はてなキーワード: 暴走とは
だから散々言われているだろうが。冒頭で矢口は「暴走しがちで人付き合い苦手な若手」として描かれてるだろうが。冒頭で有能に描かれてるのはむしろ赤坂の方。
それが、老害にも見えてた上の世代の全滅にショックを受け、そこを乗り越える中でちょっとずつ人間的に成長してる姿を描いてるだろうが。それでも基本的に暴走して熱くなりがちな夢想家なところは変わってないが、そういう人間を信頼して託していくしかこの国難を乗り越えていく道はないんじゃないかというのが物語の基本線だろうが。物語後半でも、巨災対では森のムードメイク、政治面では泉・赤坂の好フォローに支えられてこその矢口であって、結局一人では大したことできねえって描かれ方さんざんされていただろうが。矢口が有能? 一体何を見てたんだ?
人の死の描き方
アレだけの破壊のある映画で人の死がゼロならむしろ不気味だろうが。なかったらなかったでお前ゼッタイ文句言ってるだろ。そういうのを「ためにする批判」つーんだ。どうせなら「死を描くならこういう描き方なら納得がいった」とか「あのシーンはこう演出すべき」という意見ならまだ聞けなくもないが、「不要だった」という意見には全く納得がいかんよ。誰が賛同するんだその意見。
石原さとみが浮いてる
あのなあ、それ言うならゴジラという存在が最も「現実離れ」してるだろうが。そりゃな、あれが311の再現ドラマだっつーなら俺もあのキャラはまずいだろと思うよ?でもこれ災害映画じゃなくて怪獣映画だぜ? そもそもしょっぱなからでっかい嘘で塗りたくった世界なんだよ。その映画の根幹に、地味なオッサンばっかり並べて、それで「観客が入ってペイできる映画」になるのかよ? お前たとえばごついオッサンのペアばっかり何組も絡み合うような「パシフィックリム」とか見たいかよ? あの映画だってあのヒロインのねーちゃんは正直浮き気味だったし見方によっちゃ失笑モノだったかもしれん(芦田愛菜含めてもだ)。だがファンタジックなエンタメ映画ならそこも含めて素直に楽しめとオレは思う。そこを批判するのは、あの映画の問いかけてくるリアリティにむしろ呑まれてるからじゃないのかと思うわ。
それとな、英語がどうのとかアジア系の俳優はありえんとかいろいろ言う奴がいるが、これも、作中におけるキャラの成長とその描かれ方が全く見えてない阿呆の戯言に過ぎん。祖母の被爆という設定、そして徐々にデレてきて日本風発音をかましたあたりからの「微妙で複雑な表情芸」を日本人相手に表現するためには、日本人俳優以外のチョイスは全く考えられんよ(海外の俳優に表情芸ができないと言ってるのではない。飛行機内の場面などにおける感情の揺れなどを「日本人にストレートに伝わる表情芸」で見せるためには日本人俳優を使う以外のチョイスがないという意味だ)。当然、俳優の見栄えと技量もそれなりに求められる。石原は確実に監督の望んだ仕事をしたと思うよ。
「盛り上がり」は主観の部分で特に論ずる意味なし。「矢口最前線…」云々は阿呆過ぎて言及する必要もないが、前線でちゃんと「作戦をやめるか否か」を判断してるシーンがあっただろうが。ほんとどこ見てんだ? 何見てたんだ? ケチ付けることばっかり考えて大事なところをろくに見もせず、何か楽しいのかそれ?
