はてなキーワード: 画期的とは
はいどーも。
みなさん、野菜350gを毎日食べていますか。忙しいと野菜350gを食事に組み込むのは難しいですよね。そこで、野菜350gを簡単に摂取するメニューを考えてみました。名付けてお好み焼きキャベツ1/4作戦!。キャベツ1玉当たりの重さは1200g。1/4で300g。350gには少し足りませんが、一日に必要な野菜摂取量の85%を一気に摂取できる画期的なメニュー。お好み焼きで野菜不足から脱出です。あとは睡眠と運動と瞑想さえしっかりすれば、人間に戻れるはず。ということで、お好み焼きキャベツ1/4作戦!いってみよう。
・キャベツ 1/4個
・ちくわ 2本
・たまご 2個
・小麦粉 大さじ2
1.キャベツを千切りにします。食感が悪くならないように、芯に近い部分や固いところはしっかりとスライスし、全体的に均一な状態にします。
3.千切りにしたキャベツとカットしたちくわをボールに入れ、適度にまぜます。さらにきりいかと削り節を入れます。
4.小麦粉とたまご1個を入れ、小麦粉を全体にいきわたらせます。水は入れません。たまごとキャベツの水分だけでいきます。
5.適度にフライパンが温まってきているので、ボールの中のタネをフライパンに入れ焼き始めます。真ん中は少しへこませて、もう一個のたまごを落とします。豚肉をタネの上に一枚ずつ配置していきます。ここからは火加減は弱火です。弱火で裏表12分かけてゆっくりと火を通し、キャベツの甘みを引き出します。
6.キッチンタイマーで6分。計測します。「OK、グーグル」とか「ヘイ、siri!」と言って、「タイマー6分」と音声認識させたほうが今風ですよね。6分あるので、お皿を洗ったり、翌朝のごはんをセットしたりと家事に使える時間が生まれます。
7.6分後、直径26㎝、厚さ3㎝のお好み焼きの片面が焼き上がっております。フライ返し2本を両手に持ち、お好み焼きとフライパンの間に差し込み、手首のスナップを利かせて手前に返します。今回のお好み焼きキャベツ1/4作戦!で、一番難しいのがこのひっくり返すアクションです。初回は失敗する可能性が高いです。ますのすしの空き容器を使ってイメージトレーニングをしておくことをおすすめします。
8.肉の面が下になりました。さらに6分。計測します。まな板や包丁、材料を混ぜたボールやフライ返しを洗ってしまいましょう。
9.6分後、直径26㎝、厚さ3㎝のお好み焼きを皿に移します。ここまできて、形を崩すのはもったいないので、大皿をお好み焼きの上にかぶせて、お皿を押さえながらフライパンをひっくり返してお皿に乗せましょう。これは、7.のひっくり返すアクションに比べると難易度は低いです。豚バラを使ったときは、油が出ていることがあるので、油を床にこぼさないようにシンクの上でやると安心です。
ということで、お好み焼きキャベツ1/4作戦!で、野菜を300g摂取を目指すの回でした。あとは、残り50gの野菜と睡眠と運動と瞑想に気を付けて、人間になることを目指してくださいね。
まったねー。
そんな政策があるなら逆に教えてくれ
だから、貧困層を救いたいと願う人から貧困にあえいでる人に投げ銭できるシステムを作る
まさかとは思うがこれだけ格差に文句言ってるはてな民が収入の一割も貧者に寄付できないなんてコントみたいなことは起こらないと願いたい
はてなはインテリで高収入の集まりらしいから、50万円を少なく見積もって1万人から集めるにしても50億円にはなる
50億あればとれだけ貧困層が救われるか
よく言われるように北欧のような社会福祉国家を目指すならもっと税金で持っていかれる上
何に使われるかわからん
それなら確実に貧困層に分配されるとわかって寄付するお金として使うのに躊躇する理由とかないはずだ
これに共感してくれる人が多かったら実際にクラウドワークスで資金集めしてシステムを作る
お前らもちろん弱者救うよな?
