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2024-08-17

anond:20240817113650

日本人あんだけ英語やってるのに

全然やってない

超やってるやつで最低限の1/3、普通のやつで1/10くらい

とはいえこれは頭おかし

anond:20240817112754

日本の女はクソ。叩かれないように一部の人であって日本の人を言ってるんじゃないです、とか自分は言わない。日本の女はクソ。

日本のクソ女は日本から出ないし、欧米からしぬほど離れているのでクソとなる文化の中で育ちモデルとなる大人もクソなので皆クソになる。唯一のチャンスは大学受験で憧れて海外に行くことだが、居心地悪くて結局日本に戻る奴はクソしかいないので純度の高いクソが集まる国となる。

日本で育った女もクソが普通だと思っているからむしろクソと言われる事に腹が立つ。自分普通がクソって言われるの、嫌だよな。でもクソ。

文化の成立が分かる気がする。クソだと思ったら出ていくし、クソだと思わないからとどまる。

anond:20240817105410

日本の男はクソ。叩かれないように一部の人であって日本の人を言ってるんじゃないです、とか自分は言わない。日本の男はクソ。

日本のクソ男は日本から出ないし、欧米からしぬほど離れているのでクソとなる文化の中で育ちモデルとなる大人もクソなので皆クソになる。唯一のチャンスは大学受験で憧れて海外に行くことだが、居心地悪くて結局日本に戻る奴はクソしかいないので純度の高いクソが集まる国となる。

日本で育った女もクソが普通だと思っているからむしろクソと言われる事に腹が立つ。自分普通がクソって言われるの、嫌だよな。でもクソ。

文化の成立が分かる気がする。クソだと思ったら出ていくし、クソだと思わないからとどまる。

九州の男はクソ。叩かれないように一部の人であって九州の人を言ってるんじゃないです、とか自分は言わない。九州の男はクソ。

九州のクソ男は九州から出ないし、東京都からしぬほど離れているのでクソとなる文化の中で育ちモデルとなる大人もクソなので皆クソになる。唯一のチャンスは大学受験で憧れて都心に行くことだが、居心地悪くて結局九州に戻る奴はクソしかいないので純度の高いクソが集まる地方となる。

九州で育った女もクソが普通だと思っているからむしろクソと言われる事に腹が立つ。自分普通がクソって言われるの、嫌だよな。でもクソ。

文化の成立が分かる気がする。クソだと思ったら出ていくし、クソだと思わないからとどまる。

〇〇さんの正妻は誰々、、、みたいな文化わかります

普通会社なんだけどね

うーんわかるかなあ?

例えばの話なんだけど

営業部ってのがあって業務部ってのがあるとする

普段から密接に仕事をしてて

お互いに仕事を依頼する関係にある

でね

基本的に僕の依頼は誰に頼んでもいい

オープン関係になってるのね

からちょっとした仕事を手が空いてそうな人に頼む

するとどういうわけか僕の正妻は〇〇さんでしょ…!!なんで私に頼むの!?

みたいな変な感じの反応が返ってくるんだよねえ

で、それに気づいた〇〇さんが電話中なのに僕のところから仕事をひったくってく

こういうのって普通なの?

というか伝わってるかねえ

anond:20240816042537

正しい知識に基づいて喋らないと意味ないでしょと言ってんだわ、バカか?

正しい説明ならお近くの弁護士に依頼料払って授業してもらえば受けられるだろ?説明を受けたいだけなら説明する人間が誰かなんかどうでもいいはずだよね?説明を聞きたいなら普通人間ならそうするが?

お前は正しい説明を聞くことから逃げてばかりだな。

から陰謀論にすぐ騙されるバカなんだよ境界知能

anond:20240728023355

登大遊っていうけしからんおじさんが、日本アメリカでは「エンジニア」って言葉意味全然違う、日本では「言われたものをつくる人」だけど、アメリカでは「ソフトウェアが使われるであろう全ての領域についてだいたいなんでもわかっていて、自分で決める人」だと言ってたのを思い出した。

https://www.youtube.com/watch?v=Uww1CZTXfXs&t=1459s

ITがつまらなくなったってよりは、ITなんてものはもともとつまんないよ。

ITがなんでつまんないかというと、(自分たちの課題がなんなのかもよくわかっていない阿呆な)顧客要求されたものをつくるのが仕事から

それが90年代くらいからなんでおもしろくなったかというと、「IT」をやめたから。

コードを書ける程度に頭の良い人たちが、他人に言われた通りにコードを書くのではなく、自分たちで自らビジネスを営むことに目覚めたから。

ビジネスパーソン」が試しもしなかった新しいやりかた + 動くコード で古いビジネスの習慣をどんどんディスラプトしたから、シリコンバレーみたいな面白いうえに儲かる世界ができあがった。

