はてなキーワード: 新歓とは
そろそろオタク歴6年になる。入学当初は、まさか自分がオタクになるとは思っていなかった。
中学高校時代は無趣味に近く、周りが「これ面白いよー」というものを
漫画、ドラマ、映画にかかわらずつまんでそれなりにハマっていたくらいだった。
今思い返せば周りにかなりの数の腐女子や二次オタがおり、近しい友人もオタクだった。常に布教されているような環境だったが、
彼女たちのすすめるものがいまいち私の好みに合わず、深夜アニメって独特だなくらいにしか思わなかった。
今思えば、オタクになったきっかけは、大学受験に失敗して、長年入学したかった大学に入れなかったことだった。
私の家は厳しく、中学に入学するまでは夜8時以降のテレビは禁止、中高時代はネットにもアクセスできなかった。
それが当たり前だったのであまり辛いと思ったことはなかったが、本当に世間知らずのまま育っていたことは確かだ。
それでも、行きたい大学があったから我慢できていたのだと思う。
しかし高校卒業後、家の事情で浪人が出来ず、かなりの年月あこがれてきた大学に届かなかったことで気持ちが完全に切れてしまい、
特にやりたいこともなかったので、抜け殻のような生活になってしまった。鬱の一歩手前の状態だった。
分不相応な私立に中学から入ってしまい、必死の競争に疲れ切っていたことも理由の一つだったように思う。
本当は新歓に出席してコミュニティーを広げたりバイトを始めたりしなくてはならないと思ってはいたが、
人と話すのも面倒になるほど気力がなくなってしまい、
何とか授業にだけは出席し、帰宅する日々が続いた。
大学後期になるとさらに授業が少なくなり、完全に廃人となった。
このころになるとさすがに勉強だけはする気力が湧いてきたので
空き時間は英語検定の勉強をして過ごしていたが、それでもかなり暇だった。
ほぼ見る専用に作っていたツイッターのフォロワーのアイコンが突然、とあるアニメ作品のイラストに変化していたのに気づいた。
調べてみると最近爆発的に人気となった作品のようで、ネットで落ちていた動画を拾ってみたところかなり面白かった。
いつの間にか放送分すべて視聴していて、あたりは真っ暗になっていた。
分割2クールだったので、年明け後からすべてリアルタイムで視聴した。
ツイッターはそれ専用のアカウントになり、気づけば連日連夜解釈をつぶやきまくるヤバいオタクになっていた。
初めてイベントに行き、フォロワーに会い、グッツを集め、痛バを作った。
交換や整理券取得のため、寒空の下を何時間も待ったこともあった。
今思えば、私は長年の目標が消えたことで、すべてに対してどうでもよいという気持ちが先行していた。
けれど、その気持ちと同じくらい、何かにハマりたい、熱くなれるものが欲しいという思いはどこかにあったのだ。
それともう一つ、作品の名前を出すつもりはないが、私はあの作品にとても救われた。
今まで、良い大学に行くことだけがすべてだと思っていた私にとって、
卑屈な心を救い上げてシュールな笑いに変えてくれるあの作品は見ていてとても気持ちが楽になった。
高校時代の友人から進学先をバカにされた辛さや、何も気力が湧かなくなった自分を何とか奮い立たせようと頑張っていた気持ちが、いい意味で切れたのだ。
私はその時、少し休みたいという自分の心にようやく向き合うことが出来た。
勿論、キャンパスを歩いていて一発でオタクだと思われる女子学生はいなかった。
在学中の4年間でたくさんの沼にハマりつつ、ぼっちで淡々と単位と専門系の資格を取り、卒業した。
ぼっちの弊害はやはりあり、新卒でブラック企業に入ってしまったのでかなり神経をやられた。
簡潔に書いていく。
当然虐待。殴る、蹴る、ヤラれる、ネグレクト(これが一番キツかった)。
跡今でも残ってる。男が嫌いなのは幼少期のこの経験が影響してるかもしれない。
親元から引き離される。おじさん家庭にお世話になる。
金を出してくれない(そりゃそうだ、愛想の欠片もない汚い子供なんて迷惑でしかない)。
高校までは出してやるということで進学。
