はてなキーワード: 恩恵とは
トルク制御によって実現されるのは、自動運転じゃなくてもっと根本的な方です。
例えば雪道やアイスバーンなど悪い路面状況の中で、タイヤを空転させずに安全に運行する
トルク制御とサスペンションの制御によって路面から来る微小な振動を吸収して快適性を上げる
緊急時(例えば事故に巻き込まれそうなときとか)の緊急回避をするとか
そう言った方面の話。で、自動運転に直接関係あるのは4つめだけで、後は手動運転でも十分恩恵に預かれるもの。
ただ、市販車ではほぼ実装されていない。一方でレーシングカーの世界とかでは運用されている技術ですね。
技術デモンストレーションとしては、トルク制御とフライバイワイヤを組み合わせる事で、一台の車であらゆる車の挙動、動き方、特性を再現する特殊なシミュレータのような車があったりします。
誤解があるようですが、別にそのために追加のバッテリーを積もうという話ではないです。
そもそも日常の足として毎日家庭で充電する運用の場合は100km分ぐらいのバッテリーがあれば良いが、たまに長距離を運転するときに必要だからと実際にはもっと大量のバッテリーが積まれている、と言うギャップを利用するものです。
そして、そのギャップ部分のバッテリーだけで、一般家庭なら数件分の電力バッファーとして役に立てます。
また、V2Hは急速充電などを行わないのと、むしろバッテリ-の保護にも役立てられる(バッテリーは満充電に近くても、一定より充電レベルを低くしてもどちらも痛む)ということもあります。
正道としては蓄電池の普及なので、そちらが出てくればお役御免だとは思いますが、ボトルネックは蓄電池側のコストよりも、送電網側の対応の方なので難しいですね。
現状では、例えば郵便局や宅急便のように、比較的短い距離をストップアンドゴーで配送するようなものにしかメリットはありません。
そして、三菱自工がiMiEVを出した時に指向したのがそこだったはずなんですが、いつの間にか本質を見失って暴走している感は否めません。
産業として巨大であるがために、各国が時代の変革期にあたって、自国の自動車産業を優位にしたいと補助金をばらまいたせいで、歪んでしまっていると思います。
環境性能についても、現状のEVは、充電する電力が再生可能エネルギーであると仮定すると、それでようやく内燃機関の自動車に勝ることが確定すると言う様な環境性能しかありません。
もちろん、排気ガスが出ない、騒音が小さいというメリットはなくは無いのですが、それは決め手では無いですよね。
ですが、内燃機関でできないことができれば、話は別です。価格に比べれば枝葉であると言いますが、実は逆で、EVであることを生かした設計ができなければ、コストメリットも生まれてこないという話でもあります。
例えば内燃機関で強引にトルク制御をしようとするとものすごく大変です。
それをインホイールモータやそれに類する技術を用いると、従来の複雑な機構を配して安く造る事ができる、トルク制御が可能になれば、従来の内燃機関の自動車に必要だった機構を配することもできます。
しかし内燃機関の設計を引きずっていては達成出来ないと言う事ではあります。
まぁ、でも何でお前純内燃機関の車両とEV比べてんの?別にHVでよくね?できるじゃんねだいたい、HVシステムの価格むっちゃ安くなってるし、って話はまぁあるんですけど。
シロクマ先生のコラムを読んで共感したことと、違和感を感じたこと。結論からいうとタイトルの通りで、自分キラキラは推し活に食われた概念だと思う。今や推し活を稼働させる内蔵のひとつ。
もとのコラムはこれ。
https://blog.tinect.jp/?p=85980
◯ 承認欲求の昔話
このトピックは、さすがに"何者かになりたい"をずっと追っている先生だけあって腑に落ちる。
自分をキラキラと演出すると、それに対して大量の承認が得られて、心理的に満たされる。このキラキラを身に纏うため、2010年代では皆が色んな方法を片っ端から実行した。
この実行フェーズが"自分キラキラ"ブームのピークだったのだと思う。それは華やかなナイトプールかもしれないし、神秘的な絶景の写真かもしれない。プロも顔負けなスーパープレイもあれば、美麗なイラスト制作も人気は高い。コラム内ではインスタグラムにだけ焦点が当たっているが、実際はYouTubeやTwitterも同様で、ツルハシは飛ぶように売れていた。
◯ 推し活が台頭するまで
