はてなキーワード: 軽蔑とは
先日アラフォー女性とのコンパを打診された。その時は一応前向きな返事をしたが、実際ちょっときついなと感じた。相手のスペックはあえて聞かなかったが、恐らく必死に婚活しているような女性だろう。今までコンパといったら、20代とやるのが当たり前だったが30代以降の女性はやはりきっかけ作りに積極的だ。
以前34歳くらいの女性陣とコンパしたことがあったが、それでもちょっときついなと感じた。話自体はアラサー以上のほうが盛り上がるしそれなりに楽しい。会話力は20代と違い断然高いので、友達のような感覚だといいのだが、ほとんど男友達と同じような感覚になり、それだったら男でいいじゃんという気持ちにもなる。
それに、女性だから男が奢らないといけないし、何より40代は口が肥えているので、安っぽい居酒屋に連れていこうものなら軽蔑ものだろう。
男としては、40代の女性と関係を持つのは正直難しい。結婚とか子供とかを抜きにしても、何かトキメキを感じることができない。やっぱり20歳前半の初々しさをどうしても求めてしまう。中身がない会話でも、可愛らしい態度を見ているだけで、幸せな気分になる。これがアラフォーには感じられない。
もしアラフォー女性とコンパするなら、男と同じ感覚で飲みたい。よっぽどじゃないと口説く気分にはならないから、変に気を使わないし、もちろん割り勘だし和民系の居酒屋がいい。あと、もしアドレス交換したからといって、ガンガンに連絡して会いたいという欲求を強く出さないでほしい。
作家さんってあれだよね。
愚鈍な人、卑怯な人、その他もろもろ「劣った人」をsageて、突出した能力や好ましい人格を持った「優れた人」ageばっかりやってるよね。
でもね、世の中のほとんどの人、私は「すべての人」と言っていいと思ってるけど、ともかく大多数は「劣った人」だよ。
だから、人と人とが連帯しようと思ったら、各人の欠点、陰険であったり卑怯であったりというような、オハナシの中では排除されるような性質を強く持つ人についても、「嫌な奴」「困った奴」みたいに評価しつつ最終的には「仲間」として受容しないといけない。
作家さんは違うよね。卑怯な人間、陰険な人間、保身に汲々とする人間、そういう人間は軽蔑すべき存在として排除してきた。
少なくともそういう人間を排除すべきという価値観に基づく作品を発表してきた。
(もちろん全員がそうかは知らない)
やる気なくてもやれよって思うんだけど、それでもやらない。
やったにしてもギリギリまで手を付けないし、結果やっつけ。
やるべきことはわかっているのに、やらない。
はてブの記事やマンガ読んだりゲームをして日々を浪費してしまう。
昔はこんなんではなかった。
同期がやめて張り合いがなくなったから?上司に放置されて叱られなくなったから?
やらないことでどんどん信頼を失っていることもわかっているのに、それでもやれない。
鬱病か?と病気のせいにしたくもなるけど、これで病気なら精神的にもっとヤバい事はもっとあった。
食欲もあるしよく眠れるし。むしろずっと眠っていたい。ベッドにずっといたい。
あと数日で30歳になる。
急に劇的にやる気が起こるわけなんてないとわかっている、やる気なんて起こす前にやるしかないのだ。
明日からじゃなくて今日から、そう思っても結局今日も無益に終わっていく。
目的に向かって真摯に着実に行動して、周りの人も前向きに巻き込んでいけるような大人になりたかった。
それどころか、今じゃ自分を前向きにすることすらできない。
「こういうのも『人権軽視』の一種なのだろうな」(http://anond.hatelabo.jp/20141009224728)を書いた増田だが、参加者が増えたことによってますます流れが分かりにくくなってしまったな。
これは俺がうまく整理できなかったせいでもあるので、申し訳なく思っている。
もちろんギャラリーに対して、な。トラバ削除とトラバツリー汚しを繰り返して自らの醜態を隠蔽することしか頭にない相手方(http://anond.hatelabo.jp/20141010222658)に対しては軽蔑の感情しかない。
ちょっと考えてみたが、俺はこの記事で互いの主張の流れを要約・評価したうえで改めて出典を示し、以後はこの件に関して記事を書かないことにしようかと思う。
ただし、流れの追いやすさを維持したまま相手方の醜態を周知する方法が見つかれば新たに記事を書くかもしれない(良い方法があれば教えてほしい)。
その場合は、この記事に追記をする(つまり○○(新たな記事)を書いたのは俺である、とこの記事に追記する)方法で自分が新たに書いたものであることを示そうと思う。
1
俺が、前段で「表現の自由についてろくに知りもしない癖に偉そうに語っている(ように見える)連中を放置すべきではないのではないか」という趣旨を述べ、後段で「関係ないが」と断ったうえで、「人権も無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による制約を受けるということを知らない人も多いのだということをここ数年で気づかされた」という趣旨を述べた。
2
これに対して、相手方から「公共の福祉による制限は極めて厳格でなければならない」という趣旨のトラバがついた。
3
俺からの反論として、「俺は公共の福祉によれば簡単に人権を制約できるなどと考えているわけではない(実際最初の記事にそのようなことは一言も書いていない)ので、トラバは的外れである」ことを指摘するとともに、「人権を十把一絡げにして各権利の性質を考えることなく『制限は極めて厳格でなければならない』などと述べるのは人権論をまともに理解していないのではないか」という趣旨を述べた。
ここで少し補足しておくと、「表現の自由」は人権の中でも優越的な地位を占めるとされ、これに対する制約の合憲性を判断する際には厳格な基準によらねばならないとされる。このような理解が前提にあるので、人権一般について、「公共の福祉による制限は極めて厳格でなければならない」などと表現することは、法学をやっている者にとって非常に違和感がある。
4
相手方から「人権制約のうち表現の自由に関するものが争点なのにも関わらず人権制約と大きい枠組みに逸らしている」という趣旨のトラバがついた。
この時点で「3」のうち俺の「的外れである」との指摘については無視されているように思われる。
5