…もう言及するのも疲れたが、冒頭の延々と続く会議と、ところどころ挟まれる矢口の表情との対比を見て、お前は一体何を感じてた? 矢口を視点人物として描いているということは、お前の感じたその心情こそが矢口の心情として描かれてるんだろうが。むしろ「政治家としてこの国に失望しかけている」矢口の姿しか描かれていないのが前半だと言っても過言じゃないだろ。同じ映画を見たとは思えない感想に目眩がするわ。お前はアレだな、登場人物がいちいち心情を全部台詞にして説明してくれるテレビドラマ演出とかじゃないと、ほんと何も分からないんだな。
「シン・ゴジラ批判したら一斉に批判されるのきもい」という声もあるが、上映開始3週間もたつのに批判者がまだ揃いも揃ってこのレベルだから、むしろもううんざりして大半はスルーしてるくらいなんだが。もう少し「真っ当な批判」があれば読みたいわ、心の底から。
http://anond.hatelabo.jp/20160821212820
(追記(の追記あり))
「低レベル」→お前は「高レベル」なノンフィクションだけ一生見ていればいいよ。オレはフィクションの話をしてんだバカ。
「主観云々」→主観云々は議論してない部分だし俺が論じてるのはソレ以外の部分だバカ、
「石原の件」→オレは「この映画ではリアリティは目的じゃなくて手段の一つだ」って話をしてんだバカ。その程度のことが分からないカマドウマが映画を語るとかちゃんちゃらおかしいわ。
この書き込みへの意見も含めてやはり的外れだらけだ。元増田へのブクマも全部読んだが納得するん反論はほぼなかった。少しは人をうならせるようなモノを書け。
「石原の件2」→書いては消すスタイル、いちいち気持ち悪いからヤメレ。あとは上のリプライと同じ。あの映画をリアルを追及する「ための」映画だと取ったのだとしたら、それは見方として相当筋が悪い。ノンフィクションなら当然問題にされるだろう、とは最初に書いたとおりだ。あの映画はノンフィクションではない。
(追記2)
「白状」編も読んだが感想は何一つ変わらん。「批判するならもう少し人をうならせるようなモノを書け。」それだけだ。
オレは増田の感性は否定してない(「主観の部分…特に論ずる意味なし」)。その上で増田の「誤読」や「見落とし」を指摘しただけだ。感性否定系の批判と十把一絡げに流されたのが大変残念だ。増田の意図は分かったが、いずれにせよオレはあからさまな誤読による批判を見かけたらなおざりにはできない。それがあの映画を作った人に対する礼儀だと思うからだ。
(追記3)
「ゴジラ割りと面白かったけど不満点はそれだけか?」に対して「勝手に答えてみる(シン・ゴジラへの一省察)」を書いた。あっちの批判はなかなか筋が通ってて答えがいがあった。
解散報道が出る少し前にジャニーズ事務所関係のことをツイートしたらSMAPのファンの方にたくさんリツイートされた。
普段はいわゆる「あちらの派閥」の担当のツイートを多く読むことが多く、どんなことをつぶやいているんだろうと思い、ツイートを見に行った。
たまたま見た人がそうだったのかもしれないが、とても殺伐としたツイートだらけ、もしくは他人のツイートをRTしたもので埋め尽くされていた。
特に事務所に対しての愚痴が多く、たしかに普段から事務所に不満がある私でも読んでいてゲンナリする内容だった。
そして最近の解散発表で、そういったファンのコメントが増え続け、読まされるこちらの身になってくれよというくらい、事務所のネガキャンを行っている。
そんなにあなたが好きなグループが所属している、そしてこれからも所属するグループが嫌ならさっさと独立してくれたほうがよかったのかと思いきや、そういうツイートはあまり見かけない。どっちなんだよ。
全てのファンがそうでもない、ということを踏まえて聞いて欲しいけれど、私としてはこのファンの暴走がうっとうしい。
お願いだから他のGのファンまで、タレントまで巻き込まないでほしい。
確かに事務所も体質が独特だから不満が出るのはわかるけれど、お前らのネガキャンは絶対いい方向には向かないし、こちらにまで迷惑かかるだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20160818003041
・1位 歩行中 1498人
http://www.mlit.go.jp/road/road/traffic/sesaku/xls/data08.xls
