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2020-11-19

昭和50年頃の日本田舎風景

思いついた順。順番に意味は無い。

 

田舎道路舗装されて無いのがあたりまえだった。ごく一部が舗装されていたが、舗装コンクリートだった。アスファルト舗装はまだほとんど無かった。

・川にかかる橋はまだ木と土でできていた。わずか数年のうちに、全部コンクリート造りに作り変えられた。その時の橋がまだ現役。

石炭がまだ日常的に使われていた。学校の隅の方には石炭を積み上げておく小屋があって、冬は当番の子供がその日のストーブで燃やす石炭小屋から教室に運んでいた。炭の燃えカス掃除先生がやってくれていた気がする。石炭ストーブ石油ストーブに置き換わると、石炭小屋は鶏小屋改装されて、学校ニワトリを飼っていた。

火鉢や七輪がまだ現役だった。火鉢の中では炭を燃やして暖をとっていた。

掘りごたつの底は格子状になっていて、その下で炭か何か燃やして暖を取る構造だったが、それは当時すでに廃れていた。電熱線を使った電気ごたつが安くて便利なので、かなりはやくから普及していた気がする。

・家にかまどがあった。物ごころついた時にはもう使われなくなっていてプロパンガスだった。お年寄りの家ではまだ現役でかまどが使われていた。

洗濯ものは川や湧水のあるところでやっていた。湧水は出口すぐが飲用水の採取場所、数m下ると食器食べ物を洗う場所、そこからさらに数m下るとそれ以外を洗うもの、と順番が決まっていて、いつもだれか数人の主婦が何か家事をやっていた。水道が普及するといつしか誰も使わなくなり、掃除されなくなり、廃れた。

・秋には落ち葉のたき火で焼き芋を焼いて食べるのが定番おやつだった。

農業に使うかごなどが、まだ藁で作られていた。この伝統は数年後にはすっかり無くなってしまった。

・村の加治屋さんがいて、農機具の修理などをやっていた。

軽トラックが普及しはじめていたが、農道がまだほとんど整備されていなかった。車が通れない歩行者用の山道を、天秤棒をつかって前後に思い荷物をぶらさげて運ぶという仕事がまだあった。

コンクリートブロックを使って塀を作るのが流行り、みんなで競うように塀を作っていた時期があった。へー。

・車はどの車も数年でサビサビになった。今のような耐久性のある焼付塗装がまだ開発されておらず、車検のたびに車の塗装をやりなおしていた。車検とはある意味、車の塗装をやりなおすイベントだった。

カラーTV田舎にも普及しはじめた頃。

・街へ行くたびに、あちこちボコボコビルが建ち始めていた時代1970年より前に建築されたコンクリート作りのビルというのはかなり珍しいが、1970年代にはめちゃめちゃ大量のコンクリート造りのビル建設されて、日本の街の風景が一変した。

・いまはシャッター街となっている田舎商店街に、もっとも活気があった時代

軍隊帰りの教師が現役でいた。ゼロ戦特攻隊の訓練生だったとか、広島原爆が投下された後の遺体を積み上げて燃やす作業をやったという教師リアルに居た。多くの大人たちが原爆キノコ雲の目撃者だった。

・家を建てる時、壁は土壁だった。そのへんの土に藁を混ぜて建材として使っていた。土壁の中の芯は細い竹を格子に編んだものだった。

貯金金利がめちゃめちゃ高かった。しかし実際には金利以上にインフレになったので、真面目に貯金した人はむしろ損をした。

・缶ジュースは当時から1本100円だった。子供には高級な飲み物だった。

・お豆腐屋さんに毎日豆腐を買いに行っていた。田舎でも数100mも歩けば、一軒は豆腐を豆から作っている豆腐屋さんがあった。

主婦が買い物に行くときは、細い竹を編んだような、かわいらしい買い物かごを持って買い物に行っていた。レジ袋などというものはまだ無かった。せいぜい紙袋

生ゴミはかまどで燃やして処分していた。灰は肥料として活用された。街のゴミ収集車は、不燃ごみの回収が主だった。

冠婚葬祭は、5人組といわれる隣近所のグループで協力しあって、自宅で行うのが当たり前だった。

・どこの家にも子供がいた。夜は外出を厳しく制限された。今思えば、どこの家庭も夜になると夫婦セックスして楽しむのが当たり前だったんだろう。

  

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そのほか、あとで思い出したこと追記

子ども神社やお寺の境内に集まってよく遊んでいた。缶けりとかが定番だった。

・そんなド田舎にもエロ本はあった。子どもたちが拾い集めたエロ本の隠し場所神社の床下だった。

・雨の日はよくトランプしていた気がする。

レゴブロックは既にあった。当時から定番おもちゃだった。

こたつテーブルの板をひっくりかえすと麻雀用の緑のフェルトが貼ってあった。

蛍光灯が爆発的に普及したのがこの頃だった。電球よりずっと明るいので最初はみんな驚いた。

 (しかし、統計を見ると子どもが減り始めたのもこの頃。電球の方がエロい気分になりやすかったというメリットはあったのかもしれない)

