はてなキーワード: 基地問題とは
たとえば、社会保障の費用がヤバい、年金がヤバいというのはわかっているが、じゃあ市井の人間としてどうしたらいいのかわからない。
消費税上げられるのは嫌だが、かといって社会保障が崩れるのも困る。
気付いたら消費税はどんどん上がっているが、躾けられた犬のように従うほかない。
少子高齢化も子供を産むくらいしかできることがないが、それ自体がまずハードモードな現代だ。
沖縄の基地問題。東京都民にとって辺野古移設に賛成か反対かと聞かれたら、
そもそも辺野古移設に(沖縄に基地があること自体にも)正当性はないと感じるが、じゃあ日本のどこに置くのかと聞かれたら
Googleが、Facebookが、Appleがあなたのデータを集めて商売をしていますよ。ビッグブラザーになりえますよと言われると
怖いなぁと思うのだが、いまさらこの手のサービスを使わずに生きるのは、冷蔵庫や洗濯機がない時代に戻るように感じる。
じゃあ、どうしたらいいのかと聞かれるとよくわからないので、使い続けるほかない。
はてぶを見ていたら、セックスの同意がどうのこうのという議論を見かけた。
なるほど、同意を取りましょうというのは正しい、しかし同意を取ろうとする行為自体がまた別の問題を生み出すのだそうだ。
どちらの言い分もわかるが、とにかく面倒な世の中になったと思う。
しゃらくせぇとけちらしたくなるが、そのようなカタルシスが別の問題を生み出すことは容易に想像がつく。
私ができるのは、そういう面倒なことを言わないパートナーとうまく出会うことだが、それもまたハードモードだ。
複雑化し、簡単にYES/NOで答えられない問題ばかりが山積する世の中では、すぐに思考停止に陥る。
そもそも生きるので大変なのに、そんないっぱいのこと考えられない。
昨年ブームとなり、
そのサビで踊られるダンスのフリのことだ。
何人の日本人がそれに気付いているだろうか…。
おそらく何割の方はそれに気付いており、
このブームをバズらせる事に荷担してもいたのだろう。
そうは思っているのだが、
どのくらいの人数にそれが共有されているのだろうか。
そう不安にも思っている。
イイネ!と形容するくらいだから、もちろん良い意味で受け止められているのだろう。表面上は。
当然「Good!」を意味するジェスチャーから来ているのだろう。
しかし、
その曲に合わせシェイクする腕の振りに違和感を感じないだろうか?
その腕の角度と位置が高すぎるのだ(元ネタとされるshootダンスと比べても)。
そしてまた、その仕草は身体を画面に対し横を向いて行われるのだ。それはなに故だろう。
その立てた親指が描く軌跡が、親指がどこを通過しているか。
その意味を少し考えたら、その違和感の答えが分かるのだはないだろうか。
親指を下に突き下ろす仕草は、相手に否定の意志を示す行為であり、
その親指を首の前で通過させる仕草は、死ね!殺すぞ!という意味である。
そしてこの手の動きとセットとなっているのが、足で何かを踏みつけるような仕草でもある。
C'mon, baby アメリカ
これはちょうどイイネダンスが踊られている時に歌われてる歌詞である。
この、密かに重ね合わされている意味を、どれだけの人が自覚的に使っているのだろう‥。
無論、これはそう解釈できる…という話であって、振付師の意図を決めつけているものではない。
ただ、そんな解釈もしうるダンスを、あなたの家族や子供にこのまま踊らせていても良いとお思いでしょうか?