地頭だけは良かったし中学の先生が「理解のある先生」だったからそこそこのところに入ることができた。
この人いなかったら死んでたと思う。
摂食障害、抜毛、不眠、変な弁当、無表情、常に他人を睨んでいる、それが私。
それら全てを受け入れてくれた上でいろいろ世話になった。
高校では可もなく不可もなく教室の隅っこで過ごす。相変わらず男が怖い。
金のかからない文化部頑張る。結果が出る。脳みそに感謝。親には憎悪。
高校、そして例の中学の先生に相談。給付型の奨学金をあれこれ提案してもらう。
応募する。何個か受かる。オタク文化部で頑張ったかいがあった。
新歓。無理。男無理。お持ち帰り無理。吐く。叫ぶ。同期に引かれる。
噂回される。
寝込む。引きこもる。
ああ辛い。辛い。辛い。辛い。死にたい。どうしよう。阪急って柵なかったよな。
生命のガソリンがからからな感じ。何もできない。餓死しかける。
どうせ死ぬならもうどう思われてもいいや精神が発動(これは結構大事だと思う)。
先生うち来る。びっくりする。
何をすべきか表にまとめて教えてくれる。
大学の保健センター的なところへ行き、とりあえず休学。心療内科受診。手帳をもらう。
気力がまるで湧かないのでこの諸般の手続きが本当にしんどかった。
すごいいいレストランに連れて行ってもらう。今までマック代も出してくれなかったのに。
その後仕送りを少しずつしてくれるようになる。奨学金とそれで何とか一年はもちそう。
先生と話をすることが増えた。ファミレスで、オンラインで、通話で。
洗いざらい話すと少し世界が澄んだように思う。
オタク文化部のころの趣味に本腰入れる。他にやることもないし遊ぶ友達もいないからめっちゃ捗る。
ネット上で褒められる。
休学明ける。2年。長かったようで短くもあった。
彼氏いないしこれからできるわけもないと思うけど(何しろ虐待の痕跡がそこかしこにあるのだ、あと私は美人じゃない)、定期的にしんどくなるけど、前よりちょっとガソリンのたまりは良くなった。気がする。
結論。
理解のある彼くんを見つけられた人は幸運だ。生涯寄り添ってもらえるんだから。
ただ中にはあなた方のことをオナホとしか見てない人もいる。絶対にいる。
ぜひとも気をつけてもらいたい。
もし生きづらさを抱えている人がいたらきちんと治療を受けた上でストレスをできるだけ排除し趣味に没頭しよう。
別にユーチューブ見るとかでもいいと思う。没頭しよう。狂信が自殺を防ぐように没頭も人を救う。
何ならキリスト教会に助けを求めてみよう。私もよく昔お菓子をせびっていた。キリスト教関係者は優しいイメージがある。
https://anond.hatelabo.jp/20201026003439
何度かこの手の機会の格差に関する記事を読んできたが、今回のエントリーもなかなか心にくるものがあった。
格差の是正とか機会の均等のためにどうするべき、みたいな難しい話はここではしないことにして、ただただ感想を垂れ流してみる。
簡単に自己紹介をすると、自分は上記エントリでいう恵まれた側の人間である。
東京都で育ち、小中高と私立に通い、塾は幼稚園である5才から大学受験までの13年間通っていた。
小学校受験、中学校受験を経て中高一貫に進学し、周囲の大半が東大にいく環境で自分もそのレールに乗り東大へ進学している。
ただ、お恥ずかしいことに、大学に入るまで自分が特段恵まれている人間だという認識は全くなかった。
むしろ自分の家は両親が地方出身で比較的貧しい家庭で生まれ育ち、親が借金などに追われながら生きてきたような人なので、周りの環境においては貧しい方に分類されてしまっていた。
小学校で私立に通うような人はかなりお金持ちが多いので、別荘を皆持っている中で自分の家だけ別荘がない、などといったことで疎外感を感じて悩んでいたりもした。
今考えるととても異常なことなのだが、当時は本気で自分が貧乏だと思っていた。
学生のうちはせいぜい狭いコミュニティに生きているので、周りと比較してしまう。
はじめてこの格差の問題に気づいたのは大学に入ってからだった。
クラスやサークルに塾の友人や中高の同期がいて、新歓などでも最初の挨拶では出身高校の話になる。
