2016-08-01

相模原事件の、今までの若者特有犯罪との相違点について

秋葉原事件後、似たような自暴自棄から暴走がちょくちょく出てるけど、

正直、てんかん暴走自動車のほうが死者が多いので、

このまま中間層は使い潰されて死んでいくんだろうなーと思ってた。

ところが、相模原事件で新たな可能性が出てきた。

社会正義による殺戮を行うキチガイである

 

 

ある意味、某中東の「やれば48人の処女あの世セクロスできる権利

という謳い文句と変わらないのだが、

自分勝手理屈自分勝手に行動するから、恐ろしくタチが悪い。

そして何より問題なのは、クソ真面目に働いてすり潰されていった中間層には、とてつもなく相性がいいってことだ。

これは私見だが、秋葉原事件は、自分を見てくれない世界への叫びだったと思ってる。

こんなに頑張ったのに、どうして認めてくれないの、と。

ところが、相模原事件

こんなに悪い事を放置してるのはいけない、なら、排除するのは正しい事だ!

と、自分勝手判断して実行した。

 

 

もうこれはキチガイ判断であり、

問答無用鉄格子に入れる案件だと思う。

だが問題は、事件発生の土壌である

犯人社会正義のために殺人を犯したサイコパスだと思うが、

犯人は、生まれながらのサイコパスではない。

犯人リア充カテゴリの住人であり、友人からバグちゃった」という証言から

後天的サイコパスになったのは間違いないだろう。

そして、サイコパスを育てた土壌が、昨今のブラック企業である

 

 

明らかに過酷な条件で、低賃金で働かされ、問題放置されたまま仕事が続いていく。

問題解決を図るが、ことごとく失敗する。

別の仕事で再起を図るも、これも出来ない。

不況、というより20代若者たち未来への閉塞感。

この末にあるのは、自分を終わらせる自殺か、暴走する秋葉原事件のような他傷への道しかないと私は思ってた。

ところが、相模原事件で新たな可能性が出た。社会正義による殺戮である

60年代大学闘争のようなイデオロギー対立ではなく、この社会に属する者として、より良い方向に持って行こうとする、混じりっ気なしの善意なのだ

その為なら、この身を喜んで犠牲にしようという、尊い自己犠牲なのだ

狂っている。

 

 

社会に属する者として正気を保ちながら、狂気しか言えない行動を実行してのけたのだ。

この事件がただの殺戮でない事は、職員を生かしていた事からも読み取れる。

もしただの快楽殺人者なら、職員患者関係なく実行していただろう。

だが彼はそれをせずに、とても良い笑顔SNSにアップして犯行を始め、終えた後、通報とほぼ同時刻に自首

やりきった笑顔護送されていった。

 

 

ここまで書いて、ガチ吐き気がしてきたけど、後少しだけ。

よくネット上で「富める逃げ切り団塊世代vs借金を擦り付けられた若者世代

なんて対立軸が出てきたけど、この対立は、あくま政治的対立していく者だと思っていました。

ですが、現実には数の暴力によって政治家は抑えられ、

立場的にますます追い詰められていきました。

これを解決するのは、いわゆる少人数による大人数への暴力行為なのですが、

戦後犯罪最少記録を更新し続ける「おとなしい若者」には絶対不可能だと思っていました。

だが、相模原事件で新たな可能性が提示された。社会正義自己犠牲である

これって本当に恐ろしいですよ。

マジメなあの子が、なんてレベルじゃないです。

仕事感覚殺人を行うキチガイが生まれるってことなんですから

そして、それはブラック企業で慣らされた若者世代にとって、とても容易に現状を変革できる手段なんです。

超えちゃいけないラインガッツリ超えてます

 

 

これを解決するには、現状の職場問題解決する事なんですが、

そんな事は絶対不可能です。

となると、本当にやるかやられるか、なんですよ。

今後、増えていくんじゃないんですか?

上司人間扱いしなかったから、部下も人間扱いをせず、

粗大ゴミを廃棄するように、「大掃除」をするなんて事態が。

まぁ、なんというか、お先真っ暗ですね。ご愁傷様でした。おわり。

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