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はてなキーワード: 雇用保険とは

2023-10-17

生活保護受給したアスペの行く末

 元生活保護受給者アスペと鬱で精神2→3級だが、少し前に、ようやく社会人(正職員待遇)ができるところまで戻ってこれた。

 社会人といっても某飲食の一兵隊なので、世間一般でいえば「負け組」とか「底辺社畜」の類だと思う。

 そして生活保護をそれより上だの下だの、そういう序列をつけて優越に浸りたいというわけでもない。生活保護には大変お世話になり、このセーフティネットがなければI was gone.しているか、生きていても反社勢力捨て駒か何かになっていたかもしれない。雨風が凌げる快適な部屋で、布団にくるまって眠れて、贅沢しなければ日に三度の食事に困らず、人の道を誤らないように暮らせたのだから福祉事務所の方角に足を向けて眠れない。

 脱線した。生活保護申請に至った経緯から書きたい。

 といっても別に変わった経緯でもないと思う。地元公立小・中・高を経て地元宿泊業を営む会社に入りホテルマンとして働き始めたのだが、不規則勤務・薄給に加えてお局の係長からパワハラにより精神崩壊して退職精神2級判定、実家に帰る、雇用保険失業給付が尽きる、実家から出される、保護開始……こういう順序だったと思う。

 実家での待遇は良くなかった。特に兄が酷かった。両親も最初の頃は同情的だったもの長男(兄)の機嫌を損ねるわけにもいかなかったのだろう、次第に冷たくなり、雇用保険給付が尽きるときに30万円を渡され、今のていたらくで盆と正月以外は実家に近寄るなという旨のことを宣告された。田舎だけに周囲の目もあるし、やむを得ない措置だと思うし、今更それを遺恨に思ってもいないし、ここでズルズル寄生許可されていたら今頃は立派なニートのできあがりだったことと思う。もっともそのときは、ああもうこれは死刑宣告だなと目の前が真っ暗にはなったが。

 とはいえそう簡単自殺できるなら何も苦労はない。役場障害福祉課(精神障害者の手帳の件でお世話になっていた)に話をしたところ、ありがたいことにこんな穀潰しに親身になってくれ、提案をもらえた。

 ひとつは「障がい者グループホームに入居して集団生活を送る」こと、もうひとつは「手持ちのお金でとりあえず単身向けの安い賃貸契約して住む」ことだった。いずれにしても精神2級の状態で今後の生活にかかるすべての経費をまかなうことは不可能だろうから生活保護申請は前提と言われた。一刻も早く家族(特に兄)から攻撃から解放されたかったので、障害程度区分(介護保険でいう要介護1~5みたいなの)を取ったりするために必要になる時間も惜しみたくて1Kの賃貸アパート契約してそこに引っ越すことにした。引っ越すといっても冷蔵庫洗濯機家族共用なので家電量販店で買ってアパートに届けてもらうことにし、段ボール箱5つ分くらいの荷物を自室から原付のリアキャリアに縛ったりステップに置いて運ぶだけだから引越し自体もあっけなく終わった。父のワゴン車に積んで運べば1回で済んだだろうけれど、その迷惑をかけるのも躊躇ったのは覚えている。

 生活保護で月に支給される額はおおよそ12万円程度。障害基礎年金は無事3級が出たが、年金収入として申告し、その分減額される(生活保護年金になるわけではなく、他の生活保護受給者と同じ金額生活をすることになる)システムなので、年金が出たからといって裕福になるわけではないことを知ったが、とりあえずこれで、贅沢しなければ衣食住が許されるくらいのベースができた。原付(125以下)が、「事故を起こしたときちゃん賠償できるように任意保険にも加入すること」を前提に保有運転してもいいといわれたのは助かった。

『働かずに食う飯』が美味いかどうか……。考え方に個人差はあると思うが、私にとっては何を食べてもあまり味がわからなかった。保護支給日に、月に1回くらい口の栄養をと思って高い外食(といってもファミレスとか回転寿司くらいだが)をしても、味に感動するようなことはなかった。むしろ高い飯を食べると罪悪感が強かったようにすら思う。

 刷り込みとか色々あるかもしれないが、とにかく、『今この時点において、自分より無価値人間はいない』ということを感じていた。卑屈になりすぎていたのかもしれないけれど、今の自分が生み出せるものといえば二酸化炭素排泄物しかないわけだからテレビを持っていなかったのでもっぱらラジオだったのだけれど、野球中継を聴いて贔屓のチームの選手が拙いプレーをして点を取られたときにも、自分とき選手叱咤できる立場じゃない、となって、野球中継さえまともに楽しめなかったくらいになった。

