はてなキーワード: お祭り騒ぎとは
まず結論をいうと、まごうことなきスターウォーズだった。それでいてJ.J.らしくエンタメしていた。賛否両論とか駄作とか煽ってるサイトが散見されるが、普通に誰もが見るに値する快作なので、細かいこたあいいから見てくればいいと思う。めっちゃ楽めるから!
以下、雑感。小言が少し多くなってしまっているけど、これ以上のリブートは考えられないぐらいよくできてたと思う。ありがとうJJありがとうディズニー。
・スターウォーズだった!
すごく重要なことだけど、純度の高いスターウォーズだった。こんなのスターウォーズじゃないと感じることはほとんどないと思う。ビジュアルとしても4,5,6の順当な現代版というちゃんと出せたし。ちょっと実写にこだわりすぎてセット感出てるところもあったけど。
・レイとBB8は最高
レイはもうなんというか、最高。新たなヒロイン誕生という感じ。正直うまく表現できないけど、カリスマ感ある。BB8もまたかわいすぎて最高。トレーラーで見たときにはちょっと露骨にかわいくし過ぎだって思ってたけど、劇中だともっともっとかわいかったし、かわいすぎて露骨だとかどうでもよくなった。BB8最高。普通にC3POやR2D2を上回ってた。あと、ポーも凄くよかった。
このハンソロはちょっと旧作とは別人じゃないかと感じるぐらいノリノリで活躍していたし感情豊かに演技していた。
・フィンとレイはどうだろう?
フィンはキャラ造形と元ストームトゥルーパーという設定が正直ちぐはぐだし、ノリがモダンな若者感ありすぎて世界観からも浮いているように感じた。レイはなんか…ちがう。顔が。マスクとったときに軽く笑ってしまった。スリザリン顔という表現は的確で面白い。そしてレイはマスクとるの早すぎない?
全編通して旧作のオマージュ祭りなのはまあいいんだけど、クライマックスが完全にデススター破壊なのはやりすぎ。破壊成功しても「知ってた!」てなってしまうからなあ。だったらせめて、超大爆発とかエンディングで超お祭り騒ぎとかで盛り上げてほしいんだけど、全然そっけない演出のままあのエンディングを迎えるので正直消化不良感はある。いやみんな途方もないことをやり遂げたんじゃん!打ち上げしようよ打ち上げ!もしくは表彰式!
・敵がもっと強大感欲しい
レンの雑魚感自体はまあ意図的なものなんだと思うからいいけど、あの親玉っぽいやつも小物間漂ってたのがなー。というか逆光でデカい宇宙人…てなんか安直じゃない?得体のしれない強大な敵みたいなのが欲しかったなー
先日、『選挙カーがはた迷惑な大声で名前を連呼する理由を知った時のこと』という文章を書いた。
予想外の反響を得て、驚くとともに、うれしくも思う。
そもそも記事を書くきっかけとなったサイバーメガネさんも、さっそく内容をフォローするように
『無党派層はコスパが悪くて当てにならない』というエントリを書いてくださった。
なぜ、反響があったかといえば、おそらく、あの頃の自分と同じように選挙の現場を見たことがなく、
「なぜ、反感を買うだけなのに、選挙カーは騒音をまき散らしているのだろう」と疑問に思っていた人が多かったのだろう。
中には、「ああいうばあさんは、もうすぐいなくなるだろう」という趣旨のコメントもあったが、僕はそうは思わない。
そもそも、あれはまだ橋本龍太郎が総理大臣をやっていた頃の話だ。
つまり、かれこれ20年近く前の話なのだが、その後も状況にさほど大きな変化はなかったことは、いくつかのブコメを見るだけでも分かる。
次の20年で変わるかといえば、そうでもないだろう。なぜそう思うかを、書いていこうと思う。
あの頃、「無党派層」という言葉はすでにメディアに登場していた。
(wikiによれば、大阪府知事に横山ノック、東京都知事に青島幸男が当選するという「珍事」が起きた時に注目され、流行語大賞をとったそうである。
その前に「日本新党ブーム」を経て、細川内閣が誕生したころには、まだメディアではメジャーな言葉ではなかったのか)。