お互い名の通った中高一貫校出身であることが多いので出身校の話をすれば大抵共通の友人の話などで盛り上がることができるので当然のようにその話をしていた。
ただ大学に入って仲良くなった人の中に全くしらない高校から入学してきている人がいた。
話をきくと地元には塾などが全くなく、強いて言えばくもんがあっただけ、模試も受けたことがないと言っていた。
正直自分にはそんな状況でどうやって東大に合格できるのか理解ができなかった。むしろ自分は学校の授業は当てにならないので全て寝て塾に全振りしていたくらいである。
彼は学問を愛していたし、とても頭がよかった。
勉強する環境が整っていて親から「勉強しろ」と言われる毎日の中で、勉強が本当に嫌いで仕方なくやらされている感じで勉強をしてきた、東大に入っても学問にまったく興味を持てない自分を呪った。
心のそこから自分の代わりにこういった人に東大で学問をしてほしいと願った。
東大は国内にそれ以上の大学が実質的にないと言っていいので、学内のレベル差は最も大きいのではないかと思っている。
入学してすぐ、もっと学問が好きな人、地頭がいい人はたくさんいる、自分は最底辺であるということを悟った。
お金と環境でなあなあで入学したのはいいが、自分は要領がいいだけでなにもすごくなかったのだと自覚せざるをえなかった。
格差を知り、自分の立ち位置を理解して以降、恵まれている側のコンプレックスのようなものが芽生えてしまい、外で初めて会う人などに「東大生なんだすごい!」と言われるのがとてもつらくなった。
ただ、東大に落ちている人がたくさんいる中で自分は環境のおかげでここにいる、決して頭が良いわけではないと言っても嫌味にしかならないので、当たり障りのない謙遜をすることしかできない。
ただ、ここでは自分よりもっと東大で学問をするべきだが、そのチャンスすら得ることができない人がたくさんいる事実を噛みしめたい。
最近では恵まれた環境に育ったからには努力を怠ってはいけない、社会に還元しなければならない、という認識を持っているし、周りもその想いで似たような環境から激務の公務員などになろうとしている人や事業を起こしている人が多くいる。それが自分たちにできる精一杯だと思っている。
とりとめもなく書いてしまったので結論はないのだが、皆がチャンスをえられるような社会を目指して、微力ながら行動していきたい。
僕は友達がいない。
学部は理系で女子率が5%だったので、「理系の割にはイケてる見た目をしている」というブランディングを確立した。
新歓期はいろいろなサークルのタダ飯を周り、いろいろな人にチヤホヤされた。
高校の同期と二人で新歓に行って、後日の飲み会に自分だけ誘われたりした。
いろいろな人に話しかけて、大学のミスコンに出るような人と知り合いになったりした。
高校はそこそこ知名度がある進学校で、同じ大学に行く人も多かった。田舎から上京してきてギリギリで受かったような他の新入生に対しては、言葉には出さないものの心の奥に小さな優越感を抱いていた。
なんとなくテニスやフットサルのサークルは斜めに見ていて、入る気はしなかった。
サークルは高校の時から続けていたマイナースポーツのサークルに入った。サークルは6割チー牛男、3割変人、1割女子という構成だった。
そのスポーツは個人スポーツだった。練習は自分とだけ対話すればよく、また自分一人で勝手に練習に行けるので、そこが魅力だった。1, 2年の頃は、暇さえあればずっと練習をしていた。
同じクラスの人たちが授業終わりに食堂でダラダラしているのに一回参加してみたものの、中身のない会話とただ過ぎる時間に飽きて、その場には行かなくなった。
サークルでの実力はメキメキ上達して、部内大会では3年連続で入賞した。
練習もまともにせず飲み会だけ参上する先輩を心底軽蔑していた。その先輩は飲み会に行くノリしかない一方、「自分は実力もあって飲み会に行くノリもある」と内心ずっと思っていた。時に飲み会で、その先輩の秘密を公にして喧嘩したりもした。内心、「お前なんかすぐにサークルやめるだろ」と思っていた。