バスには運転手のほかに切符を売ったり、バックする時に誘導したりする車掌がもう1人乗っていた。それがワンマンになったのも昭和50年

宅配便はまだ無かった。国鉄の駅から小包を発送していた。

国鉄荷物を送るときは、包み方にめんどくさい規定があって、紐で縛ったり指定タグをつけたりしなくてはならなかった。

昭和50年代に複数宅配便会社競争で一気に普及して、国鉄荷物を送ることは全くなくなった。

女子体操服はブルマだった。バレー部が人気だった。部活マラソン大会では女子が校外を体操服(下はブルマ)で走っていた。

ダンボールは既に普及していた。ダンボールが普及する前は農作物は木の箱に入れて出荷していたらしい。使われなくなった木の箱がよく他の事に転用されていた。

・そんなド田舎でも新聞牛乳は毎朝届いていた。牛乳はビンに入っていた。

学校の校舎は当然木造体育館木造。今思うと、体育館のような大きな建物木造っていうのは当時としてはなかなか凄い事だったんじゃないかという気がする。

バイクといえばスーパーカブのことだった。それ以外のバイクは見たことが無いレベルだった。

・車と言えば軽トラだった。それ以外の車も見かけたが、変わり者扱いされるレベルだった。

・仕出し弁当とかは薄い木で作った箱に入っていた。プラスチック発泡スチロール製のトレ―が普及したのも昭和50年

幹線道路なのに1車線のところがあり、ときどき渋滞にっちもさっちもいかなくなって警察を呼ぶことがあった。

リヤカーを引いて魚を売りに来るおじさんがいた。スーパーカブに山ほど靴を積み上げて靴を売りにくるおじさんもいた。富山の薬売りもいた。

2020-10-12

中止の返金

コロナに類する理由で公演が中止になって、チケット代が返金される。

公演を見ていないのだから、まあ当たり前だと思う。

しかし、マラソン大会では、走っていないのに返金されない。

理由を調べていたら、すでにお金がたくさんかかっているからなどと書いてあった。

公式発表ではないが。

すでにお金がたくさんかかっているのは、公演も同じだと思うが。

東京マラソンだけではない。地方市民マラソンも同じように返金はない。

公演が中止になって、返金して、いよいよ潰れてしまうのではないかと思う。

不公平だ。

マラソン大会も返金するか、公演も返金しなくていいか平等にしよう。

2020-10-06

死に損ないの日々

 私はいつも〈なぜ自分が生きているのか〉 を考える。

 なんて書くと格好良い気がする。でも残念ながらそんなに高尚なことではない。今から書くのは私の短い人生の中での経験とそれに伴う思考なのでオナニーにすぎない増田を書くよ。長いよ。忠告たから「長い」は書かないでね。長くてもいいよってやつだけ20代女のオナニー見てくれ。出来れば助言をくれると嬉しい。

 長いのは読むの面倒!でも助言はしてやる!みたいな奇怪な人がいるなら、ラスト1画面分くらいのところまで飛ばしてくれてもいい。その助けようとしてくれたのが有り難い。

 あと、これを読んで(あいつか?)と思った私の友人はそっと見なかったことにしてくれると嬉しいな。




オナニー開始

 私が死を感じたのは小学生低学年くらいの時。いつから自分は長く生きられないと思った。それは(最初はたぶん違ったけれど)具体的には18で死ぬと思ってた。誰かの死に触れたとかのようなきっかけも特になく、ただ漫然とそう思って、確信していた。私は18に左側から来た車に追突されて死ぬ

 死ぬのは怖かった。幼稚園くらいの私は『お母さん』になって、こどもが3人いて、休みの日はみんなでゲームをするような家族に憧れたけれど、流石に18ではそんなこと出来ないから少し悲しかった。でも生き物はいつかは死ぬものからと次第に諦めて、今を楽しむことを決めた。

 それからは色々なことをやった。何も知らずに死ぬのは嫌だったから本を沢山読んだ。具体的には小学校図書館にある絵本漫画じゃない本で、「未来」に役に立つもの以外の思想系や哲学系の本はほぼ全部読んだ。あとは「やりたい」と思ったことが出来たら積極的にやるようになった。

 中学生になるとますますその『死』に近づいたから今のうちに!という意識は加速した。ちなみに中学校の隣に図書館があったかものすごく沢山の本を読んだ。それに伴って自分文字を書くようにもなった。とても拙いものではあったが、楽しかった。

 恋愛をしたかった。小学校では気になる子はいたけれど、彼は人気者だったし、ただ話しているだけで楽しかたか告白はしなかった。それをすごく後悔した。だから中学校では恋をしようと思った。

 そして、私は一人の女の子出会った。

 彼女に想いを寄せたのは中学1年生。入学式直後のクラスで、一番初めの自己紹介をするとき自分の好きなものを周りから引かれるくらい話している彼女が楽しそうで、キラキラしているように見えて、興味を持った。

 はじめは小学校が違うし、彼女の好きなものは私の知らないものだったからなかなか話せなかった。私は踏み込めるタイプではなかったのだが、席が近くて小学校は違ったけれど話が合って一緒に帰っていたAちゃん彼女と好きなものが一致していたようで、Aちゃん媒介して彼女とも少しずつ話すようになった。

 彼女は絵がとても上手くて暇があればすぐ絵を描いていたからそれをずっと眺めていた。私は練習したが絵が全く描けないので目を輝かせながら鉛筆を動かし続ける彼女がうらやましかった。彼女は、「何も知らない」私に彼女の好きなものをたくさん教えてくれた。そうして、両親が共働き彼女の家に行って彼女の好きなものを見せてもらうことを沢山していた。彼女の好きなものを見せてもらって、それを元に文字を作ったりもした。

 それは本当に楽しくて、また彼女も私が沢山知ろうとするのが嬉しかったのか段々と彼女の家に行く頻度も増えた。彼女の家と私の家、また学校までは地図上で鈍角二等辺三角形くらいの逆方面ではあったのだが、私は毎日のように通っていた。

 偶然休みだった彼女母親にも会ったときには挨拶して、彼女父親とも少し気まずいながらも挨拶をして、彼女とはどんどん楽しく話すようになっていった。


 ここから私の『恋』が始まるのだが、想いが無駄に多くて無駄に長いので読むのが面倒な人は●●●●●まで飛ばしてほしい。



 そして、夏休みにはなんの因果彼女とはキスをした。しかも舌を絡めるやつ。はじめてがべろちゅーな中学生だった。

 前述の通り彼女の両親は共働きで家にはいつもいなかったのでその日から(正確には次の日から彼女とのちょっぴりえっち関係が始まった。彼女の耳を舐めた。首を舐めた。キスをして、抱きしめて、顔がくっつきそうな距離感でくすくす笑っていた。

 その後学校が始まってからもそのえっち関係は続いていた。彼女の家の方に行って、彼女の家か彼女の家の裏でキスをして、彼女の太ももを撫でた。

 どちらかが告白して「お付き合い」したわけではなかったので私の方からある日好きを伝えた。心臓が飛び出そうなくらい緊張したが、彼女は泣きながら笑っていたのをよく覚えている。

 その告白のあとから彼女とはこっそり教室で愛を囁いたりして、みんなにバレないようにいちゃつくのが楽しかった。

 二学期終業式の日に初めて彼女性器を舐めた。ものすごく善がっていて家に帰ってから風呂で初めてオナニーをした。生憎私は絶頂しなかったけれど、人体の神秘と思いながら自分でやってみて問題ないとわかったことを彼女にもした。

 彼女の中に初めて指を2本入れた日の翌日、一時間目の移動教室彼女こちらに歩いてきて、顔を赤く染めながら小さな声で「2本一気にいれるのはきつい」と耳打ちしてきた時は一瞬意味がわからなかったが、理解してあまりにも彼女が可愛くて、危うくクラスメイトの前でキスをしそうにもなった。

 彼女と一緒にいて、とても楽しかった。自らに来る(と信じている)死も彼女といれば忘れられた。正しくは1回あまりにも幸せだったから『今』死のうかと思って彼女に告げたことはあった。泣いて止められたので二人で抱き合って泣いたのをよく覚えている。