俺からの反論として、第一に「人権制約の話をするにあたっては予め『関係ない』と断っている」、第二に「『公共の福祉による制約を受けるということを知らない人も多い』という結論を導き出した根拠として、表現の自由に関連する最初の記事前段の2つのリンク先に限定せず、『それから数年、俺がネット上のいたる所で目撃してきた人権をめぐる議論の醜状』を挙げている」ことから、後段の人権制約に関する話の争点は「表現の自由」ではない(人権一般である)という趣旨を述べた。
6
相手方から、第一に「人権論が学問的営為であることの周知をすべきであることと公共の福祉によって人権が制約されうることの周知がなされていないこととは関係がある」、第二に「表現の自由に対する制約も人権制約であるから関係がある」という趣旨の「反論」がなされた。
このような流れをふまえれば、「6」が反論になっていないことは明らかだろう。
相手方は「4」で、「人権制約のうち表現の自由に関するものが争点」なのに「人権制約と大きい枠組みに逸らしている」と述べている。
これはつまり、一般的な人権制約ではなく、「表現の自由」が争点である旨を述べるものだ。
そして、これに対する反論として、俺は「5」を述べたものである。
http://togetter.com/li/729640
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/729640
どうしようもないな。
いつものことながら、こうも訳知り顔で「表現の自由」について語れる面の皮の厚さにはおそれいる。
おそらく、人権論が体系化された「学問」であるという意識がないんだろうな。
「人権」はさまざまに分類され、それぞれについていかなる範囲で保護されるべきか、ということが慎重に議論されている(大雑把な言い方だが)。
そうした事実を知らず、あるいは軽く考える人々を放置することは、「人権」を薄っぺらい理想論と捉え(議論の厚みを知らないだけなのに!)容易く切り捨てる風潮を蔓延らせることにつながるのではないか。
そうだとすれば、これも一種の「人権軽視」というべきだろう。
人権論の権威を高めるとは言わないまでも、学問的な営為であることを周知するためのなんらかの手当てが必要だと思う。
関係ないが、昔ある人と「公共の福祉」について話したことを思い出した。
そのとき俺は、「人権も無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による制約を受けるなどというのは誰でも知っている常識であって、皆それをふまえて議論している」という趣旨のことを述べ、相手は「いや、そのことを分かっていない人も結構多い」と応じたように記憶している。
それから数年、俺がネット上のいたる所で目撃してきた人権をめぐる議論の醜状は、相手が正しかったことを明らかに示していると言わざるを得ない。
Mさん、俺が間違ってました。
後段(「関係ないが」以降)だけを読めば、これはどう読んでも人権一般に対する制約の話であって、「表現の自由」に限定した話とは読めない。
しかし、前段と関連させて読んだ場合、後段についても「表現の自由」に限定した話と読む余地が出てくる(その場合相手方が「2」で「極めて厳格」との表現を用いたことは、不自然とは言えない)。
そこで、「そういう読み方はしないでくださいね。前段と後段はまったく別の話であって後段は人権一般に対する制約について言及したものですよ」と注意喚起するために(も)、俺は「関係ないが」と断っているのである。
したがって、相手方が「表現の自由に対する制約も人権制約の一種である」などと主張することには意味がない。相手方は、人権一般ではなく表現の自由が争点だと述べているのだから。
相手方が主張すべきは、後段のみでも表現の自由に限定した話と読めることなのである。
本件に関して意味ある主張のやりとりはこの程度であって、後は相手方が勝手に、
なお、俺がこの件に関して書いたのは、本記事及び出典中の奇数番号の記事のみである。
今後新たに記事を書くことがあれば、適宜追記していく。
東海圏で生まれ育ち、名古屋にはバーゲンで買い物に行くような意識高い高校生を眺めていた。
名古屋では得られなかったものを得た気がしたが、大学生活を名古屋で過ごしていればまた違ったのかもしれない。
そう思って、大学生活を終えた。そののち、就職を機に東海圏へ戻ってきてしまった。
少し期待していたのだ。あまり記憶のなかった名古屋にも、いいところがあるのだと。
矢場とん、麺屋はなび、味仙、まずいとは言わないが、至って普通のくせに下手に有名なだけでは。
京都には寺がある。
名古屋は、何が取り柄なのか?みんな、名古屋のどこが好きなのか?
名古屋人はやたら名古屋を推すときいた事があるが、ついぞ真の名古屋人には巡り合えていない。
この15年あまり、名古屋を軽蔑してきたけれど、いいところがあればぜひ教えてほしい。
いわゆる梅田、難波のど真ん中とか木屋町ど真ん中ではないようなところというのは、
名古屋ではどこになるのか?
駅西銀座は合わなかった。
「オナ禁したら良いことが起こるのか?」
という疑問に対して実践することにより回答を探しているのだが、
今のところ「良いことが起こることもあるんじゃないかな」というのが回答になりそうだ。
40日経過した現在、性欲が溜まりすぎて頭がおかしくなってきていると思う。
40年近い人生で一度も手を出したことがない出会い系サイトに登録してしまった。
メッセージをたくさん送ったが、「1万5千円~2万円で相手をしますよ」という返事ばかり。
また、20年くらい前に数回行ったことがあるだけの風俗に、今さら行きたくなってきて
情報収集してしまった。もうこのままオナ禁を続けていてはダメかもしれない。
ただ、体力面では疲れづらくなり、
また積極的に出会いを求めて、いろんなところに顔を出すようになったという点は
ある意味良いかもしれない。
今までは、誘いがあっても、疲れていたり、「まあ、いいや」と行かなかったりしていたから。
でもね、今は普通じゃない。適度にオナニーしてすっきりしないと、仕事中にエロいことを考えて集中できない時間があったり、
出会い系サイトに時間をとられて勉強する時間がなくなったり良くない。
もう射精しようと思う。ここまで来たのでもったいない気持ちはあるけど、射精しようと思う。
ただ、オナニーはやめて、週一回ピンサロに行こうと思う。自分ではやらない。
やはりおかしい。
この文章を明日の朝読んで決めようと思う。たぶんやばいことになっているはずだ。
40前にもなって何をやっているんだ!お前は!
だから嫁に逃げられるんだよ!