練習しても上手くならずスランプに陥っていた同期は、物に当たる癖から他の人から嫌われていた。僕は彼に対する直接のバッシングには加わらなかったが、彼が嫌われていることは内心気味がよかった。
大学2年になると、サークル内で年下の彼女ができた。見た目はそんなに可愛いとは思えなかったが、自分のことを好きになってくれたので付き合った。
その彼女はサークルの中では男女問わずいろいろな先輩と仲が良かった。僕は彼女が男の先輩たちとの距離が近いことを口酸っぱく咎めた。僕は自分よりも格下の相手と仲良くしていることが心底気に入らなかった。
転機になったのは、大学3年の秋だ。サークルの仲間と行った海外旅行代を稼ぐために単発バイトに行き、そこで知り合った女の子と連絡先を交換した。
その女の子の顔はとてもタイプだった。ちょうどサークルの彼女に飽き飽きしていた頃だったので、その女の子をデートに誘った。
その後の話はトントン拍子に進んだ。
3回目のデートの前に、僕はサークルの彼女に別れを切り出した。
彼女は最初は動揺していたが、不誠実極まりない僕の行動を厳しく責め立てた。僕は自分が責められることが気に入らず、先輩との距離が近いことを粘着的に言い続けた。
これが仇となった。彼女は一連の経緯をサークルの有力な先輩や同期に言いふらした。
サークルの人たちは噂好きだったので、一連の経緯はOBから一女まで幅広く広まった。
また、サークルは陰の者の集まりだったので、他人の不貞には人一倍厳しかった。
OBの集まる飲み会に行くと、元カノと仲の良いOBの女の先輩から出会って1秒で罵倒された。同期女子からは無視され、サークルの練習に行った時の話し相手が消えた。
僕は自暴自棄になっていた。
物に当たる癖があった同期が、僕の悪口をtwitterに公然と書き込んでいた。僕は自分より格下の相手が僕の悪口を行っていることが許せなかった。
「今日も上手いね。そういえば膝の怪我は治った?どっちの膝を怪我してたんだっけ。」
彼は「左」と答えた。このスポーツでは膝を痛めることは致命的になりうる。
そいつは倒れこんだ。
再度掴みかかろうとした時、周りの人が全員がかりで止めにかかった。
他のコミュニティの友達を誘う気力もなく、昔仲の良かった人たちは次々に疎遠になった。
当然、サークルにも行けなくなった。
僕は自分が他人に暴力を振るったというショックから、いわゆる鬱状態になった。心療内科にも通い、投薬治療を受けた。
就活に乗り遅れた僕は、3社だけ受けて未内定に終わり、そのまま大学院に進学することになった。
唯一の救いは、新たに付き合った彼女だった。僕は一連の騒動のことを彼女には黙っていて、彼女はそのこともつゆも知らず僕を愛してくれていた。
友達のいなくなった僕にとって、休日に気軽に遊びに出かけられる唯一の存在が彼女だった。
この春、その彼女ともついに別れた。コロナ禍でしばらく会っていなかった中、zoomで別れを切り出された。それ以来、その人とは会っていない。
今僕は、週6で研究をしている。
研究以外にすることもないし、かと言って飲みに行くような友達もいない。一人で旅行に出かけられる金もない。
日曜日は16時間寝て、起きている時間をぼけーっとtwitterを眺めながら過ごしている。
ペアーズにも登録してみた。写真が微妙なので全然マッチしないし、会話も当たり障りのないことしか言えずメッセージを切られることの繰り返し。
twitterを見ると、あの時見下していた先輩は同期と仲良くしながら、なんだかんだでサークルに残っている。いざこざのあった同期はその後スランプを克服し、全国大会で優勝したりしているらしい。そして自分が振った元カノは、ゆるっとサークルに顔を出しながら、当時から仲の良かった人たちとゲームをしたり飲み会に行ったりして楽しそうにしている。
みんな楽しそうだ。
