はてなキーワード: 軽蔑とは
女の帽子はお洒落アイテム、そして似合う人は似合う。それはわかる。本題は男だ。謎ベレー帽 室内でもツバ付き帽子脱がない何処で買ったのよ?と突っ込んでほしい帽子、貧乏臭い麦わら帽子、どれもこれも軽蔑の邪念が湧いてしまって困る。
なるべくリスペクト成分多めに生きていきたいのに、男が帽子かぶってると冴えない感じが多いので軽蔑にまわってしまうモヤモヤ感。だが、まて。そもそも、モヤモヤ感や軽蔑感を発生させる風貌と帽子が悪いんじゃなかろうか?少なくとも、ダサイ帽子をかぶってなければ、内心、冴えない男子一匹発生で完全スルーしておけばいいのに、帽子をコンデンスしてしまったがために軽蔑の情が湧いてくる結果を生じさせたとも言える。私の心の中への業務妨害。
うん。帽子とそれをチョイスする男が悪い。
今も定着したのかどうかはよくわからないけれど、地方出身者としては昔からそういう感じの人たちは一定数いたような気がする。
マイルドヤンキーが話題になった時にもそれは言われていたけれど。
マイルドヤンキーの話題にも絡めて「地方民が田舎から東京へ出ようとせず、地元で満足する若者が増えた」というような論調だけれど、
それは今に限った話ではないのではないか?
まぁ確かに今は地方ショッピングモールの充実や、amazonを始めとするネット通販の普及で
地方在住であるデメリットも軽減されているので、昔よりも数は増えたのかもしれない。
では、昔の人は本当にそんなに都会に憧れていたのか?
私は地方都市の出身で、地元が決して嫌いではなかったけれど、いろいろなものが窮屈で閉塞感を感じたし、
いろいろな新しいお店や、イベントごとや展覧会やコンサート、そういうのに行きたかったから、
地方都市で生活している人というのはやはり閉鎖的で、自分の住んでいるところ以外にはあまり興味がないようだった。
もしくは、あこがれはあるけれどやっぱり住み慣れた地元が一番、という考えの人が多かった。
地元が嫌いで都会に憧れる人というのはとっとと出て行ってしまうので年を重ねるとその風潮が余計強まる。
そういうずっと同じところに留まり続けている人と話していると、地元以外の世界に興味を持たず、視野が狭いと感じる事がよくあった。
自分の周り以外の世界は別の世界、という断絶というかすっぱりと切り離したような考え方。
比較的若い世代の人になると、東京にも行ったことがある、遊びに行くだけでも十分という人もそこそこいたのだけど。
やはり地元が好きで移住などは考えられないという感じだったが。
さて、東京へ出て就職してみて思った事だが、私が就職したのは別にトップ企業という会社でもなく、
ただの中小企業だったので、地方から出てきて関東に住んでいる、というよりも
今まで東京近郊(東京や千葉や埼玉など)で生まれ育ち、東京へ就職したという人がほとんどだった。
そうすると、やはり視野が狭いというか、自分の周りだけで世界が完結している人が多かった。
新宿や渋谷とかなんでもいいけれどそういうテレビによく出るような都市がこんなにも近くにあるのに、
かえって地方の人たちのほうが、テレビの向こうのあこがれの世界という感じで興味を持っていたような気すらする。
私はこの視野の狭さや自分の周りにいる人がすべてというような考えが好きではなかったし、
自分の周りにいる人や自分の常識がすべてだという思い込み、他人が自分と同じ考えであって当然、だとか
自分の習慣や風習を押し付けるような感じ。あまりうまく説明できないけど
でも、ある日ふと思ったがそれが普通なのではないか?
そこそこ働いて、子どもを育てて社会生活を送る上で他の世界の事なんて知ってどうする?
自分の周りさえ快適であればそれでいいのではないか?
難しい事は考えず、ただ自分の狭い世界だけで生活していければ、穏やかに一生を終えられるのだ。
だから、相容れない価値観は排除して綺麗な世界を作ればいいのだ。
地方から単身東京へ出てきて働くという人と、もともと東京住みなので東京に就職しましたという人では
東京で働くという事に対しての認識がすごく違うというのはずっと感じている。
何もないor不細工男とセックスでも、後者を選ぶ女性は0人だと思う。
と言う茶々は置いといて。
別に強者女性でも強者男性と同じ思考回路を持ち、弱者女性を感情的に嫌って軽蔑している層はいて(所謂名誉男性ってやつだ)
何だかんだで強者男性に取り入って権力握っている強者女性ってのは、フェミニストではなくそういう層なんだよね。
だから弱者男性がいくら強者女性は弱者男性を救えったって彼女らがそんな事やる訳がない。
同じ女性ですら弱者は努力不足の自業自得のゴミクズと思ってる彼女らが弱者男性の事をどう思ってるかなんて推して知るべしだ。
俺ってさ、悪の秘密結社の大首領になって正義の女子高生ヒロイン達を悪堕ちさせるのが凄く好きなんだけどさ、
最近になって気づいたんだけど俺は悪の秘密結社の大首領にはなれないし正義の女子高生ヒロインなんてこの世には存在しないんだよね
まあだから妥協して普通の女の子と付き合ったり二次元やエロ小説でシコシコしたりして
周囲にそんな変な趣味持ってるとか悟られないように生きてるんだけど、
いわゆる「同性愛差別が~」とか「性的マイノリティーが~」とか言ってる奴らってそういうレベルの話だよね。
今の俺と恥ずかしげもなく被害者面してるあいつらって何が違うの?