無党派層に心情が近かった当時の僕も、「ああいうばあさんみたいなタイプの人は、いずれいなくなるのだろう」と思っていた。
だが、少なくとも20年程度では、いなくならなかった。
思い起こしてみれば、あの当時から、「応援しているのに、なぜウチのほうに選挙カーがこないのか」と苦情をいうのは、必ずしも年寄とは限らなかったのだ。
その渦中に身を投じてみれば分かるが、選挙というのは一種の「お祭り」である。
であれば、選挙カーという「神輿」は、自分の家の近所に来てくれたほうが楽しかろう。
お祭りというのは、参加する者にとっては楽しかろうが、部外者にとっては迷惑で騒々しいだけだ。ハロウィンを見ればわかる。
最近、高知県では、新住民からの「よさこい祭りの練習の騒音がうるさい」という苦情が増えて、祭りの伝統を守りたい人々は対応に苦慮しているらしい。
祭に参加して騒ぎたい人々と、外側にいて「うるさい」と感じる人とは、どうしても対立する。
それは、祭りのルーツがどうとか、そんなこととは、おそらく関係がない。
僕はあの頃、お祭りに参加して盛り上がるのは年寄りのやることだと思っていた。
だが、実際にはそうでもなかった。
古臭い祭りにはそっぽを向いても、なにか面白そうな新しいお祭りあれば、こぞって参加するという人たちが、世の中には相当程度いるのだ。
既成政党による「ドブ板選挙祭り」にはそっぽを向いている若者が、国会議事堂前でSEALDs祭に参加したって、なんの不思議もない。
お祭りといえば、あの選挙事務所でバイトをしていたとき、幹部がにわかに、ちょっとしたお祭り騒ぎになったことがあった。
総裁とは誰のことなのか、僕はにわかに判じかねたが、それは当時、自民党総裁にして総理大臣でもあった橋本龍太郎のことであった。
事務所の関係者は「総理」でも「首相」でも、ましてや「ハシリュウ」でもなく、「総裁」と呼んでいた。
総裁が応援しに来てくれるということは、つまり、その候補者や選挙区を党本部が重視している証拠なのだが、、
橋本龍太郎という人は日本の歴代総理には珍しく、その端正なルックスで女性人気がきわめて高かった。
慶応大学在学中に第一期東宝ニューフェイスに誘われたこともあるというから、「政治家にしてはイケてる」というレベルではない。
当然、「集客力」も高く、事務所としては、願ってもない応援弁士なのである。
今でいえば、小泉進次郎の人気が、近いものがあるのかもしれない。
当日は、それはもう「お祭り騒ぎ」だった。バイトも支持者も大勢駆り出された。
事務所の幹部は警察官やSPと打ち合わせに余念がなく、事務所の司令塔たる候補者の長女は、誇らしげな顔をしていた。
実際、当時の橋本龍太郎は、「本日、○時に、橋本龍太郎総裁が、応援演説に来られます!!」と呼びかければ、
「エッ、うそ!? マジ? こんなトコにハシモトソーリがくるの? じゃ、ちょっと見ていこうかな」
などと騒ぐほどの人気があった。
「もし、総裁が演説している最中に暴漢が襲いかかって、それをウチの先生が体を張って守って、ケガして運ばれたりしたら、明日の新聞の一面になりますかね?」
「ああ。そうなったら先生は、もう当選確実だな。お前、いっちょやってみるか?」
僕らは、大分親しくなった事務所の下っ端幹部と、そんな軽口をたたいたりした。
定刻になると、ちょうどライブの最前列でファンを押さえるスタッフのように、バイトや運動員が群衆を抑えている前に、黒塗りの車列が到着した。
SPに囲まれながら降り立った橋本龍太郎は、思った以上に背が低かったが、確かに二枚目だった。
「世の中には、選挙になると、消費税率は下げて福祉の水準は上げるなどと、夢のようなことを訴える政党もありますが、
私には、そんな魔法使いのようなお約束をすることはできません」
などと語りかけるイヤミな調子には、好き好きがあっただろうけれど。
当日、街頭には大勢の支持者が動員されていたけれど、それを上回る人々が足を止めた。
それがきっかけで自民党候補者に投票したひともいるのではないだろうか?