自動車依存、自動車中毒、自動車乱用が減れば減るほど地域が安全になる現実が見えてきます。危険ドラッグと同じですね。
実名公開、顔の公開、懲戒解雇、刑務所懲役につながる場合も多いのが自動車による加害、自動車交通犯罪。
http://www.geocities.jp/masakari5910/satsujinjiken_kiken_chishi.html
http://ecx.images-amazon.com/images/I/61A1q3r9IjL.jpg
自動車惨事は、車内の人間も一気に死傷する。下記はほんの一例、もっとひどいのはいくらでもある。
http://daily-news.jp/wp-content/uploads/2015/03/e-thumd4216.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/shashuhantei/imgs/9/3/9320de36.jpg
http://life-hacking.net/wp-content/uploads/2016/05/jiko.jpg
他に
・京都祇園で歩道のない道路で自動車が暴走して20人の歩行者等が死傷した惨事
他多数
●起きるの章
猫を背負って町を出て、何かでっかいことをしたいんだと思う中流ドロシー(少年・トゥーナイヴス)。
猫(型マスコット、喋れる魔法少年のしもべという設定)のトト。
◆◆◆
●承るの章
台風がやってきた。暴風警報が発令され、休校になった。少年ドロシーは退屈だった。
飼い猫トトとバタフライナイフとカッターナイフとLEDのライトとかたく焼きしめたパンをリュックに詰めこんで家を出た。
書き置きには「パパママごめんね僕はヤンキー とても口じゃ言えないくらいの 退屈な大人になんかなりたくないんだ ドロシー」
街で遭遇した交通事故。台風の所為かやじ馬はいなかった。少年ドロシーと同年代の被害者。
即死だったのだろう。
足元のナイキのエアマックスは雨に濡れているがとてもきれいだった(状態が良かった)ので、ドロシーは盗って履いてみるとぴったりだった。
背負ったリュックからトトが姫姉さまの声で死んだ人のものをとるのはやめなさいって言った。ドロシーにだけ聞こえる声で。
◆◆◆
●転がるの章
道すがら出会うのは
過剰な知識が人格を破たんさせたのか、博士はラブドールで腹上死。しかし、そのとき奇跡が……。
自称マッドサイエンティストにして非科学的存在、メガネと白衣のDr.スケア=クロウ。
ブリキとは武力。労働13号(レイバー13orロボット13)という林業用自立歩行作業用機械にして、見た目はゴスロリ美少女。
あまりにも勇敢過ぎて、腰抜け呼ばわりされただけでプッツンきちゃうんです。
「誰にも腰抜けなんて言わせないぞ"Nobody calls me (man)chicken"」が口癖。
僕に踏まれた町にして僕が踏まれた町のルビータウンから出るために1人の少年と3人の美少女(非人間)と1匹の猫がたんけんぼくのまち。
町を徘徊する一行の邪魔をする暇人、「XA(イクサ)の戦士」が送り込む刺客たち。基本的に少女たちが勝手に倒してくれた。
だいたいそういう展開がワンクール続いた。最終回直前。中ボス的存在が登場。
少年ドロシーは両手にナイヴスを握りしめ、エアマックスで大地を踏みしめ、町を駆け抜けた(逃げ出した)。
◆◆◆
●結ぶの章
町から逃げ出した(逃げ出せた)、少女たちからも逃げ出した少年ドロシーと飼い猫トト。
辿り着くのは最果ての街トウキョウ。
だけど、本当は全部に認められたかっただけと10年後に気付きそうになるけど、そのうちドロシーは考えるのをやめた。
トトはもう死んだ。
秋葉原事件後、似たような自暴自棄からの暴走がちょくちょく出てるけど、
このまま中間層は使い潰されて死んでいくんだろうなーと思ってた。
ある意味、某中東の「やれば48人の処女とあの世でセクロスできる権利」
という謳い文句と変わらないのだが、
自分勝手な理屈で自分勝手に行動するから、恐ろしくタチが悪い。
そして何より問題なのは、クソ真面目に働いてすり潰されていった中間層には、とてつもなく相性がいいってことだ。
これは私見だが、秋葉原事件は、自分を見てくれない世界への叫びだったと思ってる。
こんなに頑張ったのに、どうして認めてくれないの、と。
こんなに悪い事を放置してるのはいけない、なら、排除するのは正しい事だ!
