はてなキーワード: 大学闘争とは
それ世代差なんだよな。
20世紀までの社会学部ってのは、変人のあつまるところだった。
終わったはずの大学闘争に興味をもあっている奴、ガチで社会貢献したいやつ、社会に適合できないから社会を研究したいやつ。
それこそ「国際○○学部」だの「人間○○学部」だのをつくって、社会学をやる場所はそこになった。
すると旧来社会学部に来てた少数のやつだけじゃなくて、国際○○とかなんか曖昧だし楽ちんそう、って学生が沢山きた。
あと人間○○学部には、社会不適合者来ないし。人間興味ないから。
まあ大学も学生たくさん釣るために学部再編したんだからね。だいたいその意図通りなんだと思う。
教授陣は前者の環境で育ってるからね、そりゃガチ思想だし、コミュ力も低めだよ。
戦争経験世代が滅茶苦茶嫌がってたことは何かって「若者の行動を制限すること」
だったんだよね。
自分たちが第二次世界大戦で6年間を戦争に奪われ、自由に青春や勉強すらできなかったから、
特に彼らは「若者の時間が奪われる」事に対して敏感だったんだよね
だから大学闘争もその他諸々も、「若者の権利を制限しよう」じゃなくて「やらせてみよう」だったわけよ
コロナで分かったけど、今の「自由に生きてきた」老人は若者の権利を制限することに容赦ないよね
なんというかアダルトチルドレンが上に立って好き勝手やっている感覚
今の若者は政治に興味が無いというより、「政治家も頑張ってるんだから応援しよう」という気持ちの人が多いらしい
要は全く信用されていないんだよね、今の老人世代
期待もなんもされていなくて、諦められている。
父の日が近い
毎年父の日には4〜5000円くらいの予算で何かしら送ることにしてる
9割がた食品や飲料なのだけど5年前くらいから血圧とかコレステロールとか血糖値やらに制限がかかり選択肢がなくなってきてる
なら今年は高級茶でも送るかなとか思ってるけど若干物足りない気もする
なら物にすれば良いじゃないかと思われるかもしれないが
そもそも父は仕事や今は亡き祖父母の世話にかかりっきりで趣味という趣味がほとんどない
運動不足もあって最近は出不精で 世間への興味も薄れ 家でテレビやパソコンを見てごろごろしてるようだ
そんな父に何か送るとしたら何がよいか
などと考えていて気づいた
そういえば割と父はインテリで ちょうど大学闘争の世代だったのもあり若い頃は政治や経済の本とかニーチェとか読み漁ってたと聞いたことがある
最近は小難しい本を読んでた気配はないけど私の部屋から村上龍の小説やらを持ち出して読んでたりもしたようだ
なら本を送ってみたらどうか それも現在や未来の世界に再び興味を持ってもらえるような
だけど70歳の読解力がどの程度なのかも分からなければ そもそもそんなジャンルの本がいまいち思い付かない
何かあるだろうか?
とりあえず今のところ思い付いてるのは大前研一の「日本の論点2019〜20」
まあ送ってきたら正直ビビるだろうけどとりあえず読んでくれはしそうな気がする
秋葉原事件後、似たような自暴自棄からの暴走がちょくちょく出てるけど、
このまま中間層は使い潰されて死んでいくんだろうなーと思ってた。
ある意味、某中東の「やれば48人の処女とあの世でセクロスできる権利」
という謳い文句と変わらないのだが、
自分勝手な理屈で自分勝手に行動するから、恐ろしくタチが悪い。
そして何より問題なのは、クソ真面目に働いてすり潰されていった中間層には、とてつもなく相性がいいってことだ。
これは私見だが、秋葉原事件は、自分を見てくれない世界への叫びだったと思ってる。
こんなに頑張ったのに、どうして認めてくれないの、と。
こんなに悪い事を放置してるのはいけない、なら、排除するのは正しい事だ!
犯人はリア充カテゴリの住人であり、友人から「バグちゃった」という証言から、
そして、サイコパスを育てた土壌が、昨今のブラック企業である。
明らかに過酷な条件で、低賃金で働かされ、問題が放置されたまま仕事が続いていく。
別の仕事で再起を図るも、これも出来ない。
この末にあるのは、自分を終わらせる自殺か、暴走する秋葉原事件のような他傷への道しかないと私は思ってた。
ところが、相模原事件で新たな可能性が出た。社会正義による殺戮である。
60年代大学闘争のようなイデオロギーの対立ではなく、この社会に属する者として、より良い方向に持って行こうとする、混じりっ気なしの善意なのだ。
その為なら、この身を喜んで犠牲にしようという、尊い自己犠牲なのだ。
狂っている。
社会に属する者として正気を保ちながら、狂気としか言えない行動を実行してのけたのだ。
この事件がただの殺戮でない事は、職員を生かしていた事からも読み取れる。
もしただの快楽殺人者なら、職員も患者も関係なく実行していただろう。
だが彼はそれをせずに、とても良い笑顔をSNSにアップして犯行を始め、終えた後、通報とほぼ同時刻に自首。
よくネット上で「富める逃げ切り団塊世代vs借金を擦り付けられた若者世代」
なんて対立軸が出てきたけど、この対立は、あくまで政治的に対立していく者だと思っていました。
これを解決するのは、いわゆる少人数による大人数への暴力行為なのですが、
戦後重犯罪最少記録を更新し続ける「おとなしい若者」には絶対不可能だと思っていました。
だが、相模原事件で新たな可能性が提示された。社会正義と自己犠牲である。
これって本当に恐ろしいですよ。
仕事感覚で殺人を行うキチガイが生まれるってことなんですから。
そして、それはブラック企業で慣らされた若者世代にとって、とても容易に現状を変革できる手段なんです。
超えちゃいけないラインをガッツリ超えてます。
となると、本当にやるかやられるか、なんですよ。
今後、増えていくんじゃないんですか?
まぁ、なんというか、お先真っ暗ですね。ご愁傷様でした。おわり。