「軽蔑」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 軽蔑とは

2015-06-08

リスペクト成分多めに生きていきたいのに帽子をかぶってる男を見ると侮蔑してしま

女の帽子はお洒落アイテム、そして似合う人は似合う。それはわかる。本題は男だ。謎ベレー帽 室内でもツバ付き帽子脱がない何処で買ったのよ?と突っ込んでほしい帽子貧乏臭い麦わら帽子、どれもこれも軽蔑の邪念が湧いてしまって困る。

なるべくリスペクト成分多めに生きていきたいのに、男が帽子ぶってると冴えない感じが多いので軽蔑にまわってしまモヤモヤ感。だが、まて。そもそも、モヤモヤ感や軽蔑感を発生させる風貌と帽子が悪いんじゃなかろうか?少なくとも、ダサイ帽子をかぶってなければ、内心、冴えない男子一匹発生で完全スルーしておけばいいのに、帽子をコンデンスしてしまったがために軽蔑の情が湧いてくる結果を生じさせたとも言える。私の心の中への業務妨害

うん。帽子とそれをチョイスする男が悪い。

2015-06-07

視野の狭い田舎者の話

少し前にマイルドヤンキーという言葉話題になった。

今も定着したのかどうかはよくわからないけれど、地方出身者としては昔からそういう感じの人たちは一定数いたような気がする。

マイルドヤンキー話題になった時にもそれは言われていたけれど。

マイルドヤンキー話題にも絡めて「地方民が田舎から東京へ出ようとせず、地元で満足する若者が増えた」というような論調だけれど、

それは今に限った話ではないのではないか?

まぁ確かに今は地方ショッピングモールの充実や、amazonを始めとするネット通販の普及で

地方在住であるデメリットも軽減されているので、昔よりも数は増えたのかもしれない。

では、昔の人は本当にそんなに都会に憧れていたのか?

私は地方都市出身で、地元が決して嫌いではなかったけれど、いろいろなものが窮屈で閉塞感を感じたし、

いろいろな新しいお店や、イベントごとや展覧会コンサート、そういうのに行きたかたから、

数年間地元で働いてお金を貯めて東京へ出て就職をした。

地方都市生活している人というのはやはり閉鎖的で、自分の住んでいるところ以外にはあまり興味がないようだった。

もしくは、あこがれはあるけれどやっぱり住み慣れた地元が一番、という考えの人が多かった。

地元が嫌いで都会に憧れる人というのはとっとと出て行ってしまうので年を重ねるとその風潮が余計強まる。

そういうずっと同じところに留まり続けている人と話していると、地元以外の世界に興味を持たず、視野が狭いと感じる事がよくあった。

自分の周り以外の世界は別の世界、という断絶というかすっぱりと切り離したような考え方。

東京なんて外国とでも言いたげな印象だった。

比較若い世代の人になると、東京にも行ったことがある、遊びに行くだけでも十分という人もそこそこいたのだけど。

やはり地元が好きで移住などは考えられないという感じだったが。

さて、東京へ出て就職してみて思った事だが、私が就職したのは別にトップ企業という会社でもなく、

ただの中小企業だったので、地方から出てきて関東に住んでいる、というよりも

今まで東京近郊(東京千葉埼玉など)で生まれ育ち、東京就職したという人がほとんどだった。

そうすると、やはり視野が狭いというか、自分の周りだけで世界が完結している人が多かった。

新宿渋谷とかなんでもいいけれどそういうテレビによく出るような都市がこんなにも近くにあるのに、

やはり自分とは別世界と考えているような感じだ。

かえって地方の人たちのほうが、テレビの向こうのあこがれの世界という感じで興味を持っていたような気すらする

私はこの視野の狭さや自分の周りにいる人がすべてというような考えが好きではなかったし、

はっきり言って軽蔑していたし、バカだと思っていた。

散々視野の狭さについて触れてきたが、視野が狭いというのは

自分の周りにいる人や自分常識がすべてだという思い込み他人自分と同じ考えであって当然、だとか

自分の習慣や風習押し付けるような感じ。あまりうまく説明できないけど

他の価値観理解できないし理解しようともしないというか。

でも、ある日ふと思ったがそれが普通なのではないか?

そこそこ働いて、子どもを育てて社会生活を送る上で他の世界の事なんて知ってどうする?

自分の周りさえ快適であればそれでいいのではないか?

難しい事は考えず、ただ自分の狭い世界だけで生活していければ、穏やかに一生を終えられるのだ。

から、相容れない価値観排除して綺麗な世界を作ればいいのだ。

やはり現代も、村社会の延長でしかないのだろうか。

地方から単身東京へ出てきて働くという人と、もともと東京住みなので東京就職しましたという人では

東京で働くという事に対しての認識がすごく違うというのはずっと感じている。

プレッシャーだとか、自分はここまでやっているという自負とか。人それぞれによるところも多いからなんともだけど

正直私は程度の低い職場しかいたことがないので、高学歴トップ企業の方はどのように感じているのかが気になる

2015-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20150531160743

その中で頑張ったものは、頑張らなかったもの軽蔑家畜とするだろう。

2015-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20150529171828

歌って踊るイケメンを観客として眺めるだけor不細工男とセックスだったら、後者を選ぶ女性は0人だと思う。

何もないor不細工男とセックスでも、後者を選ぶ女性は0人だと思う。

と言う茶々は置いといて。

別に強者女性でも強者男性と同じ思考回路を持ち、弱者女性感情的に嫌って軽蔑している層はいて(所謂名誉男性ってやつだ)

何だかんだで強者男性に取り入って権力握っている強者女性ってのは、フェミニストではなくそういう層なんだよね。

から弱者男性がいくら強者女性弱者男性を救えったって彼女らがそんな事やる訳がない。

同じ女性ですら弱者努力不足の自業自得ゴミクズと思ってる彼女らが弱者男性の事をどう思ってるかなんて推して知るべしだ。

それへの八つ当たり強者でも何でもないフェミニストにしても見当違いだよなあ。

実際はフェミニスト強者男性にも嫌われていて、大した権力も持ってないんだから

2015-05-28

ホモってなんであんなに偉そうなの?