もし俺が会社の飲み会とかで「俺悪の大首領になってJCヒロイン犯して屈服させたいわ~」
とか空気読まずに言ったら会社での立場が危うくなったり軽蔑されたりするのは凄く真っ当なことだろ。
人に言えない趣味の一つや二つ誰でも持ってるもんだろ、性的に妥協する機会なんてこいつらみたいな変態じゃなくても山ほどあるわ
http://anond.hatelabo.jp/20150521175403
仰るところの痴漢防止シールについてですが、これは私も無意味だと思いますね。痴漢にシールを見せて警告してそれでもやめない場合スタンプを押すなんて、そんなこと出来る娘なら正々堂々相手の手を引っ掴んで声上げますよ。それが出来ないのが痴漢被害の難しいところであるのですからね、このシールが役立つと思った人の想定は些か現実離れしていると言わざるを得ません。
なんですが、この報道を受けて冤罪がーっていう人はやっぱりおかしいですよ、よく言って馬鹿、悪く言えば痴漢の片棒担ぎですね。
そのことを元増田及びそれを賛同する諸賢がたに私は言いたくてこれを書いています。
先ず疑問なのは、己の身体に触れている痴漢の手にスタンプを押すというこのシステムが、なんで冤罪発生装置みたいに言われるんですか?そこからしてめちゃくちゃです。混雑する電車内の話ですから、自分に痴漢している加害者の手以外に過失にも故意にもスタンプを押すなんて難しいでしょうね、どう考えても。このスタンプによって犯人の取り違えによる冤罪の可能性が減ることはあっても増えることは無いでしょう?冤罪被害に怯える立場ならばシールのことを言祝いでもいいぐらいでは?
次、更に言えば痴漢被害と痴漢冤罪被害って対立関係にあるんですか?痴漢の問題を槍玉にあげている時に、でも女性は痴漢冤罪のことも考えて欲しいとか言うのおかしくないですか?女性は被害を訴えているだけですよ、それが正当なのかどうかを判断するのはその先の取調官であり検察官であり司法機関でしょう?それを被害女性に冤罪の可能性を考えろとはどういう了見でしょう?つまり捜査し証拠を集め有罪を完全な形で立証できる場合以外は被害を訴えるなってことですよ貴方がたが言っているのは、どれだけハードルを上げる訳ですか?日本の司法は推定無罪ならぬ推定有罪なんて揶揄されたりしますけど、こと痴漢の私人逮捕に於いてはその瞬間に完全を求めようってんだからまあたまげますなあ。「でも現に冤罪の社会的リスクが……」って貴方は言うのでしょうが、人質司法も代用監獄も推定有罪主義もなんもかんも司法制度改革のなかで槍玉にあげるべきことでしょう?被害女性にそういう問題をおっかぶせるのはおかしくないですか?
あと元増田はゲイという例外の少数派の立場を用いて全体への反論を行うのはおかしいって言いますけど、それ痴漢と痴漢冤罪の関係に於いてだってそうですよね。痴漢被害は冤罪被害に対して圧倒的に多いに決まっているじゃないですか、そこらへんはもう語るに落ちてますよね。
で、結局のところ貴方がたが卑劣漢諸兄がなんで痴漢の話題に於いて殊更冤罪がー冤罪がーっていうのかって言ったら、それはもう男性の大多数が潜在的に痴漢的な欲望を持っているからですよ、痴漢を弾劾する言葉の中に、女性の身体に対する欲望への去勢の脅しを見てしまうからでしょう?達成されない性欲が根底にあって、それが「冤罪」というハリボテを被り女性へとぶつけられているってそう言う訳ですよね?しかも性暴力の被害にあった女性を逆に脅して、辱められたと言う事を以ってしてさらに辱めて口を噤ませる、そこまで含めて「性暴力」というワンパッケージで、あなた方ってそれに加担しちゃってるんですよ?わかってます?
