はてなキーワード: 小学校とは
トラバの増田たちは意図を理解して議論しているのに対し、ブクマかは意図が取れていないようですね。おそらく前提知識に違いがあります。
勝手ながら論点をまとめて知識を補足して良いでしょうか? anond:20230725121700
1. いわゆるお気持ち長文が読書感想文フォーマットであること
2. 日本の国語教育は読書感想文に偏りロジカルライティングを教えないこと
3. 議論においてお気持ち長文を書いてしまう人が多いのは国語教育のせいではないか
普通、議論において文章は 事実(データ)/ 意見(考察)/ 結論 に分けて書きます。
例えば「表現規制は犯罪抑制に効果があるか?」という議論においては
2. 考察: 各国の表現規制の状況と犯罪率の相関を調べ議論する
3. 結論
といった形になるかもしれません(あくまで例です)
〇〇が話題になっているようです。
(ここまでの経緯を要約)
私はこの記事を見てショックを受けました。まだ動悸と涙が止まりません。
(悲しい体験)
(悲しい体験)
(心を打つ名文)
このような人がいると知っていただけたら嬉しいです
元増田が言うようにこれは読書感想文フォーマットなのだと思います
もちろんただの日記ならこれでよいのですが、議論に加わるつもりなら不適当です
日本の国語教育は読書感想文や随筆に偏り、論文やレポートの書き方を教えないという事が 木下 是雄『理科系の作文技術』 において指摘されています
アメリカでは小学生からテクニカルライティングを教えているそうで同書に小学生向けの問題が紹介されていました。今手元に本がないのでうろ覚えですが
新聞の1節を読ませ、事実と意見に分けなさいといった問題で、大人の日本人でも手強いと感じる内容でした。
私もトラバ及び元増田に同意です。日本でもテクニカルライティングを教えたほうが良いと思います。
少なくとも、読書感想文が国語教育においてどのような効果があるのか?何を習得させようとしているのか?今のウエイトで良いのか?はちゃんと議論し直した方が良いと思います。
とはいえ我々の知っている小学校の授業はN年前のものです。もしかしたら現在の指導要領では見直されているかもしれません。(もしそうなら教えてください)
我々世代の国語教育について興味深い解説を見つけたのでトラバします:
「お気持ち表明文は適切な国語教育の結果」というお気持ち表明文
現在の新卒や大学生たちの受けていた国語の指導要領の解説です。
日本の国語はその目的の一つに道徳教育を掲げているという指摘とその影響について論じています。
https://anond.hatelabo.jp/20230725175238
お返事どうもありがとうございます。
これは本当によくわかります。
id:oeshi 国語については門外漢なんで雑にしか言えないけど、論理国語ってやつがそれに対応する目的で作られたんじゃないかな。でも現場教師が文学作品を好むのは事実。教科書会社も抜け駆けして小説入れたのが人気だったはず
id:oeshiさん、どうもありがとうございます
「論理国語」では、実社会において必要となる、文章を論理的に書いたり批判的に読んだりする資質・能力の育成を重視しています。
教材は、『近代以降の論理的な文章及び現代の社会生活に必要とされる実用的な文章』や『必要に応じて、翻訳の文章や古典における論理的な文章などを用いることができる』としています。
おおーーー! これですね! 学校の先生の皆様どうもありがとう!
理系は最悪大学で学べるので、文系にこそ選択して欲しいものですが。
それでも、以前よりはずっと良いですね。これからの若者に期待です。
id:mezirushi いまの学習指導要領では小学校の国語から「情報の扱い方」があって、ロジカルな読み書きも学んでいるはず https://www.meijitosho.co.jp/sp/eduzine/news/?id=20180189 情報の比較とか引用の仕方、出典の示し方までやってるみたい
id:mezirushiさん、どうもありがとうございます!
・第1学年、第2学年
ア 共通、相違、事柄の順序など情報と情報との関係について理解すること。
・第3学年、第4学年
ア 考えとそれを支える理由や事例、全体と中心など情報と情報の関係について理解すること。
イ 比較や分類の仕方、必要な語句などの書き留め方、引用の仕方や出典の示し方、辞書や事典の使い方を理解し使うこと。
・第5学年、第6学年
おおお・・・! 論理や議論の仕方をこのように教えるわけですね。なるほど
長年議論されていた理想の授業が詰め込まれていて いやはやスゴイです。
現場の先生の皆様ほんとうにありがとうございます!