いろんな方向にキラキラする人が生まれて、「みんな自分の好きな事してイイね!!」みたいな理想郷(あるいはインプレッションのドル箱)をSNS各社は維持したかっただろうけど、実際はそんな貴族は一握りなので虚構と金欠に疲弊した人から脱落していき、祭りは終わった。自分キラキラに疲れた社会は自分の好きなものを輝かせる、オタク的感性を受け入れ始めている。……ここまでが先生の見解だと思っている。普通に違ってたらごめんなさい。
ここで冒頭の話に戻る。
個人的な感覚では、推し活が台頭する理由については頷けるも、「自分が好きなものを輝かせる」オタク的感性とやらはそこまで浸透していないのでは?という違和感がある。確かにコミュニティの一部としては存在するが、それよりも自分をキラキラさせるための手段として推し活は利用されているのではないか。
元祖の自分キラキラブームに無くて推し活にあるもの、それは"絶対的推し"による恩恵じゃないかと思う。それは"推しの為なら"で無限に湧くバイタリティと、推しが世界から引っ張ってくる無数のオーディエンス。そして、バイタリティのあるオーディエンスで構成されるコミュニティ。
まず、"絶対的推し"を応援する活動は、そのすべてがコミュニティから称賛される。ハッキリ言うと承認を得るまでのパフォーマンスが良い。自分が1からフォロワーをこつこつ増やす必要も無ければ、派手な生活を演出する必要もない。お役立ち情報を発信しなくてもいい。ただ推しを応援することが称賛され、自分の内心からも他者からも承認され、心が満たされる。
さらにもっと承認されたかったら、グッズを揃えて祭壇を作ってもいいし、二次創作に励んでもいい。それが推しを盛り上げることにも直結する。推しのライブ情報をまとめると沢山のファンにも感謝される。外部の人に布教して、もっと推しの存在が広まったら万々歳。世界で有名人にはなれなくても、界隈の有名人になるのは容易い。これらのどこかで、自分キラキラはいくらでも見出すことができる。推しへの貢献は自分の名上げとなり、それなりのキラキラになる。
少し話が逸れるが、宇佐見りんの推し、燃ゆで描かれている主人公の推し活はそのあたりの解像度がかなり高い。本人は「各自がそれなりの思惑で推しを推しているし、そこに優劣はない」みたいなスタンスをしているが、ときおり自分キラキラが顔を出す。推しの成りすまし投稿を見破ったファンとして界隈では一目置かれているらしい(自称)とか、解釈ブログを更新するとコメントをくれるオーディエンスが居るけど、ちょっと返信ダルいな……wみたいな顔する。端からみたら「いや、しょーもな」と言いたくなるような小ささかもしれないけど、彼女の心はそれで満たされている。(ちなみに、作中の推しは暴力沙汰や騒動で希求力を失っていく。コミュニティも萎んでいく。)
全てをまとめると、推し活とは"絶対的推し"が寡占できるオーディエンスの可処分◯◯(時間|精神|所得)をコミュニティ内で山分けし、承認を行き渡らせるエコシステムの総称である。
だから推しが絶対的である限り、衰退することはない。推しを推すという大義名分で承認欲求を綺麗に隠しつつも、ちゃっかりコミュニティ内で承認を得られる仕組み、これが推し活の発明ではないかと思う。この原理のもと、自分の承認欲は必ず満たされるはずである。そして、オタク的な利他愛の感情はそこには無い……というのが自身の感触である。
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……そう考えると、「自分の好きなものを輝かせたい」というオタクらしい感性とは、一体何なのか。正直なところ、これは綺麗事に留まり、少数派の域を出ないのではないかと思う。n=1。
(先生が思ってる以上に、みんな自分のことが可愛いし、実は自分を見てほしいと腹の底では思っているはずですよ。)
あとは、推し活が広まると、推される側の席もある程度増えるというのは想像が容易い。自分キラキラ系の一部は過酷な競争を超えた後にこの席に座ったのではないかと思われる。自分キラキラブームの勝者と敗者は、推し活でタッグを組んでいるのかもしれない。この話はもっと詳しい人が居そうだから誰か書いてください。
辞職を決意した理由の一つに、リニア中央新幹線の問題に開業延期という区切りがついたことを挙げていました。
JR東海が、2027年リニア開業断念の発表があった直後での辞任表明。
実は川勝知事は、南海トラフ巨大地震発生を見越してリニア開業の妨害をしていたのでは?と考えてしまうのです。
全ての自治体がリニア開業に賛同し、スムーズに着工が進んだ場合、2027年には品川-名古屋間での運用が開始される予定(目標)でした。
でももしこの間(もしくは開業後)に南海トラフ巨大地震が発生したとしたら?