 鬱もなかなかその頃は酷く、家事は勿論のことながら入浴すら自発的にできなかったので障害福祉サービスで週3回ヘルパーさんが来てくれるようになり、相談支援専門員さんがついてくれることになった。モニタリングという定期的な面談ときに「ラジオ野球聴くのすら申し訳ない」というようなことを話すと、就労継続支援B型という作業所を紹介してくれた。見学に行ったところは障害の程度や意欲に応じて、ほとんど遊んでいるに等しいレクリエーションのようなことから集合住宅公共施設などの清掃まで幅広くやっていたところで、「ちゃんとできるかどうかわからないが、清掃作業をさせてもらえるなら」という条件で通所し始めた。週1日・午後のみから始めて、少しずつ増やして週4・午前午後になり、報酬として工賃を2万円くらいいただけるようになった。まったくの無価値ではなく、月2万円だが自分にそれだけの価値を認められたことが嬉しかった。もちろん収入なので生活保護支給額は減るのだが、勤労による収入場合は控除が認められて、2万円工賃をもらえれば月に1.5万円くらいは実質的自由になるお金が増えた。この頃には、「月1回くらいは口に栄養しても」の罪悪感も少し薄れ、熱々のハンバーグがとても美味しかった。

 ……とここで、レジ会計をするときに壁に貼ってあったポスターを見て、「アルバイト募集されているんですね。未経験歓迎とありますけど僕みたいなのでもいいんですかね?」などという畏れ多いなんてレベルを超越した暴言を吐いてしまったのだ。

 レジカウンターを挟んで二言三言のあとバックヤードに連れて行かれ、店長がいる時間帯に履歴書を持って面接に来てくれという話になってしまい、そこから何をどうしたかよく覚えていない。作業所までそう離れていなかったので、まずは作業所に駆け戻ったのだけは覚えている。

 後日、作業所管理者さん同行で面接になった。店長施設長が最初に長く話し、最後の方で何か言いたいことはと問われたときに、施設長が言わなかったこと(生活保護受給中とかただの精神2級ではなくアスペルガー症候群もあること)を言った。施設長がいい顔をしていなかった。ここで仮に採用に繋がれば作業所の実績に繋がる大事なところなので、その足引っ張りになることをされたら困るというのが施設長の本音だと思うが。

 採用の前にまず実習ということになった。熱々の料理お客様にぶちまけるような致命的な失敗こそしなかったが、皿は相当割った。14番テーブルに持って行くはずの料理24番に誤配したり散々だった。高校生の先輩バイトさんに使えないと舌打ちされたのも覚えている。

 ……が、総合的な評価はそこまでダメではなかったのか、まずは週2日のランチタイム要員として採用された。10時半から15時の4時間半。百戦錬磨兼業主婦パートさんにはこき使われたが数多のフォロー配慮をしてくれて感謝しかない。

 週2日と4時間半が次第に延び、フルタイムになり、正職員待遇になった。精神手帳も2級から3級に見直された。生活保護基準より収入が上回ったため停止され、半年後に打切りになった。福祉事務所に頭を下げに行ったら担当ケースワーカーさんに激励していただいた。

 正職員待遇はいってもあくま障がい者雇用なので、健常者とまったくの同一条件ではないけれど、少なくとも今は野球中継を素直に楽しめるようになったし、親や兄・妹との関係もある程度戻ったと思う。兄のところには2人子どもがいるし、妹も近々結婚するらしいことを聞くと、私は家庭を持っていないことが兄や妹と較べてレベルが下だが、これはさすがに相手のあることだから自分けが足掻いてどうにかなるものでもないし、仕方ない。

 お金けがすべてではないが、今は保護費より相当多い給与を貰えているし、そのおかげで保護の頃より僅かだが広く便利がいいアパートに移った。雑誌文庫本くらいならそこまで財布と相談しなくても買えるようになったし、何より「お天道様の下を堂々と歩ける」ようになった。

 もちろん、今後また何かの弾みで生活保護に助けてもらうことにならないとも限らないが、保護依存しないように、備忘録として残したい。

2023-10-15

anond:20231015151616

仕事を奪われた人の人権を守って最低限度の生活保障する制度雇用保険であって、税収が予想以上にあった時にそのおこぼれを貰う権利保障されてないから。「べき」理由はどこにもない。

 

人権勉強してくれ。

2023-09-26

税務官僚だった頃の思い出 Part3/3


思い出⑤ 転職を決意した時

 40代前半になり、管理職意識した仕事の進め方(実務中心→マネジメントへ)を検討しはじめた頃だった。ずっと同じ部署で働いていたわけではないが、新卒からほぼずっと法人課税一本だった。

 そんな折、数個年上の同僚のひとりであるN君が「今年度いっぱいで辞めて転職するから」と言ってきた(ビットコインの件で苦しんでいた人だ)。職場飲み会の帰りで、飲み直しで別の店に入った時だった。少しばかり仕事で縁のあった会計コンサル内定を得たという。

 「なんで辞めるの?」と聞くと、「昨年課長にはなったけど、どこまでいっても組織歯車で、それだったらまだいいけど……国民のために役に立っているとは思えない。だったら民間の方がいい。自分仕事力は、広く社会のために使いたい」といった答えが返ってきた。「上司と人事には退職の旨を話してある」という。

 私は、そこまで高邁なことを考えるタイプではない。どこか仕事から引いたところがあって、上から60点の成果を求められた時、80を出せる時でもあえて70の成果を出す。残り10の余力は、いざという時のためにとっておく。そういうタイプだった。