これは「テック業界」みたいな言葉で、(特にSIer的な意味での、顧客要求されたものをつくることが仕事の)従来の「IT」とはやんわり区別されてることからもわかる。

まりコードを書くことを「IT」だと思ってて、「IT」を一瞬面白いと思って、今は「IT」がつまんないと思うようになった元増田は、もともとつまんない奴だったわけ。

(余談だけど、ここ2,3年のシリコンバレーの崩落も、儲かった結果「ビジネスパーソン」の割合が増えちゃって、「他人の言う事を聞かず自らビジネスをやる、コードを書ける人たち」の割合が減っちゃったからかもね)

せっかくソフトウェアを書く能力を持ちながら、その能力を僅かな給金で他人に売り渡してしまうのは勿体ない。

だいたい、ソフトウェアについて知らないどころか、普通ビジネス日本語会話ですら怪しい阿呆な「ビジネスパーソン」の要求通りにソフトウェアを書くのって苦痛じゃない?(それについては元増田も同感のようで、マネーの虎だとか胡散臭いだとかさんざん馬鹿にしてるけど。このへんに関しては自分結構同感で、最近はほんとつまんないtoB SaaS増えたなって思う)

最近では「つまんない「IT」」の象徴だったデカSIerですら、「顧客に言われたとおりにソフトウェアをつくる」のではなく、「顧客と一緒に課題を深堀りして、新たな価値創造する」を商売にするところも増え始めた。

かつてはスタートアップ専売特許だと思われてたリーン・アジャイルデザイン思考を使いこなす大企業も増えてきた。

この先鋒にはみんなが馬鹿にしてるデジタル庁や東京都デジタルサービス局の姿がある。

いわゆるデジタルトランスフォーメーションだ。

まり、かつて「スタートアップ的」とされてたツールマインドセットが浸透するところには浸透してきて、世界が「大企業スタートアップ」ではなく、デカい小さい若い年寄政府民間関係なく、シンプルに「面白い奴とつまんない奴」って構造になってきたってわけ。

元増田の言う通り、つまんないものはつまんない。なぜならばそれは偽物だから

本物に出会うと常に「これはおもしろい」って気持ちにさせられる。

もっと自分意思に従って、自分の信ずるものソフトウェア表現して、世界面白く変えていけばいいのに、って思った。

実家貧乏不安

お盆帰省してるんだけど実家貧乏すぎて不安になる

壊れたエアコンは何年も直せてないからこのクソ暑いのにクーラー無しで生活してるし、キッチン蛍光灯も壊れてるけど修理に3万もかかるからって放置してる

3万って放置する金額じゃなくない…?