だが、なにより、事務所に集う人々は、「総裁が来てくれた」「予想以上に人が集まった」という事実に興奮し、
例のばあさんは、街頭には来ていなかっただろうが、
「自分の支持する先生のために、橋本さんが応援に来てくれた」という事実に喜びを感じ、
ますます「近所の人に、投票してくれるように頼む」という彼女なりの方法で、お祭りを楽しんだことだろう。
「お祭りだなんて、とんでもない。選挙というのは、冷静に過去の実績や提示された政策を比較検討して、適切な候補者に投票すべきだ」
という人もいるだろう。それは、おそらく正論だ。
だが、そういう正論を唱える人たちが、政策とやらにどの程度つうじているのか。
数多ある課題の、すべての軽重を判断して、どれが適切な政策が判断することが、果たして可能なのか。
それに、どんなに「政策」が素晴らしかったとて、口先だけでは何とでもいえる。
政策はもちろんのこと、きちんと有権者に呼びかけ、汗を流している人を選ぶべきではないのか、という話にもなる。
そもそも政策など判断しかねるという大多数の人は、「難しいことは分からないけれど、あの人ならば大丈夫」という人に、判断を託すことになろう。
そして、「あの人=政策を作成、判断し、実行する人」というのは、つまり「権力者」だ。
かつての世の中では、文字通り血で血を洗う抗争をくぐり抜け、数多の屍の上に生き残った者が権力を握ったのだろうが、
そんなことで無闇に人の命が奪われるのはよろしくないということで、選挙というお祭りで権力者を選ぶようになったというのが、つまり民主政治なのだと思う。
「あの、お偉い先生も、私の一票があるから、大きな顔をしていられる」「私の一票のために、頭を下げてくれる」
そのことに喜びを感じられる人が、選挙というお祭りに参加する。
選挙カーを待ちわびる老人(のような人)とは、そういう人たちではないかと思うのだ。
そして、「お祭り」を利用して権力を上りつめようとする人間は、冷めた傍観者たちに参加を促すよりも、
「お祭り気質」な人たちを盛り上げることに注力した方が、効率が良いことを知っている。
時に、「権力者」という個人ではなくて、「戦争法案をつぶす」とか、そういう思想だが理念だか、そんなようなものを「ご神体」にしてお祭りが催されることもあろう。
多分、それがSEALDsだ。
彼らは初期の目的を達することはできなかったが、多分、世の中を意図的に動かそうと思えば、お祭りのような手段を使ってエネルギーを結集することが必要なのだと思う。
そんなこととは関係なしに、僕らから全く見えないどこかで、いつのまにか物事が決まっていく世の中は、多分、今の世より住みにくかろう。
僕はそんな世の中に住みたくないし、世の多くの人が、そう望んでいると思う。
だから僕は、「選挙カーを待ちわびる老人(のような人)」は、そう簡単に消えないと思うのだ。
消えるべきではない、といえるかもしれない。
選挙のやり方は変わっていけば、騒音をまき散らす選挙カーのような方法は使われなくもなるだろう。
選挙ではないけれど、今もネットでは、「炎上」という名のお祭り騒ぎが日夜開催され、それに参加する人もいれば、眉を顰める人もいる。
僕の粗末な頭では具体的に想像できないけれど、仮にネット選挙が今より進化したとしても、
選挙カーの連呼とは違う種類の「騒音」に悩まされ、うっとうしくなる日がくるのだろう。
ところで、僕はハロウィンに仮装して参加したことがない。今後もたぶん、参加することはないだろう。
だが、心の片隅に、あの、屈託なく仮装して楽しんでいる人たちを羨ましく思う気持ちがないかと聞かれると、全くないとは言い切れない。
選挙カーで名前を連呼する事象について言及すると「そもそも公職選挙法で規定されているから、それしかできないのだ」とブコメやトラバでご教示くださる方がいる。
仮に、連呼以外のことが認められ、選挙カーが政策を訴えだしても、「うるさい」と思う人は「うるさい」と思うだろうし、
走り回る選挙カーから、「政策に興味のある意識が高い有権者」の判断材料になるほど意義のある複雑な内容が訴えられるとも思えない。
会社ではついに既婚子無が俺だけになった。
周りはもう四六時中子供子供子供子供子供子供子供子供子供!!!!!!!という感じだ。
子供に興味がない。人生のリソースの5%くらいならまあ割いてもいいかな?と思わなくもないけどそれ以上は面倒すぎる。
周りもみんなそれぞれだよねって感じだったら俺の信じるように生きるのだけど、実際は上記のようなお祭り騒ぎだ。
サッカーに全く興味が無いので観戦もプレーも全くしないんだけど周囲はサッカーに興味ないなんて人間じゃないというくらいのノリで毎日毎日夕方になると「フットサルやるよな!早く行こうぜ!会社の周り全部フットサルコートだし!」と言われ続ける感じだ。
あまりにもそういう空気に当たりすぎて頭がおかしくなったのか、最近は意図せず子供ができてしまって絶望するという悪夢をよく見る。直近のは絶望する俺を見た子供が自殺し、申し訳ないと思うと同時にホッとするという内容だった。
6月16日の朝日社説。社説子は朝日新聞読者は論理能力の一切無いバカだと確信しているのだろう。この社説は安保法制に反対する側の人々がいかに怠惰かえぐり出している。いや、そもそも彼らは本当に安保法制を潰したいのだろうか?安保法制を潰すのが目的なのではなく、安保法制反対運動のお祭り騒ぎをエンジョイしたいだけなのではなかろうか。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11809039.html?ref=editorial_backnumber
