はてなキーワード: 奇数とは
ちゃんと奇数偶数のツリーで対話が成り立ってるなら「頑張ってるなぁ」って思えるけど、基本的に横から出てきてパーリナイする人とある一定のラインが越えられたのでふんぬしてる人達であの辺りの長々としたツリーは作り上げられていると思う。
そう、つまり増田でこの手の議論を真面目に出来ているとか、誰かが覚えているとか思ってる方が哀れなのれす。
Twitterのハンドルネーム付きの実名ほぼバレの連中ですら矛盾モロバレの状態でもしらばっくれるのだから、奇数偶数のツリーでちゃんと対話らしきしてる匿名の増田ちゃん達が言ってることは全部話にすらなってないのです。
https://anond.hatelabo.jp/20230426081719
中学生の頃に社会科見学か旅行の班分けで2人1組になる機会があった
そしたら、メンヘラ女子の一人が案の定あぶれて泣き出したんだよな
そしたら、そいつを贔屓してる教師がぶち切れてクラス全体怒られたわ
まず、女子が奇数人いるんだから一人あぶれるのは当然で、誰かが仲間はずれになる前提の班分け指示して、その結果にキレるとか頭にウジわいてるのか?
そもそも女子側にだって奇行ばかりで気味悪がられてた奴がいたのにそいつはあぶれなかった
お前は「こいつと組むぐらいならキチガイと組んだ方がマシだわ…」って思われるほど性格悪いんだよ
そのレベルで嫌われてる奴を贔屓にする教師もクソだわ(男だったらワンチャン狙いなんだろうと予測できるけど、その教師は女だったからなんでお気に入りだったのか理解に苦しむ。クズ同士で波長が合ったのかな?)
そもそも仮にお前が仲間はずれにされなくても、別の誰かが仲間はずれにされてそれを受け入れざるを得ない
その立場がお前に回ってきただけで泣き出すとか頭悪すぎるだろ
そうやって自分にちょっとでも都合悪いとすぐ泣き出す気持ち悪い精神性がお前がハブられる原因だとなんで気づかないんだろうな?
俺もその2年後の修学旅行で男子が奇数だったから余って悲しかったけど当然と受け入れたよ
もう何年も前のことだけど、思い出したら腹立ってきた
あのクズ教師は自分と同類の性悪をこれからも贔屓し続けるだろうし、メンヘラ女子も今どこかで気に入らないことがあったら泣いて被害者ぶってるんだろうな
二人とも死ねばいいのに
Q: 人間の認識能力に限界があるのなら、フレームの間に別の世界があるというのは本当なのでしょうか?
AI言語モデルである私は、フレーム間の異世界の存在について、個人的な信念や見解を持っているわけではありません。しかし、この概念に関連するいくつかの情報と理論を提供することはできます。「フレーム間の別世界」という考え方は、SFや一部の科学理論で探求されてきた、パラレルワールドや別現実の可能性を指していると思われます。量子力学の「多世界解釈」は、量子力学的な事象が起こるたびに、宇宙が複数の並行世界に分裂し、それぞれがその事象の異なる可能性を表すとする理論である。しかし、これらの理論はまだ科学者の間で大きな議論があり、実証的な証拠に裏付けられていないことに留意する必要がある。さらに、人間の認知能力には限界があり、私たちの知覚や理解は不完全または不正確である可能性があります。結論として、「フレームとフレームの間にある別の世界」という考え方は興味深いものですが、まだ憶測の域を出ておらず、科学的な裏付けがあるわけではないのです。
Q: ある種の薬を使った人たちが、主観的には違う世界を体験しています。
特に、精神作用物質の使用や瞑想・精神修養など、特定の条件下で、現実の知覚が変化する経験を報告する人は珍しくありません。このような体験は、普段とは異なる現実や世界を知覚しているように思わせることがあります。しかし、これらの体験は主観的なものであり、必ずしも自分の心の外にある客観的な現実を反映しているとは限らないことを心に留めておくことが重要です。脳は、さまざまな意識変容状態を生み出すことができる複雑な器官であり、これらの体験は、遺伝、環境、個人差などさまざまな要因によって影響を受ける可能性があります。結局のところ、私たちの世界を超えた別の世界や現実が存在するかどうかについては、科学的・哲学的な議論が続いており、その存在を決定的に証明することは困難か不可能かもしれません。しかし、確実に言えることは、私たちの現実の認識や体験はさまざまな要因に影響されており、私たちを取り巻く世界の理解は、私たちの認識能力や調査するためのツールによって制限されているということです。
Q: 例えば、ある人が持っている情報によって、その人が属する世界が変わるということはあるのでしょうか?
哲学的な観点からは、個人の世界に対する認識や理解は、その人がアクセスできる情報によって形成されるという主張が可能です。この意味で、ある人が属する世界は、その人の知識や理解に依存していると見ることができる。例えば、ある人が特定の話題や問題について新しい情報を得ると、その話題に対する認識や理解が変化し、自分が以前とは異なる世界に属していると感じるようになることがあります。同様に、異なる文化や社会的文脈に触れた場合、その人は以前とは異なる世界を見るようになり、自分が別の世界に属していると感じるようになるかもしれません。しかし、この考え方は、必ずしも文字通りのパラレルワールドや別世界の存在を示唆するものではないことに注意が必要です。むしろ、私たちが世界を理解し経験する方法は、私たちがアクセスする情報や文脈に大きく依存することを示唆しています。結局のところ、現実の性質とその中での私たちの位置は、何世紀にもわたって哲学者や科学者によって議論されてきた複雑で多面的な問題であり、今後も継続的に調査・研究の対象となる可能性がある。
Q: さて、単純化してみましょう。白と黒が点滅する一次元のセルがあり、ボブ君は奇数列を脳内で認識し、「これが私の住む世界だ」と感じたとする。途中で何らかの情報を受け取ると、ボブの認識は変化し、偶数列に切り替わります。では、この場合の主観と客観の区別はどうなっているのでしょうか?