俺ってさ、悪の秘密結社の大首領になって正義女子高生ヒロイン達を悪堕ちさせるのが凄く好きなんだけどさ、

最近になって気づいたんだけど俺は悪の秘密結社の大首領にはなれないし正義女子高生ヒロインなんてこの世には存在しないんだよね

それどころか女子高生に手を出しただけでお縄な社会だし、

まあだから妥協して普通女の子と付き合ったり二次元エロ小説でシコシコしたりして

周囲にそんな変な趣味持ってるとか悟られないように生きてるんだけど、

いわゆる「同性愛差別が~」とか「性的マイノリティーが~」とか言ってる奴らってそういうレベルの話だよね。

今の俺と恥ずかしげもなく被害者面してるあいつらって何が違うの?

厚顔無恥度?被害者意識度?

もし俺が会社飲み会とかで「俺悪の大首領になってJCヒロイン犯して屈服させたいわ~」

とか空気読まずに言ったら会社での立場が危うくなったり軽蔑されたりするのは凄く真っ当なことだろ。

人に言えない趣味の一つや二つ誰でも持ってるもんだろ、性的妥協する機会なんてこいつらみたいな変態じゃなくても山ほどあるわ

なんであいつらだけ被害者面してんだよクッソきめえよな

2015-05-24

卑劣漢どもへ。

http://anond.hatelabo.jp/20150521175403

仰るところの痴漢防止シールについてですが、これは私も無意味だと思いますね。痴漢シールを見せて警告してそれでもやめない場合タンプを押すなんて、そんなこと出来る娘なら正々堂々相手の手を引っ掴んで声上げますよ。それが出来ないのが痴漢被害の難しいところであるのですからね、このシールが役立つと思った人の想定は些か現実離れしていると言わざるを得ません。

なんですが、この報道を受けて冤罪がーっていう人はやっぱりおかしいですよ、よく言って馬鹿、悪く言えば痴漢片棒担ぎですね。

そのことを元増田及びそれを賛同する諸賢がたに私は言いたくてこれを書いています

先ず疑問なのは、己の身体に触れている痴漢の手にスタンプを押すというこのシステムが、なんで冤罪発生装置みたいに言われるんですか?そこからしてめちゃくちゃです。混雑する電車内の話ですから自分痴漢している加害者の手以外に過失にも故意にもスタンプを押すなんて難しいでしょうね、どう考えても。このスタンプによって犯人の取り違えによる冤罪の可能性が減ることはあっても増えることは無いでしょう?冤罪被害に怯える立場ならばシールのことを言祝いでもいいぐらいでは?

次、更に言えば痴漢被害痴漢冤罪被害って対立関係にあるんですか?痴漢問題槍玉にあげている時に、でも女性痴漢冤罪のことも考えて欲しいとか言うのおかしくないですか?女性被害を訴えているだけですよ、それが正当なのかどうかを判断するのはその先の取調官であり検察官であり司法機関でしょう?それを被害女性冤罪の可能性を考えろとはどういう了見でしょう?つまり捜査証拠を集め有罪を完全な形で立証できる場合以外は被害を訴えるなってことですよ貴方がたが言っているのは、どれだけハードルを上げる訳ですか?日本司法推定無罪ならぬ推定有罪なんて揶揄されたりしますけど、こと痴漢私人逮捕於いてはその瞬間に完全を求めようってんだからまあたまげますなあ。「でも現に冤罪社会的リスクが……」って貴方は言うのでしょうが人質司法代用監獄推定有罪主義もなんもかんも司法制度改革のなかで槍玉にあげるべきことでしょう?被害女性にそういう問題をおっかぶせるのはおかしくないですか?

あと元増田ゲイという例外の少数派の立場を用いて全体への反論を行うのはおかしいって言いますけど、それ痴漢痴漢冤罪関係於いてだってそうですよね。痴漢被害冤罪被害に対して圧倒的に多いに決まっているじゃないですか、そこらへんはもう語るに落ちてますよね。


で、結局のところ貴方がたが卑劣漢諸兄がなんで痴漢話題於いて殊更冤罪がー冤罪がーっていうのかって言ったら、それはもう男性の大多数が潜在的に痴漢的な欲望を持っているからですよ、痴漢を弾劾する言葉の中に、女性の身体に対する欲望への去勢の脅しを見てしまうからでしょう?達成されない性欲が根底にあって、それが「冤罪」というハリボテを被り女性へとぶつけられているってそう言う訳ですよね?しかも性暴力被害にあった女性を逆に脅して、辱められたと言う事を以ってしてさらに辱めて口を噤ませる、そこまで含めて「性暴力」というワンパッケージで、あなた方ってそれに加担しちゃってるんですよ?わかってます


で、ちょっと本当に思うんですが、馬鹿なんじゃないですか? 性欲は性欲、痴漢痴漢ですよ。貴方女性の身体に欲望を抱いている、でもだからって痴漢なんてしない、なぜならそんな行為女性にとってどれだけ屈辱的な事なのかは少し想像すれば貴方にもわかるから貴方は触りたいけれど、触らない。そんな想像すら出来ない愚か者痴漢を実行するなら、思い切り軽蔑すればいい。それだけのことでしょう?こう言う地道なことって少しは考えてください、全知全能なんて誰も求めちゃ居ませんよ。全く手のかかるお子だよ貴方たちは実際。