これによれば、集団的自衛権と憲法との関係を整理した1972年(昭和47年)の政府見解は以下のとおり。
①わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを9条は禁じていない。
③従って、他国に加えられた武力攻撃を阻止する集団的自衛権の行使は許されない。
ここでは 集団的自衛権の行使>必要最小限の範囲 という命題が背後にある。しかし、集団的自衛権の行使の定義は一応一定したものである一方「必要最小限の範囲」は軍事技術の進歩や国際情勢の変化によって変わり得るものだ。
朝日新聞は「理屈は同じなのに結論だけを百八十度ひっくり返す。環境が変われば黒を白にしてよいというのだろうか」などと言うがこれは感情的な詭弁というものだ。理屈が同じでも議論の前提が変わったら推論の結果が変化するのは当然ではないか。論理的な反論ではない。
さらに後段で「こんなことやっていいの?ほんとにいいの?だめだよね?」とばかりに非難を続けるが散漫で情緒的なばかりだ。要するに社説子が違憲だと思い込んでいる事例を列挙しているにすぎず、それらが本当に違憲かどうかはそれが「必要最小限」かどうかによる。そして必要最小限を越えることを示せれば違憲だね、と論証できる。これが論理的な議論というものだ。そしてそうするには代案を示すか他の根拠をあげればよい。なんでこんな無駄な文章をつらねる必要があるのか理解に苦しむ。
そもそも安保法制に論理的に反対するのは簡単なことだ。政府の主張はとどのつまり「今まで
となった」
というだけなのだから、これをつき崩せばいい。ならば集団的自衛権自衛権が必要と政府が想定している各種事態に対して 集団的自衛権を行使せずして対処する方策を提示するか方策自体が必要ない事を論証すればよい。それができないなら集団的自衛権の行使が必要なんだろうねとなる。それ以外の方法であれやこれやと理屈をこねて無理な反対ごっこをしてみても所詮は負け犬の遠吠え。
ところでそもそも①、②、③すら認めない人々もいる。だがこれは昭和47年以来の政府見解すら認めない人々。左翼ばかりとは限らないが、どちらだとしても今更国会で議論するのは時間の無駄だ。適当に官僚に答弁させとけばいいのではないか。
アイテム課金って形。課金には北米版のプリペイドカードが必要だがな。
戦闘機で今すぐ暴れたいっていうなら、ロケットポッドは買ったほうがいいと思うがな。(弱体化されてないかは不明だが)
このゲームの特徴は、なんといっても最大2000人同時対戦という唯一無二のMMOFPSだということ。
まあそれはあくまで最大の場合の話で、俺がPC版でやってたころは一ワールドの人口合計200人、人気エリアに90人ぐらい集まってそれが2,3グループあって、後は過疎エリアに点々と人がいる感じだったが、PS4版はどうなることやら。
でも、いずれにせよかなりの人数での同時対戦ができることに変わりはない。
PS3のM.A.G.が好きだったプレイヤーはこれにダダはまりすることだろう。
あれは3勢力同時対戦だったがこれも同じだ。
ただ、あれは256人同時対戦とはいえ、実際は小隊12人だったっけ?と敵対勢力12人ぐらいの小さな小競り合いがあちこちで起きているだけだった。
たまーになんかすごい空爆があったりもするが、使えるのは一貫して歩兵のみ。
しかしこれはまじで90人近くがひとつのとこで集まってカオスな戦いを繰り広げる。
しかもM.A.G.にはなかった戦闘機や戦車もあるからますますお祭り騒ぎになる。
で、戦いに疲れたら過疎エリアにいったらそこでもごく小規模な戦いがあったりするので、過疎エリアでの野良プレイヤーとの連携プレイも面白い。
また、もうひとつの特徴としてゲームとしての敷居がとても低いということが上げられる。
(北米版アカウントや北米版課金など、ゲーム開始までの敷居は日本人にとっては高いが...)
PlanetSide2では大歓迎だ。
自分がずっと同じ位置で定点射撃してても、人がいっぱいいるので誰も文句を言わない。
前述のとおり、人がいっぱいいるので、初心者だろうが上級者だろうが全員やられるときはあっさりやられる。死んでも特にペナルティとかもないので、キルデス比とかどうでもいい。みんな毎度死にまくるし。
味方を巻き込んで敵陣の中で自爆しようが何しようが全部自由だ。
思う存分腕を磨くといい。
仕事が忙しくてなかなかできない社会人プレイヤーだって大歓迎。
抜けても何もペナルティがない。武器のアップグレード状況などはオートセーブされるから、安心して即抜けできるぞ。
しかも激戦地に一直線で飛んでいくポッドってやつがあるから、面倒な戦場への移動の手間も一切ない。
さらに前回のログインから時間があけばあくほどゲーム内での武器アップグレードなどに使えるサートってポイントが貯まるシステムがあるので、あんまりやってなくても、成長要素の補完ができるってわけ。
下手でも、即抜けでも、芋でも、誰一人ファンメールを送ってこない。
初心者から上級者まで、誰もが真の意味で気軽にできるFPSが、ここにある。
あ、俺がゲームで最強ってやつがしたい人だけは全く向いてないのでそういう方はCODに行って、どうぞ。
ちなみに増田はTerran Republicって勢力で作るぜ!