犯人はリア充カテゴリの住人であり、友人から「バグちゃった」という証言から、
そして、サイコパスを育てた土壌が、昨今のブラック企業である。
明らかに過酷な条件で、低賃金で働かされ、問題が放置されたまま仕事が続いていく。
別の仕事で再起を図るも、これも出来ない。
この末にあるのは、自分を終わらせる自殺か、暴走する秋葉原事件のような他傷への道しかないと私は思ってた。
ところが、相模原事件で新たな可能性が出た。社会正義による殺戮である。
60年代大学闘争のようなイデオロギーの対立ではなく、この社会に属する者として、より良い方向に持って行こうとする、混じりっ気なしの善意なのだ。
その為なら、この身を喜んで犠牲にしようという、尊い自己犠牲なのだ。
狂っている。
社会に属する者として正気を保ちながら、狂気としか言えない行動を実行してのけたのだ。
この事件がただの殺戮でない事は、職員を生かしていた事からも読み取れる。
もしただの快楽殺人者なら、職員も患者も関係なく実行していただろう。
だが彼はそれをせずに、とても良い笑顔をSNSにアップして犯行を始め、終えた後、通報とほぼ同時刻に自首。
よくネット上で「富める逃げ切り団塊世代vs借金を擦り付けられた若者世代」
なんて対立軸が出てきたけど、この対立は、あくまで政治的に対立していく者だと思っていました。
これを解決するのは、いわゆる少人数による大人数への暴力行為なのですが、
戦後重犯罪最少記録を更新し続ける「おとなしい若者」には絶対不可能だと思っていました。
だが、相模原事件で新たな可能性が提示された。社会正義と自己犠牲である。
これって本当に恐ろしいですよ。
仕事感覚で殺人を行うキチガイが生まれるってことなんですから。
そして、それはブラック企業で慣らされた若者世代にとって、とても容易に現状を変革できる手段なんです。
超えちゃいけないラインをガッツリ超えてます。
となると、本当にやるかやられるか、なんですよ。
今後、増えていくんじゃないんですか?
まぁ、なんというか、お先真っ暗ですね。ご愁傷様でした。おわり。
良識ある人間は、ワクチンを打たずに大勢の人間死ぬのを回避するために
ワクチンを打って一部の人に副作用が出るのは仕方が無いと考えていると思う。
だが、このワクチンの怖さは、その副作用によって、知能や運動能力を奪われ生涯苦しみ続ける点にある。
今まで元気だった子供が、突然、死んだ方がましと言えるくらいの重い障害を負うのである。
副作用の仕組みは、添加剤である免疫活性化剤によって低確率ながら免疫が極端に活性化=暴走し、
自己免疫疾患(免疫機能が本人のカラダを攻撃し続ける)状態になると言われている。
猫にヴィーガン食を食わせたTwitter投稿が話題になっているが、菜食主義と言えば昨年、「僕が菜食をやめた理由」という記事がホッテントリ入りしていたことを思い出した。
http://neem.ti-da.net/e7306447.html
内容としては、慢性的な体調不良に悩んでいた菜食主義者が紆余曲折を経て菜食主義をやめ、今度は肉食(糖質制限)に転向したという話。肉食を疎んでいたものが今度は糖質を憎むようになったという感じで、そのジェットコースター並みの思考転換がなかなか読ませる記事で、方向は変わっても結局本質は変わっていないんじゃないか、これはこれで危険なんじゃと話題になった。
今回、そのひとのその後が気になり、久々に当該ブログを訪れた。最近は別ブログを始めたようだ。「僕が菜食をやめた理由」記事へのアクセスが相変わらずとても多いようだが、来訪者に向けこういった記事を書かれている。
どうやら現在は、穀類も肉類も野菜も、特に制限なく食べる暮らしをされているようだ。
ときおり、
「何を食べて良いのかわからない」
「⚪️⚪️についてはどう思いますか?」
といったメールを
情報が溢れすぎてて、様々な「全く違う主張」が
飛び交っているので、混乱するのも分かります。
ほんとに難しいですよね。
いつからこうなったのでしょう?