学校始まるの虚無だし教授からのメールは英語で泣くしパソコンは届かないし入学式はないし単位落とす気しかしないし文書けないし家にいるの苦痛だし勉強してないし絵の練習してないし鬱だよ むり 新歓ないし でもオンラインで外出なくて良いのは良いけどサークルzoomでやるの話しかけるタイミングわかんないし全員に声伝わるからはなしたいひとだけには話せない!!!!!!!!!!!部活の後輩同じ大学志望するかなって思ってたけどずっとTwitterに入り浸っててウケる真面目な子だったのにかわってしまったね…………Twitterでは年齢隠してやってたから今更大学生とか言えなくて辛いだってみんな年上だし年上の人好きだから中高Twitterで年齢言ってこなかった 今更言えなくて辛い 年下のツイートって年下のものとしか見れないんだよ だから年齢言いたくない でも大学生って言いたい
マルチ、ネットワークビジネス、セミナー商法、情報教材屋や、
その取り巻きのインフルエンサー、互助会、ステマ要員、おめーらのことだよ!!!
コロナ禍による自粛で、カモをひっかける機会(大学の新歓など)がなくなったり、
勧誘・商材の説明で使っているファミレス・喫茶店が休業・営業時間短縮されて、
繁忙期であるこの時期に思ったような動きができず、資金繰りが厳しくなりそうだから、
取り巻きのインフルエンサーや、セミナー講師で稼いでいるような肩書持ちを巻き込んで
「自粛やめろ」とか「経済を回せ」とか言わせてるのはホント、クソでしかねーわ。
セミナーが開催できなくて収入が激減とか、(勧誘ができず)商材が売れないとか、
成功者アピールのために用意したクルージングの旅費やオフィス・タワマンの家賃、
外車の費用が払えないとか、グループの太鼓持ち・SEO工作をやっておこぼれ頂戴している
そんなこと知ったことじゃねーし。
あ、そうそう。
「河原でBBQ」も、この手の集団がこの時期よくやるイベントですよね。
イベサーと思ってホイホイついていったら勧誘されたとかよくある話ですし。
ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20200424/k10012404261000.html
ttps://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/202004/CK2020042502000114.html
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https://www.sentaku.co.jp/articles/view/15207
"十万部を超えるベストセラーとなった『下流老人』(朝日新書)。
著者の藤田孝典氏は、 メディアから引っ張りだこになっている。
しかし、福祉業界内では藤田氏の評判は悪い。 原因は藤田氏の「前科」にある・・・ "
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"#東京大学 の #人権問題研究機構 は、新左翼セクトやフロント団体 #NPO法人POSSE と関わりがあるサークルです。
政治団体との関わりを隠し、チラシ等を渡さず(渡すこともある)に個人情報を収集して、メール等で勧誘します。
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"今年の #一橋大 では、POSSEと同じ左翼セクトのフロントとして活動していた「クリティカルラボ」や
「スウォーム」と同じ手法で勧誘していたのは「 #反レイシズム情報センター (#ARIC)」でした。 ビラ入手。
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やや日刊カルト新聞: ブラック企業対策NPO「POSSE」はブラックな左翼セクトだった
http://dailycult.blogspot.com/2016/10/npoposse.html
“ #POSSE からは抗議メールも来ないしプロバイダへの削除要求が来ているという連絡もありません。”
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The new article is coming soon!
