はてなキーワード: 酸素とは
妻に乳がんが発見された。早期発見だが、片方の乳房全摘出することになり、かなり気落ちしている。
妻とは共通の趣味である音楽で知り合った。音楽と言っても演奏する方で、それも固定のバンドではなく、同じ音楽が好きな人たちがスタジオに集まって演奏する、という形のサークルのようなもので知り合った。結婚したのがちょうど1年程前。
妻をサークルに連れてきた友人含めてサークル内で知り合った人たちでバンドを組んだりして、これまでごく普通の生活をしていたので青天の霹靂だ。
手術は半日、その後一週間入院。摘出した側の腕はリハビリが必要ということで仕事はしばらく休職することになった。
手術は入院先の病院と執刀医のスケジュールの都合で1か月後となり、それまでは自宅療養。がんといっても胸のしこり以外に症状があるわけでもなく、手術するまでは特に生活に支障はないが、精神的に不安定かつ、診断結果を聞いた日から熱が出て、入院までは自宅で寝て過ごすことが多かった。起きている間は気持ちが落ちるような環境を一切排除したいとのことで、録りためたバラエティ番組をひたすら見ている。録画を見尽くすと、ツタヤでバラエティ番組のDVDを借りて来て見る、という生活。
番組を見て笑ってる時はいいのだが、ふと気が付くと横で泣いてことが多々あり、家にいる時はテレビを見るか、妻の涙を拭くのが専らの仕事となり、バンドも休止したため、自分がギターを弾いたり、音楽を聴く時間はほとんどなくなった。俺は結婚してから職場で異動があった関係で土祝も出勤になってしまったため、今の妻の精神状態で家に独り残しておくのは心苦しかったが、なるべく仕事も早く上がるようにしたし、仕事以外の時間は全て妻との時間に費やした。
手術2週間前くらいにようやく気持ち的に落ち着いてきたのか、俺の晩飯や昼の弁当を作ってくれるようになった。医者からは特に制限されていることもないので、宣告前と同じように夜はビールも飲むようになったし、週末は病気を打ち明けた友人と会って飲んで、見舞いの品をもらって帰ってきたり。
手術1週間前あたりで、妻が欲しがっていたLINEのスタンプを購入してやろうと、妻が寝ている間に妻のiPhoneを開いた。妻はクレジットカードを所有しておらず、iPhoneも私が支払いをしており、apple IDもクレジットカードを登録していないため、コンビニでiTunesカードを買ってきたのでそれで購入してやろうと思ったのだ。だが、これが良くなかった。
LINEのトークには妻とある男のやりとりがあった。その男はバンドメンバーの一人だった。以降その男を間男と呼ぶ(体の関係があるかどうかわからないけれど)。バンド内で既婚者は俺と妻のみだが、間男以外は全員彼氏、彼女持ちで、間男は寡黙だが顔はイケメンの部類に入る顔立ちで、40手前で日々音楽中心の生活で絵に書いたような独身貴族といった感じ。
俺はバンドのリハであまりにも練習をして来ないそいつを気に入っていなかったし、妻も寡黙というよりも暗い間男のせいでバンド内の士気が上がらない、とかアイドル好きの面食い(実際女優やアイドルの写真集やDVDを購入するツイートをしている)などと揶揄して嫌っている様子だったので、LINE内で1対1でやりとりしていること自体が信じられなかったが、トークの内容からは前々から二人で会っているような感じだった。それも俺が仕事の土祝の日に朝から間男の家に行っているようだった。
「週末会える?」とか「明日起こしに行っていい?」とか。手術直前には間男にも乳がんを告白しており、その文面には「退院後には違う体になって帰ってきます」とあり、なんとなく体の関係を匂わせるものも。
入院の日と、翌日(手術当日)は俺も仕事を休むと職場に告げていたので、入院前々日は仕事のやり残しを減らすため、仕事をして帰りが遅くなってしまった。その日は妻が音楽のサークルのみんなに「みんなに会いたいなー」とLINEしていたのでその日の晩に「明日の夜はみんなと飲む?」と聞いたがうつむいたまま「いい」と言ったので特に会合は開かず。その後妻が風呂に行っている間にLINEを見ると、俺が遅くまで仕事をしている間に間男と会っていたようだ。
入院前日。妻は昼間に昔からの友人(女性)と会う約束をしていた。帰りが何時になるかは聞いていたなかったが俺は前日に仕事を大方やってけていたので早く帰れそうだった。夕方妻から「晩ごはん食べてくる」とメールが来た。友人となのか、間男となのか分からなかったが俺は早く帰って独りで晩飯を食べながら妻の帰りを待った。
待ってる間iPhoneを探す機能で妻の居場所を探すと、友人と飯を食べに行ける距離でもあったし、間男が家から徒歩で行ける距離でもあった。
妻が帰って来ると俺が食べてたコンビニ弁当をやたらつまんで来るので「晩ごはんあんまり食べなかったの?」とか「何食べたの?」とか聞いてみたが生返事しか帰ってこず。風呂の間にまたLINEを覗くとやはり間男と会っていた。
入院前日の晩飯に俺でもなく、サークルのみんなでもなく、間男を選んだのだ。体の関係があるのかは未だに分からなかったがこれは悲しい事実だった。