2015-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20150523201436

ポルノグラフィ」というのは、料理に喩えれば「ジャンクフード」なのね。

ジャンクフード」というのは、人間の味覚のバグ悪用した料理裏技であって、技術ではないし、「味」でもない。単なる「刺激」。攻撃的な塩味という刺激を甘い油分で包み込んだら、危機感から脳内麻薬がどばどば出て、ハイ、次から次へと手の伸びるジャンクフードいっちょ上がり。それだけ。だから軽蔑意味を込めて「ゴミジャンク)食(フード)」という。

ポルノグラフィ」という言葉もそれと同じで、言語の新たな可能性を切り開くとか、人間真実に切り込むとか、そういう努力技術は一切放棄して、エロという性的刺激を食わせるためにシチュエーションという糖衣をまぶした低俗読み物。そもそも軽蔑意味を込めた名称から、そのことを批判しても意味がない。

もちろん、世に言う「ポルノグラフィ」を制作する作り手の中にも、ちょっと変わった面白いチャレンジをしようとする人もいるし、あるいは「より低俗ポルノグラフィにするための技術」を磨き上げて職人の域に達してる人もいるだろうさ。でも、作り手の意識が高いからといって、それで作品(及びジャンル)としてのポルノグラフィ価値高まるというものではない。というか、究極、ジャンクフードにもポルノグラフィにも、「作り手」などという存在不要なんだよね。ポテチはぼーっと口の中を刺激してくれればそれでいいし、ポルノ気持ちよくエロければそれでいい。

ジャンクフードポルノグラフィも、別にこの世から消えてなくなれとは思ってない。つーか、むしろその猥雑さは好きだ。でも、「『ポルノグラフィ』を差別するな」なんていうのは、ちょっとなんか違うんだよね。差別って言葉をそんな安易に使うなよと思う。屑は屑でいいんじゃね。

2015-05-19

勇者と村人の関係

大魔王圧政を強いられている村人は、勇者を熱望する。

そして現れた勇者は、魔王退治のために全力を尽くす。村人はそれを応援する。

そして、ついに魔王を倒した勇者を称え、世界平和になったことを喜ぶ。

だが、その後勇者を村人として迎えるようなことはしないのだ。

強すぎる人間、村のロジックと別の論理を知っている知恵者、そういった者は凡俗の世界には邪魔になるだけなのだ

ゆえに、勇者は旅に出なければならない。

最近政治運動をする人間勇者に、それに関わらない人間を凡俗の村人に例えて考えている。

凡俗は勇者を称え、その気にさせ、散々賞賛し、サポートし、ついに魔王を倒すまでに育て上げ

そして、その成果は凡俗が喰らい勇者最後には切り捨てるのだ。

その『最後は切り捨てられる勇者』になる覚悟が、あるのか?ってところは問いたくはなる。

あんたらの政治活動は確かにご立派だが、正直成果を出したらもう用済みなのである

成果さえ出せそうにないピンぼけ活動ならむしろやらないで居て欲しい。

そして『勇者なのだから、村人を切り捨てることが出来ない。切り捨てたとたん村人の『敵』でしかないからだ。

凡俗の村人に覚悟は要らない。ただ生きていればいい。

そんな人間にまで、己の政治的成果を喰らわせなければならない。

それを屈辱と思うか、凡俗を軽蔑するのか。

運動家活動家は、こういった凡俗達を『許せる』のかってのはいつも引っかかっていて。

しかし、それらを「許せない」として改革した社会から切り離そうとすることは、民主主義国家では出来ないものであり。

ほんと、「あんたらどうするんだろうなぁ」と凡俗の立場から見ちゃったりする訳なのだ

意識高い連中の繰り言をせせら笑い、そいつらの作った成果はしっかりといただき

生きるために日和見的にすり寄る凡俗。そう言う連中を許せないなら、政治活動なんかやらないで欲しい。

勇者として立ったなら、俺たち凡俗のために戦い、成果を上げて死んでくれ。忘れない限り讃えてやるから。まぁ、忘れるけど。

…そんなささくれた気分になってくるのだ。

右も左も、意識の高い連中ばかりで息が詰まる。

2015-05-11

バカを釣る品性の欠如したサービスはもうやめたい、やめてくれ

先日とあるECサービス社員と会ったときに、なぜあれほどまでにひどいデザインなのかを聞くと、

「世の中バカのほうが多い。実のところそっちをターゲットにしたほうが儲かるんだ。そしてバカはああいったデザインのほうが買ってくれる」

という答えが返ってきた。

ECサービス戦略は正しいと思う。

私は軽蔑するが。

ニコニコ動画みたいなのもぶっちゃけそうなんだと思う。

私はニコニコ動画創業者が何を考えてつくったのか、本当のところは知らない。

しかし私が見る限り、バカ自己顕示欲を満たすためだけに使っているように見える。

ニコニコ超会議?ふざけるなゴミどもが。

人に使ってもらえるサービスをつくろうとすると人間の持つ根源的な欲をいかに美しくラッピングできるかというところに終始することになる。

これはしかたのないことなのだが、人間の持つ欲の中でも自己顕示欲は最低だ。

頼む、本当にこいつをターゲットにするサービスはやめてくれ。

いや、やめたいのだ。

こんなことを言っているが私もそういったサービス提供する人間だ。

つまるところ人類が滅びるしかこの欲を見なくてすむ時代は来ないのだ。

2015-05-10

生理ストッキングがマジキモイ

ツイッターで見かけた生理中のアニメキャラストッキング

最高にキモイ

おかしいとしか思えない

軽蔑する

男のチンコつぶした瞬間を壁紙にして男という男のパソコンに張り付けてやりたいわ

2015-04-16

親と人生とか

書いた日記に、高校生くらい?という指摘があった。精神年齢が幼いのは本当だ。10年以上前に、10歳年下の小学生に「先生は、頭の中身がオレと変わんねーよな」と言われたしな。その指摘通りなら、やっと高校生レベル