今なお気になって仕方がない。
いかがだろうか…。
ついでに蛇足ながら…、
それは単なる外部評価としてあるのだけではなく、
曲そのものの中に、相反するままに、貫かれているような気もする。
まず、今上げたC'mon baby にあるように、戦後ずっと常に日本を指導し先導し父親のようなポジションにあったアメリカを、あたかも目下の対象であるかのように呼びつける構図を描いている。
これは、昨今多少批判的に言及されるようにもなってきた「日本スゲー」勢を満足させる構図でもある。
アメリカを挑発し、見下し、かかってこい!と挑発しているのである。
気持ちの上では。
その潜在的な意味を、意識的にか、無意識的にか、人それぞれの割合で汲み取られていたことによって、この歌は、この時代に、必然的な条件を揃えて一大ブームとなっていたのだろう。
気持ちの上だけでは。
そう。潜在的な願望としては持っていても、直接面と向かって宣戦布告はできない。その度胸は無い。
横を向いてその意味を隠し、最初にイイネのサムズアップを強調することで言い逃れをまず先に用意しているのだ。
ダサイけれど、完全に服従している訳ではないという秘めたる信条がカッコイイのだ。
それは、夢を見せて成長の原動力を与えたくれた…という意味ではあろうが、
叶うはずのない夢を追って身を持ち崩すよう動機付けられたとも取れる。
サクセスの味方を organizer
成功の道筋を付け導いてくれたというように解釈すべきではあろうが、
儲けに繋がる見込みのない者には一切目もくれられないとも取れなくもない。
C'mon, baby アメリカ
英文の部分の意味は逆さに解釈するのだとすれば、この言葉はこうなる。「こっちに来ないでくれ」と。「アメリカよ、もう日本に関わってくれるな」と。
どっちかの夜は昼間
我々が、日本が、現状「夜」であることは、今、これまでが、アメリカが「昼間」であった事と必然的な関係となっているのだ。
…と、
しかし、こうも歌われている。
競合してくジパングで
より強くアメリカナイズされた沖縄は、日本本土に対して先行する存在だ!と、そこで育った若者としての自意識はあったりするのだろう。
しかし、そんな沖縄は基地問題にもあるように、日本本土から負担を一方的に押し付けられて続けている存在でもある。
どっちかの夜は昼間…その沖縄の「夜」を産み出している「昼間」とは、単純にアメリカとしてよいのであろうか、それともその標的は実は日本本土を指しているのであろうか。
それらをひっくるめて歌われている。
C'mon, baby アメリカ
これをただ無邪気に歌い踊っていてよいのだろか?
その親指を地面に向けて突き立てているその矛先は、どちらを向いているのだろうか…。
現政権が良いんじゃなく一回やらせてみよってやった政権交代のおかげちゃう
あの全方位ええとこ無し加減思い出すと相対的に評価甘くなるのもしゃあなしって思えるわ
あの時大企業も下請けも派遣も就活もやばくて政治と金の話に失言に大臣交代に口蹄疫とか震災のお粗末さも全部盛りでやばかったやろ
外交も尖閣国有化からの中国反日デモとか竹島上陸とか今のこじれてる沖縄の基地問題もあそこ発端やろ
その時点で何年もかけて説得して決まってた話を県民煽って県外移設言ったのはええけど実は何の考えも根回しもなく思いつきで勝手に移設先挙げてそこの知事キレさしたり啖呵きって1日経たん間にあそこに基地ないとアカンて理解したみたいに言ってたのやばすぎて笑ったの覚えてるわ
あと政権交代前の短期政権連発の不安定感とその時の経済の感じ重なって思い出すとかちゃう
翁長県政時代の流れを見ていれば辺野古への基地建設が遅らせこそすれ止めようがないことは誰だって少しは分かる。(そんなことは誰も口には出さないだろうが。)
それでも、玉城候補はおそらく事前の予想より差をつけて当選したことになるだろう。
自民の支援を受けた佐喜真候補は辺野古を争点にすることを避けた。或いは、受け入れることを明言して、論戦になれば、選挙戦の展開はまた変わっていたのではないか。
基地問題と一言で言っても普天間以外にも、嘉手納や名護だって基地や関連施設は存在するし、辺野古に移せば沖縄から米兵がいなくなるわけではない。
