はてなキーワード: 普通とは
普通の本屋なんてこれから潰れるか、電子書籍を扱えないリテラシーの老人相手に本を売りながら延命しつつ消滅していくしかないだろう
あとはお前らが嫌いなコンサルが入った本屋みたいに、カフェやワークスパーやオシャレ雑貨やイベントとかで文化の集積を売りにして生き残るパターン
都会ほど有利、田舎ほど不利
あれくらいの胸の描写だとノイズにならなくて物語やキャラを素直に受け取ることができる
みんなこういう描写だったらいいのに
胸を強調しなくても人気が出るということがもっと広まったらいいな
メンタル病んでたんだが最近ようやく、本当に治ったんだなと実感できる。
2年前でも相当良くなったと思ってて、でもどこかへ行くのはすごく怖かったし毎日薬飲んでた。
突然ドーンと精神が落ちるからそれが怖かったし、何だか分からないけど恐怖を感じてた。
考える力が落ちてたんだと思うけど、それでもどうにか普通になりたくて、2年前に旅行に行った。
でも選んだホテルがひどいホテルだった。今だったら絶対選ばないし、メンタル病む前にも良く旅行行ってたがその時でも選ばないような所。
今の私なら無理と感じるのに当時は全然平気だった。なんか全部夢の中の出来事みたい、価値観も変わっている感じ。
その時はかなり良くなってて、選んだホテルも普通だった。2択しかなかったけど…。
実はこの旅行にはもうひとつイベントを仕込んでて、大切な人に会う重要な日があった。
会う時は薬を飲まない状態で会いたかったので、調子が良いと思った時は薬をやめてみて、薬を飲まなくても大丈夫な日を予め増やしていった(医者には黙ってた)。
薬を飲まない方が頭がすっきりする感覚があった。
ちゃんとしてなくちゃいけなかったから、ちゃんとした格好で行かなきゃいけないんだが当時の服をいま久々に着てみたら丈がまるで合ってなかった。
でも私は覚えている、この服を買った時何着も試着して鏡を見て「大丈夫だ」と確信を得てから買った。
で、現在。
現在は全く薬を飲んでいないし、かなり不安で緊張することがあっても薬を飲まずに済んでいる。
メンタルを正常に保つためにやっていたこと(11時には寝る、7時に起きて朝散歩、酒は飲まない、筋トレ、VBとVDの摂取、マッサージ)は今さぼっているけどそれでもメンタルは安定している。
自己否定もすっかりやんだ。
たまに今でも頭の中に嫌な感じで言葉が埋まっていくときがあるけど、それはすぐに気付けるし止まるし、ちょっと疲れてるなって気付いて早めに寝たり運動したりしてリフレッシュできてる。
グランダキシンも飲んでるの?
ところでゾルピデムの副作用といえば一過性前向性健忘じゃろ(通称・小人さん)
一夫多妻制の導入は左翼のイメージがあるが実は右翼こそ一夫多妻制を推進するべきなのである。江戸時代には大奥があったように日本は昔から一夫多妻が普通であった。天皇の世継ぎ問題を起こさせないためにも一夫多妻を導入することは理にかなっているのである。
けど具体的に困難なことが分かれば分かるほど、もう滅びるでいいんじゃね…という気分になる
リアル書籍は贅沢品として注文からの印刷サービスになったらいいんでは
その辺のマスゴミなら「ダサい」まで言われず、普通のマスゴミだよね、で終わってたのに
仮に裁判で「厳密には」ステマじゃなかったとしても、ダサいって印象は覆らないわ。
ちょうど今、ユービーアイソフトがスターウォーズ無法者達のプロモーションで、世界中のインフルエンサーをアメリカに招待して、飛行機代も宿泊費もユービーアイソフト持ちで、ディズニーのVIPツアーにも招待してて、「ステマでは無い」って言ってるけど、
もちろんステマでは無いし、ステマライターよっぴーもステマでは無い、って記事を書くだろうけど、
話題になるくらい問題視されてるって事は、世間一般はステマだと思うって事だよね。
ステマじゃないけど。
まぁそこまでされて悪い評価書かないでしょ、スターウォーズ無法者達について。あと、Google pixelもなんか炎上気味?だったけど。
あっちは逆に悪く書くな、って規約か。
ともかく「依頼してないからセーフ!」
ならステマし放題になるし。
でも、合法なんだよね。
だから、もちろんステマステマライターよっぴーも合法だし、ステマしてるなんて言ったら名誉毀損になるから、言わない方が良いよ。
ユービーアイソフトの手口は、日本よりステマの規制が厳しいアメリカで(とりあえず)合法なんだから、ステマじゃないし、
当然、裁判結果を待つまでもなくステマ(疑惑の被害者である)ライターよっぴーも、ステマしてないと俺は思うよ。日本はアメリカよりも緩いからね。ステマ規制。
こうやって見るとChatGPTは切ってもいいかもなぁ
内容 | 価格 | 備考 |