親について書こうと思ったのは、ibi さんのブログを読んだから。読んでて引き込まれた。体格は完全に負け。コンプレックスなほど羨ましい。親の様子は、今の時点では、こっちのが毒が弱い。今、ホームレスとなっているそうなので、今の境遇は大差がある。

何が違ったのか?という一つの例として、思い出せる限り、書いてみようと思う。

  12歳くらいまで

転校を繰り返していた。嘘つきになってた。テストの点はよかった。母親は父親の悪口ばかりだった。俺も父親が嫌いだった。単身赴任になったとき、心から解放感を味わった。夕食がバラバラになった。好きなときに食べる形。誰も何も言わなかった。父親も俺を嫌いなのは、いつも感じていた。母親はよく赴任先に行っていた。「??嫌いなんじゃなかったけ??」と思った。嫌いなはずの父親を、俺より優先して、会いに行っている、合わせて暮らしている?? なるほど、俺は悪口ばっかり言ってる相手より下なんだな。。。と、頭ではなく心が受け止めた。夫婦の悪口を子供に言うって、こういう結末をたどる。

中高生あたり

 さらに転校していた。家庭不和な状態での転校って、本当にキツい。唯一の逃げ場の学校が、ガラッと変わる。転勤するサラリーマンの人へ。家庭が円満なら転校は問題ないはず。家庭不和だと子供は確実に死んでいく。刑務所か、病院か、墓場か、そこらへんで子供と会うことになる。俺も捕まらなかっただけだ。死ななかったのは運。偶然。

高校ほとんど記憶がない。思い出すと気持ち悪いから、一番マシな小学校4~5あたりを、ずっと反芻していた。好きな子も、仲間も、自分の頭の中も、ずっと小学校時代で止まっていた。勉強だけは上位だった。だから学校は異常に気付かなかった。

 憐憫・同情・軽蔑に、異常に敏感だった。胃はずっと痛かった。潰瘍だと思っていたが、医者は「若いから心配ない」としか言わない。検査もしない。昭和時代って、こんなバカばかり。室内でタバコ吸うの当たり前だったし。教師も医者も異常な時代。今のロリコンばっかりのほうが、だいぶマシだ。

大学

ずっと昔に戻りたいと思っていた。そのまま大学生に。小学生メンタルで、一人暮らし。かろうじてマトモだったのは1か月くらい? 誰ともしゃべらない、、、しゃべれなくなる。出会い系電話サービスけが声を出せる場所。そして鬼のような請求が来る。

つづく かなあ。

2015-03-31

死と無宗教

http://anond.hatelabo.jp/20150330001506

この増田増田Aとしよう)に対して、

http://anond.hatelabo.jp/20150330162001

という反論を書いた増田がいるわけだが。うーん、なんかめんどくさい。僕は最初記事に割と近い考えを持っている。反論の方は「真の無宗教とはなんぞや、本当に宗教信仰を知れば選ぶのは難しくない」と言って批判してるわけだけど、それはどうだろう。

増田Aのような考えはそもそも宗教人間発明であるという前提がある。歴史上幾多の宗教があり、それらは神の性格教義もバラバである。つまり世界のものや、人間存在理不尽運命などを説明し、安心するために人が創りだしたものであろうと考える。もちろんそれこそ死の恐怖などに対しても多くの宗教は解決策、あるいは恐怖を幾らかでもやわらげる答えを出している。従ってそれらを「信仰」すれば死の恐怖を和らげることはできるだろうことは無宗教人間にも理解できる。しかしそのためには、本当にその答えが正しいと信じなければならない。

「昔の人が考えた事で、なんの証拠もないけど死んだらあの世に行けるってよ」とか「昔の人が考えたことで何の証拠もないけど死んだら生まれ変われるってよ」と考えたとしてもそれは信仰たりえず、死の恐怖を和らげることもできないだろう。

もちろん、強い意志で「昔の人が考えた根拠ない仮説ではない!真実だ!」と思い込むことが可能なら真の信仰に辿り着けるのかもしれないが、それは増田Aにも僕にも無理だと思う。

初詣冠婚葬祭宗教の手を借りるのは、まるで信じていなくても別にできるし、例えば特定宗教の聖域でしてはいけないことなどは、信じてる人をいたずらに刺激しても何もいいことはないと思うのでやらない。盆に墓参りをするのは親や親戚に対して喧嘩売りたくはないからで、手を合わせている時も別に南無阿弥陀仏と唱えれば死者が成仏するともなんとも思ってはいない。こういうのはたとえ寺の檀家人間であってもシンプル無宗教と言ってもいいのではないだろうか。

無宗教者にとって死とは文字通自分の消滅でしかないので、これを恐怖するかどうかはその人次第としか言い様がない。人が死を恐れるのは、自分の死というものが、思考上どこまで近づいても超えられない壁の向こうにあるからだ。必死に死について考えている自分自分という存在思考し行動するモノが、死というものをまたぐと永遠に存在しなくなる。考えれば考えるほど「永久に考えない状態」が怖くなるのだろう。

でも実は「見も聞きも考えもしない状態」を人間ほとんど毎日経験している。寝るとき人は意識を失う。眠りが深くなれば夢も見ない。その状態を恐れる人はあまりいない。睡眠中に突然死する人も結構いるが、そういう人も寝るときに恐怖に震えたわけではあるまい。ということは、死というのは当人にとって、眠りから目覚めないこととあんまし変わらないのだと思う。もちろん「永遠に目覚めない眠り」というのも怖いと思う気持ちはあるだろうが、「いつものアレと意識の有り様は変わらない」と思えばそう怖がる必要もないんじゃないかなあ。通常の眠りでも、眠ってしまった後は起きるか起きないか心配する「意識」「自我」は機能しなくなるわけだし。死ぬのも寝るのも似たようなものだと思う。