単に国や大企業、金持ち、権力者を叩きたいだけで貧困を持ち出してるんじゃないと態度で示してくれ
無条件で信用する
とある元コンサル女性が3年で離婚することになったのはご自身が戦闘民族だからっていう、例のあの件なんですけど。
私はそれほどできた妻でもないのですけれども、コンサルファームのマネージャ職にある夫には、家事や教育や私の仕事のことなどでの私の至らなさを、結婚生活10年足らずの現在まで一度も詰められたこともなく、いつも相談に乗ってくれて、時には私ひとりでは思いつかなかったわー!というような画期的なソリューションすら提供してくれるんすよ。自慢みたいになっちゃってごめん。
彼女がどんなことでご主人を詰めてしまって「次に付き合うなら、米系外資っぽい詰めをしない女がいい」と言われたのかどうかはわかりませんが、それはコンサルだからとか戦闘民族だから仕方ないということでもないと思います。多分ショックでとっ散らかってる方にはきつい言葉だろうなあとも思うんですが、世の中でよく言われるような「コンサルはすぐホワイトボードを持ち出す」とか「人の気持ちを理解しない」「ご家庭内でも外資っぽい詰めをする」とか、そういうのかなり誤解だよなあって。
あと、こちらがちゃんとした数字を提示したりとか根拠を説明できれば、そういうことを一番大事にする民族なのであっさり認めてくれます。情緒でアレコレこねくり回さないから、こちらに非がない限り話し合いはスムーズです。非があってもちゃんとヒアリングしてくれます。そういうところも本当にコンサルのいい所だと思います。ホワイトボードは割合いいことだと思います。
もし悟空やベジータくらいの腕力があったら地球人の女性なんか軽く殴られただけで死んじゃうと思うんですが、それは絶対しなかったわけで。戦闘民族だってそこだけ気をつけたら暖かいご家庭を持てるかと!大丈夫ー!
なんか上から目線みたいになっちゃったかなあ…ごめん。なんだろ、外資系コンサルのパートナー、世間でよく問題あるみたいな扱われ方されるけど、みんながみんなそんなじゃないよって言いたかった。
の「ドラえもおおぉぉん!学校に忘れ物しちゃったよおおぉぉ!どこでもドア出してよおお!」
ド「まあったくうぅ、きみってやつはああぁぁ」
テテテテッテテーー
こんな感じで、ドアをくぐり抜けるだけで目的地に行ける便利なひみつ道具「どこでもドア」。
ドラえもんの道具の中で知名度・実用性と共に上位にいるであろうこの道具。
この後の展開としてお約束なのが、のび太くんが学校に行こうとしてドアを開けるのだが、しずかちゃんの風呂場に行ってしまうというものだ。
しかし、この時のび太くんは本当にしずかちゃんの風呂場に行こうと思っていたのだろうか。
おそらくのび太くんは、本当に学校に忘れ物を取りに行こうとしていたのだろうと思う。
それでもしずかちゃんの風呂場に行ってしまうということは、頭の中のもっと奥深く、深層心理でしずかちゃんの風呂を覗きたいという気持ちがどこでもドアの行き先を決めているのだろうと予測できる。
……ていうかこれ、欠陥品じゃないか?
