はてなキーワード: 理不尽とは
https://anond.hatelabo.jp/20210727115929
”事前販売” と言ってるからにはその期間は流通に流れないのだろうが、流通から総スカン食らっておしまいである。
転売対象になりやすいものの多くは販売開始直後が収益が大きく、時間が経てばリスクやコストが大きくなるであろうからこのような販売方法の商品は取り扱われないだろう。
転売の問題は「利益を得るため社会を非効率化する」ことである。
そういう意味では「嫌がらせを受けたくなければみかじめ料払え」というヤクザや総会屋などと同じである。
本来なら不要なはずのコストを払わされる消費者はもとより、消費者の購買力の理不尽な低下はメーカーや流通にとっても大打撃である。
社会活動は相互に依存しあってるわけで、メーカー流通にとっては売上は一緒だから問題ないということにはならない。
また、転売屋対策という本来なら不要なはずのコストがメーカーや流通、消費者にかかってしまう。
これも同じく、メーカーや流通にかかるコストは最終的に消費価格へと影響する。
他にもマスクのように緊急時の物資の入手が困難になるなどの問題がある。
オークションは確定した値付けの方法が無いものを扱うのに向いている。
一般の商品は生産や流通にかかるコストに常識的な利益を乗せることで定価という形で価格が決定してる。
オークションで扱われるものはそのような値付けの仕方に向いてない物が多く、そういうものへの価値決定システムとして働く。
似たものとして株式市場なんかも売買を繰り返すことで企業の価値が定まっていくシステムとなっている。
その商品に対し価値決定システムの必要性がどれだけあるかが、オークションを使うかどうかの判断となる。
オークションはすでにあるひとつひとつのモノを可能な限り高い値で売りたい場合には向いている。
しかし値付けのコントロールができないため、メーカーや流通が何かの理由で価格帯を決めたいときには使えない。
例えば家庭用ゲーム機のようにハードを安く売ってソフトで儲けるなど。
価格設定を踏まえた長期的な戦略による全体の効率化ということがやりにくいのである。
そういうわけでそもそも一般的な商品の流通としてはオークションは非効率な手法と言える。
例えば若者向けアーティストのライブチケットや商品を購入できるのが中高年ばかりになってしまうなど。
若いファンを長期的に育てたいという戦略を取るのが難しいのである。
時間経過とともに供給量が増えるからそのうち買えるようになるという話もあるが、ランダムなくじでの決定と違い資金差によって購入時期が必ず後回しになることがわかっているなら、そのジャンルにとどまりたいと思う人は少ないだろう。
経済学では「一番高い値を付けた人がその商品・サービスを一番欲している」と定義することがあるが実際には人ごとに資金の差が存在し、金がある人は「たいして必要だと思ってないがとりあえずキープする」などの行動が取れてしまう。
このような「必要としてる人」と「購入できる人」のギャップは至るところで発生しうる。
それ以前のはなしとして単純に、オークションは日常的な購買行為としてはかなりめんどくさい手法だと思う。
オープン価格ですら嫌われることが多いのに、一般の人にとって妥当な値段を決めなければいけないというのはかなり苦痛ではないか。
あとオークションは「多くの人に人気だから価値が高まる」ようなものの販売には向いてない気がする。