結局のところ、本当に米軍とその基地から生ずる沖縄の歪みを解決するためには、行き着く先は日本とアメリカ、その関係のあり方を問いただすほかにないのだ。米軍の傘の下冷戦にあっても経済の発展を成し遂げ平和を享受してきた日本にとって、あまりにも難しい問いかもしれない。沖縄県民だってその傘の下で生きてきたことは事実だ。
それでも我々はメッセージを発してきたし、これからも発し続けていくのだろう。我々の訴え方にもおかしなところもあるように見えるかもしれないが、それは県民それぞれの心のうちにも葛藤を抱えていて、立場が変われば抱える事情も異なるからこそである。
左右いずれもガチガチの政治家は、いつまでもガチガチのまま、一割の支持者層で人生を終えてしまいます。私は共産党の人たちにもずっと言い続けました。
「政権を取るぐらいの気持ちで政治をやらなければ、いつまでも一割政党でどうするのですか。これが正しい、あれが正しいと言って政権も取れず、あなた方は政党として支持者に応えているのですか。あなた方を信じて何十年も付いてきた支持者に不誠実ではないですか」 一割で正しいことを言っても、残りの九割に誰も興味を示さないのなら、政党としてやっている意味がないのではないか。 現在の日本の政党状況のように、「一強多弱」では政治が行き詰まってしまいます。それぞれ一定程度の勢力を持ちながら勝ち負けがあるからこそ政治に緊張感が生まれ、民意がそこに反映されるのです。それは政治家がいつも意識していなければならないことだと思います。
私は革新側も批判しています。「憲法九条があるから日本は平和だ」と主張する人たちは、憲法の埒外にあった沖縄の負担のもとで、戦後日本の高度経済成長、平和の継続があったという視点が抜け落ちています。
今の日本の政治はまったく民意を顧みない。国権の最高機関たる国会も、行政府の監視という役割を果たしておらず、与党内においても異論が封殺されています。日本の民主主義が危機に直面しているのです。
そればかりか、「(普天間基地の)もとは田んぼで何もなかった」「基地の地主はみんな年収何千万円」と発言した有名な作家のように、自分たちで日本の安全保障を守ろうという気概もない人たちまでもが、実態とかけ離れた暴言を吐いています。そこには沖縄に対する無知と無理解、差別意識があります。
沖縄という小さな島が、日米両国という大きな権力を相手にして戦うことは困難を極めます。 そうした状況を前にして、「沖縄は独立することを考えているのですか?」という問いが発せられます。 そして、そんな問いを受けるたびに、私は沖縄県民がここまで日本国民として受け止めてもらえないのか、と絶望的な気持ちになるのです。
もちろん、独立論は沖縄で積極的に支持される意見ではありません。これまでは居酒屋談義とされてきました。独立論がまじめに語られ始めた原因は、むしろ本土側にあります。 基地削減を求める沖縄県民の声が無視され続け、これに対して「日本の四七分の一として認めないのなら、いっそ日本というくびきから外してほしい」「独立すれば沖縄の意思で基地をなくせる」という気持ちの表れとして独立論が語られます。
今後、事態の成り行きによっては、独立の意思を表明する人たちが、沖縄から数多く出てくるかもしれません。しかし、それ自体が沖縄の不幸につながると私は思います。
そして、沖縄の独立を語る前に、日本本土が覚悟を決めて、米軍基地を全国で受け入れて、しっかりとした日米同盟をつくってもらいたいと私は思っています。日本国民一人ひとりが、基地問題を自分のこととして考えて、そしてその集約が日本の政治をうごかしていくようにならなければ、真の民主主義がこの国に根付くことはないでしょう。
沖縄の基地問題は、結局自治体と国の闘争という単純な話ではないのだ。基地問題に限らず、政治に関する無関心は、最終的に、大きな民主主義の傷となって日本国を蝕んでいくだろう。
ところで、この場合、基地問題の議論を終着させるのは誰の意見なのか?日本国民の多数決?沖縄県民の多数決?まぁ、現時点ではおそらくそれのどちらでもなく、「政権の多数決」なのだろうな。
まぁ、「多数決」が「民主主義」と思っているような人も多いので、この国の民主主義には期待できそうにもない。(ヘーゲル弁証法や「止揚」は、現社でやったっけ?)