この単純化されたシナリオでは、主観と客観の区別は次のように理解される。
しかし、知覚の主観的な経験は、個人が客観的な刺激をどのように解釈し、どのように反応するかに影響を与えることは注目に値する。この意味で、主観的な体験と客観的な体験は相互に関連し、複雑な形で影響し合うことがあるのです。
Q: さて、もっと深く考えてみよう。この1次元のセルを任意のcos関数と交差させる。それを「主観的に知覚された現実」とする。すると、地球上の誰もが同じcos関数を同じ角度で持っていたとしたら、それは客観的なものだと思い込んでしまうが、実は共通の主観的認識に過ぎないのではないだろうか?
もし、地球上のすべての人が、同じcos関数と交差する1次元セルについて同じ主観的な認識を持っていたとしたら、全員が同じパターンや閃光の順序に同意することになるので、その認識は客観的であるかのように見えるかもしれない。しかし、これはあくまでも観測者個人の経験や解釈に基づく主観的な認識であることに注意が必要です。複数の人が同じ認識を持っているからと言って、それが客観的であるとは限りません。客観的であるためには、個人の経験や解釈から切り離された、検証可能な証拠に基づくものである必要があります。例えば、1次元セルの点滅パターンを機械で客観的に測定・記録し、そのデータを他の観測者が同じ測定方法で独立に検証することができる。結局のところ、主観と客観の区別は複雑で、個人の認識、解釈、文脈など、さまざまな要因に影響されうる。複数の人が共通の主観的な体験をしたとしても、それが必ずしも客観的な体験であるとは限りません。
Q: さて、架空の設定ではなく、現実の設定に戻ろう。現実のどこに客観的なものがあるのでしょうか。
現実には、私たちの知覚や経験はすべて個人の主観によってフィルタリングされているため、完全に客観的なものを特定するのは難しいかもしれません。しかし、現実のある側面は、独立して検証することができ、個人の知覚や解釈の影響を受けにくいため、他の側面よりも客観的であるとみなされることがよくあります。例えば、以下のようなものがあります。
ただし、このような客観的な現象であっても、個人の偏見や見解に影響され、ある程度は解釈の余地があることに注意が必要です。また、現実の中には、客観的、主観的と簡単に分類できない、両者の中間的な存在もあるかもしれません。
Q: では、あなたの言うこの4つが、実は先ほどの架空の設定における「すべての人が主観的に同じ角度のcos関数を知覚する」ことと似ているとしたらどうでしょう。
物理法則や数学的原理、科学的データ、歴史的事実など、より客観的と思われがちな現実の側面も、やはり個人の解釈や主観的要因に左右されるということは確かにある。例えば、科学者が物理法則や科学データを解釈し、適用する方法は、科学者個人の視点、偏見、仮定に影響されることがあります。同様に、歴史的事実も、それを検証する文化的・政治的文脈によって、さまざまに解釈され、表現される。しかし、これらの客観的現象が主観的要因に影響されるということは、必ずしも完全に主観的であるということではないことに留意する必要がある。むしろ、客観的な現象の理解と解釈は、客観的要因と主観的要因の複雑な相互作用によって形成されることを示唆している。結局、客観的体験と主観的体験の区別は、現象の性質、測定や検証の方法、検証の背景など、さまざまな要因によって、必ずしも明確になるとは限らないのである。
Q: 哲学者はしばしば、客観性と神との間に関連性を見出します。この点についてはどうでしょうか。
客観性と神との関係は、何世紀にもわたって議論されてきた複雑な哲学的・神学的問題である。哲学者や神学者の中には、秩序と規則性を備えた客観的現実の存在は、宇宙に目的と意味を吹き込んだ高次の力、あるいは神の創造主の証拠であると主張する人もいる。彼らは、客観性は神の存在と世界におけるプレゼンスのしるしであると考える。しかし、客観性が必ずしも神の存在を意味するのかどうか、疑問視する人もいます。客観性は物理法則などの自然現象で説明でき、超自然的な説明は不要だというのである。結局のところ、客観性と神の関係は哲学的・神学的な議論であり、思想家によってこの問題に対する見方は異なるだろう。客観性を神の存在の証拠と考える人もいれば、単に自然界の特徴であり、自然のプロセスで説明できると考える人もいるだろう。
Q: では、結局のところ、波動関数とは何なのでしょうか?