僕の考えとしては、「質を考える」ことと、
と最近は思うようになりました。
なかなか体調が改善しない」という人は、
とりあえず細かいことは置いといて、
一度頭をリセットして、
「とりあえず食事を楽しく、気楽に食べる」
「過食がとまらない」という人が多いです。
そういう人は、特に。
思っている以上に大きいです。
私自身は食への関心が薄い方であるから、この方の食や健康への情熱には共感できないところは多い。けれど紆余曲折の末この方が至った、「とりあえず食事を楽しく、気楽に食べる」という言葉には妙な説得感を覚えて、なかなか快い気分になったので、この増田を書いた次第である。
あるいは、去年の記事一番伝えたかった事:しあわせごはんとおやつneem やベジタリアンの言い分:しあわせごはんとおやつneem (タイミングとしては、「僕が菜食をやめた理由」を書かれた後に投稿された補足記事)も読んでて面白かったので補足しておく。
具体的には、金融緩和や財政出動のような需要拡大政策はまやかしであり、痛みを伴う構造改革だけが成長をもたらすことができるという立場、それがネオリベと言われるものだ。ブコメではid:h20pがその典型例だろう。
b:id:h20p アベノミクス賛成のスタンスもわからないよw 構造改革してないんだよww アベノミクスが成功しているなら、消費税を増税できるし、金利だって上げられるんだよwww
そしてここでよく見るべきはこのコメントに付いているスターだ。id:Gl17、id:kyo_juといった有名どころのはてサがスターを付けている。id:Gl17などは普段からネオリベを批判してはいるが、いざ自分の都合のよい時にはネオリベの言い分に迎合するわけだ。
これはある意味、日本のこの状況を象徴的に現している。安倍を潰したい、金融緩和を潰したい、目の前にいる敵を潰したい、潰したい潰したい。本来の目的を忘れ、敵を潰したいという欲望を叶えるためにネオリベの手を借りるという暴挙に出てしまっている。
これこそが今の日本の左派リベラルの惨状を生み出した原因だろう。反安倍のためには悪魔に魂を売ることも辞さないというわけだ。
数年前、SNSでとあるコンテンツが好きな仲間を探していた時に、気に入った人間にはしつこくダル絡み、自己評価低い割に漫画家目指すなどと声だけ大きく、そのくせ絵は下手クソで、同居する家族のことを口汚く罵ったかと思えば、(存在するかもわからない)恋人が恋人が、とリア充アピールは欠かせないような奴が、そのコンテンツのオンリーイベントの主催をすると意気込んでいた。
参加費取ります!やっぱり取りません!などと繰り返して最終的にどうなったかは覚えていないが、告知不足や責任能力の無さが露呈し、その主催含め4サークルくらいあったのが、2サークルくらい辞退して、主催と主催のお気に入りの2サークルしか残らなかった。
本出します!とも言っていたが、普段でも漫画はおろか絵すらほとんど投稿しないような奴だったので結局出せず、貴重な1サークルは、小学生が描いたような線画と平面塗りのゴミみたいなポストカードを金取って置いていたらしい。
何度か同人誌を出し即売会に慣れているもう1つのサークルは、本やグッズを売っていたようで、そのサークルのおかげもあってかそこそこ客は入ったようだが、尚更ゴミポスカだけの主催は恥ずかしくなかったのかな、とか、付き合い以外で売れたのかな、とか思ってしまう。
とにかく、その場のノリで主催やろうと思うのは間違いだし、イベント経験がないなら他の人に委ねるという選択肢もあったはずなのに、自分がやらなきゃ誰もやらない!と勝手に思い込んで暴走した挙句辞退者続出してスペースをゴミポスカで埋めるのも自業自得。
具体的にどう暴走するんだ?