本日、沖縄県知事として尽力された翁長知事が本日永眠されました。67歳でした。
もともと翁長知事は沖縄自民党の幹部中の幹部で、翁長知事の前の知事である仲井間知事の選対本部長として仲井間県政の立役者として活躍した実績もあり、翁長知事の個人的なキャリアとしては、このまま自民党系の那覇市長であった方が安泰だったのかなぁと思います。
しかし、そんな翁長知事が安泰のキャリアを捨てて、不倶戴天の共産党と手を組んで、オール沖縄を地元経済界も巻き込んで作り上げたのは、当時びっくりしました。その結果、難攻不落と言われた自公政権を打ち破ったことは、歴史が一つ動いたような気持ちを抱きました。
県民の期待を背に誕生した翁長知事ですが、在任中はひたすら国との闘いでした。
辺野古の埋め立て基地に関する法廷闘争はもちろん、知事としての権限を法律の範囲内で最大限使い、工事を遅らせるように努力をしました。
そもそも、新基地反対を掲げて、大差で当選したことから、県民の総意としては基地反対が立証されていますので、その声に答えて基地建設工事に抵抗するのは当たり前です。
しかし、本土のマスメディアは冷ややかに受け止めるものもあり、中には翁長知事の政策と何も関係がない「カツラ」疑惑を書き立てるものもありました。沖縄県民が基地反対のデモや運動を炎天下のなかしていても、あれは大陸系のコミンテルンの手先、日当が支給されているといった怪情報が流されていました。あー、やっぱり基地問題は、日本の問題ではなく、結局沖縄の問題という認識が、本土の認識なのか、そんな気もしました。
そんな逆風の中でも翁長知事は、ひたすら先頭に立って、基地反対の運動を繰り広げてきました。
翁長知事が基地反対運動をしたのは、純粋に沖縄県民としての気持ちだけでなく、基地が無い方が経済効果が高いという事実があったからです。実際基地がいなくなってできた空白地には、大型ショッピングセンターといった商業施設が生まれ、基地でもたらされた利益以上に高い利益を生み出すことができました。
このような現実が、沖縄経済会からも支持を集めて、オール沖縄体制が生まれたわけですが、この理想主義としての基地反対、現実主義としての経済振興といった2つの視点を持っていた知事の方向性はやはり間違っていなかったと思います。
話が少し脇にそれますが、今年は長年沖縄問題に関心を抱いてくれた野中広務氏が永眠されました。
野中広務氏も、自民党幹事長も務めた人物ですが、やはり根っこにあるのが、平和主義でした。そんな平和主義のバックにあるのが、1945年の太平洋戦争です。
あの戦争では、沖縄県では20万人の死者を出した残酷なものでした。
しかし、そんな過去を無かったように忘れて、基地問題を沖縄県の問題に矮小化しているのが、現政権です。
翁長知事こそ、保守政治家だったといえます。同様に、日本を代表する保守政治家である野中広務氏が去ったことは、今年は何かしらの意味があるように感じます。
保守という言葉が、現在は排外主義、弱肉強食のような意味にすり替わり、弱気を助け、強気を挫くといった浪花節は無くなってしまいました。
次の知事がどうなるかわかりませんが、翁長知事の死はオール沖縄にとって大きな打撃であることは間違いありません。
とりとめもなく書きましたが、最後に言わせてください。
翁長知事、お疲れさまでした。
沖縄の未来を本気に考えて、病に侵されながらも身を削って頑張って頂きまして、本当にありがとうございました。
沖縄で生まれ沖縄で育ち、沖縄で働いている純ウチナーンチュである身として、一度は教養としてみておくか、と思い、宜野湾市民会館で上演された、沖縄お笑い米軍基地14を見に行った。
沖縄のローカルラジオ、テレビではひっぱりだこで、県内に知らない人は(たぶん)いない芸人さん、小波津正光さんことまーちゃんさんが座長として企画・脚本・演出を行っているコントショーが、この「お笑い米軍基地」である。
今回で14回目を数えるこの公演は、沖縄では非常に人気が高く、私が見に行く旨を人に話す度「あい!いいはず~感想聞かせてね~」という反応はあれど「なにそれ?」という人は誰もいなかった。実際、1200人キャパの会場はほぼ席が埋まり、私が行った公演以外にもあと何回か沖縄県内各地で上演されるということである。そもそも毎年上演し、今回で14回を数える辺り、企画側の熱量とそれを受け止めるだけの県民の人気があるんだなあと感じる。
コンセプトは「基地を笑え!」。沖縄県の面積の内およそ10パーセント以上を占めており、沖縄県について語られるときに必ず問題の一つとして触れられる米軍基地だが、ぶっちゃけ県民の(主に若者の)大半は「反対運動とかが激しいのってあれでしょ、本土から来た人とか政治団体とかそういう人たちなんじゃない?…わかんないけど…まあなんか窓とかヘリとか飛行機とか色々落ちてるし、戦闘機はうるさいからまあ、なくなるならもちろんそのほうがいいけど、わざわざ座り込みとか行くのは違うかな~左翼とか右翼とかよくわかんないし…」などと言う人がほとんどである。(あくまで私の体感ではあるが)