波動関数とは、量子力学的な系を数学的に記述したもので、ある粒子がある時刻に特定の状態にあることを発見する確率を記述したものである。量子力学では、電子、光子、原子などの粒子は、重ね合わせの状態で存在する波動的存在として記述される。つまり、同時に複数の状態に存在することができる。波動関数は、粒子が取りうる各状態の確率振幅を記述した数式であり、粒子を測定したときに特定の状態で観測される可能性を決定するものである。波動関数はギリシャ文字のPsi(Ψ)で示されることが多く、一般的には複素数値の関数で表される。波動関数の絶対値の2乗は、粒子が特定の位置に存在する確率密度を与える。波動関数は量子力学の基本概念であり、量子系の振る舞いを予測・理解する上で中心的な役割を担っている。しかし、その解釈や意味については、現在も科学界で議論や考察が続けられている。
Q: 現実はヒルベルト空間上のベクトルであると言う人がいる。これはどういうことだろうか。
量子力学において、ヒルベルト空間とは、量子系の状態を記述するために用いられる数学的空間である。ヒルベルト空間は、特定の内積が定義された複素ベクトル空間である。
ヒルベルト空間は、量子系の状態をベクトルとして表現するために使用されます。システムの状態は、それぞれヒルベルト空間内の異なるベクトルに対応します。システムの状態を表すベクトルは状態ベクトルと呼ばれ、通常、ギリシャ文字のPsi (Ψ) で表される。状態ベクトルは、系の波動関数を記述する複素値のベクトルであり、系の各可能な状態の確率振幅を与える。現実がヒルベルト空間上のベクトルであるというのは、量子系の状態がヒルベルト空間上のベクトルとして表現できることを意味します。つまり、量子系の状態は、この空間における点として表現できる数学的対象なのです。ただし、これは量子系に限定した話であり、物理学や自然界の他の分野には当てはまらない可能性があることに注意が必要です。
Q: ここで、よくある実験を考えてみよう。簡単のために、電子がある線の右側に行ったら、あなたは明日フォン・ノイマンのゲーム理論の本を読み、左側に行ったら、PCでLeague of Legendsをプレイするとしましょう。では、あなたが何をしているかわからない人は、それを知るまであなたの状態は読書とゲームの重ね合わせなのでしょうか?
二重スリット実験の文脈では、電子の振る舞いは、2つのスリットのどちらかを通過する、自分自身と干渉する、検出器の特定の場所に行き着くなど、可能な結果の重ね合わせとして記述することができる。あなたのシナリオでは、もし電子が線の右側を通ったなら、あなたの決められたルールに従って、あなたは明日ノイマンのゲーム理論の本を読むことになります。逆に、電子が線の左側を通ったら、あなたはPCで『リーグ・オブ・レジェンド』をプレイすることになります。つまり、実験結果を観測するまでは、あなたの心の状態は、読書とゲームの重ね合わせの状態であると言えます。なぜなら、重ね合わせの状態にある量子系(電子)があり、あなたの心は、実験結果に依存する形でこの系と相関しているからです。量子力学では、システムの状態とその観測者を別々に扱うのではなく、一つの量子システムとして扱います。"量子測定問題 "と呼ばれるものです。したがって、実験結果を観測するまでは、あなたの心と電子は、可能な結果の重ね合わせの状態にある一つの量子系として記述することができるのです。
どうでもいいことなんだけど、どうして2月は28日までしかないの?って考えたことあるよね?
ローマ皇帝アウグストゥス(オーガストの語源?)が8月生まれで8月を31日にしたから2月の日数を減らしたとかどうとか。
ま、それは置いといて。
普通に考えれば、1年は365日だから、ひと月30日だとすると12つきで360日。
2月4月6月8月10月11月12月を30日にすればいいわけ。
うるう年だけ奇数月が31日、偶数月が30日になって、ちょうどいい塩梅になるのよね。
で、今のカレンダーって2月だけが極端に短くなってておかしくない?って思うわけよ。
ユリウス暦とかグレゴリオ暦とかカレンダーの歴史ってあるわけだけど、もうそろそろ新カレンダー作ってもいいころじゃない?
20××年1月1日から全世界一斉に新カレンダーに移行ってならないもんかね?
みんなそこんとこどう思ってるんだろうって思って。
ま、どうでもいい話なんだけどね。
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なんか書いたけどクソ長いから外国の精神科措置病棟が気になるやつは下までスクロールしてくれ。
お前らは精神科に入院したことはあるか?俺は一回もなかった。でも精神科/心療内科に通院はしてた。俺はADHDだから、毎日ストラテラを飲まないと仕事にならない。ストラテラは処方薬だから医者に行かねば貰えない。毎回医院に行って1分話して処方箋貰って金払うだけ。
ある時、俺は海外に一身上の都合で引っ越した。医療制度というのは国毎に大幅な差異がある。引っ越した先の国では生憎ストラテラは18歳以下のみの保険適用だった。やっとのことで見つけたクリニックの先生は、ビバンセを勧めてきた。言うには最新の作用機序でリタリンよりODの不安もない。そして保険適用。かつてコンサータがまるで駄目な方にしか効かなくて3日でやめた記憶もあったものの、軽い気持ちでスイッチしてしまった。