値付けが投機的?で難しく一般の人にとってリスクが高くなりすぎるかもしれない。
そもそも在庫が潤沢にあれば問題ない、という話があるがそれはメーカーや流通が今よりもリスクを負うということであり、結局消費者価格へと跳ね返ることになる。
というか十分な在庫がないものというのは在庫を持つリスクが高いものであることが多いわけで。
もしくは簡単に生産量を増やせない、そのための投資に大きなリスクが伴うということもあるかもしれない。
古物商許可を必要とさせろ、という話があるが古物営業法は盗品売買を防ぐための法律なので、法の目的外である転売対策に使用するのは好ましくない。
など。
完全でないもののカジュアルな転売を一定割合無くす方法が開発され広まっていく、というのが今の状況かなと。
転売が何故問題なのかが広く共有されれば、消費者の理解を得てるということでメーカーや流通ももっと大胆な手を取れるようになるかもしれない。
転売屋をなくすことが目的というより、社会の効率が妨げられないようにすることが目的。
例えば「供給を十分に増やす」か「需要が減少する」場合に転売屋はいなくなるが、大体の場合は供給を増やすのがそもそも難しいというのが前提にあるし、では需要を減少させればいいのかといえば当然それは誰も得しないやり方でしか無い。
需給がマッチするまで価格を上げるというのはこの需要を減らすというやり方に他ならない。
転売屋をなくす、ということばかりに注目すると別の大きな非効率を創り出すことに気づかないかもしれない。
対策を考える場合にはメーカー、流通、消費者それぞれにとって、その場だけでなく長期的にどうなのかを考える必要がある。
それぞれにとって(転売屋も居るがいくらかの対策もされてる)現在の状況と比べてどうなのか、その対策した流通方法の商品のほうが消費者に選ばれると思うのか。
そこが大事ではないだろうか。
江ノ島(セーリング会場)近くに住んでいるが、五輪が始まってから飛んでくるヘリがやばい。
日中ひっきりなしに飛んできては、島の上空をぐるぐる旋回していて迷惑している。
元々この地域は米軍機が訓練飛行しまくっているから、航空機の音には慣れている方なんだ。
それでもやかましい!!と思えるくらいなので、普通の人なら発狂するんじゃないかと思う。
コロナ禍がなければ、数十年に一度のお祭りだしまぁ今だけ我慢するかと思えたかもしれない。
そもそも平日は出社するから、江ノ島でヘリを飛ばされても休日だけなら平気だっただろう。
でも今はコロナ禍で、週明けからは神奈川も緊急事態宣言下だ。テレワークしている人も多い。
そんな中なのに報道各社は、コロナ禍の危機意識ではなく五輪の浮ついた雰囲気を醸成して、
そのために自分達の地域は信じられないほどの騒音の犠牲になっている。理不尽だと思う。
自治体や警察は五輪無罪で相手にしてくれないし、これが閉会まで続くと思うとしんどい。
今まで五輪やスポーツは好きではなかったが、自分の中で忌み嫌うほどの存在ではなかった。
でも数々の不祥事に加えてトドメの騒音で、完全に呪詛の対象になってしまった。しんどい。
選挙に行こう、自民以外に投票しようなんてことは、言われなくてもわかっている。
コロナ禍にあっても、ただ家で静かに過ごせればそんなに不満を垂れることはなかったのに、
それすら叶わないことに絶望している。
借金玉氏、はじめて知ってTwitter見てみたけど主張は読めるが同じ話を延々繰り返してて怖い。深夜だからかな?
