はてなキーワード: 眼差しとは
中原:僕も80年代、中学生時代から高校生ぐらいまで8mmを回して映画をつくったりしていました。適当に物を投げたりして。全部フィルムは捨てちゃいましたけど。見せたかったなぁ、面白いのがあったんですけどね。最初に中学生の時作ったのは、本当に友達がいじめられてるところを撮って、あとはフィクションで、逃げ出して車にはねられて死ぬだけの映画。
中原昌也
@masayanakahara
友人としてガッカリ…人として嫌いとか、そういうことではないけれど…もう友達はやめよう。ってオレの友達やってるより、オリンピックなんぞに関わったほうが金儲かるのは確かなんだろうけどさ…などと落ち込むのは、このくらいで。この先に目を向けなきゃね(溜息)
https://twitter.com/masayanakahara/status/1415448048008712193
いじめを肯定する気なんてないけど、いじめに参加しないと自分がいじめられていた。いまならいじめるヤツらを虐殺するだろうけど、子供のときはそんな考えに至らない。ダメな人間を見つけて徹底してこき下ろすのがこの国の学校教育ってもの。関係なく偉そうに過去を断罪できる連中は幸せなもんだね!
https://twitter.com/masayanakahara/status/1416181911429521418
誰の擁護もしていないし(しているといえば自分)、そもそも自分がいじめる側いじられる側の体験も想像力もなし。ギャーギャー言ってるだけの輩はほんっと、お気楽なものね。
https://twitter.com/masayanakahara/status/1416222948369731584
いじめを肯定してないと、最初に言った通りで、自分は「いじめられる」側でも「いじめてる」側でもあったし、とはいえ当時の自分が当事者の自分が相手に謝る以外意味はないし、今現在の自分が誰に謝ったってあんまり意味があると思えない…それよりもオリンピックの開催を中止に!
https://twitter.com/masayanakahara/status/1416232933245939715
幼い思考のうちに「いじめる」側か「いじめられる」側かの岐路に立ったことない人間に、倫理の問題だけで善悪だけで偉そうに言われてもね!そりぁ「いじめる」が悪いに決まってる。それよりもいまはオリンピック阻止が重要。
https://twitter.com/masayanakahara/status/1416469869772431360
このほかにも「小山田圭吾の過去の発言にこびりついてた人たち。そのしつこさや厳しい眼差しを、どうかあなたの国の政治家たちに向けてください。」や「おれは偏見が甚だしいので、体育会系のヤツらなんかもっと酷いことさんざやってきてんだろー、オリンピックなんてアイツらの祭典だろーぐらいは思ってる。」や「「いじめた」側を糾弾し、絶対に許されるべきでない、という話を見るたびに、心を掠めるのは、「果たして、自分がそちら側になったことは、一切なかったのだろうか」という恐ろしい疑問。」といった、今回議題になっている暴行の希釈化、無効化をはかるような意図をもったようにも読めるツイートを複数リツイートしている。
でも「ちょっとした刺激でチンコが目立って恥をかく。女は欲情が表にでないだけで傲慢だ!」っていう逆の見地を一番最初に世の中に出したの竹宮恵子の1980年代の作品やで
高橋留美子だって両性の眼差しをうまく表現できる(女っぽい男性も、男っぽい女性も)
あそこまで共感能力ある化け物がバカスカでていた70年代組がいて男のほうがなぜやらなかった?っていわれると、
やっぱり基礎的になんかが足りてなかったんやろなぁと
二次的にはバトル漫画=金という環境しか用意されてなかったせいかもしれんけど
そのあと和田慎二だの魔夜峰央もでたけど男は読まなかったんかなぁ
立原あゆみ(男性)の「麦ちゃんのウィタセクスアリス」もあったわなー
今も大島薫もいるもちぎもいる
班長お疲れさま。周りの子たちの理解がない態度が悲しいね。私も独り言のように書かせて欲しい。
子供の頃は優等生タイプで物わかりも良かったので、障害学級に通う男の子と机を並べたり、ペアになったりすることがあった。物静かな相手だったし、嫌ではなかった。たぶん小学二年生のとき、風船にひまわりの種とお手紙をつけて飛ばすという行事があって、文章が上手くかけないその雄作くんの代わりに私が手紙を代筆して用意した。校庭に全員が揃って風船を飛ばした。極稀に風船がどこかにたどり着いて、返事が返ってくることがあった。そんな児童はクラスに1人か2人くらいで、それは鼻高々だった。そしてうちのクラスでは、かの雄作くんに3つ離れた市のおばあちゃんからお返事が届いた。クラスは一瞬沸いたあと、どうしよう…?という雰囲気になったのだと思う。私がまた返事を書き、以降、下島セツさんと私は10年近く文通をすることになった。
セツさんとお手紙をやり取りするのは楽しかった。先生でも親でもない大人の友達がいるのは面白かったし、いつも丁寧な文字で私のことをめいいっぱい褒めてくれた。けれど、この文通は本当は雄作くんが楽しむはずだった、という受け止めきれない思いがずっとあった。今でもある。私が雄作くんのお世話をすればするほど、先生も雄作くんの親御さんも私の親も、みんな立派だと褒めてくれて気持ちよかったけど、雄作くんはどうだったんだろう。私が良い人になるための道具みたいに、なってはいなかっただろうか。私ばっかりいい思いをさせてもらったような、居心地の悪さがついぞ消えない。