僕がもしどこでもドアをもらったとしても、この仕様では確実に会社に行くために使用することはできないだろう。
だって僕が深層心理で会社に行きたいと思っているとは到底考えにくいから。
あれは、どこでもドアのドアノブ上部辺りに地図を表示して、指定した場所に行けるように設計したほうが良かったんじゃないだろうか。
きっと、どこでもドアを作るときに脳波を読み取る機械が流行ったのだろう。
そしてこんなやり取りがあったに違いない。
後輩「ついに完成しましたね!」
先輩「あぁ、ここまでよく頑張ったよな。ついに俺達の努力が報われる時がきたんだ!」
後輩「でも凄いですよね。指定した場所に瞬時に行けてしまうシステムなんて」
先輩「あぁ。こいつは売れるぞ。早速上司に報告しよう。」
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課長「しかしなぁ、いまさら行き先をタッチで指定するってどうよ。今は消費者へのインパクトが大事な時代なんだから。ほら、◯◯商事の新商品見た?頭にプロペラ乗っけて空を自由に飛べるんだよ」
先輩「あぁ、タケコプターですか。確かにあれは画期的だとは思います」
課長「だろう?それ以上のインパクトを生むためには、タッチで指定する程度じゃだめだよ。そうだ!今流行りの脳波を使用してみてはどうだろう。行きたいところを脳波を読み取って自動認識する。これは我ながらナイスアイデアだぞ!」
先輩「しかし課長、それでは間違った箇所に繋げてしまうリスクがあります」
課長「そんなことは君達エンジニアの技術でなんとかしたまえ。それと、今度の記者会見で発表する予定だから、それまでには間に合わせてくれよ」
課長「いいかね、君も知っているとは思うが、このプロジェクトは我が社の命運がかかってるんだ。君がしなければいけないことはわかるよね?」
先輩「……はい」
かくして、どこでもドアは脳波で行き先を自動認識するような仕様になり、それによってのび太くんは被害を受けている。
これを書いていてふと思ったが、これだけ毎回しずかちゃんの裸を見ていても、しずかちゃん以外の風呂場に行かないのび太くんって実は凄いんじゃないか。
この仕様で行くと、たまには同じクラスの別の女の子の風呂場に行ってしまう日があってもおかしくはないと思う。
ジャイ子の風呂場に行ったらジャイアンが入っていて「いやぁーん、のび太のえっちぃ(はぁと)」という展開があってもおかしくないはずだ。
のび太くんの年齢が上がって本格的に犯罪者になってしまう前に、どこでもドアの製造会社には、行き先を明示的に指定できるよう改良をしてほしい。
2017/12/21 エネファームの動作音が近隣の健康を害することを否定できない、と事故調査委員会が発表した。
エコキュート、エネファームといった深夜電力を使う装置は、わずかな音であっても深夜という人々が寝静まったころに稼働するので、動作音が目立ちやすい。
しかし、「音がうるさいか、うるさくないか」が問題ではないと思う。
加害者の言い分としては、「捨てる電力を使って湯を温めるんだからエコじゃないか。それもランニングコストは安い。ただし初期投資がかなりあるので、もし騒音被害が出ているからとクレームをつけられても、投資した分回収できてないから、断りたい」
被害者の言い分としては、「人の健康を害してまで押し通すエコはエゴだ。オレの命を他人が奪っていいはずがない。とっとと撤去しろ」。
つまり、「金払ったんだから回収したいわ VS 回収云々より健康優先だろ」が問題の本質。これは昭和初期に起きた公害問題に似ている。
ところでここで見落としてはならないのは、もう一人関係者がいるということ。その機器を開発したメーカーだ。
加害者は設置するにあたり、近隣の健康を害する騒音がでることをメーカーから知らされいないケースがほとんどだ。従ってゆがめられた情報を頼りに加害者が設備導入を検討し設置に至ったとすれば、それは明らかにメーカーがユーザーを間違った方向に導いたことになる。これは消費者契約法の錯誤誤認に相当する。
したがって動作音になんらかの措置を講ずる場合、その費用負担は、法律を守らなかったメーカーというのが正しい法律解釈なのだろう。もし今後訴訟が起こるたびに、メーカーが負担させられる事態が発生するのならば、メーカーも考えを改め、安易にこのような設備を販売することもなくなり、人々が平穏な暮らしを取り戻せるに違いない。
しかし実際、隣の人に遠慮して声を上げられず泣き寝入りする人、裁判を起こす費用と手間をかけられず諦めてしまう人が後を絶たない。
そして、実際に起こされた裁判でも画期的判決にいたるよりは和解にもちこまれるようで、違法金利を取り締まったときのような、白黒ハッキリした判決は出てきていない。
このなんだか判然としない現況をうがった目でみれば、深夜電力を使わず全部捨ててしまうような事態となれば原発廃止への追い風となり、電力供給に大きな問題を生じかねないという懸念が働いたようにもみえる。加えてメーカーが儲けなければ法人税を取ることが出来ず、売れなければ消費税を取ることもできず、となるのを避けたのではないかとも。
だとしたら何のための三権分立なのかなぁ。
最近の司法の判断では、NHKの受信料には大なた振って、「受信料の支払いは国民の義務!」といわんがばかりの結論を出した。なのに国民の命を守るための騒音被害にはなんら強制をしていない(というか判決を避けてる?)。ということは、守るべきは組織であって、個人はどうでもいってこと?