そう思うようになって、僕は「死ぬ前にエロ動画フォルダ処分しなければ」みたいなことも考えなくていいと思うようになった。死後それがバレて家族軽蔑されたり、よしんば世間に公表されてより多くの人の笑いものになったりした所で、それが「僕にとって問題になる」ためには僕が存在していないといけない。恥じたり怒ったりする自分がその時もういないのなら、どーでもいいことだ。

もちろん死に至る事故暴力、重病でひどい苦痛を味わうのは嫌だけど、それは「死」そのものへの恐怖とはまた別の問題だよね。

2015-03-13

僕は正しいことを言っている

父に殴られた。癌で胃を摘出した父の拳は羽のように軽かった。

僕には勇気がない。正しいことを言う勇気が。怒鳴られたくない、叱られたくない、殴られたくない。怖い思いをしたくない。

理不尽に母を怒鳴り、殴る父を見て育った。鼻血を流す母を何度も見た。鼓膜を破られたこともあるそうだ。

父は酒を飲み、暴力暴言が増える典型的アルコール依存症だった。

そんな父は僕には驚くほど優しかった。海や公園に連れて行ってもらった行ったり、一緒にゲームをしたり、充実した日々を送っていた。

だが、父は僕のことを怒鳴ったり、殴ったことがないわけではなかった。それは母に対するそれと異なり、決して理不尽なことばかりではなかった。

僕は父の逆鱗に触れぬよう、ニコニコニコニコ笑顔を作り、楽しい楽しいと口走っていた。

さな僕の瞳の奥にあったのは暴力に対する憎悪と恐怖、そして父からの溢れんばかりの僕への愛情との葛藤だった。

僕が立派な体格だと人に言われる頃になると、父と母の怒鳴り合いは日課と化していた。怒鳴り声が交差する食卓に並べられた食事の味は怒号に掻き消された。

その頃、僕は猫を拾ってきた。野良猫赤ん坊で、死にかけていたところを保護したのだ。

猫が好きな母と僕は猫をひどく可愛がるようになった。父も、以前犬を飼っていたことがあり僕の願いでもあり承諾をしてくれた。

半年程が過ぎると、父は猫に対し度々暴力を振るうようになった。猫が気持ち悪い、部屋に入るなと怒鳴りつけるようになった。

僕は父を殺してやろうかと思った。ここまで、クズだとは思わなかった。心底見下した。

僕は猫を父の部屋やリビングに入らないようにしつけ、保護した。てか、保護するっていうなら他の人に預けりゃいいのに、って書いてて思った

このまま数年が過ぎるが、父の猫への暴力は無くなったが嫌悪感は消えることなく、怒鳴りつける習慣は変わらなかった。

そんな中、父が胃ガンになった。胃を全摘することとなった。転移はなかったが、食事は大きく制限されることとなった。

まあみろ。そうは思わなかった。ここまで酷い父なのに、何故だか、ざまあみろという思いが出ない。むしろ、生きていてよかったと思った。

父が僕にくれた愛情は本物なのだ。本当に可愛がってくれていた。憎いはずなのに、僕の心が邪魔をする。ざまあみろ。だなんて口が裂けても言えない。僕を愛してくれている人に、そんなことは言えない。生きていて良かった。だが憎い。なんなんだこれは

胃を全摘した後の父の態度は増して傲慢になった。自分障害者なのだからいたわれ、気が使えないやつだと母に当たり散らすようになった。

食事を満足にとれなくなった父のアルコールの量は日に日に増えて行き、母に対する暴言アルコールに比例して増えていった。

このまま数年が過ぎる。

ある日、僕は父が猫を殴りつけるところを目撃した。

幼少期の記憶が僕を引き止めるのを振り払ってやめろ、と言うと殴られた。蹴られた。父の拳にはもう力はなかった。殺してやろうかと思った。しかし、小さなから今まで、遊んでもらったり、話をすることも楽しくなかったわけではなかった。父が今まで僕にくれた愛情は本物だ。

殴り返せなかった。父から愛情が、僕を蹴飛ばした際に裂けた父の足を心配させる。殴られ、蹴られたが父の傷を心配してしまった。なんてダメなやつなんだろう。大好きな猫を守るではなく、矛盾した行動をとる自分自分理解が出来なかった。

翌日僕は家を飛び出した。20歳を過ぎたいい大人が家出だ。父を許せないから、ではなく父が怖かったからだ。死ね、と言われたのはさすがに初めてだったからだ。

知り合いの家を転々とし、数週間が過ぎると父から電話があった。謝りたい。と泣きながらの電話だった。

僕は父を殴り飛ばす気で帰宅した。この数週間で気持ちの整理がついたのだ。父は間違っている。僕は正しい。何もいっても僕が正しい。

家のリビングがいた父は、涙を流して謝罪をしてきた。なんて虫のいいやつ、このままぶん殴

ることは出来なかった。父からの涙ながらの謝罪が、僕への愛情を思い出させる。父から愛情笑顔、それは本物だ。この人は僕を愛してくれていて、ほんの気の迷いなのだ

僕は笑顔さらっと父と和解してしまった。殴れない。こんなクズ。と思うはずなのに殴れない。どうしてだ

父の猫への嫌悪感は消えなかったが、暴力はなくなった。

しかし、母への暴力暴言は減ることがなかった。

家出騒動の数ヶ月後、母がついに逃げた。父の暴力に耐えきれず逃げた。僕は心底父を軽蔑した。が、父から愛情邪魔をする

僕も母のようにまた家出し、孤独にさせるという復讐も出来たはずだ。しかし、父は父なのだ愛情をくれたかけがえのない父を見捨てることは出来ない。

父は連日浴びるように酒を飲むようになった。母は一ヶ月が過ぎても連絡がつかなかった。

僕はこの問題に関して一切関与しなかった。家族のゴタゴタに巻き込まれるのはもうゴメンだと、体に染み付いてしまっているのだ。

そんな中、父が倒れた。医学に関する知識は乏しいので詳しいことは割愛するが、多量のアルコール摂取が影響して肝硬変引き起こししまったらしい。

病院に運ばれた父は生死を彷徨った。手術室の前で医者から最善は尽くしますが、覚悟はしておいて下さい。と言われた。こんなセリフドラマ以外で聞いたことがない。

このクズ、母に暴力を振るい、酒に溺れ死にかけるなど、自業自得じゃないか。と軽蔑するも、僕は父の容態を本気で心配していた。このまま死んでしまえ、なんて思えない。こんなクズ、死んで欲しくない。この気持ちは自分でも意味がわからない。なんだこれは