それに中学に進んでから、すっかり雄作くんみたいな子を表で見ることがなくなってしまった。元気にしているのだろうか。ご家族ともども、楽しい時間が人生の中にある日々だろうか。多様な人の暮らしに思いを馳せたくても、目に映らないからつい忘れて居ないように感じてしまう。あの日々、私は雄作くんの友達になれていただろうか。
消えた友達なら、正美ちゃんもいた。親同士が仲良くしていた一家の末娘で、出産時の事故で脳障害を負ってしまったという。意思の表明が難しく、楽しんでいるのか、嫌なのかも、私には常によくわからなかった。あまり上手く立てなかった気もする。ただ、とびきり綺麗だった。10歳近くになっても幼子のあどけない眼差しが残っていて、野山を駆け回っていた私とは比べものにならないくらい肌が白かった。故に、ちょっと大きいお人形さんみたいだと感じていた。お姉ちゃんと私が同い年ということもあり、学区は違えど休みの日にはしょっちゅう行き来して遊んだ。
ある日、大きなワゴン車1台に乗り合い、正美ちゃん一家と我が家は合同でお出かけした。私は助手席の後ろに座っていて、ふとバックミラーを見ると、薄暗い最後部に座る正美ちゃんがさっき買った油揚げをムシャムシャと食べていた。大人たちは仕方ないねえなんて笑っていたが、妖怪のように勢いよく食べる様子は冷や汗を感じるほど怖かった。あの日から接し方が分からなくなったのだと思う。もしかしたら、正美ちゃんがうちの家族じゃなくて良かったなどと不埒な思いが、頭をよぎったのかもしれない。それまで、お友達という存在は増えることはあっても減ることはなかった。私は正美ちゃん一家の消息を知らない。あんなに日々を共に過ごしたのに、いつしかいなくなってしまった。
もう一人、記憶に残っている子がいる。小松くんと言って、白いハツカネズミみたいな印象の男の子だった。こっちは普通学級にいたけど、おそらく今ではボーダーと言われるようなタイプで、問題児だった。座っていられない、話を聞けない、加減がわからない、善悪が分からない。優等生の私からするとエイリアンみたいだった。笑い顔が怖かったし、なんだか不潔な感じもした。なるべく関わらないようにしよう、私はああいう感じではないし、と軽蔑の気持ちがあったことは間違いない。天は人の上に人を造らず、みたいなお題目はさておき、クラスにはカーストがあることをじんわり感じ取り始めた小学校高学年の頃だったと思う。
当時、中学受験に挑戦する予定だった私は、学校のテストなんて勉強無しで受けて10分以内にすべて回答して95点〜満点をとることが当然だった。(特例で、終わったら図書館に行っていいことにすらなっていた。)特に国語は大得意だった、はずなのに、ある日のテストで1問解けない漢字問題があった。それはもう焦った。今までケアレスミスで失点することはあっても、解答欄を埋められないなんていう事態はなかった。悔しいことに、悩む時間はたっぷり残されていて、私はもんもんとその空白を眺めていた。ふと周囲を見渡すと、隣の席の小松くんが目配せをして、もぞもぞ体を動かしてくれた。何をやっているんだろう?と一瞬考え、すぐに私が彼の回答をカンニングしやすいように見せてくれていることに気がついて頭がカッとなった。私の埋められない例の一文、彼は埋めていた。
その答えを写したか、頑なに知らんぷりをしたか、どうしても思い出せない。モヤがかかったように思い出すことができない。私はもしかしたらカンニングをしたのかもしれない。でも記憶の端っこは、格下だと自分でカテゴライズした人に優しくされたときに沸き起こった、恥ずかしいような情けないような悔しいような、ドッと押し寄せた表に出せない感情で終わっている。自分の中に人様を格付けした卑しさを自覚し、またそんな存在が優しい気持ちを持っていることに驚き、さらに憐れまれたことを悔しく思い、そう悔しく思う自身の下卑さをまた思い、ぐるぐるとパニックになったのだろう。
やがて大人になり、権利を主張することも、自分の言い分がいかに正しいかを当たり障りなく主張する口技も、日頃から誠実そうに振る舞ってここぞのときに有利な立場を得る処世術も、覚えた。それで日々をなんとか乗りこなしているし、厄介事も避けて生きている。
けれどどうして、思い出が胸に蘇る日がある。誰かと誰かがせんなく争っていたり、白黒をつけたがっていたり、ジャッジメントを求められたり。人は助け合って生きていくのよと教わった日々から遠く離れて、誰かを助け、誰かに助けられることを受け入れられる大人になれただろうかと考えてしまう。人に上下はなく社会的な有利不利しかないという事実を自分が常に弁えていられているのか、思い出すたびに突きつけられて泣きたくなってしまう。
都議選はそこそこ支持を集めるかもしれない。
しかし、オリンピックの楽しさを充分に味わった国民から、そして未来の日本国民から、日本共産党は、侮蔑の眼差しで睨まれることだろう。
おいおい、俺はブサヨではないぞ。むしろ、共産党の政権批判に期待を持っている者だ。
ここにきて説明しきれなくなってきたが、そもそも日本共産党がワクチンを嫌ってきたことも、やむなしと考えている。ワクチンを忌避してきたことは、弱者救済という運動論的には理解できるからだ。
だか、オリンピックを争点にした事実は何をしても消せないし、永遠に日本共産党を苦しめることになるだろう。そうとしか思えなくなってきた。
何をやってんだよ、執行部は。
あのさ、
鰻の白焼きしてるのをそのまま食べる方がなんか海原雄山さんっぽくない?