俺は今本当にやりたい。まじでやりたい。
嫁とセックスレスだったのが信じられないくらいやりたい。ふおおおおおおお。
しかし、出会い系は業者ばかりだ。ナンパも効率悪いしどうしたらいいんだ。やはり風俗か。
金で済ますか。
自分は高校中退して数年して大検とって専門なんぞいって、学歴社会的には底辺以下の生活をしてきた人間です。
40が見えてきた現在は幸いおそらく同年代の人間の平均に比べて大きな年収もありまして幸せに暮らしています。
が、学校やめたときとか将来が決まらなくてふらふらしていた時期はやはり世間に強く非難されましたし、否定されました。
そういう時期に一番強く否定し軽蔑してきたのは誰かと申しますと、
http://anond.hatelabo.jp/20141012034537
こういう、いわゆる「大学に行って普通の就職を目指す方々」だったわけですよ。
彼らの世界観では、まさに上の記事に書かれているように、「高校を卒業し大学に通い新卒で就職するのが人間としての最低限」なわけですから、その最低以下の自分はすさまじい侮蔑と否定をされました。いや、そのことそのものを話したいわけじゃないです。自分は今割と不満のない生活なので。
何が話したいかといいますと、就職失敗して精神的な地獄にいる人は、「今まで自分がクズだとバカにしてた人間に自分自身が仲間入りしたこと」が苦痛なのではないですか? ということがいいたいのです。
自分の立場や経験から言いますと、大学卒業で新卒採用に引っかからなくても別段たいした問題がないように思います。人生で言えばまだ始まったばかりだし、どうとでもなるだろうとしか思いません。自分より恵まれたスタートだと思いますし侮蔑なんてしませんし、人それぞれだろうと思います。そんなことよりも、自分が自分を軽蔑していることのほうがよほど問題だろうと思います。
レールから外れた人に冷たい社会、なんて言いますが、レールから外れて「こんな社会は冷たい、狂っている」と叫ぶ人は、自分の経験上、必ずそのレール社会で恩恵を受けていて途中で失ったひとなのです。そういう人は、恩恵のあった時点では「この社会で文句はない」「レールから外れたやつはそいつがクズ」とうそぶいていました。上の記事の増田さんも無批判に高校を出て無批判に大学に行って無批判に就職活動をしてた段階では、「そこからあぶれた人を救う社会運動」などしてなかったわけです。
いま大学生の人は「高校を卒業し大学に通い新卒で就職するのが人間としての最低限」などと思わぬ方がいいです。その最低限以下で暮らしている人は日本にもいますし、仕事で諸外国に行くと、むしろそういう人間のほうが大半だと気が付きます。つまりその価値観では世界人口の過半数を侮蔑して生きることになります。そうはいっても国内は大学と新卒雇用が正義という環境なのだし外国は関係ないだろ――と思うかもしれません。でもそれはまさに学生的な思考で、日本のことだけ考えて社会人をできる時代は、もうそろそろ終わりだと自分は思います。国際政治がどうこうとかじゃなく、市井で生きるただの普通の労働者としてでさえ、雇用競争や物価などで世界を肌で感じる時代になったという意味です。
そもそも、そういう外部の環境(今回の場合は新卒就職を取り巻く環境)を内面化して信仰したあげく、それに落伍した地獄を感じているわけですから、外部の環境を無批判に内面化する危険性にそろそろ気が付いてもいいはずです。
とボヤいているあなた!
気持ちは分かります。
自分もいまいち痴漢の何がそんなに不快なのか分からない一人でした。
だけど、色んな女性の意見を聞くうちに(主にツイッターで)どうやら、何に反感を覚えているのかが分かりました。
つまるところ、彼女たちは暴力に屈服させられるのが嫌なのです。
学生時代、DQNに逆らえなかった自分を思い出してみてください。
思い出したくもない人はこんな想像をしてみてください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
廊下を歩いていると向こうから恐い先輩が大股でドッカドッカと周囲を威嚇するように歩いてきます。
あなたは身を隠すべくそっと廊下の隅に寄りましたが、運悪く肩がぶつかってしまいました。
「ぁあ゛?なにすんだォラ」
怒っています。
今にも殴りかかってきそうです。
「なんか言えよォラ」
泣きそうになりながら、場を和ませようと愛想笑いをしてみます。
「笑ってんじゃねえぞオメェ!!!」
火に油でした。
3センチの距離まで顔を近づけてメンチきってきました。
ガチギレです。
「謝れや」
すみやかに謝りましょう。
「ごっごっごっ」
しかし声が震えてうまく出ません!
「きぃこえねええぞ!!!!」
汗と涙と鼻水がとめどなく出てきます。
「ごめんなしゃい」
DQN先輩も満足したようです。
「ふん」
踵を返して歩き出そうとした先輩は、その前になぜかもう一度こっちを向きました。
途端に泣きそうな顔になったとおもいきや、
「ごっごっごっ…ギャハハハ!!!」
先輩はどうやら機嫌が良いようで、殴られる心配はなさそうです。
そのまま先輩は大笑いしながら歩いて行きました。
先輩が廊下の角を曲がって見えなくなりました。
あなたは石になったように突っ立ってましたが、全身を弛緩させてほーっとため息をつきます。
「だっさ」
女の子の声です。
目を向けると、あなたが片思いしているクラスのヒロインがいるではありませんか!
一部始終を見られていました!
完全に軽蔑されました。
彼女は一生、あなたをDQNに絡まれたら鼻水垂らして許しを請うマヌケと認識することでしょう!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いかがでしたでしょうか?
なんとも言えない、いやーな気持ちになったことでしょう。
自分の存在意義だとか、価値だとかが全否定されて、こんな思いするぐらいなら今すぐ死にたいと思いませんでしたか?
ギークはてなーな男性諸君になら、この感覚を理解してもらえると思います。
でもちょっと待ってください。
このDQN、別に人に手を出したわけでもなければ、理由もなく絡んできたわけでもないですよ?