そんなLINEを見てしまって、心の中がモヤモヤしたまま手術の日を迎えてしまった。手術は予定時間を90分ほど延長したものの、手術自体は無事成功し、妻がベッドごと病室に帰ってきた。これまでに医師から受けていた説明では、麻酔が切れた後は多少ボーっとしているかもしれませんというくらいだったが、帰ってきた妻の状態はそんなものではなく、息は荒く「苦しい、苦しい」とうめき、呼吸が上手くできない上に酸素マスクが口元にあるのも嫌がるといった状態でとても見ていられなかった。手をつないだり、頭をなでてやったり、そんなことも嫌がるためしばらくは看護師に任せ病室から出ることにした。昼過ぎに妻が病室から帰ってから俺は数時間を病室と同じ階の待合室で過ごし、晩飯を済ませてからまた病室に戻った。
部屋に入ると妻は眠っているように見えたが、しばらくするとまた「苦しい」と言い出し、ナースコールを押しては喉が乾いた、腕が痛い、枕が高い、氷枕が欲しいと伝えて、まだ体が自分では動かせないようだった。何をしてやったらいいか分からなかったが看護師の作業を見てからは、ベッドを起こすだとか、飲み物を飲ませるとか自分でできそうな事は妻にしてやった。その日の晩は俺も病室に泊めてもらえることになった。その後数日は他の手術の予定がないとかで、結局俺も病院に4泊した。
入院中、少しずつ元気を取り戻して、後半には一人でトイレに行けたり、半身を自分でシャワーしたり、看護師に髪を洗ったりしてもらったりできるようになった。それ以外は自宅から持ってきたノートPCで借りてきたDVDでまたバラエティ番組を見ながら比較的穏やかに過ごした。看護師に髪を洗ってもらっている間、またLINEを覗く。「退院したらまた会ってね」だって。このモヤモヤは退院後も続きそうだ。
入院1週間で大分元気を取り戻し、無事退院。病院を後にして本人の意思で徒歩で自宅まで帰った。子供と歩くような速度で手をつなぎながらゆっくり歩いて帰ったが退院後2日もすると歩く速度も入院前に近づき、コンビニまでなら一人で歩いたりできるようになった。退院3日目には二人で居酒屋で酒も呑んだ。まだ一人で遠出はしないだろうと思っていた退院4日後にまた間男と会った。また俺が出勤している祝日の日にだ。午後一にiPhoneを探すを起動すると、ちょうど自宅の最寄り駅にいる。きっとツタヤのある駅にでも行くのだろうと思ったが、ツタヤがある駅とは反対側に進んでいる。そして間男の住む駅へ。iPhoneのGPS機能の精度の良さには驚く。間男の家に妻のiPhoneがある(バンドのミーティングで部屋には俺も妻も行ったことがある)。結局午後1時から3時まで2時間滞在していた。
きっと部屋で一人でいるのも滅入るし、寂しいんだろうな。でも会うのはそいつじゃなくてもいいだろ。
今後の事を考える。
1案)現状の情報だけを妻にぶつける。LINEを覗いたことやiPhoneを探すで居場所を調べた事は怒るだろうな。
2案)現状維持。バンドも続ける。ただし、間男とは一言も話さない。妻も間男も何かしら感づくかもしれない。
3案)バンドは続けない。間男とも会わない(間男が別でやってるバンドのライブにも行かない)。間男の他のバンドのメンバーとか、対バンとも夫婦で繋がりがあるので、交流の取捨選択に不自然な所が出てくるので妻は何か感づくかも。
4案)体の関係を突き止める。入院前については調べようがないので今後の証拠を掴むにも妻のリハビリがしばらく続くのでこれはしばらく後になりそう。そもそも体の関係があるかどうかも分からない。逆に体の関係が前も今後もないなら問い詰める機会すらないのでモヤモヤを抱えたまま生活を続けることになる。突き止めるにしても興信所を頼るほかないので費用がかかる。興信所から体の関係を否定された場合1~3案をまた考えなければならない。関係が発覚した場合は即刻離婚だろうな、問い詰め方はまた考えるとしても。
長いです。そして大部分が「自分語り」です。そんなの読みたくないよ、と言う人はブラウザのバックボタンを押してください。
で、なぜ自分語りをするのかというと、結論部分の教育に関わる人たちや、子供の「親」となっている人、もしくはこれから「親」になる人たちに伝えたい事につなげる為なので、時間がない人はその部分だけ読んでもらっても構いません。
それでは、物好きな人はどうぞ……
20代も後半になってくると、「結婚しないの?」とよく聞かれるようになった。「相手がいない」、「仕事が忙しくて相手を探す余裕がない」と言うと、たまに「いい人紹介しようか?」と言われることがある。
しかし、私にとって友人や知り合いや同僚から相手を紹介されるというのは、最も避けたい出会い方だ。「自分のようなつまらない人間を紹介することで、相手の評価を下げたくない」「紹介してもらったところで、うまくいくはずがない」と考えてしまう。