---|---|---|
Google One(Googleドライブ 2T) | 年額 ¥13,000 | 普通の動画(昔ニコニコに投稿してたやつとか)や自前エンコmp3ファイルとか |
Drop Box(2T) | ¥1,200/月 | エロ動画などGoogleで垢凍結の危険があるもの |
ChatGPT Plus | $20 ドル/月(2,953.10 円) | 最近使ってない気がする… |
GitHub Copilot(プログラム支援AI) | Monthly payment $10.00(1,476.55 円) | プログラム支援としてめちゃくちゃ優秀。 便利すぎて頼りすぎると危ないまである |
LYPプレミアム(旧Yahooプレミアム) | 月額 508円 | 確か最初はヤフオクがお得になるとかで加入した。 今ヤフオクは使ってないけど、メアドをサブとしていろんなサービスに登録しちゃったから切れない |
YouTube Premium | 月額 ¥1,280 | YouTubeは昔のテレビレベルで日常的に見てるから個人的に必須。 おまけで付いてくるYouTube Musicも有用。Spotifyから乗り換えたレベル |
Amazonプライム | 年間 ¥ 4,900 | Amazonの買い物、プライムビデオ。有用 |
ちょっと悩んでるの
ロング丈だがノースリ まあ家で着るだけだし良い
着てみていろいろ感慨深い
自分は近年15キロダイエットで落としてるのだけど、これ買ったころにはまだサイズアップして服を買ってないんだな
そこそこ太ってたはずだが自覚は無かったのかもしれない
普段使いはできない・たまの家着にと思って実家に置いてったんだと思うが、今着てみて全然アリだ
好みが変わったのか体型もダイエットで変わったのか
そんでデザイン この花柄に既視感あるなと思って検索したら、リバティのコラボ商品だった
2016年というと8年前か
リバティ、後に好きになりあれこれと小物を集めることになるのだが、この当時はまるで興味はなかった
単に夏物ワンピとして買ってる
当時もこのワンピの赤をベースにカラフルで賑やかな花々の柄はいい感じだとは思ったが、なるほどリバティだったか
一度ハマった後の今だと、ああ確かにと思う
仕事に限った話じゃないけど、現場仕事でもデスクワークでもほとんどの場所では基本ルールだよな
タイトルに簡単に言えば「趣味的な本屋の販売量だけでは、現在のシステムを維持出来ず書籍文化が崩壊するから」という事になる。
これは他の経済活動でも同じで、趣味で採算度外視、あるいは薄給でもやりがいだけでやっています、と言うようなものが蔓延ってしまうと、後は滅ぶしかない。
一度滅んだ後に残存者利益が出てくると、改めて採算が取れるようになるのだが、その時は今の豊富で豊かな出版文化はなくなっているだろう。
と言うわけで、いただいた反応の中からいくつか補足としてワイの考えを述べておく。
上客、太客だから。
書店の顧客は、他の小売店と違い、売上の8割を2割の客が買っている、と言う極端な構造がある。色々な調査でひとりあたりの本の購入量の統計を取ると、左に大きなピーク、右に小さなピークの崩れたM字型になることが知られている。一つ目が年に数冊しか本を買わないライトユーザ。そしてもう一つが欲しい本があれば、後先考えず際限なく本を買ってしまう病人である。つまりワイら。
そして、わざわざリアル書店で客注を出すような顧客というのは、大抵後者なのだ。
「 客注は最速でも2,3日かかるのならば、ネット書店に勝てないのではないか」という話もあったけれども、こう言う後者の顧客は、あえて意識的にリアル書店を使っている。そしてお願いした本を仕入れてくれるという体験を求めている。
確かに単体では儲からないが、その先にある最も儲かる「コンスタントに本を買ってくれる客」を育てる事に繋がるから。
客注というのは今も昔も単体で儲かる仕事ではない。しかし、顧客サービスとしてはコスパが良いのだ。
日本の書店は委託販売という仕組みであり返品が自由、在庫リスクがない一方で、利益率がかなり低くなっている。概ね売価の7割から8割ぐらいが仕入原価で、20%~30% ぐらいが小売店の取り分になる。ここから店の運営経費を賄うことになり、概ね原価率は9割を超える。一般の食品スーパーで利益率目標が2割以上を指向することを考えると、利益率は低い。
そのため、一冊売る程度では全然儲からない。文庫本1冊注文されても仕入原価-売価が100円であり、客注対応の為に店員をひとり増やしたりすると赤字、と言うレベルである。
が、当然ながら、人件費は固定費に近い性質を持つのでこんなにシンプルではない。例えばコンビニで郵便はがきを売る・宅急便のサービスをするのは、それらを利用するお客はついで利用を促すことが主だが、似たような性質と言えばイメージしやすいだろうか。