歩いていたら後輩がぶつかってきてムカついたから、謝らせただけです。
さっきのやり取りを少しスマートにするなら、こんな感じでしょうか。
(肩がぶつかる)「いたっ」
「いたた…ちょっと、気をつけてくださいよ」
「え?すいません」
「なにそれ、ちゃんと謝ってください」
「まったく…」(歩き去る)
これならそう反感を買うこともないでしょう。
さて、何が違うのでしょうか。
プライドを傷付けられるかどうかが決定的に違うのです。
痴漢にあって、犯人を警察に突き出せるようなら、ちょっと触られるといった程度の話です。
セクハラも同じです。
ただ、多くの女性は痴漢にあっていながら、自分の力で犯人と戦うことはできません。
痴漢は冤罪でも問答無用で有罪になるほど、女性側に圧倒的に有利な状況でも、何もできません。
恐いからです。
多くの女性は本能的に男には逆らえないようになっているのです。
そして、後から、自分の大事なプライドをいいように弄ばれた記憶に悩まされるのです。
自尊心が根こそぎ奪われていくのです。
ただちょっと声を出すとか、手をつかむとか、その程度のことすらできなかった自分に自己嫌悪するのです。
これで女性がなぜああまで痴漢という犯罪を憎悪するのか分かっていただけたのではないでしょうか。
痴漢冤罪や女性専用車両は男性差別か、など、様々な問題が論じられていますが、そこで女性の側の気持ちが分からなくなった時に、この話を思い出していただけたらと思います。
すごいコミュ障だけど、プログラムが書けるから仕事がもらえてる。
コミュ障すぎて、周囲からは「こいつおっさんのくせにしょうがねーな」って軽蔑されてるんだろうけど、プログラムに関してはいろいろ相談されるしな。
才能って言っても、ベンチャーでバリバリやってるような人とか、ブログでプログラミングの記事を書いてるような人に比べたら全然なんだけど、底辺のIT会社はびっくりするくらい技術レベル低いから相対的には能力高くなってる。
10代のころは漫画家になりたかったけど絵の才能がぜんぜんなくて断念。あのとき中途半端に絵の才能があって漫画の道に入ってたら(生き残るのは無理だから)、つぶしのきかない人生になってたろうな。
奥さんの(ネガティブな)個人情報をたれ流しネット民に奥さんを叩いてもらおうとするも、その卑怯なやり方をネット民に見抜かれ軽蔑される。
同情を引こうとする甘ったるい構成と文体が最高に不快。斉藤の弟子であるコウモリが同じように奥さんを戦場に晒して傷つけているのも納得である。
ナースの個人情報を最低限守り、またナースの悪口も一切言わない青二才とはまことに対照的である。
http://www.open.sh/entry/20140823/1408793409
齊藤貴義 https://twitter.com/miraihack
謎の立ち位置。斉藤やコウモリの仲間かと思えば、斉藤やコウモリが炎上すると、他のブクマカーの尻馬に乗って一緒に叩く。
「自分に責任は無い」「自分には関係ない」というスタンスを保ちながらイッチョ噛みをしようとする無責任男の典型である。
何かにコミットしておきながら一匹狼というのはありえない。フラットな立場に居たいのならもっと孤高であれ。
コウモリよりもコウモリっぽい言動の数々では信頼は得られないであろう。
こいつの「○○は織り込み済みでした」は、青二才の「それは意図的にやってます」と同じで
根拠のない無敵の防御法であり、そんなものを使う人間が信用されないのは当然のことなのである。
shields-pikes のブックマーク/2014年8月23日 http://b.hatena.ne.jp/shields-pikes/20140823
netcraftとshields-pikesの違い http://anond.hatelabo.jp/20140823010629
憧れのはてな民たちがやっている青二才へのツッコミを自分もやろうとするが、青二才の何がダメなのかを指摘することができず返り討ちに会う。
はるかぜちゃんと同じく、他者に対して無礼に振る舞って一気に距離を縮めようとする怠け者である。
論理的なやり取りはできないものの、「ほのめかし」は非常に上手いので、ほのめかしを無視できないタイプの人間はたちどころにやられてしまう。
青二才と同じく、他者の言っていることを50%くらいしか理解しない。
自分の急所に刺さるような言論は曲解を用いて緊急回避してしまうので(無意識の防衛機能なのだろう)、いつまでたっても相互理解が進まない。
しかしid:mememememitiの小学生レベルのちょっかいには耐え切れず精神を崩壊させる。
小学生レベルの単純な攻撃の方が「曲解」を用いることができず、モロに精神に刺さってしまうのではないか。
私論:
斉藤がここまで自分の人生のおもしろエピソードを披露してきたのも、全ては奥さんとの離婚をみんなに祝福してもらうためである。
斉藤の人生の整理にはてな民はつき合わされていただけなのであるが、そういうとこに気づかないサイコパスのカモのような人間は斉藤に好感を持ってしまうわけである。
奥さんが胃がんであるということを奥さんの了承も無くネットに晒している。
嘘であれば、斉藤はただのオオカミ少年であり、これまで披露してきたビックリ人間エピソードにも疑いの目を向けざるをえない。
何が本当で何が嘘かわからないのである。こういう不誠実な人間に人生の切り売りをされても嬉しくはない。
http://www.open.sh/entry/20140530/1401459085
2014-06-24 離婚しようと思っている。二次元に撤退しようかな
http://www.open.sh/entry/20140624/1403544679
http://www.open.sh/entry/20140627/1403812332
http://mememememiti.hatenablog.com/entry/2014/08/13/062706
(魚拓)http://megalodon.jp/2014-0826-1358-04/mememememiti.hatenablog.com/entry/2014/08/13/062706
http://anond.hatelabo.jp/20140823191814 http://anond.hatelabo.jp/20140824015126
http://anond.hatelabo.jp/20140824145002 http://anond.hatelabo.jp/20140817161450
http://anond.hatelabo.jp/20140826213912 http://anond.hatelabo.jp/20140827103952
http://anond.hatelabo.jp/20140828041612 http://anond.hatelabo.jp/20140828104837
