はてなキーワード: はじめましてとは
タイトルの通り、わたくしは28歳の時、処女膜を自分で破きました。
なぜそんなことをしたのか?
それは、どうしても挿入を伴う男性との初体験が嫌だったからです。
二十代のころは、それなりに男性からオファーがあり、デート後にホテルに行くこともありました。
痛みが無理というのはもちろんですが、
それよりも、男性によって私が痛い目に遭う
血まで流さないといけない
なんで未経験の女だけがそんな目にあわなければならないののかと、怒りに満ちた自己防衛をしていました。
どんなに好きな人に求められても、その信念は揺らぎませんでした。
気持ちが安らいでいたため
あれ?今なら指くらい入るのでは?
と思いました。
おそるおそる性器にさわってみて指を入れてみると
すんなり入り、痛みも全くありませんでした。
そのまま二本、三本、あれ?こんなもん??
そこで思い立ったのです。
男性に痛い思いをさせられるのがどうしても許せないなら
そこでまず私は、ドンキへ行き、
バイブを買おうか?とも思ったのですが
無機質で、男性器を模ったものはグロテスクで無理そうだったので
とはいっても、いきなりは入らないので
ベッドで仰向けになり、足を開き
xvideoでアダルトアニメを見ながら
性器をぬらす、指を入れてならす
よし、三本入ったし、大丈夫そうだなと思い
ちくわをぐぐぐっと挿入してみました。
ぐわっ………なにこれ?!
痛いというより、狭いというのが正しいような………
ズムズムズムと狭い道をこじあけるちくわ
いてて!!と、なりしたが
でも、我慢できないほどではなく、
もっと奥、進むのだ
恐らく最奥まで挿入できて、性器もこれ以上ないくらい広がっていました。
痛みはそれほどではなく、ただきつい、という感じでした。
こんなもんだったのか……
若干拍子抜けしつつ、出し入れをしてみて
きつい感じもなくなってきました。
ちくわを出して入れる、出して入れる
ずぼずぼ、ずぼずぼ………
なるほど………これがセックスなのか………
わっ!血が出てる!!!
私は喜びでいっぱいになりました。
その後、無事になんの恐怖も痛みもなく、男性と初体験を済ますことがでがした。
結局私が言いたいことは、ひとつです。
痛みが怖くてセックスに至れない女の子へ向けたメッセージです。
そこまでやばい痛みではないよと伝えたいのです。
私も、抗不安薬を飲んでいなければ、こんなことできなかったかもしれません。
痛い思いをさせられることが許せない
そんな女の子は、わたしのようにセルフで処女膜を破いておいて、
初体験に臨むというのも、有りだと思うのです。
はじめましてヴァニラといいます。年齢は30代後半で結婚8年目です。
共働きを強いられているため、なかなか子供にも恵まれておりません。
結婚当初はやさしかった夫でしたが、ここ数年粗暴な面が出てきて困っています。
先日も、夫が私よりも先に家に帰る時がありました。
そのとき、ちょうど私が電気代を滞納していたため電気が止められていました。
(お金がなかったという訳ではありません。単に忙しくて払いに行くチャンスがなかっただけです。)
そしてまたこんなことをやっているのか!!」と
たしかに私はそそっかしい性格の持ち主ですが、そこまで言われたかと思うと涙が止まりませんでした。
そして床の上に激しく叩きつけられてしまいました。
こんな夫のせいで、私は生傷が絶えない体になってしまいました。
夫は収入もよく、怒らなければやさしい人なのですが、
怒るとこんな態度に出てきてしまい。もう耐えられません。
どうすれば元のやさしい夫に戻ることができるでしょうか?