 話は少し変わるのだが、私には悪い癖があった。自分自己催眠のようなものをかけていたのだ。それでありもしない『過去』を話したり、存在しない『昔の友達』の話を自分に刷り込んで、自分に自信を持たせて、死を感じたりしない元気な少女を演じていたのだが、小学6年生くらいの時から人格が出来始めた。別に多重人格というわけではなく、いわばイマジナリーフレンドのようなものなわけだが、数が多かった。男や女は勿論犬や猫、アンドロイドなど様々なものを生み出して、自らの支えにしていたし、その中でも特に優秀な人格を『兄』や『姉』のように扱った。また、『兄』や『姉』に自分が成りきることで『私』には出来ないことをやってのけたりしていた。それを彼女の前でも出してしまっていたのだ。私の口からそれは説明しなかったので、彼女最初は混乱していたが次第に受け入れてくれていたように思う。

 『兄』のとき彼女をどうしても手荒に抱いてしまっていた。『狼』のとき彼女の至るところに噛みつかないと気がすまなかった。『猫』のときは沢山撫でてほしかった。

 迷惑をかけているのはわかっていた。けれど、私は自分ではない自分も受け入れてほしかったのだと思う。彼女はよくやってくれた。『私』を愛しているから、と彼女が言ってくれたときは私は自分のすべてを彼女のために使ってもいいと思えるくらい嬉しかったのをよく覚えている。

 しかし、いつから彼女は私と距離を置くようになった。理由は分からない。彼女理由を教えてはくれなかった。だからきっと私になにか落ち度があったのだろうと思っている。そうして彼女との蜜月関係は終わってしまった。

 学年が上がり彼女クラスがわかれたことで話すことすら叶わなくなって『自然消滅』のようになった。そうすると忘れていた死が襲ってきた。やはり死ぬのは怖かった。でもその傍らで死んだら彼女は私を見てくれるのだろうと期待した。

 3年になり、彼女は本当に私と話さなくなった。おそらく私が死んでも見てくれないのだろうと思うほどに彼女は私と目を合わせようともしなかった。

 『兄』は彼女に一番執着していたので「やり直したい」と言った。沢山アドバイスもくれた。『猫』は『兄』に賛同した。それでも、私は行動にはうつせなかった。だって、今は『自然消滅』だが、『兄』の言うようにすると明確に終わってしまう。私は、終わらせたくなかった。1ミリ希望はないのはわかっていたが、それを見たくなくて現実から逃げた。





●●●●●読み飛ばし向けの説明●●●●●

 可愛い女の子といちゃついて、ABC全部した。楽しかったです。

 でも女の子によって自然消滅させられた。悲しくてずっと引きずってる。


 私は高校に進んだ。彼女とは違うところだったので彼女と私の繋がりはなくなった。私は彼女を想いながらも、死までの日々を送った。

 その頃になるともう「死ぬ前にやっておこう」という感情が強すぎて、いろいろなことをやった。好きな漫画をすべて揃えた。文字を書くのが(現実逃避として)楽しかたから暇があればペンを動かしていた。毎日何かしらを作って、自らの生を感じていた。

 そして、18歳になった。明日死ぬかもしれないと思いながら日々を過ごした。でも、『今日』は生きてるのでやりたいことを積極的にやる日々は続いていた。

 立派な同人オタクにもなっていたので同人誌も沢山買った。高校生でも18は18だから買えたのは嬉しかった。でも、沢山物は買うが、そろそろ死ぬと思ったので処分先は一覧にしていた。

同人誌はISBNついてなくてブックオフに売れないので池袋の○○というお店に売ってください。電話番号→○○○○○○○

のように1円でもお金にして還元できるようにしていた。部屋は定期的に片付けをしていた。気持ちとしては片づけというより身辺整理だったが。

 大学受験はどうせ死ぬのに必要かわからなくて、やる気が出なかった。しかし、18のいつ死ぬかわからいから『大学生』になるのもいいかと思って、とりあえず受けた。勉強意志が無かったので落ちまくってfランにすら入れなかった。

 そしてとりあえず大学生になった。人生も終わりだから沢山遊んだ。遊んで遊んで、遊びまくった。具体的には奨学金もほぼ全て使い込んだ。4年分の学費を払わなくていいから今死んで返済が親に行っても家計負担はかけないと思ったからだった。

 その頃になるともう死は怖くなかった。この時点で人生の半分はもうすぐ来る死を考えて生きてきたのだ。流石に向き合えるようになっている。



 そして、19歳になった。

 

 正直驚いた。まさか迎えるとは思っていなかった19回目の誕生日はなんだか不思議気持ちだった。それでも、10年も前から予言?が少しズレるのは仕方のないことだと思ったので、後悔しないように生きようと思った。



 そして、成人した。

 こうなってくると混乱するのだ。人生の半分以上の芯が歪んでいるのだから当然だろう。流石にオーバーランが過ぎるのではないか

 また、今まで『余剰分』と思っていたもの想像以上に多かったことにも気がついた。そうして、私は一気にやる気を失った。だって今まではゴールテープがあったからそこまで頑張って走っていたのだ。マラソン大会でゴールと思ったらまだグラウンド1周あった!はまだ頑張れる。しかし2周は流石にやる気をなくす。まだあるの?となってしまったのだ。

 そして気がついたら学ぶ意欲もなくしていた。だから大学をやめた。とりあえず働くことにした。

 しかし、今まで『後悔しないために』お金は余すことなく使い続けてきたのだ。だから貯金がない。でも、今までの生き方は変えられないからあったらある分だけ使ってしまう。

 そして学生時代より多くの収入を得たが、扶養ではなくなったこから出費も増え、でもその生き方が変えられなくて、この間遂にプ○ミスに手を出した。良くないとはわかっているけれど、お金が無いと生きていけないのだ。現実世知辛いそもそも仕事探しにも本気になれなくて派遣渡り歩くだけだから悪いのだけれど。

 あと欲に逆らわない生活をやめられないので1年で20キロほど太っている。明日死ぬかもしれないから食べたいものを食べる!を続けている。若いとき代謝があるが、段々と衰えることで脂肪に変わるのはわかっているが、やめられない。

 オナニー終わり。

 ここから相談。クソ長い私の人生のおさらオナニーを見てくれてありがとう





 生きるモチベーションが無い。

 死んだあとのことはずっと考えている。本を売る場所リストは未だに存在しているし、保険証の裏面の臓器提供欄はすべて提供するに○がついている。若い体だから使えるなら使ってほしい。生きたいと願う人間の役に立てるなら本望だ。血も臓器も皮膚もすべて提供してもいいと思っている。それで誰かが救われるなら生きていた意味があったと喜べる。

 もう前みたいに好きな文章自分の中の好き!を表現する気力も体力もない。未だに人生オーバーラン気持ちが拭いされないから、未来希望も持てない。年金は払っているけれど、18で死ぬと信じていた人間に75までの想像はできない。なんなら30の想像もできない。こどもを産むどころか彼氏彼女すら作ろうと思えない。未だに『彼女』は私の心に居る。あの楽しかった、キラキラした思い出を抱きしめて死にたい死ぬはずだったのに、死に損なった。