それにしても現在学んでいる子供たちは我々とはもはや別者になりそうですね
私も負けないように勉強しないといけないな
すみません、他にトラバをいただいているようですが伸びすぎてしまって探せませんでした
反応できなくてすみません
俺、妻、未就学児一人の三人家族。
個人的には、せめて月2にしてほしいが、そう言うと俺が家庭を顧みないみたいな感じに言われるんだよね。
子どものためみたいに言ってくるけど自分が買い物とか行きたいだけだろうなと思ってる。
正直、家族で出かけるのも楽しいけど毎週はキツい。普通に男友達と遊びにも行きたい。
俺は自分が小さい頃も、家族で遊びに出かけることなんて1シーズンに1回か、
今は子どもが小さいし、連れ回すのもいいけど、
大きくなったらどうするつもりなんだろう。
正直、趣味が合って結婚したわけではないので、二人で出かけても楽しくは…ない。
なんとか友達を作って遊びに出かけてくれると嬉しいのだが。
この教材は小学校中・高学年向けらしいが、アメリカでは小学4年生でもレベルの高いライティングの教育をしているし、そのための準備も小学生一年生からしている。
https://kotaenonai.org/blog/satolog/1947/
だいたい、小学生がケツがあおくてまだ出来ないって言うならいつやってるんだ?中学でも高校でもやらなかった結果が今だろ。それが教育の問題じゃなくてなんの問題なんだ。
親切な補足を書いてくれた人がいるので真面目に議論したい人はそちらでお願いします。木村幹先生のツイートの意図が全く伝わっておらず腹が立ってこの増田を書きましたが、一部の人にはさらなる誤解を与えてしまい少し申し訳なく思ってます。とは言えまともな教育受けてれば読めるだろとは思わなくもないですが、教育がまともじゃないから仕方がなかった。
誤解したコメントがついていたので、休憩時間で一先ず本文の下に返信を付けました。
面倒を見た学生は、奇しくも問題提起をしている木村幹先生が所属されている大学(神戸大学)と同等のレベルの大学です。
またレポート、卒論、修論とまとめて書きましたが明らかに突然お気持ち表明をはじめるのは流石に学部1~2年生のレポートがほとんどです。ただ大学入学時点でそういった文章を書いていた学生が、多少成長したとしても卒論、修論でどのような論理展開の論文を書くことになるのかは想像がつくと思います。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2192374
こんなもん日本の国語教育の駄目なところを煮詰めたようなテンプレートだろ。修士、博士課程の期間に学生のレポートや卒論、修論の面倒をみてきたが、突然お気持ち表明をはじめる学生は本当に多い。突然自分語りを初めて空に飛んでいって、二度と地上に帰ってこられない奴らばかり。こんなゴミを教えてないで、ロジカルライティングについてまともに教育してほしい。
論文は一部の人だけが書く文書であり必要な人に個別に指導すればいいという反論がありそうだが、このテンプレートのように突拍子もなく自身の経験ベースのお気持ちを述べることが求められるような文書を求められる機会がどれだけあるのだろうか。多くの人が業務で書く報告書や技術文書などは、事実と観測結果、先行する調査結果等を元に論考することが求められているのではないだろうか。実際にはそんな文書を書く機会はないのに、自身の経験をベースとしてお気持ちを述べさせるカスゴミ作文手法を『正しいテンプレ』として教えているのではないだろうか。
また読書感想文だからこのフォーマットになるのは仕方がないという意見もあるが、読書感想文の枠内で自分語りにならないように書く方法もある。たまたま手元に小学1~2年生向けの課題図書である『うまれてくるよ海のなか』(息子の所有物)があるのでこれを例にすると、この本は海の生き物の『出産・育児』、取り分け『お父さんとお母さんが協力して出産・育児』をする姿に焦点が当てられていて、後書きでもその点について述べられている。テンプレに従うと子供から見た我が家のお父さん、お母さんの役割分担の話とお気持ち表明をして終わりになるだろうが、この本から得た気づきを元に図書館に行って日本や世界の出産・育児の分担の状況について調べたり、あるいは海の生き物以外についても調べたりして調査結果から考えを広げ、その上で感想を述べることも出来るだろう。