ここに書くことによって許されたい、そして私の様なチキン人間がもっと気軽に創作活動をされている方に感想文を送れるようになる事を祈って書いてます。
マシュマロやお題箱と言った匿名性の高いサイトを使って感想を送ることが出来るのは本当にありがたいしこれを素直に使用して絵描きさんや字書きさんのモチベを上げる要員に慣れている方々が素直に羨ましい
ここまで読めばわかる通り私は日本人の癖に日本語が下手くそなのである
結果、マシュマロでバカ正直に感想を送ってしまう日には結局何が言いたかったのかが全く伝わらず、逆に作者を困惑させてしまう事になってしまう
(これは妄想などではなく、何度も色んな活動者に感想文を送った際の反応を見てきて分かったことです)
感想を上手く書けないならそもそも送らなきゃいいだろという意見も見かけるのですが、大好きな字書きさんが感想や反応が少ない事を気にして活動を辞めてしまったのを目の当たりにして以降はどんな拙い感想文でも送らないよりはマシだ!の精神で送るようにしているのです
ただ、描き(書き)続けて欲しいのに意味不明な文章で気味悪がらせて結果離れられては本末転倒だなと思いどうしようかと悩んでいた所にこれだ!と名案が浮かんだのです
海外ユーザーになりきると言っても英語や中国語は一切使わ無くていい上に自分の日本語の下手さを誤魔化せるのでこれを思いついてからはマシュマロを送るのも怖く無くなりました。
これは今から誰でも真似できる事なので是非、日本語が下手くそだけど迷惑がられない程度に好きな活動者さんにマシュマロを送りたいって方はこの方法を使ってください
Twitter等でも日本語を勉強されている海外の方は沢山いますよね その文を見てください
日本語を全く勉強されてない方、つまり完全な英文の翻訳を見るのもありです
変に敬語が混じってたりタメ口だったりしますよね それを真似するだけです
以下例文
あなたのABはとても多く読んでいる!これからの更新も待っています!
これだけでokです
それでいて自然とこの人は海外ユーザーなのだと思わせることの出来る魔法の言葉です
ユーザーの文字を抜くだけなのですがこれが余計海外ユーザーっぽく思われるんですよね
変に英語や中国語を混ぜると主さんが気を使って中国語や英語で返してくれる時があるので注意です
(海外ユーザーになりきっている側は勿論返信が読めないし、主さんに手間を掛けさせてしまうというダブルの意味でNG)
あと、普通だったらあなたのABをいつも読んでいます!と書く所をちょっとズレた「多く」って単語を使うことも大事なポイントです
先程書いた通りこの方法で感想文を送るようになってからは主さんの回答には困惑なんてひとつもありません
それどころか喜んでいるし「私の作品は海外にまで伝わっているんだ!」というモチベ向上にも同時に繋がっているのです
言い方は悪くなりますが数字を気にされている活動者さんは大勢います
そんなメンタル豆腐な活動者さんに応援メッセージを皆さんも気軽に送ってその活動を支えていきませんか?
メンタル豆腐な活動者さんは支部にいいねするぐらいじゃあ簡単に消えていきますよ
大好きだった活動者さんの支部、Twitterが同時に消えた時の喪失感、後悔は皆さんには味あわせたくありません
出来ることがあったのにしなかった後悔。
でも勇気は出ない。そんなチキン野郎が生み出してしまった少々ゲスいマシュマロ送信方法でした。
匿名だったら送れるってもんじゃないんですよね…その後の主さんの対応を見ると余計に。
主さんは皆口ではどんな感想でもいいと言ってはいるけど、綺麗な感想文を求めている
まとまりの無い感想送った時のニッコリ汗の絵文字付いた返答来た時の気持ちなんか分かるはずがない
そんな中海外ユーザーになりきるこの感想文はお互いにとってメリットしかないのです。
…こうやって言い訳や悪知恵を働かせて生きていくんだろうなぁ
自分が嫌になる。終わり。
まさにその90年代にミスチル、スピッツ、ユニコーン、槇原敬之などをリアルタイムで受容した世代の者です
「90年代のJ-ROCKアーティストは反体制っぽい発言でメディアを喜ばせた」との事ですが
J-ROCK誌No.1の売上のロッキンオンJAPANの常連アーティスト(エレカシなど)ですら反体制っぽい発言は見たことがありません
ブルーハーツが反原発っぽい歌を出してましたが直後のアルバムで反原発運動をバカにする曲を入れており
それでもロッキンオンなどではロックの代表扱いのまま今に至ります