リニア開業のために急ピッチで建造された路線は深刻な打撃を受け、修繕・再建築など莫大な金額がJR東海にのしかかるのでは無いでしょうか。
ところが、静岡県知事が中心となり主張する環境問題における懸念から、JR東海はリニア2027年の開業を断念・2034年以降の開業へ延期と発表。
もし仮に開業前に南海トラフ巨大地震が発生した場合、路線の建造がそれほど進んでいなければJR東海が受ける損失は減ったと見ることが出来ます。
また南海トラフ巨大地震が発生した場合、東日本大震災に匹敵する被害が予想されています。
リニア中央新幹線は国策とも言え、南海トラフ後にリニア中央新幹線が開業すれば、華々しい日本復興のシンボルともなれるかも知れない。
(2020東京オリンピックはある種、東日本大震災の復興のシンボルとなるはずでした。(真に復興したかどうかは別として))
リニア開業の恩恵をそれほど受けられない静岡県知事が権益を盾に取り開業の足を引っ張るのならば、反感は買えど不自然さは無いのではないでしょうか。
リーマン倒産の余波の四次被害位を受けて会社の資金繰りが大分苦しかった頃、
かなり細かいところまで経費削減せよって厳命が下ったんだけど、
レンタルサーバー代や独自ドメインの維持費用も削減しろって話になって頭を抱えたなぁ
それもプランを変更とかそう言うのではなくて、電話か突撃訪問で担当と直接交渉して
うちみたいな個人向けプランを使ってる1ユーザーに対応してくれる訳無いでしょ!って返したんだけど
やりもしないうちから何で諦めるんだ!お前には高い給料払ってるんだから結果を出せ!ってキレられて
笑っちゃうよね
年休100日月間100時間以上残業してるのが高いお給料なんだから
結果として阿呆らしくなって辞めたんだけど
年休88日の日給月給制で手取りが18万・昇給なし・ボーナス無しまで下がったので
Aさんがかつてやっていた仕事を
BさんがAIを使って奪い取る
ここで考えて欲しい点は、既にある仕事を代替するだけであるのだから
ではなぜここで不幸が増えることが想定され、AIに反対したり、危機感をあおる言説がまかり通るのか?