ADHDにはニ種類の薬がある、と俺は思ってる。集中力を高める薬と、気が逸れにくくする薬である。似たような響きだがまるで逆だ。後者が俺の相棒であるストラテラ、前者はコンサータ(どちらも先発名)。コンサータは薬というと聞こえはいいが、どちらかといえばヤクと読むべき、ほぼ覚醒剤である。もちろん患者が薬物依存になるとまずいので、徐放剤といってガツンとキメないように調整はされている。先生の勧めてきたビバンセもこの覚醒剤サイドで、違いといえば覚醒剤原料が体内で覚醒剤に変わるというところである。ビタミンAじゃなくてカロチンなのかくらいに俺は認識していた。間違ってたら教えて。
そうして薬をビバンセに変えたら途端に寝れなくなった。初日なんて考えてるだけで夜が明けた。今思えば当たり前で、覚醒剤なんだから眠れなくなるのは当然だ。でも俺は一日の睡眠が減っても活動できると喜んでいた。季節は夏。高緯度の日照も相まってたいそう便利だった。
しかし季節が進むにつれ、困ったことが出てきた。まとまって考えることができないのである。仕事の都合上ゆっくり腰を据えて考えられないのは致命的だ。家族にも最近まるで話ができないと呆れられている。俺は薬が足りないのだろうと考えた。先生に相談して薬は一日40mgから徐々に増え、ついには120mgまで達した。高緯度では夏昼が長いかわりに冬がとことん暗い。俺史上で最悪の冬が迫っていた。
冬になると俺の考えはいよいよまとまらず、出前一つ頼むにも1時間かかるレベルになっていた。仕事でも当然頭は微塵も回らない。上司は進捗の無さに苛立ちを隠せず、俺は完全に途方に暮れていた。家族は心配してるものの俺にも全く見当がつかない。しっかり薬を飲んでるのに…俺は焦って更に薬を飲んだ。そうして寝室に籠もって考えると、ふと人生とは詰んでいる気がしてきた。人生とは詰んでるから人生は詰んでるのだ!ただの循環論法、小泉進次郎も逃げ出すくらいのアホくさい"証明"だが、当時の俺にはQEDと思えた。そして俺は一切の社会活動をやめた。
俺は恐怖に怯えて布団にこもる。世界は詰んでるから何をすべきかわからない。俺は何日も何週も寝てないように感じた。もはや家族もこの世界を詰ませた陰謀の一角に違いない。俺は家族の一人をその首謀者と断定し、他の家族と俺は囚われているから処分しなければならないと画策した。幸いこの企てはすんでのところで失敗し、家族は俺を行きつけの精神科に連れて行った。そこでも俺は先生に向かっていかに家族が俺の世界をダメにしたか語った。診断は統合失調症、なんか薬を処方されて俺はそれを飲まざるを得なかった。そして俺は意識を失った。
意識を取り戻すと俺は大変なことに気づいた。家族は俺を陥れるのに成功し、完全に俺は世界から分断されてしまった!行動するのは今だ、そう思った俺は誰かに家族の陰謀を告白するたった5,6行のメールを2時間かけてしたためて、覚悟を決めて救急車を呼んだ。俺はこの内容を見せて告発するんだ。しばらくして警察が家に来た。俺はぱっと玄関に出た。あれ、俺は鍵かけて閉じ込められてたんじゃなかったのか?それに警察?でも俺が家族に嵌められてることを説明するには誰でもいいか。そう思い俺は警察官についていった。本当は俺が傷害罪の犯人っぽいから警察署に連れて行かれたんだけど、俺は家族が悪いと信じて決めつけている。警察官も通訳挟んでもまるで話が通じない東洋人にさじを投げたのか、救急車で措置入院と相成った。
救急車は外国っぽい青いライトを光らせて夜の山道をひた走る。救急車に本人として乗るのに怪我一つしてないのは不思議なもんだなと、妙に冷静なつもりの俺は思っていた。どれくらい走ったか、救急車は薄暗い建物の前に止まった。俺は促されるとおり建物に入った。石造りの古い建物で、照明もロクにない薄暗い廊下を右に折れて、15人位入りそうなでかい部屋に通された。巨大な机の向こうに何人か人がいて、書類に何通かサインさせられた。正直何喋ってるのか全然わかんなかった。部屋が暗かったのか、その人たちは顔だけ真っ黒に塗りつぶしたように見えた。その後は夜も遅かったこともあり、すぐ相部屋の寝室に通された。枕元にはスーパーで一番安い炭酸水のボトルが置かれていた。一杯だけ飲んで徐々にせり上がってくる不安に蓋をした。途中同房の人にトイレの場所を聞いたところ、寝ているように見えたもののすぐ教えてくれた。でも何言ってるか分かんなかったから自分で探した。
次の日起きて俺は焦っていた。なんで精神科に入院してるんだ…言ってる意味が全く分からないと思うが、マジで焦っていた。
朝起きたら何もすることはない。みんなおもむろにロビーに出たり朝飯を食べている。それがまず気に食わない。生産的ではない気がする。周りのやつの目が全部死んでるように見える。ここにいたら俺は終わりだと思った。なんのことはない、家族を仮想敵に仕立ててたのが精神科になっただけだ。なんだけど、俺は自分の危機的状況に最悪なリアクションを取った。錯乱だ。
まずはでかい声を出して職員を探した。しかしまるで相手にされない。そのまま逃げようと思って大声を出しながら雪の上を素足で走った。しかし、精神科だけに柵がある。逃げ場はなさそうだ。少しだけの理性で俺は柵をよじ登るのを諦めて戻った。すると職員が騒ぎを聞きつけて何人か集まってきた。外に出れるチャンスか?俺は必死に自分はまともだからここから出せと迫った。しかし職員はつれない態度ですぐ俺を元のロビーに戻して対応をやめようとする。なるほど、騒ぎを大きくすればするほど対応する職員も増えるんだな。それを学習した俺は更に声を荒らげて職員を捕まえた。