http://anond.hatelabo.jp/20140927134224 http://anond.hatelabo.jp/20140927171856
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不倫している友だちのことは軽蔑していたし、不倫なんて無駄な時間だと思ってた。
不倫ドラマが話題になっていることも、何がおもしろいんだ、と不愉快にすら思ってた。
でも、妻帯者を好きになってしまった。
彼といると楽しい。
先がないことはわかってる。離婚する気がないのもわかってるし、
むしろ私は彼に離婚して欲しいとも思わないし彼と結婚したいとも思わない。
奥さんを平気な顔で裏切る彼は最低だし浮気をする人間は許せない。
万が一彼が離婚しても、浮気をするような人間とは一緒になりたくない。
それなのに今、彼と一緒にいる時間がとても楽しくて、彼に特別扱いしてもらえるのが嬉しくて
彼との関係を断ち切ることができない。
もしかしたら、彼のことはそんなに好きじゃないのかもしれない。
単に、悪いことをしているというスリルを楽しんでるだけなのかも。
目先の肉欲に負ける理性のない自分はだらしない。
いろんなこと頭ではわかっている。やめなきゃいけない理由しかない。
こうやって分析すればするほど、
不倫の恋の泥沼にハマっていく。
もうちょっと推敲しようよ。ところどころ何言ってるんだかよくわからないところがあるよ。
逃げ道を塞がれた〜←これ見ても分かる通り。被害者意識を関係のない自殺志願者(に見える人、そうだと思い込んで決めつけた人)に向けているだけ。逃げ道を塞いでもいないのがまたウケる。殺人と同じ!これでみんなやめる!ふーんへー
あのね、それって話が逆だからね。
君が、君のために書かれたわけでは決してない話について、その語り手が自殺遺族だからという理由で、一人で勝手に「自殺志願者に恨みを向けている!」と逆上しちゃってるだけですよ。
自殺についてあれこれ言う話である以上、自殺志願者に全く関係のないものだとは言えないけれど、この一連の記事が自殺志願者にだけ向けられたものだと思うこと自体、自意識過剰だよ。何がそこまで琴線に触れたんだかよくわからないけど。
まあ正直書いた動機に恨みや軽蔑の類が全くないかと言われるとそうも言い切れないことではあるけども、なぜ恨みや軽蔑が生じるかって言えば「自殺とは自分の生命を賭けて自分の生きる世界を積極的に否定する行為」「犯人=被害者のちょっと特殊な殺人」という事実があるが故だからねえ。
殺人に恨みや軽蔑や憎悪や二度と起こってほしくないという感情を抱くのは一般に正常なことだと言えると思うがね。
ところで、仮に自意識過剰でも何でもなく「逃げ道を塞いでもいない」なら、つまるところ自殺志願者にとっても関係のない話であるはずなのに、何でそんなに逆上するのかが不思議だよ。要するに図星な部分があるからなんじゃないのォ~?w
それとも自殺志願者一人一人に斟酌すべき事情があるのに十把一絡げに殺人呼ばわりされているのが気に入らないとかなのかな。
しかし、他殺でいうなら情状酌量による減刑はあっても「酌量の結果無罪!」とはならないのと一緒で、事情を勘案したことで「自殺とは自分の生命を賭けて自分の生きる世界を積極的に否定する行為」「犯人=被害者のちょっと特殊な殺人」ではないという話にはならないんではないのかね。「それは自殺じゃなくて病死/(社会的)殺人の被害だ」という話にはなるかもしれないけどさ。
あるいはもっとシンプルで、「犯罪者予備軍」じゃなくて「被害者予備軍」なのに何で叩かれなきゃならないんだコノヤローとか思ってるのかな?
自殺という行為一つだけをとるなら、明らかに被害者である前に加害者の予備軍だ。自殺という加害があって初めて被害者としての自殺者が発生するからだ。
あと他人を殺す奴と一緒で、何言ったってやる奴はやるからな。抑止効果が期待できるとは思っていない。
犯人と被害者が一致している←その理屈だと被害者じゃなくて被害者遺族だろwww俺の指摘する被害者ぶりっこと同一にすんなよな理屈自体。法的にもおかしい個人の決定権同一性無視してる。自分が被害者遺族にしておけば誰かに同情してもらえるからな
じゃあ「被害者遺族」と書き換えてもらってもかまわないよ。大きな差があるようには思えないし。
個人の決定権は時と場合で大きく制限されるのは当たり前だ。自殺に罰則がないのは自己決定権に基づいた自由な行為の範疇に入るためそもそも罪ではないのだという考え方のほかに、罪は罪だが罰を科しても誰も得しないから罰さないのだという考え方もある。
現に自殺は罰則こそないが個人の自由に基づいて行使できる正当な権利として公的に認められては決してない。例えば快適な自殺のための設備というものはないし、ターミナルケアや尊厳死には必ず適用のためのガイドラインが設けられていて「死にたいから」だけでは実施してもらえないようになっている。
同情なんてしてもらえないさ。現にここまでのトラバで同情的な内容なんて一言もないだろう?
当たり前だ。同情じゃなくて主張に対する意見がもらえるように書いたんだからな。
いやー匿名環境で書いたのはやっぱり正解だったわー、身内に自殺者がいるというレッテルだけでこんな気炎挙げて絡まれちゃ実名にせよidにせよ特定可能な環境下じゃとても書けねえwおっかなすぎるww
叩きは〜←殺人犯の家族への叩きなんて俺の叩きの文脈と全く違うそもそも被害者ぶるなとは叩かれないだろwwwつまりおまえのアホな理屈を適用するならそのように叩かれてないから殺人じゃないな。
殺人を犯した家族と同様に扱われたとしても自殺=殺人にはならない
その被害者意識をばらまくのいい加減やめてくれな、
文脈がどう違うのか全く分からないんだが。被害者ぶるなとも叩かれてるじゃないか。秋葉の事件の家族に向けられてるセリフなんかが検索でヒットするよ。
あと残りの部分は何を言ってるんだかよくわからない。
「そのように叩かれてないから殺人じゃない。殺人を犯した家族と同様に扱われたとしても自殺=殺人にはならない」のくだりが特に意味不明だ。
「殺人にはならない行為のおかげで殺人を犯した家族と同様に扱われる」ってどういう理不尽やねんって感じだけど。それこそ自殺者遺族は「自殺」の被害者になっちまうんじゃね?
習慣というより価値観の相違
誰に言われなくても身についている
おまえが思っていないから
女性としての習慣を身につけて
女になることに対して
どこかにあるんじゃないか?
たとえば母親に対して
心のどこかにあるのでは?
あるいは逆に、
上から目線ご容赦のほど。ただ、ちょっと思うことがあって、本音ベース書いてるブログとかあまり見ないのでここに本音ベースの話をします。
当社数千人ぐらいのちょっとぐらいは名前が知られているかもしれない会社。とりあえず海外で無作為抽出で弊社の名前聞いてみたけど、全く知られてなかったのは、当社のお偉いさんへも含めてひ・み・つ。
ジャンルはゲーム会社ってことで。因みに自分はしがないエンジニア。でも社畜だから、たまには採用担当になったりするんだよ?