こだわってる食べ方というか、
よくさ、
塩かタレかって迷うことってあるじゃない。
店員さんに、
それこそ人生の岐路!
塩とタレどちらにしますか?って聞かれたの。
私は一瞬どちらが人気ありますか?ってすっとこどっこいな店員さんに聞かれても知らねーよ!って思われてそうな100点の返答をしそうになったけど、
これじゃ優柔不断だなって思われるのもシャクなので、
塩!って即答風の私分かってます!って顔して答えをしたのよ。
ちょっと爽やかなドヤ風を吹かせながら顎はちょっとしゃくれがちの顔のドヤ顔で言いながら
なんか塩タレ問題で困ったら塩!って答える方が美食家っぽいと私は思ってるんだけど、
本当はどちらでもいいし、
なんでもいいし、
でも鯛のお刺身をちょっと刺身の切り身の角にちょっと塩付けて食べるタイプとかまさにそうじゃない?
こだわって塩なのね!とか。
塩・タレルーレットってのを作ってお店のテーブルに置いて置いたら、
誰しもがもうこの人類が悩みに悩み続けてきた歴史の塩タレ問題を唯一解決する冴えた方法なのよ。
で、
その塩・タレルーレットは細かく円グラフが十等分されていて塩・タレ・塩・タレって交互に並んでいるんじゃなくて、
円グラフの50パーセント50パーセントの大きな正に二択とも似つかわない、
1つのマスにカチカチって止まるスリルとかもう全然無いタイプのルーレットで、
ぜんぜん塩かタレかどちらかに決まるか!?ってハラハラもしない、
もう半分の大きな円を占めているから、
回転が遅くなって、
塩かタレかのゾーン手前で勢い弱くなって、
カチッと境目を超えても勢いが弱いから
もう見るからに明らかに塩かタレかハラハラもドキドキもしないタイプのルーレットなのよ。
そんなに人生って甘くはないのよ。
べ、べつにタレにかけて甘いって言ってるわけじゃないんだかんね!
だから、
そう言った塩かタレか迷って入りシチュエーションコントなんかを見ると
女性で塩かタレか、
そしてホルモンって飲み込むタイミングが分からなーいって言ってる人とか!
その二択で迷ってる人を
私はその人生の岐路の分岐点でもある選択肢からノガレラレナイ、
あ!あそこにも居たわ!
シオカタレカ明美さんが!って
もう本当に
6月の日替わり献立表をもらいに行くのをすっかり忘れていたイエスタデー
でさ、
もらいに行ったついでの手前、
今日の日替わりなにかしら!?って日替わりをと注文決め込むつもりだったけど、
私の目の中に飛び込み前転で飛び込んできたの。
こ、これは!