今回の調査委員会の結論を以て音で苦しむ人たちの助けになるよう意味のある施策を策定してくれ。きちんと判決を出してくれ。
NHKの受信料の是非は訴え始めてから10年で決着。だったら低周波音被害の訴えが出てから10年以内(あと4年)に、国民の健康を守る新たな指標を示して欲しい。
冒険を経て、俺は成長していった。
ウロナ「ヴェノラ、どうやら問題が発生したようです」
ヴェノラ「じゃあAをBにしよう。よし、解決したぞ」
リ・イチ「やりますね、ヴェノラ」
イセカ「ヴェノラ、また問題が発生した」
ヴェノラ「じゃあXをYにしよう」
イセカ「XをYに?」
ヴェノラ「ああ、そうすることでああなってこうなる。そしてZをΣにする。よし、解決したぞ」
この時の発想力は今でも関心する。
異世界では珍しいことかもしれないが。
三番目に対峙した四天王、ジャーゴンは自身を改造しており、今までにない戦い方が要求された。
ヴェノラ「そうか、ならコレをああする」
ヴェノラ「それはコレをああすることで、コレがアレになったからだ。つまり攻撃はきかない」
ジャーゴン「バカな、それには高度な技術と恵まれた才能が必要なはず」
ヴェノラ「神からの授かりものだ。そして俺の人並みの努力と発想力があっての賜物だ」
ジャーゴン「だがいくら攻撃を防いだところで、我を倒す攻撃はないだろう」
ヴェノラ「だったらコレをこうする」
ヴェノラ「それはコレをこうすることで、コレがソレになったからだ。そしてソレはお前のドレといい感じになって、どうにかなる。つまり攻撃が通る」
ジャーゴン「負けた……私の完敗だ。お前はすごい」
ヴェノラ「そうだ、とりあえず俺の勝利だ」
リ・イチ「やりましたね、ヴェノラ。とても勝てる気がしない相手でしたが、何とか勝つことができました」
ウロナ「すごいぞ、ヴェノラ! すごいぞ、ヴェノラ! すごいぞ、ヴェノラ!」
ヴェノラ「ありがとう。皆のおかげだ。仲間がいい感じにサポートしてくれて助かったよ。あと俺の勇気と才能、努力に裏づけされた機転によって今回も何とか勝つことができた」
三番目に戦った四天王を倒し、残すは一人。
まあ実際には四天王じゃなくて“元”四天王だと、倒した後に明かされるのだが。
それどころか、今まで戦った四天王すらフェイクだったというのだから、あまりにも予想外だ。
今まで倒して喜んでいた敵が偽者だったなんて、我ながら恥ずかしいったらないよな。
だが、いつまでもそうはしていられない。
俺たちを騙した罪は重い。
皆が学ぶべきことは、俺たちの濃密な冒険活劇を20分ちょいで纏めるのは無理があるってことだ。
だが大丈夫。
なんとこの番組の放送後、つまり今日の18時から各動画サイトで『ヴァリアブルオリジナル』全話が限定配信!
じゃあ今日はここまで。
また来年になったら会おうぜ。
ばいばい!
