はてなキーワード: 小学校とは
https://dailyportalz.jp/kiji/my-hospitality-tour-narita
面白かった。
・自分はそんなに地元を紹介できるほどの思い出があるかな。小学校にいたK市ならちょっとあるけどもう店はないなぁ。小学校中学校と通学路があるくらいか。
中学校くらいから思い出のあるU市はどいなかで、高校で駅舎が木造でなくなったし入鋏もしなくなったけど今めちゃくちゃきれいだし。デパートも建ったし潰れたな。同級生なんていないだろうな。
高校は送迎の自動車か自転車移動だったからAの駅とかかな。Aの駅に駅そばがあったと思うのは記憶の間違いだろうか。
T駅のほうが栄えててこういう思い出ができそうなものだけど。アニメグッズはそこにしかなかったけど定期の外でいけなかった。
駅のない大学から自分でなんでも選べて楽しかったけど、サークルの試合の都合で全国旅行してたなあ。
地元愛とか育てる環境になかったな。今は地元愛を育てられるんだけどネットでとりよせちゃうもんな。昼飯のために外にいったら焦げちゃう。
・というか当時は親が支配的すぎた。金もなかったし友達とふらふら遊び回りたかったけど塾とかいかされてた。
塾にはたぶん行きたくなかったけど母親の支配がないだけでなんか幸せな気がして通ったし、なんなら家より寝てた。貧血だったなあ。
・母親は何十年生きても今も支配的で、帰省すると昼食はぜひこの店をと(その食材はアレルギーがあって食べられないっていってても)押しつけてくる。
口を開けば聞きたくない話を延々としているしこちらの話を聞かないので本題が全くすすまない。
耳が遠いのか、聞く耳持たないのか。学びも当然ないので正直いってたいしたことなくてつまらないけど、田舎町ではそれでもしっかりしてるほう(のつもり)だろうな。
昭和生まれの父親にとっての社会アダプターだったんだろうけど、おかげで子供達には父親の社会人としての顔がほとんど一切知れないまま逝去した。
母は一般的にいう社会と一切相性が会わない、よくしゃべるタイプの野生児だなぁ。
・結論、母親は支配の悪魔(チェンソーマン)よりよほど支配的である。
・高校の同級生もゆびとまだのfbでみるかぎり全国に散らばってるけど、同窓会とかやってんの?行かないけどさ。趣味あわなそう
田舎の公立小学校、中学校で無双(定期テスト毎回1位か2位かどっちか)だったが、高校で進学校に入ったら普通に中の上ぐらいやったで
中学教師に「○○高校は頭のいいヤツばかりが集まるから、いくら増田でも最初からトップにはなれないぞ」って聞いてたから、別に挫折も何も感じなかったが
あのノリでしかないでしょ。
単に知識と経験が溜まったことで技術力が向上した人もいたりするけど、基本的にはクラスメートとワイワイ言いながら見せ合う程度のものだろ。
Twitterや増田の書き込みも広い意味で言えば創作活動でしょ。
そこにそれぞれの美意識があるんだったら。
長い作品を完成させるのは大変だけど、それだって1000文字の増田を書き切るのは100文字のブコメを完成させることの10倍以上の難しさがあることの延長でしか無いと思うんだよな。
「最後までやりきるのが凄い」ってのは確かにあると思うし、「上手だね凄いね」ってなることは自分もあるんだけど「創作活動することそのものが凄いね」ってのは違うと思うんだよな。
生まれつき大食いの人が沢山食べるのを凄いって言われても「むしろそんだけで足りるお前らが凄いよ。地球に優しいよな」って感じるようなもんじゃね?