6月限定のブラックペッパー石焼きチャーハンを食べねば!ってことで、
もうすっかり現役の役目を果たしたソフバンのペッパー君とは大違いなほど、
悲しくもお寿司屋さんで働いていたペッパー君はただたんに画面の端末になってしまって、
でも、
手も足も無くなっちゃったけど、
意思疎通が出来たときのペッパー君の目が青く光るあの眼差しを私は忘れはしない。
父さんがくれたあの眼差しに、
40秒で支度したことを私は忘れはしないわ。
店員さんに
塩かタレかどちらにしますか?って聞かれたの。
そこで伏線回収。
そう言うことだったのよ。
一瞬迷ったけど、
店員さんにもどちらがいいですか?って聞こうと思ったけど、
ここは私は私の確固たる意志で
塩!って言って注文したの。
ちょっと爽やかなドヤ風を吹かせながら顎はちょっとしゃくれがちの顔のドヤ顔で言いながら。
熱々に熱せられた石器に盛られた熱々チャーハンは
私がスプーンでそして頼んだ塩ダレで、
塩かタレか言ってるのに塩ダレでって言うのもややこしいけど
要は塩の味の付いた調味液体をぐるっとかけ回して入れると
その石器の中で一盛り上がりあるのよ。
ジュージュー!って
そして、
私は急いでスプーンで美味しくかき混ぜるんだけど、
石器が熱々すぎて、
底の方にこべりついたイベリコ豚の肉の具とチャーハンの米粒がいい具合に
お焦げを演出する覚えたての言葉を使いたいメイラード反応でいい香りを立たせていて
一部混ぜきれなかった分がお焦げとして完璧にその石器の中で成し遂げる役目を果たすの。
塩かタレかで迷っていて
塩・タレルーレットを回している人を見たらあれはシオカタレカ明美さんと呼んであげて欲しいってことよ。
石器時代の人はいつもああやって石器で熱々に熱してジュージューな美味しい石焼きチャーハンを食べていたんだと思うと、
思いを馳せらさずにはいられないわ。
うふふ。
クリームサワーソースがまたより一層美味しさを引き立たせている感じがしてとても美味しいわ。
国産苺も甘くて美味しいんだけど、
まったく向かないわけではないから
誤解しないでね。
甘過ぎもなく酸味があって、
私は好きナンだな。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
女王様と待ち合わせをする。
「じゃあ、ATMに行こうか」
股間が甘美に疼く。陰茎が隆起してくるのがわかる。
深夜近く。
ずらりと並んだ人気のない銀行のATMの前に女王様とふたり並んで立つ。
女王様から促され、僕はキャッシュカードを財布から取り出し、ATMに挿入する。ここから先、タッチパネルに触れるのは女王様の指だ。
女王様の指がタッチパネルの上を滑り、迷いなく4桁の暗証番号を入力していく。それを眺めながら僕は、亀頭の先からカウパーがにじみ出てくるのを感じている。
先週、プレイの前に現金を下ろすためATMに立ち寄ったときのことだ。
ふとした思いつきから僕は女王様に隣に立ってもらい、暗証番号の入力から現金の引き出しまでのすべての課程を横で見ていてもらったのだ。
ゾクゾクした。たまらなく興奮した。
女王様が僕の暗証番号を見ている。知られてしまった。暗証番号だけではない。口座に入ってる金額までも。すべてを見られてしまった。知られてしまった。
僕の陰茎はジーンズの上からでもはっきりとわかるくらいに勃起していた。
それに気づいた女王様は優しく微笑み、そして僕の耳元で囁いた。
それから一週間。
でも、僕はそれをしなかった。
僕の目の前で今、女王様はあのとき知った僕の暗証番号を入力していく。
4桁の番号は認証され、ATMの画面は引き出し金額の入力画面となる。
そして、0、0、0、0…。
興奮で頭がクラクラしはじめる。陰茎はますます硬くなり、今にもギチギチという音が聞こえてきそうなくらいだ。
あぁ、やっぱり20万円…。
だけど、それでもまだ女王様の指先はタッチパネルの上から去ろうとはしない。
女王様は焦らすように、そこから更にもうひとつの0を入力しようとする。
いや、それはいくらなんでも。やめてください。駄目です。いくらなんでもその金額は…。
言葉とは裏腹に、僕の顔は激しく上気し、恍惚の表情さえ浮かんでいる。
亀頭からにじみ出したカウパーはすでにデニムの股間部分をしとどに濡らしている。
女王様の指先が、6つめの0に触れる。
200万円。
頭が変になりそうなくらいの興奮。
暗証番号と金額を入力するのは女王様だ。でも、最後に確認ボタンを押すのは僕の役目なのだ。
指先が震える。本当に押していいのか?
女王様の表情をそっと伺うが、冷たい眼差しは「早く押しなさい」としか言ってない。
ここで拒否することは僕にはできない。僕は震える指先を確認ボタンに伸ばす。
陰茎がまたぎちぎちと音を立て、海綿体の中に流れ込んだ血流がどくどくと脈打つ。
あぁ、女王様。許してください。僕はもう。
震える指先が確認ボタンに触れたとき、興奮は最高潮に達し、僕の脳内を電流が走り抜けた。
* * *
1回の引き出しの限度額を超えていたのだ。まあ、冷静に考えれば当たり前の話だ。
その日は結局、口座から現金は引き出されることはないまま女王様と別れた。
家に帰った僕は狂ったようにオナニーをした。
おかずは、『概念』だ。
めぞん一刻では、一人旅に出た五代が響子以外の女性を相手に初体験を遂げるという筋書きを、作者の高橋留美子は考えたと聞いたことがある。結局のところ、五代は悪友に誘われてソープランドに行ったが。
当時、男性が主人公に据えられたラブコメ作品は、主人公にとってヒロインは最初で最後の女性であるという形式が主流だったと思う。しかし、めぞん一刻のヒロインである響子は、主人公以外の男性を知っているという意味では主流から外れていた。一人旅の旅先で初体験をするというアイデアも、物語の結末で最終的に結ばれる相手以外の異性を知っているという意味で、五代と響子を対等な関係にするという意図が有ったのだろう。
うる星やつらも、ヒロインのラムは主人公の諸星あたる以外の男を知っているので、この点は音無響子と同じである。しかも、おそらくラムが元彼のレイと付き合ったのは、単にレイがイケメンだった(※人間形態時)からである。その上、後から登場するテンの存在は、実際の作品上での設定はラムのイトコであるが、要するにコブ付きの結婚や男女交際のメタファーであることは想像に難くない。
絵柄がかわいいし、ほとんどの場面では虎縞ビキニ姿というセクシーな姿で描かれているから忘れがちであるが、そもそもラムは別に、男性にとっての理想的ヒロインではない。当初はヒロインとして三宅しのぶが予定されていたが、読者の反応が良かったからラムにヒロインの座が回ったという意味で言うのではない。
味覚の好みは異なるし、コブ付きだし、すぐ暴力を振るうし、元彼を選んだ理由は面食いだからだし、要するにラムは普通の、愚かな部分も併せ持つ女性なのである。これは別に悪口で言っているのではない。
うる星やつらもめぞん一刻も、そこで描かれる男女たちは均しく愚かである。現実世界の我々と変わらず、彼らは等身大の人間である。もちろんうる星やつらに登場するのは宇宙人だの幽霊だ大財閥の跡取りだの様々だが、私が言いたいことは分かってもらえるはずだ。
彼らは、人間の逃れ得ぬ本質として、欲望だって持っているし愚かだから、若さゆえに何となく見た目で相手を選んで交際に踏み切って、結果として失敗したりもする。音無響子が高校を卒業して間もなく、母校の教師だった惣一郎さんとの交際・結婚に至ったのだって、ある程度は響子の若さゆえの未熟さや愚かさに起因する暴走という側面が有ったであろうと思う。読者も大人になると、響子の父親が惣一郎さんとの結婚に反対だったことにも何となく共感できるようになる。卒業まで待ったとはいえ、教え子に手を出した形だし。しかし、人間は生きていれば色々有るものである。元カレや元カノがいたり、周囲から良く言われない交際や結婚をしたりするのも、よく有る、ありふれた話である。
話が少し逸れたが、男性作家・編集者が男性読者向けに作る作品で、ヒロインが主人公以外の男性経験が無いとか、逆に主人公が最終的に結ばれるヒロイン以外の女性を知らないように描かれることは、当時から既にウソ臭い描写になりつつあった。だからこそ高橋留美子は、ラムや音無響子のヒロイン設計に一癖を持たせたし、五代にも響子以外の女性との性体験を持たせようとしたのだろう。
作者である高橋留美子は、作品を通じて「それで良いのだ」と言っている。人間は、生きているかぎり失敗だってするものである。しかし、そんな愚かさも含めて、だからこそ、人間は愛おしい存在なのである、と。
高橋留美子作品のヒットを受けて雨後の筍のように、美少女や美女が大勢登場する後続漫画作品が多数生まれたが、このような人間の内面に対する理解や暖かい(しかし生温くはない)人間観までも見習うことができた後続漫画作品は少なかったと今でも思う。
ここではヒロインたちのことばかり書いてしまったが、もちろん男性キャラたちも平等に馬鹿な感じで描かれている。梅を口にして酔っ払ったラムが、教室で学校の制服を脱ぎ出したの見て、男子生徒たちが興奮で色めき立つと、それを見た女子生徒たちが「バカじゃないの?普段着姿(虎縞ビキニ)になっただけじゃん」と呆れる場面。水乃小路家の一人娘(トンちゃんの妹)との見合い話を渋る面倒終太郎に「もったいない。婚約して許婚になれば堂々とすけべえができるのに」と身も蓋もない誘惑の言葉を面倒の父親が言う場面。これらの場面やキャラを描きながら、しようがない困った奴らだなと作者は苦笑しつつも温かい眼差しを注いでいたのだろうと、ついつい想像してしまう。
年間7000頭以上生産される競走馬のうち、天寿を全うする事が出来る馬は1%、競走馬以外の形で第二のキャリアを過ごせる馬が10%くらいと言われている。
Q、残りの馬はどうなるのか?