で、ちょっと本当に思うんですが、馬鹿なんじゃないですか? 性欲は性欲、痴漢は痴漢ですよ。貴方は女性の身体に欲望を抱いている、でもだからって痴漢なんてしない、なぜならそんな行為が女性にとってどれだけ屈辱的な事なのかは少し想像すれば貴方にもわかるから。貴方は触りたいけれど、触らない。そんな想像すら出来ない愚か者が痴漢を実行するなら、思い切り軽蔑すればいい。それだけのことでしょう?こう言う地道なことって少しは考えてください、全知全能なんて誰も求めちゃ居ませんよ。全く手のかかるお子だよ貴方たちは実際。
「ポルノグラフィ」というのは、料理に喩えれば「ジャンクフード」なのね。
「ジャンクフード」というのは、人間の味覚のバグを悪用した料理の裏技であって、技術ではないし、「味」でもない。単なる「刺激」。攻撃的な塩味という刺激を甘い油分で包み込んだら、危機感から脳内麻薬がどばどば出て、ハイ、次から次へと手の伸びるジャンクフードいっちょ上がり。それだけ。だから軽蔑の意味を込めて「ゴミ(ジャンク)食(フード)」という。
「ポルノグラフィ」という言葉もそれと同じで、言語の新たな可能性を切り開くとか、人間の真実に切り込むとか、そういう努力や技術は一切放棄して、エロという性的刺激を食わせるためにシチュエーションという糖衣をまぶした低俗読み物。そもそも軽蔑の意味を込めた名称だから、そのことを批判しても意味がない。
もちろん、世に言う「ポルノグラフィ」を制作する作り手の中にも、ちょっと変わった面白いチャレンジをしようとする人もいるし、あるいは「より低俗なポルノグラフィにするための技術」を磨き上げて職人の域に達してる人もいるだろうさ。でも、作り手の意識が高いからといって、それで作品(及びジャンル)としてのポルノグラフィの価値が高まるというものではない。というか、究極、ジャンクフードにもポルノグラフィにも、「作り手」などという存在は不要なんだよね。ポテチはぼーっと口の中を刺激してくれればそれでいいし、ポルノは気持ちよくエロければそれでいい。
ジャンクフードもポルノグラフィも、別にこの世から消えてなくなれとは思ってない。つーか、むしろその猥雑さは好きだ。でも、「『ポルノグラフィ』を差別するな」なんていうのは、ちょっとなんか違うんだよね。差別って言葉をそんな安易に使うなよと思う。屑は屑でいいんじゃね。
そして現れた勇者は、魔王退治のために全力を尽くす。村人はそれを応援する。
そして、ついに魔王を倒した勇者を称え、世界が平和になったことを喜ぶ。
だが、その後勇者を村人として迎えるようなことはしないのだ。
強すぎる人間、村のロジックと別の論理を知っている知恵者、そういった者は凡俗の世界には邪魔になるだけなのだ。
ゆえに、勇者は旅に出なければならない。
最近、政治運動をする人間を勇者に、それに関わらない人間を凡俗の村人に例えて考えている。
凡俗は勇者を称え、その気にさせ、散々賞賛し、サポートし、ついに魔王を倒すまでに育て上げ
そして、その成果は凡俗が喰らい勇者を最後には切り捨てるのだ。
その『最後は切り捨てられる勇者』になる覚悟が、あるのか?ってところは問いたくはなる。
あんたらの政治活動は確かにご立派だが、正直成果を出したらもう用済みなのである。
成果さえ出せそうにないピンぼけの活動ならむしろやらないで居て欲しい。
そして『勇者』なのだから、村人を切り捨てることが出来ない。切り捨てたとたん村人の『敵』でしかないからだ。
凡俗の村人に覚悟は要らない。ただ生きていればいい。
そんな人間にまで、己の政治的成果を喰らわせなければならない。
運動家や活動家は、こういった凡俗達を『許せる』のかってのはいつも引っかかっていて。
しかし、それらを「許せない」として改革した社会から切り離そうとすることは、民主主義国家では出来ないものであり。
ほんと、「あんたらどうするんだろうなぁ」と凡俗の立場から見ちゃったりする訳なのだ。
意識高い連中の繰り言をせせら笑い、そいつらの作った成果はしっかりといただき、
生きるために日和見的にすり寄る凡俗。そう言う連中を許せないなら、政治活動なんかやらないで欲しい。
勇者として立ったなら、俺たち凡俗のために戦い、成果を上げて死んでくれ。忘れない限り讃えてやるから。まぁ、忘れるけど。
…そんなささくれた気分になってくるのだ。
右も左も、意識の高い連中ばかりで息が詰まる。
先日とあるECサービスの社員と会ったときに、なぜあれほどまでにひどいデザインなのかを聞くと、
「世の中バカのほうが多い。実のところそっちをターゲットにしたほうが儲かるんだ。そしてバカはああいったデザインのほうが買ってくれる」
という答えが返ってきた。
私は軽蔑するが。
私はニコニコ動画の創業者が何を考えてつくったのか、本当のところは知らない。
しかし私が見る限り、バカが自己顕示欲を満たすためだけに使っているように見える。
人に使ってもらえるサービスをつくろうとすると人間の持つ根源的な欲をいかに美しくラッピングできるかというところに終始することになる。