最近見た『江戸前エルフ』ってアニメに「エルフは寿命が長いから凄いと言われても、自分にとっては当たり前過ぎて、あんよが上手って言われてるような気持ちになるんだよな」みたいなくだりがあってさ、創作が出来る人が凄いって言われるときの感覚ってそういうパターンが多いのではと。
「むしろ消費だけして満足できる人って省エネだし創作に使う時間で色々味わえるから人生の使い方上手いよな」ぐらいな感じはあるじゃん。
なんか創作することに対して過剰に評価が高い人がいるのが驚きなんだよな。
たとえばエクセルで関数色々知ってるのを「パソコンの大先生は凄いのう」みたいに言われてるのとかあるけど、あれってむしろ「関数とか使わずに根性で全部やりきろうとするのも凄いよ」って気がするんだよな。
楽する方法考えるほうが時間かかるようなクソデータ前にしたときに淡々とそれを処理できる人ってたまにいるけど、アレはマジで凄いと思うんだよな効率化を目指さないことへの耐性みたいのは間違いなく才能だと思う。
創作って結局は「思いついちゃったから形にするしか無いみたいな強迫観念に対しての耐性が低い」ってだけな気がするんだよ。
「俺の頭の中でボンヤリと一度完成したのでもう満足です」みたいな割り切りが出来ないというか、思いついたことを短い言葉だけで伝えきれる自信がないから時間をかけて伝わりやすくしてでも相手と共有したいと考えすぎるというか。
消費メインか創作メインかみたいのは。
二次創作しない人の多くは、変な解釈とかしないで素直に読んで終われてる人が多いと思うんだけど、それって作者としても変に読者の脳内にしか無い妄想広げられながら読まれるより嬉しいって感じる人は結構いるんじゃないかなと。
だって嫌じゃん自分が作ったものに対して「でも俺はこう考えるんだよね―」みたいなことやたらと言われるのって、お前読んでる間ずっとそういう事考えながら読んでたの???みたいになるじゃん。
ジュニアさんが「(身体的に)絶好調な日って人生にどれくらいあんのかな」と仰っていて
「2日」
好調かどうかは「その日の体育」で分かる
1日目は小学校の時
跳び箱8段サクッと飛べた。2連続で(それまで全然飛べなかった。そして飛べたその日の後もやっぱり飛べない)
2日目は高校の時
タイムトライアルみたいな長距離走をやってて「今日はなんか体が軽い!!人並みに走れるぞ!!」という状態になった(調子良くても人並み程度。普段はお察しである)
その2日以外は大体ダルい。具合悪い
体は重りを付けた様なのが普通だと思って生きている。胃とかオエって感じ。肩常に激凝り(それでいて頭痛は不思議とそれほど無い。偶にこめかみが痛むが。目から来てるかな?)
そして後鼻漏(鼻中隔湾曲しているが慢性副鼻腔炎ではない。でも調子悪いと偶に頬とか鼻筋の横が激痛い)
頭はモヤッとしている
イラつく
どこが痛いとかはあまり無かったが、年食ってきてちょっと色々出始めている。めまいが酷いので脳外行ったけど特に何も無く。ただ、首が逆反りしていると言われた
そんな感じだ
食玩なら安いかなと思って1セット買って小1の子供と作ってみたんだけど遊ぶ過程で簡単に壊れるんだよね、うちの子は3日目にパーツを無くして1週間後に壊してた。
(プラモデルとしては凄くよく出来ているとは思ったよ)
食玩のプラモデルは小学校中学年以降でもまだスーパー戦隊を見ている層にアプローチする商品で(価格的にもお年玉とか含めれば全シリーズ揃えられそうな範囲に収まる)、小学校低学年以下の年齢の子供には厳しいおもちゃだと思った。
誰に吐き出していいか分からない悩みをここに書くことを許して欲しい。
私は30代を目前とした独身女。
多分一生、子ども部屋おばさんでいるのだと思う。
家族間の仲は良好で、幼い頃はとても裕福とは言わないまでも不自由のない生活を送ってきた。
私が小学校低学年の頃、自営の父親が覚せい剤に手を出し捕まった。
どちらかと言えば裕福だった生活は貧しくなり、借金取りから逃げるように引っ越した。
両親は離婚、幼い私は良く分からずもこれからは母子家庭だと言うことを聞いた。
私は奨学金を借りながらも大学へ通い、今は安定した企業に入社し仕事をしている。
幼い頃、大人になって会社で働く頃には当然一人暮らしをしているものと思っていた。
25歳の誕生日、一人暮らしをしたいと思うと母に話したことがある。
もう良い年だし、会社も遠いし、少ないながらも一人で質素に暮らすには充分稼げているし、母に甘え過ぎていると思ったからだ。
だがその話をした途端、母はポロポロと泣き出した。
「わかった、じゃあお母さんは死ぬね」
そう言っていた。
私は当然母に死んでほしいなどと思ったことはない。
意味が分からず、何故そんなことを言うのかと焦って問い掛けると「一人暮らしをしたいということは、私はあなたの人生の邪魔なんでしょう」と言う。「私が死ねば保険金が入る、そうすればあなたの生活の足しになるから」とも。
どうしてそう考えるのかも理解出来ず、とにかく今直ぐにはしないことを伝え何とかその場をおさめた。
でももしも私が一人暮らしをすることで母が首を吊ってしまったら?