さて、ネットの方が早いし面倒がない、と考える方の意見が多く見られており、これは事実である。増田をみる様なユーザであれば尚更だろう。しかし、ネットとリアル書店の間の配送期間というハンデがほぼ同じになる瞬間がある。
それが「新刊」である。新刊の発売日は統制が進み、現在ではネット書店ではフライング発売はほとんどない。
習慣的に本屋に行き、あるいは新刊が出ると、とりあえず自店で購入してくれる顧客をどれだけ確保できるかが店の成否に繋がるのである。
そして、たくさんある書店の中から自店を選んでもらうには、価格統制がされている書籍では「体験」を育てるしかなく、客注とはそのための重要な機会なのだ。ネットで買えばすぐに届くし、そうでなくてもコンビニコピー機で注文すれば早い事を知りながら、あえて書店を使う顧客を捕まえるチャンスなのだ。
これはほとんどの場合間違っている。利益はでない。と言うのは、以下の様な性質があるためだ
またイベントを開くと
しかし、これらを承知の上で、上客を得るために実施するのは悪い事ではない。
が、それはいつもちゃんと本が買える、要望に応えてくれるという基礎があってこそであるので、そこを蔑ろにしたままやってもよくない。
さらに言うと、いつもちゃんと本が買える、と言う事に対して、イベントを開催するというと言うことは対立してしまうことがある。
本屋とは、ものすごい指向に幅があることを扱っているのが通常だから。指向に合わないイベントをやっていると邪魔に感じることすらあるので結構気をつけなければならない。イベントで顧客をゲットと繰り返したら、そのイベントの指向が自分にあわないと、居心地が悪く感じて顧客が離れてしまうと言うとは、残念ながらよくある話なのだ。
大手書店が専用のスペースを設けるなどして、かなり気を遣っているのはこのためである。
出版社や書店がフェアやイベントに消極的だ、という事ではない。売れない事が問題なのだ。売れずにやりがいだけを消費してしまって持続性がないことが問題なのだ。
これはそう。
でも、Amazonの一番早い便でも半日後であることに比べると、本屋の店頭で買うのは見てすぐ実物を手に取れるので最速だし、本を読みたい欲を一瞬で満たしてくれるのはメリット。
ん?電子書籍? んん?ヨドの店頭受け取りだと30分でいける? まぁそれはそう。
Amazonやヨドと比べられるとそれはそうなんだが、これでも他の小売業界向けの卸としてはめっちゃ早い。
Amazonやヨド、紀伊國屋などが取次在庫ありの場合、即配サービスより早いのは、彼らは自社で取次の倉庫まで取りにいっているからです。そこまでの出荷は一緒です。
それから、大都市圏だと、午前中に出した客注が当日出荷になって翌日に届くことも仕組み上あります。
新刊の配本のうち8割以上が既にパターン配本でなくなっているので、認識がだいぶ古い。
パターン配本の批判が強まり、出版社が指定した配本が行われるようになった。
が、結果から言うと、返本率が増加し出版社も在庫を抱える事になった。
そこで現在、取次は出版社や書店に積極的にデータを開示し、配本を支援するシステムを用意して提供するようになった。取次のパターン配本だけに頼るのではなく、自分たちでも判断してもらおうと言う事である。
これによって、中小の出版社側もその注文に乗っかって大丈夫かと言うことをシステム的に判断するようになりつつある。
この状況で本が来ないと言うのは、出版社が数を減らしていると言う事だ。
結局は自分の店で売れるものは入荷するが、売りたいだけで売れそうにない本は入荷しないというだけ。出版社はベストセラー倒産などしたくはないのです。
ただ、最近は買い切りの条件で注文数そのまま出荷する取り組みをやっている所も無いわけではないが、広がってはいない模様。
これはもう間違い無い。
一般小売で考えると、趣味でやっていてきちんと経営していない店相手であると、卸売り業者は普通ここまで付き合わないが、取次という業態、あるいはその出自から考えて、半公共団体のようになっている面があるから今まで付き合ってたわけだが、それが限界に達しているのが今だ。
利益率という点では、実は取次の取り分(仕入原価-卸売り価格)は書店よりもさらに低く、5~10%程度だと言われている。ここから経費が引かれて利益率になるとすると、一般卸売業者の利益率の半額程度になってしまうと言う状況だ。