というアナクロな思想をBさん、ひいては社会の大多数の人間が持っており
仕事がなくなったAさんに(Aさんが他に何か価値を持つ仕事をしない限り)Bさんが生産した富を回そうとしないからである
つまり仕事を奪って富を生み出す存在がこのアナクロな思想を持っていることが問題なのであって
この思想を社会的に克服できればAIによる仕事の代替は全く恐るべきではなく、むしろ歓迎すべきことなのだ
では具体的にどのようにすれば社会が克服できるのか、というと、宗教やらなんやらしか思いつかないわけだが
AIに聞いてみるか
ワイ:
Claude 3 Opus:
AIの導入により一部の仕事が代替されることで、短期的には失業や格差の拡大といった問題が生じる可能性があります。しかし、ご指摘の通り、これを乗り越えるには社会全体の意識改革と適切な施策が必要だと思います。
「アナクロな思想」を克服し、AIによる恩恵を皆で享受するための施策アイデアをいくつか挙げます。
・ベーシックインカム(最低所得保障)の導入 働けなくなった人の最低限の生活を保障する。これにより、AIに仕事を奪われた人も尊厳を保ちつつ、再教育の機会を得られる。
・教育システムの抜本的改革 AIにはできないクリエイティビティ、問題解決力、人間性を育む教育を実施。失業のリスクが低く、AIと協働できる人材を育成する。
・AIの利活用による産業構造の変革 AIにより自動化される分野と、新たに人手を要する分野を明確化。効率化で生まれた富を、新産業の育成と雇用のシフトに活用する。
・労働時間の短縮と余暇の充実 AIの導入で生産性が向上した分、労働時間を短縮。自己啓発や社会貢献活動などに時間を使い、働かなくても人生を充実させられる社会を目指す。
・多様な価値観の尊重と包摂性の向上 ステータスを仕事だけで測るのではなく、社会貢献やボランティア等も尊重する意識を育む。多様性を受け入れ、誰もが居場所を見出せる社会を創る。
AIの本質的な目的は人間を豊かにすることです。そのためには、AIを脅威ではなく味方として活用し、社会のあり方をアップデートしていく発想が欠かせません。一朝一夕では難しいかもしれませんが、一つ一つ着実に、みんなで議論を重ねながら理解を深めていくことが肝要だと考えます。
”教育”というのはつまりはなんらかの「価値のある知識技能を得る」ということであるからClaude 3もアナクロな思想に染まってしまっているといえるし
あとは「ホームランを全選手が打てば勝てます」という、そのホームランを全選手が打てるようにする方法を聞いてるんだが~~~という話である
働かずに暮らせる世界は遠そうだ
PHEVをEVにカウントしているのを知らない人が多くて驚いた
件の記事にあるように、基本的にプラグインかどうかでEVかどうかを判定している
PHEVの場合はEV走行距離が一定以上(ヨーロッパはたいていは50km以上)可能なことも必要になる
(趣味性の高い車の中にはプラグイン可能だけどEV走行距離は50kmに満たないものもある)
なんでプラグインかどうかがEVの分かれ目になるかっていえば、そりゃあ充電インフラ整備するため
物価上昇と賃金上昇の関係で、賃金上がってから物価上げろみたいな意見を開陳する人いるけど無理だよね
どちらか一方じゃなく、どっちも少しずつ上っていくのが理想でしょう
EV普及率と充電インフラ(さらに言えば発電の二酸化炭素排出量)も同じで、充電インフラだけどかんと整備してからEV普及率上げるってのは現実的ではない
プラグインを増やしながら充電インフラも一歩一歩整備していくって流れになっている
PHEVをEVに含めるのも、世界のEV推しも日本のハイブリッド潰しじゃないよ
AI推進派はもっと「日本語モデル開発の重要性」を説いたほうが良いんじゃないかな
英語ではなく母国語で教育が行えるのは日本の強み、みたいな話があるが、将来AIが普及した時に精度の高い日本語モデルが存在することは国民全体に恩恵を与え得る
AI規制派は「どうせOpenAIやGAFAMには勝てないのだから、国内でAI推進する意味はない。それならコンテンツを学習させないようガチガチに守って、海外産AIで類似物を出力させないようにしたほうが良い。」と考えているように見える
ついでに何故か返答消されたけど、その前に用意したので投げるね……
なんか関係ない話くっつけてるだけに見えるな 画像認識の進歩のために画像生成は遠慮する? そもそも事業主体が違うだろうというね
Xでは絵師が反AIとして姦しいから勘違いされがちだけど、AIの用途ってそもそも画像生成だけじゃないんですよ!
入力をAIに投げて、AI側で加工して投げ返すという基本的な機序は、文章や画像を入力することで画像生成するAIでも、
画像や他のパラメータを入力して、それが何であり、どのような状態であるかを返すような認識用AIでも一緒なのよ。
で、加工内容を左右する学習データをどのように作るか、作って良いかが喫緊の課題の一つなんだけど、「そもそも無断学習するな」というのが反AIの主張なわけ。
なので、画像生成AIでも、データ分析AIでも、対応する法律はモロ被りします。
とはいえ、14年前に合法化され、あることを前提に動いている現代社会で無断学習禁止なんて、無理に決まってるじゃん! インターネット壊れるぅ!
