当化されるべきではない。

しかしそれを小山田氏はそれを行い、さら過去ヤンチャ自慢の感覚で広く公言してしまった。

  

次に息子氏についてである

  

父親のしでかしたことが全国レベル炎上している。

彼にとって「小山田圭吾の息子」というラベルは本人の努力で外せるものではない。

今後は「「あの五輪小山田圭吾」の息子」というラベルになるかもしれないが。

そして息子米呂氏は現在進行形で「父親過去所業という、本人には責任がなく、改善不能なことを理由に、理不尽暴力」に晒されている。

彼は20歳の大学生で、将来もある存在である。いや存在「だった」。

もうすぐ就職活動シーズンのはずだが、世間が忘れるには時間が足りないだろう。

まあ米呂氏は米呂氏なりに、親のコネを活かして活躍するという選択肢もあるだろうが、とにかく選択肢は狭まってしまった。

心にももしかしたら傷を負っているかもしれない。

  

今の小山田圭吾氏は地位名誉金銭も持っている人間であり、「既に持っている人間であるから今更世間庶民に何を言われようと答えないかもしれない。

叩かれたところでしばらくおとなしくしていればいいと考えているかもしれない。

  

しか血縁関係にある息子が理不尽暴力さらされればまた別の心の痛みを感じるかもしれない。

ぜひその点から自分いじめ障がい者の親御さんの気持ちに立って考えてほしい。

学生時代のことで、52歳の小山田氏にとっては「とっくに終わったこと」だと思っていたかもしれないが、現在20歳の息子米呂氏のことならまた違う感覚で見られるかもしれない。

  

米呂氏への仕打ちのことも、米呂氏への加害者側がもしかしたら炎上して30年以上経った後に「直接会って謝罪したい」「謝罪して撤回する」と言ってくれるかもしれない。

30年経ったら小山田圭吾氏は87歳。米呂氏は50歳になるわけだが。

小山田圭吾氏は30年以上経ってから謝ってもセーフだと思っていたのだから自分がそうされてもきっと許してくれるだろう。でないと筋が通らないわけだし。

  

小山田圭吾氏は自分いじめ相手とその親御さんが今どういう思いでいるかを考えるいい機会なのではなかろうか。

小山田圭吾氏は息子米呂のSNS炎上から自分したことを学んでほしい

小山田圭吾の息子・小山田米呂さん、父のいじめ問題によりSNSコメント欄が大荒れに

https://quick-timez.com/2021/07/19/oyamadamusuko9202/

  

まず前提として小山田圭吾氏の過去いじめと、それに関する言及炎上している。

炎上小山田氏の息子米呂氏のSNSにも及んでいる。

  

イジメっ子「小山田圭吾」の謝罪に不可解な点 当時の学校運営に不満だったという証言

https://news.yahoo.co.jp/articles/2610688114c5564b44563778306c88002519ecc3?page=2

  

>「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコ喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」(「ロッキング・オン・ジャパン」)

  

イジメ内容については非難は仕方がないと思う。

特に障がい者に対してのイジメであり、私は弁護するつもりはない。

  

ここで私が述べたいのは被害者が「障がいという本人には責任がなく、改善不能なことを理由に、理不尽暴力」に晒されていた点である

本人にとって改善不能な障がいを理由に、理不尽暴力を与えたことは正当化されるべきではない。

しかしそれを小山田氏はそれを行い、さら過去ヤンチャ自慢の感覚で広く公言してしまった。

  

次に息子氏についてである

  

父親のしでかしたことが全国レベル炎上している。

彼にとって「小山田圭吾の息子」というラベルは本人の努力で外せるものではない。

今後は「「あの五輪小山田圭吾」の息子」というラベルになるかもしれないが。

そして息子米呂氏は現在進行形で「父親過去所業という、本人には責任がなく、改善不能なことを理由に、理不尽暴力」に晒されている。

彼は20歳の大学生で、将来もある存在である。いや存在「だった」。

もうすぐ就職活動シーズンのはずだが、世間が忘れるには時間が足りないだろう。

まあ米呂氏は米呂氏なりに、親のコネを活かして活躍するという選択肢もあるだろうが、とにかく選択肢は狭まってしまった。

心にももしかしたら傷を負っているかもしれない。

  