 できるなら上の方まで昇進したいとは考えていたが、審議官とか、次長とか、長官とか、そういう地位はむしろ遠慮したかったし、私の学歴だと奇跡が起きても難しい。職務自体は好きだったから、できれば長い間やりたいとは思っていたが。

 そのN君は、私などよりも公僕に向いている。いつも全力だからだ。そういう人だった。今回、自分の力を社会のために役立てたいという想いを聞いたが、嘘偽りはないと感じた。

 数か月後、私は「絶対にここを辞めてやる」と決意することになった。N君の退職が認められなかったからだ。それで結局、N君は内定先を辞退することになった。伝聞での話になるが、N君の内定先には「霞が関事情説明する」という名目での情報共有(という名の転職妨害)が入ったのだという。

 民間の方には事情がわかりにくいと思う。まずは次の規則を読んでほしい。

人事院規則八―一二職員の任免)

(辞職)

第五十一条 任命権者は、職員から書面をもって辞職の申出があったときは、特に支障のない限り、これを承認するものとする。

 公務員の任免というのは、民法上の雇用契約が基底にある。そのうえで、国家公務員法人事院規則により公法上の契約関係構成する。ざっくりいうと、行政事務職の公務員サラリーマンということだ。労基法適用されないからといって、隔絶した存在ではない。現業職公務員だと、よりサラリーマンに近い扱いになる(団結権があるなど)。

 上の人事院規則は、公務員のみならず民間業界をも拘束する。当規則国家公務員法国会議決から委任を受けているからだ。

 N君の例だと、別の内規により人事院規則第51条が課長補佐以上には厳しく適用されるのに加え、「再就職に関する規制」に該当するおそれがあったのだろう。それゆえ、転職目的としての辞職が認められなかった。

 結局、N君はどうしたのかというと……私が辞める時点では在職していたが……少し述べると、あれから転職活動をしたが失敗に終わったらしい。40代半ばで、国家公務員としての経験しかないN君は転職市場では必然不利になる。

 N君に興味のある会社があったとして、N君からすれば入りたい会社ではなかったという。とはいえ、税務や会計会社を選ぶとまた転職できない可能性がある。かくして、N君は今でも霞が関のどこかで働いている。どうか幸せでいてほしい。

 「こいつらクソだな」と思った。たかだか数年前に1回契約したっきりのコンサルに移るくらい、認めてやってもいいじゃないか。厳密にいうと再就職規制にかかってしまうのかもしれないが、それでもいいだろう。仲間なんだから

 当時は怒りでいっぱいだった。今はとうに収まっているが。所詮は、その程度の仲間意識しか持てない連中の集まりだったのだ――と今では達観している。



思い出⑥ 転職活動転職した後

 繰り返すが、四十前半であれば課長管理職)になってもおかしくはない。平均的には43,44ほどで課長に昇進するイメージがあった。早くミッション遂行しなければならない。

 転職活動を始めることにした。この時、妻はすでに亡くなっていた。子どもふたりいたが、先ほど書いたとおり、霞が関の一人親に子育て不可能であるため実家に預けている。妻が存命だったなら、転職活動自体していなかったかもしれない。

 この時は、リクナビも有名になっていた。転職エージェントネットで探せる時代になっていた。さっそく求人を探していくも、自分に合った仕事は見つかりそうにない。リクルートエージェントにも登録して、毎日少ない自由時間を使って求人を確かめていき、平行して求人応募に最低限必要ドキュメントを作っていった。

 転職活動スタートから三ヶ月ほど経った頃は、こんな状況だった。希望条件には、就業場所入社時期や休業制度や、もっとかい事項もあったが省略する。



【当時の転職活動方針】 ※やしお氏リスペクト

1 どの業界(会社)に応募するか?

 一 コンサル希望

  ア 今の仕事が「説明」「説得」であるため

  イ 専門性を高められる業界がいい

  ウ パワポ職人としての腕も活かしたい

 二 職務内容に拘らない

  ア どんな仕事でもやっていれば好きになる

  イ それよりもどんな人と働けるかが大事

  ウ 嫌な人と一緒にいるストレス想像以上(仏陀も言ってる)

 三 ベンチャーなどリスク高は除く

  ア 突然の内定取り消しや事業悪化可能

  イ カルチャーフィットしない可能性あり

  ウ これまでの企業文化と合っていない

2 職務概要職務経歴書

 一 徴税吏員としての経験を活かす

  ア 相手企業との折衝

  イ 過去判例を読みつつ方針決定

  ウ 最後正論で押し切る

 二 税制改革企画・調整

  ア 上級行政庁が決めたものをかみ砕いて整理する

  イ 全体向けに説明した後、現場レベル立脚した観点で是非を整理

  ウ 上の人間が本番の会議で話しやす資料作り

 三 新税務システム検討や導入支援

  ア コンサル組織内部と密に打ち合わせしつつ完成→検査検収

  ※この箇所は、文字ばかりで窮屈~というエージェントからの指摘あり

   後に、図表を効果的に使ったものに置き換えた

3 会社に求める条件

 一 及第点の実力があれば定時退社できて休日出勤もない

  ア 息子と娘を遊園地などに連れていきたい

  イ 一日にちょっと趣味をやりたい

  ウ この年になるとゆっくりしたいのもある

 二 風通しがいいこと

  ア 息をするように自然議論ができる職場か?