今日も今日とてX(旧ツイッター)が生成AIのあれこれで燃えている。
直近の一週間だけでも、ゴールデンボンバーの配信音源ジャケット絵・プリキュア20周年・文化庁のパブコメ公開第一段……と、もはや日替わり定食かという勢いで話題が移り変わっている。
生成AIの推進派(親AI)と規制派(反AI)が互いの陣営の行儀が悪い行いをつるし上げ、ファンネルを飛ばし、お気持ち表明を行い、相手をバカにし、互いを憎み合っている。
反AIの一部ネームドアカウントを中核とした集団は先鋭化&晒し&引用リプライ爆撃を続けており、また親AI側も徹底的に文化庁資料や現行法を基礎とした理詰めロジハラでの徹底抗戦を継続。
反AI側の言動が、過去にXで繰り広げられていたツイフェミ・悪質撮り鉄・限界左翼・反ワクチン界隈の言動と重なりつつあるのだ。
そして、反AIを正面から叩き潰そうとする親AI側もまた、上記4界隈の敵対サイドに重なる要素が見えてきた。
この増田では、生成AIを巡るインターネットバトルを蚊帳の外から傍観する自分が上記の様に感じた理由を述べ、その上で生成AIを巡るインターネットバトルについて今後の進展を予測したいと思う。
温泉や献血の広報活動への二次元美少女起用やサイゼリヤで喜ぶ美少女絵への攻撃を中心にX上での活動をしていたツイフェミ界隈。
ツイフェミの電凸攻撃のせいでキャンペーンが中止となった事もあっただろう。例えば、マイメロママの発言をまとめたグッズの発売中止などである。
そんな過去の栄光(?)はどこへやら。もはや昨今では発言力を失い、2024年に至っては三重交通への物言いをした程度しか記憶に無い界隈である。
こんなシーンに覚えはないだろうか?
それまでは特に問題ないとして世の中で扱われていた広告や広報コンテンツに対し、ツイフェミ界隈の大御所が苦言を呈すると、まるでゾンビ映画のワンシーンの如く大量のツイフェミアカウントが群がって攻撃をする。
半年以上当たり前のように掲示されていたポスターや、一年以上サービスを継続していたゲームに対し、突如として大量のツイフェミアカウントが群がり、襲い掛かり、電凸を行う。
襲い掛かるツイフェミアカウントの中の人にとっても、もっと早くからそれら攻撃対象は目に入っていただろう。
何なら、ツイフェミアカウントの中の人の通勤経路上にそれらコンテンツの広報ポスターなどはあたりまえに掲示されていただろう。それを一切問題としてとらえる事なく、平穏に日常を過ごしていただろう。
そんな、静穏な日常を送っていたツイフェミアカウントたちが大御所ツイフェミの攻撃指示を受信するなり、
突如狂暴化して攻撃的になり、「ツイフェミのルールで攻撃して良い存在」めがけて攻撃を開始する。
この行動を、「犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる」と形容した次第である。
某イラストレーターや某同人作家や某漫画家、あるいは正体不明のよくわからないネームド反AIアカウント(もやし、水玉、赤髪、モノクロ男性など)が取り上げるやいなや、
彼らが取り上げた存在は「攻撃して良い存在で社会悪」と認識され、無数の有象無象によって攻撃が行われる。
言いたい事があるのならば、犬笛や攻撃指示の有無にかかわらず、個人として行動をすれば良いのだ。
しかし反AIもツイフェミも、鉄砲玉が自らの意思で攻撃をする事はない。鉄砲玉は鉄砲玉として、攻撃指示を待っているのだ。
ネームドの攻撃命令によって「攻撃して良い存在」と化した相手へのみ攻撃を行う習性が見受けられる。
まるで日頃から攻撃して良い存在をギラギラとした血走った眼で探し求め、攻撃して良い存在が出現するなり暴力性を解き放つ怪物の様だ。
はっきり言って、異常である。
まず、感情を持つ事は問題ではない。好き嫌い、支持不支持、良いと思う悪いと思う…など。人は感情を持つ生き物だ。
筆者にも好き嫌いはある。パクチーは嫌いだし、きのこの山派だし、野球はオリックスファンだ。
擬人化ゲーではアズレンが好きだし、ブレイバーンは正体判明後も気持ち悪いと思う。
ウマ娘ではヒシアマゾンが好きで、スマホはiPhoneの方が好き。FateシリーズではZeroがイチオシだったりする。
何が好きか? 何が嫌いか? という感情を持つ事。それ自体を筆者は否定しない。
二次元美少女イラストが嫌いだ。生成AIが嫌いだ…そういう感情を持つ事自体は、特段問題ではない。
問題となるのは、何か世の中のシステムを変える(=社会運動をする)時に、感情をベースとする事だ。
「私が嫌いなものは社会悪だ!ケガレだ!この世界から排斥しなけれはならない!死刑にしろオオオオオオ!!」……こんな主張をする政治団体が存在したら、貴方はどう思うだろうか?