若者の政治参加の主体意識が足りない!と言われてしまうとほんとその通りではあるのだけど、恥ずかしながら私もそういったその他大勢のひとりである。正直基地がどうとか言う前に、政治してる人たちは生活に密着した問題からどうにかしてくれ、と思う。子どもの貧困とか。いや、その辺とも繋がってたりするから根深いのか?よくわかっていない。
山積みになっている沖縄県の問題のど真ん中にドンと居座り続けている「基地問題」。そこをどう笑いに落とし込むのか。前評判は良すぎるほど良かった。期待半分不安半分で会場に足を踏み入れた。
そして観終わった感想だが、「100点!最高!面白かった!」とは正直まったく思えなかった。
なお、細かい内容は「SNSには書かないでください」というアナウンスがあったので割愛する。
まず、全体を通して(「米軍基地」という「沖縄県民にしかわからないあるある」を扱っている以上、前提がそうなので当たり前ではあるのだが)めっちゃくちゃ内輪ノリがすごい。
そこがハマると面白いのかもしれないけど、沖縄県は究極の「ムラ社会」の文化なので、各地域の文化の隔絶もすごい。なので県民でも「いや、わかんねーし…」が結構多く、ハマらないとむしろ見続けるのが非常にしんどくなる。最後辺りには完全に「業界の内輪ネタなんだな」とわかるものだけでひとネタ作られているものもあり、関係者席らしきところからは爆笑すら聞こえたが、業界人でもローカルテレビ大好きマンでも何でもない私は正直置いてけぼりだった。
沖縄県にはM-1グランプリならぬ「O-1グランプリ」という番組がある。お正月時期に放送される、名前の通り沖縄の芸人の1番を決めるという番組だ。そのネタを見てもらえばわかるが、沖縄の芸人は「沖縄らしさ」を前面に出したコント・漫才、つまり「内輪のあるあるネタ」を組み込んだものを作ることが圧倒的に多く、またレースにおいてもそのほうが有利である。その番組にはもちろん今回の「お笑い米軍基地」に参加しているFEC(沖縄にある芸能事務所「演芸集団FEC」)の芸人さんも数多く出場しているので、その流れを汲んでいるのも当然といえば当然である。
そして、気になったのは「お笑いだから」「俺たちはバカだから」という言葉を盾にした、差別やいろんな権利の侵害の嵐だった。もちろんすべては洒落であり、まじめに取り合うほうがアホであるというのはわかるのだけど、正直現代の「ボーダーレス」な風潮からは相当遅れた認識があるんだなということは感じた。
私個人として特に興味があって学んだこともある界隈の問題だったのもあって、過剰反応してしまったところはあるが「いや、ダメでしょ…」と引いてしまうような描写・演出が非常に多かった。
違和感の何よりの原因は、前説で座長が「所詮俺たち三流芸人の言うことなのだから怒ったりしないで聞き流してほしい」という旨の発言をしていたことだったと思う。
私たちは無意識に差別をしてしまうものだし、気づかずにだれかを傷つけてしまうのは仕方のないことではあるが「差別?いやいやネタだから。何マジになってんの?」という言い訳を用意してしまうのは、ちょっと違うなあと感じた。この公演に誇りをもってやっているのなら「差別的な表現かもしれないが、より伝わると思って選択した」と言い切ってほしいな、と思った。イジりとイジメの境界線はあいまいだが、「強者や権力を笑うのがお笑い」だというならば、自分たちが本当に強者としての力を持っていないか?というのも常に問い続けてほしい。
また、全体を通して「左」より「右」を笑うことが多かった、というのも違和感のひとつとしてあった。どっちも滑稽な部分はあるのだからもう少し両方を笑ってくれたらよかったのかな、と思う。あと「右」を揶揄するネタの時に、笑いどころでもなく盛り上がりどころでもないセリフで「よくいった」というようなかけ声や拍手があがっていたのは驚いた。どちらでもないフラットな状態で見に来たつもりなのに、いつの間にか政権批判団体の集会に参加させられていた、みたいな気まずさがあった。怖い。
以上のように全体的に右寄りかつ品がなく沖縄県民の県民性の悪い部分を煮詰めたような「内輪に甘い」感が強く、正直全体を通して「また行きたい!」とは全く一ミリも思わなかった。私は特にスクールカースト下層だったタイプの人間なので、沖縄の芸能界に蔓延する「スクールカースト上層部っぽいノリ」(ウェイ感とでも言うのか)にはついていけなかった。この辺はたぶん好みの問題なのだろうと思う。