統計に寄れば、書店の販売額は立地と坪数でほぼ決まると言われている。好立地の所では、ひと坪あたりの月商が13万円だという。仮にこれで15坪の小規模書店とすると、約200万円の売上げになる。さて、この書店から取次が得られる粗利(諸経費を一切含まない)は20万円が最大と言う計算になる。アルバイトひとりも雇えない金額だ。ここから、人件費、運送費、配達比、様々なリスク費用、システム費用などを支払って利益になる訳がない。
取次が利益を上げるには、仕組み的に規模の商売を追求する一方で、流通コスト削減(これには返本率を下げる、と言った活動も含む)ぐらいしかやりようがない。小さな書店が商売できる様に支えるのはほとんどボランティアである。
儲かっていたころは良かったが、限界が近付く中、少なくとも黒字になること、自社が用意したサービス(即配や、データドリブン経営を行うシステムの提供など)をきちんと使いこなしてくれる事を条件に、それ以外の自然淘汰を止むなしと考えているのはそうなのだろうと思われる。
この取次の利益率が固定されている中で、一般流通流通のスピードを上げろと言うのは無理だ。物流のコストが上がりすぎているからだ。中小書店への配送を維持しつつコストをどう下げるか、そのためにはサービス水準を下げることもやむを得ないだろう。
そのような状況下で、その代わりに用意した早く配達するサービスも、追加で送料を負担せよと言うことも難しいと言われ、さらに即配サービスについて暴利を貪っているかのように言われるなどの状況で、手の打ちようがないことも理解してほしいところだ。
取次は多くの書店の親会社でもないし、経済的合理性を考えた時には付き合う必要は全く無いのだから。純粋に儲けるだけなら小規模書店を全部捨てた方がよいぐらいの状況だ。
そう考えている人は少数派でかもしれない。市場の動きは違うようだ。
まず、ユーザー数、習慣的に有料の電子書籍を購入するユーザは30%~40%ぐらいが限度で、これ以上は伸びないことが知られている。
日本の統計も、アメリカ・ヨーロッパなど先に普及した統計などを見てもこの傾向で、電子書籍の市場はほぼこれで大きな変動なく推移すると言われる。
また、販売量としても、雑誌を除く印刷書籍の販売量はじわりと減っているが大幅な減少がみられない。特にコミックスを除くと、ここ10年ほどは横這い程度だ。
電子書籍が増えている、好調だ、という事の正体は、雑誌の減少と、それを補う電子コミックの伸びによるもの。電子書籍が印刷書籍を置き換えると言う動きにはなっていないのだ。もちろん数十年単位ではわからないが、ワイは現在の話をしているつもり。
具体的にどこの書店のことを言っているのか分からないのだけれど(少なくともワイの文章は特定の書店を念頭に置いたものではない)
勝手にどこかの書店を想定して、事実の説明に対して、勝手に怒る方がよほど失礼では?
おそらくはちゃんと内容を読んでいないし、構造も理解できてないからこういった結論になるのだろうと思うのであまり説明しても仕方が無いのかなと思いながら、なのだけれど、以下は一応認識しておいていただきたい。
趣味でやっている・やってないにかかわらず、取次が消えたのに、中小書店が残ると言うことはない。
同時に出版社の多くも吹っ飛びます。こちらは中堅どころまで存在できなくなる。
Amazon・ヨドバシ・紀伊國屋も維持できなくなります。特にAmazonは取次を通さないイメージを持っている人も多いようだが、実際には取次在庫への依存度は高いまま。
もちろん数十年単位での緩やかな変化の先にはありうると思うが、この話は現在の話をしているつもり。
出版業界なんて残さなくていい、町の書店なんていらない、滅ぼしてしまえばいいと言うなら、Not for youですね。それこそ客じゃないのでお呼びじゃないです。客目線で話をしているので。自分が客じゃないと言う認識をしてほしい。
それは、そう。
普段は私が料理してるのだけど、大型連休とかで時間ができると作りたがる家族がいる。
でも正直まずい。料理の名前と目の前にある皿の中身の乖離ぶりに困惑する。
どうしてカレーライスにダシダとか鶏ガラスープの素とか小瓶のスパイスをゴチャゴチャ入れるの?塩気と辛さの突出ぶりが怖いよ。
どうしてゴーヤチャンプルーがつゆだくビシャビシャなの?ゴーヤの切り方が厚すぎてボリボリ噛んでるけど疑問に思わないのかな。
どうして鶏の照焼がつゆだくになってるの?照焼なのに全然照ってないよ。モサッとした食感のやたらニンニク臭い鶏肉が茶色い汁に浮いてるよ。
揚げ物を作るのに油切りバットを使うのはいいけど、揚げたものを積み重ねてたら油はちゃんと切れないんじゃないかな。
普通の片手鍋で作るお味噌汁にお玉てんこ盛りの味噌って本当にいるかな?出汁とか食材の旨味が行方不明でひたすら塩辛いよ。
突っ込みたいことは色々あるけど前に本人に言ったら物に八つ当たりとかしてそれはそれで面倒な目に遭ったから、最近は(まあ連休の時だけだし…)と自分に言い聞かせながら黙って食べてる。