子離れが出来ない母、親離れが出来ない私。
どんどん年老いていく母と、子ども部屋おばさんのまま何にも成長しない私。
世の中の人たちはどう言って実家を出て一人暮らしをしているのだろう。
実家を離れられない理由のもう一つとして、私の稼ぎが無ければ今の家に住み続けられないということもある。
私の給料は、三分の二を家に入れている。
母は当然もう水商売が出来る年齢ではなく、週5でパートをしている。
ここまで書いていないが同じく実家暮らし社会人の弟がおり、弟も給料の半分は家に入れてくれている。
(生活保護の制度を利用すれば母は一人でも暮らせるのではと話をしたこともあるが、生活保護を受けて暮らすくらいなら死ぬと言っている)
そんな母が最近、家が欲しいと言い出した。
家と言うのは今私たちが住んでいる賃貸のマンションのことではなく、一戸建てのものだ。
繰り返しになるが、私は母に多大な感謝をしている。親孝行だって出来る限り沢山したいと思っている。
恐らく私は、年齢的にも収入的にも、ローンを組むことが出来ないことは無いだろう。
税金も控除されると言われればそれは有り難い話だ。
けれど、どうしてもそれをするのに躊躇う自分がいる。
恋人もいない癖に、もし私が結婚したら?結婚した相手と住むことにしたら?そうしたら誰がローンを払っていく?と言う思いが巡ってしまう。
結婚したらそこに住めばいいだけの話かもしれない。でも、義母と義弟と暮らせる人がどれだけいるだろう。
少なくとも私は、弟が結婚するならその家を出て一人で、もしくは母親と二人で暮らす選択を取る。
誰がローンを組んだところで、よくよく考えてみれば一人抜けたらもう払えない。
つまり家を買うという選択をした時点で、私は家を出ていかない、弟も家を出ていかないという未来がほぼ確定してしまっている。少なくとも、母の中では。
親孝行したいと言いながら即決出来ないことが辛い。
これだけ考えておいて、家を建てたら結婚は出来ないんじゃないかとも思う。
一生母と弟を養って行かなければいけないから。
何も考えたくない。
【追記】
仕事が終わってから見たら沢山反応をいただいていて驚きました。
温かいコメントから真摯なアドバイス、厳しいお言葉にも全て目を通しております。
こちらに投稿するのが初めてなので追記という形で書くのが良いかわかりませんが、何度か話題に出ていることにこちらで返信とさせていただきます。
これは私の書き方が悪いですね。
家賃、光熱費、食費の他に、保険代や車の維持費、弟の奨学金返済分、母の携帯代などを含んだものを「生活費」として書いていました。
弟にはお金の管理を任せられないため、奨学金返済分もここに含まれています。
ただし、家計管理が甘いのは仰るとおりです。ここはこの後どのような選択を取るとしても重要になると思うので、話し合います。
・毒親
暴力を振るう親、学生の進路を勝手に決める親、などがそうなのだと思っていました。
今も毒親とは思えていません。でも、良い親だとも思えていません。
この件に関して第三者からの意見を聞くことはほとんどないので、どう見えているのか参考になりました。
全てに返信が出来ずすみません。
「誰かに聞いて欲しい」けど「誰に聞いてもらえば良いかわからない」という私の薄暗い気持ちでしたが、少し冷静になれました。
今後どうしていくと確定したわけではありませんが、それでも様々な選択肢があると知ることが出来ました。
特に私の身を案じてくれた方、私はきっと誰かにそう言って貰いたかったんだと思います。