  イ 怒鳴ったり急に泣き出したり、負の感情を吐き出す社員はいいか

  ウ 自分が感じたことを素直に言い合える環境か?

 三 評価基準が明確であること

  ア 前の職場不明確だったので。データによらずに上司が決めるなど。

  イ 低い査定でも納得できるだけの客観性を求む

  ウ 低評価社員をすぐに見捨てたりクビにするのはNG

   ※本当に役に立つ人間勤務評定では判別できない

 四 給料度外視

  ア お金にこだわっても仕事は見つからない

  イ ずっと続けられる好きな仕事にしていきたい

  イ 子がいるので額面700万はほしい。今の年収△200万円までOK



 とまあ、いろいろ考えはしたが……結局、税務コンサルにした。スキルを活かせるうえに、さらに磨くこともできる。そのうえ、応募に必要資格である税理士免許もある。応募要項には「事業会社での税務実務経験5年以上」とか「同業界リーダーシップを発揮された経験3年以上」とか「M&A、組織再編、事業統合事業再生等の案件に対する税務コンサルティング経験」とか、該当していない要件があった。

 だが一方では、「上場企業外資系企業などに対する税務申告書作成業務」など、こちらの十八番ルールを作ったり審査する側)とも言える要件もあった。当てはまるかもしれない。

 こちらの日系大手の税務コンサルを受けたいと転職エージェントに告げたところ、「要件については、体感6割でいいので。ほかにも何社か受けた方がいいですね。増田さんの場合は、最低15社は受けましょう」とアドバイスをもらった。

 言いたいことはわかったが、こういうのは絞るべきだと感じた。一気に15社受けるのではなく、3社を5回に分けるなど、そういうやり方がいいと思った。※よく考えると、転職エージェント転職希望者は利益背反の関係にある。転職エージェントとしては、ほどほど短い期間で離職しそうな会社を勧めるのがメリットからだ。

 かくして、税務コンサルのうち、外資系大手・日系大手・日系準大手の3つにエントリーした。うち2社が書類選考を通過し、一緒に働くであろう仲間との数度の面接を経た後に、幹部社員とも話をさせてもらい、最終的に2社の内定を得た。

 決め手として、一番好感があった会社を選んだ。やはり、一緒に働く仲間――これがマストだった。上の3つでいうと日系準大手になる。

 こちらの会社は、昔仕事でお世話になったことがあった。直接契約を交わしたことはないのだが。とある相談案件を通じて、互いの知見を高めることができた……とこちらは認識していた。その会社は、国税庁を不当課税処分で訴えたことがあったのが気になったが、今さら大した問題ではない。

 次は、どうやって上司転職を伝えるか考える必要がある。まともにやってしまうと、N君の時のように無理筋なことをされる可能性がある。公務員退職にあたっての厳密な許可制再就職規制は、当時の私の役職課長補佐)だとばっちり適用される。※20代とかの若手だと、基準を緩めてもらえるらしい。

 「年度末で退職します」と告げた時の直属の上司の顔を覚えている。諦めと怨嗟が混じったような顔つきだった。一応遺留は受けたものの、上司もわかっていたようで、最後には「これまでお疲れ様。次のところでもうまくやれるように。ただ、辞職が認められたらいいけどな。俺は無条件に認めるけど」と言っていた。後は、人事による退職ヒアリングを残すのみだ。

 思案した結果、退職ヒアリングにおいては、内定を得ていた会社のうち辞退するところを転職先として告げることにした。入社予定の日系準大手は、一応これまでの取引先には当たらないが、関係先に該当すると見做されるおそれがあった。N君の二の舞だけは御免だった。絶対に避けたい。今ここで、今ここで就職しておきたい。絶対に!!

 証拠書類として、第二志望だった外資系大手オファーレターの写しを人事ヒアリングで提出したところ、それから約一週間ほどか、何事もなかったように辞職の許可下りた。そこから、残りの約二ヶ月半の間で引継資料を作り、3月の初め頃には仕事を引き受ける人に業務説明をして、懸念事項の対処方法の素案を示して、最後職場内で気を付けるべきことを述べて……それから数日後、私は職場を跡にした。



 転職成功した。一度下った辞職許可である、春先になって覆されることはない。覆そうにも、4月の時点ですでに民間企業との雇用契約が成立している。どうしようもない。私は管理職ではないからして、そこまで大事にならないはずだ。

 実際、春先になってすぐ、雇用保険健康保険手続き関係で、私の勤め先は元職場に知られることになったろう。それでも、私に元職場から電話がかかってくることはなかった――転職成功したのだ。