 そうやって毎日毎日死に損ないが生きている。どうしたらこの『死に損なった』のはなくなるのだろう。「今の若者未来希望が持てない」なんて言うのを聞くが、私の希望の無さはベクトルが違う。誰とも分かり合えない。

 いっそのこと隕石が降ってきて殺してほしい。通り魔に刺されて死にたいホームで人混みに押されてバランスを崩してしまいたい。青信号で渡っていたら老人の暴走車に轢かれたい。車に轢かれる死を思っていたか自殺は怖くて出来ない。でも死にたい。そんな思いを抱えながら生きることに意味はあるのか。

 一気に打ち込んだので誤字脱字してそうだし、読みにくい表現もあると思う。ここまで読んでくれてありがとう。書いておいて、しかも読め!とか言っておいてなんだけど、こんなものを読ませてしまって申し訳なく思う。ごめんね。

 死に損ないはあと1ヶ月でまた1つ年を取る。

死に損ないの日々

 私はいつも〈なぜ自分が生きているのか〉 を考える。

 なんて書くと格好良い気がする。でも残念ながらそんなに高尚なことではない。今から書くのは私の短い人生の中での経験とそれに伴う思考なのでオナニーにすぎない増田を書くよ。長いよ。忠告たから「長い」は書かないでね。長くてもいいよってやつだけ20代女のオナニー見てくれ。出来れば助言をくれると嬉しい。

 長いのは読むの面倒!でも助言はしてやる!みたいな奇怪な人がいるなら、ラスト1画面分くらいのところまで飛ばしてくれてもいい。その助けようとしてくれたのが有り難い。

 あと、これを読んで(あいつか?)と思った私の友人はそっと見なかったことにしてくれると嬉しいな。




オナニー開始

 私が死を感じたのは小学生低学年くらいの時。いつから自分は長く生きられないと思った。それは(最初はたぶん違ったけれど)具体的には18で死ぬと思ってた。誰かの死に触れたとかのようなきっかけも特になく、ただ漫然とそう思って、確信していた。私は18に左側から来た車に追突されて死ぬ

 死ぬのは怖かった。幼稚園くらいの私は『お母さん』になって、こどもが3人いて、休みの日はみんなでゲームをするような家族に憧れたけれど、流石に18ではそんなこと出来ないから少し悲しかった。でも生き物はいつかは死ぬものからと次第に諦めて、今を楽しむことを決めた。

 それからは色々なことをやった。何も知らずに死ぬのは嫌だったから本を沢山読んだ。具体的には小学校図書館にある絵本漫画じゃない本で、「未来」に役に立つもの以外の思想系や哲学系の本はほぼ全部読んだ。あとは「やりたい」と思ったことが出来たら積極的にやるようになった。

 中学生になるとますますその『死』に近づいたから今のうちに!という意識は加速した。ちなみに中学校の隣に図書館があったかものすごく沢山の本を読んだ。それに伴って自分文字を書くようにもなった。とても拙いものではあったが、楽しかった。

 恋愛をしたかった。小学校では気になる子はいたけれど、彼は人気者だったし、ただ話しているだけで楽しかたか告白はしなかった。それをすごく後悔した。だから中学校では恋をしようと思った。

 そして、私は一人の女の子出会った。

 彼女に想いを寄せたのは中学1年生。入学式直後のクラスで、一番初めの自己紹介をするとき自分の好きなものを周りから引かれるくらい話している彼女が楽しそうで、キラキラしているように見えて、興味を持った。

 はじめは小学校が違うし、彼女の好きなものは私の知らないものだったからなかなか話せなかった。私は踏み込めるタイプではなかったのだが、席が近くて小学校は違ったけれど話が合って一緒に帰っていたAちゃん彼女と好きなものが一致していたようで、Aちゃん媒介して彼女とも少しずつ話すようになった。

 彼女は絵がとても上手くて暇があればすぐ絵を描いていたからそれをずっと眺めていた。私は練習したが絵が全く描けないので目を輝かせながら鉛筆を動かし続ける彼女がうらやましかった。彼女は、「何も知らない」私に彼女の好きなものをたくさん教えてくれた。そうして、両親が共働き彼女の家に行って彼女の好きなものを見せてもらうことを沢山していた。彼女の好きなものを見せてもらって、それを元に文字を作ったりもした。

 それは本当に楽しくて、また彼女も私が沢山知ろうとするのが嬉しかったのか段々と彼女の家に行く頻度も増えた。彼女の家と私の家、また学校までは地図上で鈍角二等辺三角形くらいの逆方面ではあったのだが、私は毎日のように通っていた。

 偶然休みだった彼女母親にも会ったときには挨拶して、彼女父親とも少し気まずいながらも挨拶をして、彼女とはどんどん楽しく話すようになっていった。


 ここから私の『恋』が始まるのだが、想いが無駄に多くて無駄に長いので読むのが面倒な人は●●●●●まで飛ばしてほしい。



 そして、夏休みにはなんの因果彼女とはキスをした。しかも舌を絡めるやつ。はじめてがべろちゅーな中学生だった。

 前述の通り彼女の両親は共働きで家にはいつもいなかったのでその日から(正確には次の日から彼女とのちょっぴりえっち関係が始まった。彼女の耳を舐めた。首を舐めた。キスをして、抱きしめて、顔がくっつきそうな距離感でくすくす笑っていた。

 その後学校が始まってからもそのえっち関係は続いていた。彼女の家の方に行って、彼女の家か彼女の家の裏でキスをして、彼女の太ももを撫でた。

 どちらかが告白して「お付き合い」したわけではなかったので私の方からある日好きを伝えた。心臓が飛び出そうなくらい緊張したが、彼女は泣きながら笑っていたのをよく覚えている。

 その告白のあとから彼女とはこっそり教室で愛を囁いたりして、みんなにバレないようにいちゃつくのが楽しかった。

 二学期終業式の日に初めて彼女性器を舐めた。ものすごく善がっていて家に帰ってから風呂で初めてオナニーをした。生憎私は絶頂しなかったけれど、人体の神秘と思いながら自分でやってみて問題ないとわかったことを彼女にもした。

 彼女の中に初めて指を2本入れた日の翌日、一時間目の移動教室彼女こちらに歩いてきて、顔を赤く染めながら小さな声で「2本一気にいれるのはきつい」と耳打ちしてきた時は一瞬意味がわからなかったが、理解してあまりにも彼女が可愛くて、危うくクラスメイトの前でキスをしそうにもなった。

 彼女と一緒にいて、とても楽しかった。自らに来る(と信じている)死も彼女といれば忘れられた。正しくは1回あまりにも幸せだったから『今』死のうかと思って彼女に告げたことはあった。泣いて止められたので二人で抱き合って泣いたのをよく覚えている。