よく、面接の質問で、「弊社の製品って何か知ってますか?(場合によっては使ってますか?やってますか?)」みたいな質問ってあると思います。こういう質問をする人が内心実は思っている事を、ちょとサラシます。実際、面接で質問されても意図がよくわかってない人が多かったので。
もちろん「自分も新卒・中途の時にはよくわかってませんでしたぁぁ」なので、自戒の意味も込めてこちらに公開。
※たまたま自分は運良く今の会社に潜り込めたので、当時良くわかってませんでしたー。
この事情を鼻で笑うもよし、馬鹿にするのもよし、「だから大人って」て思うのも良し。自分は無様にも社畜なので敢えてどうするってことは言いません。ま、お互い大人なんで、自己責任で。
「弊社の製品って知ってます?(やってます?使ってます?)」の真意ってつい最近まで自分もよくわかってませんでした。まあ、「ありがとう」と言われたら、「どういたしまして」って返すぐらいの、意味の無い面接のやり取りだと思ってました。自分って無駄に優秀だと思ってた時も長いことあったしね。「御社の製品なんて知らなくても御社程度なら俺は仕事きっとできるし。」と正直思ってましたさ。20代〜30代中盤までぐらいの時。
で、 昨今、立派に社畜になりまして、新卒採用・中途採用の面接官もやるようになったわけですよ。で、若い時に軽蔑してた質問であるところの「弊社の製品って知ってます?(やってます?使ってます?)」っていう質問をあいさつ代わりに繰り出すように自分もなってしまいました。
- 人/モノ/サービスを売り込むときに、売り込む相手の事どこまで調べるクセがついてるのか?を実は確かめてる
ってことでした。
まあ、「こんなもん、うっかり若い人に求めんなよ」って声が聞こえてきそうですが、何事にもつけズボラ(要は、「こんなどうでも良いことについては手を抜いてもっと重要で大変なことに一分一秒でも使おうよ」と思ってる人。優秀なエンジニアの特性にLazyってあったよね?)な我々としては、新人・中途を育てる時間についても一分一秒惜しいわけ(レベルの低い教育ってしたくないし、めんどくさいから。)で、中途でも新卒でも、志望先の仕事か製品をスラスラ言えない人って、「せっかく自分売り込むのに相手の事よくわかってないのに、自分の製品の説明なんも考えずにしようって、どういう神経?頭悪いの?湧いてるの?馬鹿にしてるの?」って思うわけ。
実際、もし「御社がイチバァァーん」っていう人に、「当社の製品って何か使ってる?知ってる?どう思う?」って聞かれて、あわててしどろもどろになってるような態度を顧客に自分担当の製品売ろうするような場面でやってみなよ。あんたの売ろうとしてる製品の云々以前に、「その態度ってどうよ?」って思われて、ひょっとしたら前日徹夜で作った頭良さそうなプレゼンも聞く機会すら与えられないわけで。これって、優秀な人ほど損してるって思わない?
「弊社の製品って...」って聞く側は、要は「売り込みに行くなら、売り込む相手の事よく知ろうよ?」っていうとても基本的な営業のクセがついてるかを、才能レベルでできてるかを確かめるテストなわけ。相手の会社の製品のことなら一夜漬けでも調べられるでしょ?今はインターネットだって発達してるし、amazon様だって頑張れば翌日配達なわけだし。実際、売り込みに行く相手の事、いまだとちょっと一夜漬けでもすれば、立派に事前リサーチできるわけですよ。社畜サラリーマンなら。
※まあ、自分がこんな世の中の仕組みに気がつくまでに20年はかかったかも?ってことはひ・み・つ。でも若い優秀な人でこういった事さらっと出来る人って普通にいるんだよね...俺も含めて教育は楽したいわけで。そういう育ちの良い人がほしいわけですよ。楽するには。
こんなことするサラリーマンって居るわけないよと思う方、いっぺん勝間和代さんの本でも読んでみたら?今の一般社畜サラリーマンなら、普通に相手(顧客)の事、一夜漬けでも相当に調べるよ?(実際、少なくとも、無事一緒に働いている人はみんなそうしてるし...)
http://anond.hatelabo.jp/20140804000142
この奥さんが他人に思えなかった。
自分と重なるであろう部分が多く、自分をちょっと振り返ってみたくなったので、増田で長文を書くことにします。
本当に長文なので、そしてほとんどの人にとってはたいした中身もない文章なので、よほど暇じゃないなら読まないでください。まじで。
高校のころまではとにかく何もかも完璧でないと陰に陽に容赦なく責め立ててくる両親に抑圧されていて、友達もいなかったし、自分というものをまともに出したことがなかった。
大学に入って自由がきくようになり、部活動に熱中するようになった。
活動の内容そのものより、自分が組織に貢献できているという感覚がうれしかったのをよく覚えている。
部のために骨身を惜しまず動いた。
一方で、無責任で頭のネジのゆるみきった同期や先輩連中が許せなかった。
でも直接文句を言う度胸はなく、一人でストレスを抱え込んではときどきあさっての方向に爆発させていた。
周囲の自分に対する評価は「よく気がついて、頼んだことはきっちり完遂するし、フットワークも軽くて、まあとにかくまじめでできるやつなんだけど、怒らせると面倒だからとりあえず機嫌を取って上手に動かしておこう」といった感じだった。
いくつかの人間関係の軋轢を経験した結果、自分の中に周囲との円滑な調和を妨げる深刻な側面があることに気づいた。
周囲の人間は自分よりもっと情緒的なつながりを大切にしているし、いつでも何もかもに対して100パーセントで動いているわけでもなく力の入れどころをうまくコントロールしながら生きているし、自分みたいに極端な滅私奉公精神で動いているわけでもなく、みんな自分の将来を少しでもよくするために大学という巨大な器の中でそれぞれにもがいているのであり、部活に熱心でないからといってそいつが何事にもだらしなくいい加減な人間だというわけではない。
何より、自分だってよく考えてみると周囲にずいぶんと失礼な言動を多々やっているのだが、周囲は少なくとも、そんな自分を「こいつはこういう性格だから」と受け入れて、ひとつの個性として尊重してくれている。
周囲が自分の考えをわかってくれない、のではなかった。
周囲を受け容れていないのは自分のほうだった。
このことに、4年かかってやっと気づいた。
同期はみんないい人ばかりで、わたしはすぐに彼らのことが大好きになった。
大学時代に比べたら、だいぶ上手に人間関係が構築できるようになってきた。
としばらく思っていた。
しかし、入社して半年が過ぎるころから、わたしは同期の中で少しずつ浮き始めた。
ここの会社は毎年の恒例行事で地域のお祭りに新入社員が何か出し物をしないといけないのだが、その出し物の内容をみんなで決めるとき、わたしは暴走した。