これはしかたのないことなのだが、人間の持つ欲の中でも自己顕示欲は最低だ。
いや、やめたいのだ。
書いた日記に、高校生くらい?という指摘があった。精神年齢が幼いのは本当だ。10年以上前に、10歳年下の小学生に「先生は、頭の中身がオレと変わんねーよな」と言われたしな。その指摘通りなら、やっと高校生レベル。
親について書こうと思ったのは、ibi さんのブログを読んだから。読んでて引き込まれた。体格は完全に負け。コンプレックスなほど羨ましい。親の様子は、今の時点では、こっちのが毒が弱い。今、ホームレスとなっているそうなので、今の境遇は大差がある。
何が違ったのか?という一つの例として、思い出せる限り、書いてみようと思う。
12歳くらいまで
転校を繰り返していた。嘘つきになってた。テストの点はよかった。母親は父親の悪口ばかりだった。俺も父親が嫌いだった。単身赴任になったとき、心から解放感を味わった。夕食がバラバラになった。好きなときに食べる形。誰も何も言わなかった。父親も俺を嫌いなのは、いつも感じていた。母親はよく赴任先に行っていた。「??嫌いなんじゃなかったけ??」と思った。嫌いなはずの父親を、俺より優先して、会いに行っている、合わせて暮らしている?? なるほど、俺は悪口ばっかり言ってる相手より下なんだな。。。と、頭ではなく心が受け止めた。夫婦の悪口を子供に言うって、こういう結末をたどる。
中高生あたり
さらに転校していた。家庭不和な状態での転校って、本当にキツい。唯一の逃げ場の学校が、ガラッと変わる。転勤するサラリーマンの人へ。家庭が円満なら転校は問題ないはず。家庭不和だと子供は確実に死んでいく。刑務所か、病院か、墓場か、そこらへんで子供と会うことになる。俺も捕まらなかっただけだ。死ななかったのは運。偶然。
高校はほとんど記憶がない。思い出すと気持ち悪いから、一番マシな小学校4~5あたりを、ずっと反芻していた。好きな子も、仲間も、自分の頭の中も、ずっと小学校の時代で止まっていた。勉強だけは上位だった。だから学校は異常に気付かなかった。
憐憫・同情・軽蔑に、異常に敏感だった。胃はずっと痛かった。潰瘍だと思っていたが、医者は「若いから心配ない」としか言わない。検査もしない。昭和時代って、こんなバカばかり。室内でタバコ吸うの当たり前だったし。教師も医者も異常な時代。今のロリコンばっかりのほうが、だいぶマシだ。
大学へ
ずっと昔に戻りたいと思っていた。そのまま大学生に。小学生のメンタルで、一人暮らし。かろうじてマトモだったのは1か月くらい? 誰ともしゃべらない、、、しゃべれなくなる。出会い系の電話サービスだけが声を出せる場所。そして鬼のような請求が来る。
つづく かなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20150330001506
http://anond.hatelabo.jp/20150330162001
という反論を書いた増田がいるわけだが。うーん、なんかめんどくさい。僕は最初の記事に割と近い考えを持っている。反論の方は「真の無宗教とはなんぞや、本当に宗教や信仰を知れば選ぶのは難しくない」と言って批判してるわけだけど、それはどうだろう。
増田Aのような考えはそもそも宗教は人間の発明であるという前提がある。歴史上幾多の宗教があり、それらは神の性格も教義もバラバラである。つまり世界そのものや、人間の存在、理不尽な運命などを説明し、安心するために人が創りだしたものであろうと考える。もちろんそれこそ死の恐怖などに対しても多くの宗教は解決策、あるいは恐怖を幾らかでもやわらげる答えを出している。従ってそれらを「信仰」すれば死の恐怖を和らげることはできるだろうことは無宗教の人間にも理解できる。しかしそのためには、本当にその答えが正しいと信じなければならない。
「昔の人が考えた事で、なんの証拠もないけど死んだらあの世に行けるってよ」とか「昔の人が考えたことで何の証拠もないけど死んだら生まれ変われるってよ」と考えたとしてもそれは信仰たりえず、死の恐怖を和らげることもできないだろう。
もちろん、強い意志で「昔の人が考えた根拠ない仮説ではない!真実だ!」と思い込むことが可能なら真の信仰に辿り着けるのかもしれないが、それは増田Aにも僕にも無理だと思う。
初詣や冠婚葬祭で宗教の手を借りるのは、まるで信じていなくても別にできるし、例えば特定宗教の聖域でしてはいけないことなどは、信じてる人をいたずらに刺激しても何もいいことはないと思うのでやらない。盆に墓参りをするのは親や親戚に対して喧嘩売りたくはないからで、手を合わせている時も別に南無阿弥陀仏と唱えれば死者が成仏するともなんとも思ってはいない。こういうのはたとえ寺の檀家の人間であってもシンプルに無宗教と言ってもいいのではないだろうか。