サーバーはわからない。もしPC版と同じ名前ならUS Conneryかな。
とりあえず人の多いサーバー選んどけば間違いない。
(この記事はニコニコアドベントカレンダー24日目の記事です)
さてアドベントカレンダーなわけだが、隅から隅まで見渡してネタになりそうなものがあればそれを口実に活動していく日本のインターネット文化の中で生まれたものだと思うわけですな
そういった文化はニコニコでも色強く現れていて、挙げればいくらでもあるのだが、今回は増田アドベントカレンダー1日目記事(http://anond.hatelabo.jp/20141201111008)に肖ったネタを一つ書きましょう
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ニコニコ動画の動画には一つ一つ投稿された順に動画ID(sm1 sm2 sm3・・・)がふられるのだがこれはURLで簡単に確認できるということもあってかキリ番動画を巡回するという文化がある
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AB%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%81%AAid%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%BE%E3%83%AD%E7%9B%AE%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%BC
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1000000
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1111111
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20000000
http://www.nicovideo.jp/watch/sm25190028
ということは巨大キリ番sm25252525まであと少しというわけで期待に胸がムネムネだ
sm25252525を迎える前にニコニコ動画上最も重要とも言えるだろうキリ番sm2525も確認してみよう
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2525
ん?
おかしいぞ、初期IDのsm2525となればSMILEVIDEOが始まった2007/3/6の投稿のはずなのに投稿日時は"2013年01月09日 14時55分 投稿"となっている。削除動画。再生数0。アカウント削除済み。
大百科によるとエンコードの関係で動画IDと動画投稿日時は必ずしも一致せずズレることもあるらしく、色々こじらせた結果エンコードに6年かかったというだけかもしれない
削除された動画は再生数は増えないので再生数0ということは誰にも再生されず消されたということになる
しかし削除動画用動画はアップロード者削除verとなっており、つまり6年間のエンコード終了直後に動画を削除したことになっているのだ
さきほど試してみたところエンコード中に動画削除、また動画投稿中止といったことはできそうになかった(昔と今では仕様が違う可能性もあるが)
webarchiveを確認するといまいちよくわからないが2009年10月16日に保存されており一応URLは存在していたことになる?
http://web.archive.org/web/20091016160600/http://www.nicovideo.jp/watch/sm2525
http://web.archive.org/web/20130201010643/http://www.nicovideo.jp/watch/sm2525
既にこの時点では削除されていたようだが、なんとここには投稿者名 oififth が表示されてある
この人?ニコ厨ではあるっぽいが
ユーザーID探したりリプライ飛ばして確認したりまだ色々調べようと思ったけど疲れたよ、もう・・・というわけで調査終了
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12561
ちなみにsm2525の単語記事が2013年8月9日に書かれたっぽいが削除されてある
http://dic.nicovideo.jp/a/sm2525
謎の多きsm2525・・・
お祭り騒ぎだったろう2007年3月7日の裏で起こったこの事件・・・
解明される日は来るのだろうか
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というわけでニコニコアドベントカレンダー24日目をお送りしました
今日になってニコニコアドベントカレンダーの存在に気づき、そして参加者が全然いなかったことに憤慨した結果 突貫工事で記事を書き上げたわけだが、もっと書けよ!!!!綴れよ郷太!!!!!!!!!!!!!!!