ここ10年とは言わないまでも、7,8年ずっと見てきたつもりではあるニコニコ動画。
いつの間にか、ゴテゴテ(後手後手)のサイトに成り果てていたと思われている。
2011年に開始されたクリエイター奨励プログラムは、Youtubeよりも早く、当時は画期的だった。
当時がニコニコの最盛期であろう。
先日の新バージョン(く)の発表以前から、投稿される動画も減りユーザーも離れていったことは、事実である。
プレミアム会員が当たり前だった頃から、プレミアム会員が馬鹿にされるようになったのも、ここ最近のことである。
ニコニコが、没落するまでの間やっていたことといえば、個人チャンネルの強化やニコニコ広告の機能追加、マルチメディアプラットフォーム化(=複数の媒体への対応や、政治・芸能・音楽・ニュース・ラノベ・漫画との連携強化)が主であったように思う。
親会社の意向(威光)が強いのか、船頭が多いのか、二兎も三兎も追いかけたことで、本流の動画、生放送を放置した。
さらには、ユーザが見たいものよりも、運営に都合の良い、運営が見せたいモノを見せるようになった。
これらの施策は、収益の多角化と売上の増加を狙ったと思われるが、現状を見る限り、見事に失敗している。
とすると、はやりプレミアム会員の大半は、生放送と動画を見にニコニコにやってきたのではないだろうか。
Youtubeはこの間、広告収入のシステム導入、動画配信システムの強化、生放送への対応と、本流のサービスを強化し、コンテンツ(動画や配信)はユーザに任せる形式にこだわった。
やはり、長期的・安定的に課金をしてくれるシステム・ユーザが、利益を上げる上で非常に重要であると教えてくれる。
何が言いたいかというと、売上と短期利益の至上主義は古くなり、長期の契約を結び、お互いが安定して利用できるものが生き残るじゃないかと思う。
・ネットサーフィンなるものはなるほど面白い。中途半端に面白い。時間があっという間に過ぎ去る。休日、気が付けば夕方になっている。今日一日何をしていたかと自ら問うて愕然とする。
・時間は命そのものであるからして、これは細かく区切った自殺といえる。時間の浪費という緩慢な自殺である。やるべきでない。SNSも同じだ。他人のどうでもいい落ちもない話にいちいち付き合っていてどうする。それが楽しいという気質の人ならそれでいいのかもしれないが。
・ネット上のどうでもいい文章・映像・動画に時間を割くよりも、古典と呼ばれるものを読んだ方が万倍、億倍、有意義である。インターネットは画期的であり、青空文庫とかは凄い質・量を兼ね備えたコンテンツの化け物であるが、それを上回る下劣なコンテンツがあちらこちらにひしめいている。接するものを上手に選ばねば人生を損なうという教えか。ネットのおそろしさを忘れてはならじ。
WordやExcelに求めているのは画期的な新機能ではなく「画面に表示されたものがそのまま印刷される機能」です
むしろ、電子のほうを原本として扱う意識を広めたほうがいいんじゃないの。
「ペーパースレ化」っていうと紙に印刷しないってことになるから不便だけど、電子のほうが原本で出力デバイスは、モニターでも紙でもOKって考えて、たまたま使ったプリンターで多少出力がずれてもOKくらいの意識で運用してほしいわ。
Webなんかでも「IEのバージョン**以降に対応。すべてのバージョンでまったく同じ出力にならないといけない」とかで、書式にこだわって無駄に工数かけるより「内容が正しくて問題なく使えればOK」にしてほしいわ。
すっかりおっさんになってしまい、映画の出来・不出来を語り合う友人も周りにいないので、ネットに書いてみることにした。
ネタばれ多数。未見の人、傑作だと思っている人は読まない方がいい
結論を簡単にまとめると、映画的に正当な続編になっていても、あの時代設定のSF的な延長になっていないと思った。「メッセージ」は傑作だと思ったんだけどなー。
自分がブレードランナーを見たのは、初回公開時の16歳のころ。名古屋で「燃えよドラゴン」と2本立てだった。
ひとつは、地続きの未来がバラ色じゃないというビジョンを、明確に具体化したこと。
それまでの地続きの未来のイメージは、2001年宇宙の旅(1968年公開)とか2300年未来への旅(1976年公開)とかに描かれた、ピカピカのスゴイ科学の世界だった。
2300年未来への旅はディストピア映画だけれど、誰も見たことがない輝かしい世界を描くとき、ピカピカに描くのが当時は当たり前だった。