無宗教者にとって死とは文字通り自分の消滅でしかないので、これを恐怖するかどうかはその人次第としか言い様がない。人が死を恐れるのは、自分の死というものが、思考上どこまで近づいても超えられない壁の向こうにあるからだ。必死に死について考えている自分、自分という存在、思考し行動するモノが、死というものをまたぐと永遠に存在しなくなる。考えれば考えるほど「永久に考えない状態」が怖くなるのだろう。
でも実は「見も聞きも考えもしない状態」を人間はほとんど毎日経験している。寝るとき人は意識を失う。眠りが深くなれば夢も見ない。その状態を恐れる人はあまりいない。睡眠中に突然死する人も結構いるが、そういう人も寝るときに恐怖に震えたわけではあるまい。ということは、死というのは当人にとって、眠りから目覚めないこととあんまし変わらないのだと思う。もちろん「永遠に目覚めない眠り」というのも怖いと思う気持ちはあるだろうが、「いつものアレと意識の有り様は変わらない」と思えばそう怖がる必要もないんじゃないかなあ。通常の眠りでも、眠ってしまった後は起きるか起きないか心配する「意識」「自我」は機能しなくなるわけだし。死ぬのも寝るのも似たようなものだと思う。
そう思うようになって、僕は「死ぬ前にエロ動画フォルダを処分しなければ」みたいなことも考えなくていいと思うようになった。死後それがバレて家族に軽蔑されたり、よしんば世間に公表されてより多くの人の笑いものになったりした所で、それが「僕にとって問題になる」ためには僕が存在していないといけない。恥じたり怒ったりする自分がその時もういないのなら、どーでもいいことだ。
父に殴られた。癌で胃を摘出した父の拳は羽のように軽かった。
僕には勇気がない。正しいことを言う勇気が。怒鳴られたくない、叱られたくない、殴られたくない。怖い思いをしたくない。
理不尽に母を怒鳴り、殴る父を見て育った。鼻血を流す母を何度も見た。鼓膜を破られたこともあるそうだ。
父は酒を飲み、暴力や暴言が増える典型的なアルコール依存症だった。
そんな父は僕には驚くほど優しかった。海や公園に連れて行ってもらった行ったり、一緒にゲームをしたり、充実した日々を送っていた。
だが、父は僕のことを怒鳴ったり、殴ったことがないわけではなかった。それは母に対するそれと異なり、決して理不尽なことばかりではなかった。
僕は父の逆鱗に触れぬよう、ニコニコ、ニコニコと笑顔を作り、楽しい、楽しいと口走っていた。
小さな僕の瞳の奥にあったのは暴力に対する憎悪と恐怖、そして父からの溢れんばかりの僕への愛情との葛藤だった。
僕が立派な体格だと人に言われる頃になると、父と母の怒鳴り合いは日課と化していた。怒鳴り声が交差する食卓に並べられた食事の味は怒号に掻き消された。
その頃、僕は猫を拾ってきた。野良猫の赤ん坊で、死にかけていたところを保護したのだ。
猫が好きな母と僕は猫をひどく可愛がるようになった。父も、以前犬を飼っていたことがあり僕の願いでもあり承諾をしてくれた。
半年程が過ぎると、父は猫に対し度々暴力を振るうようになった。猫が気持ち悪い、部屋に入るなと怒鳴りつけるようになった。
僕は父を殺してやろうかと思った。ここまで、クズだとは思わなかった。心底見下した。
僕は猫を父の部屋やリビングに入らないようにしつけ、保護した。てか、保護するっていうなら他の人に預けりゃいいのに、って書いてて思った
このまま数年が過ぎるが、父の猫への暴力は無くなったが嫌悪感は消えることなく、怒鳴りつける習慣は変わらなかった。
そんな中、父が胃ガンになった。胃を全摘することとなった。転移はなかったが、食事は大きく制限されることとなった。
ざまあみろ。そうは思わなかった。ここまで酷い父なのに、何故だか、ざまあみろという思いが出ない。むしろ、生きていてよかったと思った。
父が僕にくれた愛情は本物なのだ。本当に可愛がってくれていた。憎いはずなのに、僕の心が邪魔をする。ざまあみろ。だなんて口が裂けても言えない。僕を愛してくれている人に、そんなことは言えない。生きていて良かった。だが憎い。なんなんだこれは
胃を全摘した後の父の態度は増して傲慢になった。自分は障害者なのだからいたわれ、気が使えないやつだと母に当たり散らすようになった。
食事を満足にとれなくなった父のアルコールの量は日に日に増えて行き、母に対する暴言もアルコールに比例して増えていった。
このまま数年が過ぎる。
ある日、僕は父が猫を殴りつけるところを目撃した。
幼少期の記憶が僕を引き止めるのを振り払ってやめろ、と言うと殴られた。蹴られた。父の拳にはもう力はなかった。殺してやろうかと思った。しかし、小さな頃から今まで、遊んでもらったり、話をすることも楽しくなかったわけではなかった。父が今まで僕にくれた愛情は本物だ。
殴り返せなかった。父からの愛情が、僕を蹴飛ばした際に裂けた父の足を心配させる。殴られ、蹴られたが父の傷を心配してしまった。なんてダメなやつなんだろう。大好きな猫を守るではなく、矛盾した行動をとる自分が自分で理解が出来なかった。