 話は少し変わるのだが、私には悪い癖があった。自分自己催眠のようなものをかけていたのだ。それでありもしない『過去』を話したり、存在しない『昔の友達』の話を自分に刷り込んで、自分に自信を持たせて、死を感じたりしない元気な少女を演じていたのだが、小学6年生くらいの時から人格が出来始めた。別に多重人格というわけではなく、いわばイマジナリーフレンドのようなものなわけだが、数が多かった。男や女は勿論犬や猫、アンドロイドなど様々なものを生み出して、自らの支えにしていたし、その中でも特に優秀な人格を『兄』や『姉』のように扱った。また、『兄』や『姉』に自分が成りきることで『私』には出来ないことをやってのけたりしていた。それを彼女の前でも出してしまっていたのだ。私の口からそれは説明しなかったので、彼女最初は混乱していたが次第に受け入れてくれていたように思う。

 『兄』のとき彼女をどうしても手荒に抱いてしまっていた。『狼』のとき彼女の至るところに噛みつかないと気がすまなかった。『猫』のときは沢山撫でてほしかった。

 迷惑をかけているのはわかっていた。けれど、私は自分ではない自分も受け入れてほしかったのだと思う。彼女はよくやってくれた。『私』を愛しているから、と彼女が言ってくれたときは私は自分のすべてを彼女のために使ってもいいと思えるくらい嬉しかったのをよく覚えている。

 しかし、いつから彼女は私と距離を置くようになった。理由は分からない。彼女理由を教えてはくれなかった。だからきっと私になにか落ち度があったのだろうと思っている。そうして彼女との蜜月関係は終わってしまった。

 学年が上がり彼女クラスがわかれたことで話すことすら叶わなくなって『自然消滅』のようになった。そうすると忘れていた死が襲ってきた。やはり死ぬのは怖かった。でもその傍らで死んだら彼女は私を見てくれるのだろうと期待した。

 3年になり、彼女は本当に私と話さなくなった。おそらく私が死んでも見てくれないのだろうと思うほどに彼女は私と目を合わせようともしなかった。

 『兄』は彼女に一番執着していたので「やり直したい」と言った。沢山アドバイスもくれた。『猫』は『兄』に賛同した。それでも、私は行動にはうつせなかった。だって、今は『自然消滅』だが、『兄』の言うようにすると明確に終わってしまう。私は、終わらせたくなかった。1ミリ希望はないのはわかっていたが、それを見たくなくて現実から逃げた。





●●●●●読み飛ばし向けの説明●●●●●

 可愛い女の子といちゃついて、ABC全部した。楽しかったです。

 でも女の子によって自然消滅させられた。悲しくてずっと引きずってる。


 私は高校に進んだ。彼女とは違うところだったので彼女と私の繋がりはなくなった。私は彼女を想いながらも、死までの日々を送った。

 その頃になるともう「死ぬ前にやっておこう」という感情が強すぎて、いろいろなことをやった。好きな漫画をすべて揃えた。文字を書くのが(現実逃避として)楽しかたから暇があればペンを動かしていた。毎日何かしらを作って、自らの生を感じていた。

 そして、18歳になった。明日死ぬかもしれないと思いながら日々を過ごした。でも、『今日』は生きてるのでやりたいことを積極的にやる日々は続いていた。

 立派な同人オタクにもなっていたので同人誌も沢山買った。高校生でも18は18だから買えたのは嬉しかった。でも、沢山物は買うが、そろそろ死ぬと思ったので処分先は一覧にしていた。

同人誌はISBNついてなくてブックオフに売れないので池袋の○○というお店に売ってください。電話番号→○○○○○○○

のように1円でもお金にして還元できるようにしていた。部屋は定期的に片付けをしていた。気持ちとしては片づけというより身辺整理だったが。

 大学受験はどうせ死ぬのに必要かわからなくて、やる気が出なかった。しかし、18のいつ死ぬかわからいから『大学生』になるのもいいかと思って、とりあえず受けた。勉強意志が無かったので落ちまくってfランにすら入れなかった。

 そしてとりあえず大学生になった。人生も終わりだから沢山遊んだ。遊んで遊んで、遊びまくった。具体的には奨学金もほぼ全て使い込んだ。4年分の学費を払わなくていいから今死んで返済が親に行っても家計負担はかけないと思ったからだった。

 その頃になるともう死は怖くなかった。この時点で人生の半分はもうすぐ来る死を考えて生きてきたのだ。流石に向き合えるようになっている。



 そして、19歳になった。

 

 正直驚いた。まさか迎えるとは思っていなかった19回目の誕生日はなんだか不思議気持ちだった。それでも、10年も前から予言?が少しズレるのは仕方のないことだと思ったので、後悔しないように生きようと思った。



 そして、成人した。

 こうなってくると混乱するのだ。人生の半分以上の芯が歪んでいるのだから当然だろう。流石にオーバーランが過ぎるのではないか

 また、今まで『余剰分』と思っていたもの想像以上に多かったことにも気がついた。そうして、私は一気にやる気を失った。だって今まではゴールテープがあったからそこまで頑張って走っていたのだ。マラソン大会でゴールと思ったらまだグラウンド1周あった!はまだ頑張れる。しかし2周は流石にやる気をなくす。まだあるの?となってしまったのだ。

 そして気がついたら学ぶ意欲もなくしていた。だから大学をやめた。とりあえず働くことにした。

 しかし、今まで『後悔しないために』お金は余すことなく使い続けてきたのだ。だから貯金がない。でも、今までの生き方は変えられないからあったらある分だけ使ってしまう。

 そして学生時代より多くの収入を得たが、扶養ではなくなったこから出費も増え、でもその生き方が変えられなくて、この間遂にプ○ミスに手を出した。良くないとはわかっているけれど、お金が無いと生きていけないのだ。現実世知辛いそもそも仕事探しにも本気になれなくて派遣渡り歩くだけだから悪いのだけれど。

 あと欲に逆らわない生活をやめられないので1年で20キロほど太っている。明日死ぬかもしれないから食べたいものを食べる!を続けている。若いとき代謝があるが、段々と衰えることで脂肪に変わるのはわかっているが、やめられない。

 オナニー終わり。

 ここから相談。クソ長い私の人生のおさらオナニーを見てくれてありがとう





 生きるモチベーションが無い。

 死んだあとのことはずっと考えている。本を売る場所リストは未だに存在しているし、保険証の裏面の臓器提供欄はすべて提供するに○がついている。若い体だから使えるなら使ってほしい。生きたいと願う人間の役に立てるなら本望だ。血も臓器も皮膚もすべて提供してもいいと思っている。それで誰かが救われるなら生きていた意味があったと喜べる。