 新しくスタートした税務コンサルティングの仕事は、私にピッタリ合っていた。最初の1年間は、向こうの会社でいうところの雑巾がけ(企業の予定納税額の調べ、特定の申告方法の可否の問い合わせ、税制改正の動向調査)に当たる仕事だった。これまでの経験が活かせる、いい仕事出会うことができた。

 定時退社が実現し、給与は少しだけ上がり、休暇日数も増えて、福利厚生も十分だった。何より、一緒に働く仲間だ。自然な話し合いができる。暴言を吐く者や、怒りや悲しみの感情をぶちまける者や、不貞腐れる者もいない。言いたいことを言い合える。

 反対意見に弱い人達じゃなくて、なんというか、「精神的に健康」というか。自分と考えの違う人の反論に耳を傾けることができる。それでいて、自分意見として昇華できる。そんな人達だ。

 いい職場に移ることができた。運がよかった。太陽が昇っている時間に家に帰れるなど、私にとっては夢のひとつだった。夕焼けは近かったものの、まだ青空が残っている部分を見上げると、子どもの頃に読んだ児童作品を思い出した。少し前にも思い出そうとしていたっけ。きっかけは忘れたが。

 タイトルは、『ちいちゃんかげぶんしん』だった。時代背景は、太平洋戦争の末期だ。ネタバレは避けるけれども、ちいちゃんという女の子家族と一緒にやった『かげおくり』という遊びを通して、戦争反対を訴えるものだ。

 かげおくりというのは、地面に映った影法師をしばらく見てから青空に目をやると、網膜に焼き付いた影の残像が空に映ってみえるというものだ。未成年だった頃の私の心にドスンとき作品だった。増田民にも是非おすすめする。

 晴れ晴れとした気分だった。それからマイホームで羽をのばした。なにしろ毎日が定時帰りなのだから子ども実家から引き取るまでの間、家でゴロゴロしたり、趣味に勤しんだり、妻の遺品を整理したり、平穏な日々を過ごした。

 暇な時間を使って、『犬神さんと猫山さん』のBlu-rayディスクを購入して観た。やはり、何も考えずに見られる。1話CM込みで5分なのもいい。最終回は、花火大会だった。今まで出てきたキャラクターがみんな登場して、最後ふたり花火を見上げながら手を繋いだところでエンドだった。

 ネット掲示板を読んだところ、原作漫画(※記念に1巻を購入)の方は、残念ながら打ち切りのような結果だったらしい。作者も若い人だから、いろいろと苦労があったのかもしれない。でも、あの作品面白いと思った人がたくさんいるのだと――作者に知ってもらえたら幸いだ。

 私のようなおじさんが楽しめたのだから若い人だったらもっと楽しめる。面白い作品に違いない。できれば15分枠のアニメだったらよかった。

 たった三ヶ月の間だったが、思い出に残るアニメだった。ありがとうございました。



 ここまで書き終えて、今は自室にあるパソコン机の前で一息ついている。携帯電話の通知を見ようか、それともコーヒーを飲もうか、ボーッとするのもいいかなと、いろいろ考えている。

 税務官僚だった頃に比べると、今は幸せだ。そのうち慣れるとは思っていたが、あの辛かった日々を思い出すと、しみじみ幸せに思えてくる。不思議かな、辛かった日々であればあるほど、思い出す時に幸せな気分になる。なぜだろうか。

 そんな思いに捉われて、ふと携帯電話を拾い上げた私は、デリヘルでも呼ぼうかと思い、アドレス帳を開いた。お気に入りの子脳裏に浮かんでくる。

 ここで思い留まった。そうだ、先日誓ったばかりじゃないか。もう風俗店を利用するのは辞めようと。昔はよくソープに行ったり、デリヘルを呼んだりしていたけれども、もうしない。そういう店は利用しないと決めていた。

 長い日記になった。ゆっくり読んでもらえばいいし、わかりにくいところや、興味のないところは飛ばしてもたぶん理解できる。

 今回、昔のことを振り返ることができてよかった。書いている最中、じんわりとした幸せが込み上げてきた。この幸運感謝したい。



(追伸)

 上で挙げたN君だが、半年前に話をする機会があった。今でも彼は、どうにか転職ができないか模索しているらしかった。裏技を使おうかとも言っていた。さすがにここでは言えないが。

 N君の転職活動成功する未来を祈っている。彼は独身から、私よりは選ぶ会社自由が利くだろう。彼の多幸を願って日記の結びとする。

2023-09-25

FIREとかありえないと思う私はおかしいのか

私はリスクが大嫌いだ。

ハイリスクハイリターンとノーリスクノーリターンなら迷わず後者を取るくらいリスクというものが大嫌いだ。

からずっとそうで、将来のリスクを極力避けるにはどうしたらいいか真剣に考えた末に「真面目に勉強していい大学に進学しいい会社就職し、何かあったときに支え合えるパートナーを得る」という最終形だけ見ればごく普通選択をした。

仕事技術職を選び、よほどのことがなければ食いっぱぐれることもないし、会社が危うくなっても転職は容易な職種だ。いつでも移動できるように人脈もそれなりに作ってあり、自分技術磨きは怠たっていない。さらメンタルが病まないよう勤務時間を調整出来るホワイト企業を選んでいるので、業務外の趣味も充実している。