自分で料理してる普段は全然健康なのに、大型連休の時は食後にみぞおちの辺りがキリキリ痛んだりお腹を下したりしてるから食事の大切さを痛いほど実感させられるよね。
当時の俺は仕事で大きなミスをして、周りの目が痛くなって、自主退職せざるを得ない状況に追い込まれていた。
そのことを当時付き合っていた彼女に話したら「何で事前に一言も相談してくれなかったの?」って大喧嘩になってさ。
心の底ではそんな些細なことはどうでも良くて自分のことを第一に心配してくれるだろうって、そんな考えがあった。
自分が完全に甘かった。彼女はずっと怒ってて、それが原因で彼女とは別れることになった。
体も心もボロボロで、ぼろ雑巾なんていう安易な表現がぴったり当て嵌まるほどにはもう駄目駄目で、壊れかけていたと思う。
深夜、早朝と当てもなく彷徨い、意識はぼんやりしていて、夢と現実の境目をずっと彷徨っているような。
夜も全然眠れなくなっていた。
その日も徘徊していて、気付けばうっすらと周りが明るくなるぐらいの時間だった。
駅近くに、一軒の立ち飲み屋があったんだ。
何時までやっているのかは知らない。でも、その時開いてたんだ。外からも見えるような、戸口のない立ち飲み屋。
俺は引き寄せれるようにふらふらとその店に入った。
残金がいくらあるか、もう既にお金が心許ないことが分かっていながら、吸い寄せられるようにその店に入ったんだ。
俺はたぶんビールか何かを注文したと思う。
ぼぉーっと突っ立って、ビールを受け取り、それをすぐに飲まずに眺めていると「兄ちゃん、元気ないな」と声をかけられた。
振り返ると隣におじさん一人が立っててさ、40~50ぐらいに見えるおっさん。
俺は「はぁ」とか「はい」とか、そんな風に曖昧に返事したと思う。
おっさんは愉快にそうに笑って、「なんかあった?」って陽気に尋ねてくる。
ずいぶんご機嫌で、既に何杯も酒を飲んだ後みたいなテンションで。
俺はどちらかといえば人見知りするタイプだが、だからこそ初対面かつもう二度と会わないであろう他人には現状についてや心の内を吐露できた。
今は無職になって、彼女とも別れて、もうどうしていいかわからなくて。
そんなことを言ったと思う。とにかく俺は弱っていたんだ。
俺はおっさんを睨んだ。ふざけんなって言った。酒を大きく呷って、何処がよくある話だよって毒づいた。
おっさんはびっくりしたみたいに笑顔を引っ込めて、自分の酒を飲んだ。
自分のあまりの惨めさがより際立って感じたし、おっさんに罪はないって分かってるのに八つ当たりしたことに対する自己嫌悪が湧き出てきて、やるせなさだけが募っていった。
今でもはっきり覚えている。そこで「神様なんて、この世にはいないんだ」と俺は呟いたんだ。
おっさんは隣で「おっ」と声を漏らして、次にくくっと笑った。
おっさんを見ると自分を指さしながら「俺、神様」って言うんだよ。
はぁ?ってなるだろ。そんなの酔っ払いの戯言で、はいはいって流すのが普通。
でもさ、おっさんはそこで俺が信じてないって分かったんだろうな。
髪を掻くように指を頭の上で転がしてさ、逆にはいはいって感じでその指を俺の目の前に持ってくるとパチン、と人差し指と親指で鳴らした。
途端、雨が降ってきた。スコールみたいな雨。さっきまで天気は曇りで、おっさんがパチンと鳴らしたタイミングで大雨が一瞬降って、それからすぐに止んだ。
そのときは夢の中にいるみたいな感じだった。
外には人通りは全くなくて、店内も人の気配はなくて。まるで俺とおっさんしかいないみないな、そんな雰囲気だったことを覚えている。
おどろいているとおっさんは唇に指を当てて、秘密なって言った。
それから「色々忙しくて手が回らんこともあるから、ごめんな」と言って俺に謝り、それから握手するみたいに手を差し出してきた。
不思議な感覚だった。握った瞬間、全身が暖かくなって発光しているような、そんな不思議な感覚だった。
おっさんはそう言って握った手を離し、店を出て歩いて行きそうになる。
俺はすぐに声をかけた。
おっさんは足を止めて振り返った。
俺の言いたいことが分かっている様に先に口を開いて「10年。せめて10年ぐらいは、この話は秘密にしといてな」と言ってくくっと笑い、後は振り返らず行ってしまった。
あのときのおっさんの言葉を信じて、俺は出来るだけ、時には精一杯頑張って、今日までなんとか生きてきた。
仕事は大変だけど、それなり…といったら怒られるぐらい、自分には勿体ないぐらい幸せな日々が送れていると思ってる。
約束通り、今日まではこのことを口外するのをずっと我慢したよ。
俺はきっと、神様に会ったんだと思う。
筋トレして髪切って自分に似合う服着て外に出るってそんなにハードル高いか?