今まで誹謗中傷をたくさん受けてきたという悲しい前提があって?いまは
「金が無いけど捨て身でしばく方法もあって(したくないけど)その手札もチラチラさせっぞこういう方法もあるかんな?(したくないけどなーする奴居るかもってことはお前ら知っとけよー)」
(金でしばく方法をできればしたくないのは金がないほとんどの障碍者が出来ない方法だから)
「金も地位も手に入れることができた。顧問弁護士も手に入れた」
「俺障碍者」
って話をなんかしてらっしゃる。
論争論客どっちの何が正しいのかなんかよーわからんけど素人が何かの意見に突っ込むと逆の刀で返されそうなのでここは「見」にまわろう。
彼は発達障害者の底辺からネット上の文筆業で成功をおさめたようで、当時から追っかけていた人にとってはかなりシンパシーを感じることができる人物に見える。実際苦労されたんだろうね。経歴は異例で恵まれてるとは思うけど。
でも、今から氏を知ろうとすると弱者(発達障害者)の立場と強者(成功者)の立場を同時に振り回しているように見えるのだわな。
そこらへんは個人的にシンパシーを感じないというか、嫉妬かなんかか好きになれない。
これは俺の好き嫌いなんだと思うけれど、最近似たような感情を抱いたことを思い出したのね。
大坂なおみさんなんだけど。
過去にもいろいろ主張してきた彼女が記者会見ボイコットしてからいろいろ論争が起きていた中で、彼女はうつ(英文の文意がわからないので病とは確定してないんでしたっけ)と公表したんだよね。たしか。
それまでは偉大なプロプレイヤーの提言として眺めていたんだけど、この公表で俺の中で借金玉氏と同じように弱者(うつ病)であり強者(偉大なプロプレイヤー)になったんだよね。だから気持ちがスッと引いてしまってたぶん気分的にはアンチよりになったんだろうね。それからあまり嫌わないために見ないようにしてる。
立場ある人の勇気ある提言は大いに歓迎すべきでいろいろな立場から賛否両論わき出ればいいと思うけれど、脳に障害なりうつ病なりある人に強い否定はしにくいよね。これが俺の優しさなのかはわからないけど99.9割違うよな。
勝手な印象すぎて申し訳ないけど地位と脳や精神に関する病を見ると「ガードされて有利」な格ゲーキャラ並みの理不尽な「強さ」を感じてしまうのだわな。相手は病気で苦しんでるのにまさに理不尽な思い込みですわな。
どっちの要素でも支援者はわんさか得られる属性なのにどっちも持ってるなんて虎に翼、最強すぎて嫌っちゃうのです。
(今、車イスで乗車拒否うんぬんの人も思い出したけどあれは単純に初見時は高圧的で嫌いだったな)
じゃあ立場ある人は病を公表することも出来ずただ耐えなければならないのか!
っと考えてみると、とても困る。困るといっても俺は差別主義者?なので出来れば耐えてくれって思っててでもそんなの通らないから俺が黙って見てほんのり嫌うわけだ。今回のように。
うーん、せめて議論に持ち出さず、でも属人的なものだから切り離せず……できればひとつの議論にはどちらかの属性だけで挑んで欲しい、のかな?俺、馬鹿だから簡単なのがいい。激しくやり合える人とは激しくやり合い、やさしく寄り添うべき人には寄り添う単純なのがいい。です。はい。たぶん。俺の馬鹿ゆえの触り方がわからないアンタッチャブルさも嫌いを加速させてると思う。
何を嫌っているかもうちょっと自問してみると、目的達成への近さが気に入らないと思うんだよね。
彼や彼女のゴールは単純化するとおそらくネットリンチ者や記者?なりに勝利?することなんだろうけど、地位のある人の行動は成功しやすいし、困難を抱えている人の行動も支援され成功しやすい。両者が合わさるととても成功しやすい。
俺は成功しやすいものには妬みから反感を持つので、たとえばオリンピックや甲子園なら実力が下のものが上位のものに勝つ下克上を応援しちゃう。
国会なら野党が反対したりねじれ国会に持ち込んでも結局再可決で与党の法案が成立しやすいだろってほんのりさめた目で見ちゃう。