ただ、ここまでゲロカスに批判してきたが、この公演を見たあと、文句を言いながらも私は「じゃあ右や左のそれぞれの主張ってどうだったけ?」「ほんとうにこの芸人さんたちが言っていたことは正しいのか?」「自分は偏っていないのか?」ということをいつの間にか考えていた。
まーちゃんさんの著作を図書館で借り、基地問題についてネットで自主的に調べ、右翼と左翼についても少し勉強した。
そうして、ハッと、こうして主体的に考えているこの行為自体が、この公演のねらいである「基地について、何かひっかかりを感じて考えてほしい」というところにばっちりハマってしまっていることに気が付いた。
なるほど、ならば。この公演は私にとって意味があったのだなと納得できた。してやられてしまったな、と思った。チケット代2000円もったいねえことしたわ、だったのが、安いじゃん、になった。
エンディングで歌われたFECの社歌の中に「とにかくやることを大事にしている」というような歌詞があった。沖縄県民は先ほども言った通り「内輪に甘い」。そして変化を嫌う。そんな中で新しいこと、前に進むようなことをするのは、本当に難しいことだと思う。勇気がいることだと思う。「まじめ」をバカにする風潮のある沖縄で、「まじめ」にバカをやるというのも、ほんとは難しかったんじゃないかなと思う。その勇気に敬意を表して、私はこの感想を書こうと筆をとった。「とにかくやる」そしてやることで誰かを動かす、それはほんとうにすごいことだ。と、何もできない私は思った。
でも、個人的におもしろくなかったのは事実なので、沖縄の芸人さん各位にはマジでもっとがんばってほしい。笑いどころを説明してしまう癖があって全体的に冗長だと思う。言葉選びが雑。オチやツッコミのワードが説明的で長すぎる。「金の斧銀の斧」のいさお名護支部さんのくだりと、タイワンオオカブトの幼虫のくだりは勢いがあって好きだった。
12/23にマクドナルドひめゆり通り店で計算ドリルをしてた若者に伝えたい。
読んでくれるといいんだけどなー。春休み前までに書こうと思ってた。
結論を先に言っておくと、「計算ドリルやってる場合じゃねぇ!!もっと先に進めて、そんで大学進学を目指せ!沖縄の将来は君にかかっている!!」
ってことを言いたかった。
10年ぶり??くらいに沖縄行ったんだけどね。
飲み屋がよかった。。地元の人たちが「一緒に飲もうよ~」なんて手招きしてくるのね。
帰ってきてからも泡盛にハマってしまった(笑)。いまの時季お湯割りがいいねぇ。。
正直僕は南国とかリゾートとかあんまり興味なくて、青い海ウエーイみたいのには無縁なんだけど、
だからこそなのか気になったのだけど、、、沖縄の新聞めちゃくちゃ偏ってるね(笑)。驚いた。
ひょっと旅で行った他所の人(僕ね)が感じることだから間違いないかなと。地元のひとはあれが普通になってるのかもしれんけど。
某掲示板もよく見るんだけど、沖縄のマスコミ叩きがもはや沖縄叩きになってないか?
あれは一体誰がやってるんだ??暖かい沖縄にいて、妙な違和感を感じたわ。
そして、いろいろ見て思ったんだけど沖縄はたぶん仕事探すの大変だろーなーと感じた。
もしも日々の生活にいっぱいいっぱいになったら、バランスのとれたモノの考え方はできないと思うのね。
今回の旅でがんばってる業界も見れたけどね。
あと、やちむん通り?はすげー賑わってたな。焼き物職人で食ってこうってのはなかなかにステキだ。
あまり仕事の数はなさそうだね。。(そもそもフリーペーパーにはそんなにいい仕事載ってないかもだけど。)
今回見たので多く目についたのは、オンラインゲームやらブログの監視。
ゲームやブログで暴言吐いてるやつがいねーか監視する仕事だねきっと。
最低賃金が安い地域に拠点を置いて、安く済ませようってことだろうね。
仕事少ない地域に雇用が生まれるのはいいことだけど、将来より高い給与は望めないよねきっと。
安く済ませようってのは経営判断としては当然だよね。
でもこれって結果的には、沖縄はいいように使われてないか?東京で雇うより安価な労働力として。
その一方で、スーパーやコンビニの物価なんかは東京と変わらないのな。離島ってのもあるかもだけど。
安い賃金に、都会と変わらない物価、、となれば生活は厳しくなるよな。。
昔来た時にはたぶんなかった、外国人観光客向け高級ブランド物屋が死ぬほど入ったハコモノなんかができてたけど、
アレも沖縄の雇用の創出にはそこまで貢献してねーだろーなー。店員さん中国人だったしな。
でも、経営する側は地域の利益より会社の利益を優先するからこれも当然だよね。自分たちでなんとかするしかない。
人気の就職先は、公務員、電力、銀行、、あとはホテル産業も強いみたいだね。
他の人たちはどうしているのだろう??