深夜と朝の境目頃になると、母の実家に一報が入ったのか、神妙な面持ちで母がやってきた。一ヶ月ぶりの対面だった。

母と僕は無言で手術室の前のソファで待っていた。

大手術だった。日が登り昼になるか、といった頃に医者が出てきた。

なんとか、容態は安定しています。このまま回復するでしょうとのことだった。

涙が止まらなかった。客観的に見ると僕は手術室に乗り込んでメスを奪い止めを刺しても良いぐらいなのだろう。

だが、涙が止まらなかった。生きていてよかった。母の神妙な面持ちは消えることがなかった。

その後、僕は久しぶりに声を交わした母から離婚検討しているとの旨を聞いた。

しばらく考えた。こんなクズと一緒にいてやることはない。自由になって欲しかった。

答えがでた。僕は母に懇願した。

父を、見捨てないで欲しい。最後のチャンスを与えて欲しい。可哀想な人なんだ。ただ、弱い人なんだ

なんて俺は身勝手人間なんだろう、母の人生をなんだと思っているんだ。

だが、父は父なのだ。こんな人間クズだとも思うし、本気で底辺人間だと思う、ただ、弱いんだ。弱い人なだけなのだ

愛がない人間ではないのだ。愛を持った人間なのだ

母は離婚を取りやめることにした。退院した父は胃に加え肝臓までもが機能しなくなってしまった。

父はそれ以来アルコール摂取することは無くなった。母とは比較的良好な関係を築けているようだ。

父の傲慢な態度は完全になくなったわけではないが、暴力暴言は完全に無くなった。

なんか書いてて美談チックになってて気持ちわりい。正直今でも僕は父を軽蔑している。だが、心から憎いわけではないこの複雑な感情はまだ続いている。








(追記、手術の内容について)

まり医学に詳しく無いので間違っているかもしれないんだけど、肝臓機能が悪くなったことが影響して静脈瘤というのが破裂して血が止まらなくなったのよ。

父は心臓も悪く血液の流れを良くする?薬を服用しててその副作用として血が全く止まらなくなるみたいで、その血を止めるための手術をしてたわけで肝硬変治療のための手術じゃないっす。出血っていうと大したこと無さそうだけど比喩じゃなく体の血全部入れ替わったらしい。輸血パックの量見て引いたわ。説明すると見ての通りにくどすぎるんで適当肝硬変とか書いちゃったゴメンネ

なんで相手に不満を直接言わないかっていうと

その不満の元になる言動をやってしまった時点で、自分の中でそいつに幻滅したので手遅れだから

ミスならまあいいけれど故意にやってる事なら手遅れ。それを指摘して直してもらった所で根本的な部分は変わらない。

そういう事をやっちゃう人間性そのもの軽蔑しているか無駄に注意なんかしないの。

2015-02-28

これで自分は正しいんです、だそうです

極めて陰険ですなー

類は友を呼ぶのでしょうか

近くにいれば間違いなく軽蔑するタイプ人間ですね

2015-02-10

ヘイトスピーチ国益を損なう売国行為

日本人はこんなに野蛮で下品ですって、世界に向けてアピールして何の得があるの?

日本国際的評価を下げてるだけじゃん。

日本人ヘイトスピーチを見て一番喜んでるのって、中韓反日家達だよ。

「ほら見ろ!俺の言った通り、日本人てのはろくでもない連中だろ?」

中韓日本に対するヘイトスピーチは放っておくのかって?

もちろん放っておくよ。

敵失は放っておいた方が得なんだから

もちろん日本に対するデマは訂正しなきゃいけない。

でも、喧嘩腰になる必要はない。

淡々と「そこ間違ってますよ」と指摘すればいいだけ。

ヘイトスピーチを繰り返す野蛮な中韓と、それを軽くあしらう大人な日本

これが理想の構図。

日本人韓国人が口汚く罵り合ってるのが、世界からどう見られてるか知ってるか?

日本韓国ってどっちもどっちなんだな」だよ。

なんで自分軽蔑している相手と同じ土俵下りていくんだよ。

韓国を貶したいなら、北朝鮮移住するのがいいんじゃないかな。

あそこなら韓国を貶すことが推奨されてるから

たとえばテロ組織の処刑動画なんかを

エンターテイメント扱いして観る人を心の底から軽蔑している

でもネット上にもリアルでもそういう人を多くみかける

信じられない

というか頭おかしいんじゃないの?こういう言い方嫌いだがマジで親の顔がみてみたい

厨二病もいいところだ

グロ画像みちゃったwwとかこれぐらいでグロ扱い?wwwとかドヤ顔で喜んでんじゃねーよ

そこに写ってるのは殺す側も殺される側もお前とおなじ人間

そんなに刺激がほしけりゃホラー映画でも見てろこの人でなし!