そんな俺でも世間にそれなりに折り合いをつけて生きているので、地位や金がある人は病を使って倍率ドンさらに倍って界王拳を使わないでくれって感じ。そんな彼らに噛み付けるみんなは俺には出来ないすごいバランス感覚で議論ができる方々だから内容は別として噛み付くことは応援してるって感じ。かしこ。
日本人にグランドデザインとかコンセプトメイキングみたいなものは不可能なんだよ。そういう国ではない。大自然の理不尽な流れにただ身を任せたりうずくまって身を隠したりしながらやがて自然と行き着くところに行くだろうという世界観だから。人が作った構造たちを自らの手で調和させるのではなく、既にあるものに自分たちを調和させていくだけ。
本を読んだ感想を原稿用紙3~5枚にまとめるという…。この宿題の理不尽なところは
という部分にあると思います。「感想文を書け!」と言われても、書き方を教えてもらえないので、どうやって原稿用紙を埋めたら良いのかが分からないんですよね。教えられなくても書ける人ってスゴいよなあと感じるわけで…。
でも、本屋さんに行けば、「読書感想文の書き方」的な本はたくさん売ってますし、先生に教えてもらわなくても書き方を知ることが出来るわけで、私はアラフォー世代ですけど時代も進歩したなあ、と思います。僕の学生時代には、こんな本はたぶん無かったはず。
いっそのこと、読書感想文には、「読書感想文の書き方」の本についての感想を書いたら面白いのでは?と思いました。完全に嫌味かもしれませんけど、生徒の中で一人くらい、そんなヤツがいても良いのかなあ、と感じたわけで…。課題図書が指定されてなければ、チャレンジする価値はあるのかもしれません。
ということで、「『読書感想文の書き方』の本」の感想文を書いてみました。うちの小3の息子のために購入した「スイスイ!ラクラク!!読書感想文 小学3・4年生」(成見堂出版)を5分程度斜め読みしたうえで書いてみたものが以下↓↓です。
「スイスイ!ラクラク!!読書感想文 小学3・4年生」を読んで
夏休みに読書感想文を書こうと思ったときに、どうやって書こうかと悩み、本屋さんをブラブラしてたら、この「スイスイ!ラクラク!!読書感想文 小学3・4年生」という本を見つけました。パラパラと見たら役立ちそうだと思ったので、早速買うことにしました。そして、この本自体、単に役立ちそうなだけでなく、読み物としても面白かったので、この本の感想文を書いてみよう!と思いつきました。自分のようなひねくれた人が、学校に1人くらいいても良いのかもしれません。
まず、読書感想文の書き方で、「感じたことを付せんに書いて本に貼り付けていく」と書かれていました。本を読みながら思ったことを付せんに書き、それを読みながら貼り付けていくと読書感想文が書きやすくなるみたいです。確かに、読みながら付せんに書いて貼り付けると、思ったことを後から思い出せますし、付せんに書いたことをつなげていけば読書感想文が書けそうだと感じました。早速、明日、文房具屋さんに行って付せんを買ってこようと思いました。
そして次に、読書感想文の例文が20冊分載っていました。どの例文も生き生きして読みやすく、読書感想文を書く時には参考になりそうなことがたくさん書かれていました。また、本を読まない人でも、この例文を読むだけでストーリーが伝わってきますし、そういう部分もいいところだと思いました。この本を読むだけで、20冊分の読書を体験することができるのです。その点は大変すばらしいと思います。
ただ、これだけきちんと書かれた例文がたくさんあると、この中の文章をパクッて書くこともできると思いますし、そういう子供たちが全国で続出しないかちょっと心配になりました。少なくとも私は、そういうことはしないでおこうと思います。
あとは例文の他に、いろんなジャンルの課題図書がたくさん載っていました。物語もあれば伝記や科学の本もあり、とても興味が湧きました。どの本を読むかとても迷います。何冊か読みたい本があったので、本屋さんか図書館に行って、実際に本を手に取って決めようと思いました。