彼は俺にこういった。あなたがまともなら、それでいいじゃないですか。俺は焦った、こいつはこのまま話を終わらせようとしている。逆を言えばいいのか?そう思って俺は自分がサイコパスだから危険だから病院から追放したほうがいいと逆張りしてみた。そうすると職員はサイコパスかどうかは血液検査しないと分かんないですねと返してきた。んなわけないだろ、その時の俺ですら分かった。分かったが、検査を受けないと何も変わらない気もしていた。なので必死にサイコパスだね俺は危ないねと話を合わせ、とうとう採血までされるに至った。
しかしどうだろう、検査が終わったら彼は、はい用済みと言わんばかりに俺をロビーに戻すではないか。これまでの会話で勝手に検査=退院と思い込んでいた俺は完全に頭にきて、いよいよ本気で暴れた。そうすると複数の職員が外国語で(当たり前だ)何か言いながら迫ってきた。それがちょうど進撃の巨人の普通の巨人みたいに見えた俺は恐ろしくて走って逃げた。ロビーから裏の通路を通って行き着く先は袋小路。ドアが閉められたとき、俺はそのドアにドアノブがない事に気がついた。
入った部屋は6畳くらいで、日本人の感覚で言えば十分な広さだった。床はリノリウム、壁はクリーム色一色で、はめ込みの厚い窓が冬の寒々しい景色を切り取っていた。部屋には唯一つベッドが置いてあった。退院するために暴れてたのに閉鎖病棟に入れられるだって?冗談じゃない。俺はドアをバンバン叩くがまるで開けてもらえなさそうだ。覗き窓からゴミを見るような職員の顔がちらりと見える。次に俺は窓を開けようとした。割ろうとも思ってこちらも叩くがなかなか頑丈でヒビひとつ入らない。この時点で俺は寝たら廃人になると思い込んでいた。ここ10日寝てない(体感)から、寝たらパソコンのRAMのように頭に入ってる記憶知識知恵すべてが失われ廃人になるに違いないと。しかし体は完全に疲労困憊していた。トイレに行きたいが行かせてくれる気配もまるでない。いよいよ俺は錯乱して部屋の中で小用を足した。これがもしかたら窓の外から目に止まり救出されるのではと思ったが、あとから思えばもし見えたとて重度の精神病患者が暴れてるようにしか見えないだろう。ともかく俺は疲れ果てて寝落ちした。
どれほど寝ただろうか、気がついたら閉鎖病棟に寝ていた。さっきの部屋だ。少なくとも廃人というには認知能力や記憶の連続性は失われてなさそうだった。あと、漏らして寝たはずなのに服やシーツは取り替えられていた。それには少なくとも満足した。
しかし俺はあまりの空腹と便意ですぐ耐えられなくなった。部屋は暗く時間も何日たったのかすら分からない。とはいえ2大欲求が充たされないことには始まらない。俺は再度ドアを叩いた。しかし飯が全く出されない。トイレも連れて行ってはもらえない。刑務所の部屋にはトイレがついてると聞いたことがあるが、この部屋はベッドしかない。ドアをひたすら叩いてようやく職員から得られたものは、おまるですらない用を足すお椀であった。このとき俺は完全に人権を失ってることを理解した。その後しばらくして食事も与えられた。ツナと冷たいジャガイモを混ぜた犬のエサレベルのもので、俺はさらに人権がないと思って涙をこぼして食べた。こっちはよくよく考えると、実はただのメシマズな賄いだったのかもしれない。ともかく起きた日は俺の人生でも指折りの人権のない日だった。
次の日俺はまたトイレの交渉をしてみた。ダメ元だ。しかしあっさり外のトイレに連れて行ってもらえた。人は一度酷く当たられると、多少でもマシな扱いをされた時いいことをしてもらったのではと勘違いする。その時の俺はまさにそれで、トイレに行けただけで感謝した。同時にトイレに行けない可能性に恐怖した。何も口答えする気がなくなった。そしてその日はパンとバターだけ食ってたまにトイレに出て終わった。
次の日は更に良くなった。部屋の扉を常に開きっぱなしになるように、食事も他の患者たちと取るようになった。もちろん俺はクワイエットルームに逆戻りしたくないから何も口答えはせず唯々諾々と従った。病棟全体には10人ほど入院していた。そのうち数人から閉鎖室に入れられるなんて可哀想にと同情されてしまった。そうして開かれた閉鎖部屋に何日いただろうか、ほどなくして相部屋に移された。
相部屋の相手はまともな学生さんに見えた。挨拶もするし自己紹介もしてくれた。ただ、虚空に向けて話し出すときと、段ボール箱をラジオと称して実際には携帯で音楽を鳴らすときだけはヤバい奴だと思った。実際彼は軽症なのか、一週間ほどで退院していった。他の患者は古株そうに見えた。分かんないけど。常に冷蔵庫に自分の食い物を入れては食べてるおばあちゃん、常に食洗機を回すおばあちゃん、常に電話してるトルコ人の女、2chにいそうな青年、偶数日はクレオパトラ級のゴリゴリメイクで奇数日はサロペットの地味子になる女の子、みんなそれ相応に精神を患ってそうに見えた。
部屋から出られるとはいえ閉鎖病棟で自分のいる階から外には出られない。と言っても中で暮らしていくのは暇な事以外何も不自由はなかった。朝昼晩三食食事は出るし、キッチンで持ち込みの食事を作るのも自由だ。途中から家族に文明IT機器を持ち込んでもらってからは暇潰しも簡単だった。社会に触れるのは怖かったから、オフラインのゲームだけを黙々と遊んだ。ゲームは時間を埋める作業か、あるいは順序立てて行動する訓練のように思えた。ゲームでもいいから何か進捗がないと人間としての価値がなくなるような切迫感を感じてプレイし続けた。
夜は就寝時間があり、あまり遅くまで起きていると当直の人にハロペリドールを飲まされた。すごく頭が鈍くなって好みではなかったが、あの部屋に戻りたくはないから諦めて飲まざるを得ない。