今の小山田圭吾氏は地位名誉金銭も持っている人間であり、「既に持っている人間であるから今更世間庶民に何を言われようと答えないかもしれない。

叩かれたところでしばらくおとなしくしていればいいと考えているかもしれない。

  

しか血縁関係にある息子が理不尽暴力さらされればまた別の心の痛みを感じるかもしれない。

ぜひその点から自分いじめ障がい者の親御さんの気持ちに立って考えてほしい。

学生時代のことで、52歳の小山田氏にとっては「とっくに終わったこと」だと思っていたかもしれないが、現在20歳の息子米呂氏のことならまた違う感覚で見られるかもしれない。

  

米呂氏への仕打ちのことも、米呂氏への加害者側がもしかしたら炎上して30年以上経った後に「直接会って謝罪したい」「謝罪して撤回する」と言ってくれるかもしれない。

30年経ったら小山田圭吾氏は87歳。米呂氏は50歳になるわけだが。

小山田圭吾氏は30年以上経ってから謝ってもセーフだと思っていたのだから自分がそうされてもきっと許してくれるだろう。でないと筋が通らないわけだし。

  

小山田圭吾氏は自分いじめ相手とその親御さんが今どういう思いでいるかを考えるいい機会なのではなかろうか。

anond:20210720103429

増田だけは理不尽主語デカから開放されていいんやで

よって「すべての」書いちゃったやつはもうペナルティ書き込み終了な

anond:20210720102241

女性だって少ないとは言え性欲の強さ故にハンデを抱えて生きてる人だっているのに、「全ての」って書かれるのは理不尽だわ

anond:20210719172607

あの事件をどうすれば作品昇華できるのか2年考え抜いた末にたどり着いた見せ方だと思う

まんが道的な要素であの事件理不尽な死を強いられた被害者にも

これだけの人生の積み重ねがあったはずだということを浮かび上がらせ、

自伝的要素を入れることで表現者としてそれを語る必然性をもたせているんだよな

通り魔事件唐突に見えるのも明らかに意図的で、事件犠牲者にとって

そこで死ぬ予兆なんてなかったんだよ

決してとってつけたものではなくテーマの根幹だから

anond:20210719125034

ってゆう友達がいたら、理不尽被害者になってくれてたら、私の気持ちも少しは晴れたろうに、と思いつつ今日仕事をするのです

という話やな

最近関係ない人にも衝撃を与えた事件引っ張り出して自分関係者だったら、友達いなかった私は最強に運がいいんじゃね?いまの寂しさは人を救った青鬼気分だぜ、って話でしょ

anond:20210720020649

自分犯人に対する感情移入作品として意図してないように感じたな。感情移入して読んだ人もいるのかもしれないけれど。

京都アニメーション放火殺人事件だけを想起するとクリエイターを目指して目が出なかった精神疾患犯人像を重ねてしまうけど、美術大学学生理不尽に殺された京都精華大学生通り魔殺人事件もおそらく下敷きにしているし、タイトルコマ中の書き込み引用示唆しているオアシスの「Don't Look Back In Anger」はマンチェスター・アリーナに於ける爆発物事件テロを目の当たりにした人たちに歌われてきたという経緯がある。

これらの事件共通するのは理不尽な死だ。犯人思想動機共通点はない。つまり犯人像はわりとどうでもよく、ただ訳もわから被害に遭ったということが重要だったのではないかと読んだ。

理不尽に大切な人やこれから多くの作品を生み出すはずだった才能を失ったときに、残された人は怒り狂うでもなく、嘆いたままでもなく、つらい思いを抱えたまま日常を進む物語だと感じた。

anond:20210719125034

クリエイターの成長ものとして読むと、不要に残虐なプロットを無理やり入れたストーリーに見えてしまう。

そうじゃなくて大切な友人、同志、尊敬する才能を理不尽に失った気持ちを鎮める物語、冷静になんかなれないし忘れようもないけどそれを抱えて生きていく残された我々の物語として読むと飲み込みやすい。

でも、自分が引っかかったのは、主人公目線で後悔するなら外に連れ出さなければよかったじゃなくて、美大へ行くのをもっと強く反対すればよかったなんじゃないかってこと。

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