全体を通して読んでみると、この本を読んだら読書感想文が簡単に書けるようになる気がしました。毎年の夏休みに、書こうと思うと気持ちが落ち込んでしまう読書感想文ですが、来年はこの本を参考にして、きちんと物語か伝記か科学の本を読んで読書感想文を書けたらいいな、と思います。
こんなところでしょうか…。ここまでで原稿用紙2枚半~3枚のボリュームです。大人な表現も混ざっており、小学校3・4年生が書く文章ではないと思いますけど、書斎で1人で晩酌をしながら30分ほどで読書感想文が書けてしまいました…。
久しぶりに妻に長男氏(1歳4か月)の朝ご飯をお願いしたんだけど(普段ほとんど私が長男氏の世話をしている)、しばらくたってキッチンの流しの見たら、食べ終わった後の食器(食べ残し含む)がそのまま置いてあった。
「食べ残しは別の皿に移して、長男ちゃんの皿は次回またすぐ使えるように洗っておいて欲しい。」と妻に言ったら、
「食べ残しを別のさらに移す意味が分からない。洗う皿が増えるだけ。」
「食べさせた人ではなく、気づいた人が洗えばよい。」
「そんなにルールを決めないで欲しい。」
などと言われた、というか不機嫌になって怒られた。。
私が食べさせるときは食器の片づけまでちゃんとしているのに、、、
妻からしてみればいちいち細かいことを言うなということらしい。
もうめんどくさいので今後は妻には頼まずに
私が長男氏の朝食のお世話しようと心に決めたのであった。
理不尽なことは言っていないと思うんだけどなぁ。
理系文系でスタートしたんだけどまあ見事にキャラ立てに失敗したんだよ
そんなの頭悪い漫画家には表現できないうえに、ラブコメに全然生かしようがねえときた。
これ駆け出しの創作者(作者はオリジナル連載は初)がやりがちなやつで
キャラを上手く作れない時に「とりあえず理不尽な発言繰り返す発達障害的な人格にしとけばもつやろ」みたいなキャラ立てをしちゃう。
それ別に全然個性的にならずに面白くないだけ、不快なだけなんだよね。
主人公や周りが何言っても頓珍漢な悪態突くだけの奴を漫画に描いたって面白くなるわけない。
それ面白く出来るような奴は何でも面白く出来るのでキャラを無意味に発達障害にしないしな。
とにかく文系と理系はある意味で作者の創意が詰まってたけど走り出させてみたら全然ダメで。
そこで急遽三番目に出してきたのが水泳部のうるかで、これは素直なキャラだった。
わかりやすい。大人気。うるかが時間稼いでくれたおかげで持ち直せた。
理系はうどんと言う個性を与えて口数少ないけど考えてることはわかりやすいやつに。
文系は発達障害治してむしろ周りの心理を読みまくれてモノローグで常識的な察しや先回りをしまくる傍観者キャラに。
「外ではきりっとした女が家でポンコツ」という使い古されたベタテンプレ乗せた先生が人気出ちゃったの。
オリジナリティ捨ててテンプレなぞる覚悟を決めたら幾らでも出来る。
そんなのが創意工夫の文系理系水泳より人気出ちゃったのよ。圧倒的に。
そりゃそうかもしれない。
作者が自分で1から作って走りながら思考錯誤してるキャラの動きはガタガタしてたり消費の仕方がわかりにくかったりする。
みんなが知ってるベタテンプレは作者も活き活き動かせるし読者も消費の仕方知り抜いてる。
そういう安手のアドバンテージはあるけど、そんだけで1位になる時点でな。
作者の愛娘たる理系文系水泳の出来はいまいちだぞと世間から残酷な評価を突き付けられたようなもの。
作者はもう志を捨てたのか心が折れたのか知らんけど全力で先生推しになった。
あしゅみー先輩は作者が連載に慣れてこなれながら作ったいい独自キャラだったと思うけど
もうそういう消費し方を手探りで作って読者にも手探りしてもらう必要あるキャラをプッシュする気力がなかったね。
その安っぽい当然さに叛逆する気力がなかった作者の降伏宣言だったわけよ。
それにしたってうるかの扱いは悪かったなー。
