はてなキーワード: 移転とは
ブコメで誰だったか「光回線はNTTとの直接契約ではなく代理店経由の人が大半らしい。直接契約で工事の人に驚かれた」と書いていた人がいた。
自分も長らくNTT直接契約で自分好みのプロバイダーを個別で契約、引っ越しも移転手続きでしていたので、そんな無駄なオプションだらけのとこどうして契約するんだ、と不思議に思った。
この度10年以上ぶりに光回線を新規契約する必要があり、同じように直接契約をするつもりでいたが思わぬ罠に引っかかった。
NTTのサイトをブックマークに入れているなんて人はいないだろうから、光回線を新規契約するならGoogleで「NTT フレッツ」とか検索することになると思う。
https://flets-hikari.com/east/
NTT フレッツ
「株式会社メディアサービス <NTT東日本・NTT西日本販売代理店」</p>
どのページにも共通しているのはNTTオフィシャルっぽい雰囲気のロゴやフォントを多用していること。
「FLET'S光」のロゴがこれでもかというぐらいちりばめられていて、無意識にNTTの公式サービスサイトだと思い込んでしまいそう。実際自分は思い込んでしまった。無意識こわい
スポンサーだからクリックしない人もいるだろうが、企業サイトはスポンサー欄も含め最上段に出てきがちなので、分かりきってる(と思い込んでいる)サイトを探す場合はついクリックしちゃう(みずほ銀行のサイトを見たいときとか)
どの代理店にも共通しているのが、簡単な個人情報を入力させてそのあと営業担当から電話がかかってくる方式なところ。
なお、この時点ではこれが契約申し込み電話であり、営業電話であるという認識は客側にはない。
ネット申し込みできそうな動線でも、最後は必ず代理店からの電話がかかってくる流れに組まれている。
客は、新規申し込みする側なのに電話代負担で掛けてきて面倒見てくれるなんてNTTは親切やなあとかこのとき感じてる。
最初に違和感を覚えたのが、プロバイダは必ず抱き合わせで契約してくれ、と言われたときだった。
いやいや、今まで個別に契約してたし、お兄さんは俺のNTTの契約だけ進めてくれたらいいんだよ、と言うと「最近解約された方はすぐには再契約できないので、パッケージプランのドコモ光をご案内しております」と言われた。
今思うと嘘っぱちにもほどがあるんだが、その時はそういうものかと話を進めてしまった。その後工事日程の打ち合わせでこちらがドコモ回線から電話かけなきゃいけない展開になって、怪しいと感じていたのもあり電話かけずにバックレた。
一度目から少し経って、もう一度Googleで出てきた窓口に申し込み、翌朝9時15分に着信があった。
休みで爆寝してたので驚いた声で出ると、なぜか気遣われて「お時間あらためましょうか」とたいそう丁寧な口調で言われた。
昼以降にしてくれと頼み二度寝したあと、だんだんとからくりに気づいてきた。
もしかして、と思って閲覧した申し込みサイトを見たらすべてが上記の通り代理店だった。
その後昼過ぎにかかってきたので
「私が申し込んだのって、NTTの窓口ではなく代理店でしたか?ということはNTTと直接の契約の窓口ではない、できないということですよね?」
と率直に質問したところ、
「はい、その通りです。NTTのカスタマーサポートへご連絡ください。失礼します~~はい~~はい~~失礼します~~~」
と切られてしまった。
別に代理店商売があるのは全然いいと思うんだけど、終始NTTの顔をしながら契約をすすめるのって悪じゃない?
最初で挙げたブクマカの「ほとんどの人が代理店契約」ってのが事実なら、そのうちどれだけの人が自分はNTT以外と契約したと認識してるんだろうね。
上から2番目について。
マイカルやダイエーが立ち行かなくなったたのは知ってると思うけど、マイカルもダイエーも駅前などに多層階のビルを建て、そこに食品のほか衣料や生活雑貨、場所によっては家電を加えてワンストアで済むように作った店が多かった。でも平成になってロードサイドの専門店、たとえばユニクロやしまむら、洋服の青山あたりの専門店がカジュアル衣料やスーツなどの顧客を奪うようになり、くわえてヤマダやケーズのような家電量販店が家電の顧客を奪いはじめた。特にダイエーは家電販売では有数の存在だったんだけど、価格競争についていけずあれよあれよと傾いていった。一言で云えばダイエーやマイカルは専門店に勝てなかった。それが90年代後半から2005年くらいまで。
ヨーカドーは創業者がうるさい人で財務体質がよく同時にロードサイドの専門店が攻めにくい首都圏の肥沃な市場を押さえてて、イオンは創業家が「大黒柱に柱をつけろ」と店の閉鎖と移転を厭わない家風で号令をかけて地方の競争の少ないところにバカでかいSCを作っててそこにテナントを入れ賃料収入があった。ので専門店の攻勢を受けても自社の店の売り場を再構築する余資があってマイカルやダイエーとは違う道を行くことが出来て、ヨーカドーは赤ちゃん本舗やロフトを自陣営に引き込み、イオンはウエルシアを拡大できた。
増田のいう中型スーパーというのがイマイチよくわかんないんだけど、食品にいくらかの生活雑貨と肌着などの実用衣料を売ってる店を指すのだとしたら、ヤマダやユニクロなどの専門店に勝てない分野を削ぎ落したらああなったにすぎない。
食品は日銭が入るからどこも強化したい。問屋に対してはやはり規模がデカいと値引きしてくれるから、和歌山地盤のオークワが名古屋の名鉄パレを買ったり、新潟の原信ナルスが群馬のフレッセイと統合したりしている。この流れはしばらく続くと思う。
「東京だけずるい!地方都市に儲けをまわせ」っていう話は分からなくないけど、地方の中でも「県庁所在地だけずるい!No2-3の町にも儲けをまわせ」という話が会った時に、そんなん不可能だろっていう気がしない?