「自分には価値があり尊敬されるべき人間であると思える感情」のことを自尊感情と言うが、私はこの感情が非常に低く、一日一回は「死にたい」「この世から消えてなくなりたい」と考えている(これでも回数は減った方。昔は一日十回は死にたいと思っていた)し、友人と遊んだり飲んだりしていても「自分なんかのために時間を使ってもらって申し訳ない」と考えてしまう。自分と実際にあったことがある人の中には「自分の話ばっかりするから、自尊感情高いんじゃないの?」と言う人もいるかもしれないが、それも自尊感情の低さの裏返しだと思う。自尊感情が無いからこそ、他人から褒められたり、認められることを期待して自分の話を頻繁にしてしまうのだろう。私が「知り合いからの異性の紹介」を避けているのも、この自尊感情の低さからきているのだろう。
それでは何故私の自尊感情は低くなってしまったのか。色々な原因が考えられるが、一番大きいのは、私が「普通の人が出来ることを、出来なかったから」だと思う。
まず、私は小学生時代、「普通の子供と同じように授業を受けることが出来なかった」。静かに、教室の椅子に座って授業を受けることができない。授業中に教室を抜け出し、先生を慌てさせる。教室にいても、授業い集中できず、本を読んだり他の子供にちょっかいを出す。
そんな子供だったせいか、小学生の一時期、いじめられていた。いじめは「異質な存在」が標的にされやすいことから考えると、自分がいじめの対象になったのも自然なことで、意味もなく殴られたり、筆箱を窓から投げ捨てられたりしていた。そこまで酷いいじめではなかったので、不登校になるほどではなかったが、自分は人と交流することに臆病になってしまっていた。
未だによく覚えているのが、隣に住む一学年下の友人の家のチャイムを押すのに一時間以上ためらった挙句、押せずに自分の家に帰ってしまったこと。小学生の時点で、私は友人の家に遊びに行っても、「そろそろ帰らないと鬱陶しいと思われるのでは」と考えてしまう、人間関係を形成することに臆病な人間となっていた。
小学生低学年の時のこの問題行動は、ADHD(注意欠陥・多動性障害)によるものであり、診断後、月に数回、大学の研究室に通うことになった。そこに行くと宝探しゲームやパズルなどをさせてもらえるので、私は「遊びに連れて行ってもらっている」という感覚だったのだが、今では「あれは行動療法の一環だったのだ」と理解できる。
大学での療法の結果、私のADHDの症状は目立たなくなっていったが、中学校入学後、私に新たな「普通の人が出来るのに、自分には出来ないこと」が出来てしまった。
それは、「普通の人と同じように起きていること」。
授業参観、テスト、学校行事、時と場合を選ばず、どんな時でも居眠りをしてしまう。その眠気は尋常ではなく、拳で太腿を殴りつけても、ペンで血が滲むほど掌を突き刺しても、消えることは無く、結局は寝てしまう。なんとか地元の公立高校には入れたものの、いくつかの授業にはついていくことが難しくなってしまった。そして三年生の時は難関大学を目指していたのにも関わらず、文系の一番下のクラスへ。一部の教科の成績と授業態度(よく居眠りをする)を考えれば当然のことではあったが、授業のレベルが大学受験レベルではなかったのは困りものだった。居眠りをしているのに教師のところに「わからないところを教えてください」と行くことなんて出来ないし、独学もなかなか難しい。そんな時に自分を救ってくれたのが予備校の配信授業。自分が通っていた塾では予備校が衛星配信する授業をビデオに録画したもので受講することができた。ビデオなら途中で居眠りをしてしまっても居眠りをする前の段階まで巻き戻せばいい。そうして90分の講義を毎回120分以上かけて受講し、なんとか受験に対応できる学力をつけていった。
結果として、第一志望の大学に合格することはできなかったものの、国立大学に進学することが出来た。自分の居眠りは怠けからきていると思っていたので、大学に入れば、環境が変われば少しは改善するとおもっていた。……だが、そんなことはなかった。
自分が受けたいと思い、はりきって教室の一番前の席に座った講義で寝てしまった時の絶望感。サークルのミーティングで居眠りをしてしまった自分への冷たい視線を感じた時のこの世から消えてしまいたい気持ち。大学に入れば何かが変わると期待していただけに絶望感は大きかった。ずたずたになっていく自尊心。
自尊感情が低い故に人間関係を構築するのに臆病なのは相変わらずで、自分から食事や飲みに誘うことなど殆ど出来ず、昼食も一人で食べてばかり。
大学院に進学してからも居眠りは止まらず、二年次に受けた公務員試験も当然のことながら不合格に。修士課程だったので二年で修了できたのだが、自分では働きながら試験の勉強はできない、とわかっていたので、親に頼み込んで一年間留年することにしてもらった。
留年時は相も変わらず寝てはおきてを繰り返しての勉強生活。一日十時間勉強しても、実質的に集中して勉強できているのは六~七時間なのだから効率は非常に悪かった。
二回目の受験でなんとか公務員試験に合格し、就職。このときはまだ自分の居眠りは自分の怠けからきていると思っていたため、さすがに就職すれば意識が変わって居眠りも無くなるだろうと思っていた。しかし就職してからも止まらない居眠り。会議で、行事で、起きていようとしても寝てしまう。当然のことながら、同じ居眠りでも学生と勤め人ではその捉えられ方は大きく異なる。面と向かって厳しく注意されることも増えたし、必要以上の会話をしてくれない同僚も増えていった。完全に自信を無くし、せっかく合格できたのに、退職しないといけないかな、と思い詰めていた時に、上司が睡眠障害外来の受診を勧めてくれた。