2015-01-25

友達の多い人は

気づけば、その人をよく見極めてから友達になろうとしている自分がいる

それまでは街ですれ違う知らない誰かよりは親しい程度にしか思っていない

これは本当に良くないので、気をつけているが、気を抜くとそんなのばかりだ

最近、それに加えてもうひとつ嫌な癖があることがわかった

例えば、私が心から軽蔑しているもの、例えば差別主義などを内面化している人

そういう人は内心どうしても距離をとってしまい、ダメ

普段感じが良いのだからそれに合わせていればいいのにと思う

でもできない

そんなことをしているか友達を作るのが恐ろしく苦手だし、当然友達は少ない

友達の多い人はそういうことを気にならないのだろうなあと思う

2014-12-30

ロリコンの人に質問です

はてなにはとってもロリコンロリコン擁護の人が多いようなので質問させてください。

よく同性愛ロリコンも本人の性的嗜好問題なんだということで

自分の中だけで楽しむ分にはいいけど公然場所では表現してはいけません

みたいなお説教をしている方をみかけます

そこで実際にロリコンを自認する方とかに聞いてみたいのですが

ある日突然「自分ロリコンかもしれない!」と自覚をしたとき

自分は異常者なのだから指向を簡単に誰かに話してはいけない」

「本当の自分の性指向を話したら今の親友家族たちに嫌われ軽蔑されるかもしれない」

「どこかに自分と同じ性指向の人はいるかもしれない。そこでしか受け入れられないかもしれない」

というような青年期の自我アイデンティティの危機を感じたことってあるんでしょうか?

そんでそういう自我の危機を乗り越えて自分の気持ちを押し殺して社会に適合する恋愛のふりをしたり

結婚して子供もったりしたりするもんなんでしょうか?


同性愛ロリコンも堂々と言ってるの見るの不愉快から見えないところでひっそりやってろ!

かいう人たちって、それまでひた隠しにしてきた自分の性指向の重さとかそういうの

考えたことないですよね?ないからそう言えるんですよね?

同性愛の人がどういう気持ちで公表したり、わざわざ結婚式を公開したりするかってこと

わかってないんだよね。クソ、しね。

2014-12-07

便器について、話をしよう。

俺はかつて和式派だった。肛門を拭きやすかったからだ。こと肛門へのアクセスに関しては、和式の方が洋式よりも分がある。行為時の体勢は若干ツラいが、総合的には和式、という判断だった。

しか現在の俺は、圧倒的な洋式派になってしまった。理由は、ウォシュレットだ。肛門を素早く清潔にできる。紙で拭く回数が減り、肛門へのダメージも激減する。腹の調子が悪いときなど、大変ありがたい。暖房便座もかなり寄与しているが、何しろウォシュレット存在が大きい。ウォシュレットの登場で、洋式ブレイクスルーと呼ぶに相応しい進化を遂げたと思う。

振り返ってみれば、俺にとって「便器について考えること」は「肛門について考えること」に他ならなかった。そして、洋式という選択に一切の疑念は無く、和式を徹底的に避け、ウォシュレット付きのトイレがない公共施設軽蔑すらしていた。

しかし。今朝、こんなことがあった。

俺はサーバーの日次点検をしていた。バックアップ用のDATを交換し、H/Wアラートの発生有無を確認する。まぁ退屈な仕事だ。3本目のDATを交換している最中、俺は強い便意に襲われた。作業はまだ途中だった。しかしこれは無理だ、トイレに行くしかない。俺は作業を中断してトイレに向かうことにした。便利なことに、サーバー室を出た目の前にトイレはある。ここなら速やかに事を済ますことができるだろう。

だが、ひとつ問題があった。便器だ。このトイレには和式しかないのだ。

少し歩けば、洋式ウォシュレットトイレがある。もはや骨の髄まで洋式である俺としては、足を伸ばしたいところだ。しかし今回は事情が違った。事は急を要している。便意は俺から選択肢を奪った。やむを得ず、俺はサーバー室前のトイレに向かった。

少し早足でトイレに入った俺は、「和式」のプレートがついた扉を開け、いそいそとズボンを降ろし、腰を下げた。いつもより近いタイル地の床と、そこから伝わってくる冷気。忌避感と屈辱感が頭をよぎった。

次の瞬間。ずぅるりっ、という感触とともに、一気に便が排出された。押し出された、という表現が正しいかもしれない。まさに一瞬だった。

俺は首をがくりともたげて、目を閉じた。便意からの開放感で、頭の中は真っ白になった。ふぅ。自然と溜息が漏れた。しかし、すぐさま忌まわしい感情が湧いてきた。そうだ、これからウォシュレットなしで、トイレットペーパーだけで肛門を拭かねばならないのだ。

トイレットペーパーに手を伸ばし、カラカラと引き出す。この作業を、繰り返し行わなければならない。そしてその度に、拭き残しを確認しなければならない。自分がいかに汚れているのか、自分に知らしめる作業だ。なんて原始的で、合理性のない、恥辱的な作業なんだろう。そんな思いを巡らせながら、手にとったトイレットペーパーを尻にあてがおうと、腰を少し浮かした。そのときだ。便器の中に転がっている糞を見て、俺は驚愕した。

デカい。

これはデカい。なんだこれは。長さにして、30cmをゆうに超えている。指先から肘にかけて程の長さだ。しかも、よく見るとアルファベット「J」のように途中から折り返している。全長は40cmに及ぶのではないか。思い返せば、確かに今回の便意は強く、腹の中に大量の糞が待ち構えていることは予感していた。しかし流石にこのサイズ想定外だ。俺は息を飲んだ。

そう、これが和式便器なのだ和式の強み、それは「自然な糞の射出を阻害しないこと」そして「射出された糞の観察が容易であること」だ。便器について考えること、それは、肛門について考えること、だけではなかった。俺は忘れていたのだ。糞と向き合うことを。

肛門を拭き終えた俺は、レバーを引き、糞の消えた便器を確認してからトイレの扉を開いた。やり遂げた、そして見届けた。洋式では得られない、懐かしい充足感で満たされていた。軽い足取りでサーバー室へと戻った俺は、晴れやかな気持ちで作業を再開した。肛門に軽いヒリつきを感じながら。ほんの少し、拭き残しへの不安を胸に抱きながら。