だからTinderというマッチングアプリで日々男漁りをしていた。
Tinderはヤリモクの人が多い。彼氏彼女が欲しくて登録してる人の方が少ないと思う。かくいう自分もヤリモクだし、マッチングして数日以内に会ってヤれる人が好き。
そんな自分より数個上の男性とある日マッチングをした。彼とはノリや話が合ったが、そのとき世はコロナ禍真っ只中で、子宮でしかモノを考えられない自分でもさすがに外出を控えている時期であった。
連絡を取り始め数週間ほど経ち、自分と彼が住んでいる地域の緊急事態宣言が解除されたので、初めて会うことになった。場所は彼の家。これはもうヤれると確信していた。
自分にしては珍しく、アプリのプロフィールやLINEに顔写真を載せていない人と会うことになった。やはり顔写真ない人と会うのは少し不安だった。なぜなら自分は誰とでもヤれるわけではないからである。自分のようなクソビッチでも性欲が湧かない顔ももちろんあるので心配だったが、コロナ禍の中自分と彼は毎日電話をしたりLINEをしたりしていたので、顔がダメでも仲の良さだけでなるだろうという気持ちもあった。
当日、高鳴る胸と膣を落ち着かせながら待ち合わせ場所の彼の最寄りの駅に着いたら、自分の目の大きさの3分の1しか目がない男性がそこにいた。
まぁ、はっきり言うとブスがそこにいた。
「マジか〜…」となる自分。ヤれない。これは絶対にヤれない。だがしかし、改札を出て彼と目があったのにこのままトンボ帰りもできない小心者の自分。
「お待たせしました、はじめまして」と挨拶をして、彼の家へ向かう。
「えっ、ごめん。いつ手出してくるの…?もしかしてそういう目的じゃなかったの…?」
さすがに痺れをきかせて聞いてしまった。
彼は困った顔をしていた。
「家呼ぶってことはそういうことなのかなって私は思ってたんだけど…」
と続けると、彼は困った顔のまま
と言われた。
童貞………童貞かぁ………自分より年上の人で童貞初めて見たなぁ………。
童貞とするのは初めてではない。だが、あまりにもぎこちない前戯だったので、攻守を変わるべきかどうかまんこと思案していたところ、彼が「もう入れていい?」と聞いてきた。
「あ、うん…」
えぇ、短…いやでも前戯してもらった側なのに短いとか足りないとかそういうワガママ童貞に言っていいのか…?ていうか童貞まだ服着てるじゃん、私だけ全裸なのそういうプレイなんか?えっ?
「え、このタイミングで??」
私がつっこむより先に、童貞は枕元の財布を持って家を飛び出そうとしていた。
汗だくになった童貞が帰ってきた。
しかし30分も放置されさすがに自分の有能まんこも砂漠状態である。またセックスがワールド1-1に戻った。
もう正直、ここまでくると「なんかもうどうでもいいな。自分の気持ちよさとか。早く終わらせて帰りたーい」みたいな気持ちになっていた。
雰囲気もないし、前戯が気持ち良いわけでもないし、とりあえず早く終わって早く帰りたい。家帰ってアイス食べたい。
前戯中、自分の身体のコンプレックスに対して、「これなに?なんで触っても反応無いの?」と聞かれて泣きそうになった。なんでこんなにデリカシーないんだろう。
正常位の際のぎこちなさにイラつき、騎乗位に変更。変更して数十秒後、童貞が「あ、イく」と言ってセックスが終了した。
まんこからちんこを抜き、童貞…いや、非童貞の横に寝そべると非童貞はすごい速さでベッドから降り、シャワーへ行った。
え?いや、まぁピロートーク的なん別に求めてるわけじゃないけど、そんなすぐシャワーいく?しかも無言で??と困惑する自分、そして自分のまんこ。まんこはセックスが終わってまだそんなに経ってないのに、カラッカラになっていた。
「めっちゃ喘いでたねw」
と言われ、ぶん殴りそうになった。終わって一言目がそれってなに?マジで。
童貞卒業させてくださりありがとうございましたって三つ指たてて土下座のひとつでもせんかい。
いやせんでいいけど。されても困るけど。
自分史上いちばんしょうもないセックスをしてしまった情けなさで電車の中で泣いた。
そういうつもりじゃなかった(かもしれない)相手を焚き付けたくせに、納得いくように立ち回れなかった自分にも腹が立つし、ゴム用意してなかった相手に30分セックスの途中で放置されたのも、セックス終わってすぐ声もかけられず放置されたのも情けないし腹立つ。
帰り道、全てが嫌になってTinderを消した。
たぶんはじめましてだけど、なんにしても元気でいてね
はじめまして、内科勤務医(膠原病科所属)増田と申します。同業者の皆さんお疲れ様です!