休みを取って「睡眠ポリグラフ検査」というものを受けた。体中に脳波、体の動き、血中酸素濃度、呼吸などを計測するセンサーを付け、一晩眠り、起床後は二時間ごとに横になって検査を行った。
検査の結果、入眠直後にレム睡眠期があること(普通の人は入眠直後はノンレム睡眠らしい)、前日に十分睡眠をとっていたのも関わらず、横になると数分で入眠してしまうこと、夢見や脳波などから、「ナルコレプシー」と診断された。ナルコレプシーとは非常に強い眠気の発作を起こす脳疾患(睡眠障害)の一つで、私の居眠り癖は自分の怠けからではなく、睡眠障害からきていたものだったのだ。
睡眠障害というと、「眠れない」障害ばかりが注目されがちだが、実際には「眠りすぎてしまう」「眠気が強すぎる」睡眠障害というのも数多くあるらしい。しかし、後者はあまり知られていない為、私のようにそれに気づかずに、発症後も長く苦しむ人が多いそうだ。
根本的な治療法はないが、薬物により日中の眠気が抑えられるということで、「モディオダール」という薬を処方された。早速薬を飲んでみると、劇的に症状は改善された。仕事の効率も良くなり、「普通の人はこんなに起きていられるのか」と驚いたと同時に本当に悔しくなった。もう少し早くこの障害のことがわかっていれば、これまで人間関係や学業でここまで苦しむことは無かったのに、と。
私はこのように二つの他人から理解されにくい障害をかかえて生きてきたのだが、それによる自尊感情の低さは、原因が分かった今もなかなか解消できそうにない。三つ子の魂百までではないが、一度形成された人間性というのは、なかなか変わらないものなのだ。
自分の体験を通して、教育に関わる人たちや、子供の「親」となっている人、もしくはこれから「親」になる人たちに伝えたいことは、「自分の教え子や子供に、何か気になるところがあったら、ためらわずに専門機関で検査を受けさせてほしい」、そして「もし自分の教え子や子供が何らかの障害をかかえていたら、その子に合った教育、療法を受けさせてほしい」ということだ。
自分の教え子や子供がそんな障害を抱えているとは思いたくない気持ちはよくわかる。しかし、障害を持つ子は検査を受けて診断を貰えなければ、自分にあった治療や教育を受けることもできずに成長することになってしまう。
さらに、「普通の人が出来るのに、自分には出来ないこと」があるということは、自尊心を大きく傷つけてしまう。自分がそうであったように。
一般の人が想像する以上に、発達障害や、睡眠障害を抱えている人間は多い。「他人事」だと思わずに、教育に関わる人たちや、「親」、これから「親」になる人たちには、発達障害や睡眠障害について学んでほしい。
GoogleGlassを覚えてるだろうか。メガネだよメガネ。
で、ちょっと話は飛ぶんだが、おれは伊集院光の深夜の馬鹿力が大好きだ。
エアチェックしたものを大量にmp3化して、iPodに入れて聞いてた。今も聞いてる。
で、家にはAppleTVがあって、外で聞いてた伊集院を、家に帰ったらAirPlayで飛ばして家のスピーカーで聞いてる。
でだ、メンドウなんだよ画面操作するの。
たかだか、AirPlayに変更するだけのために、鞄からiPhone出して操作してって、なんだかなあといつも思う。
そりゃあ、Macと連携してTodoリストが管理できるのは便利さ。
でもな、なに買うんだったっけって、いちいち鞄からiPhone出して操作して、
それからやっと味醂と片栗粉を買うのを思い出すとか本当に面倒くさい。
スケジュール管理が紙ベースから圧倒的に楽になったことは認めよう。
iPhoneでいつでも確認できるし、ネットでダイオウイカが出ると聞きゃスケジューラに打ち込めば忘れないし、リマインダもある。
歯医者の予約も、次に床屋に行くべきタイミングも全てチェックできる。
でもな、電車の待ち時間にずっとiPhone弄ってるのって、なんだかバカっぽいだろ。
オレだって人間だ。注意も散漫になりゃ、ゲームだってやりたくなる。
ツムツムやったり数独やったり、ニュースみたりボケて観たりとかな。
そういう、「ちょっとスケジュール確認しようかな」からシームレスにゲームができちまうのって問題だと思うわけだよ。
そういう、スマホの画面を見なきゃいかん、スマホ弄らにゃいかんって生活から、
AppleWatchは開放してくれる気がするんだよ。あくまでも気だが。
醤油買い置き切れてたっけ?と腕時計をいじれば良いだけなら、圧倒的に楽だ。
今日はゴミ出しの日だと腕時計をつけるときに出てれば、出し忘れもなくなる。
そろそろ歯医者だエヴァの放映日だって出れば、会社を出ようって気にもなる。
腕時計で写真なんか観ねえよ。Twitterをいちいち追っかけたりしない。
でも、オレが帰り際に聞いてた深夜の馬鹿力を、AirPlayで切り替えるぐらいはできるだろ。
終電三十分前だと、腕時計が小さく震えて教えてくれたりするわけだろう?