わたしの、無難でかつ隙のない正論づくめの提案に、当初、誰も反論する人はいなかった。
入社式では新入社員代表であいさつをさせられたりして、上司からは同期のリーダーとして何事も率先して動くことを期待されていたのでその通りに動いたのだけど、実際は同期の中で発言力がある人間が他にいて、その人の案にみな本当は乗り気だったようだった。
わたしはそのことに、全く気付かなかった。
やがてみんなで日程を合わせて練習を始め、わたしは何の疑問も抱かずに場を仕切り続けた。
ある日、たまたま残業で遅くなることになった。連絡を入れ、1時間ほど遅れて練習場に行った。
その1時間で、出し物の内容がまるっきり変わっていた。
テーマも違う、使う道具も違う、とにかく根っこから変わっていた。
わたしは2ちゃんの顔文字みたいにポカーンとしばらく固まっていたが、そんなわたしを目にしながらも、誰も、何も言わず、淡々とその新しい内容の練習を続けていた。
それでやっと、自分ひとりが周囲の感情を置き去りにして暴走していたことを悟った。
同期のやり方は、正攻法ではないのかもしれない。だまし討ちに遭ったようでいささか傷ついたのは覚えている。
けれど問題はそんなことではない。
学生時代からの課題を、わたしはまったくクリアできていなかったのだと気づき、愕然とした。
周囲がこういう行動に出ざるを得ないほどに、わたしはコミュニケーションを成り立たせるのに難儀する人間だと見なされていたのだ。
そしてさらに救いようのないことに、それにわたし自身は気づいていなかったのだ。
ちなみにわたしがどうしたかというと、さすがに黙ってその練習に加わった。
「当初の予定とは違うね」とは、このときから今に至るまで、わたしも他の同期も、誰も言わなかった。
あたかも最初からそれをやる予定だったかのように、全員が振る舞った。
親身になって面倒を見てくれていた先輩たちが、わたしと少しずつ距離を置くようになった。
仕事を覚え始めて自立に向かい始めたということだと勝手に解釈していたが、これもそうではなかった。
上司がわたしのことを露骨に煙たがるようになり、保身のために仕方なく追従するようになっていたようだった。
周囲との調和が何より大切、そう理解していたはずなのに、周囲と自分との間に生じ始めた軋みをどうすることもできなかった。
わたしは2年持たずにその会社を辞めた。
「その会社と自分が合わなかっただけだ」と結論づけるのは簡単だ。
けれども、今思えばそこは決してブラックではなかったし、日本的な一体感を過剰に強いる雰囲気の会社でもなかった。
いろいろな不運が重なっただけなのかもしれない。
本当のところは、何が一番の原因なのかはわからない。
その上司が結構なろくでなしなのは事実で、下についた人間はもれなく会社を辞めていくので今はまったく別の部署の実権のないポジションに異動になったと聞いた。
けれど、上司に恵まれずとも、同期との行き違いがあったとしても、辞めることはなかったのではないか。
孤立無援ではなかったはずだ。味方になってくれる人もたくさんいたではないか。
そういう人たちとの関係を、わたしはやはり、大切にできていなかったのだと思う。
はてなーには、こういう情緒的なつながりを過度に重視するところが日本企業の問題点だと考える人もいるのだろうと思う。
しかし現実問題、わたしのように、海外に出ていけるほどのスキルも度胸もないクズには日本の会社しか勤め先がないのだから、適応するしか選択肢はないのだ。
と考える一方で、結局ここまでつらつらと書いてきたこれもすべて「努力がすべてを解決する」「努力しなかった自分が悪い」「もっと努力していればよかったはずだ」という努力至上主義と自己責任論に基づいた考え方で、やはりわたしはまだそこから抜け出すことができていないのかもしれない。
自分に対してそのように分不相応に高いハードルを課すことが、他者への理不尽な厳しさや冷たさにつながる。
当時の自分としては精いっぱい努力はしたつもりで、それでもこういう結果になったということはやはり、不運やタイミングの悪さも重なったということも要因に挙げてよいのかもしれない。わからないのだけれど。
新しい職場でも似たようなトラブルに遭遇した。ここでは悪質なセクハラを受け、加えて同棲していた彼氏がリストラされてネトゲ廃人になったりとか、外的な要因も重なってうつ病になった。半年何もせずにいた。
この、一社目の退職から二社目に就職、うつ病、という流れの中で、わたしは両親から何度も罵倒された。
と公衆の面前で怒鳴られたりした。
気持ちはわからなくはないが、社会人になり、家を離れてから我が家の異常さに気づき始めていた自分としては、ああ、この人達ならこんなこともそりゃ言うだろうなあ、と我ながら実に冷静に受け止めていた。
要するに彼らの中では、うつ病になったのも「努力不足」なのである。
自分の弱さと向き合う努力をしてこなかったという意味では確かに、やるべき努力を避けてきたと言える。
努力の方向が間違っていたのだ。
「どんなことでも努力で何とかなる」という思考停止状態に身をゆだね、客観的に自己とそのまわりの環境について観察し、思索することをしなかった。
しかし彼らの言う「努力」とはそういうことですらなく、単に「朝起きられないのは根性が足りない」とか「気合を入れればうつ病なんてどこかへ行く」とかそういうことだった。
朝起きられないのも、割れるような頭痛も、吐き気も、そしてあの思い出したくもない深い絶望感と不安感、全身の倦怠感、そういったものはすべて気合でどうにかせよ、とのお達しであった。
正常な判断力が下がっている中でも「これは大変だ」というのは理解し、実家に戻るようしつこく言われるのを頑なに拒み、投薬と認知療法でなんとか生活できる程度には戻った。
その後就いた仕事では、即戦力として早い段階で部下をつけられた。
この部下には本当に恵まれていたと思う。
また、うつ病から立ち直ったばかりなのもあり、自分でも同じ失敗を繰り返さないように、早まったことをしてしまわないように、よくよく考えながら慎重にことを進めたのもよかったのかもしれない。
わたしより年上の人もいたし、その人とは何度か本気でやりあったこともあったが、結果的に和解できた。
これは錯覚ではなく、本当にうちの担当の仕事はうまくいっていた。
そんで今、燃え尽きかけている。
こないだ、業績が認められたのかなんかしらんが配属が変わり、見事にダメ人間ばかりの部署を仕切ることになった。
平均年齢はわたしより一回りほど上だけど、まず電話が取れない、来客の応対ができない、マニュアルに沿わずに自己流でやろうとして当たり前のように失敗して尻拭いをこちらに頼ろうとする、などなど、胃痛で病院に通うことが増えた。
比較的まともそうなのから少しずつ教育して、なんとか電話応対と来客応対が全員できるようにはなった。