私ごとですが一昨年から市中病院に転勤となり内科救急の現場にがっつり関わることとなりました。2年やっているうちに救急来院される患者様に時間帯ごと特徴があるのでは?と感じGWの息抜きに記録してみました。あくまでn=1の田舎2次救急、外科系は別医師が対応という条件なので、こんな病院もあるんだなぁくらいに聞いてください(コロナに関する当院での対応については省略します)
この時間は最後の駆け込み的に施設入所中の80-90才がいらっしゃいます。夕食前の検温で発熱を確認あるいはその時点で意識がはっきりしないとのことで救急要請になります。点滴も取れないほどの細くて脆い血管、複雑な病歴、認知症の進行、ADLは全介助と一筋縄ではいきません。大抵血液検査と画像で〇〇炎あるいは高度脱水の診断となり、半分程度の方が入院となります。
20-0時
この時間は一晩は我慢できると思ったけど駄目でした…と申し訳なさそうに来院される腹痛がメイン層です。なぜか朝からすごく痛いのに日中受診せず救急帯になってから来院される患者様もいますが。原因は虫垂炎、膵炎、胆嚢炎、感染性腸炎、月経痛がcommonですが、穿孔・捻転・腸閉塞まで多種多彩です。必要に応じて造影CTを撮りますが、その場合基本的に時間を急ぐなにかが写ります。一晩勤務していると消化器内科・外科当番医をどちらか呼ぶかどちらも呼ぶ症例に必ず当たります。呼ばない日はない気がします。消化器の先生いつもありがとうございます。
0-3時
遅れてやってくる腹痛患者様(救急センターが23時まで。そこからの転院搬送は遅くなる)を捌いていると、不摂生の末ついに心臓の血管を詰まらせたアドヒアランスの悪い患者様の時間に突入します。ぱんぱんに張った腕から点滴(難度高)、脂肪に埋まった大腿動脈…本当に医者泣かせです。痩せてください。それでも検査を進めていくと糖尿病のせいでさほど痛くない心筋梗塞と判明し、外来に緊張感が走ります。循環器の先生をコール後、外来で心カテ準備をしていると先生が到着。簡単な病歴をプレゼンしてバトンタッチ。解離の場合は当院では診れませんので造影CT・転院搬送の準備を進めます。この時間の胸痛は一刻を争うケースが多いので…
そしてこの時間帯といえば急性アルコール中毒と精神疾患患者様の過剰服薬…ガーグルベースン間に合わず床に広がった吐物の処理は精神的にくるものがあります。
3-6時
アラサーが視野に入ってきた私の活動限界は3時半なんですが、1時以降に来院がなければ3時くらいには仮眠が取れる…と見せかけて寝ついて1時間で事務から30分後に自家用車で来院ありと電話がはいります、がっかり。自家用車は来るまで遅いアンド時間通り来ないアンド30分が仮眠とるには短すぎるの三重苦。そして5時台の花形といえば起床後手足の麻痺に気づいた高血圧の患者様。まあ大体脳梗塞なので発症時刻推定して神経所見取ったあと頭部CT,MRIへ送り、神経内科の先生に引き渡す準備をします。MRIの長い長い撮影の合間に、意識消失できた若者と突然目眩で嘔吐を繰り返す中高年の検査を進めておきます。命に関わる疾患がルールアウトされれば帰宅可能です。
6-8時半
5時台に来た患者を診察終了するといつのまにか空が明るい。私も研修医も限界はとうに超えており、7時半の患者は病棟周りをしていた救急科の先生に引き継ぎ、救急外来は解散。しかしまだ救急来院者一覧の記載が残ってます。年齢性別病名入院の有無と助けてくれた先生の名前とありがとうを書いて今度こそ終わりです。今夜も15人診たんだなぁ…と感慨に浸ります。
と、大体一晩こんな感じですね。8時半になっても病棟業務があるので、救急外来終わってもまだ帰れません。回診、血液検査のデータ見て必要に応じて検査と処置追加、点滴と内服薬が切れてれば出す、カルテ記載。これが終わって持ち患の急変がなければ帰れます。帰って寝て次の日8時半からまた仕事です。我ながら働いてるなぁ。赴任したての頃は次から次に担ぎ込まれて来る患者!忙しい!現場やばい!寝れない!大学病院いた頃と大違い!と大慌てだったんですけど、命からがらなんとかやってます。あとどの診療科の先生にも本当にいつもお世話になってます!ありがとうございます!