どうせ脈拍はかるのにしか使えなくて、酸素飽和度計が付いてるわけじゃ無えだろうけど、
つまりこれは、いつものアップルさんの想定顧客ど真ん中向けで出してるんじゃねえのか。
金持ってて生活が安定してる、ホワイトカラー。休日や出勤前にジム行ったり近所をジョギングする。
健康志向でちょっとした手間を惜しむ、ルンバを持ってて全自動洗濯乾燥機と食器洗い機が家にあるヤツ向け。
賭けてもいいが、Todoリストもスケジューラも株価にもニュースにも興味が無くて通勤すらしてないヤツが買っても無駄だぞ。
ずっとディズプレイの前に座ってるニートがiPad買っても無駄なのと同じだ。
パソコンを外に持ち出すよりもずっと楽に、ブラックベリーよりもできることが多いから、iPhoneをみんな持ってんだ。
でも、パソコンが必要なくなるわけじゃない。空港でノートPC広げてる奴はまだまだ多いぞ。
同じように、ついにiPhoneを取り出すのすら面倒臭くなったヤツが、AppleWatchを買うんだよ。
値段?機械式腕時計に比べりゃバカ安だろ。スーツ着てる連中でTIMEX付けていいのは変人だけだ。
だから、学生には売れねえしギークにも評判悪いだろうが、シティで働くスーツのオッサン連中がこぞって買うぞ。
(んで仕事中とアフターで同じバンドしてるとバカにされんだよ。あいつはTPOを考えねえダセエヤツって)
後は、クソ長え会議中にモールスで同僚で会話できるようになってりゃ最高だ。素数を数えてくれても良い。
4万程度で悩む奴は4~5年待てば、きっと縮小してなかったコトにされてるか、2万で電池が一週間持つとか廉価版が出るから待て。
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遅ればせながらゴジラを見てきた。作品の感想は事前の期待が大きかったせいもあるがイマイチ。その理由を自分なりに一晩考えて出た結論が「人間にとって都合のいい存在としてゴジラを描いてしまっているから」。1954年に公開された初代ゴジラは明確な反戦・反核のメッセージを含んだ作品であり、水爆実験でよみがえったゴジラは、人間がコントロールできない「核兵器」という科学技術を使うことへの批判として描かれている。
人類が調子こいて水爆実験連発。その衝撃によりゴジラが目覚める。
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ゴジラを殺せる可能性のある、水中の酸素を破壊するオキシジェンデストロイヤーという化学兵器を若い科学者が発明。
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しかし博士はその兵器が戦争に使われることを恐れ、使用を拒否。
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ゴジラをぶっ殺すか? 強靱な生命力を研究対象にするべく生かすのか? 議論が割れる。
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結局、オキシジェンデストロイヤーでゴジラ死亡。博士は兵器の悪用を恐れ設計図を破棄し、自らの命を絶つ。
ゴジラは60年前から反戦・反核のメッセージとともに、際限のない科学への信頼に対する警鐘も鳴らし続けている。しかし、ラストでゴジラを倒すのは核兵器よりも強力な化学兵器であり、これは結局諸刃の剣である科学の呪縛から逃れられない人類を象徴的に描いている。「人類が核実験を続ける限り、第二第三のゴジラが現れるだろう」という最後のセリフは今もって有効だ。これがハリウッド映画であれば、「核兵器でも死なない大怪獣を倒した科学技術は素晴らしい! 人類の叡智バンザイ!」的なハッピーエンドになるはず。
ネタバレになってしまうので詳細は避けるが、なにが言いたいのかというとゴジラは大自然や神様といった人間にとってアンタッチャブルな概念の具現化であり、人類のために戦うヒーローになってしまっては興ざめということ。この辺はおそらく、神様が世界と人類を想像したというキリスト教的な欧米の世界観では理解しにくい存在なのかもしれない。それらの文化圏では神様とはこの世界のスタートとゴールを設定した絶対者であり、人類を正しい方向に教え導く役割を担っているのだから、試練を与えつつも最後にはハッピーエンド(人間にとって都合のいい)が約束されていなければならない。
その点、日本では不可侵な存在としての神様を描くのが得意なようで、例えば「もののけ姫」のシシ神さま。あれなんかは完全に、人類ともののけの人智を超えた存在として描かれている。シシ神さまにとっては森を守るアシタカも森を開発しようと企むエボシ御前も関係なく、ただ目の前の者に死と生命を分け与えるだけ。間違っても「お前は森を大切にしているから褒美として寿命を10年延ばしてやろう」とも「お前は森を破壊した罰として寿命マイナス10年!」とも言わない。人間の都合ももののけの都合も一切勘案に入れず、己の職務に忠実なだけだ。それは、どんなに弱者や善人が住んでいても地震や台風が発生するときは容赦なく発生するのと同じこと。つまり、本来自然や神様は人類の都合など考えない、極めて不条理な存在であるわけだ。