自分が神の手で「来週から沖縄移住!!」ってなったら何しようって考えたけど、いまの給与を維持するのは多分無理だ。
僕の給料が高いんだぞって意味じゃなくて、たぶん、仕事がない。さくっと行って見つけられる気がしない。
そのくらい厳しいってことね。先輩や友達も仕事を探すのに苦労してたりしないか?どうだろう。
自分が政治家だったらどう雇用を創出しよう??なんて考えてみたけど、これはなかなかに難題だと思うわ。
国が見捨ててるとかじゃなくて、そのくらい難しいんだと思うわ。たぶん。
IT企業の誘致ってのもあるそうだが、補助金なくなるあたりで沖縄からは撤退するんだってね。笑
ここでもいいように使われてるよなー。。
そもそも沖縄にIT人材がいねーーんだよ!!てのが経営者に言わせるとそうらしいんだけど。
特定の種類の人材がいない、(から)企業がこない、(その結果)産業が少なくなるって流れだよね。
だから働く意思あっても、、失業者増、賃金ダウンにつながるのかと。
この状況を抜け出すには、高い教育を受けるのがイイんだ。
親御さんや先生、周りの大人で「そうだぞ」って言ってくれる人がいるといいのだけど。
ヒルビリーエレジーって本を読んでみてくれ。アマゾンで中古で売ってると思うたぶん。
都会の金持ちにいいように使われるようになってはイカン。君自身の市場価値を高めるんだ。
それで表題に戻るんだけど、計算ドリルしてる場合じゃねぇ!!早く終わらせて、次の課題に君はどんどん進んでいくべきだ!
「将来はー、センパイの店手伝って、、ヨメはオンゲの監視のパートさー。」
では経済的余裕は生まれん可能性が高い。都会の金持ちの思惑に乗ってはイカン。
そして可能なら、沖縄から出て進学して、しばらく県外で働くのもいいかもしれん。
仕事のレベルを上げて独立して沖縄で働いたらいい。沖縄の外の空気を吸うんだ。キッタネーけど!
経済的に余裕がないことには、他のことを考える余裕はなくなると思うわ。基地問題とかな!
ワケのワカランIT業者に補助金出すくらいなら、彼のような勉強する意思のある若者が「県外」の大学で高い教育を受けられるようサポートしてあげてほしい。
沖縄と東京の間に溝、わだかまりがあるような事態はヨロシクナイ。沖縄を日本から分断させようとする意志がある者がいるようだ。
経済的に余裕がなく他のことを考える余裕がない人たちに、一方的な論調のマスコミの力が働けば、ものの考え方は一方向になる恐れがある。
放っておいてくれ、と最近よく思う。
細かく言うなら、よく知りもしないし、知る気もないことに口を出すぐらいなら、いくら怒ろうと悲しもうと、放っておいてくれ。
私は宮城県南部に住んでいた。内陸部だ。仙台に行くより福島に行く方が近かった。
原発事故における福島県内部と県外の被害のあり方はすこし違うように思える。
福島県内部は県内に原発を抱えていたから、影響は当然大きく、放射性物質は「あるもの」として対策を打つところから始まった。
県外は違う。まず影響があるかないかは政治が決める。見て見ぬ振りをするか、対策をするかだ。私の住んでいた地域は農村部だった。放射性物質なんて、農作物の商品価値にとっては致命的だ。
みんな、と書いた。
それは違う。価値観が違う。
たしかに農作物のために、騒ぎ立てたくない人が圧倒的多数だった。
しかし、安全性をウリにしていた農家や、小さい子供を抱える母親は違った。
家庭内で、職場で、自治会で、農協で、学校で、放射能に対するスタンスの違いは、深刻な対立を生んだ。
事故当初の線量は、小学校の砂の校庭で地上1.5mで約0.8μsv/hくらいだったと記憶している。これは5月頃のことだから、ヨウ素よりもセシウムの影響のほうが大きかったはずだ。畑や競技場はもう少し高かった。
でも当時は、除染基準はもっと高く、そして政府もただちに影響はないとしか言わなかった。
みんな葛藤があったと思う。
生計を立てるべく売りたい農作物、保証されない安全、内部被曝と外部被曝の複合的な影響は?この山菜は食べていいのか?自分たちの今までの生活はどこへ行ったのか?この川魚を孫に食わせていいのか?