人違いの放置はよくないから一応応答しておくけどぼく勉の話をここでしたのはじめてだし個人的にはあの中ならあしゅみー先輩が好きだしそんな感じでかいたつもり。
うるかについてはなんか功績の割に不遇だったねと。
途中の扱いはさておき、本編?ではうるかエンドになったし
自分アニメでしか見てないんだが、確かに文系理系は人類史上天才的才媛という風には全然見えなかったな。ただギャルゲよろしく漫画は分岐シナリオになったらしいが、それでも水泳がメインルート扱いだったのでは? 自民党の悪政 大人とは 世も末 老害 犯罪 これはひどい
ミ、ミーには分岐エンドにおいてもその試みを読者に説明するためのチュートリアルにされてるように見えた···
ていうかそのタグもしかして話題選ばず常につけてるのか、あんた政治ニュースでしか見かけなかったから気付かんかった
そのタグのまま普通にラブコメ漫画の話に参加するの気が狂ってるみたいで面白いな
それより理珠は脳神経系研究して心理やれよとか、文野は数式アレルギーなのにバリバリ数式の物理に行くより理系学問のコミュニケータとかの方がいいだろうにとかの方が気になった。
本人の意思が重要とはいえ人類最高レベルの天才が向いてない別分野を頑張るっていうのは見ててあんまり乗れなかったよね。
そこに重要なアイデアやメッセージはなく、秀才の主人公が教える立場になるためだけの深い考えのない設定だったように見えたのでなおさら。anond:20210727083948
内村選手や池江選手は聞かれたからせんやで、って回答しただけで堀米選手だってオリンピック辞退してくれって言われたら絶対断ったはずじゃん!その時は夢を与えるとか絶対言うじゃん!
https://note.com/tamakisaito/n/nbeac7a25626b
普通の人が普通に人を殺すことを子供とか心の弱い人にしらせるとそれだけでストレスになるから
そのフィクションとしての表象はあっていい、むしろあるべきだとおもう
「七匹のこやぎ」でこやぎを6匹まで食い殺すのは狼であって、責任能力のあるとなりの人ではない
「カチカチ山」でバアサンを汁にしてくわせて報復でウサギに火をつけられるのはたぬきであって、責任能力のあるバアサンの夫とかではない
事実であってもエクスプロイテーション映画を見たくない人のほうが多い
事実じゃないからこそ、わかりやすい嘘を含むモデル化したストーリーだからこそ
漫画・アニメという表象がえらばれているという共通の前提がある
だからこの漫画に注意書きをつけるとしたら「この漫画には暴力・理不尽な死の表現があります」程度である
医者がなんといおうと表現する側からすれば病気を示唆しかねない注意書きをつけた上で「これは特定の病気を指していない」と断るというのはいかにも悪手である
コロナとかぐだぐだ開会式とか以前に、やっぱオリンピックでわちゃわちゃしてるのみてると、強烈な怒りがこみ上げてくるっていうかさ。特に、とっくに引退世代の連中がはしゃいでるのがホントに頭にくる。
なんていうか、今回の招致決めてきたのも、現在進行形で中身を牛耳ってるのも老人で、彼等の思い出づくりにつきあわされてる感がやっぱすげー強いんだよな。
そんでさ、結局金もふんだんにかけて、箱モノ山ほど作って、その負債を返してくのは俺ら現役世代じゃんっていう。この点については本当に馬鹿じゃないの、って思って、
招致の段階からずっと東京五輪開催を反対してきたけど、結局なし崩しみたいに招致が決まって(しかも裏金までつかって)予算かけまくって(全然コンパクトじゃない)何も残さないで終わりそうな勢いじゃん。
住民税や健康保険も料率がガンガン上がって、可処分所得は下がっていくのに給料は上がらないし、そのくせ、国全体で介護の負担は増えていくわけでさ。
で、オリンピック後は不況になるって相場じゃん。長野とかめちゃくちゃ大変だったじゃん。そもそも今回に関してはオリンピック中の特需もなかったのにね。