もうひとつの例としては、「ドラゴンボールZ神と神」のビルスさまも同じ。「プリンが食べられないから地球を破壊」「寿司がまずかったら地球を破壊」「ジャンケンに負けたら地球を破壊」といったセリフのオンパレードは、神様の不条理な一面をこれ以上ないくらいよく表している。初代ゴジラにとっては自衛隊であろうと戦災孤児であろうと自らの進路に存在する者は容赦なく踏みつぶすだけだ。
そんな人類の都合など考えないゴジラを期待して見に行った自分からすれば、なぜ98年のエミリッヒ版ゴジラがあんなにも酷評されているのかよくわからない。今作では日本の原発事故を絡めてはいるが、それもイマイチ批評性に欠け(というか単なる方便)、中途半端な社会派作品に堕してしまっている。
一つ興味深い点を挙げれば、人類がゴジラを「撃退」もせず「征服」もせずに「共存」の道を選んだこと。(続編のためにはゴジラが人類に撃退、征服されてしまっては元も子もないのだが)。これまでどんな凶悪な宇宙人も自然災害も撃退して乗り越えてきたハリウッド映画、これまで世界の警察を自称して世界中に西欧的価値観を広げてきたアメリカ。そんな、アメリカという国家が共存の道を選んだこのラスト、実はなかなかにレアなのではないかと考えている。メインキャストで唯一の東洋人である渡辺謙が発した「愚かな人間は自然を征服できると思っているが、そんなことはできない」というセリフは、「自然や子どもは管理されるべき」といったキリスト教の教えとは180度異なる。今回のハリウッド版ゴジラは反戦・反核のメッセージを含む初代ゴジラとは異なり、アメリカの外交の変化とリンクした作品として捉えるとまた違った一面が見えてくる。
どこまでを栗城史多だけでの登頂と呼ぶかについて、登山家たちの間で議論が生じている。
http://mainichi.jp/feature/nationalgeo/archive/2014/08/08/ngeo2014080ww8003.html
4度の苦闘の末、栗城氏は、高峰エベレストの頂上に栗城史多だけで立てなかっったと主張した。
栗城史多とその登山隊は、栗城だけの単独の登頂失敗だったと主張している。
エベレストを単独無酸素で登った過去の例はラインホルトメスナーただ一人であり、
栗城はそれと同等の偉業に挑戦しているのだという。
しかし、栗城史多たちの登頂に関する詳細が明らかになると「栗城だけ」という主張に、
厄介な疑問が浮上してきた。
エベレスト「単独無酸素」の際には、ボチボチトレックに対して1300万円ものツアー料金を支払ったことが発覚している。
また単独であるのにもかかわらず少なくとも15人のシェルパを雇っていたことが判明した。
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/pages/108.html
このことは"栗城だけでの登頂失敗"とは何かという疑問を生じさせる。
「栗城は登山家ではない。別の何かだ。登山家と呼ぶと本当の登山家に失礼だ」と、
栗城登山の世界で、登頂の真価をめぐる疑問が取りざたされるのは今に始まったことではない。
ほとんど最大重量でも不足になっちゃったので、近いうちに環境は変えなきゃならんのだけど
月に出費できるのはサプリ代も含めて1.5万が限度っすよ。トレーナーと補助者がいるジム高すぎ。
プロテインをday300グラム飲むだけで結構な出費になるのに、そこにクレアチンやらマルチビタミンタブやら…。
ベンチとかもっと高重量で追い込みたいけど、補助者いないと危険すぎて流石にやれないし。
じゃあ、いっそのこと摂取カロリーこのままで有酸素オンリーに切り替えて
高体重+そこそこの筋量からのトレーニングってほとんど知識が落ちてないんだもの
有酸素+無酸素ミックス+ほどほどのカロリー摂取で行けばいいのか
それとも、一回増量覚悟でガンガン筋肉増やしてそこからビルダー式の減量すればいいのか
どれが正解なのかさっぱりわからん。つーか、ジムのトレーナーに相談しても
全員言うこと違うんだよ。
体重117キロから減量を重ねてやっと3桁時代の終わりが見えてきた…
明日はチートデイなので、死ぬほどピザを食う。デブでも流石にその量は…ってくらいピザ食う。
しかし、元々柔道をやりこんでいたので筋量には自信があったのだが
流石にこれだけ一気に絞り込むと、当然ながら筋肉も落ち始めるな…。
「いっそ、年内丸ごと増量期に当てて筋量増やしまくって半年くらいで一気にカット出した方が良いのか」
と悩み始めたが、有酸素と筋トレのバランス、それに栄養摂取量のバランスが難しい。
今は1200カロリー/dayくらいで、順調に体重は絞れているがこれほとんど筋トレ無駄になってる気もする。
つーか、プロテインと鶏肉でほぼカロリー使い切るので、炭水化物を摂取する余地がほとんどない。
必然的に常時ガス欠状態なので、高重量トレなんて結果が上がるはずもなく。
-15キロで、トレの最大重量は明確に落ち始めた。勿体無い…。
ぬー、まぁとりあえず90キロまで絞ってそこからまた再増量考える方向でいこうかな。
今別にスポーツやってるわけじゃねーし、無駄に筋肉つけても使い道ないし、見た目の方が重要だよな…。
いっそこのまま70キロ台くらいまで落としてキレッキレの身体を目指すか
しかし、筋肉の大きさと最大重量にもそれなりの魅力があるんだよなぁ…。悩む。
詳しくは知らんが酸素濃度を高くすると巨大化するんじゃなかったっけ?