例えば、某漫画家はかつて、生成AIを批評する際にケガレ思想に通じる発言をした事がある。
あるいは、某イラストレーターや某説教騎士アカウント(凍結済み)については、生成AI利用者を盗人・泥棒・反社・スジモン…と形容した事がある。
生成AI問題を追い続けている人であれば、そんな事もあったなぁと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。
ここで断言したい。現代日本で社会変革を求める際、ケガレ思想を持ち出して対抗勢力を叩くというのは最悪中の最悪。悪手である。
なぜケガレ思想を持ち出してはいけないの? あいつらはケガレだぞ? 人権の無い存在だぞ? など真顔で言い返す人はいないと思うが…もしいるのならば、道徳の勉強をして頂きたい。
議論をするのであれば、感情を表向きでも排し、徹底的に理詰めで話をしなければならないのだ。
「キモいモンはキモい!」「ケガレはケガレ!」「キモ男はタヒね!」「生成AIは犯罪者だから死刑!」……先鋭化した人物の言葉は、やすやすと社会通念上許されないラインを超える。
そうなれば、もはやその発言者は社会運動の場から排さなければならなくなるのだ。
少なくとも、謝罪を行い、過去の無礼を詫び、相手側がその謝罪を受け入れるまでは議論の場からは出禁処置が妥当であろう。
……それが、できない。感情一辺倒のケガレ思想混じりでは、冷静な議論ができない。敬語も使わず相手に罵倒の言葉を繰り返すのみである。
その結果、ツイフェミ界隈は「話を聞くだけムダな人達」「どうせウチの客じゃないから電話ガチャ切りでOK」……という認識をされてしまったのが現在である。
筆者としては、このままでは先鋭化した反AI界隈が「話を聞くだけムダな人達」「あいつらは無視してOK」という認識をされる様になるのではないか…と思う次第である。
もちろん、礼儀を尽くし、感情的にならず、相手を敬い、発言は常に敬語で接し、その上で徹底的に理論的で理詰めの会話ができるのであれば、反AI界隈も議論の場に参加できるだろう。
なので、まず、感情的になっている反AI貴兄らにおかれては、常に敬語で相手に接するという人間社会の基礎中の基礎から学んで頂きたい次第である。
言わずもがな、パブコメに喧嘩腰で罵倒文章を書くなんてのは論外である。
殺したいくらい憎い相手であっても、八つ裂きにしたい存在であっても、文をしたためる際は常に敬語と丁寧表現を心掛ける。それはもう、義務教育を終えた人間の基礎であろう。
悪質撮り鉄……電車撮影に熱意を燃やし過ぎた結果、迷惑行為や危険行為に及ぶ一部撮り鉄の存在である。
例を挙げると、電車撮影のために田畑や私有地に入る。ホームに脚立を立てる。街路樹や柵を破壊する。子供を恫喝する。江の島自転車ニキに罵声を飛ばす…など。
定期的に問題行動がインターネットを賑わせ、時にニュースでその姿が取り上げられる集団。それが、迷惑撮り鉄である。
これは驚くべき事なのだが、迷惑撮り鉄界隈というのは独特の秩序は敷かれており、一応の平定が為されている。というのも、昔の上司が撮り鉄だったので、そこで聞いたのだ。
場所取り一つ取っても、現地撮り鉄界隈の大御所センセイに顔を覚えて貰わなければ良いポジションには陣取れない……らしいのだ。
また、新参者が先輩方よりも高いレンズを使うのは失礼。まずは陣取った撮り鉄集団の後ろの方で撮影を行い、大御所の撤収準備や車の運転を務め、徐々に顔を覚えてもらうことでベストポジションでの撮影が許されるようになる。……らしいのだ。
昔の上司がいた撮り鉄集団が独特のルールを敷いていた可能性はあるが、