翌日僕は家を飛び出した。20歳を過ぎたいい大人が家出だ。父を許せないから、ではなく父が怖かったからだ。死ね、と言われたのはさすがに初めてだったからだ。
知り合いの家を転々とし、数週間が過ぎると父から電話があった。謝りたい。と泣きながらの電話だった。
僕は父を殴り飛ばす気で帰宅した。この数週間で気持ちの整理がついたのだ。父は間違っている。僕は正しい。何もいっても僕が正しい。
家のリビングがいた父は、涙を流して謝罪をしてきた。なんて虫のいいやつ、このままぶん殴
ることは出来なかった。父からの涙ながらの謝罪が、僕への愛情を思い出させる。父からの愛情、笑顔、それは本物だ。この人は僕を愛してくれていて、ほんの気の迷いなのだ。
僕は笑顔でさらっと父と和解してしまった。殴れない。こんなクズ。と思うはずなのに殴れない。どうしてだ
家出騒動の数ヶ月後、母がついに逃げた。父の暴力に耐えきれず逃げた。僕は心底父を軽蔑した。が、父からの愛情が邪魔をする
僕も母のようにまた家出し、孤独にさせるという復讐も出来たはずだ。しかし、父は父なのだ。愛情をくれたかけがえのない父を見捨てることは出来ない。
父は連日浴びるように酒を飲むようになった。母は一ヶ月が過ぎても連絡がつかなかった。
僕はこの問題に関して一切関与しなかった。家族のゴタゴタに巻き込まれるのはもうゴメンだと、体に染み付いてしまっているのだ。
そんな中、父が倒れた。医学に関する知識は乏しいので詳しいことは割愛するが、多量のアルコール摂取が影響して肝硬変を引き起こしてしまったらしい。
病院に運ばれた父は生死を彷徨った。手術室の前で医者から最善は尽くしますが、覚悟はしておいて下さい。と言われた。こんなセリフはドラマ以外で聞いたことがない。
このクズ、母に暴力を振るい、酒に溺れ死にかけるなど、自業自得じゃないか。と軽蔑するも、僕は父の容態を本気で心配していた。このまま死んでしまえ、なんて思えない。こんなクズ、死んで欲しくない。この気持ちは自分でも意味がわからない。なんだこれは
深夜と朝の境目頃になると、母の実家に一報が入ったのか、神妙な面持ちで母がやってきた。一ヶ月ぶりの対面だった。
母と僕は無言で手術室の前のソファで待っていた。
大手術だった。日が登り昼になるか、といった頃に医者が出てきた。
なんとか、容態は安定しています。このまま回復するでしょうとのことだった。
涙が止まらなかった。客観的に見ると僕は手術室に乗り込んでメスを奪い止めを刺しても良いぐらいなのだろう。
だが、涙が止まらなかった。生きていてよかった。母の神妙な面持ちは消えることがなかった。
その後、僕は久しぶりに声を交わした母から離婚を検討しているとの旨を聞いた。
しばらく考えた。こんなクズと一緒にいてやることはない。自由になって欲しかった。
答えがでた。僕は母に懇願した。
父を、見捨てないで欲しい。最後のチャンスを与えて欲しい。可哀想な人なんだ。ただ、弱い人なんだ
なんて俺は身勝手な人間なんだろう、母の人生をなんだと思っているんだ。
だが、父は父なのだ。こんな人間、クズだとも思うし、本気で底辺の人間だと思う、ただ、弱いんだ。弱い人なだけなのだ。
母は離婚を取りやめることにした。退院した父は胃に加え肝臓までもが機能しなくなってしまった。
父はそれ以来アルコールを摂取することは無くなった。母とは比較的良好な関係を築けているようだ。
父の傲慢な態度は完全になくなったわけではないが、暴力や暴言は完全に無くなった。
なんか書いてて美談チックになってて気持ちわりい。正直今でも僕は父を軽蔑している。だが、心から憎いわけではないこの複雑な感情はまだ続いている。
(追記、手術の内容について)
あまり医学に詳しく無いので間違っているかもしれないんだけど、肝臓の機能が悪くなったことが影響して静脈瘤というのが破裂して血が止まらなくなったのよ。
父は心臓も悪く血液の流れを良くする?薬を服用しててその副作用として血が全く止まらなくなるみたいで、その血を止めるための手術をしてたわけで肝硬変の治療のための手術じゃないっす。出血っていうと大したこと無さそうだけど比喩じゃなく体の血全部入れ替わったらしい。輸血パックの量見て引いたわ。説明すると見ての通りにくどすぎるんで適当に肝硬変とか書いちゃったゴメンネ
はてなにはとってもロリコンやロリコン擁護の人が多いようなので質問させてください。
よく同性愛もロリコンも本人の性的嗜好の問題なんだということで
自分の中だけで楽しむ分にはいいけど公然の場所では表現してはいけません
そこで実際にロリコンを自認する方とかに聞いてみたいのですが
ある日突然「自分はロリコンかもしれない!」と自覚をしたときに
「自分は異常者なのだから性指向を簡単に誰かに話してはいけない」
「本当の自分の性指向を話したら今の親友や家族たちに嫌われ軽蔑されるかもしれない」
「どこかに自分と同じ性指向の人はいるかもしれない。そこでしか受け入れられないかもしれない」
というような青年期の自我やアイデンティティの危機を感じたことってあるんでしょうか?