 もう前みたいに好きな文章自分の中の好き!を表現する気力も体力もない。未だに人生オーバーラン気持ちが拭いされないから、未来希望も持てない。年金は払っているけれど、18で死ぬと信じていた人間に75までの想像はできない。なんなら30の想像もできない。こどもを産むどころか彼氏彼女すら作ろうと思えない。未だに『彼女』は私の心に居る。あの楽しかった、キラキラした思い出を抱きしめて死にたい死ぬはずだったのに、死に損なった。

 そうやって毎日毎日死に損ないが生きている。どうしたらこの『死に損なった』のはなくなるのだろう。「今の若者未来希望が持てない」なんて言うのを聞くが、私の希望の無さはベクトルが違う。誰とも分かり合えない。

 いっそのこと隕石が降ってきて殺してほしい。通り魔に刺されて死にたいホームで人混みに押されてバランスを崩してしまいたい。青信号で渡っていたら老人の暴走車に轢かれたい。車に轢かれる死を思っていたか自殺は怖くて出来ない。でも死にたい。そんな思いを抱えながら生きることに意味はあるのか。

 一気に打ち込んだので誤字脱字してそうだし、読みにくい表現もあると思う。ここまで読んでくれてありがとう。書いておいて、しかも読め!とか言っておいてなんだけど、こんなものを読ませてしまって申し訳なく思う。ごめんね。

 死に損ないはあと1ヶ月でまた1つ年を取る。

2020-08-06

ふと思い出したんだけど

昔、荒川マラソン大会やるって言って金だけ集めて急に中止になった事件

あれ全額返金されたのかな

2020-07-30

ドラムマニアBMSうpったり、CCさくら似のヒロインが登場するエロゲに燥いだり、学校マラソン大会があったとかをdiaryに書いてた

あの頃の ビートまりお@nifty は、いまは もういない。

2020-07-29

ドラムマニアBMSうpったり、CCさくら似のヒロインが登場するエロゲにはしゃいだり、学校マラソン大会を茶化したりしてた

あの頃の ビートまりお@nifty は、いまは もういない。

2020-07-22

30代おばと50代おじのユートピア

女は留学帰りとかで普通新卒就職結婚出産ルートではないキャリアを辿っててとくに結婚に執着なく、趣味に没頭してて結婚しなかったタイプのおじ軍団を持っている。

恋愛感情とかあわよくばとかもなく、仕事終わりに仲良くもんじゃを食いに行って趣味の話に興じたりしている。

みんなでガンダムを見に行ったりマラソン大会に出たり、そんなこといいおじおばがやるんかいということで楽しく日々を過ごしている。

おっさんたちは枯れておりおばも他に彼氏なりがいるのでサークルの姫的なこともなく小学生のようにのどかである

 

というコロニーがあることをn=3で知っててこれって結構よくある形態コミュニティかもしれんなと思った

2020-07-20

5km

コロナでぶくぶく太り、運動嫌いの自分もさすがにヤバいと思い、5月から週に2-3回、15分のウォーキング+15分のランニング(5-6km)を始めた。

運動の中でも取り分け走ることが嫌いで、ほぼ学生時代マラソン大会以来の試みだった。

目標は、3ヶ月以内に5kmを走れるようになること。

2ヶ月経ったが、10分のウォーキング+20分のランニングがやっとだった。翌日、翌々日まで筋肉痛が残るし、膝も痛くなるし、何より息が続かない。

加えて生来のだらしなさから、天気や筋肉痛言い訳サボることもあった。

あと1ヶ月じゃ到底目標達成は無理だな、と思った。



ある俳優さんの訃報に驚いた。



ぱっと出演作を列挙出来るわけでもなく、特別ファンでもないが、見ていて不快になることなんて無かったし、きちんと演技してる印象があったので寝耳に水だった。

今まで顔と名前は一致する、程度の認識だった同じ世代の、一見順風満帆の彼の訃報は悲しみというよりもショックだった。

故人を惜しむ声は真面目さ、誠実さ、優しさ、ストイックさで溢れ、自粛期間をいいことに、呑気に鼻をほじりながらゲーム漫画に明け暮れていた自分を恥じた。


久しぶりに晴れたので外に出た。

いつも「早く終われ、早く終われ」と願いながら走っているが、今回は件の俳優さんを頭の片隅に、「もっと頑張れ、彼はもっと頑張ってたんだ」と言い聞かせた。



嘘のように呆気なく、歩くことなく5kmを完走できた。

たかが5kmされど5km。自分にとっては到底なしえないと思っていたことがいとも簡単にできた。



嬉しさと同時にどれほど甘ったれた考えでいたのか思い知らされ、また自分を恥じた。


走り切った後、縁もゆかりもないけど、彼の分も頑張って生きていかないとならないと勝手に思った。



心よりご冥福をお祈りします

2020-07-14

オンラインマラソン大会偽装工作できるというブコメ

偽装したとして不都合が出るんだろうか

主要ターゲット市民ランナー偽装することを考えずに参加できて満足するし、競技大会公式記録を偽装するような案件ではないよな

2020-05-20

コロナ合唱がなくなりそうでよかった

合唱学校生活で最も良くない行事だ。

まだマラソン大会の方がいい。

歌いたくもない歌を放課後毎日、立ったまま歌わされるのは最悪だ。

俺は高音も低音も出ない。出ない部分は声を出さない。

気づかれると怒られる。

歌ってると酸欠になるのか頻繁に欠伸が出る。

気づかれると怒られる。

子ども音痴だ。

カラオケに行っても、ジャイアンリサイタルに行ってるのと変わらない。

しっかりジャイアンのうたはマスターしてる。

別にカラオケで歌うのはいい。

でも子供のためにも学校での合唱は無くなって欲しい。

2020-02-19


現地ではそれほどマスクしてる人いなかったのに、なんでこの写真だけこんなにマスクだらけなんだ・・・

2020-02-17

馬鹿パヨクさん東京マラソン返金なしに文句つけてしま

マラソン大会なんて参加料の返金なしなんて当たり前だから

マラソン大会にも出たことないデブだって自己紹介しちゃったね(笑)

2020-02-16

マラソン大会が命より重い理由

https://www.asahi.com/articles/ASN2J3J02N2JTQIP007.html

この記事を見て貴君はどう思っただろうか?