自営業経営が上手くいってないんだと思うけど、もう両親も歳いってるから転職もそうそうできない

兄も働いてるけど給料安くて実家から出れてないし同居の祖母国民年金しかもらってない

兄が実家生活するにあたって、生活費を月にいくらか収めていて、

兄が就職したてだった数年前、親は「このお金は貯めておいて兄が結婚する時に渡してあげるんだ」と言っていた

あのお金いくら貯まったの?と昨日聞いたら「もう全部ないよ、使っちゃった」とのこと

数年前よりやっぱり財政状況悪化してるんだー、と思ってすごい不安なっちゃった

私は小さい頃から貧乏が嫌だったか勉強して学費免除国立大の院までいって大企業入ってそこそこの給料もらえてる

こないだ結婚したけど旦那も私より稼いでる

これでもう金への不安はないなと思ってたけど全然そんなことなかった

どうにもなんなくて自己破産とかしても普通生活ってできるのかな、とかこの夏休みそんなことばっかり検索して考えてしまった

いざって時にどうにか助けれるように貯金しようと思ったお盆でした。まあ自分の家庭が優先なんだけどさー

anond:20240817005002

この手のシステムってコールセンターポチポチクリックするだけでそういう設定変更できるようになってるやで。

例えば不正利用された店の停止とか再開に1週間かかるとかあり得んやろ普通

増田睡眠導入を使用したことがあるかね

増田は少し前に会社から責任押し付けられて、ダウンしてしまったんだ。

原因は自律神経失調症とのことで、いくつかの薬が処方された。

その中には睡眠導入剤ゾルピデム5mg がある。

毎日このゾルピデムを就寝前にの飲み、それによって眠るというわけ。

けれど、このゾルピデムは効き方が本当にもう顕著に表れるのは飲んで数分した後の状態だ。

すぐに眠気が全身を覆いつくすようなことはなく、そのインターバル時間にこそこの薬の真価があるのではないかと思っている。

増田は当然、これまでの人生では一度も麻薬やら大麻といった違法薬物にはこれまで一度として使用したことがない。

ちょっとした好奇心こそあったかもしれないが、罪を犯してまで行う意味があるのだろうかと普通に考えるほどには常識人で、だから服用しようとはしなかった。

増田不眠症と診断されていたためゾルピデムを出されて、その日の夜。飲んだんだ。一錠。

ゆっくり。じぃわぁ~~~~~~と薬は効き始めてくる

この、 ①効き始めてくる → ②眠くなり眠気が強くなる

から②までの移行には30分くらい。

でだ、本題はここから。②のこの、眠気が強くなって眠くなるの少し前の状態

このとき意識状態が非常に面白い

頭はひどくぼぉ~っとしていて、目は酩酊しているときのように視線が定まらうず、身体は微かに脱力してだらっとして感じる。

酒飲んでの普通酩酊と違うのは、まずお酒を飲んでいるわけでもないので飲酒による酩酊に比べるとずっと体が健康的。

二つ目体感としては確かに酩酊に似てる。しかゾルピデム場合幻覚が見えるんだよ。それも難しいことじゃない。

何かを想像するとか、そういんじゃなくて。

気付くと目の前のものものじゃなくなっているんだよ。

何を言っているのか不明だと思うが、俺も当初じゃそうだった。

そうなんだよ。たとえば今これをモニター見ながらキーボード―打っているんだけど、この書き込むときのスペースは白が背景色であるんだけど、それがたまに動いたりするんだよ。

別に文字全体がそれで動くとか、そういうんじゃないんだよ。ふと自分脳裏に浮かんだことがリアルタイムの遅延なしで投入されるように増田を打ちこむときの後ろの白紙背景が急にカーテンのようにゆらゆら揺らぎはじめたり、真っ直ぐに並んでいるの文字群が気付けば曲がってみてるようになる。

そんなめちゃくちゃなことが現実の、目の前で起こるのだ。

最初は非常に戸惑ったものの非常に面白いって思ったのも事実だ。これは今までの人生体験したことがなかったことで、おそらくこれが俗にいう”トリップする” や ”とぶ”といった表現で使われるのであろう感覚なんだなってのが初めて実感できた。

これは貴重な経験で、それも合法として体験できたのは非常にラッキーだと思ってる。

そしてこれを使うと分かるのは、人間というのは簡単幻覚を見る、ということだ。

幻覚を見ている間、ああこれは幻覚だなと思って見ているので、幻覚が見せるのは幻覚ではなくショーのようなもので、とても楽しく、まるでディズニーランドパレードのような楽しい空間がうちの中に広がり、思わず笑ってしまいそうになる。

幻覚がこうも身近に存在しているなんて、ほんの少し前まで露知らず。そして、利用するように楽しむこともできるのだから

2024-08-16

anond:20240816231935

普通法規制があるわけじゃないのにやらないのは儲からいからだ、と考えるものだけど

君は儲かるに決まってるのになぜかやらない、と考えるんだね

おもしろ

なら君が金のない男に売掛をするキャバクラを始めればいいんじゃない?ぼろ儲けできるんでしょ?