それでも地域住民の大多数は「風評被害」を生まないために沈黙を守るべきだとした。
知ろうともしない人は、当事者意識すら持たなかった。
でもそうではない人もいた。
近所の人に、本当の理由を告げられぬまま、私たちは引っ越した。自主避難だった。
あれからもうすぐ6年が経つ。
勘違いがないように言っておくが、もうおおよその農作物は安全だ。
放射性物質もほとんど検出されていない(きのこや山菜はまだ基準値以上のものが出たりする。まれに)。
あのとき近所に住んでいた人たちがガンになったとか、そんな話も、幸い耳には届いていない。
けれど、あの時の私たちの判断を、誰が責められるというのだろう。
6年。
その間にいろいろな言説を目にした。
ただ今、どうしても気になるのは、こういう地元の葛藤を一切意に介さず、遠くの安全圏から声高にそして意気揚々と、口汚く意見してくる声だ。
ふざけるな。ふざけるなよ。
それでもあの当時、何も信頼できるものがないあの状況で、我々がした判断は間違っていたか?
結果論じゃないのか?
線量の落ち着いてきた今ならまだわかる。
けれど事故当時にすら、放射脳と、呼んではばからない奴はいた。そこらじゅうに。
あなた方は、私たち当事者の、その中の多数派意見に味方し、少数派を徹底的に叩きのめす。
それで正義のつもりになってるんだ。
あなた方は、私たち当事者が抱えざるを得なかった葛藤を知らないし、知ろうともしない。
下手をすると、放射線の影響や、過去の事例、現場がどれくらいの線量なのか、それすら知らずに、声が大きい当事者たちの味方をして気持ちよくなっている。
それなら何も言わないでいてくれ。
頼むから。
地域共同体としての我々は、意見対立からズタズタに引き裂かれてしまった。
もしあなたたちがここに来て、本腰を据え、じっくりこの問題に取り組み、当事者の1人になってくれるなら、いくらでも意見を聞こう。
でも、そうじゃなかった。
非難の声はだいたい的外れだった。放射脳と叫ぶ声だけでなく、危険だ危険だと叫ぶ声もそうだった。何も知らないんだろうな、と思った。
これは一例だ。
そしてその無責任で乱暴な声は、落ち着くどころかどんどん声高になっているようにすら思う。
「辺境」に押し付けなければならない問題を扱うとき、安全圏からモノを言うのはやめてくれ。
沖縄の基地問題、反対派の抗議活動に、「県外の人間の仕業。地元民はみんな賛成しているのに、邪魔」とか、賛成派のインタビューに、「政権側の印象操作。反対派が大多数だ」とか、見ていてものすごく苦しくなる。
どちらもいるに決まってる。
そしてどちらが多数派だからと言って、少数派を徹底的に叩いて排撃していい理由にはならないのだ。
再稼働問題もそうだ。「どうして対岸の都市が口出しをするんだ」とか、「援助金をもらっているから文句は言えない」とかもうやめてくれよ。
そもそも援助金がもらえる自治体だけがリスクを負えばいいかもしれないが現実そうじゃなかった。
放射性物質は自治体の境界を越え風に乗り山に飛びそして海にも拡散されてゆくと、知らないのだろうか。
知らないだろうな。
口出しするなら、せめて当事者意識を持ってくれ。
我々の葛藤を意にかけてくれ。
少数派だからといって口汚く罵るのはもうやめてくれ。
この世界は水戸黄門ではない。善悪二元論は成立していないのだ。
残念ながら。
回答じゃなくて悪いけど、増田さんはある種の洗脳にかかってるよ。どっちかの極論に決めなくても当然OKだ。引用部分のような空気を醸し出してるブクマカは全体の2〜5%くらいなものだし、増田だって安倍ボットや低能先生が張り付いてるのが大きい。
はてなの大多数は流されるわけではなく政治に対する沈黙を選んでいるように思える。沈黙の螺旋の変形版みたいなものだ。沈黙の螺旋は少数派が沈黙を強いられるらしいが、はてなでは多数派が沈黙を強いられる。似たような構図は沖縄の基地問題でも見られる。