最後にこれは我慢できないくらい痛い、何かある…!って思ったら躊躇わずに救急に来てください!!ただ何となくとかのような気がするとかちょっと心配でくらいであれば平日日中の診療時間中にお願いします。あと不摂生な人は生活バランス整えて機を見て定期検診行ってくださいね。心筋梗塞!吐くほど痛いですよ!
投げ銭で女の子の人生を壊した増田を読んでイチナナに潜入してみた。
23時頃にログインしたので配信者は多かった。女子8割男子2割ぐらい。配信者のことを「ライバー」と呼ぶらしい。
配信中のライバーを一覧で確認する。リストにはプロフィールのサムネ画像がずらっと並ぶ。
可愛いライバーを選んで配信中のライブを観る。うん、サムネと全然違う。次。次とザッピングしていく。
ログインした時間帯が悪かったのかもしれない。みんなメイクを落として部屋着で配信してるので特別感がない。
いろんなライバーを行ったり来たりしながら写真も動画もめちゃくちゃ可愛い子を見つけた。可愛いと言うより美人。
しっかりメイクして服装も清楚。髪は茶色で巻き髪でキリッとした顔、ぱっちりした目でモデル系の子だった。
はじめましてと挨拶すると美人ライバーが自分の名前を呼んでくれる。「増田さんこんばんはー」
挨拶されて喜んだのもつかの間。次々と新しい視聴者が増える。美人ライバーは新しい視聴者が入室するたびに名前を呼んで挨拶する。
視聴者はあまりコメントをしない。動画を見てるだけ。美人ライバーは自分の話はせず、ただひたすら視聴者の名前を呼んでいく。
視聴者の中にはライバー親衛隊のような人がいてコメント欄に定期的にライバーのプロフィールをポストしている。
名前や属性、いまどんなイベントに参加していて何のプレゼントが欲しいかなどライバー本人が書きにくいことを一般の視聴者に知らせる。
プレゼントというのはイチナナ内で購入できるスタンプのようなアイテムで、視聴者がライバーに好きなだけあげることができる。
アイテムをプレゼントすると配信中の画面中央に表示され、さながらパチンコのような演出が始まる。
自分も試しにコインを買って美人ライバーが欲しがっている240コインのアイテムをプレゼントする。日本円にして80円ぐらいだ。
画面にアイテムが表示されて「増田さんがプレゼントしました(240)」と80円のプレゼントをしたことが画面に表示される。
美人ライバーはそれを見て「嬉しい!増田さんありがとう!」と笑顔で喜んでくれる。
80円でこんなに喜んでくれるのが楽しくなって、ふたつみっつとどんどんプレゼントしていく。すると美人ライバーは驚きながら口に手を当てて
「ヤバーい!ほんと嬉しい!増田さんありがとう!」と大喜びしてくれる。そして親衛隊の人がお礼のコメントをしてくれる。
美人ライバーに何度も名前を呼んでもらえたので自分を覚えてもらったような気がして嬉しくなった。
配信を見始めてどれぐらいたっただろう。画面にこれまで見たことのないド派手なアイテムが表示された。
「○○さんがプレゼントしました(24000)」と表示されている。イチナナでは3コイン1円ぐらいなのでこのド派手なプレゼントは約8000円の高額プレゼントだった。
美人ライバーは声を失うぐらい驚いて画面を凝視していた。そしてアイテムの演出が終わって美人ライバーはとにかく喜んだ。
参加しているイベントのポイントが獲得できてランクが上がるらしい。美人ライバーはトップ10入りを目指していた。
その後もド派手なプレゼントをした視聴者の勢いは止まらず次々とアイテムが投下されていく。
8000円、1000円、1000円、と高額アイテムが絶え間なく表示されて美人ライバーのテンションがどんどん上がる。
それにつられて他の視聴者のテンションも上がり少額ながらアイテムを投下していく。80円、80円、500円。
そのうちアイテムの演出が止まらなくなり花火のように入り乱れて美人ライバーは視聴者の名前を大声で連呼していく。
そしてある視聴者が10万コインの特大花火を打ち上げたところで美人ライバーのテンションは最高潮に達した。
大きな演出が終わり静かな時間が訪れる。心地よい充足感があった。気づけば2時間ほど経過していた。
コメントで寝ることを伝えて応援してると言った。美人ライバーは名前を呼んでお礼を言ってくれた。
やあ。おひさしぶりでございます。
バイトのおじさん(https://anond.hatelabo.jp/20170410000627)です。知らないひとは、はじめまして。
おじさん、本業は零細IT系会社の役員やらせてもらってるんだけど、このコロナ禍でも、テレワークでなんとかやってます。
まあね、もともとネットワークとPCがあれば何処でもできる仕事だからね。
さて問題はバイトの方で、あれからもずっと続けてたんだけど、今年の3月以降、お店が休業中でバイトできてないよ。
わりと人が集まりやすい施設に近い飲食店だったし、懸命な判断だよね。
しかし、困ったよ。
週末だけとはいえ、3年も継続してたバイトが突然なくなったら、めっちゃ暇をもて余しちゃってさ。
おじさん、お小遣いだけじゃ生きていけない身体になっちゃったから、バイト代がないとマジでやばいよ。
最初は2~3か月もすりゃバイト先も営業開始するっしょ!とか楽観視してたけどさ、さすがに先が見えなくなってきたよね。
おじさん、バイトのプロだからね、コロナ禍になる数か月前から、ちゃんとバイト情報をウォッチし続けて、やばげなところとそうじゃないところの区別がつくようになってるからさ。
定期的に求人でてるとこは多分、やべえヤツがいるから人が定着しないとこだよね。こういうところは除外して、残った中から「Wワーク可」「週1OK」「土日のみOK」みたいなところを見繕って、応募しといたよ。
じゃ、おじさん、バイト決まったら、また報告するね。
私は所謂「パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。
私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。
お金はそんなにない家庭だった。
まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。
勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。
両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さは大事だからそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものだから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。
そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。
未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店でバイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。
家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。
休日は地元の不良仲間とカラオケ、プリクラ、安い古着屋で服を漁る。
今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。
私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。
そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。
車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。
ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎町からカラフルでキラキラ輝いている街を闊歩するように。
当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。
とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。
毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。
人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。
家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。