テンプレを教えるのは良いが、そのテンプレがゴミだと害悪でしかない。正直、小学校の先生にロジカルな文書作成が出来るのか疑っている部分があるが、出来るというのであればそれをきちんと教えてほしい。
レポートや論文と感想文が異なるのはあたりまえで、感想文に感想を書くことに文句をつけるのは、いったりどういう論理構成なのか不思議。
国語の時間を寝て過ごしていたのでなければ読み取れると思うのだが、感想文に感想をつけることは否定していない。テンプレートに記載されている構成では突拍子もなく感想を述べた後に自身の経験について述べるにととどまっており、そういった文書構成をテンプレートとして推奨することに日本の国語教育の駄目なところが現れていると批判している。
卒論、修論と読書感想文は全然別のものです。それにいま修士、博士課程にいる学生さんたちが小学生のころはこういう教育はしていません。
テンプレートを使った教育を批判しているのではなく、ロジカルライティングを軽視した、お気持ちの表明に偏重した教育がゴミだと言っている。自分も小学生の頃にこういった読書感想文を書かされたと記憶しているが、未だにこういったテンプレートが存在することがそういった教育が継続していることの根拠ではないでしょうか。
この他大量にあったものの、増田の仕様にひっかかりそうなのでここまでとする
もう誰かWikiでも作っておけよ
まあ何か知らないけど勉強に対する意識がめっちゃ低い学区で、中学受験するのが同学年1◯◯人いて5人しかおらんっていう中々謎な所だったんですけどね。
勉強ママがゲーム禁止してる人の家も何故か中学受験はしてなかった。
そんでまあその中で中学受験で受かったの俺ともう一人だけで、俺のほうがいい学校に行ったんですよ。
つまり、中学受験の成績だけで言うなら俺が一番勉強できたんです。
でもそのあと怠けてたんですよね。
中学受験の時も結構ゲームやりまくってて塾の宿題もサボってたのに第一志望補欠合格できて「あー意外と人生って何とかなるな」って。
んで中高六年間は漫画家になるとか言いながら絵の練習したり、ネットにひたすら籠もって承認欲求満たすためにネトゲやりまくったりしてたんですよ。
高校の時に小学校時代の知り合いが入ってきたんですけど、高校受験組と自分の成績がもう全然違うんですよね。
あの頃、「◯◯マジ天才やわ」と言ってた子が俺の倍ぐらいテストで点数取ってるんですよ。
そうなんですよ俺はもう高校の頃には学校のテストで半分も取れなくなってた。
んでまあ大学受験で逆転するんやみたいに息巻きつつも「ネットゲームやめられないんだけどwwww」してたらしょーもない大学に入っちゃったんですよ。
滑り止めで受けはしたけど行く気全然なくてオープンキャンパスも行ってないの。
でも親が「浪人とかさせたらもっとサボるやろがい」って言うからそこに入学した。
んでまあその学校の中でも「この学校なんか来てもしゃーないよな」とかイキってたんですけど、気づいたらそこでもドンドン落ちこぼれていくんですよ。
息も絶え絶えで4年間で何とか卒業はしたけど、あまりに単位とレポートが溜まりすぎて就活してる余裕なし。
まあネトゲ辞めれば出来たんでしょうけど、辞めれなかったんだな。
そんで就活浪人になったんだけど、対してやってもないで就活終わらせたから「ぶっちゃけ面接なんて適当じゃん?」ってノリにもなれず「俺はもう駄目なんだ」って就活恐怖症になった。
でもニートしてたら怒られるから公務員受験することにしたんですよ。
公務員試験の内容ってぶっちゃけ中学入試にソックリだから、俺的にはかなり楽に感じたんだよね。
んでまあ実際面接以外はなんとかなった。
面接はカスみたいな状態だったんだけど、ここでも補欠合格発動して「やっぱ人生ってチョロくね?」と。
そのあとがまあ……思い知らされたわ。
優秀な人、ちゃんと就活の研究してる人が逃げ出したのは正解でしたって世界が待ってた。
マジでさ、今どき公務員なんてなる時点でソイツは「僕はお受験しか出来まちぇん」と言ってるようなもんなんだな。
それもかなりレベルが低い奴。
つうか大学受験で早慶行けるような奴なら大学4年のときに気まぐれで受けてもそのまま受かるだろうな。
何が大変ってひたすら時間がかかることぐらい。
今どきハンコ使ってるんだよハンコ。
それも10個ぐらい集めなきゃいけないのに全部口頭で説明して自分の手足で持ち運んでるの。
アホやろ。
こんな仕事してるなんて小学校の頃の知り合いに知られたくないわ。
だって俺はあの頃「1◯◯人の中で一番勉強が出来る男」だったんだぜ?