https://anond.hatelabo.jp/20100217113611
https://anond.hatelabo.jp/20100218173903
2016年の1月、ジョナサンで慶應の受験勉強をサボりながら上のはてなの匿名ブログを読んでたのが、いつのまにか4年前になるとはね。
当時から慶應版がなかったのが気になっていたので、今年の3月に卒業を控えた俺が新入生にアドバイスをしたいと思う。
俺は慶應の文系だ。新入生にはもちろん、これから慶應を受験しようとする奴らのモチベーション維持になればと思って書く。
ちなみに慶應義塾関係者はほぼ100%、「慶応」ではなく「慶應」の文字を使い、在学生のことは塾生といい、学生部のことを学事という。
入学する前、广(まだれ)の中にKOを入れる書き方(广K广O)をするのが普通とか聞いたが嘘だ。一回も見たことない。慶應の「應」の字難しいけど、早く覚えような。
一人暮らししてる奴は、体感30%ぐらい。文系のキャンパスは1・2年が神奈川県の日吉キャンパス、3・4年が東京の三田キャンパスに通うことになる。文学部だけは2年で三田キャンパスに鞍替えになる。
1・2年次はやっぱり東急東横線沿線に住む人が多いかな。日吉・元住吉・武蔵小杉・武蔵小山とか。キャンパスが変わっても日吉〜三田間は直通でいけるから、4年間ずっと引っ越さないって奴もいる。武蔵小山がちょうど三田・日吉の中間にあるし、商店街もあって住みやすさで言えば一番いいかな。ただ、大学仲間と遊ぶのは5回中10回は渋谷なので、それを頭に入れとくといいかも。(新宿なんかで飲み会開いたら、多分だれも集合できない)
変わり種で、寮とか矢上・新川崎(矢上キャンパス側)の方に住んでるやつもいるにはいる。ただ駅から結構遠いこともあって、飲み会の参加率は下がりがち。終電で帰ってもタクシー使わないと帰れなくなったりしている。寮は、下田学生寮が留学生多い。綱島国際学生寮は新しいのもあってめっちゃ綺麗。安ければあり。
親が金持ちなのか、3回とか4回とか引っ越ししてる奴とか白金高輪に住んでる資産家の息子とかいたけど、普通に礼金・仲介手数料勿体無いので、せめて立地はしっかり考えたほうがいい。
「大学は人生の夏休みです。」入学オリエンテーションで、学年担当の教授が放った衝撃の一言だ。もちろん俺を含めた新入生はざわついた。が、断言しよう。大学生活は、小中高時代夢にまでみた「8月32日」の連続であったと。
95%の慶應生にとって、「講義でノートを取るためにペンを持っている時間」よりも、「スタバのバイトで容器に落書きするためにペンを持ってる時間」・「トイレチェック表に記入するためにペンを持ってる時間」・「ビールジョッキの取っ手を持ってる時間」・「ラーメン二郎で食券を持って行列に並んでいる時間」の方が残念ながら長い。
学部ごとにアドバイスは異なるが、とにかく「来日」だけは避けろ。所属キャンパスが三田でありながら、「日吉に来る」ことを茶化して「来日」という。来日になると三田で前後のコマの授業が取れなくなるとか、非常に面倒だ。語学・必修は早めに片つけるべし。留学とか考えてる奴は、必死でGPA(評定)をとった方がいい。
慶應は春学期に1年分の授業を登録する。だから、学期初めの授業選びはめちゃくちゃ大事。授業の評判を知るために、塾生総合研究所っていうところが出してるReshruit(リシュルート)っていうのが多分日吉の駅の本屋とかで買えると思うけど、ぶっちゃけ楽天の「みんなのキャンパス(https://campus.nikki.ne.jp/)」の方が情報量・正確度は高い。かなりお世話になった。ただ、リシュルートには大学語録とか乗ってて面白かった覚えがある。1年時は買うのはアリかも。