南沙諸島を埋め立て占領している中国に警戒心を抱く事と安倍総理が暴走して戦争するという根拠不明のありえない仮定はどう見ても釣り合わないんだが
改憲反対を訴えた野党が大敗し、ようやく憲法改正に関する論議が始まることになったわけだが、それについて思うことがある
改憲反対派の多くが「緊急事態条項」の危険性を盛んに喧伝しているようだけど、これってはっきり言って悪手だよね
これ、近い将来中国が自衛隊の戦闘機を撃墜でもしたら、一瞬で木端微塵に吹き飛ぶ戦略でしょ
中国軍があと数年のうちに暴発、暴走するのは、もう規定路線でしょ
いざその時が来て、日本人が冷静さを失う瞬間に備えてブレーキをかけられるよう戦略を練るべきだと思うんだけど、そういう話をしている護憲派を見たことがない
自分の同じ状況になったことがある(というかなっている)ので、その不安感というかなんとも言えない気持ちはわかる
一日の中でふとしたときにそのことを考えて落ち込んだりして、
でも心の奥では不公平感や、自分だけ悩んでいるという苛立ちがあるんだと思う。
きっぱりと問いただしたいけど、
真実を知ってしまう怖さや、嫌われたくない気持ちや、うまく回避されて解決しないという不安や、言うことによってお互いにギクシャクしてしまうことや
まさに不安だらけの状況
こうすれば解決する!って道はないと思うけど、
まず確実なのは、2人が理解しあえて認められる解決策をみつけるのが大切だと思う。
他の人がどうこうや、世間一般的がどうこうとか (2人が世間一般の目を大切に思うならべつだけど)
結局は二人の世界のことなんだから、2人が”OK”ってなればそれが最善の解決策だと思う。
例えば、異性間においてはパートナーに言えないことはしない! とか、幼馴染以外で男女2人でお茶するのは禁止とか
そして、そうするためにはやはり一度話し合う必要があると思う。
今の感情を我慢して、自分の中で処理して、いつか忘れたりするのを待ったりとか、
自分の感情だけを伝えて束縛女とか、嫉妬深い女とか思われたらどうしようって気持ちあるけど、
このままだとずっと彼氏に不信感を抱いて、逆に関係が悪くなるし、
彼氏も、何も相談もされてないのに勝手にひとりで落ち込んだり、暴走されて関係が悪くなるのは悲しいと思う。
もちろん彼氏が察してくれたらいいけど、ここでは察しては相手に依存?というか、自分が逃げてる or お母さんにかまって欲しい子供の対応になるのでやめたほうが良いと思う(主さんなら大丈夫だと思うけど)
自分の気持ちを整理して、何が自分の悩まして、どんな気持ちだったかを伝える時間を持つべきだと思う。
たぶんどうしたらよいのかってわからないと思うから、そこからは2人がお互いに妥協?理解しあえる解決策を見つければよいと思う。
今後こんな解決策がでてこないことなんてたくさんあるとおもう。もちろん今回のことはものすごく大きなことだけど、
こんな彼女にとって困難なことを2人で乗り越えたいって気持ちを伝えるのが大切だと思う。
それにすぐに答えを出そうって思わなくても良いと思う。
それは後から後悔することが多いと思う。なんであの時はこんなに焦って答えをだそうとしてたんだろうって
極端だけど、
「自分はこんな気持ちになって悲しかったり辛かったの!だから謝罪するか、行動を改善してよね!!」
「自分はこんな気持ちになって悲しかったり辛かったの!今後も2人で幸せに生活したいから、たくさん悩んだけど1人じゃ解決できなさそうだから、2人でこのこのことについて協力し合って解決しよう」
って気持ちがあれば、彼氏がうっとうしく思うことはないと思う。
あくまで個人の意見だし、あなたと同じ立場だからよくわからないことが多いけど、
1人で抱え込むより、相手に相談するってのが最善で、今後長い将来のためだと思うよ
良い結果になることを願ってます^^
こっちもうまくいきますように。。。
http://this.kiji.is/124649168083369991
なるべくして、なったって思ったわ。
で、2chやら見てると、
「やっぱり西成www」って西成がバカにされとるから、わいが知ってること、一言、三言ぐらいいうとくで。
ちなみにわいは26沿いのマンションに住んどるが、西成ではない。
これは酔客が正義ンゴ。少なくともワイは酔客の味方や。
毎月1回~2回、26沿いを爆音×100で通り過ぎるけど、それはめちゃくちゃうるさいんや。
うるさいというか、うるさいを超えとる。
あまりにうるさいから、わい、プロのカメラマン気取りで、一眼レフ片手に26沿いを撮影したいと思ったぐらいや。
50人ぐらいは確実におる。
で、昨夜に限ってはバイクの数が多すぎて、爆音×1000ぐらいで、それはもうひどいもんよ。
爆音というか轟音やな。轟音。地響きやで。音が終わらへん。
わい、この轟音で目覚めて、しかもそれがずっと鳴り響くから、怖なったん初めてやで。
わい大阪に来て5年目で、昨夜ばかりは「治安もへったくれもない」って初めて思った。
阪神大震災、経験した人いるやろ。あまりの恐怖に「はよ地震終わってや」っていう祈りに似た気持ち。
それ知ってるやろ?