そのイメージのままで居たいわ。
「頭が良すぎておかしくなってマッドサイエンティストとして学会を追放された」みたいな末路を勝手に想像してて欲しい。
結局日本国民の中央値と同じ年収もらいながら、日本でトップクラスにつまらない仕事をしていますなんてバレたくないよ。
どうすりゃ良かったんだろうな。
マンガとネットにハマり、自分のHPを作って絵を載せ、お絵描き掲示板に入り浸っていた。
中学も私立に通いながら、あるときから休みがちになり、中2の途中から高1まで不登校だった。
体調が悪かったのもある。太っているのに性格が悪く、嫌われていたのもある。
側湾症という背骨の病気でコルセットをしていたのも地味につらかった。
休んだ日はネット小説を読んだりして過ごし、家族とは最低限の会話しかしなかった。
親に反抗し、都合が悪くなると黙り込んだり当たり散らしていた。
普通の生活を送っていなかったのでお小遣いがなかったというのもあるが、財布に3千円入っていれば千円など、バレないようにして漫画やお菓子を買っていた。(バレていた気はする)
祖父の引き出しから蒐集していた500円玉をくすねたこともある。
親は不登校児の親があつまる支援会に行ったり、私を美術館や公園に連れ出したりした。
姉は同じ学校だったので、妹の担任からプリントをもらう係をしてくれていた。
友人も連絡をくれたりをして、高校1年生の秋から、本格的に学校に復帰した。
休むのも、嘘ではなく「○○が痛い」という正当な理由になった。(相変わらず怠け癖はあるが)
それともあれは私の本質で、今は理性という仮面をかぶっているのだろうか。
盗んだお金のことはついに謝れなかった。
親にも、多分、言えないまま墓場まで持っていくだろう。
この出来損ないの人生を助けてくれた家族に、どうにか孝行したい思うのだが、今は一人暮らしをしていて自由になるお金はあまりない……。
300万はあるけど、老後のことも考えると手をつけられないし、親の方が何倍も稼いでいる。
どんな家族孝行をしたらいいんだろうか。
来年小学生になる子がいるが、いまだに、YouTubeをつけてくれだの、お菓子食べたいだののワガママを泣き叫びながら訴えてくる。
「泣かないでお話ししよう」「泣かないで、ユーチューブつけて、とお話しして」と言うが、それでも泣き続ける時は、機嫌を取るためにyoutubeをつけるか迷う。
泣き叫んでいる目の前でYouTubeつけたりお菓子をあげたりすれば泣き止むだろう。しかし、赤ちゃんならそれでいいと思うが、年長だし、いい加減、泣いて欲求を通すのではなく、会話してほしい。
泣き止まず、こちらもイラついてヤバい時は別室にいく。泣き叫んでいる子供の頭を掴んで壁に叩きつけたり、蹴り上げたりする想像をするが、実際に暴力を振るったことはない。
暴力振るいたい衝動を抑えるためにいつも思い浮かべることは、「私は(未就学の時期に)親に暴力を受けたことがない」ということ。
小学校以降〜高校くらいまでは何度か叩かれたり物を投げられたりはあるが、未就学の時に暴力振るわれた覚えはないし、おそらく振るわれていない。なので私も年長の子供に暴力を振るわない。
私自身が虐待されたわけでもないのに、子供を虐待したい衝動に駆られる。虐待は連鎖するというが、自分が虐待を受けて育った場合、自分の子供には虐待しないようにすることは至難の業だと思う。
でもさ、世の中にはまだまだ機械化しきれてない仕事が沢山あるからそれを端金でやってくれる貧乏人が必要なんだよ。
たとえば配膳なんて本当だったらロボットリースで6万円/月(30日✕16時間)で出来る仕事なのに何倍もの金をかけて人間にやらせていた。
製造業においてもコンベアが稼働してる工場の中で共通部品化しづらい所は人間がやっている。
そういった仕事は今後もなくならないと思うんだよね。
だって新しい商品やサービスが開発されたときに、それと同時に新しい機械を導入できるかって言うと難しくて、最初は人間にやらせてみて、機械を導入してもペイ出来そうなら人間をクビにして機械と入れ替えると思うんだな。
つまり社会はいつだって最低限の知能を持ちつつも、最低賃金ギリギリの価値で雇える下層市民を求めているわけだ。
そういった人間がいなくなるのは困る。
でもその程度の人間ってやっぱこう……アレ……じゃん?