それに対して、文明が衰退した未来を描く映画やSF小説は、あくまで核戦争でという分断された未来に位置付けられていた(地球が燃え尽きる日:1976年公開、マッドマックス2:1981年公開)。
スターウォーズ(1977)やエイリアン(1979)で描かれ始めたように、スゴイ世界なのに汚い・ポンコツな世界が地続きで存在しているという、(当時にしては)画期的なビジョンがブレードランナーで完成した。
ブレードランナーの未来が暗い理由は、原作小説とは違い環境破壊のせいだった。いつも酸性雨が降っているという地球温暖化を先取りしたような設定。
そのために、人類の多くが宇宙に移住して、それでも残っている人々は人口過密の大都会で生き延びている。
自然破壊が進んで本物の動物がほとんど死に絶えていて、映画で登場する動物はほとんど全てレプリカントという世界だったんだよ。
もうひとつインパクトが強かったのは、レプリカント(ネクサス6型)の設定。人間よりも肉体的にも頭脳的にも優れているけれど、感情移入能力が著しく低いというあたり。
コミュニケーション能力に問題を持ち、常日頃から疎外感を感じている世界中のオタクの琴線を捉えたんだと思う。
ただし、ディガードがレプリカントではないか、なんてネタはディレクターズカットあたりが公開されるまで考えてもみなかった。
ビジュアル的には、現代の当たり前をひっくり返しているところがまるでなく、前作のインパクトに及ばない。
そして前作では、人間であるかないかに関係なく、自分の生命にジタバタすること自体が生きること、だったはずなのに。
今作では、誰かのため、大義のために生きて死んでのが人間という話になっていて・・・それって、非人間的な重労働を強いられるレプリカントの存在そのものじゃん。
息子ができてから、妻の機嫌が悪くなることが増えた。
あれほど穏やかだった妻ですらこうなるのだから、子育てとはかように過酷なものなのかと実感する。
日常の様々なシーンの中で、特に私が気を使ってしまうのは食事の時だ。
家事と育児に追われ、時には子供の泣き声をBGMにしながら、それでもなるべくきちんとしたものを貴重な30分や1時間を費やして用意してくれる。
それは本当にありがたいと思っているのだが、私は食べるのが比較的早いほうで、作るのにかかった時間の何分の一の時間で食事を終えてしまう。
できるだけ感謝の気持ちは表すようにしているつもりだが、それでも体調が万全でなかったり子供の世話がいつもよりかかった日などは、
こいつ私が大変な思いをして毎日作っているのを当たり前のような顔して平らげやがって、と思われていないかと不安になる。
でも私としては、それを妻に強要しているつもりは一切ない。
いくらでも手抜きをしてもらっていいし、何なら毎日手料理でなくとも構わないとも思っている。
そもそも食事とは単なるエネルギーの補給手段であって、呼吸や排泄と同じように、生きるために必要不可欠だから仕方なくやっていることではないのか。
動物だって、肉食なら狩りのために動く必要があるが、獲物が手に入れば後は肉を食らうだけだし、草食動物はそこら辺に生えている草をのんびり食べて生きている。
なぜ人間だけが、わざわざ余計な時間と労力をかけて調理などというまどろっこしいことをして、そのために心の余裕を失わなければならないのだろうか。
だからしばらく前に、カプセルを飲むだけで栄養源が取れて食事をしなくて済むソイレントという画期的な商品が出てきた時は本当に心が踊った。
そういうものがあれば、私たちは食事を作る手間と片付ける手間が省ける上に、消化に無駄なエネルギーを割かなくても済むようになる。
それが人類のスタンダードとして市民権を得ていけば、日々料理に拘束されている膨大な時間を開放することができ、まさに革命的な出来事になるだろう。
まだ商品としては不完全なようだが、今後の開発が進んで実用的なものになってくれることを待ち望んでいる。
そうなれば、料理なんてものは好き好んでやりたい人間だけがやるような高尚な趣味に置き換わっていくはずだ。
レシピを考え、必要な食材を吟味して調達し、それを加工するための器具を揃え、熱や電気を使い、時間をかけて調理し、きれいに盛り付けてテーブルに並べ、食べ終わったら後片付けをする。
しかも、この一連の膨大な作業は、料理スキルが一定以上なければまずいものが出来上がるだけで全て無駄になってしまう。
冷静に考えて、日々生活の上で必ずしなければならないこととして、料理はあまりにも過剰な負担と言うべきなのではないだろうか?