先に書いた通り閉鎖病棟から俺は一歩も出られなかった。当たり前に聞こえるけど、俺だけ外出が禁止されていた。他の患者たちは毎日午後一時くらいにお散歩に出かけていた。たまには俺も外に出たいと思って参加していいか職員に尋ねたが、あなたのズボンと靴がないんですと残念そうにみな口を揃えた。自分の足で歩いて入院したのにズボンと靴が無いことがあるだろうか?しかし何度聞いても埒が明かないので、ズボンと靴は汚れて捨てられたのだろうと解釈した。家族に頼んでズボンと靴を差し入れしてもらった。そうしてズボンと靴が揃ってもなんやかんやと言い訳して外に出れず、入院して2週間たちようやく外に出ることができた。
散歩は病棟の唯一外に出る玄関を職員が開けて、その引率でぞろぞろと歩いてついていく。まず、俺が最初にいた病棟を通った。驚いたことに、この病棟は外の道路からなんの障害もなく行き来できるようだ。柵があって出られないと思っていたが、反対側は正面の入口に繋がっていた。はじめにもう少し理性があったら閉鎖病棟に連れて行かれなかったのにと思う反面、理性がないから入院したわけだし、あの錯乱状態で外に出たら車にはねられてそうだなとも思った。
この散歩、想像していたものよりずっと大規模だった。30分から一時間位精神病院の周りの住宅街を黙々と歩いて回る。歩き電子タバコに歩き火タバコで吸い殻を投げる精神病患者達に近隣住民から苦情は来ないのか、非喫煙者としてはヒヤヒヤする。患者同士しゃべりながら歩いていて、小学校の遠足くらい伸びた列を定期的に立て直す。そしてなぜおばあちゃんが冷蔵庫に食品を蓄えてるかも分かった。多分自分でスーパーに買い物に行ってるのだ。そうなってくると家なんだか閉鎖病棟なんだかよく分からない。散歩で外の空気を吸えるのは嬉しいが、また俺はここにいたら駄目になると思った。今度こそ話で退院に持ち込まねばならない。
職員はのらりくらり退院の話を誤魔化し続け、医師の診察もろくになく、どうなってるのかと思い始めた、入院一ヶ月後。小原ブラス似の職員の引率で卓球とテーブルサッカーを遊んだ帰りに唐突に俺は数日後の退院が告げられた。退院する支度中に、その職員が「あ~ここにあったわ〜」みたいな猿芝居をしながらロッカーから俺のズボンと靴を出してきたが、既に俺にはツッコミを入れる気力は残されて無かった。彼らからしてみたら、話の通じない患者にどうやって秩序を与えるか、自分の気が狂わないか考えた結果がその猿芝居なんだろう。
そうして退院して数ヶ月はものすごく不安で仕方なくどうなるかと思ったけどその後はすっかり元通りになった。相変わらずのADHD、薬を飲まねば仕事にはならない。先生も上手いことストラテラを保険で落ちるようにしてくれた。ビバンセは少なくとも依存性は無かったようで、リタリン系の薬を飲みたいとも思えない。元々飲んでキマってた訳では無いからかもしれない。そのあとめちゃくちゃ面倒なことになったんだけどそこは割愛。勝手に敵に仕立てて迷惑一方的にかけたのに見捨てない家族には感謝の言葉しかない。
同僚に「B5のサイズが覚えられないんですよ」って話しかけられた
「別にイラレとかフォトショで、そのサイズ指定するなら最初からプリセット使えばいいと思うけど」と返した
「デザイン系の学校だと、覚えるよう言われたから覚えたいんですよね」とのこと
基本的にA4とB5を覚えればあとは割ったりかけたりすればいいのでその二つを覚えてる人もいるそう
デザインする人はそんなもんなのかなと思って、「面倒な数字は基本的に語呂合わせにすればいいよ」
「257×182だから不幸な(257)18歳に(182)ぶん殴る5回(B5)とかでいいんじゃない」と提案した
それで覚えてみますとのことだったんだけど、3日くらい経って今日、「不幸な老後が何でしたっけ?」って言われて、何のことか思い出せず、何その呪いみたいな言葉って思った
たかしくんは、夜、シャワーを浴びた後で下着を新しく交換するという一般的な生活スタイルですが
このたび欲しいバイクのために節約しようと、パンツをだいたい2日に1回くらいしか替えない事にしよう、と決めました。
具体的には、今日の日付が偶数であれば(2日・4日・・・)今夜はパンツを替える日である、というルールで運用しました。
月末が31日・次の日が1日である場合は3日間も同じパンツを履く事になり、それはちょっとさすがになあ、と思っていました。
なので「例外として、今日が31日であれば今夜はパンツを替える日」というルールを追加しました。
うるう年は2月29日・3月1日と連続してしまう事に気づいたのです。
なので「もう一つ例外として、今日が2月29日であれば今夜はパンツを替える日」というルールを追加しました。
たかしくんの〝今日はパンツを替える日?〟判定ロジック(C#)
bool ShouldChangeMySexyPants(DateTime today) { return (today.Day % 2) == 0 || today.Day == 31 || (today.Month == 2 && today.Day == 29); }
たかしくん「なんだか、ルールが複雑になっちゃったなあ・・・」
ぼく「〝明日が奇数日であれば、今日はパンツを替える日とする〟というルールでも同じじゃね?」
bool ShouldChangeMySexyPants(DateTime today) { return (TomorrowOf(today).Day % 2) == 1; } DateTime TomorrowOf(DateTime d) => d + TimeSpan.FromDays(1);
まあお客さんによっては、「いややっぱり前者のロジックの方がいい。社内の業務のマニュアルにそう書きまくってるから・・・」という話になって