都市の発展の優劣が変わるのって、歴史的に大きな変革や交通手段の激変、大災害があったときくらいだから、首都機能の一部を地方に移転したって、立場が逆転するようなことはまずないと思うな
搾取されることには敏感なくせして自分が搾取する側になることに対しては極めて鈍感な連中がネットには溢れ返っているからね。
実際のところ、創業家は大株主だから美術品の所有は移転せずに運営主体を創業家による財団法人にでもするだけで話は変わる。
貴重なコレクションを散逸させずに展示しつつ赤字を垂れ流さないというだけで名目は立つし、コレクションの一部は創業家が相応の金額でDICから買い取れば資産の問題もある程度切り抜けられる。
そうしないのは、創業家が企業に対するガバナンスを持たずに私物化する形で赤字をDICに押し付けていたというのが真相だろう。
それは突き詰めて見れば株主のみならず従業員に対する搾取を行っていたということ。
1. 経済主体の集合は E = {1, 2, ..., n} である。
2. 財の集合は G = {1, 2, ..., m} である。
3. 消費集合は Xᵢ ⊆ ℝᵐ₊ for i ∈ E である。
4. 選好関係は ≽ᵢ on Xᵢ for i ∈ E である。
max{xᵢ∈Xᵢ} uᵢ(xᵢ) subject to p · xᵢ ≤ wᵢ
ここで、uᵢ: Xᵢ → ℝ は効用関数、p ∈ ℝᵐ₊ は価格ベクトル、wᵢ は初期賦存量である。
max{y∈Y} p · y
一般均衡は以下の条件を満たす配分 (x*, y*) と価格ベクトル p* の組である。
1. xᵢ* ∈ arg max{xᵢ∈Xᵢ} {uᵢ(xᵢ) : p* · xᵢ ≤ wᵢ} for all i ∈ E
3. Σ{i∈E} xᵢ* = Σ{i∈E} wᵢ + y*
利潤関数を π(p, w) とすると、
∂π(p, w)/∂pⱼ = yⱼ(p, w)
ΔPS = ∫{p₀}^{p₁} y(p, w) dp
max{x,y,t} W(u₁(x₁), ..., uₙ(xₙ))
subject to:
1. Σ{i∈E} xᵢ = Σ{i∈E} wᵢ + y
2. y ∈ Y
3. xᵢ ∈ arg max{xᵢ∈Xᵢ} {uᵢ(xᵢ) : p · xᵢ ≤ wᵢ + tᵢ} for all i ∈ E
4. Σ{i∈E} tᵢ = 0 (予算均衡条件)
と言う性質がある。
取次も新規出店支援をちゃんとやっていて、こう言う当たり前の戦略をとっているんだけど、書店というのは個性豊かで、文化の拠点で、生き残り戦略は作者を招いてイベントを開いて、と言うキラキラな人たちには受けが悪い。
なのでれいわに入れましょうね〜
国債発行の話抜いても、現在は消費税上がった分法人税下げてるので、彼らの消費税下げて法人税あげろっていうの主張だけでも正当性あるんだよね
よくそんなことしたら日本企業が外に逃げるみたいな反論あるんだけど、タックスヘイブンのことを言ってるの?それとも国内市場捨てて本社機能を国外に移転し海外のみで商売するようになると言ってるの?
れいわがその点調査したら、企業が海外に出たいのは法人税うんぬんではなく国内市場が細ってるからなので、消費税減税で国内の個人消費を刺激すればそこまでしなくていいと主張してるんだがね。
そもそもニップ企業が海外でうまくやっていけるとは思えないんだよね。なのでどうせ国内に留まるでしょう。
タックスヘイブンは問題なので、租税回避した企業は国内株式市場から締め出すみたいなペナルティ課せばいいんじゃねw株価?知らね。自己責任で始めた事でしょ?空売りすれば?