ひとり暮らしで自炊していると食材をよく腐らせるとかなんとか話題なので腐らせないための方法をまとめときますよ。
1,肉
まあ、普通は冷凍だよな。でも冷凍の薄切肉ってあんまり美味しくないだろう。
チャーシュー作って冷凍しとくとチャーハンやら冷やし中華やらラーメンやらいろいろ捗る。
塩漬けしてパンチェッタもどき作ってから冷凍もオススメ。パスタが格段にうまくなる。
作り方はググればいろいろ出てくるので自己責任でどうぞ。一度冷凍すればそんなに危険はないと思う。
薄切り肉は冷凍するとドリップでパサパサになるし、使う分だけ買うのがいいな。
どうしても冷凍したいならもともと冷凍してあるものがいい。あれならまだドリップも少ない。
買ったら凍ったままフリーザーバッグに移し替えて冷凍庫。そのままだと使ってる途中ですぐに白くなる。
自分で小分けして冷凍は面倒だしやっぱり美味しくないから最後の手段、だと思う。
ちなみに肉はチルド室に入れておけば消費期限+2日くらいは余裕だからね。
塊肉なら表面の色が変わってくるけど表面をトリミングすれば1週間位余裕で食べられる。熟成肉はリスクあるけど超うまい。
チルドルーム入れておいて何日くらいは食べられるか、自分のお腹と相談するのがいいね。
2,野菜
葉物野菜は基本的にジップロックみたいなのに入れてできるだけ空気を抜いて野菜室。
密封することで乾燥を防ぐし、空気を抜くと酸素量が減って腐敗が遅れるから長持ちするぞ。
もやしも一度水道水で洗ってジップロックに入れておくと1週間くらい持つぞ。
野菜室にセロリを入れておくと雑菌の繁殖力が落ちる。セロリ少な人にはおすすめ。
長ネギは3等分くらいにしてジップロックに入れて野菜室。1ヶ月は余裕。
にんにくは野菜室だと芽が出るので買ったらすぐにバラバラに皮向いてジップロックコンテナーで冷凍。
玉ねぎは多めに買って日陰の風通しが良くて涼しいところの放置。最初から腐ってなければ3ヶ月くらい持つ。
トマトも野菜室。室温で完熟とかいうけど青いうちにとったトマトは完熟しても青臭いままブヨブヨになって美味しくならない。
じゃがいもは室温だと芽が出るのでジップロックに入れて野菜室。裸で入れるとシワシワになるよ。
3,魚
刺し身の冷凍は無理。冷凍臭くても余裕な人以外はしてはいけない。
柵のままならチルド室で消費期限+1日くらいはいける。再冷凍は不可。
尾頭付きの魚は自分で冷凍するのはやめておいた方がいい。臭いが出るので食べられなくなる。
というか、ひとり暮らしでさんまやアジ以外の魚は買わない方がいいね。
冷凍のものを買ってきて凍ったまま冷凍庫に入れるのがいいよ。2週間位で食べきる。
切り身の鮭も冷凍のものを買ってきて半解答してバラバラにしたら個別にラップしてジップロックに入れて再冷凍。これも2週間位。
4,ご飯
ご飯は冷凍っていうけど小分けが面倒だし、冷えるまで待つのも更に面倒。
無洗米を都度炊いて食べたほうがいいな。1合なら30分くらい。半合なら20分位で炊ける。
それも面倒ならレトルトご飯もあり。最近のはかなり旨い。レンチンですぐ食べられるし室温保存できる。
ほかにこんなのどう保存したらいいの?ってのがあったら聞いてくだされ。
あとこんな保存法もあるよってのも教えてくだされ。
追記
ご飯、熱々のまま冷凍庫に入れていいわけがないよね。いろいろと溶けるよ。
体重1kgを減らすには約7000kcal消費する必要があるというのをどこかで見た。
で、これをどう消費しようかって話なんだけど、
まず、運動を大まかにカテゴライズすると無酸素運動と有酸素運動に分類できると思う。
その上で、有酸素運動は脂肪の燃焼に効果的ってのもデブの基礎知識として知っている方は少なくないとは思うんだけど、
結局のところ、有酸素だろうが無酸素だろうが7000kcal消費できれば単純に1kg減量できるって認識でいいのだろうか。
だとすれば、例えば、ジョギング10キロと100m全力疾走10本がイコールならば時間効率的に無酸素運動に軍配があがるんじゃなかろうか。
つまり、短時間で強度が高く消費カロリーの大きい運動(=無酸素運動)のほうが、時間効率がよくストイックに鍛えられるんじゃないか。
どうだろう?(アイスを舐めながら)
>>37 最新の飛行経路をみると、やっぱり何らかのトラブルに巻き込まれ、それを リカバリーしたような動きだな。計画的自殺や何らかの陰謀があったとは思 えない。 何らかのトラブル→機体のピッチがあがって急上昇→サービスシーリングを突破 したことで機体の一部が破損(ゆるやかな減圧発生) →パイロットがあわててマニュアルに変更して急降下・急旋回により最寄りの 空港に向かう→とりあえず機体が安定したので巡航高度に戻してオーパイ・オン →機体の一部破損に起因する減圧に気づかないまま低酸素症が進行しパイロットが 意識失う→ヘリオス航空522便状態→ガス欠→墜落 エマージェンシー宣言がなかったのは、あまりに急激な機体の姿勢変化をたてなお すため通信どころではなかったこと(緊急時の優先度は、①コントロール、② ナビゲーション、③コミュニケーション)と、低酸素症の進行により管制との連絡 を忘れてしまったこと(JAL123便も低酸素症状態でクルーがほとんど会話して いなかったことがわかっている)、が原因かな。 最初のトラブルはメカニカルトラブル(ソフトウェア暴走?)かもしれないが、777自体 長期間にわたって信頼性あ高い機体だったので、もしかしたら、操縦士の心筋梗塞等 に起因する異常操縦(操縦桿を思いっきり引いた等)かもしれない。
喜怒哀楽の「怒哀」を長期間おさえこんでいると「喜楽」も感じなくなっていき、病む。
怒りは何かの不足(愛情、金銭、物品、血糖値、酸素、痛み)を感じて起こる二次的な感情。(悲しいから怒る、寂しいから怒る、苦しいから怒る)
自分がイライラしたときは、何が不足してどう感じたから怒っているのかを特定して、
誰か他人に自分の言葉でしっかり表現して、理解してもらう(受容してもらう、「なるほどそうだよね」と思っていってもらう)のが健全な処理。
ちなみに、怒っている相手にやみくもに謝っても、その場しのぎにはなっても相手の怒りは解決しない。
何が不足してどう感じたから怒っているのかを特定して、本人が理解した上で、誰か他人に理解してもらう(受容してもらう)と解決する。
それ以外に根本的な解決はない。
言葉が通じない相手や、危害を加えてくる相手にはそうする余裕もない。逃げる(距離を置く)か戦う(排除する)しかない。
時間を止める妄想は俺も好きだけど、ずっと昔から抱いてる疑問が幾つかある。
自分以外のものは全て動きが止まってる。それは周囲の空気も同様のはず。
空気の動きが止まってる状態で息を吸ったり吐いたりしたらどうなるのか想像できない。
っていうかちゃんと酸素取り込めるのか?