それと似とる。
というか、平気で破るやで。
酔客がきれてもしゃーないし、むしろきれて、ゴミ箱やら自転車を投げて、
暴走族の一部を止まらせたんは正直度胸あるし、めちゃくちゃ偉いンゴ。
わい、その酔客に感謝しとる。
100人の暴走族がバイクを走らせて、それに対して自転車投げられるか、ふつー?
喧嘩できるか?
無理や。
酔客が自転車やらゴミ箱やら投げ飛ばして、暴走族と喧嘩せーへんかったら、
毎月ひどいけど、ほんま昨夜の暴走族の轟音はひどすぎた。
わい、時々、大阪府警の世話になっとるから、大阪府警に感謝しとる。
けど、はっきりいうて、大阪府警はこの暴走族になめられまくってるわ。
ほんまケツ犯されてるやで、大阪府警。
わい、これをきっかけに、この連中の身元がばれて、こいつらの活動が少しましになることを期待しとる。
わい、その酔客にお礼いうやで。
おおきに。
護憲派で特にとんがってる菅野完さんがまたなんかおかしな記事書いてる。
「経済政策で野党がダメだから自民党に投票する」という愚劣さについて
いつもおかしなこと書いてるけど今回は特にひどいね。「啓蒙」の考え方が暴走しているうえに、ウソを言って人をだまそうとしてる。もはや「啓蒙」ですらない。ただの「洗脳」か、読者を馬鹿にしすぎてるだけのただの狂信者という趣だ。
井上達夫さんは「リベラリズムの基本的な価値である正義は、他者に対してフェアであること。正義とは他者に対する公正さ。」「リベラリズムの源泉は啓蒙と寛容の伝統。自分の他者に対する要求や行動が自分の視点からだけでなく他者の視点からも正当化されているかを自己吟味することが必要。正義は自分の要求を他者に押し付けることではない。」と語っていたけれど、上の記事にはそういう観点がないので、この人はリベラリズムとは縁がない存在と思いたい。 護憲派と一緒にされるの心底迷惑だ。
「安倍政権のやり方に危惧を覚える人々ですら、野党やリベラルはもっとひどいという不安があって、世論は、安倍政権の強引な手法に不安を抱えつつも、より害悪が少ないものとして支持している」
ほんまこれな。菅野さんだけがとがってるならいいんだけど、上で書いてるようなことを他にも主張する人がいて、完全に目がイッチャッてるのに自分は優良な人間で周りが愚かだと思ってるからもう完全に救いがない。
原理主義的護憲派と修正主義的護憲派という二種類の護憲派。専守防衛であったとしても自衛隊の存在そのものが違憲と考えるのが原理主義的護憲派。専守防衛の枠内なら自衛隊は合憲だと言ってしまうのが修正主義的護憲派。
専守防衛の自衛隊や安保を政治的に必要だからという理由で事実上容認しつつ、専守防衛の自衛隊を認める明文改憲には反対。自衛隊の違憲状態を固定化しているという意味で原理主義的護憲派は憲法を守っていない。
修正主義護憲派も、現実主義的に見えるけど、9条2項を考えるとあからさまな解釈改憲。世界第二位の自衛隊が戦力ではないということになり、米軍とともに行う自衛権の行使が交戦権の行使ではないということになる、無理な解釈改憲。原理主義的護憲派も修正主義的護憲派も憲法を守っていないので、安倍政権の集団的自衛権容認を違憲だと批判するのは欺瞞。この欺瞞ゆえに護憲派の安倍政権批判が力を持てないし、このような考えはリベラリズムとは何の関係もない。護憲派をリベラルと呼ぶこと自体がおかしい。