だからもう本当にオリンピック後が憂鬱だし、老後もああいうふうに好き勝手にはさせてもらえないんだろうなと思って、巨大な糞を残して去っていく老人世代に激おこ。
私は父親から虐待と言えるレベルに理不尽で厳しい叱責を受けてきた
そのためサザエさんで波平がカツオを怒鳴りつけているシーンを見ると当時のことがフラッシュバックして傷つくし、
だから長谷川町子は即刻サザエさんの作者から解任されて謝罪すべきだ
これは私にだけ謝罪して済む話ではない
父親から虐待を受けた世界中の人々に長谷川町子は謝罪する必要がある
どれだけ創造的な人物であろうと、父親による虐待の被害者をあざ笑う権利はない
また、私はADHDを持っている上に知能が低いのでMr.ビーンを見ているとまるで自分のことが笑いものにされているようで傷つくし、
だからローワン・アトキンソンは即刻Mr.ビーンの作者から解任されて謝罪すべきだ
これも私にだけ謝罪して済む話ではない
世界中のADHD持ちの人々と知的障害者にローワン・アトキンソンは謝罪する必要がある
さらに、ADHD持ちや知的障害者の親兄弟などにはMr.ビーンのことを聞いて傷ついた人もいるだろうから、
ローワン・アトキンソンがコメディに関与することは世界にいる1億人を超えるであろうADHD持ちや知的障害者の現在を侮辱することになる
虐待被害者や障害者をネタにすることが不謹慎で人を傷つけ言語道断であるのなら、
長谷川町子とローワン・アトキンソンは解任されて謝罪すべきだ
まさに冒頭で言われてる大学とそれ以外の夏休み時期のズレが原因で
テストやレポートで忙しい時期に「学生はもう夏休みなんだから暇なはずだろ!」って言われたのがすごく理不尽だった思い出が強い。
統合失調症は「精神分裂病」あるいは単に「キチガイ」と呼ばれていた昔から、幻聴や妄想に支配されて突発的な暴力を起こす理由として描かれてきた。
「ルックバック」に登場する男は幻覚や妄想から暴力事件を起こしていて、これは統合失調症のステレオタイプだと感じたし、そのことは精神科の医師からも指摘がある。
ただし1点だけ。やむを得ないとは思うけれど通り魔の描写だけネガティブなステレオタイプ、つまりスティグマ的になっている。単行本化に際してはご配慮いただければ。— 斎藤環 3.15発売「まんが やってみたくなるオープンダイアローグ 」 (医学書院) (@pentaxxx) July 19, 2021
また「統合失調症の患者による無差別大量殺人は戦後一度も起こっていない」(https://twitter.com/pentaxxx/status/1417110952391036933)。
事実と異なる統合失調症のステレオタイプをまとったキャラクターが「ただ理不尽な死を与えてくる存在」として描かれたら、当事者としては「またか」と声を上げざるを得ないと考えるのは理解できる。
これが男というだけなら、暴力事件を起こす男もいるが、そうでない男が大半であると多くが知っているだろう。一方で知り合いや親族が統合失調症という人は少なく、統合失調症の知識の多寡も人によって大きく違う。それが今回意見が分かれている一因だろうと感じる。
犯人像なんてどうでもえー部分だ。
あのシーンは事実を克明に描いてるわけじゃなく、こうかもしれない、こうであったかもしれないという主人公目線の妄想とも読める。
必要なのは現実の友人の死の限りない理不尽さ、唐突さ、そのためのギミック。
マリコも好きだが、あれはロードムービーとして丁寧に主人公の心を描く誠実さが魅力と思う。ちゃんと読むとちゃんと分かる、伝わる、誠実な描写が美しい。
ルックバックの好きなところは、描写力の高さで描けるはずのものを省略し、ある種の未知、余白、想像の余地、読み手に委ねられた解釈の余地を残しているところ。
それはキャラクター造形にある悪意にも当てはまる。未知の悪意、作者が自分自身を最優先で刺しにいくような、合理的でない悪意が含まれている。これが正体不明の魅力だが、この悪意を誤読すると起こるのが諸々の感想、だと思う。