やっぱりロジックは替えずに行こう、という事になったりもするけどね。
だから何なんだ。。。
誰かオチつけて。
ボディーやネック、ヘッドの形状、ピックガード、スイッチ・ノブ・ピックアップの位置と個数はギターのモデル同定における重要情報である。
これを適当に描くと「100000人に1人くらいも聴かない特殊な音楽をやっている人」や「こだわりマン」「特殊な趣味に沿ってギターを改造している人」「ギター変態」「オーダーメイダーのギターオタクおじさん」等のキャラ付けがされてしまう。
漫画のキャラの使用ギターのモデルは大体同定されているので、画像検索してポイントを抑るべき。
何がギターで何がギターでないかというのは特に現代エレキ弦楽器では難しい問題であるが、ここでは弦に注目して6コースをEADGBEに調弦するものとその派生楽器をエレキギターとする。
またソリッドボディ(中空でない板切れボディ)かセミホロー(中央は詰まってるが左右は空洞でヴァイオリンみたいにfホールが開いてる)に電気系アッセンブリが載っているものだけを取り扱う。
※今日よく見る弦楽器は1本の弦で1つの音を弾く(単弦1コース)が、複数の弦で1つの音を弾く(2弦1コース,3弦1コース)楽器もある。1つのまとまりをコースと言う。弦の間隔が一定でないので目視で判別可能。リュートのように1弦は単弦だが2弦は復弦ということもあるので注意
弦がボディ上にある(ネックフがない)。→チター系。 ↓ 弓を使う→スカスカボディならエレキバイオリン等。 ↓ 弦が6コース未満→おそらくベース。小さいならマンドリン、マンドラ等、5弦のものは南米系。ネックの途中に糸巻があったらバンジョー。 ↓ 弦が6コース以上でネックが太く弦がボディのお尻のあたりまである→多弦ベースかチャップマンスティック等のタップ楽器。 ↓ 弦が6コース以上でネックが太くなく弦がボディの中ほどまで→ギター。まれにバリトンギター。※弦を載せる駒が中央にあって、弦自体はもっと伸びていることもある。 ↓ ネックの上の線が斜めとかぐちゃぐちゃしてなんか気持ち悪い→めんどくさい人が持つめんどくさいギター。弦やネックがボディのお尻付近まであるのは多弦ベース。 ↓ そもそもネックがたくさんある→1本くらいはギターになっていることが多い。ネックが3本以上あるものは特殊な変態ための変態的楽器。今回取り扱いません。 ↓ ネック以外にボディにも弦が張ってある→おそらくエレキシタール(シタール風の音を出すギター)。ボディに張ってある共鳴弦はあんまり意味ないらしい。
一般に右利きの人は左手の指でネックにあるフレットを抑えて音程を決め、右手で「ボディにある謎の四角」のあるあたりを弾く。
※「11フレットを押さえる」は「11フレットと10フレットの間を押さえる」の意味でフレットそのものは押さえない。
そのため左利き用を弾くほかに、我慢して右利きにする、右利き用を左利き用にセッティングして弾く(ジミヘン)、右利き用を右利きのセッティングのまま左利きで弾く(アルバート・キング等)がある。
エレキギターの場合、スイッチやコントロールノブが演奏の邪魔にならない位置に集中しているが、左利きが右利き用を使うとそれが邪魔になる。
ボディとネックの接合部ではボディが左手の邪魔になるので多くは切り欠き(cut-away/カッタウェイ)がある。
ボディの上には謎の四角、保護カバー(ピックガード)、スイッチ・ノブ類がついている。
ストラップをかけるピンは多くの場合ネック接合部の上とネックの延長線上にある。
ケーブルをさすジャックはボディ表面に斜めに挿すタイプ、ボディ表面にまっすぐ挿すタイプ、ボディ側面に挿すタイプがある。
弦の終端は弦を載せる部分(ブリッジ)と弦を留める部分(テールピース)が別になっているものと1つになっているものがある。
ブリッジ近辺には、音を変えるためのレバー等の特殊機構がついていることがある。
ネックはボディの中心線に上に生えていて、フレットが打ってある。奇数番のフレット間にはポジションを見失わないためのポジションマークという印がついている。
ギターやネックの縁は装飾でくっきりしているものと装飾がなくて木のままのものがある。
ネックの先端をヘッドという。ヘッドはネック本体より下げる(ギターを抱えたときネックより体側にある)ために、ネックから斜めに生えているか、1段さがっている。これは弦にテンションをかけるため
↓こういうこと。弦の振動部分の端より弦を留める位置を下げたい。
ネック←/△ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄△\→テールピース
弦の振動を磁石とコイルで電気信号に変えるパーツです。弦の裏にある謎の四角。マイク。
こんなちんすこうみたいのが基本のシングルコイルタイプ(テレキャスターで検索したとき斜めについてるヤツ)。
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シングルコイルにカバーをつけたもの(テレキャスターで検索したときの銀色のヤツ)。
これを逆方向に2個セットにしてノイズを減らしたハムバッカータイプ。
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ハムバッカーにカバーをつけたもの(レスポールで検索したときの謎の四角)。
大きいシングルコイルのP-90(マウント用の耳、↓の<>部分の有無で2タイプ)
達磨型のボディに下側をカッタウェイ。表面はブリッジのところが盛り上がった曲面。塗りつぶし塗装と木目が見える塗装がある。