狂気だ。」と思った貴方は至極まっとうだ。

では、なぜ大会は中止できなかったのかということだ。

ふるさとおこしとか細かい理由もあるが、一番の理由は、金である

市民マラソン大会運営には大量の金が回っている。

スポンサーもいるし、なにより出場者からも金をとっている。

出場者は事前にホテル予約取っている場合もあるし、招待選手なんてのもいる。

コロナ感染が来てるので、大会やーめた。ごめんちゃい。」とする判断は、

事なかれ主義の横行しているこの国で、トップを含め誰にも取ることのできない選択肢なのだ

しかし、一旦開催さえしてしまえば、事後の運営は金の問題は解消したのでいくらでも言い訳ができる。

政府安全だと言っていたので。」

対策としてマスクを配ったので。」

あくまでも自己判断で参加していただいたので。」

自己責任論の横行するこの国では、こんな言い訳通用する。

最後の締めとなるが、この国で生きながらえたい人は必ず覚えておいてほしい。

「金(≒マラソン大会)は、命より重い。」

2019-11-13

anond:20191113121053

寧ろ女子マラソン大会とかを目を皿のようにして見ていた経験があれば「水風船のようにぼよんぼよんする」は正義方面挙動である認識できると思うのだが。

2019-11-11

なんでマーケティング部門ってあんなにプライド高いの?

すぐに「マーケティングとは?」とか言ってきたりするし、一定以上のレベルじゃないと会話の無駄みたいな態度とるし

たまに説明上手かったり、データ取りから分析施策までやる人も居るけど、大半はデータ取らせて施策は考えさせて、分析だけやる

そしてシステムから見て新卒レベルプログラミングしか出来ないくせに凄いことやってる感。そのくせPCスペックには文句言うし

マーケティング学んだ人が広義のマーケティングって言葉意味との齟齬プライドが許さないのも分かるけど、正直もう少し歩み寄っても良いんじゃね?と思う

例え分かりにくいかも知れないけど、マラソン大会で「記録より楽しもう♪」とか言ってクソ遅い奴みたい。完走はできるし多少は練習してるけど圧倒的に足りない感じ

2019-11-07

[]2019新語・流行語大賞ノミネート解説

あな番(あなたの番です)日本テレビ系のテレビドラマ。「交換殺人ゲーム」を描くミステリーサスペンスネット上でも推理考察が盛んに行われた。
命を守る行動を災害時の「特別警報」において呼びかけられる文言。今年10月台風19号上陸に際して、首都圏を含む広い地域特別警報が発表されたことで、耳にする機会が多かった。
おむすびころりんクレーター小惑星探査機はやぶさ2」が小惑星リュウグウ」上に生成した人工クレーター呼称。「リュウグウ」にまつわる名称童話にちなむことになっている。
キャッシュレス/ポイント還元電子マネーを用いた決済のこと。消費税増税に伴い、キャッシュレス決済を用いるとポイント還元される制度が、経産省により実施された。
#KuTooTwitter上で広まった「女性へのパンプスハイヒール強制」に対する反対運動のこと。昨年の流行語大賞にもノミネートされた#MeTooのもじり。
計画運休災害に備えて計画的に電車運休を決めること。今年10月台風19号上陸に際しても計画運休話題となり二年連続ノミネート
軽減税率今年10月消費税増税に伴い導入された生活必需品の税負担を軽減する制度のこと。その曖昧基準への批判や「イートイン脱税」などが話題となった。
後悔などあろうはずがありません野球イチロー選手引退会見での発言。「思い残すことは?」との質問に対しての返答。
サブスクサブスクリプション本来新聞の購読などの意味だが、現在は単に「定額制」を表す言葉になった。雑誌音楽動画などの月定額サービスが普及している。
ジャッカルラグビーにおいて、タックルで倒された相手選手が持つボールを奪うプレーのこと。ラグビーワールドカップで活躍した姫野和樹選手の得意技として話題となった。
上級国民一般国民」の対義語として作られたネットスラングだが、池袋自動車暴走死傷事故加害者が「上級国民」だから優遇されているのではないか話題になった。
スマリングシンデレラ/しぶこゴルフの全英女子オープンで優勝し、日本人女子選手では42年ぶりの海外メジャー制覇ということで一躍知られることになった渋野日向子の愛称
タピるタピオカ入りミルクティーを飲むこと。2018年ごろから始まった「第三次タピオカブーム」が今年に入ってピークを迎えた。
ドラクエウォーク2016年流行語大賞ノミネートされた「ポケモンGO」のドラゴンクエスト版と言える位置情報ゲームドラゴンクエストウォーク」がリリースされて話題となった。
翔んで埼玉魔夜峰央ギャグ漫画。元は1986年刊行された作品だが、2015年ごろに再注目されたことで復刊されて大ヒット、今年公開された実写映画も異例の成功を収めた。
肉肉しい肉の味が濃い、食べごたえがある、などの意味。肉バルブームなどに伴い近年使われはじめたとされる。それ以前では「女性肉感である」というような意味での用法がまま見られる。
にわかファンラグビーワールドカップでは「にわかでいいじゃないか」がキャッチコピーとなるなど新しいファンが歓迎され、これまで注目度の低かったラグビーの「にわかファン」が急増した。
パプリカ東京五輪の機運醸成」を目標米津玄師作曲した「NHK2020応援ソング」。子供たちのあいだで人気となり大ヒットした。
ハンディファン携帯扇風機中国韓国流行していたものだが、今年の猛暑もあり若い女性を中心にヒットした。
ポエム/セクシー発言環境大臣に抜擢された小泉進次郎ののらりくらりとした答弁が「ポエム」と評された。また国連気候行動サミットに出席したときの「セクシーに取り組む」発言批判された。
ホワイト日本の輸出管理制度において優遇されている国のこと。「日韓間の信頼関係が著しく損なわれた」という理由韓国ホワイトから除外したこときっかけに日韓関係悪化した。
◯◯ペイLINE Pay」「楽天ペイ」「PayPay」など、QRコード決済の呼称によく使われたため、その代名詞的な単語となった。また「セブン・ペイ」の不正使用ニュースとなった。
MGCマラソングランドチャンピオンシップ東京五輪と同じコース日本代表を一発選考する、というコンセプトで開催されたマラソン大会。ただしマラソンコースは後に東京から札幌へ変更となった。
免許返納池袋自動車暴走死傷事故など、高齢ドライバーによる暴走事故が多く取り上げられたことで、高齢者が自主的免許を返納することが注目された。
営業お笑い芸人所属事務所を通さずに営業を受けること。吉本興業お笑い芸人が、闇営業振り込め詐欺グループパーティ仕事を受けていたことが報じられ、騒動となった。
4年に一度じゃない。一生に一度だ。ラグビーワールドカップ2019 日本大会」の公式キャッチコピー
令和新元号最初元号である「大化」以来初めて和書典拠とされ、万葉集の「于時初春令月 氣淑風和(時に初春の令月にして気淑く風和ぎ)」から字が取られた。
れい新選組/れいわ旋風政治家山本太郎が結成した新政党独自の主張・選挙戦略により、参議院選挙において存在感を示した。
笑わない男ラグビーワールドカップで活躍した日本代表の稲垣啓太選手のこと。プレー中はもちろん記念写真などでも無表情をつらぬき「笑わない男」と話題になった。
ONE TEAM(ワンチーム)つのチームとして結束するという意味で、ラグビーワールドカップの日本代表が掲げたスローガン。そこから東京五輪マラソン移転問題でも多用された。

2019-10-31

五輪札幌マラソンときボランティアってどうするの?