収益女性立場向上のために使えばいいと思うよ

本屋反駁増田に付いたブコメレベルが低くて強烈

客注分が取次倉庫で止まったままで客にキャンセルされたnoteの件。

それとそれへの反駁増田に付いたブクマ正気を疑うコメントに星が集まっている。

ひとりの書店主として、伝えたいこと とうとう危惧していたことが現実になってしまった。|二村知子 隆祥館書店

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/ryushokanbook/n/nb27594fcfa61

 

書店で本を注文して届かない理由 あるいは書店の見分け方

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240816112133

 

「近所に紀伊国屋書店があるからそこで買って渡せば良い」論

こ、これを書いてる人は働いた事はおありで?

普通流通商売上では「プロパー」な取引経路というものがあって、その中で勝負するもんなの。ってかなんでこんな事大人に対して言わなきゃならないの?

ましてや紀伊国屋書店は小売りだ。小売りが小売りで仕入れてどうするんだよ。

例えば他業種に限るが、問屋から仕入れ値以下で捌くって事はある。客寄せとか不良在庫とかね。

小売りで買って同価格で小売りしたら粗利ゼロだ。問屋から仕入れ値で売り捌いたのと金額的には同じだ。

だがこの二つを「同じ」と考える人はいないだろう?なんで発想がせどりなんだ?

品薄新ゲーム機小売店仕入れ転売するのと小売りは一緒と言っている大経済博士の大池信大先生と同じこと言ってるぞ。それって実経済無知って事だぞ。

 

あと本屋場合忘れてはならないのが再販制で、新本屋は取次以外から仕入れて売っちゃダメなの。

そんな事をしたらそれこそ問屋、この場合取次から取引切られる。バカやって問屋から切られるヤバさって判ってないんか?

本屋に本を卸した時点では取次は金を請求しない。売れたり万引きされて在庫が無くなっていたりで返本されない場合に取次の営業がチェックして計上し、請求するの。

こんな特殊慣行信用取引で変なとこから仕入れてたら取引停止になるだろって。

 

そもそもプロパーな経路で品が滞っていたらクレーム入れる権利があるに決まっている。

 

Amazonで買えば翌日に客に渡せる」論

からなんで発想がせどりなんだよ。なんで人前でこんな意見を堂々と言えるんだよ。

このコメント印刷して会社の人に見せられる?「お客さんの前で雑談しないでね」って言われて社外の人に電話メール禁止されそうだが。

 

それからAmazonはもう翌日には届かないよ。数日~1週間待たされるのとかザラになってる。

 

Amazonがあるからもう本屋って必要ないよな」論

沢山居るが、はっきり言うが君は阿呆だ。資本主義の仕組みが判らない阿呆だ。世の仕組みも分から会社から養分だけ吸い取ってる寄生虫だ。

あのね、Amazonは本を無料で、最短なら翌日で届けてくれるよね。最近配送が遅いけど。

ではあのね、街中の本屋が無くなったら、Amazonはそんなサービス継続する理由があるかい

街中で本が買えなくなったら一冊あたり500円取ってもいいし、配送が2週間後になってもいいんだよ。だから今の尼の本のサービスが維持されるのは街中に本屋がまぁまぁあってそこでも買えるという、古くからの商習慣が残っている間だけなの。

 

そしてAmazonの本配送無料サービスは実は一部切り上げられている。

以前は、サービスインから15年来、購入品目に本が入っていると金額にかかわらず送料無料だった。

でも今は本だけを買った場合は送料無料のままだけど、本に同梱される品物には送料が掛かるのだ。(3500円以下の場合

これは恐らく送料無料閾値が3500円に変わった時の変更だと思う。

 

客注での取次の遅さの問題は遥か昔から

ブコメで「本屋がいよいよ終わりでサービス悪くなった」と書いてる人も居るが、そうじゃない。ずっと昔からこのままなの。

40年前から客注は2週間掛かっていた。

そこに1980年代になると、日本の本でもISBNコードが付くようになった。

更に1990年頃にはOA化が進み、90年代にはISBNバーコードが付くようになり、NTTISDNを始めて端末で発注できるようになった。

2000年代にはPC POS一般化して小売りでも在庫確認が容易になった。

これだけ進化してるのに客注の遅さは全く改善されてきていない。今までの時間テクノロジーはどこに行ったの?