イジメに巻き込まれたり、変な遊びを教えられたり、教師に面倒を見るのを丸投げされたりしたら嫌じゃん。
悩みどころだよね。
小学校受験がお前の言う「利益確定」になってるのかどうかという話をしてるんだぞ。
私立小学校に通わせてる「小金持ち」のほぼ全員が都心の持ちビルレベルの資産を持ってて子供が無能でも資産運用だけで一生食っていける環境を用意できる階層なんだという主張なのかどうかという話をしている。
保育園いうても高級なプリスクールも制度上、保育園になっているのでなんともだが、
ゼロじゃないんだなぁ、金持ちじゃないのに私立小学校へ通わす親、
フツーは近くに家を借りるか車で近くまで送るんだが、
私は地方で育ち、大学進学同時に上京した田舎者なので都会のお受験事情について明るくない。
なので、娘の保育園のママ友との小学校受験についての会話は基本聞き役をしている。
先日、いつも通りの会話で、あるママさんが「小学校受験してゆくゆくはマーチとかに進学して…」っておっしゃられた時、
(保育園から塾行って、小学校受験して、目指すところマーチって志低くないか!?)
と、内心思ってしまった。
けれど、やはり都会の受験事情は田舎と異なると判断して黙っていた。
小学校から私学に行くならより高みを目指すのでは!?マーチも悪くないけど、良いと思うけど!
というかやっぱり田舎は公立が良いみたいな風潮あったけど、本当に都会は「公立はやめておきますフフ🤭」みたいなご家庭が多いですわね!?
夏になると水の事故が多くなるから、自分が子供のときのヤバイ経験を書いておく。
1.海で浮き輪に乗ってひとりでバタバタしていたら、知らぬ間にかなり沖にいた。
焦って自力で戻ってきた。戻れて良かった。
2.小学校の上級生との合同プール授業で、プールサイドで横1列に広がったら真ん中の深いほうに来てしまった。
そしてそのまま飛び込んだら足がつかなかったので溺れた。
やっぱりエスタブリッシュメントになりたい。
「今から楽しめることをやるしかない」、「上を見たらキリがない」、「今からできることを」
わかってるよ。
たった一度の人生が下流のまま終わるなんてもうわかってる。下流のまま25歳の誕生日を迎えてしまった。
俺は西インド諸島の黒人だよ。スペインの成り上がり白人から毎日鞭で打たれ、一日中サトウキビ作って死ぬんだ。現代社会の奴隷。一生負け組。
だって、俺がどんなに頑張って国立医学部に行こうとしたり、司法試験目指して勉強しようとしてもお前らは「無理」、「身の丈にあったことをやれ」って必死に足引っ張ってくるじゃん。
俺が1番怒りと憎しみを抱えてるのは近所のバカ高い私立の小学校に制服着て金持ちそうな母親と歩くクソガキどもだ。こいつらは将来俺のことを見下すような人間に育つんだろうな。
何もしようがない。どうしようもない。必要な能力や必要な経験を適切な時期に身につけられなかった。
奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。奴隷。
今年、娘が小学生になった。都内の公立小学校に通っている。そんな娘に「パパは小学校楽しかった?」と聞かれて、僕は「楽しかったよ」と答えたけど、これはハッキリ言って嘘だ。
娘に変な先入観を持ってほしくないから、ポジティブに答えたけれどパパは小学校が大嫌いだった。正確には学年が上がるとともに制度と先生が嫌いになっていった。
平成初期に生まれた僕は小学校3年生まで80年代に開発された所謂ニュータウンに住んでいた。比較的若い住民が多く、大きな電機メーカーの工場などが集積していたので、所得や教育水準もそれなりに高かったのだと思う。小学校も開校20年程度だったと思う。好きな先生もいたし、友達ともよく遊んだ。指の皮が剥けるまでスマブラ64をしていたと思う。
その後、両親の離婚を経て、僕は母方の祖父母の家に住み、かつて祖母や母が通ったという小学校に転校した。明治時代からある古い学校だった。
この学校に転校した時は激しいカルチャーショックに見舞われたので一部ご紹介する。