わっ、とお互いの似通ったところを見つけあって、その内容でパーンと花火のように盛り上がれ。
それができれば合格だ。もう何も考えるな。
多少の不満はあっても目をつぶれ。考えたら負けだ。
さっさと中田氏して子供つくって「できちゃった」のちょい前を計算して両家に挨拶にいけ。
挨拶が終わったあとにできたことがわかれば、両家もそこまで嫌な顔はしない。
さあ式の相談だ。
今持っている金はいくらか、両家は援助してくれるのか、
条件が狭まっているほうが物事ってのは強引にガリガリと進む。
いいか、結婚式はやるもんだ。
やらないのがかっこいいとか勘違いしているヤツ、テメーはダメだ。
学校を卒業したら卒業式、会社に入ったら入社式。そういうもんだ。一切悩むな。
彼らの前で人生の主役に一回なっとけ。それが後々効いてくる。
ここまでで半年が怒涛のように過ぎ去る。
両家のジジババがお祭り騒ぎだ。本人たちは大変でも周りはニコニコしてくれる。
その事実を受け止めてカラーバス効果についてふたりで話し合え。
子供のことで盛大にけんかしろ。お互いの体調や犠牲にしたもののことで罵り合え。
そして絶対に仲直りしろ。
それを繰り返せ。週に一回、三日に一回、いや毎日でもかまわない。
けんか→仲直り→けんか→仲直り……このサイクルが夫婦をつくる。
このサイクルが夫婦をつくる。
先日、クリエーター系の友人と東日本大震災が与えた影響について話した。影響と言っても創作界隈に関する話に限ってだ。
一応、立場を明かしておくと僕ら二人はどちらも震災による被害(計画停電を含め)は全く受けない地域にいた日本人だ。
友人曰く「311」がクリエーターの精神に与えた影響は凄く大きくて、震災前、震災後で明らかに作風が変わってくるであろうし、時代を分けるべきだ、とまで言っていた。
友人の言うところによると、震災や津波や原発事故はまさしく震災前に想像された世界の終わりであって、SF作品が書いてきたものだった。しかし、現実には世界は終わらなかったし、被災地以外では何一つ変わらない日常が続けられていた。そのことでSF作家というのは衝撃を受け、あの程度で世界は終わらない、と彼らが描く未来というのは決定的に変化してしまった……、まあそのようなことを言っていた。
その友人は震災というのを大きく受け取っていて、震災の当日や原発爆発の映像、連日の報道は「世界の終わり」に感じられたそうだ。津波の動画を見て涙を流した、と言っていた。
僕はまったく逆で、震災を小さく受け取っていた。友人の前ではそれに同調するように悲しいことだったよね、怖かったよね、と僕は言っていたけれど、内心は違った。僕はあの大震災にドラマを見ていた。僕にとって震災はエンターテイメントだった。最高に楽しく、ドキドキとわくわくの非日常を提供してくれる見世物にすぎなかった。世界の終わりなんて微塵も感じなかった。次の日も普通に日常が続いてたからね。動画を見て涙を流すという感覚が分からなかった。当事者以外にとっては対岸の火事だろうと思った。まぁ、こういうのはサッカーの日本代表が負けて泣いちゃう感覚と似ているんだろうと思う。僕の友人はそういうスポーツとかに感情移入するタイプだったから。僕にはスポーツを見てるだけの面白さがわからないので、津波動画で涙する感覚もわからなかったけど。
初日に津波が全てを洗い流したところに言い知れない高揚を覚え、原発が爆発している動画を見て思わず破顔した、これからこの国がどうなっていくのだろう、という期待感があった。ネットはお祭り騒ぎで、日本中がニュースにかじりついて浮き立っていた。その雰囲気を楽しみながら僕は極めて健全にコンテンツを消費していた。それには、どうせ僕には関係ないという、あくまで観客としての視点があった。僕と友人は被災地にはいなかったという環境は同じにも関わらず、こうも受け取るものが違っていた。友人はどこまでも日本人としての当事者意識があったのかもしれない。僕には日本の遠い一地域であった非日常な、それも歴史的にも珍しい10年単位でしか見れないだろうというようなビッグイベントとして見ていた。
その後は日本人と政府による茶番劇が始まって、この国はもう根本的なところで駄目になっているんだなとせせら笑って、楽しんでいた。そしてこのつまらない日常が帰ってきた。残ったのは日本という国に対する絶望だけだった。そういう意味で、震災は確かに影響があったかもしれない。直接的な影響なんてせいぜいFPSに水浸しのステージが増えたぐらいにしか感じられなかった。
震災はエンタメだったなんて言えば、人格を疑われるだろうからきっと言えないし、おそらくこのような考えを描いた創作物というのは10年経っても出てこないだろう。僕も自分の作品の中でこんな話はおそらく持ち出さないだろう。クリエーターの端くれとして、この感情を創作に取り入れたい、面白いとは思っているけれど、絶対に世に出せないだろうし、出しても正義感の強い方たちに袋叩きにされてひどい目に遭うだろう。それどころか、少なくとも2011年から5年ぐらいは震災を『ネタ』((題材、あるいはインスピレーション、元ネタ、設定の一部としての利用、様々な意味で))にしたエンタメ作品(ルポや感動の復興物語!以外の作品)というのは不謹慎だというので作られないだろう。だから、友人にはそのようなことは一切言えなかった。僕は情の深いふりをして、この場面に僕も胸が引き裂かれるようだったと言った。
創作に携わっていた人間なら、あるいはもっと広く、コンテンツを提供している人間であれば誰しもが、あの震災はネタになると確信したに違いない。現にどこかのアフィサイトの管理人だかが上手いこと震災でお金儲けしていたし、投資家や会社員だって、あの震災を利用しておいしい思いをした人は多いはずだ。とあるポンプ会社の社員は、震災の復興需要で業績もいいよと嬉しそうに僕に語ってくれた。あの一大イベントに皆が興奮していた。メディア関係者も視聴率にニコニコして、震災を報道するとき、歴史に残るような大きな出来事に携わり、自分が業界に入った理由を思い出しながら、使命感と臨場感、そしてちょっぴりゲスな気持ちでわくわくしていたはずだ。東北を救おうと盛り上がっていた皆が、日本の団結するときだと、あの雰囲気に、非日常に酔っていたに違いない。不謹慎なネタをネットに書き込み、他方でニコ生で電気をつけてる配信者に電気消せ、pc消せ不謹慎だろ、と書き込んでみたり、そうやって楽しんでいたはずだ。
僕はあの震災で絆だ、不謹慎だなどと喚き散らしたこの国の人々にもう何の愛着も沸いていない。元からそんなものはなかった。愛国心や愛郷心なんて一度も持ったことはなかった。これは僕だけじゃないはずだ。
さあ、もう一度、来てくれ。今度はこの国を吹き飛ばすぐらいに大きな地震を僕は待っている。
滅ぼそうぜ、世界。
あなたは正義感の強い人で、僕は確かに間違っているかもしれませんが、死ねとか言ったり人格否定するのはやめてください。上でも書きましたが人前では常識的な対応をしてます。事件現場で写メとかとりません。たぶん、この人たちと僕は理解しあえないんだなぁと思いました。
この国が吹き飛ぶぐらいの地震が来たら僕も喜んで巻き込まれますよ。もちろん、被害に遭ったときは泣き叫ぶかもしれないし、恐怖に震えるかもしれません、でもそれは僕が自殺願望を持っていたとしても、殴られれば泣いてしまうし、ナイフで脅されれば怖くて動けなくなるのと同じことなんです。実際に遭遇したときの反応と、願望は全く別のところにあると思います。夢を見すぎているかもしれませんが、全てが崩壊した退廃的な光景というのを生で見てみたい、この国なり、世界が滅びる瞬間が見たいっていうのは、現実的かどうかは置いておいて、多少願ってる人もいるんじゃないかなぁ、と思っていたんですけど、世界滅ぼそうという賛同は全然得られなかったのでした。
僕一人じゃなくてよかったーと思いました。
今後の参考にさせていただきます。皆様のクリエイティブな人生を心よりお祈りしております。
911に触れてる方、鋭いです。残響のテロルを見終えた後、911をネタにするなとマジギレしてる人を見て、創作に使って何が悪いと思ったのが、この記事の発端です。阪神淡路大震災はエンタメ的創作物でたまに見かけるのに、東日本大震災がネタになってはいけないのはなぜか、とか事件はいつからネタにされてよいのか、東京マグニチュードが震災後、自粛され扱いが変わったこと、ピングドラムもモチーフにサリンや酒鬼薔薇なんかを使っているが好意的に受け止められていたことなどを友人と話しているうちに3.11が創作に与えた影響という話に辿り着きました。
ほんとは個別で拾ってみたいブコメもあったのですが、慣れてない上に長くなりそうだったのでこのへんで。
私は小学校から大学まで、体育で一番低い評価以外とったことがないレベルの運動音痴。
当然あんまり体育の時間は好きじゃないんだけど、お祭り騒ぎは割と好きなので、球技大会や運動会はさほど嫌じゃなかった。
大嫌いだったのは、親から強制的に通わされていたテニスのスクール。
親は私の運動嫌いを心配して、何か生涯できるスポーツをと思ったらしい。
最初は学校のテニス部に入るよう言われたが、私がすぐ辞めたもんだから今度は親と一緒にスクールに入会させられた。
テニススクールの会員は大人が多くて、雰囲気が良い。経験に応じてクラスが分かれているから、ことさら上手い人の中で肩身が狭い思いもしない。
それでも私がスクールを嫌いだったのは、やはり親に監視されて無理やりやらされている、という意識のせいが大きかったのだろう。
それともう一つ、今でも覚えている嫌な思い出がある。
普段は上手下手関係なく誰とでも楽しそうにプレイしている、クラス内のそこそこ上手な会員の言葉だ。
ダブルスのチーム分けの時に、冗談めかした風に「○○さんと組むと負けるから嫌だなあ~」と笑っていたのだ。
○○さんは、勢いはあるもののコントロールが悪く、自滅が多い人。
要は、ヘタクソとは組みたくないという意味である。紳士ぶっていても上手な人の本音はやっぱりそれなのかと思って、絶望した。
客観的には大したことじゃないのだが、荒んだ気持ちの当時の私には堪えた。
いやマジで解らない。解る人教えて欲しい。
5月5日早朝に震源の深さ約160km、マグニチュード6.2の地震が発生。
NHKが都内の様子を中継するために表参道を映したところ、ちょうどそこにいた女性が「地震なんかないよ」とカメラに向かって発言し、路上で煙草を吸って、一緒にいた男性とチューしたらしい。
その女性がタレントの東森美和さんだったということで、本人がブログで5月5日早朝に起こった地震のNHK地震速報の件についてというエントリをあげたところ、コメント欄は「謝罪しろ!」の大合唱。
お祭り騒ぎにかこつけて、ただ叩いている人も多いと思うけど、真剣に謝罪を求めてる人もいそう。いったい何がどうなると謝罪を求めたくなるのか。
「芸能人たるもの、公でもプライベートでもメディアにのるときは、発言に気をつけねばならない」とか「うかつな発言するとこの頃はネットですぐ叩かれるから気を付けないとね」というのは、芸能界の先輩が後輩に諭す事柄だよね。
それをなんで一介の素人が偉そうにその道のプロに言ってんだろ。しかも「だから謝罪しろ」だって。
おまえ被災者なのか。そうでないならなに勝手に代弁してんだよ。
まあそれはさておき。「地震なんかないよ」と言ったら被災者の気持ちを踏みにじってることになるの? ここが解らん。
休日明けの表参道で一晩飲み明かしたであろう酔っぱらいが「地震なんかないよ」と言ってたら「これは表参道は大した被害なさそうだな」となるだけだと思うけど。
これは、まあ、解る。
「地震中継でやるのはやめろよ。ズームイン朝の中継の後ろでピースするぐらいにしとけ」ってことだよね。
まあ、ただ、あれ売名行為でやってるようには見えないな。「いや、あれは売名行為としてやってるよ」って思ってる人いたら、どうしてそう思うのか教えて。
NHKなんじゃねえの。
人のプライベートを勝手に全国に流して、そのために一人のタレントがぼこぼこに叩かれてる。
あの中継で東森さん達を映す必要はなかったし、「地震なんかないよ」の発言のあとですぐにカメラの向きを変えても良かったはず。
もし「面白そうだから撮っとこ」と思ってカメラを向けたなら、それこそ糾弾されるべきでしょう。
「我社のプライバシーへの配慮に欠ける報道により東森さんにご迷惑を掛ける事態となり大変申し訳ない」と釈明会見すべきじゃないか。
まあ、それやったら街中の様子を映すニュース映像が使えなくなっちゃうから、NHKはやらないと思うけどね。
地震で目は覚めて「大きいな」とは思ったけど、揺れの続く時間が全然短かったし「大したことないな」とそのまま寝てた。
地震でなんらかの被害がでるのは震度6超えてからだね。今回はとてもそこまでいく感じじゃなかった。
それを「震度5弱!!!」と大騒ぎしてみたり。しかも大手町の一部だけで、あとは震度4以下でしょ。まあ普通にちょっと大きな地震だな。
それなのに大騒ぎする人を見るとね「震度5弱でガタガタ言うなよ!」という気分だった。だから東森さんの「地震なんかないよ」発言は寧ろスカッとしたね。
東森美和さんにどうして謝罪を求めるのか理由が解る人教えてね。
はてな民には真剣に謝罪を求めてる人は少なそうだから、あんまり理由が集まらないかも知れないけど、それでも少しでも良いから意見聞きたいです。
twitterを見た感じではありますが「審査員ふざけるな」「アマチュアがもっと見たい」「○○さん(芸能人の歌いい!」みたいな意見が多かったです。
ひとつめは共通して、ふたつめはアカペラサークル員、みっつめは単なる芸能人のファンって感じです。
確かに審査員に音楽的なコメントができる人がいた方がいいんじゃないかなっていうのは間違いないんですけども、
コンテンツ力の問題なのかなぁとか。
素人、それも下手したら単位投げ捨てて歌いまくってる人たちの上手な歌or芸能人が片手間に練習したお祭り騒ぎ
どっちが見たいのかって話ですよね。
私はどっちが出てもそれなりに楽しむんですけど、アカペラサークルの人たちは納得しないみたい。twitterを引用すると「ただの大学生が有名になるチャンス、舞台だった」「おっくんのおっかけ楽しかった」「何がプロなの?サークルの○○さんの方が上手い」
YouTubeでやれ
「アカペラサークルの人の方がー」とかいうのはどっちでもいいんですよ。歌い手ファンの「プロ超えた!」と変わらない内輪の寒い評価なので。プロ歌手としての仕事の片手間でやってる人と大学生活何年って人と比べたらダメです。ボイパなんか普通に生きてたらやりませんしね。リズミカルに唾吐くとかしませんよね。
深夜で大学生枠とか、NHKの昼枠とかなら大学生(アマチュア)に歌わせられると思うんだけどなー。フジのゴールデンじゃアマチュア使えないのかな。