俺は、ウォシュレットによって清潔とスピード、そして安心を得ている。しかし、代わりに失うものもある。再び便意が訪れたとき、俺はどうするだろうか。きっと、ウォシュレット付きの洋式を選ぶだろう。便利だからだ。そしてウォシュレットで尻を洗い流し、ろくに糞の確認もせず、さっさと流してしまうだろう。感慨も何もない。残るのは空っぽの便器だけだ。

何かを捨てて、何かを得る。俺は便器を選択しているのだ。

2014-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20141203143700

嘘をつくなよ、「軽蔑するだけ」じゃないだろ。

「相手が黙るまで増田粘着し続けてやる」だろ。

他人自身の行動の自覚を迫るくせに、自分自身の行動を自覚してないんだな。

2014-11-29

人月アドベントカレンダのご提案

受託開発やSIer、そこで採られる人月での見積契約スタートアップWeb系・ベンチャーな方々から軽蔑されがちです。

けれど社会インフラ企業の基幹を担うこともある重要システムでは残念ながらこれらの手法をとらざるを得ないのが現状となっています

これを打破するイノベイティブでエポックメイキングパラダイムシフトな変革は期待されていますが、文化や慣習、人手不足レガシーコードはなかなかそれを許してくれません。やり玉にされがちなSIerスタンスだけに帰せる問題ではないのです。


そんな状況でもわれわれSE社会繁栄のために、愛する(現在の/未来の)家族のために、そしてご飯を食べていくために働く必要があります

しかし、この業界で難しいのは流動性が高い割にキャリア形成が難しいこと、自分精神的・肉体的な健康を損ないやすいという問題があることで、苦労されている方も多いかと思います

そして働く人が多いにもかかわらず、会社システムプロジェクト固有の用語や知識が多いことやセキュリティポリシー抵触するか微妙なこともあってかなかなかノウハウや知見が共有されていないように感じています。一方で個々のプロジェクトに埋没している問題が共有されていないことへの懸念もあります

今回は、これを打破するためにアドベントカレンダという不思議文化に乗ってみなさまがこれまで得てきたノウハウドキュメント化していただけないかというご提案になりますノウハウの共有は日本ソフトウェア開発文化の発展に、問題の共有は社会発注企業元請け上層部含む)への啓発につながればと期待しており、なにより自分がみなさまの環境に興味を持っています

ぜひ、書いてみませんか?

トラックバックブクマを送っていただければここにリンクを貼っていきます増田でも可ですし、重複・フライングも気にしません。

また、ご質問・ご不明な点があれば可能な限り回答いたします。

期待するタイトル例(もちろん全然違ってもかまいません)

2014-11-22

アントニオ女々

結局アイツは最後まで他人のせいにしたまま消えていったな。

自分の事を理解してくれない周りが悪いって。

これから自分の言動を棚に上げて、失敗を他人のせいにしてヒステリックに喚き散らすんだろうな。

ほんとメンヘラって糞だわ。

心底軽蔑してる。

2014-11-20

コミュ障の私とコミュ障の後輩さん

物心ついた頃から私は人間関係を築くのが下手だった。

いじめられたり浮いたり空気だったり、時にはコミュ障同士で楽しくやったりしながら大人になった。

働き初めてから転機が訪れた。

職場には今まで私の周りにはいなかったコミュ力高い人が大勢いて、私のお手本になってくれた。

仕事を覚えたことで自信がつき、おどおどしなくなった。

今まで興味のなかったことにも目を向けられるようになると、年齢や趣味の違う人とも会話できるようになった。

本当に周りの人に恵まれていたと思う。

コミュ障時代の私とも付き合ってくれてたみなさんありがとう

そして職場に新しく人が入ってきて、私は先輩になった。

後輩さんはコミュ障だった。

人と目を合わせない、挨拶もちゃんとできない、笑顔を作れない、注意されたらはいと言うけど直さない、声が小さくてなんて言ってるかわからない…etc.

あんまりひどいので業務に支障が出るレベルで、ちゃんとやるか辞めるかして欲しいという要望もでるくらいだった。

数年前まで自分コミュ障だった私としては、かわいそうだったしなんとかしてあげたかった。

「こういう時はこんな風に言うとわかってもらいやすいよ」

「そういうやり方だと待ってる人を無視してるみたいに見えるから、少々お待ちくださいって一声かけてあげてね」

「上の人が来たら、ちょっと顔出して挨拶してね」

「そういう時無表情やと怒ってるみたいに見えるよ。少しでも笑顔作ってね」

「わからない時はわからなくていいから、わからないってはっきり言ってね」

私は後輩さんに、可能な限り優しく、具体的に言い続けた。

後輩さんの態度はだいぶましになり、辞めろと言う人はいなくなった。

めでたしめでたし。なんだけど。

もう、なんか、後輩さんのことをどうでもいいと思う私がいる。

フォローに走り回る私に、お礼の一言を言ってくれたこともない。

わかってる。そんなん言えるくらいならコミュ障じゃないよね。

でも、もう私の正義感燃え尽きた。

常に受け身で、優しくしてもらえるのを待ってるだけの態度の彼に対する軽蔑が抑えられない。

もちろんいじめるつもりは無いし、表面的な態度は変えない。

でも、今まで嫌いだと思ってたいじめっこが自分の中にも住んでいることを発見し、正直やりきれない気持ちだ。

後輩さんは、人をイライラさせるのが上手すぎる。

いじめっこにならないでいるためには忍耐力が必要になってしまうのだ。

(もちろん、忍耐せずに素直にいじめてる人もいた。部署替えでいなくなったけど)

コミュ障だった時代に、サイテーだと思ったタイプの人にはなりたくない。

私は過去自分を裏切らないためにも今日表情筋を鍛える。

笑顔でいるべき時には常に笑顔が作れるように。

2014-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20141111182522

いい歳して和民で飲みたい男の人って。しかも割り勘って。

和民って相手が二十代でも、それなりの人なら軽蔑モノだよ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん