Wikipediaにはブランディングされライト化、大衆化、陳腐化してきた経緯もちゃんと書いてあるじゃん
世間からの「個性的でなければいけない」という外圧により、「無理して個性を作らなければいけない」と焦る若者が増えているとして、その理由を「カルチャーシーンから“メジャー”が消えてしまったから」だと分析し[26]、「属するだけで安心できていたメジャーが消えてしまった今、彼らが探しているのは、要は“拠りどころ”なんだと思います。自分が属しているだけで、楽しいと思える場所。それが、オタクという属性です。(中略)推し活動をしているオタクはすごく輝いているから、自分もああなりたいと切望する。もしそうなれて、オタクという属性を手に入れられれば、結果的に自分は“個性的”にもなれる、と捉えている。だから正確に言えば、“オタクになりたい”んじゃなくて、“拠りどころになりうる、好きなものが欲しい”だし、それは“個性的な自分でありたい”だし、一番正直に言うなら“
原田曜平は、非常に多くの若者たちが、自分のことを「オタク」と自称するようになっていることを挙げ、本来であれば、サブカルチャー好きを指す言葉である「オタク」というワードが、メジャーなカルチャーにまで使われるようになってきていることに驚いたと述べている。また、話題になった作品だけをチェックしており、オタク知識は総じてそう深くない「エセオタク」が増えており、濃度の高いオタク(ガチオタ)からは「にわかオタク」と揶揄されることもある[28]。
また、日本政府が観光資源の一環として、国策で「クールジャパン」戦略を行うようになったのも2010年代からであり、迫害から一転し、おたく文化は政府お墨付きの“体制側”の文化になったとも言える。
まず、属性としてのオタクは1983年に中森明夫が 「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達を『おたく』と名づける」 と書いたのがはじまり。 この明らか蔑称...
これがキョロ充の見本。 オタクがブランディングされ、コミュニケーションツール•量産型アイデンティティ•クールジャパンとして売り出された00年代以降に参入してきた層。 90年代...
引用されたコラムで知識があってすごいなんて一言も言われてないよ Wikipediaとかにももう少し長い文で引用されてる
Wikipediaにはブランディングされライト化、大衆化、陳腐化してきた経緯もちゃんと書いてあるじゃん 世間からの「個性的でなければいけない」という外圧により、「無理して個性を作...
2000年代のほうは同意するけど、オタクは博識という90年代の価値観も間違いでしょというところ 特権意識を持つ以前にすでに自称し始めてる
「オタクは知識があってすごい」っていうイメージ自体が、「オタク学」とかやり始めた岡田斗司夫のブランディングの影響なんだよなあ
岡田斗司夫が「自分が中学の頃のオタクはもっと博識だった」とか言っててその時代オタクなんて意識ねえだろって思った