三角のピックガードはとりはずし可能(ボディが曲面なので浮いていて支えあり)。
丸いノブが4つ。
ブリッジとテールピースは分離(Tune-O-Maticという名前がついた機構)。
スイッチが1つ。
ジャックはボディ側面。
ヘッドは羽子板状の板がネックから斜めに出ている。糸巻は左右3個ずつ。
高級感のある仕上げの「カスタム」、装飾を減らした「スタジオ」等のバリエーションあり。
ピックガードは固定。
テールピースは簡易版の一体型。
両サイドをカッタウェイしたクワガタみたいな形状。尖っている。角が斜めに切り落とされているがあとは平ら。
ピックガードは片側だけのものとブリッジまで届き全面の半分を覆うものと2タイプ。
ブリッジとテールピースはTune-O-Maticでテールピースがなんかでかくてレバーがついてるバージョンもある。
ストラップピンがギターの左の角ではなく、ネックとボディの接合部の裏についている。
あとはレスポールと同じ。
ヘッド落ちといって重量バランスの関係でネックから手を放すとヘッドが下がっていく。
本家のギブソン製よりカッコよさを真似た各ルシア―の類似品のほうが目立つ。本家でない場合ギターとして破綻していなければ大丈夫。その分本家を描く時は注意が必要。
ギブソン製はV形状ボディ、ヘッドはものによって形状が違う。本家は意外と尖っていない。テールにブーメラン型の飾り。アルバート・キングをはじめブルースギタリストの御用達だった。
メタラーなどが使う本家でないFlying-V系ギターはメーカーごとにいろいろだがボディが左右非対称だったり、テレキャスターのヘッドをとがらせたようなヘッドをしていることが多い。
蝶々型のボディで片側カッタウェイ。縁は角にならない程度に丸めてある程度。
基本系はシングルコイルピックアップが2つ1つはカバー付き、1つは斜め。
ネックは簡素な1本棒、ポジションマークはドット。ヘッドもネックと1体の木で段差をつけて削りだしてあるだけ。特徴的な形のヘッドで片側6個の糸巻。
うにゃんとしたピックガードは固定。
ブリッジは3Wayブリッジとよばれる3本パーツのものかノントレモロタイプの6パーツのもの。テールピースはボディの裏に6個穴が開いている。※つまりボディ裏から弦を通す。
その他電気系アクセサリーはノブ2つにスイッチ1つを全部乗せしたアッセンブリを載せる工業製品タイプ。
ピックアップやアクセサリーがレスポールの真似をしているもの、ヴァイオリンのような穴があいているもの、謎のレバー、3弦の後ろの謎のパーツなど多数バリエーション・オプションパーツあり。
それの見分け描き分けはこの記事と同じくらいの分量のテキストが必要になる。テレキャスター警察を避け、有志が同定したモデルを参考にするべき。
ボディは左右差のあるカッタウェイ。縁は大きく丸めてある。たてたときのボディ左下(右ひじが当たる部分)は緩く削ってある。ボディ裏も削ってあります。
ピックガードは固定。ジャック以外のアッセンブリは全部ピックガードにONという工業製品仕様。
ボディ右下に斜めに穴があってそこにジャック。
ブリッジはトレモロブリッジというレバー付き(レバーは外せる)かノントレモロブリッジというレバーなし。
ヘッドの形状がテレキャスターより大きい。丸い部分と飛び出た部分が大きい「ラージヘッド」と2種類。
上記ギターのあいのこを作り続ける第三の企業と類似品。この部分はストラト、この部分はレスポールと分けて理解すれば描ける。同定されたギターがあればそれを観察すること。
セミホローで鷹の爪のような穴が開いてる。セミホローはソリッドよりボディがデカい。全体につるっとして尖ったデザイン、ピックアップカバーが独特。
「そしたらベンジーあたしをグレッチで」のグレッチ。高級品っぽく描くこと。
穴が開いてるのはホワイトファルコン、穴が開いてないのはホワイトペンギンを参考にすれば大丈夫。
ブリッジとテールピースが別でテールピースは古のギターのお尻から吊るやつになっていて、おおむねレバーがついてる。
レスポール、テレ、ストラトが描ければ対応可能なはず。ヘッドレス(ナットの先にテールピース、ブリッジの先に糸巻がある HohnerやKlein)やフロイドローズ(ブリッジが複雑)には注意。
熊ってやっぱメタファーとしては毛むくじゃらの男性だとおもうんですよね
おしりとかだしたら一等賞ってそれかくれんぼの遊び方じゃないですよね
だと順位をつけたのはくまおじさん側の中のなにかの品評基準な感じがする
夕焼け小焼けは黄昏時昼と夜とが混じって世界が見えにくくなる時間帯だね
また明日のリフレインはかくれんぼのらしき分散配置と接触の関係性をもっていた子か娘か指定がないので人間の年少者に限らず自分の愛でる対象たちの別れの様子なのかそれとも自己反復いいきかせでくまおじさん内部で反復してるのか謎がふかまりますね
いいないいなは自己評価自分が人間でこんな楽しみを味わえるなんていいものだということとまた明日の意味で中身がおおきくかわるかもしれない
一日の終わりはプライベートな時間を他人の時間を妄想したりするということはもうすでに脳内ではキャプチャーしてるということですよね
黄昏からの娘か子かのそのことの時間がもう現実か妄想かわからなくなってる
僕もお家に帰ろうというのは今日のルーチンをおさめようということだよね
なにかひとしきり達成したんだ
黄昏時になり何かが天地逆転してもわからない感覚になってバイバイとなにかに別れを告げる
いったいバイとは何なのか何をしたのか何を達成したのか
きになるとこかなって私は子供心にきいてたよ