最近はクラシルなどという新しい動画レシピサービスの広告を見るが、あんなに楽しそうに料理ができる美人主婦なんて空想上の生き物、完全にファンタジーだと私は思う。
なのにどうして私たちは料理から離れることができないのかと言うと、それが社会通念上健全な日常生活の一風景として規定されているからに過ぎない。
今は昔のように、男が稼いで女は家のことを黙々とこなすという生活様式ではなくなった。
だから私たちの考え方もそれに合わせて変えていく必要があるのだと思う。
わざわざ寒い冬を選び、高速を飛ばして都会から離れた山まで行き、年に数回しか活躍の場がない用品の手入れをして、お金を払ってリフトに乗り、怪我や最悪遭難、転落死などのリスクを抱えながら、わずか数分の滑走を楽しむ。
興味のない私からすると、準備の困難さから時間の経過まで、まるで料理みたいなもんじゃないかと思ってしまう。
そういうことを、私たちが日常生活の中に組み込んでおく必要性がどこにあるのだろう。
人間が生きるために必要なのはエネルギーであって、料理そのものではない。
しかし、車輪自体の歴史などについては、曖昧としたまま、あー、はいはい、既にあるライブラリーや関数を使えって言うプログラマーのアレでしょ。
なんだけど、車輪って、舗装された道路が存在したときに、とてつもなく威力を発揮するとあった。
(まー、鉄道におけるレールのような話か。デコボコ道だと、いまいち車輪付きでも、その便利さを利用しきれないってことだった。キャタピラってもんが、あるが。)
中国やローマの皇帝が、「道」・「道幅」・「水はけの良い道」について規格の統一をさせたってのは歴史上画期的なこととして歴史の教科書書いてあるが、大事みたいだね。
今の日本ならば、アスファルトで舗装された高速道路のような片側二車線の道路と、田舎の砂利道や住宅街の入り組んだ細い道とでの自動車が出せるスピードを考えて見たらいいだろう。
似たようなこと、今、流行のビッグデータとか人工知能・コンピュータの世界に改めて、考えてみたい。
人工知能が利用しやすい形、あるいは、プログラミングがなされやすいフォーマットでの
データ形式で保存されることが、期待されているようだ。
囲碁の世界では、棋譜が残されていて、そこから、人工知能に自己学習をさせた。
適切なフォーマットへと変換された後でだろうが。
(アバウトな理解だけれど、もちろん、始めは人間が教えて、その後に人工知能vs人工知能でも、自己学習をしていたようだが。)
これから、パソコンが理解しやすい形に、データが格納されていくと、
本当に、あっという間に、あらゆる仕事がかわるんだろーなと。
人工知能による翻訳とか期待されているが、これからも、単純作業よりも、少し複雑なルールの仕事は人口知能に置き換わっていくのかーってことを、