少なくとも、こういった先輩・大御所優先の風潮というのは、撮り鉄以外の界隈でもある程度共通して敷かれているものである。
例えば、芸能界や体育系の部活などだ。先輩がクロをシロと言えばシロになる。社会通念や法律よりも、目の前の大御所の言葉や感情が優先される。そこには、一定の秩序が存在している。
……その結果、時に芸能界ではとんでもないスキャンダルが起き、体育会系の部活では暴力や薬物の蔓延がニュースになるのだが……。それはつまり、彼らの秩序・ルールが法律を侵してしまったという事であろう。
反AI界隈、特に絵師・同人作家を中心とするメンバーの中では、こういった傾向が散見される。
大御所センセイが言っているから正しい。法的な正当性は二の次。だって〇〇万人フォロワーで〇〇の案件を受けて、企業Vの〇〇のママであるセンセイの発言なんだから、正しい!
あの先生の発言の邪魔となるルールは間違っている! 法律がおかしい! 即売会のルールがおかしい! 文化庁がおかしい!
愛があれば二次創作は合法! コミケでウン百万の利益が出ても合法! skebで小遣い稼ぎをしても合法! 著作権は親告罪だから権利元が文句を言わなければ合法!
生成AIは愛が無いから違法! こんな技術は違法! コミケから叩き出せ! 権利者が誰かは知らないけど違法! 生成AI使用罪を作れ! 非親告罪だ!
……いや、ちょっと待ってくれ。
大手企業Vのデザイナーである事と、著作権法に精通している事は何の関係もないではないか。
フォロワー50万人の大手絵師で、ソシャゲで絵を描いていて、同人誌にプレミアが付く事と、法解釈の妥当性については何の因果関係も無いではないか。
大手絵師のセンセイが今まで十年単位で絵を描き続けた修練の期間を、文化庁の職員は法律の勉強を行い、法解釈と政務の実践をしていたのだ。
なのになぜ、大手絵師のセンセイの方が文化庁の職員よりも著作権に詳しいと言えるのか? 私には分からない。
そういった学習、勉強のプロセスも経ず、なぜいきなり法律の新解釈を叩きつけられるのだ?
絵師界隈であれば、あなたのお言葉は法律であり、教典であり、条例であり、判決だったかもしれない。
だが、フィールドが違うのだ。界隈が違うのだ。界隈のローカルルールは通用しないのだ。
なのになぜ、あなたは絵師界隈のルールで戦おうとするのか? 法律の世界に対して、なぜ絵描きとしての実績で殴り込むのか? 私には分からない。
端的に言うと、生成AIを著作権侵害で叩き潰そうとするのであれば、相当抜本的な法改正が必要となる。
その結果、著作権侵害の非親告罪化や絵柄・画風・アイエデアの保護……あるいは類似性と依拠性といった判断基準の見直しが発生する可能性があるのだ。
そうなると、同人誌は権利元以外から著作権侵害として叩かれる可能性がある。(非親告罪化である)
また、類似した絵柄や画風、塗りや作風、ストーリー展開について、先駆者しか書けなくなる可能性がある。(画風やアイデアの保護である)
現在の日本で二次創作がおおっぴらに認められており、堂々と著作権侵害コンテンツで金稼ぎができるのは、現行の著作権法がユルユルであるという特殊な状況の恩恵を受けているからに過ぎないのだ。
その著作権法をAI憎しで締め付けるとなると、回り回って全ての二次創作作家が焼き払われる……など。
……これで理解できれば良いのだが、「愛があれば合法」のムラルールで動いている界隈に響くのか、不安である。
後半戦、限界左翼界隈・反ワクチン界隈との類似については以下の通り見出しだけ書いておくので……。
まあ、こういうことだよね…と思っていただければ幸いである。