『聲の形』って作品、名前は知っていたけれど詳細はよく知らなかったんだけど
昨日の金曜ロードショーをきっかけにして、この漫画のファンからは川井というキャラが叩かれているらしいと知った
で、そのキャラが叩かれる理由として、永束というキャラから腕を捕まれた時に、「触らないで汚い」と言った事が挙げられているんだけど
でも、転載された原作漫画の画像を見るに、どうもその永束というキャラって男子トイレの床に寝そべって主人公の足に抱き着いたりしているみたいなんだよね…
有り得なくない?トイレの床とか普通は寝そべらないでしょ。ギャグ的な表現だとしても不潔なのは事実だし、
そういう行為を平気で出来るキャラなら普段から女子の前でも不潔な言動をしているだろう事は想像に難くない。
汚いものは汚いんだよ、汚いと思わないのは衛生観念が狂ってるんだよ
そういう相手から突然身体を触られたなら拒絶感を露わにして当たり前だと思う
明らかに相手が実際「汚い」のに、汚い相手に汚いと指摘したら指摘したキャラクターの性格に問題があるかのように主張してキャラを叩く。
こういう主張をする奴らってやっぱり現実でも、清潔に関する観念がおかしいんだろうな…
ネットでよく見る男ヲタは「清潔感」という言葉に対してルッキズムだのイケメン無罪だの何だのとぎゃーぎゃーうるさいけれど
これが世界最大という超超巨大書店を、どーんと僻地でもなんでもいいから街が作れそうな平野に作ってほしい。その超超巨大さは世界第2位を突き抜けてほしい。
政府もテコ入れし、クラウドファンディングも募り、数多ある企業も全勢力が参入してほしい。もうとにかく全力をかけて作ってほしい。
「そんなことして失敗したらどうする?!バカじゃん?!」とか考えず作ってほしい。勝算とか考えず勢いで作ってほしい。
そこには和書だけではなく洋書もある。西洋の本だけではなく中国語の本、アラビア語の本、アフリカーンス語の本、とにかく片っ端から「いやこれいらんだろ」みたいな本だったとしてもすべておく。
なんなら和書が中央ではなく洋書が中央である。日本語を中心で考えてほしくはない。言語別に存在する知の量に応じた配分をしてほしい。
客層に応じてカテゴリ分けは必要だろう。1つの書店だけでなく複数の書店が統合してもかまわない。古本屋を集めてもかまわない。
「よくわからなくても物理の本を買うなら日本のここへ行け。たぶんあるから」という状態になっていてほしい。日本の中規模以上の書店はほぼすべてここに集める。
全勢力が協力してできた超超巨大書店を中央に据えて、その周りを他の超巨大書店が取り囲む。その周りは巨大書店。その周りは中規模書店、その周りには小規模書店。
海外からも片っ端から誘致する。必要なら補助金も出す。「バカなの?」とか「さすがに海外出店は難しいです」とか一蹴されるだろうが「まあ採算とれそうだからいいよ」と言われるまで粘ってほしい。
税金をたくさん投入してもかまわない。重要なことは「そこにある」「とにかく日本のここに来たらある」「お前のやりたいことは知らんけど本がほしいなら日本のここに行け」という願いが叶う場所だ。
例外を作ればそのブランドは失われる。このブランドこそが他国が追随不可能な圧倒性を生む。先行者利益だ。バカすぎて1つ1つで見るとデメリットしかない行為が、結合すると巨大な1つのメリットを作り出す。
どこかで手を抜くと終わる。そんなことまでする必要ないんじゃないのとか、それってめちゃくちゃ損しますよねとか言われようが、究極に本を集める。
書店と書店の隙間にはさまざまなカフェが立ち並ぶ。個人で経営するカフェからチェーン店が密集する。コンビニも立ち並び、公園には読書に適したベンチがある。公園は読書に最適化されている。
その街にはどこにでも椅子が置いてある。買った本をすぐ座って読む人向けのものだ。
この街には有名人が毎日のようにやってくる。たとえば「ビル・ゲイツが本を選びに来日!」など当たり前のことになるだろう。
読書家はこの街の付近に別荘をかまえる。なんにもなかった僻地の近隣に富裕層街が誕生し、地価がとんでもなく上昇する。意味不明なおいしい話だ。
一方で本を読むことが目的でない人間には居心地が悪い空間になる。この街に存在している人間はほぼ全員本かその周辺が目的なのだ。本以外が目的の人間は異様に目立つようになり警戒される。
街の中央部分は徹底的に、本、本、本、本、本、と本が存在するのが当然の本の密集空間になっている。普通の人間が「ここまですることはないんじゃ・・・だって採算とか・・・」とドン引きするぐらいの熱量で本で溢れかえっていてほしい。
地面に敷かれたタイルには、文章が書かれている。まっすぐ歩くと偉人の言葉などがそのまま読めるようになっているのだ。たとえば「良い本は私の人生におけるイベントである。」「本の無い家は窓の無い部屋のようなものだ。」「天才とは努力する凡才のことである」などという文が永久に書かれている。有名な書の冒頭部分だったりもあるし、古典文学もあるし、文学のみならず数式も書かれていたりする。それを読むだけで日が暮れる。
この街の広告はすべて本に関するものでいっぱいだ。ほかでは絶対に見られない、読書家にだけ向けた広告が撃たれる。「こんな難しそうな本の広告ある?」というのがそこここで見つかる。