ボランティア募集ってもう参加募集終わってなかったっけ

予想1、札幌近郊から集める(マラソンだけならなんとかなるかな?)

予想2、東京五輪用のボランティア札幌派遣交通費宿泊費出してくれなさそう)

予想3、札幌マラソン大会の関係者に頼んでマラソンだけは丸投げする(無償でやってくれないだろ)

予想4、小池都知事IOCに「そんなに札幌でやりたいならお前らが全部やれ!」とキレて、IOCが「出来ないしやっぱ東京でやる!」となって東京マラソンEND

予想1はあのめんどい基準満たして札幌の街ウロついたり選手の面倒みたりマラソン手伝うのを無償でやってくれる人が今から札幌近郊で集まるかって懸念がある

予想2はやりそうで怖い

予想3はお金払えばマラソンはやってくれそうだけど、ボランティアがやらされそうなやつはやってくれなそうだからどうすんだろ…というかお金払えるのかな?オリンピック憲章?だかなんかでなるべくボランティアで!みたいなのあるし、そもそも払うお金ある?

予想4はさっきニュースで「マラソン以外も札幌でしたいなー」って見て、小池さんどころかチケット買った人もキレそう…そもそも8月にやんなきゃいいじゃんとか、屋根作れとかいろいろ言われてたじゃん。

おっそ

追記

登録ボタン連打したら4つくらい出来てたので消しました。びっくりした

すみません

2019-09-16

anond:20190916194110

はやい!マラソン大会出られるね。5kmや10kmに。

膝を悪くしないようにね。シューズ選んでね。

2019-08-25

anond:20190825223555

テスト前に全然勉強してないわって言っていい点取ったり、

マラソン大会で一緒にゆっくり行こうっていいながらどんどん先に行く奴を思い出した

2019-08-04

anond:20190804181528

そりゃあ小学校の体育って運動会典型例だけど、基本瞬発力の方が評価されるじゃん

持久力がもてはやされる機会はせいぜい年一度あるかわからないマラソン大会ぐらいのもの

そもそも能力というのはそこまで客観的ものではなく、環境次第で大きく評価が変わる

相撲柔道経験者が総合格闘技をやっても強いのも弱いのもいるのと一緒

2019-08-03

好きな女の子に誘われて2ヶ月後にマラソン大会に出ることになったんだけど体脂肪率23%のデブで持久力もない。良い練習メニューを教えてほしい。

2019-06-25

痴漢被害歴を語ろう



このツイート反響を呼んでいたので自分痴漢被害歴を語ろうと思う。

□幼少期〜高校 地方県庁所在地在住

①4才か5才 中学生高校生自転車に乗った男

物陰につれていか下着を降ろされてまじまじと観察される。

下半身露出し、舐めるように強要され手を添えさせられ、射精まで見せられる。

変なことをされた自覚があったので、親はおろかこれまで誰にも言えていない。


②小2 中高年、自転車に乗った肉体労働者風

祭りの日に別れ際友達と立ち話をしていると一人いくらでどうかと声をかけられる

小学生時代から30代まで満遍なく何度も だいたいおっさん

通りすがり卑猥言葉をかけられる

④中1 40〜50代 にやけた小太りのおっさん

図書館で本を読みながらうとうとしていたら胸をつつかれる。

気づいて目を覚ますと離れ、またうつらうつらしたら寄ってきてつつかれるのを数回。

気持ち悪くてその場を離れようとすると卑猥言葉をかけられる

⑤高1 年齢不明 バイクの男

自転車に乗っていたら、追い抜きざまに胸を鷲掴み

⑥高1 30代 変質者

マラソン大会高校外周を回るとき、遅いグループを狙って露出狂が出没。

おそらく同一人物が下校時にも度々出現。

共学だったが男子がいないタイミングを見計らってマメに出てきたので、近隣住民可能性大。

⑦高1〜高3  20代知的障害者

自転車通学中の信号待ちスポットに週3ぐらいの頻度でビデオカメラを構えて待っている。

黒髪ロングヘアの子にまとわりつき、局部を触りながら撮影する。

たまたま運動部男子がいればガードしてもらえたが、いないときは逃げ道も抵抗手段もなくされるがまま。

⑧高2 年齢不明 全裸の男

歩道車道が行き来できない構造の橋の手前で待ち伏せされ、ダッシュで橋の真ん中まで先回りし通せんぼされる。

歩道の幅が狭いので死に物狂いでUターンして逃げた。

⑨高2  おそらく前項と同じ男、このときは着衣

歩道で待ちぶせされるのが怖いので、車道自転車で走っていたら歩道にいた男が並走して追いかけてきた。

まりに怖かったので走る車の前に飛び出して助けを求め、難を逃れる。

大学在学中 首都圏近郊 区部

⑩大3 若い

バイト帰り、自宅近くの路地に入ったところで後ろから抱きつかれる。

絶叫したら逃げていった。

社会人以降

1124才 若いスーツの男

最終の急行ボックス席で寝ていたら、途中からかいに座った男が

新聞で隠しながら目の前で自慰行為

1228才 スーツに社章をつけたままの40〜50代

出張で利用した新大阪品川東海道新幹線車内。窓際A席にいると

名古屋からC席に座ったおっさんエロ本を開いてB席に置く。

気づかないふりをして寝ていると胸をつつかれる。

13)36才 自営業

地下鉄車内での付きまとい、追い抜きざまに背筋を撫でられる

数日間続いた。

丸囲み数字が尽きた。ひどい。

地方都市時代特にひどかった。

女(たとえ子どもでも)を性的消費対象しか見れず、娯楽がわりに性犯罪が行われる希望もないクソ地方。まるごと消滅しろ

東京はなるべく職住近接を選び、満員電車にさえ乗らなければまだ被害が少ないように思う。

夜道襲われる系は命の危険に直結するので女のお子さんをお持ちの方は肝に銘じて注意してほしい。




ちなみに、私は胸はあるが美人ではありません。

2019-06-23

anond:20190623233047

100kmのウルトラマラソンに参加するとだいたいそのくらいのタイムになる

走ることにハマってみては?

マラソン大会に参加するのを目標にするとか

2019-04-29

引きこもりマラソン

こういう場合引きこもりなのかな?

「10年以上無職

「家からほとんど出ない」

「一日中ネットをしている」

友達は極めて少ない」

しかし、

自分趣味に関する用事ときだけ外出する」

ただ、ランニングの時だけ外に出て、マラソン大会にも出る。

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