活字ベースではどうしても情報に限界があるから、後述する新歓期でのサークル勧誘時に同じ学部の先輩を見つけて履修相談に乗ってもらうっていう方法が一番ベスト。サークルによっては履修相談を客寄せパンダにしてるところもあるから、サークル自体に興味がなくても相談しに行くことをオススメする。
こういう言い方はあんまり好きではないけど、塾内団体種別を”イケてる”順で表すと、「體育會(体育会のこと)>>ダンサー>オーラン(インカレ)>テニサー>三田実(文化祭実行委員会)>国際交流系>その他」みたいな感じがなんとなーく蔓延ってる。
4年間スポーツしたい人は是非、体育会へ。野球とか強いし、環境は整ってると思う。実は体育会にも種類があって、体育会・準体育会(通称ジュンタイ)・理工学部体育会(通称リコタイ)、スポーツ・体育会の種類によってはそこまで練習がきつくないところもあるって噂。体育会は無条件にモテる。就活もめちゃくちゃ強い。
昔は花形だったテニサーは、近年の飲酒事故とかで人気が下火になってる。「らりるれろ」が頭文字につくテニサーに所属してると飲み会番長間違いなし。テニサーのサークル入会方法だけ特殊で、基本的には新歓期しか入会できないから注意が必要。
テニサーに代わって台等してきたのがダンサー。可愛い子とかだいたいここにいる。大体男の方が少ないサークルが多いから、モテたい男性諸君は今のうちから踊っとこう。
三田実・国際交流系の団体にはわりと真面目な人が多いイメージ。試験期間にはこういう真面目な友達が、神みたいに思える。
いろいろ言ったが、サークルは最低3つ以上は入った方がいい。途中でフェードアウトするのはベネッセ模試ぐらい簡単だが、途中で入るのは慶大オープンぐらい難しい。ぶっちゃけ所属してみないと本当の雰囲気はわからないので、たくさん入って自分にあったところだけ残って所属すればよし!俺もなんとなく籍だけいれてたところが最終的な居場所になってた。
1年で日吉に入学すると、イチョウ伝説を聞くと思う。「キャンパス内の日吉記念館までの道に植えられているイチョウが散るまでに彼氏/彼女ができないと、大学時代に付き合えない」とかいうよくある奴だ。イチョウ伝説が1年時のことを指してるのか2年時まで猶予があるのかとか、どうでもいい論争があるが、この伝説はマジだ。欲しけりゃ早く動け。ほんと、慶應で4年間彼女いないって本当に、まずい、まずいって。あぁ・・・。
日吉時代はカフェ、家庭教師・塾講師とかが多いかな。なぜか教える系のバイトはだいたいみんな2年でやめる。たまに意識高く有給インターンとかしてる奴とかいるが、焦らなくて大丈夫だ。どうせコーヒー運びしかしてない。
好き勝手業種を変えられるのも今のうちだ、社会勉強だと割り切っていろんなことを経験してみるといい。大学の名前に恥じないようにブッチ(無断欠席)だけはしないようにな。せめて連絡ぐらいいれろ。
やってみたいこと、やりたいこと、学びたいことがたくさんあるのはいいことだ。全部やってみる時間があるのが、大学生活の良さだと思う。
特にウチの大学は、単位に関して楽をしようと思えば本当に簡単に卒業ができてしまう。大学・資格勉強・サークル活動・学生団体・留学・ボランティア・バイト、試行錯誤しながら自分なりの時間の使い方を見つけられるといいな。最後に某W大学みたいに一流から三流まで表して終わりたいと思う。多様一流、起業二流、卒業三流。
余興は女子が制服で縄跳び…大学サークルの理不尽な慣習:朝日新聞デジタル
https://digital.asahi.com/articles/ASMCX4218MCXOIPE00M.html
俺の大学時代って、もう20年以上前だけど、未だにこんなのあるのね。
なるべくおとなしめの文化系の女子が多いサークルに入ったから、
ただ、新入生は、新歓で一発芸をやるっていうしきたりで、
どうしても入りたいサークルだったので、
やるしかなかったな… 苦い思い出。。