たとえばベトナム語のマンガの新刊広告なども見受けられていてほしい。
この街にあるのは紙の本ばかりではない。電子書籍派のための書店もある。他では絶対採算がとれないような形の店であっても、「読書家が毎日のように集まることが普通」の街特有の書店ができる。たとえば巨大な8Kモニタにその人へレコメンドされた電子書籍が大量に表示され、立ち読みすることができるとか。「辞書専門店」や「単語帳専門店」や「栄養学書籍専門店」などがあったりもする。そういうものを作っても不思議と利益が出るのだ。
この超超巨大書店圏内部には研究所や大学なども誘致する。どのような言語でも関係ない。化学系のカテゴリが立ち並ぶ「化学通り」のようなところには実験器具専門店も立ち並ぶ。
そういうところは、基本的には英語がメインだ。英語の下に日本語が書かれている感じ。イメージ的にはハリーポッターだろうか。ときどき「なんで化学通りにオムライス専門店がこんなにあるんだよ」などということもあるかもしれない。秋葉原や神田にカレーがたくさんあるようなものだろう。
やや込み入ったところにはマイナーな本屋がある。「なんだよこの本屋・・・」という、見るからに異国感が漂う本屋だ。謎の部族の謎言語で書かれた謎の材質の本が置いてあるなど。ネクロノミコンのような本も見つかる。
石版などもなぜかある。読書向けの椅子専門店もある。「本のためだけの椅子専門店」が生存できる場所は日本ではここしかない。
しかし、この超超巨大書店群の主目的は「本の集積」である。そこから逸れるようなことがあってはならない。何か欲をかいて「ここに企業をうんたら」などとして利益を優先するとこの街はあっという間にその意味をなくし滅びるだろう。ありとあらゆる人々が周辺の利益を求めて集ってくる。そういうのを一蹴できるような体制であってほしい。
「この街意味ないだろ。なんで作った。赤字だろ」と罵られながらも存続する街であってほしい。そして、そう罵る人も、ひとたびその街に入ると「すげえ・・・この街は地球に必要だわ・・・」とどうあがいても認めざるをえないほど感動できる街であってほしい。街自体で見ると赤字なのだが不思議と日本経済が潤う源泉である摩訶不思議都市であってほしい。完全に未来へと投資された都市である。
この街では、夜もたくさんの書店が営業している。こんな大きな本屋が24時間営業できるのはこの街しかありえないとなっていてほしい。「夜眠れないな・・・本でも買いに行くか・・・」という人外の行動を普通にするような場所であってほしい。
街の周囲には民家が立ち並ぶ。ただしこの民家に住む民間人はややおかしい。本のために移住してきた狂信者たちだ。軒先には自分の選書が並び「1冊100円」などと書かれていることも多々ある。
富豪がゴッソリ買っていくことを見越して少し離れたところに在庫置き場がある。
富豪が「ではこの棚からこっちの棚まで」などと爆買いしていく。もはやテロリストのようなものだが、そんなことは気にせずまた入荷する。本はバカみたいに売れる。
この街は、「日本人なら1度は絶対行け」と呼ばれる場所になる。そしてひとたびそこに立ち入れば「世の中にはこんなに知識があったのか」「世の中はこんなに頭のいい人たちで溢れかえっていたのか」ということが、嫌でも全身の細胞に刻みつけられる。伊勢神宮みたいなものだ。それよりも神々しいかもしれない。
そして、全身の細胞で体感したその人は、格段に読書するようになるだろう。それは地元へ帰っても同じことだ。一流を目の当たりにした者は一流になる。
取次の問題も、書店が潰れかけている問題も、日本人が本を読まなくなってしまっている問題も、経済が深刻化している問題も、だいたい解決できるだろう。
誰か作ってください。
ちなみに国防にも役に立ちます。一度作ってしまえばここを潰すやつは「バカ」なので。ペンは剣よりも強し!
ただそれは、「本がたくさんあっても意味がない」のではない。逆。
それに「物理本を読む人が少ないから本屋が潰れちゃう」というのも逆だ。
「物理本を読みたいと思う人を増やす。そのためには本屋すべてが潰れることも辞さない」という情熱が正道である。
本というのは知の源泉である。だから知識がない人に迎合すれば、潰れるのは自然だ。知識がない側に与するのだから。
本の機能はそれとは真逆であり、全体を引っ張り上げるものである。知識がない側が「欲しい」と願える場にすべきなのだ。
ない側に媚を売っていれば潰れて当然。
「この本は今は読めないけれど、読みたいと思う」そういうものがない。
「この本は内容はちんぷんかんぷんだけど、そういう本の存在を知っている」そういうものもない。
ジュンク堂書店などですら、知らない人々が多い。大型書店の重要性を知覚できていない。入ったことがない人間もいる。
記事を読んでくれた人へ: 記事を読んでくれたのはありがたいが、たぶん自分が考えている規模と読んだ人が考えている規模に大きな差があると思う。
自分が考えているのは、もっとも小さく考えても深圳書城中心城の数十倍の大きさであり、既存の書店をちょっとだけ大きくしたものとか、蔵書が全く同一であるような大型書店が単に10個ある街という形ではない。
コーチャンフォーつくば店は50万冊、池袋ジュンク堂書店は150万冊、深圳書城中心城は400万冊、国会図書館は4685万点。Amazon Kindleは60万点。