A、「肥育」=つまりは食肉になる
馬はたしかに可愛いが、牛だって豚だって知能もあれば感情もある可愛い動物だ。だから、可愛い馬を肉にして食うなんてとんでもない、などと寝言を言うつもりはない。
馬主=飼い主には、動物愛護法に則って命を責任をもって養う義務があるのだ!最後まで飼えないのなら飼うな!などと犬猫と同じような理屈(それはそれで正論だが)を言う気もない。
馬を飼育するための費用は膨大で、牧場などに預託する場合は、1頭につき年間100万円近くを要するし、広大な土地も必要であり個人で飼育する事は多くの場合難しいだろう。
しかし、引退する競争馬と他の食肉になる動物たちの違いは、競走馬には自分自身で人間なんかよりも大金を稼いで来たし、これからも馬として働いて稼げる可能性をもっているということだ。
馬たちの持つ経済力や可能性を活かして、馬たちの福祉に利用する道が拡大できないのか?ということを考える方がいい。
年間7000頭もの競走馬は、全国に800ほどある生産牧場で誕生する。
牧場が生産した競走馬の余生を過ごさせることが出来ればいいかもしれないが、生産牧場も非常に厳しい。2000年初頭には1600くらいあった牧場が、この20年余りでおよそ半分にまで減少している。
競走馬は、飼育している牝馬に数千万~数十万円もする種付け料を支払って交配する事で生まれる。セリに出すまでの2年間に、生産から競走馬としての基礎を調教されるが、
仮に1頭に生産者1人が付きっ切りで面倒を見た場合、人件費2年分が乗る形になる。
セリ市は、毎年高値が出たと報道されるセレクトセールとセレクションセールがあり、それぞれ平均売却値が異なるがセレクションセールでの売り上げ平均額1400万程度となることも多い。
飼育に必要な費用や設備投資資金、2年と言う歳月を考えれば、1400万円は高いとは言えないだろう。生産者が全ての引退馬のことを考える余裕はないはずだ。
大きなファームともなると、有力馬を生産し、著名なレースを勝ち1億円以上の賞金額を稼いだ功労馬を繋養していることはある。
種牡馬や繁殖牝馬を引退し、馬主と牧場に多額の利益をもたらすと同時に自らの老後の資金をも稼いだ馬たちだけが、
清潔に保たれた専用の馬房と広大な放牧地を与えられ、時折訪れる往年の競走馬時代を知るファンたちに敬愛の眼差しで愛されながら余命を全うさせてもらえる。
競馬ファンから気にかけられる成績を残せなかった馬たちの中にも、馬主が年間100万円以上にもなる預託料を支払って、養老牧場で過ごさせてもらえる馬主に恵まれた幸運な馬もいる。
預託料の相場としては年間60万円~120万円くらいといったところのようだ。個人で馬を飼育しようとすると、牧草をロット単位でしか売ってくれず割高になるというが、月々8万円くらいらしい。
牧場でまとめて購入する場合は安くなるとしても、日々のケアにかかる時間と手間を考えたら1頭当たりの月々の手間賃は高くはない。
受け入れれば長期に渡って、安定した売り上げが期待できるとは言え放牧地や厩舎を用意するなら、仔馬の生産に使った方が利益になるし、養老牧場は生産者の善意や馬への愛情で成立してるようなものだろう。
同様に馬への愛情や善意のみで成立しているものにNPO団体や、馬と関係があった人、担当厩務員や調教師など、が立ち上げた「○○の会」の様なグループも存在する。
共通するのは一口数千円/月の会費や寄付金によって年間100万円にもなる預託料を得て養老牧場で繋養してもらうという方式だ。
具体名はださないけど、某地方競馬場で連敗記録で有名になった馬も現在はかつてのファンの善意で老後を過ごしていたりする。
NPO団体の会計をみると、100万円のうち会費と寄付で40万円、助成金で60万円ほどを得てギリギリで回していたりするので、こうした事業も難しいのだろう。
競走馬というのは、非常に気性が激しくて速く走る為の訓練を受けているアスリートで、これをすぐさま乗馬にするということは難しいらしい。また全ての馬が乗馬にむいている訳でもないとも。
かつては数億円を稼ぎ、種牡馬としても活躍した馬が、最後に乗馬として売られる事も珍しい話ではない。非常に幸運な馬になると、警視庁騎馬隊の乗馬に転身することもある。
乗馬になる馬は、乗馬クラブなどに1頭あたり200万くらいで競り落とされて、そこで訓練を受けたりするようだ。
岡山には引退馬の乗馬訓練を行って、それをオークションで販売しているような乗馬クラブもあったりするそうだ。
誘導馬として、あるいは観客をもてなすマスコットとして、競馬場で働いている馬もいる。これは本当にまれなケース。
ただ、東京競馬場には、誘導馬や乗馬を含めて40頭程度が生活している。JRAも、引退馬の事はかなりきにかけているのだというのが分かる。
馬事学園や、全国の農業高校、競馬学校などで、教育目的で学生が実習に使う馬もいる。それも決して数としては多くない。
ざっとこんなところか。
7000頭も毎年生産されるのに、馬として最後まで人と共に生きる事が出来る馬は少ない。多くは馬肉になるという現実を知って競馬への接し方や見方は変わってしまうだろうか?