時が止まってるのなら動かせられないハズなのに、なぜか動かせられるハズな事が多い。
というか動かせられないと最初の息の疑問で呼吸はおろか空気を動かせられず移動すら出来なくなるから大問題になる。
理系の話だ!頭いい!って騒ぐだけの馬鹿が沢山いるので、引っかかったところを列挙。
・内核は半径1300km、地球の半径の1/5。外核、マントルが消えた時点で単純計算地球の重力は1/125になり、バレる。
・酸素100%で危険なのは大気圧条件下でのことで、分圧が同じであるかぎり酸素が人体に毒になることはない。そもそも、100%酸素を1気圧下で吸ってもすぐに害は出ない。
・酸素消失→エア(空気)宣言で、窒素が消え酸素が戻ったのに、窒素消失→アトモスフィア(大気圏)宣言で窒素が戻ってこないのはおかしい。
・もしクーロン力消失で核融合を起こすのであれば、内殻だけではなく、周囲のモノ、人間自身も核融合を起こすはず。下にいる奴が先に死ぬ保証がない。
面白かったけどね。
オキシドールだけでは中々に酸素は発生しない。発生が少ないからとオキシドールを2倍3倍と増やせば確かに発生する酸素は増えるがやはり少ない。しかしここで二酸化マンガンを入れれば酸素は勢いよく発生する。ここでオキシドールを2倍3倍にすれば勢いよいまま発生する酸素も2倍3倍になる。
さて、ここで二酸化マンガンが入っていない状態でのオキシドールと酸素の量を比較して、酸素の発生にはオキシドールは無力だと言ったり、二酸化マンガンのあるなしが変わるのを無視してオキシドールと酸素の量の関係は不安定と言ってはならないだろう。酸素が欲しければオキシドールと二酸化マンガンの両方を揃えることが重要なのだ。
下水道とは何か。
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放流される水は、冗談抜きで途上国の上水よりもきれいだったりする。
そのまま上水の水源に使ってもトラブルが起こる確率はそれなり低いとは思う。
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雑に言えば、大きな誤解を生むと思うけど、実は上水も下水も処理としての根本は同じだ。
水中の浮遊物や生物などを濾し取る。
その方法として、水圧をかけて砂の中を通すとか(急速濾過)、自然流下で砂の中を通すとか(緩速濾過)、一度深いプールを経由することで不純物を沈めるとか(沈下槽)、薬品や紫外線で殺菌をするとか、凝集剤で不純物を固めるとか。基本的に酸素を豊富に含ませれば水は勝手にきれいになる。
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砂の中を通すのは、正確には濾し取るのではなくて細かい不純物を砂に吸着させるとかなんとか、話が脱線するのでこの辺はつっこまない。
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ともかく、下水道が整備されるということは、汚水が河川や海に流れこむ事を防ぎ、伝染病の発生リスクを大幅に下げる事でもある。
当然、人口密集地で発生した汚水を速やかに処理場に送るため、悪臭も著しく押さえられる。
というわけで、浄水施設とケーブルテレビなら浄水施設を先に整備するべきだと僕は思っている。
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その上で、下水道の普及を推進する政策への懐疑がある。というよりも、あれは失敗した政策だったとおそらく関係者はみんな思っている。
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庭先に設置する浄水施設だ。
これは、イメージされる下水処理施設と機能は同じ。小型版と思ってもらえば間違いはない。
個人で所有し、汚水を個人の責任で浄水し、排水するわけだが、設置に土地がいると言うこともあり、都市部では設置が難しい。その上、大量の汚泥を各所で浄水するのは効率が悪い。
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ところが、国はこれを過疎地域にさえ整備しようとした。
しかも、法律で下水道に設置するには合併処理浄化槽をコンクリートでつぶさなければならない。
300人分浄水能力を持った施設に、50人分の汚泥しか流れ込まないとバクテリアが餓死して浄水能力は大きく損なわれる。
その上、施設の維持自体にも過大な費用がかかる。受益人数に対すれば異常なほどの税金が投入される。
もちろん、施設自体も寿命があり20年もすれば立て直した方が安くなるほど維持費がかかる。
いっそつぶしてしまって合併処理浄化槽に戻した方がいいとわかってきてもすでにつぶしてしまっている。
かくして戻ることも出来ずに金食い虫を抱えた過疎の自治体が全国にたくさんある。
簡単に予想できた事でも、国はそれを推進し、大量の資源を資金を無為にした。
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