しか東京の真ん中で発注しても同じなのだ。それって拠点から拠点への路線トラックで遅延してるという事ではないという事である旧ソ連のごとくの流通システムだ。

そこにAmazonだ。旧市場パイテクノロジーで奪う動機を持った組織にこんなのが敵うわきゃないのだ。

因みに増田はこの取次の怠慢が不愉快で、本の取り寄せが必要な時は神保町古本屋に行ってしまっていた。利用者としても愛想が尽きる問題だ。

 

ちゅー訳で、やる気がある本屋愚痴業界知ってそうな増田反駁止揚された意見が書き込まれるかと思いきや、キョウレツちょっと正気を疑うブコメばかりに星が集まっているので書いてみた。

台風過ぎたる夏の夜に阿呆列車の響きありという感じだ。

anond:20240815222218

殺害予告についてはR18でない普通Vtuberイベントでも頻繁に起きてる

中止させられたイベントも数知れず、被害総額も半端じゃないのでいい加減にしてほしいわ

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

anond:20240816210851

高いよね、つい十年まえくらいは一万円をギリギリ切る値段で買えたとおもってたら、今はその倍が安物の普通だよ

…代わりに電動アシストのほうはめちゃくちゃ安くなったけどね(それでも数万円だけど)

夏休み終わった

あとは普通の土日だけ

仕事行きたくなさすぎる

妹と家出して数年が経った


注意;児童虐待の話が出てきます。苦手な人はご遠慮ください。


(本文です)

________________

どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。

今は大学生から何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。

私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。

私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。

父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。

最初子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的アプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。

父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。

毎日というわけではありません

中3で私が他の男性の子妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。

それからは、私がどんな男性相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分お仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。

それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。

今は、普通大学生はしないであろう仕事風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。

それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。



思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。

お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。

さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。

ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。

それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。

経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。

私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。

もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議感覚になってしまう。

私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。

性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいかパパ活をしていたのかもしれない。



私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。

母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。

ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。

少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。

なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。

子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。

確かなのは、父が来てから普通暮らしができるようになったこと。

私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。

しかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。

それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係

そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。

母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。

私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。

ただ、ひとつ。私との性的関係要求してきたこと以外は。

思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。

それが性的虐待兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。

今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。

「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメことなんだ」という意識はあった。

いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。

でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。



私には疑問がある。

父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。

きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。

ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。

まり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者定義やすいのかも。

「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。

でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。

母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さら半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。

嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。

単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。

具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。

「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。

でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。

おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。

そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性しかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。



いま私は、風俗世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。

精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。

そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。

身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通女の子はいらなくなったと

いう実感が体中に広がった。

でも。そう感じるのは自分わがままからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。

私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。

今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。

でも、私にはそれが現実で、一番受け入れやす感覚だった。

処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。

計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。

一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たち言葉にしなくても通じ合っていた。

妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形オナホ扱い。でも、とき恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。

私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。

それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。

学校に行く前にされることもあった。

妹には絵本を読んでてもらったり、タブレット動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔学校へ行く。

口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。

父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。



毎週毎週毎週毎週続いていると、だんだん心が麻痺してくる。

嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。

心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。

同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。

中学校に上がる頃には、もうそういう感じだった。

からイジメられたんだとも思う。

そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。

思春期から友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。

私が父に相談すると、父はかなり積極的担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。

正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。

これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。

ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。

それはきっと、主に性的イジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。

中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。

正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。

実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。

表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。

でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。

回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為時間が長くなる。痛いことだってあった。

でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。

でも、そのうちに気が付いた。自分から相手気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要ものを買えるようになった。

子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。

その時、感じたことは2つ。

父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安

後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。

でも、今思えば、今まで自分役割だって必死に応えてきた、そんな自分否定されるのがいやだったのかもしれない。

ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。

でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。



父はなんだったんだろう。

小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要存在だった。

いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。

ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。

どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。

ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。

もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。

それでも。

繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。

「あれはなんだったの?」

って。

「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心ボロボロになるかもしれないし。

かといって、リアルで誰かに詳しく話す気にもなれないし……

ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。



最後にまた、父について思い返してみる。

改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。

そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。

家庭内性的虐待というと、どこか乱暴イメージがあるかもしれないけど、私の場合基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。

いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。

父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。

ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。

父は家事ほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。

生前、母がいくつか基本的家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときスマホ検索したり、学校先生に聞いたりした。

とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。

から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活一種として。

すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。

父親はいてよかったのか? と訊かれると、どうなんだろう。

もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。

「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。

正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。

いてよかったのかどうか、わたしにはわからない。

ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。



今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。

私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。

最後に、とりとめのない話を読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

anond:20240625093025

普通ウスターソース。少なくともセブンには無い。中濃ソースしかない。なのでスーパー行ったとき余分に一本買う。あと餃子のタレはついいてても使わず捨てるので要らない(醤油ラー油たらしたので食う)。

ルート治療と空ルートを受けたことがある

窪田さん→ https://www.oricon.co.jp/news/2340222/full/

ルート鍼→ https://x.com/ITMBTUTW/status/1824056829409911293

ルート→ https://x.com/MIKI_route/status/1790504400697586111

窪田正孝さんが受けてたことで今噂になっているルート治療を受けたことがある。

ちなみに自分はスピってない。かつ、スピってる人を批判したいわけではない。

シンプルにスピってない人がスピ施術を受けたらどうなるかを書いた。当たり前のことばかりで面白くないと思う。

ルート鍼】

・とにかくバチクソ痛い

普通に首とか顔とかにもあのクソ太い鍼刺されるからマジのガチで痛い。シンプルに痛い。

というか痛くないわけない。施術を受けた人はみんな涙を流す、ってそれ痛くて泣いてんじゃないかと思うほど。

・痛い、怖いというと怒られる

痛いというと不機嫌そうにされる。そもそもこのルート治療も空ルート文句を言う人は客じゃないという感じなので批判を一切受け入れない。

文句を言う=素直じゃない、治療を受ける資格がない、効果が薄いということらしい。

正当なクレームも受け入れられないので注意。

そもそも病んでる+人に頼る人が行くので…

こういうのに行く人はそもそも病んでるし、かつ人にどうにかしてほしいという願望を持っているので

何されても感動しそう。

自分みたいな他人に何がわかるんだというスタンスの人は受けてはいけない。

・終わった後のアザがやばい

ルート治療の後」とかで検索すると出てくると思うんだけど

交通事故DVにあったとしか思えないレベルのアザができる。

マッサージや鍼の後にアザみたいなものができるのはまあ全然あるんだけどちょっと異常。

施術者によると身体が素直でないほどアザはできるらしい。

効果はあった

身体のだるさや疲れに関しての改善は感じられた。でもたぶんというか絶対普通の鍼かマッサージでいい。

【空ルート

シンプルに笑ってしま

身体を掻いたりブウー!!ブウー!!!と音を立てながら身体の上で凄い勢いで息を吸われたりするのだが(邪気を吸い取っているらしい)

普通に笑えてくる。何をしてるんだろうって。

で途中で施術者はこれ100%真面目にやってるんだろうなと思うと怖くなってくる。

効果はとくになし

面白かったという面ではよかったかもしれない。

以上。

面白そうだから受けてみようかな、みたいな人が行っても効果を得られないと思うので注意。

anond:20240816115919

えら・い【偉い/▽豪い】 の解説

[形][文]えら・し[ク]

普通よりもすぐれているさま。

社会的地位身分などが高い。「会社の—・い人」

人間として、りっぱですぐれている。「苦労しただけあって、—・い人だ」

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%81%89%E3%81%84/

anond:20240816112821

そんなことよりスーパー店舗ベーカリーミニクロワッサン人工甘味料使用されていたんだ

特に甘くした名称でもない普通味としか思えないやつなのに

飲料やその他使用されそうな加工品は原材料都度確認しても普通パン(甘い菓子パンなら確認する)に使われてるってさすがに想像を超えていた

発達障害ワイ、ドット絵にハマる

ドット絵っつっても、ドラクエとかツクールチップというよりかは、こういう一枚絵を描いてる(自分なんかよりもめちゃくちゃ上手いけど)

https://x.com/angelkawaiiko/status/1795485623568171269?t=GqnfNTrPbV3HXXmlsqiTZw&s=19

で、それと発達障害の何が関係あるかって言うと、絵って何回も下書きして狂いがないことを確認してからペン入れしたほうがええやん?