馬はとても可愛いし、賢い動物だ。俺は馬が好きだし、競馬も好きだけど、だからと言って馬肉を食べる事を否定しない。
今後、1頭でも多くの馬が最後まで生きていける為に、人間はどうすればいいのだろうということを考えてしまう。競馬なんてなければ・・・本当は一番なのかもしれない。
だが、農耕馬だって、財布にされるために殺される現実もある。きっと人間の都合で殺される馬がゼロになる事はないんだろう。でも、1頭でも少なくなればいい。俺はそう願ってる。
馬券の販売価格に初めから引退馬の繋養費用に使う金を10%でも20%でも乗せてもらってもいいくらいだし、競馬ファンとしてはそれくらいはしたいって気持ちもある。
そのお金で、海外にでも繋養できる土地を持って、最後まで命を全うさせられる頭数だけを毎年生産するように生産を絞る。それくらいはしてもいいと思うよ。
https://www.youtube.com/watch?v=r2WQDU8DWpo
https://www.youtube.com/watch?v=HVUKxeKg4WQ
・・・バギオ市内に入るが早いか、比島人の凄まじい怒りの罵声が待ち受けていた。
「ドロボー」
「ゲット、アウェイ」
ありとあらゆる罵声と投石の嵐を、出来る限り姿勢を低くしてくぐり抜け収容所へ向かった。
(中略)
途中、比島人は沿道の至る所で我々の通るのを待ち受け、家から飛び出して来て、バギオ市街にも増して激しく、
「バカヤロー!」
「ドロボー!」
と声を揃えて大声で怒鳴る。
女子供までが、さも憎々しげに
と首を切られる真似をするかと思うと、侮蔑を表す彼等特有のしぐさで親指を立て、
「ゲット、アウェイ!(出て失せろ!)」
と繰り返し、大小の石がトラック目掛けて飛んできた。
(中略)
(貨車に乗り換え)途中停車する毎に比島人の憎悪のこもった眼差し、怒声、投石の嵐が続いた。
(中略)
後日収容所で聞いた話では、投石で頭を割られた兵隊、酷い者はピストルで撃たれて死人まで出た貨車もあったという。
しばらくして小さな町に入ると、鉄道の沿線には黒山のように住民が並んでいる。
列車が近付くと一斉に石を投げてきた。
(中略)
小石がパラパラと頭上に飛んでくる。
女達までが私達に向かって舌を出し、首を叩きながら喚いている。
ドロボウとか、パタイ(死ね)という言葉が、コーラスのように響いてくる。
(中略)
何のためか列車が野原の真ん中に停車したので、ホッとしてシートを取ると、住民達はここにもいっぱい居て相変わらず石を投げつける。
一人の老婆が近寄ってきて、
と言いながら、ビンロウの実を噛んで、真っ赤な口から血のような唾を吐き出し、憎しみを込めて叫ぶ。
肉親の誰かが殺されたのか、或いは家を焼かれたのか、家財でも奪われたのであろう。
「お前達はマニラで殺されるんだ!」
そう繰り返している。
私達もあのサンフェルナンド上陸以来、比島の住民達にしてきた事を考えると、その罪の大きさを思わずにはいられない。
途中、いくつかの集落を横切った。
彼等は、床の高い粗末な家の窓から顔を出し、黙ったまま、私達に軽蔑の目を向けていた。
彼等は、時々空に向けて小銃を放った。
それには度胆を抜かれた。
この罵声だけ覚えている。
(日本人射ち殺せ!)