少し高めのお店に飲みに行ったとき、
のが見えた。
思って、就職したくなくなった。特に大手企業はそんなイメージだった。
酒の肴にするだろうけど、
つらいよね。
もちろん、男子の場合、下着が見えても面白くもなんともないので、
前を手で隠してて往生際が悪かったとか
その男子は、ノリが体育会系だったからかすぐパンツを脱いだのだが、
したと後悔している。
結束を固めるっていうことだと思うので、
お上手な芸よりも、恥ずかしい、エグいほうがいいと
いうことになるんだと思う。
そういう傾向にあるのかもしれない。
まぁ、俺にはついて行けなかったなと思う。
(さすがに女子の全裸はないようだが、その場合は男子が身代わりに全裸になるようで)
それから思い出したけど、
ホテルニューオータニに用事があって行ったときに
厳粛な行事で、こういう下品な芸ってどうなのって思ってしまった。
なかなか難しいことで、
それだったら脱いだり、一気飲みをしたりするほうが
楽なのは確かだよね。
まぁ、今ぐらいの年齢になれば、
脱ぐだけで、仕事がどうにかなるんであれば、
嫌ならやめろっていうブコメがあったように思ったけど、
それぞれウエイトのかけ方は違っても、
その大学に入学した面もあったので、やめるなんて考えられなかったな。
社畜も一緒ですな。損得だけで行動してるわけではないし、視野も狭いからね。
決めることができる立場なので、やっていません。
会社の飲み会って、みんなが共通の話題をもっているわけでもなし、
仕事の話をするのも疲れるしで、
それを聞いたとき俺はびっくりしたけど、
それからは、年に1回程度、昼間に、なるべく高級なお店で食事会を
するだけにしている。
でも、そういう時代の流れかな。これからは転職も副職も当たり前になってくるし、
─原文─
「罰ゲームは、10メートルほど先にある袋に向かってハイハイして進み、
以上です。疲れた。
まーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーじでこわい、本当に存在が恐ろしい。がたいがいいとか、中高生ならわかる、でも大学生とかそんくらいの坊主頭で細い(細いというかもうガリ)の男性はもうなんていうか全身が気持ち悪いって叫んでる感じ。眼鏡かけてたらもう最悪。昔、大学のサークルの新歓に来た三年生の人がそうだったんだけど、気持ち悪くて気持ち悪くてサークル代表にもかかわらず一切話しかけられなかった。容姿が不愉快、って思うのはほんとそういう人だけかも知れない。なんで坊主頭なんだ?野球部でもあるまいに。せめて剃ってスキンヘッドなら不快感も減るだろうに、身体を鍛えてくれればむしろかっこよくなるかも知れないのに、もう気持ち悪くて気持ち悪くてそういう人を見るだけでテンションが最底辺になる。
その人にはその人になりのおしゃれのこだわりでやってんのかもしれないし、やめろとはいわないけどね
中学の頃、はじめて告白されてから、中高と毎年バレンタインには4,5個のチョコをもらう程度のモテ具合。中高大時代に「〇〇ちゃんが増田くんのことカッコいいって言ってたよ」っていうのを年に数回聞く程度の外見。部活は弱小バスケ部で主将。告白は中高時代に4,5人からされたが正式に付き合うことはなかった。大学はマーチのマを卒業した28歳男。まだ一回も女子と付き合ったことがない。当然童貞。母以外に一番女子に近づいたのは、大学1年の時のサークルの新歓で隣に座った他大の女子が眠くなったとかいって寄りかかってきたとき。性欲は人並みで毎日セックスしたいと思っているくせに、風俗や出会い系は怖くてできない。職場に同世代の女子が幾人かいるが仕事以外の話をする雰囲気がない。ここ数年時間の流れがとてつもなく早い。あっという間に30、40まで行ってしまいそうな予感がしてならない。
結局新歓できずに帰還するんだよね