それでも不安はつきまとう。

パートナーが突然病気になったらどうしよう?自分が突然働けない状態になってしまったらどうすればいいのだろう?もちろん保険や貯蓄などの準備はあるが、そんな不安が常に頭の片隅にある。

最近、友人からFIREを目指していると話をされた。

正直、正気か?と思った。

友人は自由が欲しいと言っていた。会社に束縛されたくない、趣味時間を使いたいと。

聞けば、貯金運用して資産を作り、さらにそれを運用していくことで働かなくても暮らしていけるのだという。

その資産運用に失敗したらどうする気なのだろう?そう思ったが、夢を語る友人のキラキラした表情に疑問をぶつけることはできなかった。

そんなに仕事が嫌いか

私は割と好きだし、そうなれるように努力してきたから友人の気持ちがよく分からない。分かりたくないのかもしれない。

しかも仮にFIREして何かあったときはまた働かざるを得ないわけだが、ブランクが空いてしまったら再就職先を見つけることは難しくなる。しか育児介護といった妥当理由ではないのだから尚更だ。そのリスクを負うくらいなら、私は一生会社に束縛されたって構わない。むしろ雇用保険に入れる分安心する。

ただの考え方の違いなのは分かっているが、調べてみたら友人と同じようなことを言っている人がたくさんいて驚いた。私のようなことを言っている人はあまり見かけない。

私はおかしいのだろうか?

2023-09-10

派遣おっさんインターネッツによれば海外という国では派遣会社のピンハネ率は10%らしい。ピンハネしすぎ」

派遣会社雇用慣行が違うから何とも。そもそも日本のような後進国では協会けんぽ一般的企業負担で約5%。厚生年金企業負担9.15%の合計で約15%を派遣先外注から抜く必要がありますよね

これ以外にも雇用保険や労災保険子ども子育て拠出金、有給休暇、検診料etc.法律上企業負担しなきゃいけないものがいっぱいあるよ」

派遣おっさん「ぐぬ…派遣先から別枠で請求しろよ」

派遣会社派遣先から別枠で請求すればピンハネから除外できるんだったら、ピンハネ率を操作できるってことだからピンハネ率は実質0%だよね?」

派遣おっさん「…」

外国人「こんなこともわからないなんてw」

教授「だからいい歳して派遣になるんだよ」

文系大草原不可避。こんなん草越えて 森越えてアマゾン越えてマダガスカル

小学生小数計算小学校4年生の範囲だよw」

派遣おっさん「うわああああ」

2023-08-16

有給休暇消化中に入社すんな

入社者が発生するとハローワーク雇用保険の届け出をするんだけど、たまに「前職を退職していないか手続きできない」という事態が発生する。

原因は、前職の最終出社日の後、有給休暇消化中なのに弊社に入社して二重在籍になってしまうからだ。

雇用保険は二重に入れない)

学校でも「卒業式は終わりましたが皆さんは3/31まではうちの生徒です」って言われるじゃん???

それと同じで、最終出社日が終わっても有給休暇消化中は退職したわけじゃないんだよ…そこを認識できてないの本当に困る。

2023-08-14

anond:20230814120327

厚労省労基署失業保険雇用保険)、ついでに労組なんだよなぁ

まあどれもあまりうまく働いてないからそう思うんだろうけど。

2023-08-04

ニートからフリーターになって4年ほど同じ職場に掛け持ちで務めてきたけど、

直属の上司以外に重宝されてないので社内で煙たがられているし、勤め先の制度として正規につながる道がないらしく、

ついに生活に行き詰まってしまったようだ。

この仕事で培ったスキルを活かして転職を…とか考えて求職活動トライしてみたけど、

やっぱり元ニートで30越えて非正規しか仕事してこなかった、仕事スキル素人に毛が生えた状態おっさん

誰も雇いたいって思わないので書類がまったく通らない。たまに書類が通っても面接人間性の悪さが露呈してアウトだ。

こんなことなら毛嫌いしていた派遣にでも入ってなんとなく職歴雇用保険を手に入れておけばよかったと詰んだ時に思いついても後の祭りだね。

2023-07-23

anond:20230723203736

離職票保険証の切り替えは関係ないやで

離職票雇用保険喪失再就職のための職探しにしか使わない

社保の喪失証明書の話をしてんの?それは会社に発行の義務はないので言わないともらえないよ。

貰えなくても市町村国保の窓口に行けばええやろ

2023-07-22

新型コロナ補助金助成金の類い

巧遅拙速に如かずみたいな感じで助成金とか貸し付けとかあちこちの省庁がやってたけど、どんだけ不正受給があるんだろう。

たとえば、雇用保険から支出してた雇用調整助成金なんかは労働保険の加入が前提条件なんだけど、雨後の筍のように保険の加入が増えたぞ、飲食店とか。

飲食店みたいに実際に事業をやってるのはまだいい。労働保険の加入時には、たとえば飲食店であれば保健所などの公的機関から出てる許認可を確認するんだけど、問題コールセンターとか遺品整理とか、許認可の必要のない事業