こんな心だろう。
平和を取り戻した猥雑な街。
人が溢れている。
マニラの港に着くと、何百人ものフィリピン人男女が待ち受けていた。
ハングハング(首を締めろ)
石だけではない、ビンやコップを割った凶器も飛んできた。
最後の強烈な禊だ。
街を通過する時は、日本兵は頭を抱え、路上から飛んでくる石や、薪を投げつける老婆や子供から身を守らねばならなかった。
「バカヤロー!」
とか、「死ね!」とか叫んでいる。
ところが、Millare軍曹が立ち上がって、
「He is a good man! He is good!」
と怒鳴っている。
これには有り難かった。
(中略)
途中、フィリピン人が待ち構えていて、
「ドロボー!」
とか、「バカヤロー」
とか怒鳴っている。
どうしてこんなに怒鳴られるのか。
マヤントクでの住民との交歓の後だけに、狐につままれた思いであった。
バギオの街では・・・(中略)現地民が我々を見て、
と罵声を上げる。
(中略)
しばらくして貨車は動き出す。
「バカヤロー!」
「ドロボー!」
と叫ぶ声が聞こえる。
所々に陸橋があったり丘の高いところがあると、この下を通る時が大変である。
現地人が橋の上や丘の上に石を持って待っている。口々に、
「ドロボー!」
「バカヤロー!」
「パタイ!」
と叫びながら石を投げつける。
(中略)仲間の中には石が当たって血を流してるものもある。
住民がパラパラと家から路上に駆け出して、手を振って何か大声で叫んでいる。
私達はテッキリ戦争が終わったので、喜んで我々を歓迎するために、家から飛び出したのだと思った。
我々は彼等の姿を見ると、ニコニコして手を振った。
ところがこれが大間違いで、彼等は形相恐ろしく、口々に、
と言っているのである。
なかには石を投げつけようとする人もいる。
「バカヤロー!」
「ドロボー!」
「ヒトゴロシ!」
と罵声を浴びせられ、石を投げられた。
私達は頭を抱え荷台にしゃがみ込んだ。
石が頭に当たり血を流す人もいた。
現地の人を略奪し殺し、平和な国土を戦場にしてしまった私達日本人は、どんなにされても文句の言える立場になかった。
前方の沿道の両側にビッシリと住民が群がっている。
彼等はトラックが近付くと、老人から子供に至るまで、一斉に喚声を上げた。
拳大の石がいくつも飛んできた。
中には、手を首に持ってきて、水平に動かし、お前達は絞首刑だ、とジェスチャーで示す者もいる。
この調子では、フィリピン全土が、日本軍に対する恨みの炎で燃え上がっていよう。
無蓋列車はなおも南へ南へと進んだ。
そして、何度か、現地民の罵りと投石を受けた。
「バキャヤロ!」
「ドロボー!」
現地民が我々に叫ぶ侮辱の日本語は、とりもなおさす日本の占領時代に我々が彼等に使っていた言葉の仕返しであった。
「パタイ!」
「ヤマシタ、パタイ!」
「日本人を殺せ!」と投石する現地民の怒りを、我々は無蓋列車の中で、首をすくめて我慢した。
(石をもて追われる如く)敗残の身を、私は車中で目をつむっていた。
(証言者その2)・・・ところが思いもかけない次の言葉で、冷酷な現実の実態を思い知らされた。
ジェスチャーを交えて投げ飛ばす彼等の言葉は、相手を侮辱する時に使う日本語の、
「バカヤロー!」
「ドロボー!」
なのであった。
しかも、罵倒するだけでは飽き足らず、彼等の中には青竹を振りかざして殴りかかってくるものもいたし、私を目掛けて、小石を投げるものもいた。
(中略)
それなのに、まるで泥棒猫でも打鄭するように、青竹の一部がささくれだって裂ける位の勢いで、殴りまくる人もいた。
筋肉の脱落した痩せた体を目掛けて、ビシリ!ビシリ!と打たれる度に、不思議に肉体的な痛みは感じなかったけれど、まるで心臓に五寸釘でも打たれるような激烈なショックを受けた。
そして、その時、身に滲み通るような敗戦の惨めさをつくづく感じたのであった。
人家のある所を車が通っていくと、我々は罵声を浴びせられ、小高い家の庭先で洗濯をしていたオカミサンは、矢庭にタライの中の石鹸水を浴びせかけたのであった。
(中略)
遠い金網の外側にはフィリピン人がたかって、拳を振り上げたり、唾を吐きかけたり、日本人へ憎しみを表しているようであった。
沿道のフィリピン人達は、私達の乗ったトラックを目掛けて、石を投げつけ、日本語で、
「バカヤロー!」とか、
「インバイ!」
この付近のフィリピン人の家を我が物顔で横取りして、作物を荒し廻った私達だから、どんなにされようとも仕様のない事だと思う。
(中略)
駅につけば付近の住民がギターを持って、貨車の周囲に集まってきて、何かタガログ語で歌い、罵り、嘲笑う。
バギオに近付くにしたがって、現地民達が増えてきた。
「ギロチンOK」
「ドロボー!」
と口々に喚きながら石を投げつけてくる。
手を頸に当てて引き斬るような手真似をしては、唾を吐きかけ、バナナの皮などを投げつける。
(中略)
事実、日本軍は彼等の財産である家々を強制的に使用し、床や壁を剥がして家捜しをしたり、燃料の代わりにして荒らした。
ときにはゲリラやスパイと見なして、善良な市民さえ射殺した(注、斬首だろうに)。
寒風のごとき日本兵と、太陽のごときアメリカ兵では比較にならない。
途中で、シビリアン達が口々に
「ドロボー!」
「バカヤロー!」
と盛んに私達のトラック目掛けて投石したが、フルスピードで走り抜けてくれた。
(中略)
(列車に乗り換えた後)停車駅では無蓋列車に座らされ投石を防ぐ。
相変わらず
「バカヤロー!」
「ドロボー!」
の罵声と共に投石するシビリアン達。
情けない。
日本兵など、人間でもっとも下等な存在だからね(日本兵≠日本人)。
強姦ばっかしやがって!
パタイだよ!
フィリピン人達の怒りは、俺の怒りでもある。
強姦魔!
恥知らず!
ケンペースケベ!
ちんこ斬っちまえ!