そもそも租税回避は企業目線で言うなら今の時点でもやってた方が得なので、それなのにやってないってことは何かあるんだろうとは思うけどね。市場締め出しはまあ置いといて、タックスヘイブン対策税制を強化させればいい
消費税は引退高齢者から着実に金が取れる数少ないシステムなので。所得は引退によって大幅に減ってしまうし、資産課税や相続税は保有量や税金対策の影響を大きく受ける。だから、年金が制度設計された頃より平均寿命が伸びているような現在、高齢者からしっかり徴収できる消費税はクソどころかすごく大切なものなんだよ。そうやって再分配を行う。問題とされる逆進性だって、一つの税でどうこう言っても仕方がなく、他の税やセーフティーネットなどの支出を含めて全体で考えるべきものだしさ。
(追記)
https://anond.hatelabo.jp/20240819231207
資産課税は死荷重が大きいから、労働所得は少ないが資産的に富裕な高齢者から大きく金を取る方法がこれくらいしかないんだよな。
そうそれそれ。高給取りと低賃金労働者の差は毎年毎年積み上がっていくものなんで引退した頃に貧富の格差は一番大きくなっていて、意味のある再分配をしたければどうしても金のある引退高齢者から取る必要がある。そして、取るとなったらその税金ができるだけ納税者の行動を変えない、どうしても変えることになっても特定の品目に影響が集中せず購買バスケットを1から組み直して幅広い品目がちょっとずつ影響を受けるようなものにしないと、資源配分が歪んで取れた税金の少なさの割に社会厚生が大きく悪化してしまうことになる。そういう点で金融資産課税にせよ不動産課税にせよ特定のところに影響が集中しやすいあまり性質のよくない税だから、再分配の軸となるほどの大きなものにはできないわけで、消費税はかなり重要となってくるわけよ。
年金という超巨大な所得移転システムがあるからそれを調整するという目的にも、やはり年金と逆方向の引退高齢者から取る仕組みがあるといいしね。
であることは意外と知られていない。
スーパーゴールを決めた谷川萌々子選手は、名古屋グランパスの小学生クラブチームに入って男子小学生と一緒にサッカーやっていたことはあちこちで報道された。
その後。
グランパスは女子チームを有していないため、谷川選手は中学以降何処でサッカーを続けるかが課題となった。愛知県内にはめぼしい学校やクラブが無く、続けるなら静岡県に行かなければならなかった。また、出来れば部活動ではなくクラブチームにしたかった。女子の部活動だといろいろ制約が多いからだ
そこで出て来たのが、当時「フクシマ」の影響で御殿場に一時移転していたJFAアカデミー福島。谷川選手はそこのセレクションを受け見事合格。進学先も「福島県立ふたば未来学園の三島校舎」という、これもフクシマの副産物の学校を確保してお引越し。
フクシマの副産物に入った谷川選手は才能を潰されることなく伸ばされ続け、世代別代表でも活躍し、五輪でも成果を出した。
谷川選手の才能は異質だった。もしフクシマが起きてなかったら、あの場所に原発がなかったら、谷川選手はJFAアカデミーに進む選択肢を選べず、中学時代に潰されていた可能性が極めて高い。
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學 Permalink | 記事への反応(13) | 17:44
誰もが年を取るから、年金制度は重要で改変するべきではないと主張をする人がいる。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/afc7fac67c5e9a7cf41f0c1096096c5851c25872
未婚の男女、50歳以上の死亡年齢中央値を比較すると、男性は68.5歳、女性は84.2歳で、生存期間は15.7歳異なっている。(2015年-2019年のデータ)
年齢別一人当たり医療費は、65-69歳で47.2万円、70-74歳で60.2万円、75-79歳で78.3万円、80-84歳で93.5万円である。
年金は65歳で受け取るとして、国民年金が66000円/年、厚生年金が168000円/念ということになって、1年あたりだいたい250万円くらい得をする。
寿命の差分の15年で受給できる年金や医療費は大まかに数えて4000万円になる。
この統計が、2020年時点で生涯未婚率が28.25%と、2010年にくらべて1.5倍になった現代に適応できるかは疑問が残るけれど
町中にシールを貼る程度の事を、築地市場移転問題と同等にギャーギャー騒ぐヤツって
本当に彼女とか居なさそうだし、ベッドで「イヤン、恥ずかしい」を真に受けて、マジで自分だけ服着て帰りそうだよな
歳だけ若いから、若者文化への理解がなくてダメージジーンズや腰パンを批判して
ニューバランスのハイテクスニーカーを「実用的」とか言って大切にしてそうだし、Tシャツもズボンの裾に入れてそう
だいたい、南京大虐殺や慰安婦の大罪から脈々と続く日本政権を批判するとゆう大義に対して
電柱のシール! シール! シール程度でここまで顔真っ赤にするのは、もう図星って事じゃないんですかあ?
こんな奴らがcolaboや黒人を差別して、汚染水で中国の人たちを苦しめてるのかと思うと
暗澹たる気持ちになるわ…第二次世界大戦大戦時の併合国への保障が、歴史上一度も無いのは驚くべき事だ