はてなキーワード: Emとは
EMって何の略?
なんでお前らチケットに書いてあることをまともに読まないの?文盲なの?
なんで流し見しただけで読んだつもりになって、ばかみたいな質問してくるの?
なんでほぼ毎回「それチケットに書いてありますよ」って言われてるのに、質問を送信する前に自分でdescriptionに目を通さないの?
人に質問する前にもう一回自分で読み直せよ、それが一番早いだろ。
送信ボタン押す前に再確認すればいいじゃん?なんでやんないの?ばかなの?
100歩譲って、1000歩譲って、10000歩譲って、無駄な確認質問してくるのはまだいい。
ドキュメントに書かれてることを読まずに、ばかみたいな質問すらしてこないで、実装漏れすんのやめてくれよ。勝手な思い込みでヘンテコな実装すんのやめてくれよ。
なんかもう前提が欠けてるからむちゃくちゃ過ぎてレビューと修正にめちゃくちゃ時間かかってるじゃねえかよ。
ほぼ毎回レビューの結果もう最初に出てきたものと別物、別機能になってたりするじゃねえか。
「レビューを受けて修正しました」じゃねえよ、もう異世界転生だよ。
んで、リリース後に不具合や漏れが発覚した時に「不具合、実装漏れはどうしても発生してしまうからしょうがない」とか言ってんじゃねえよ。
どの口が言ってんだよ。ベスト尽くしてねえやつがそれっぽいこと言ってんじゃねえよ。
ただの人災だよ。お前のせいだよ。
ミスは誰でもすることだよ。でもそれを「ミスはしょうがない」だけで片付けてたら何も変わらないだろ。
ミスの原因を明らかにする。しかしそれを咎めない。そして改善を図るのがあるべき姿だろ。
でもミスの原因を明らかにしようとすると無駄にプライドの高いお前らが発狂して暴れるからチームの振り返りも地獄だよ。
お前らがドキュメントをまともに読まないことが根本的な原因なのに、長年そこを避けた斜め上の話し合いしかできなくてゴミみたいなMTGになってる。
4keysとか言ってんじゃねえよ、お前らはとにかく文章をまともに読む癖をつけろよ。話はそれからだ。
うちの開発チームの自己愛モンスターたちと、長年に渡って過剰に遠慮して本質的な議論ができない体制をつくってメンバーを増長させたクソCTOにこの文章を捧ぐ。
おれは幼少期からひねくれた子供であった。疑り深い性格で、何かにつけて疑問を投げかけた。他人から「これはこうなんですよ」と言われると、決まって「ほんまか?」と反発した。素直とか純粋とは真逆の、反骨精神の強い子供であった。
教師やクラスメイトから何か言われるたび、おれは繰り返し叫んだ。
「ほんまか?」
そうして順調に友人を失っていったおれは、大学に上がる頃にはとうとう本物の一人ぼっちになった。噛みついてばかりの面倒くさい奴だと周囲に見限られたのだ。
そんなある日、インターネットの広大な海を放浪していて、「はてなブックマーク」というサイトにたどり着いた。トップページには記事の一覧が表示されている。なるほどスマートニュースみたいなもんか、と思った。
はてなブックマークにはブックマークコメントというものがあった。140文字以内でコメントを書くことが出来るらしい。
これが大きな転換点だった。
おれははてなブックマークにのめり込んだ。コメントを書いていると、おれはおれであることを許されたような気がした。ここなら自分らしくあってもいいんだ、と思った。どれだけ批判しても、邪推しても、ひねくれたコメントを書いても、それはただのコメントの一つとして溶け込んでいたし、時にはスターで輝いてさえいた。おれは夢中でコメントを書いた。
ブックマークコメントというものに魅了された。それがおれの人生だった。
ところではてなブックマークのコアなユーザーは「ブクマカ」と呼ばれるらしい。その名の響きにおれは妙な親近感を覚えた。「ブクマカ」という名前には母の優しさを思い起こさせるような温もりがあった。
気付けばおれもブクマカになっていた。
ブクマカ――――。
もしも誰かがおれに向かって
「お前の書いたことはすべて間違ってる。この嘘吐きめ。お前は一体何者なんだ」
と罵ってきたら、
おれは爽快に髪をかき上げてニヤリと笑い、こう答えるだろう。
頭にきたので一筆書きで毒を吐く。当方法人成りフリーランスエンジニア、というのは不正確で普通に事業やってるしストック売上あるし中堅のSIerや広告代理店くらいの仕事なら自力でいくらでも取れる。そこに本腰入れないのはプログラムが好きだから。支援先の営業が仕事取って来て自分はひたすらプログラム書くスタイルなら余計なこと考えず生産性Maxだし支援先ともWin-Win。最近はこのスタイル。ところで最近は開発の難度も上がってきたためかクライアントも見積時点でEMと面談したがるみたいね。呼ばれたので参上。別に構わない。10名以上を相手に何やら面談めいたものが始まりひたすら値踏みされる、まあ仕事取るにはそういうのも必要だよね、協力するよ。何やら質問されたので一つ一つ回答、そうだよね不安は解消したいよね答えますとも喜んで。質問のレベルは少し低いかな、委託者が技術に明るくないのはそういうもので別に気にならない。納期をとにかく気される、のでプロジェクト上の困難箇所をこの場で解決しちまおうかと思い幾つか技術スタックに関する質問をした瞬間、「あー『そういうの』は別の席で…」と一方的に質問打ち切り、解散。
え…?
間に合わせたいの君らだよね?間に合わせるために必要な情報収集なんだけど、それを一方的に遮断とか、何したいの?
いや解るよ。お客様のご機嫌損ねるわけにもいかないので小難しい質問は見えにくい所でやった方が良いんだよね。営業の席では耳障りの良い言葉が並んだ方が円滑に進むよね。以前は仕事も全部自分で取ってたからそこの機微は解る。のだが、ならどうして俺を呼んだ?それこそ『そういうの』は営業同士で勝手にやってくれませんかね。納期を心配してると聞いたのでこちとら丸2日かけて法令やら規格やらを徹底的に頭に入れて臨んだよ?品評会でアレコレと品定めしたいだけならChatGPTでも相手にやってくれませんかね。彼、優秀ですよ。それっぽいことを耳障りよく答えてくれる。解らないことは上手くごまかす。俺なんかよりはよほど仕事取れるんじゃないかな。納期間に合うかは知らんけど。
みんなさ、もう少し目的意識持って行動しない?
「同意」という概念が難しいようでしたら、セックスを紅茶に置き換えて考えてみましょう。
「紅茶はいかが?」とあなたが尋ねたとき、「飲みたかったんだ!ありがとう、ぜひ!」と答えたら、相手も紅茶が飲みたいことがわかりますね。
もしも「紅茶はいかが?」とあなたが尋ねたとき、「う〜ん...どうしようかな...」と答えた場合、あなたは紅茶をいれてもいれなくても構いません。
相手に無理やり飲ませない。
あなたがわざわざ紅茶をいれてあげたとしても、相手がそれを飲まなければならない義務はないのです。
相手が「要りません」と答えたなら、紅茶をいれるのをやめてください。
少しも要りません。ただ、やめてください。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/content-its-simple-as-tea_jp_5dfd6ff1e4b05b08bab5b8fc
本質を突いてるのにウィットに富んでいて、とても分かりやすくスッと入ってくる逸品なたとえ話だ。
だけど思考ゼロで手放しに鵜呑みにしていいねしてる人たちは、いつか詐欺師に騙されるんじゃないかと心配になるよ。
久しぶりに転職をした。
理由は「上司がクソ・年収も上がらない」という至極単純なもの。
自分は人手不足と言われているエンジニア業界でも、人が居ないと嘆かれている言語のエンジニアである。
正直に言って、今までは求人に乗っかればそれなりに内定を取れたので、そんな感じでいくだろうとタカをくくっていた。
ところが、今回の転職はめちゃくちゃ難航した。
約半数の選考に進み、スキルチェックで落とされたのが3社、面接で落ちたのが2社、内定獲得したが辞退したところが3社。
打率3割は高いと思うかもしれないが、経験者なら誰でもOKのSESなので自慢にならないんだ。すまんな。
最終的には良さげなところを見つけ転職は幕を閉じたが、かけた期間はおよそ6ヶ月。
それをぼちぼち忙しい業務の合間と土日に行っていたので、もう身も心もすっかり摩耗した。
ようやく落ち着いて新しい環境にも慣れたので、これから転職したい人の参考になればと思い増田しておく。
敗因は色々あるが、気づきとしては「経験者として求められるスキルレベルが上がっている・スペシャリストが求められる」「難なく通るような会社はだいたいヤバい匂いがする」あたりだろうか。
仕事でそれなりやってます、といったレベルでは到底NGで、いわゆるつよつよエンジニアを求められている気がした。
自分は中間管理職も担っているので、テックリードだったりスペシャリスト役はやりたい人間に任せている。
今回はそれが完全に裏目に出た。
スキルチェックのための課題を出されたが、正直ついていけない。
必死に調べて時間の許す限り食らいついたが、ことごとく落ちた。
技術面接で、こんなこともやってないんですか?これ知らなかったんですか?と詰められたときは帰り道で泣いた。
スキル不足を理由に落ちた会社からは、「○○エンジニアをしながら、採用やメンターをやっている人は珍しいと思う」と微妙なフォロー付きのお祈りメールが届いた。
タイミング悪く、課題期間に家族の大病や本業のトラブルなども重なり、あの苦行は何だったんだという思いで正直だいぶメンタルにきた。
同じ○○エンジニアとして勝負したいのであれば専門性は必須で、ギークな彼らに頼り切りだった自分が悪い。
そんなのは十分分かっている。
が、自分がこれまでに歯を食いしばってやってきた、周りのエンジニアが誰一人やりたがらない管理業務をこなしてきたことすら、全否定されたような気分になってしまった。
これにはすっかり参ってしまって、しばらく立ち直れなかった。
カジュアル面談の時点で、自分のスキルレベルにあまり自信がない、具体的にこういうことは出来ていない等伝えてみたが、
「あー別にそこは入ってから勉強してもらえれば良いんでー」との言葉を真に受けてしまい、ウハウハで応募してスキルチェックで落ちた。
こちらとしては、その時点で「今は応募しても落ちるかも」と言ってほしかったのだが。
公用語が英語という会社も増えてきているように感じた。外資はもちろんだが。
どうせなら、社内文化に力を入れているような良い組織に入りたいと思ったものの、そういった会社は公用語を英語にしている所が多かった。
先方も「今は」ペラペラじゃなくていいけど...等と言っていたので、つまり良い会社はどんどん英語がスタンダードになっていく可能性があるということ。
それはつまり、自分が再度転職する時には、自分は「日本語しかできないクズ」として、グローバル化を目指す会社からは置いてけぼりを食らうということでもある。
読み書きはそれなりに自信があるが、ペラペラしゃべれるタイプではないので、今後は英会話必須かなと漠然と不安にはなった。
むしろ、そうこうしている間に、英語力もコーディングスキルも高い若者がどんどん出てきて押し流されるんだろうな。
ポートフォリオだけで内定をくれるような、驚愕のエクストリーム選考もあった。
Offerまでに5次面接、スキルチェック課題に技術面接、適性検査だリファレンスチェックだとあれこれ対応し疲れ切った身には、あまりにも麻薬的に思えた。
もう、そこに決めてしまおうか、、、と何度も頭をよぎった。
どこでも良いわけではないので、転職○議で口コミをチェックすると、、、、
まあ、お察しだった。
そもそもでいくと、対して吟味せず内定をくれるということは、よほど先方の感触が良いか、よほど人が足りてないかのどちらかである。
だいたい後者が多い。
人が足りてないということは、当然忙しいし要求も多い。
選考途中で音信不通になった会社もおり、本来ならばこちらからリマインドするところだが
「向こうが忘れてるってことは記憶に残らない存在なんだろう、じゃあ実質落ちたも同然」と思ったので、見なかったことにしている。
自分は最終的には「今までのキャリアも尊重しつつ専門性を高めていくポジション」として収まった。
その会社は前任が栄転し、空いた枠に人がほしいというのと、まずは専門性を伸ばして欲しいけどいつかマネジメントもやってほしい、といった期待値だったので、それなら伸びしろも丁度良いと思いここに決めた。
年収は上がったし自由度も高くなり、人間関係も良好で、転職としては大成功と言える。
何より社長と話のテンポが合い、「増田さんは本当に採用してよかった」と言ってもらえたのが大きい。
手前味噌だが、自分はエンジニアの中ではかなりとっつきやすいタイプである。
コード一行の専門性こそ低いものの、いつも機嫌が良さそうとか難しいこともわかりやすく教えてくれるとか褒め上手だとか、凪のようなメンタルしてるとか、落ち込んでるとふらっとやってきてオフィスグリコをおごってくれるだとか、そういう面で自然と他部署に頼られることが多く、一度組織に溶け込むと途端に重宝される。
結果、気難しいスペシャリストを束ねてビジネスを遂行する立場になるのだが、「人間性」みたいなぼんやりしたスキルは外からは判断しづらい。
じゃあ初めからマネージャーとして応募すれば良かったじゃないかと思われるかもしれないが、マネとしての実績も非常に中途半端なので、自分みたいなよわよわエンジニアだとしても、エンジニアを一旦名乗っておかなければ箸にも棒にもかからない。
○○エンジニアという同じ採用枠で見ると、自分は「経験年数だけ長く、大したコードも書けない、マネジメントもなんだか中途半端で、今更ポテンシャルを買えるような年齢でもない、どう扱ったらいいか分からない無駄に年食っててヘラヘラしてるだけの中途半端なおっさん」だということが、今回の転職活動ではっきり分かったのはショックでもあり、良い気付きだった。
これから転職を考えている人には、自分の強み弱みを客観的に分析・言語化して、自分に合ったところを探すことを強くおすすめしたい。
世の中の人材は常に流動しており、各組織には今ほしいエンジニアのタイプというのがあり、そこにマッチしないと永遠にハマらないジグソーパズルになってしまうから。
また、転職時に慌てないためにも以下の行動をおすすめしておきたい。
・自分の今の実力が分かるサンプルアプリをGitHubに公開しておくこと。草は頻繁に生やさなくても良い。
・Qiita、Zenn、個人ブログなどで技術について定期的にシェアすること。いざ転職時に大量に書こうと思うとつらいし、現職で見つけたハマりどころなど書いておけば後々役に立つ。自分は辞めたあと自分のはてブにめちゃくちゃ助けられた。
・Twitterでは発言内容に気を付けること。仕事の愚痴じゃなくても、ネガティブな内容が多い人はそれだけで印象が悪い。つよつよエンジニアの中には仕事の愚痴もガンガン投稿している人がいるが、色々な採用担当に話を聞くと皆口を揃えて「どんなに有名だったりハイスキルな人でも、公の場で後ろ向きな人は採らない。絶対トラブル起こすから」と言っていた。
・転職ド○フトやFin○yなどこちらからアピールする欄がある媒体では、自分の人となりが溢れ出る内容を書きまくること。
たとえばスキルレベルの話や、それをカバーするような強みのアピールはかなり有効だった。
追記:スキルレベルを教えて欲しいというコメントがあったので身バレしない範囲で応えると、「一人でアプリケーション作れるけどそこ止まり、部下同僚を束ねてテックリードするのは無理」「今はキャッチアップが追いつかないのでライブラリやOSS活動的なことは一切してない」。
あとはここで例外発生して落ちることを考慮してないとか、ここではメモリを解放しないとだとか、そういう系が引っかかったらしい。
自分は言語の細かな特性を熟知してないから気付けず落ちた感じ。
のんびり買い物に出てたらめちゃくちゃ反響があったようで驚いている。
祝福してくれた人、各々の観点で意見を述べてくれた人、批判的なコメントも含め、皆さん関心を寄せてくれて本当にありがとう。
なぜか増田をC++エンジニアと断定して、メモリ解放を考慮できないレベルの低い40代おっさんを批判している人が多いようだけど、これでもエンジニアの端くれなので、こういう部分から特定されないよう多少のフェイクを入れました、、、C++面白いよね、でも違うんだ、ごめんな、、、
ただ「自分のレベルが低い、第一線でバリバリやってりゃ学んでるはずの知識を蓄えてない」という、自分自身の問題には変わりないので、君の指摘の本質は自分の考えとも一致している。おじさん頑張るよ。君も達者でな。
次に「応募する求人がそもそも合ってない、最初からPMやEM行っとけば良かったのに」という意見。
実はPMEMは何社か話を聞きに行ったし、応募もしたんだ。でも落ちた。
やはり、そっちにはそっちを極めてきたプロがいる。
採用する立場で言えば、「エンジニア出身でマネジメント経験のある40代おっさんを、今更新米PMとして雇うか?」というところで、答えはNOなんだと思う。
明らかにテックリードを求めている求人は除けたけど、その業界内で求められるエンジニア像が、求人票の表記以上にスペシャリスト寄りのものが多いと感じた、というのが現実かな。
いくつかのコメントにあった「組織の潤滑油として機能するキーマンみたいな人、エースでもないのに居なくなるとなぜか途端に回らなくなる人」というのが、僭越ながらまさに自分だったんだろうと思う。
文面から人柄の良さが出てる、増田を雇いたい、上司になってほしいと言ってもらえたのは素直に嬉しかった。ちょっと泣けた。
どっかの誰かの匿名ダイアリーに、そんな風に好意的な気持ちを表明できるあなた達も素敵な人だよ。
これ以上の追記はしないでおこうと思う。
あとはみんな好きに言ってくれーい!
多目的トイレから出てきた男性が、ネジ型カメラを設置したのでは? と不審者扱いされた事件の話だ。
目撃した女性は恐怖という実害を受けているが、当の男性本人は不審者扱いされたこと自体も知らない。だから彼本人は何ら被害を受けていないはず。
しかしアンチフェミニストは「ツイートを読んだ無関係の男性が気分を害した、これは実害だ」と主張し始めたのだ。
マジか。
社会は変わりつつあるのか。
今まで君たちはフェミニストのお気持ちを否定してきたじゃないか。
自分の内心の不快を被害として主張できるようになったのなら、公共の巨乳女性広告に傷ついた女性たちの不快も考慮しなくてはならなくなるが、それでいいのか。
「スク水揚げ」で盛り上がれなくなるが、本当にそれでよろしいのか。
私は Vtuber のコメント欄と、ツイッターと、はてなブックマーク、増田でほぼほぼ閉じたネット生活をしてるんだけどさ。
例えばブログの記事へのコメントで「面白くない」って言えちゃうのって、ネットに精々ここしかなくない?
「人に教える態度の時は大体面白くない」
「紹介記事を書くときは面白いけど、本人の考えを書くと面白くない」
今に始まったことじゃないのかもしれないけどさ。
私の感覚では、「面白くないですよ」とかって、実際思っても陰口でさえ控えるべきで
ましてや本人の目の前で堂々と言い放つなんて失礼を通り越して誹謗中傷だと思うんだけど。
「誰目線だよ?」
と言われてボコボコにされるでしょう。ツイッターでもだいたいが通報されたのちにブロックされると思う。
だけど、はてブーでは感想だからなのか知らないけど許されてる。堂々とスターをつけられて人気コメントになってしまう。
観客席からみてるみたいな気持ちなのかな。でも実際に観客席から物を投げてるのってお相撲さんの座布団くらいしか思い浮かばない。
よくわからないな。
私が何人もにそんなこと言われたら舌が痺れて膨らんで、食べ物の味がわからなくなると思う。アニメも Vtuber のショーを観てもなにも感じなくなって、ただただやり過ごすだけのキノコのような生活をしばらく送ることになるだろうね。
現実世界で実際に本人に相対して直接言えないようなことは、ネットでも言うな。
——私
なんでも公共の場で、こんな感じのことを言ってしまったらしい。
——マンガ編集者の提案に、愚直に従ったネームを返されるとガッカリする。
これにコメントが殺到している。パワハラ類型だの、ハラスメントだの、イキリだの、プロ意識が低いだの、作家のやる気を無くさせて潰してるだの、いじめだの… 中には、サイコパスだ、とするものさえあった。サイコパス?
彼らの中では無名の大衆が誰かを「サイコパス」だと断じるのはハラスメントにもイジメにもならないらしい。
だけど俺は個人的には、マンガ編集者にも非はあると思ってるぜ。なにせ、世間的にはマンガ編集は悪の職業だからな。
世間一般の理解では、マンガ編集は発注元で依頼主で、作家のネームは見積もりで、編集者の提案は修正指示に当たるようだ。そんな中で、リテイクに費用も発生せず指示の意図も明確にしないのならば無責任だとみなされるのも無理はない。集団リンチの社会的制裁を受けても仕方ない。コメントには、マンガ編集者は何の作業もせず文句を言うだけで給料を貰えるのだ、と言っている人までいた。「内心でガッカリする」マンガ編集者は作家とコミュニケーションが取れてないと思われている。「編集者の提案には必ずしも従わなくていいですよ」のような事を作家に伝えてないとみなされてる。
だからマンガ編集が公共の場で、業態の実情を知らない世間一般の人に向けてその考えを伝えたいなら、「編集者の提案には必ずしも従わなくていい」「もっと面白くして持ってくるのが作家」ってコンセンサスは取れてますよ、信頼関係は確立されていますよ、とワザワザ明言する必要がある。
キモいは止めろ、キモいは加害だ、キモいは卑怯だ、キモいは問題だ…
女性がキモいと言うのを、血相変えて必死になってまで止めたいらしい。
何故そんなに気に喰わないのか?
謎である。
ひょっとして全員、ミソジニーが心に巣食っているのではないか。
子どもの頃、女に手痛く振られるとか、けんもほろろにあしらわれたとか。
トラウマがあるせいで、女性に対してコンプレックスを持っているのではないか。
女が憎いから、その口を塞いで男に反撃できなくしたいのでは?
まるで脊髄に潜んでいたヘルペスウイルスが、宿主の人間が弱ったタイミングで姿をあらわすように。
克服できずに抑え込んでいた経験が無意識下で密かにミソジニーを育んでいて、それが今になって反キモとして顔を出しているのではないか。
数年前(いや、もう十年前か?)、俺が彼女とデートしてたとき。
映画だか何だかのポスターの中で、生まれて間もないだろう仔犬は、お腹を踏みつけられてグッタリしていた。
俺「ブププッw」
俺「 踏まれて死んでらあw」
そして進行方向とは逆方向に歩き出した。デートは、始まって二時間も経たないうちに終了した。
もっとショックだったのは、彼女に振られた体験談を打ち明けたときの反応だ。
ひょっとすると増田諸氏・ブクマカー諸君にも目にした人がいるかもしれない。
サイコパス/別れて当然/ホラー/彼女さんが正解/反省したほうがいいよ?/どうして子犬のきもちになれないの?/可哀想だと思わないの??
「いや、だって、フィクションじゃん。仔犬は存在しないじゃん。」
返ってきた返事は、しかし冷酷だったよ。
そんなような言い方で、バッサリと、断罪された。
——…時は流れて、つい最近のこと。
娘にねだられて読み聞かせをした後、質問コーナーの時間が始まった。
娘「浦島太郎がかわいそう」
娘「だって、なんにも悪いことしてないのに」
「サイコパスが。浦島太郎は存在しない」——そんな真っ黒い考えが一瞬、頭に浮かんだが、もちろん言葉にはしなかった。
俺は、間違っている。間違っていた。架空の登場人物によるフィクションの話がここにある。しかし現実の人間の情動は、強く反応する。共感能力が人間にはあるから。共感能力は認知のバグでも何でもない。感情移入したり共感する動物だからこそ人間はフィクションの文化を発展させてきたんだ。
実際に自分の娘が高校の麻雀部に入って、なぜか知らんがバニーガール姿で広告塔にさせられたら嫌だよなあ。お前ら、無抵抗なアニメキャラなら問題ないのかよ。最低だな。
「ほーん適応障害か、どれどれ」と調べてみる。
適応障害は、ある特定の状況や出来事(転勤、配転、新しい人間関係など)が、その人にとっての主観的な苦悩(とてもつらく耐えがたい感じ)を生み、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。ICD-10では、「ストレス因により引き起こされる情緒面や行動面の症状で、社会的機能が著しく障害されている状態」と定義され、ストレスとは「重大な生活上の変化やストレスに満ちた生活上の出来事」です。ストレス因は、個人レベルから災害など地域社会を巻き込むようなレベルまで様々です。また、ある人はストレスに感じることがほかの人はそうでなかったりと、個人のストレスに対する感じ方や耐性も大きな影響を及ぼします。つまり適応障害とは、ある生活の変化や出来事がその人にとって重大で、普段の生活がおくれないほど抑うつ気分、不安や心配が強く、それが明らかに正常の範囲を逸脱している状態といえます。
「ワイやんけ!」と膝を打ちかけるも普段の生活って何やろかと首をかしげる。
気づけばもう5年以上はこの状態やから主観的な苦悩とやらがもうすっかり日常と化しとる。
きついのは変わらんけどそのきつさを飼いならせるようになってきた。
ワイは苦悩を克服しつつあるわけやがそうなると面白いのは今度は周りが病みだすってことや。
ワイに調子こいた態度をとり続けてきたあいつやこいつが急に借りてきた猫みたいになっとる。
前からおとなしく礼儀正しい人たちはより一層おとなしくなっとる。
ワイの周り半径5mだけ重力が5倍になっとる感じや。
ワイは5年前からずっと5倍やから慣れっこやが温室育ちには寝耳に水なんやろな。
いうて他人を責めたいわけやない。むしろ健やかに暮らしてほしいとすら思っとる。
せやのにワイの重力のせいで人は地面にめり込みどんどん首が絞まってきとる。
そのブコメを書いた者なんだけども、100字の制限があるから基本的には医者は通報禁止
というちょっと歯に物の詰まった書き方で誤魔化しているところがあって。そもそもあんなに星がつくと思ってなかったし。
覚醒剤と無関係の疾患の治療中に覚醒剤使用が発覚した場合に警察に通報する行為については最高裁は適法と判断しています(最決H17.7.19刑集59-6-600)。
ただしこれには、そもそも最高裁がおかしいとする学説とか、当該事案と違って犯罪の守秘を前提として違法薬物中毒の治療を引き受けるような場合は守秘義務が優先する(つまり通報すると秘密漏示罪が成立する)とする学説とかがあります。最も権威ある逐条解説本である有斐閣「注釈刑法」は後者の説。
犯罪の通報や証言は秘密漏示に該当するものの,司法作用への協力という公益も含むため,違法性阻却の可否が議論されている。
刑事訴訟法上の違法収集証拠排除が争われた事案であるものの,治療中に覚せい剤使用が判明した場合に患者の同意なく警察に通報することを適法とする裁決平17・7・19刑集59巻6号600頁がある。本件については,重症の患者が医療機関を訪問することを萎縮する恐れに鑑みて,無制限に違法性阻却を認めるものではないとの解説が行われている(山田耕司・最判解(平17)270頁,日本医師会・医師の職業倫理指針<改訂版>(2008)11頁)。しかし,個別事案ごとに具体的な利益衡量を行うとすると,医療関係者は秘密漏示で処罰されるリスクを負うことになる。患者の秘密の保護を優先して通報行為は違法性阻却されないと考える(福山・前掲288頁)のでないのであれば,犯罪の処罰という公益に協力する医療関係者には特段の事情がない限り違法性阻却を認めて秘密漏示による処罰のリスクから解放するという考え方もありえよう。
ただし,犯罪の守秘を前提として麻薬治療を引き受けるような場合については,守秘義務が優先するというべきである。犯罪の守秘を前提としているのも関わらず秘密を漏示する行為は医療関係者の円滑な利用を害する程度が大きいし,また,守秘を前提とした医療の利用さえ裏切られうるとなると,犯罪を行った者に医療を受ける機会を完全に失わせることになりかねないからである。
この辺の理解には、そもそも刑法の秘密漏示罪が医療・法律・宗教関係者に限定された身分犯である理由に対する理解が必要で、その理由というのは医療・法律・宗教関係者を利用する際には,個人は秘密を知られることを甘受せざるを得ないことから…守秘義務に刑事罰をつけることによって,そのような専門的職業を円滑に利用することを可能にしている
(前掲書314頁)こと。たとえば弁護士が警察に通報するようだと弁護士に法律相談なんかできないよねって話で、医者の治療を受けるのもそういうことなのです。
あと、通報しても秘密漏示罪にならない場合があるからといって、通報義務があるわけではない。
なので、前掲最高裁決定の射程を広めに見たとしても、通報する・しないは医師の裁量ではあるので、そういうときに病者の医療アクセスを考えて通報しないか、それとも治安維持のため通報するか、そこに各医師の思想信条とか世間の風潮とかが影響してくる。
個人的には、刑法が医療関係者に特に守秘義務を課した刑法134条の立法趣旨から考えていくのが筋だろうと思っているので、通報しない方が遵法的な態度ではなかろうかと思っています。
踏み絵の禁止は、憲法上、信教の自由(20条)ではなく思想良心の自由(19条)の問題です。ちなみに、内心の自由は絶対的な自由と解されています。
思想・良心の自由が不可侵であることの第二の意味は、国民がいかなる思想を抱いているかについて国家権力が露顕(disclosure)を強制することは許されないこと、すなわち、思想についての沈黙の自由が保証されることである。国家権力は、個人が内心において抱いている思想について、直接または間接に、訊ねることも許されないのである。したがって、たとえば、江戸時代のキリスト教徒の弾圧の際に行われた「踏絵」、あるいは、天皇制の支持・不支持について強制的に行われるアンケート調査など、個人の内心を推知しようとすることは、認められない。
本条(引用者注:憲法19条)が,外界の行動や表現に現れない内心の自由を保障しているにとどまるのであれば,それは,本来,法の及びえない領域であって,サブリミナル(閾下)広告によって人々の行動を操作しようとするような例外的な状況を除くと,本条の保障する自由への侵害が直接に問題となる場面は,それほど多くはないとも考えられる。
本条への違反が独立に問題となりうる場面としては,①思想や信条の告白を強制する場合と,②特定の思想や信条を有することを理由に不利益を課す場合とが考えられる。
ちなみに、芦部142頁によれば思想・良心の自由の保障をあえて明文で規定するのは比較法的に珍しいようです。長谷部194頁によれば歴史的には宗教改革により対立する宗派の共存の必要から信教の自由が近代立憲主義が保障する権利の中核的地位を占めたのだそうですが、わが国では、明治憲法下において、治安維持法の運用に見られるように、特定の思想を反国家的なものとして弾圧するという、内心の自由そのものが侵害される事例が少なくなかった
(芦部143頁)ことから、思想・良心の自由を特に明文で保障する必要が意識されたのでしょう。