わたしの力量と言うより、人材に恵まれていたのだ。
当然、同じように教育しても彼らには必要なことが入っていかない。
丁寧に10教えて、ようやく1入る、という感じで、その1を大切にしてくれるのならそれで十分なのだけどこれがまた抜ける。
また10教える。1入ったと思ったら次の日には抜けている。
この繰り返しだ。
もうなんか、わからない。
今まで他人にきつくあたって、たくさんの人間関係を壊してきた。
この人たちも、厳しく叱れば明日にはもう来ないかもしれない。
でも、この人たちは厳しく言われないとわからないのじゃないだろうか。
いや、一度だけ言ったことがある。
マニュアルに従わない人に対して
「それでうまくいくなら別にいいのだけど現にこれこれこうして失敗しているのだから改めてください」
という内容のことを言った。
彼女の返答は
「今まではこれでうまくいっていたんです」
だった。
その
「うまくいっている」
というのがあくまで社内的に一見すると波風立てずにすんでいるけれども対外的にはクレームの遠因になっていることで、つまりそれは実は
「うまくいっていない」
それで十分だと思う。
彼女も、今までのやり方を否定されていい気持ちはしないはずだ。
それでもまずは基本に忠実に動いてもらえるようになっただけでありがたいと思うし、そのほうがこちらも上司としてずっと安心できる。
わたしには、奥さんの気持ちがわかるような気がする。
こんなに頭も悪く仕事もできない(さらに言うなら、自分より年上の)人間が、のうのうと生活していることが、妬ましくて仕方ないのだ。
わたしの場合、年下なら、まだ許せる。
年上で自分よりできない人間、というのが、どうしたって、許せないのだ。
奥さんの部署の人たちがどんな人たちなのかは知らない。
うちよりはマシなのかもしれないし、もっとひどいのかもしれないし、それはわからないけど。
「目の前の人が自分に見せている姿でその人のすべてを判断すべきではない」と思う。
「仕事ができないからと言って、その人を全否定してはいけない」とも思う。
でも、あんなに痛い思いをしてきたのに、わたしはまだ、それらをやめることができない。
学生のころも、社会人になってからも、「役割」がどれだけ果たせているか。
それがわたしの自己評価だった。
「役割」を一心不乱に果たせている人はすごいと思うし、わたしもそのようになりたいと感じてきた。
そしてプライベートでも、わたしは「娘」「姉」「彼女」という「役割」に依存してきた。
自分が自分でいられているというアイデンティティ?自己同一感?とかいうやつが、内面に乏しい。
今付き合っている彼氏は愛すべきバカで、わたしは彼のバカなところを愛しつつも同時に強く軽蔑していることをもはや自分の中で無視できなくなってしまっている。
彼とは結婚の話が少しずつではあるが進んでいて、でも彼はバカゆえに職が不安定で収入が少ないということを自分で気に病んでいて、わたしは自分の食い扶持ぐらいは自分で稼げているから、いざとなったらなんとか助け合いながらやればいいじゃない、と話していたのだが、今日みたいに生理前で神経過敏になっていてしかもこんな身につまされるエントリを読んでしまったものだから、もう今の頭の中は「どうやって別れるべきか」ということばかりである。
叩かれるのはわかっている。こんな偏った価値観で他人を判断するなど何様だ、という話だ。わかっているのだ。その不毛さは誰よりわたし自身が一番よくわかっているのに、まだわたしはそこから逃れられないのだ。彼を軽蔑する自分が大嫌いだ。こんな人間と一緒になれば、彼はきっと不幸になる。そして、子どもが生まれたなら、まあ間違いなくわたしはわたしの両親がわたしにしたことと同じことをするだろうと思う。「あんな親にはならない」と決意するのは簡単だ。それで変われるなら、世の中の虐待のほとんどはなくなっているはずだ。わたしは彼や子どもに「役割」を強いるだろう。今だって、そうなりそうになるのを必死に抑えているのだから。彼に求めすぎてはいけない。適度な甘えは大切だと思うが、その加減もわたしにはわからない。あくまで事務的に淡々と接するか、べったり依存しまくるか、放っておくとわたしはどちらかになってしまう。
やはりこんな人間は異性と付き合うべきじゃないんだろうな、と書きながら改めて思った。
少なくとも子どもは産むべきではない。
今日帰ったら、彼に話そう。
なんとなく迷っていたことに決心がついた。
http://anond.hatelabo.jp/20140802014307
うつ病の奴らは脳がダメになっている状態だから、ホワイトカラーブルーカラー問わず、仕事にいられると迷惑だ。その他の病気やケガの奴がきちんとしているように見えるのが、その他の病気やケガによって困難を抱えるのは体力や免疫力、ケガに置いては身体可動や単なる痛みだけだから。基本的な処理能力は低下しないから、知的労働においてそれまでできていたことが全くできないという状態は稀だろう。むろん、病状にもよるだろうが、頭は動く。ただし、うつ病の場合は見た目は元気でも脳がダメになる。甘えとかそういうレベルじゃなくて理解力も処理能力も落ちる。めんどくさい、ダルい、やる気でない、体がつらいという理由でやらないんじゃない。本当にそれまでできていたことが能力として出来なくなるから病気なんだ。『アルジャーノンに花束を』という小説を知っているか?知的障害者の主人公が手術によって誰にも負けない知能を得、またそれが失われていく過程を描いた小説だ。まさにうつ病はその知能を失っていく過程に似ているんだよ。今まで当然できていたことができなくなっていく。やらないんじゃない、やる気がなくてやりはじめることができないんでもない。うつ病になってしまったら、単に能力としてできなくなってしまうんだ。
うつ病は憂鬱になる病気、やる気がなくなる病気という社会認識自体間違っているんじゃないかと思う。その認識が「うつは甘え」という風潮を作り出しているのだと思う。うつ病において確かに憂鬱になったり何かをやり始めるのが困難になる場面は往々にしてあるだろう。だけど、それが真髄ではなく、脳の基礎能力が落ちる病気だという認識の方が正しい。足を骨折している人に体育の授業に積極的に参加しろって言えるのか?うつ病の人に誰にも迷惑かけることなく仕事をそれまでの水準でこなせというのはそれと全くおんなじことだ。そんなこと言われてもできないよ。骨折と違って目に見えない病気だから自分を守るため診断書を自分を守るために使うんだろう。
できない奴に職場にいられても余計迷惑だ。安静にしていれば快復するんだから、さっさと休んでくれ。病気なんだからしょうがないだろ。俺はうつ病なのに職場に固執する奴なんて、インフルエンザなのに仕事しないと迷惑かけるからとか言ってウイルス撒き散らす奴くらい軽蔑するね。迷惑なんだよ。休め。