とにかく貪欲になっていく。
当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。
ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。
月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。
新宿で家賃は20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店でブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。
働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。
つくづく私は運の良い人間だ。
いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」
なんて言われた。
その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。
金以外何も見えていなかった。
こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。
早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。
詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション。家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具。
こうして私のパパ活が始まった。
初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。
自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。
エルメス、セリーヌ、バレンシアガ、ディオール、ルブタン、ジバンシー、フェンディ、ヴィトン、バーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。
片田舎で1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。
もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。
専属の運転手に毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから。
約半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。
欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。
たしかに生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。
それでも、何かが足りない。
あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的、暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。
只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。
そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。
みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。
...。
結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自身生活の差に号泣してしまいました。
仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートでスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。
母親は100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。
妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズを大事に使っている。
ショックだった。
私は、最悪だ。
金に塗れ、周りの事など見ていなかった。
思えば収入が増えた時点で実家に仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分にお金を使い続けた。
本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。
お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。
現に私はまだパパ活を続けている。
今の生活を手放すのが怖い。
ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。
本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。
20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。
この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。
私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。
お金以外で感情を表現することができなくなった私は、毎月お金を実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています。
正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。
私は所謂「パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。
私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。
お金はそんなにない家庭だった。
まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。
勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。
両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さは大事だからそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものだから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。
そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。
未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店でバイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。
家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。
休日は地元の不良仲間とカラオケ、プリクラ、安い古着屋で服を漁る。
今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。
私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。
そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。
車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。
ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎町からカラフルでキラキラ輝いている街を闊歩するように。
当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。
とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。
毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。
人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。
家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。
とにかく貪欲になっていく。
当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。
ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。
月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。
新宿で家賃は20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店でブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。
働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。
つくづく私は運の良い人間だ。
いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」
なんて言われた。
その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。
金以外何も見えていなかった。
こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。
早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。
詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション。家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具。
こうして私のパパ活が始まった。
初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。
自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。
エルメス、セリーヌ、バレンシアガ、ディオール、ルブタン、ジバンシー、フェンディ、ヴィトン、バーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。
片田舎で1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。
もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。
専属の運転手に毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから。
約半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。
欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。
たしかに生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。
それでも、何かが足りない。
あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的、暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。
只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。
そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。
みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。
...。
結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自身生活の差に号泣してしまいました。
仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートでスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。
母親は100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。
妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズを大事に使っている。
ショックだった。
私は、最悪だ。
金に塗れ、周りの事など見ていなかった。
思えば収入が増えた時点で実家に仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分にお金を使い続けた。
本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。
お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。
現に私はまだパパ活を続けている。
今の生活を手放すのが怖い。
ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。
本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。
20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。
この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。
私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。
お金以外で感情を表現することができなくなった私は、毎月お金を実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています。
正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。
あ、ウィルスじゃなくてウイルスでお願いします。ガス機器のコロナとは無関係ね、そこんとこよろしゅう。
いやしかし、世間を、いや、世界をお騒がせしてごめんなさい。まずはあたしのバイオグラフィーを知ってもらおうかな。
武漢のコウモリに住んでるあたすたちだけど、ちょっとしたきっかけでニンゲンにも住むことになったのよ。
あたすの友達がね、ニンゲンに食べられちゃったのよ。でもね、あたすたち小さくて、すぐ侵入しちゃうから、ニンゲンにも移住できちゃったのよね~。
移住したら終いよ~。どんどん子どもができちゃうの。あ、別にセクロスしたわけじゃないよ。
そしたらたちまち世界中のニンゲンに住まわせてもらうことになっちゃってさ。そんな増殖するつもりはなかったんだけど、あたしたち知能がないから勝手にどんどん増えちゃうのよね。
え?今後どうするって?うーん、それはあたすたちにもわかんないなあー。ひとまず熱とアルコールに弱いからそこから攻められるとちょっとつらぽよ。
勘違いしないでほしいのは、あたすたちは別にニンゲンを滅ぼすつもりはないのよ。無意識にそーゆー方向に事が進んじゃうの。だからね、あたすたちがどうなるかはニンゲン次第なの。
まあさ、そんな感じでさ、お互い仲良く暮らしていきましょうよ。
じゃ、またね。あったかくして寝ろよ~。
私は子供だったらしい。
突然記憶が途切れたのではなく、時間とともに忘却してしまったのだと思われる。
だから親に「はじめまして」と言うタイプではない。私にとって親は昔からオンリーワンだ。
子供の頃の私が分からないから、どういうテレビ漫画を好んでいただとか、どんな音楽が聴いていたとか、そういう話が全くできない。
親から聞いた話によって、私がどんな子供だったかを知ることがある。
まず、相撲が好きだったらしい。昔は大柄で、「大きくなったら御相撲さんになりたい」などと宣っていたようだ。
大会でもそれなりの成績を残したということを聞かされている。
また、本が好きだったことも分かっている。家の押入れに、私が読んだと思われる本のリストが入っていた。
今では本など全く読まないのだが、当時は推理小説などを好んで読んでいたそうだ。