たいていは雇用契約賃金台帳なんかで労働者を雇ってるかどうかを確認するらしいが、そんなのいくらでも作れるよね。実際、労働局助成金センターではそういうのを用意しろ実態は問わないで形だけ作れってこと)を指導してたって話もある。

雇用調整助成金だけじゃなく、いろんな補助金ゼロゼロ貸し付け、家賃の補助なんかやってたけど、全部ザルでしょあんなもん。実際2020年頃には不正があるってニュースもあったけど何故か2021年以後にはそんな報道はなくなった。

どんだけ濡れ手で粟のように公的な金をもらった連中がいるのかね。その中には反社会的勢力もいたんだと思うよ。

2023-07-20

anond:20230718202505

雇用保険の支払いなんて関係いから今すぐ行け

10万の給付金がもらえるけど最初テキスト等の3万ほどの出費があるから用意しとけよ

職業訓練から就職ってのは難しいが、その活動が認められると別途給付金が受け取れる制度がある

っつーかバイトでもフルで入れば月15万程度はいから日本は楽なもんだろ

慣れたら期間工に行け

トヨタなら寮もあるし頑張れば月30万は超えるしタイミングによっては奨励金ももらえる

毎月20万はインデックス投資しろ

間中簿記2級を取れ

5年も続ければ貯金100万は超えるだろうし投資でそれなりに増えてるはず

辞めたら事務職で働け。比較的楽だし簿記2級がいきてくるから地方なら食える

その頃にAI事務職を襲ってくるなら知らん

anond:20230719230823

ありがとうございます

本文読んでます

改めて、元増田言葉からわかることは二点でした。

・30代無職無能無資格

雇用保険払ったことない

自分はこの条件と同じ立場でした(無能レベルが同じかはわかりませんが)。なんなら「ハロワ以外で」という考えもです。

あなたのおっしゃる「3ステップを順調に歩むのが難しいスタートライン」にいた自分でも少しずつ幅を広げながら給与や休暇数など選ばなければ仕事を見つけられた、という体験談でした。

ちなみに「順調」とはどの程度のことをいってるかわかりませんが、ちゃんと落ちつづけたり職場バカにされたりなどそれなりに面白くない出来事はありました。社会ではどうしても相対評価ものですから、同年代の順当に歩んできた人と比べて自分価値が低くみられても特に不満はなかったこと、またそこを元増田に伝える必要がないと思い省いています

よければ以上を踏まえて解釈していただけると嬉しいです。

2023-07-18

職業訓練雇用保険関係ないとか言ってるブクマカ

ハロワ行ったことないだろ?

職業訓練受けたいって相談しても雇用保険が財源ですので〜って応募させてもらえないからな!