そんでそういう自我の危機を乗り越えて自分の気持ちを押し殺して社会に適合する恋愛のふりをしたり
同性愛もロリコンも堂々と言ってるの見るの不愉快だから見えないところでひっそりやってろ!
とかいう人たちって、それまでひた隠しにしてきた自分の性指向の重さとかそういうの
同性愛の人がどういう気持ちで公表したり、わざわざ結婚式を公開したりするかってこと
わかってないんだよね。クソ、しね。
俺はかつて和式派だった。肛門を拭きやすかったからだ。こと肛門へのアクセスに関しては、和式の方が洋式よりも分がある。行為時の体勢は若干ツラいが、総合的には和式、という判断だった。
しかし現在の俺は、圧倒的な洋式派になってしまった。理由は、ウォシュレットだ。肛門を素早く清潔にできる。紙で拭く回数が減り、肛門へのダメージも激減する。腹の調子が悪いときなど、大変ありがたい。暖房便座もかなり寄与しているが、何しろウォシュレットの存在が大きい。ウォシュレットの登場で、洋式はブレイクスルーと呼ぶに相応しい進化を遂げたと思う。
振り返ってみれば、俺にとって「便器について考えること」は「肛門について考えること」に他ならなかった。そして、洋式という選択に一切の疑念は無く、和式を徹底的に避け、ウォシュレット付きのトイレがない公共施設を軽蔑すらしていた。
しかし。今朝、こんなことがあった。
俺はサーバーの日次点検をしていた。バックアップ用のDATを交換し、H/Wアラートの発生有無を確認する。まぁ退屈な仕事だ。3本目のDATを交換している最中、俺は強い便意に襲われた。作業はまだ途中だった。しかしこれは無理だ、トイレに行くしかない。俺は作業を中断してトイレに向かうことにした。便利なことに、サーバー室を出た目の前にトイレはある。ここなら速やかに事を済ますことができるだろう。
だが、ひとつ問題があった。便器だ。このトイレには和式しかないのだ。
少し歩けば、洋式+ウォシュレットのトイレがある。もはや骨の髄まで洋式派である俺としては、足を伸ばしたいところだ。しかし今回は事情が違った。事は急を要している。便意は俺から選択肢を奪った。やむを得ず、俺はサーバー室前のトイレに向かった。
少し早足でトイレに入った俺は、「和式」のプレートがついた扉を開け、いそいそとズボンを降ろし、腰を下げた。いつもより近いタイル地の床と、そこから伝わってくる冷気。忌避感と屈辱感が頭をよぎった。
次の瞬間。ずぅるりっ、という感触とともに、一気に便が排出された。押し出された、という表現が正しいかもしれない。まさに一瞬だった。
俺は首をがくりともたげて、目を閉じた。便意からの開放感で、頭の中は真っ白になった。ふぅ。自然と溜息が漏れた。しかし、すぐさま忌まわしい感情が湧いてきた。そうだ、これからウォシュレットなしで、トイレットペーパーだけで肛門を拭かねばならないのだ。
トイレットペーパーに手を伸ばし、カラカラと引き出す。この作業を、繰り返し行わなければならない。そしてその度に、拭き残しを確認しなければならない。自分がいかに汚れているのか、自分に知らしめる作業だ。なんて原始的で、合理性のない、恥辱的な作業なんだろう。そんな思いを巡らせながら、手にとったトイレットペーパーを尻にあてがおうと、腰を少し浮かした。そのときだ。便器の中に転がっている糞を見て、俺は驚愕した。
デカい。
これはデカい。なんだこれは。長さにして、30cmをゆうに超えている。指先から肘にかけて程の長さだ。しかも、よく見るとアルファベットの「J」のように途中から折り返している。全長は40cmに及ぶのではないか。思い返せば、確かに今回の便意は強く、腹の中に大量の糞が待ち構えていることは予感していた。しかし流石にこのサイズは想定外だ。俺は息を飲んだ。
そう、これが和式便器なのだ。和式の強み、それは「自然な糞の射出を阻害しないこと」そして「射出された糞の観察が容易であること」だ。便器について考えること、それは、肛門について考えること、だけではなかった。俺は忘れていたのだ。糞と向き合うことを。
肛門を拭き終えた俺は、レバーを引き、糞の消えた便器を確認してからトイレの扉を開いた。やり遂げた、そして見届けた。洋式では得られない、懐かしい充足感で満たされていた。軽い足取りでサーバー室へと戻った俺は、晴れやかな気持ちで作業を再開した。肛門に軽いヒリつきを感じながら。ほんの少し、拭き残しへの不安を胸に抱きながら。