自分が言っているのは、数億冊あるような書店群である。つまり、コーチャンフォーやジュンク堂書店や紀伊國屋書店は超超巨大書店(世界中の意味わからんハイレベルの本から選びぬかれ集まったエリート本屋)の周辺を取り囲む「日本区域最大の超巨大書店」の周辺を取り囲む「大型書店の1つ」という状態を考えている。ブックオフなどはその周りを取り囲む中型書店になるだろう。その周りを、身近にあるご近所の本屋さんがたくさんずらーーーっと並んでいるというような領域だ。いうならばこれが日本区域である。
世界の蔵書数はGoogleによると約1.3億冊であるらしい。日本区域内に別に中国語や韓国語の本があることもある。ただし日本区域の横には韓国区域だったり中国区域だったりする。その中国区域でもばかみたいにデカい超巨大書店があり、それを取り囲むようにジュンク堂書店並の大型書店があり、英語区域では……というような状態だ。言語別に分けられているだけでなく、「数学領域」で分けられていることもあり、そこでは「高校数学」の棚に世界各国の高校数学が並ぶ。数学の参考書を買いに来た高校生が、カメルーン人の中学生と仲良くなるみたいなことも想定できるわけだ。
地方のクソデカ本屋が数百個単位で入る「は・・・?」「この街が・・・全部・・・本屋さん・・・?」という規模の書店群である。
イメージとしては↓な感じ。
まもなく目的地の駅に近付く。電車にいる人々は全員が本を読んでいる。スマホを触っている人たちなど誰もいない。不思議な光景だ。多くの人がそわそわしている。初めて来た人たちが多いのかもしれない。
電車が駅に滑り込み走って降りる人々の後ろでのんびりと降りる。全く、はしゃぎすぎだろう。
降りた直後、本の形をした案内板が表れた。真っ先に飛び込んできたのは「↑ バベル中央書店」というやたらとデカい黒文字と、その下にあるやや大きな黒文字の「↑ 北区域書店」だった。
右を向くと・・・あれは・・・本の自動販売機?! 本を自販機で販売するのか。カルピスの作り方・・・自動販売機の歴史・・・Why could he make vending machines?・・・なるほど。
床には文字が書かれている。Station, State, Statue, Status. 何のことやらわからない。
改札を出る。改札を出ると、ああ、もうこれは本のテーマパークだ。最奥部に見える巨大な塔には雲がかかっている。おそらくあれが中央書店だ。その横には数えるのもバカバカしくなるほど書店が並ぶ。街には今まで見たこともないような人々で溢れかえっていた。ベンチでは読書をしている中東とおぼしき人が中国人らしき人と何やら議論している。彼らが話しているのは何語だろうか。
デジタルサイネージで目まぐるしく本の広告が入れ替わっていく。「サウダージにさようなら」「入門グロッキング」「般若心経の終焉」
子どものときに巨大書店や巨大図書館に人生で初めて行ったときとか、論文と大学と研究の仕組みと接したときに、知の偉大さに震えたことがないだろうか。
目に見えないものは見えないことが多い。たとえば、ライブ会場に行ったことがなければライブの偉大さは本当にはわからないし、「本当にこんなにたくさんの人がファンなのだな」ということもわからない。
いま「自分が考えるクラスの巨大な本の集積地を人類の誰もが見ていない」というのが問題であると思う。誰1人として。
そういう知がたくさんあることは存在としては知っていても、「それを見たことがある人は誰もいない」のだ。いわば、月は見えるけど、月に行ったことは誰もいないような状態だ。
神田の古本屋街や、既存の大型書店というのは、いわば地球上にある月に似たところでしかない。「たぶんこれとこれがこうなると月」というふうにしか想像できない。だが月に行かなければ月の隕石は無いのだ。
ほとんどの人は、目に見えないなら存在しないと感じてしまう。マッチングアプリで人間を左右にスワイプするとき、人間ではないように扱う。それは人間として存在しているのに。
一方、眼の前に相手がいるとき、同じように左右に指を振って弾くのは容易ではない。これが目の前にあるかないかの大きな違いである。
自分が言っているのは、そういう知の集積の偉大さが理解できなくてもとにかくそこに行けば、「ああそういうこと」「人類は偉大だったのか」と、誰もがたちどころにわかってしまう場所がほしいということである。
出産予定日とは前後1か月くらいに産まれますよという目安だよ。その日に産まれることなんてほとんどないよ。早まったり遅れたりするのが普通
なので、どうするのだろうかじゃなくてそのつもりで準備するんだよ。
はてなのユーザーはクソ。叩かれないように一部のユーザであってはてなのユーザを言ってるんじゃないです、とか自分は言わない。はてなのユーザーはクソ。
はてなのユーザーははてなから出ないし、欧米からしぬほど離れているのでクソとなる文化の中で育ちモデルとなる大人もクソなので皆クソになる。唯一のチャンスはキラキラSNSに憧れて外に行くことだが、居心地悪くて結局陰キャ専のはてなに戻る奴はクソしかいないので純度の高いクソが集まる巣となる。
はてなで育ったユーザもクソが普通だと思っているからむしろクソと言われる事に腹が立つ。自分の普通がクソって言われるの、嫌だよな。でもクソ。