当時住んでいた家は北側道路の家で、南側には子どもが遊ぶには申し分ない広さの公園があったのだけど、その公園は完全に別市の管轄だったから、本当の本当に最南端にある家だったんだと思う。今はもう取り壊されて無くなっちゃったけれど。
わたしには、公園を挟んで向かいのアパートに住んでいる同じ歳の友達がいて、小さい頃からよく遊んでた。
わたしの家からダッシュで1分もかからない距離のアパートなのに、彼女はわたしと住んでいる市が違って、同じ小学校には通えなかったんだけどね。でも、一番仲の良い同級生だったから、学校が終わってからは各々家にランドセルを置いて、公園に集合して暗くなるまで一緒に過ごした。
お互いの家を行き来してDSで通信することもあったし、少し歩いたところにある本屋さんでファンシーな文房具を見たり、駄菓子屋に行ったりもしてた。狂ったように2人で手を繋ぎながら一輪車で回り続けたりとか。身体測定の結果を見せ合って、やばい!ダイエットしなきゃ!と公園をずっと走ったこともあった。
学校が違うからこそのメリットもあって、相手の素性を知らないからこそ、恋バナを包み隠さずにできたりもしたな。あとは、わたしの小学校にはない図書室の本を貸してもらったりとか。本当はよくないんだろうけど、ちゃんと返却期日までに読んで彼女には返していたから、たぶん大丈夫。
本当に仲の良い友達だった。自分の通う小学校にも友達はもちろんいたけれど、彼女だけは別格だった。今思えば、彼女はわたしにとって親友だったんだろうね。
でも小学校5年生になるタイミングで、わたしは家庭の事情で引越しをすることになった。同じ県内ではあるんだけど、それなりに離れたところ。小学生が電車を乗り継いで遊ぶには、少し難しいくらいの。
彼女と別れるのは寂しかったし、引越し直前には2人してワアワア泣いてた。当時の連絡手段って手紙しかなかったから「プロフ帳に書いてくれてた住所に手紙送るねぇぇ」とか言いながら、本当にずっと泣いてた。
小学生の手紙なんて、本当にしょーもない学校の話に、しょーもないイラストを添えただけなんだけど「会いたいね」とは、お互い、いつも文末に書いていた。とはいえ、気軽に会える距離ではなかったから、現実的ではなかったんだけど。
そうこうしているうちに中学生になり、わたしは剣道部に、彼女はバスケ部に入部して、土日も練習や試合で忙しい日々を送るようになった。お互い休みの少ない運動部に入部してしまったばかりに、行動範囲は広がったというのに、会う時間を作ることができなかった。
そのまま徐々に文通の頻度は減り、受験生の本番である中学3年生の夏頃、「受験やだねー、志望校どうしよー」「とりま勉強がんばろーね!」というような、何気ないやり取りを最後に、ぱたりと彼女との連絡は途絶えてしまった。
それ以降、彼女とは一切連絡を取っておらず、どこで、何をしているのか、何も分からない。
わたしは社会人になった。高校・大学をストレートで卒業し、就職をしてから今年で2年目となる。
文通をしなくなってから、彼女のことなど思い出すことなく過ごしてきた。しかし最近、不思議な縁があり、なんと彼女が住んでいた市に赴くことになったのだ。
用事があったのは彼女の家から少し離れたところだったけど、車を走らせたら大した距離ではない。まだ住んでいるだろうか。きっと住んではいないだろうな。とはいえ、懐かしい景色見たさもあって、わたしはGoogleに例の公園までの経路を表示させて向かった。
辿り着いてみると、そこには思い出深い公園だけがあった。彼女が住んでいたアパートは、形こそかろうじて残っているが、どうやら今はアパートとしての機能を無くしているようだった。