俺は、ウォシュレットによって清潔とスピード、そして安心を得ている。しかし、代わりに失うものもある。再び便意が訪れたとき、俺はどうするだろうか。きっと、ウォシュレット付きの洋式を選ぶだろう。便利だからだ。そしてウォシュレットで尻を洗い流し、ろくに糞の確認もせず、さっさと流してしまうだろう。感慨も何もない。残るのは空っぽの便器だけだ。
何かを捨てて、何かを得る。俺は便器を選択しているのだ。
受託開発やSIer、そこで採られる人月での見積と契約はスタートアップ・Web系・ベンチャーな方々から軽蔑されがちです。
けれど社会のインフラや企業の基幹を担うこともある重要なシステムでは残念ながらこれらの手法をとらざるを得ないのが現状となっています。
これを打破するイノベイティブでエポックメイキングでパラダイムシフトな変革は期待されていますが、文化や慣習、人手不足とレガシーコードはなかなかそれを許してくれません。やり玉にされがちなSIerのスタンスだけに帰せる問題ではないのです。
そんな状況でもわれわれSEは社会の繁栄のために、愛する(現在の/未来の)家族のために、そしてご飯を食べていくために働く必要があります。
しかし、この業界で難しいのは流動性が高い割にキャリア形成が難しいこと、自分の精神的・肉体的な健康を損ないやすいという問題があることで、苦労されている方も多いかと思います。
そして働く人が多いにもかかわらず、会社・システム・プロジェクト固有の用語や知識が多いことやセキュリティポリシーに抵触するか微妙なこともあってかなかなかノウハウや知見が共有されていないように感じています。一方で個々のプロジェクトに埋没している問題が共有されていないことへの懸念もあります。
今回は、これを打破するためにアドベントカレンダという不思議文化に乗ってみなさまがこれまで得てきたノウハウをドキュメント化していただけないかというご提案になります。ノウハウの共有は日本のソフトウェア開発文化の発展に、問題の共有は社会(発注企業・元請け上層部含む)への啓発につながればと期待しており、なにより自分がみなさまの環境に興味を持っています。
ぜひ、書いてみませんか?
トラックバック・ブクマを送っていただければここにリンクを貼っていきます。増田でも可ですし、重複・フライングも気にしません。
いじめられたり浮いたり空気だったり、時にはコミュ障同士で楽しくやったりしながら大人になった。
働き初めてから転機が訪れた。
職場には今まで私の周りにはいなかったコミュ力高い人が大勢いて、私のお手本になってくれた。
仕事を覚えたことで自信がつき、おどおどしなくなった。
今まで興味のなかったことにも目を向けられるようになると、年齢や趣味の違う人とも会話できるようになった。
本当に周りの人に恵まれていたと思う。
そして職場に新しく人が入ってきて、私は先輩になった。
後輩さんはコミュ障だった。
人と目を合わせない、挨拶もちゃんとできない、笑顔を作れない、注意されたらはいと言うけど直さない、声が小さくてなんて言ってるかわからない…etc.
あんまりひどいので業務に支障が出るレベルで、ちゃんとやるか辞めるかして欲しいという要望もでるくらいだった。
数年前まで自分もコミュ障だった私としては、かわいそうだったしなんとかしてあげたかった。
「こういう時はこんな風に言うとわかってもらいやすいよ」
「そういうやり方だと待ってる人を無視してるみたいに見えるから、少々お待ちくださいって一声かけてあげてね」
「そういう時無表情やと怒ってるみたいに見えるよ。少しでも笑顔作ってね」
「わからない時はわからなくていいから、わからないってはっきり言ってね」
私は後輩さんに、可能な限り優しく、具体的に言い続けた。
後輩さんの態度はだいぶましになり、辞めろと言う人はいなくなった。
めでたしめでたし。なんだけど。
もう、なんか、後輩さんのことをどうでもいいと思う私がいる。
フォローに走り回る私に、お礼の一言を言ってくれたこともない。
わかってる。そんなん言えるくらいならコミュ障じゃないよね。
常に受け身で、優しくしてもらえるのを待ってるだけの態度の彼に対する軽蔑が抑えられない。
もちろんいじめるつもりは無いし、表面的な態度は変えない。
でも、今まで嫌いだと思ってたいじめっこが自分の中にも住んでいることを発見し、正直やりきれない気持ちだ。
後輩さんは、人をイライラさせるのが上手すぎる。
いじめっこにならないでいるためには忍耐力が必要になってしまうのだ。
(もちろん、忍耐せずに素直にいじめてる人もいた。部署替えでいなくなったけど)