でも発達障害のワイは衝動性が強くて、はいはい次ってやってしまうんや

それで完成すると直したいところだらけ、でももう完成してるから修正できんという事態になりがち

でもドット絵修正がやりやすいからその辺安心なんや

(普通の絵でもベクターレイヤー使いこなせばある程度いけるのかもしれんが)

書店で本を注文して届かない理由 あるいは書店の見分け方(補足あり)

三行でまとめると

補足を書いた

皆さん興味を持って頂いてありがとうございます。もう少し補足を書きました。

anond:20240817175710

客注の方法

書店から取次を通し、お客さんが取り寄せを依頼した本を注文するのにはートは2ルートある。それぞれの特徴として紹介しよう。

さて、お客の立場から見ると、後者の即配サービスを使ってほしいと思うだろう。メリットしかないので。ところが、中小零細の書店を中心に、頑なに後者を使わないケースが未だにある。書店側の理屈としては、

これらの背景には「今時ネット通販で本を買わない客は、即配サービスを使わなくても逃げない役だ」というある種の割り切りがあるようなのである

なんだかなぁあと思われるだろう。ワイもそう思う。

それからチェーン店などでは他の店舗から取り寄せたり、小さな書店通しで提携し合ってお互いに融通し合う仕組みを持っている所もあるが、今回は置いておく。

生き残らせるべき書店の見分け方

ただ、これを利用する事によって、その書店がやる気があって商売として続けていこうという気があるのか、ないのかを判別することが出来る。本を取り寄せた場合、どれぐらいの時間で届きますか?と聞いてみるのだ。

それで「在庫があれば」というコメント付きで一週間以内の納期を目安で告げられたらそこは気合いの入った書店である。一方で、そうではない場合にはもはや書店は惰性でやっているか趣味でやっている様な書店であろう。

やたらと趣味性の強いPOPを大量に載せていたり、イベントばかりやっていたりするが、肝腎書籍販売、お客に届けるという機能蔑ろにしている書店も残念ながら存在するのが現実である


さらに、酷い所だと、客注として指定するべき注文を、間違えて在庫補充として注文してしま場合すらある。そして、過去に入荷してそのまま返品したような実績が残っていると、長い間待たされた挙げ句、入荷しないケースがある。

昔は出版社同意していても取次の判断で届かないことがあったが、今はそれは無い。現在出版社営業同意して手続きをしていれば届くようにはなっている。しかし、出版社商売なので、過去にそう言うことがあると入荷させたくないと言うことになるだろう。最近は取次がデータベースにした管理システム出版社提供しており、大手だけではなく中小でも返本を減らす取り組み≒取引書店の淘汰が行われている。

例えば独自フェアなどを企画して注文したのに思ったように商品が集まらない、と言うような定型愚痴が垂れ流されることがあるが、これはだいたいこのパターンである。そして出版社営業同意していても、出版社システム的な足切り基準に引っかかって取次に関係なく配本が拒否されているケースがある。そして営業はそう言う面倒くさい書店には「取次が悪い」と伝えることがあり、そこで取次悪玉論が成長する事になるが、

売れもしないフェアを繰り返しPOPを並べるが、最も書店が大切にするべき本の流通という機能を諦めた書店と、しっかりとサービスを用意して仕組みを進化させている取次とどちらが悪いかは、明らかではないだろうか。

さらに、これはあまり良くないのだが、普段から「客注」だと偽って、本来は補充配本で依頼するべき本を注文することを繰り返していると、客注なのにもかかわらず入荷数が減少されたりする事があったりもする。


この手の書店は、書店が持つべ基本的役割果たしていないのと、既に本来廃業するべき水準で運営されているのを店主の思い込みだけで運勢されているケースがあって持続性がない。

そのため、積極的に使って支援、するような書店なのかどうかは十分に見極めたいところだ。遠く離れたこの手の書店支援するより、地元の最寄りの書店を使って支えよう。

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