というのも、かつて彼女が住んでいたアパートは、今現在コミュニティスペース・ワークスペース、またはカフェなるものとして提供されているらしいのだ。流行りのリノベーションを受けたアパートは、築年数を感じさせつつもおしゃれな建物となっていて、地域の人たちがつながる場として賑わっている。そのときは子連れのお母さま方が楽しそうに過ごしていた。
彼女はどこに行ったんだろう。
真っ先にそう思った。アパートがアパートでなくなったことなど、わたしは知りもしなかった。一体いつから?順当に考えれば、彼女も、彼女のご家族も、引越したんだろうとは思うが。
唯一わたしに残されていた彼女の手がかりが、今や地域活性化の拠点となっていたことで、わたしはもう二度と彼女には会えないのだと再認識せざるを得なかった。彼女の今を知る術は、本当にもう何もない。
またいつか、生活を続ける中で、わたしはふと思い出すのだろうなと思う。
小学生の頃に、近所にすごく仲良くしていた親友がいたこと。その親友とは引越しと同時に疎遠になり、今はもう連絡の取りようがないこと。
そうして、きっと考える。菜々子、今どこで、何してるんだろうって。
自分が幼稚園児になり始める辺りの頃、幼稚園の門前で強烈に泣き叫ぶほど入門拒否拒絶して、無理矢理幼稚園に入れられてた記憶があるから、[^1]慣習的に教育施設に通う事になってた。多分渋々行ってる[^2] [^3]。
(親か誰かか何かに)迷惑をかけないために学校を行ってた可能性が浮かんだ。[^4]
それから考えられるであろうのは、 自分が好まない場・環境という地味に不快に耐えて学校に行き終わったら解放され好きな事していい。つまり「義務?ノルマをこなしたんだから自分の権利がある」的な。
[^5]自分は、はたして小中学校に通っていた間や授業中は、意義のある学習勉強になってたのだろうか?。
書いてて1時間ぐらい経ってた。
[^1]: なぜそれから通えていたのかよくわからないが気付いたら、それ以降からか
[^2]: 思い出してみると、小2の始めまで、登校した日の7割以上が朝遅刻してたと思う。自分でも遅刻がちょっと惨めに感じるぐらいなぜか遅刻してしまう。小1の女性の担任の先生に残暑見舞いか年賀状かのハガキで「学校に遅刻しないように」と書かれてしまうぐらい。
[^3]: 小2の時に、算数の教科書を見たか授業かで、時計の読み方を知った以降、なぜかそれ以降なにか意識が変わって、目立って遅刻した覚えがない。ちなみに発達障害でもない。教科書にはアナログ時計が載ってた覚えがあるし家もアナログ時計だった。
[^4]: 別な話として、自分が幼稚園児の時に次男の小学校不登校な様子を見て「(幼稚園に)行けてる自分は偉い?」というような事を母親に聞いた事が一度あると思う。それが関係ある話か不明だが。
[^5]: 高2で不登校退学にずっとなってる
小学校の必修科目にすればいいのに。
箱(凹)に文字(a)が入っていて、それに数値(5)を入れるんです!
ってなってて、どいういうこと!?
ってなった記憶がある
プログラミングの本書いてる連中はプログラミングしか勉強してなくて知識や思考が浅すぎるケースが多い。特にかわいい動物キャラが出てくる入門書なんかを書いてる奴らは底辺業務系プログラマーみたいなのが多くて本当に酷い。もし小学校の教師が書いた数学入門書なんてものがあったら地雷としか思えないだろう。あの手のプログラミング本はそれと同じレベル。
最低限、プログラミングだけじゃなくて高校レベルか大学初年度レベルの数学は分かってる人間の書いた本じゃないと読む価値ない。