1.男女でトイレが分かれていなかった。壁際に小便器がずらっと並び、その後ろには個室が並ぶ。要するに男子便所と同じ構造だ。そして、この個室には男子も女子も関係なく入る。ジェンダーレストイレが話題になった今となっては時代の最先端なのかもしれないが、当時は本当に驚いた。
2.自転車に乗っていいのは小学4年生から自転車の解禁が小学4年生以降だった。何も知らずに毎日自転車乗っていたら、ある日学年集会でいきなり晒し上げられてルールを知った。
こういう一つ一つ、当時の自分が嫌なポイントが増えていったのだが、決定的だったのは先生の質の低さだ。
とにかくヒステリーをよく起こす人で、どうでもいいことで一々叫び散らす先生だった。クラスで少し問題があるとなんでもかんでも集団責任と言い、一々放課後に全員で居残りさせられて迷惑だった。クラスでいじめられている子がいて、僕は転校生でクラスのヒエラルキーの外にいたので、助けようとして喧嘩になったら怒られたり、その放課後に、このクラスにいじめはありません!とか宣言しててこの人もうダメだと思った。毎日上履きに泥を詰められたりして、◯◯菌とか言われてる奴がいじめられてなかったらなんなんだろう。
この先生はかなり変なおじさんだったが、好きだった。いつも扇子を持ち歩き、教室に畳を敷いて、カーテンを簾に変えていた。将棋が趣味で将棋を教えていた。その先生から将棋を教わって将棋を始めたクラスメイトはその後、当時史上最年少で女流棋士としてプロになったのでその一点だけでも凄い人だと思う。
30代半ば/男性
この人はマッチョな見た目そのままの脳筋だった。子供ながらこんなに頭悪いのに学校の先生になれるんだなぁ、と思ったものだ。悪気があるのか無いのかわからないが、事ある毎にうちが母子家庭であることをクラスで話し、当時は今ほどシングルマザーに理解も無かった時代、そして土地柄。そのせいでクラスメイトやその親から「お父さんいないってどんな気持ち?」と聞かれたり、煽ってくる奴がいた。
決定的におかしいと思ったのが、成績の評価だった。大前提として、僕は公立小学校程度のテストならばどの科目も殆ど100点以外取ったことが無かった。年に1回の県統一の学力テストでも成績は学年1位だった。そういうわけで国語、算数、理科、社会の通信簿は常に5段階中の5以外もらったことがない。
ところが、僕はこの先生に「3」を付けられたのだ。そして、自分より頭の悪い子が5を取っていた。この成績を見た母は「1学年1位の息子が何故3なのか?」と学校に問い合せた。実は当時、通信簿の評価がそれまでの相対評価から絶対評価に切り替わった。先生曰く、生徒一人ひとりの成長を元に点数を付けることになったが、100点しか取らない僕は成長が見られないので中評価だという説明だった。
それに加えて、各科目の課題や授業に対する態度が悪いということ。具体的にはドリルとか問題集とか、その学期を通して行うべき課題を最初の1週間で全部終わらせて提出したことが悪い、授業中騒いだり他のことをしたりするわけではないが、かと言って授業も真面目に聞いていないことも理由であったと。
学校の簡単なテストは100点以外取りようが無いのに、どうやって成長を示せばいいのか。簡単な宿題を早く終わらせて一体何が悪いというのか。教科書を読めば一瞬でわかることを延々と説明する授業の一体なにを聞けばいいのか。僕は授業の邪魔することもなく、ただただ黙って大人しく時間が過ぎるのを待っていたのに。
ちなみに結局その後、試しに中学受験に向けた全国模試を受けたら偏差値は55~60くらいしかなくて、中学受験組の中では精々中の上程度だとわかった。そして日能研の「シカクいアタマをマルくする」とかいう広告の問題は全然解けなかった。別に自分が頭が良いわけではないことを理解出来た。そして実際に市川という上の下くらいの中学校になんとか滑り込んだ、というのが僕の実際の実力だ。開成?筑駒?渋幕?全然無理、って感じ。
当時を振り返ると嫌いになった要素がいくつかあると思う。