リベラリズムは憲法の精神や立憲主義を守るという意味では基本的に護憲の立場ではあるが、日本の護憲派は憲法を全然守っていない。リベラリズムが護憲を主張するのは「憲法に定めていいのは、特定の党派に有利にならないような公正な競争ルールと、少数者を保護するための基本的人権」だからだ。
にも拘わらず、護憲派を主張する上記人物は自分の意見に沿わない人は愚劣だと罵る。これは憲法の精神に反しているので話にならない。なんちゃってリベラルであって、主義主張として評価すべき点がない。ただの自分の意見をごり押ししたいだけのわがままちゃんだ。 この人たちは護憲派とよぶことさえも語弊があると言える。
こういう人と一緒にされるのは耐えがたい屈辱である。リベラルの立場からも、この人の今回の記事は遺憾であると述べさせていただきたい。
この手の話になるといつも思うんだが、憲法9条を改正するだけで日本の軍事力がいきなり高まるくらいに思ってる人っているよな。
軍備拡大への正当性はある程度獲得できるかもしれないけど、実際にやろうと思ったら金も人も技術も全部足りてない訳じゃん。
歩兵一人にしたって、先進国の歩兵ともなれば十分な教育、最新鋭の装備、充実した訓練、命を賭けるに足るだけの給与と相当な金がかかる。
戦闘機や戦車、艦艇となればさらにアホみたいな金額がかかるし、単純な頭数を揃えるだけでもこれから若者が減っていく日本にとっては大きな負担になる。
その点に対する議論はほとんどされてないように見える(軍オタの人とかはそういうのも気にしてるとは思うけど)
軍事力強化への道筋も定まってないのに憲法9条だけ改正しても無駄に仮想敵国を刺激したり、在日米軍が日本から撤退したり大幅に派遣規模を縮小したりする口実にされるだけなんじゃないのかなぁって思うんだけど。
それに少なくとも対外的には日本が日中戦争→太平洋戦争と泥沼に突っ込んでいったのは軍部の暴走にあるということしてる訳だから、その二の舞を踏まない為の仕組みをきっちり作って抜け穴もばっちり塞いで、そういうことはもうないですよって海外に向けて胸を張って言えるようにする必要もあると思う。
それ無しでは外交的にあまりにもリスクが大きすぎる(あったとしてもハンデにはなる)。
でもそこに対する改憲派の意見やら議論やらあんまり聞こえてこないというのも結構な不安要素だと思う。
現状の憲法のままで例えば中国との軍事衝突を回避しつつ国益を確保するというのは余程高い外交力が求められると思うんだけど、与野党、外務省などを見回してもとてもそんな力量があるとも思えない。
攻撃を受けた際への対処も護憲派内でも意見がまちまちだし、その中にはあまりにも非現実的な考えも多い(端から見ると念仏代わりに9条唱えれば敵が退散するくらいに思ってるんじゃないかって人もいる)
ただ9条を守れと叫ぶだけではなく、9条を維持した上でどう日本という国を守っていくのか? という点に対する議論を深める必要があると思う。
一般人の中で改憲派の人達の根底にあるのは仮想敵国(主に中国)に対する不安なんだからそこを解消しようとしない限り何を訴えても無駄でしょ。
というかこうやって書いてみて思ったけど、改憲派も護憲派もお互いが正しいと思う事を叫ぶだけで相手を説得しようしてる感じ全然ないよな。
俺が知らないだけかもしれないけど、そういう人をほとんど見ない。
政治ってこういう意見の衝突を摺り合わせて現実的な選択を探ることにあると思うんだけど、なんでそういう流れにはならんのだろうなぁ。