給付金じゃないぞ訓練校のほうだぞ

ソースは俺

anond:20230718202505

就労支援センター雇用保険とは関係ないはずなんで行けると思う。

問題は、就労支援センターは法的期限の2年通っても就労できないかギリギリ2年でなんとかどこかに押し込まれかぐらいに無能なことだが。

無職から社会復帰したいんだけど。

30代無職無能無資格

ちなみに職業訓練求職者支援訓練は雇用保険払ったことないからいけないこととして

ハローワーク以外の方法を使うとして、どうやって社会復帰できるようになれる。

追記

色々ありがとうございます

こういう増田って「できない」「手遅れ」「死んどけ」っていう言及が2~3個ついて終わり、っていうイメージがあったか

参考になります

ただ頼れる所には、既に頼っていて一定の効果が出なかったので意見を求めたわけです。

ハロワサポステには通ったことがあったのですが、自分には何の解決にもならなかった。

就活書類については「職歴の割にはよくかけている」ぐらいしか言われつつも実際に応募したら箸にも棒にもかからないし、

面接対策すれば自分の無様さを担当に笑われるという始末。

そんな感じなので、すべてのサポート機関との関係フェードアウトで終わらせて来てしまい、

正直もう頼れるところがないという状況です。

ここまで反応があるとも思わなかったので、こんな追記も書かずに逃げてしまおうとも思ったのですが、

心配してもらった手前お礼は言わないとと思い追記しました

2023-07-12

妻が派遣社員やっているのだが

ワイの妻は派遣社員をやっているのだけど、彼女を見ているとこの仕組みはかなり良くないのではないかと思わざるを得ない。

ここでの話は、登録派遣有期雇用契約を繰り返し契約するもの

ワイ自身専門家はないので正確な理解かどうかはわからず、そんなこと常識だよとか理解が間違っているよみたいな話があればご指摘いただきたい。



妻は普通にまじめに働いているが、1, 2年に一回は時期契約が結ばれずに契約期間満了で職場が変わっている。

これはひとにも寄るだろうけど、そのたびに何がいけなかったんだろ、、、と落ち込んでいる。

ワイから見てても結構頑張って職場に貢献していても、派遣先の都合で契約が結ばれなかったりする。

普通に働いていても、派遣社員として働くのは正社員に比べて精神的な負担が大きい。

派遣社員は言ってしまえば、次の契約更新のための人事査定を常にされている状態になる。

契約期間が3か月なら、3か月先の契約更新されるかどうかビクビクしながら働かなければならない。

会社によるが、、正社員派遣社員で扱いが違うのも精神的にクるポイントらしい。

会社イベント派遣社員は呼ばれなかったり、派遣社員からという理由仕事の道具が使えなかったりする。


妻は普通に仕事できるので、次の派遣自体はそれなりにすぐ見つかるから職にあぶれるわけではない。

派遣から次期の契約が結ばれなかった場合会社都合退職扱いなので失業給付を受けられる。

失業給付金は我々の社会保険から支払われているわけで、言ってしまえば企業の都合で人を自由に雇ったりクビにできるようにするために、我々雇用保険料が使われているわけ。

(ここについてはあまり自信がない、有期契約更新を繰り返す派遣社員失業給付金の公正な負担について議論している本などがあれば教えてほしい)


生活上も面倒が多い。派遣先が変わると健康保険の加入する組合も変わるのでカードを変えなければならない。

カードは働き始めて2週間から1か月くらいしないと送られてこないので、その間は自費診療ということにして、あとで保険請求に切り替えなければならない。

家族や親せきも仕事の話をするのが結構面倒だ。

なんというか、この形の派遣労働という仕組みは労働者に対して精神的負荷が高く、企業には都合がいいけどその代償を労働者の社会保険押し付けている、という理解になると思うのだ。

これは企業幸せかもしれないが、許されざる悪逆なのではないか

2023-06-30

?????この給料????????。

ワイ「今月給料は75万か。完全に自慢したい」

ワイ「給与明細はと...あ?????」

収入 固定 55 歩合 20

健康保険 4.9

厚生年金 5.9

雇用保険 0.5←お前は許す

所得税 5.3

住民税 5.6

振込 52.8万

????なに???フィンランド並みに税金払ってるね

なのに大学高校無料じゃないし木もサウナもない

おかしいよね

ちなみに円ではなくウォン

かると思うが念のため

2023-06-29

パート主婦年収の壁無くすために雇用保険から助成金配るだって

コロナ対策のばら撒きに雇用保険使ったせいで、保険料上がったばっかりなのに、またすぐ目的使用もしかして岸田はサラリーマンのこと舐めてるのかな?

2023-06-22

私も私も〜

私も就職氷河期〜。

でも単位落としてそもそも卒業できなかったから結局正規フロー就活はできねーなって思った。

そもそも団塊の世代団塊の子供たちは人数が多くて、企業からしたら落とし放題なんだよね。大量に応募してくるからそれこそ「外で上着を脱いだか」みたいな落とす理由見つけて積極的に落とされてたもんね。欠点探しの最盛期だったと思う。パワハラ年代採用担当だったこともあって、企業側はやりたい放題だった。

私は結局新卒カードを持たなかったから「社員登用あり」のバイトに応募して、圧迫面接だのn回目の面接だの一般教養テストだのぜーんぶスキップして無事フルタイムでの金稼ぎ手段にありついた。

新卒入社してきたのは全員ウェイ系で、女の子に至っては美人しかいなかった。社長趣味がよく分かった。これ見て自分には正規フローでの就活絶対無理だったなって強く実感した。

そして新卒の皆さんは今度は一週間の飛び込み営業っていう「研修」させられて、3割くらい脱落してた。私は社員じゃないのでこれもスキップ

当時は第二新卒って言葉もなかった。だから、あれ耐えられなくて辞めて新卒カードを失った人達はどうなったんだろうと思う。

友人たちはみんなそこそこ就職して、でもみんな「5年勤めても後輩ができない、ずっと下っ端」だった。大学院まで行った一人は就職に役立つ学問じゃなかったのでバイトで働き、切られた。一時期は親の雇用形態変更に伴って3ヶ月とか保険証なくなって難儀してた。病院費用貸したり(あげた)、単発バイトに誘って昼か夜奢ったりした。

そして親は団塊の世代なので、退職金が満額受け取れないとか、年金が受け取れないとか、医療費1割負担になかなかならないとか、人数が多いことを理由に「社会に金を払い渋られる」のを目の当たりにした。これが自分世代にも起こるんだろうなという実感。

バブル当時は0%だった消費税も今や10%で、所得に応じて取られる金も年々増えていく。震災復興税とか、一度取り始めた税はもう取りやめることはないのかと思う。物価も上がるばかり。でも年金雇用保険も返ってくる気がしない。社会恩恵も受けられない。医療費に至っては、払っててもマイナンバーカード持ってなければ10負担にする気なんだ?って思う。基本的人権を守った法律作らないと憲法違反なんじゃないの?

あと人数が多いか露骨にターゲティングされるけど、払える金自体はそんなにないので何につけても「若者の○○離れ」とか言われ、金を使わないことを責められる。まぁもう私たち世代の話でもなくなったけど。

ズルで就職氷河期すり抜けた自分語りしようと思ったのに、なんか愚痴ばっかりで長くなってしまった。まぁチラ裏ってそんなもん。

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