まず第一に、制度の問題。日本の公教育は、基本的に出来ない子に合わせざるを得ない環境であり、そもそも人間としての最低限の指導しかしてもらえない。加えてその基準は非常に低い所にありすぎて、子どもたちの学力すらもまともに測れない。物差しすら用意していない。当たり前のことが出来るだけでメーターを振り切ってしまう。そして相対評価の謎運用で無駄な不平等を生み出している。
そして先生の問題。先生の魅力というのは、学力だけでなく教育への熱意や広く言えば人間力など様々な観点があると思う。そしてその仕事の過酷さが度々話題になるように大変な仕事なのもわかる。
しかし僕が出会った先生は今思い出してもヒステリーなオバさんや脳筋が多く、学歴的にも大凡、他人に物を教える事ができるようなレベルではない。人間力含めたって精々小学生くらいにしか教えを説けるレベルになかったと思う。
考えてみれば、そこそこの学歴を持つ友人を見渡した時、高校の教員や大学教員になった奴はいても小学生の相手をしている奴なんて殆どいない。
そんなことを考えると、子供を私立の小学校に入れる選択肢を考える親の気持ちもわかる。ただ、個人的には小学校の時に悪かった友達が大人になって逮捕されたりしてるのを見ていると、人種の坩堝に身を投じて色々な人がいるということを理解するのも大事な気がする。
娘よ、そういうわけでパパは小学校が嫌いだった。お前が思ってるよりしょうもない大人が先生をやっているからな。そういうことにも一つ一つ気づいていきながら人生を歩んで欲しい。
A君一家自体が島への移住者で、子供3人のために休校してた学校を9年ぶりに開校してたってことね。なるほどです。
2000年春から休校していた酒田市の飛島小学校(船越誠校長)の開校式が6日、同校体育館で行われた。島外から児童2人を含む親子5人が移住したことによるもので、小学校の校舎に9年ぶりに児童の声が響いた。
飛島小は00年3月に6年生2人が卒業、1人が転校し児童がいなくなり休校。その後、飛島中も03年3月に最後の生徒が卒業し休校措置となった。市教育委員会は、小学校が休校した後の01年度から、校舎を市内の小学生を対象にした2泊3日の体験学習「飛島いきいき体験スクール」の拠点施設として利用してきた。
今回の小学校再開により船越校長、菊地義昭教頭、布川真二教諭、吉泉弘子養護助教諭の計4人が赴任。新5年生の渋谷泰和君(10)と新3年生の真生さん(8)の兄妹2人を多面的に支える。
泰和君が「飛島のことをいろいろ学んで、島に来た人に教えたい」、真生さんが「理科や社会が始まり、授業が難しくなるので、布川先生からいろいろ教わりたい」とそれぞれ話した後、「2人、力を合わせて頑張ります」と声を合わせた。
式終了後、2人の父・聡さん(38)は「開校まで多方面で力添えをいただきありがとうございました。ただ、これがゴールではなく、これからがスタート。島民の皆さん、よろしくお願いします」と話していた。
http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2009:04:07:2652
親になって、ラジオ体操もプールも子供会も大人の無償の奉仕の上に成り立っているって知ったよ。
ラジオ体操はPTAの町会班で係の割り当てがある。係になったら6時くらいには会場入りしてるんだよね。当然起きる時間はずっと前。
プールは教員か保護者かが見張っておくのが基本で、特に水の事故は危ないので複数で見ておかないといけない。
でも、地球温暖化の影響で暑すぎるのでプールを以前みたいにやるのは無理だろうなと思う。
小学校の学年当たりの児童数が過去最多を更新し続けている状況と町会のイベント運営者の高齢化を見るに、若い人が入らなくなったのが原因だろうな。
今の大人はかつての大人ほど体力もないし時間もないんだろうなとなんとなく思う。
まず、親の年齢も我々が子供のころから5-10歳くらいあがったよね。
それでもって、共働き世帯が増えて主婦に無償労働させられなくなってきた。
あとはかつての大人よりも与えられて当然みたいな考えの人が増えたのかもしれない。
欲しいなら、仲間を集めて旗を振ってやればいいことのような気がするが、誰かがやってくれて当然みたいな人が多数いるようになると、誰もそんな貧乏くじは引きたがらない。