はてなキーワード: 救急車とは
命に関わるようなものではないから、そこまで不安にならないだろうと思っていたが、コロナ禍で面会できないということや病院の対応によってかなり不安に駆られた。
まず救急車で運ばれ、私は付き添いで行ったが、
どんな状態か、今からなにをするのかなにも聞かされず2〜30分放置。
やっと呼ばれたと思ったら彼氏の前を通り過ぎて家族待合室と書いている場所でまた30分ほど待機
一言話すことさえもできなかった。
やっと看護師さんがきたと思ったらそのまま入院し、ご飯が出ないからコンビニで買ってきて欲しいとのこと。それはしょうがないので寒い中15分ほどの距離にあるコンビニに飲み物やご飯を買いに行った。帰ってきたらもうそこには彼氏はおらず病棟に運ばれたらしいので、病棟に移動。
コロナ禍で病棟は面会禁止なので受付の人にコンビニで買ってきたものを渡して返った。
救急車で運ばれた時もかなり痛そうで、熱も出ていてぐったりしていたのに、病院に運ばれてから一切顔を見ることができないし、誰も状態を説明してくれないのでとにかく不安が募る。
その後、手術を受けることになったので手術の時に会うことはできるかと聞いたところ会えるとのこと。11時30から13時の手術だが、家族には早めに11時に来て欲しいといわれたため、仕事を調整して11時に病院に行った。
30分早めにきてほしいってことは手術前に会えるのかと思っていたがそんなことはなく、家族待合室で待っておくように伝えられ、手術開始の連絡があるわけでもなく、ただ13時まで待たされた。
もちろん、手術という一大事に仕事を抜けることはなんてことないが、こちらも仕事を調整してきているのに何のために早くきたんだ?
という気持ちがかなりあった。
手術が終わったとの連絡があり、やっと会えると思ったら、麻酔が効いているためかなりぐったりしていた。話すこともできず、ぐったりした様子を30秒ほどみただけで帰らされた。
その後の経過も病院から何か連絡があるわけではないので、成功したのか、調子はどうなのか全くわからなかった。
ただただぐったりした様子が目に焼きついてかなり不安に駆られた。
コロナ禍で入院するとどんな様子なのかよくなっているのか、これからどうするのかが何も付き添い側にわわからないということがこんなに不安に駆られるんだという日記
• 患者A(1歳)が診療所で診察を受けたところ、同診療所の医師は、気管支炎ないし肺炎により君津市内の病院で
の治療がよいと判断、同病院への搬送を依頼したが、満床により入院できないとの返答があり、その後、同病院の
返答前に患者を乗せて既に出発していた救急車が同病院に到着したが、入院を拒否された。消防からの再三にわた
る要請も拒否されたため、消防は1、2時間の搬送に耐えられるかとの診断を求め、同病院の医師が診察、右搬送
に耐えられるとして、応急処置もなく救急車を送り出し、千葉市内の診療所に収容されたが、呼吸循環不全症状が
• これに対し、患者の父母が君津市の病院の診療拒否により患者は適切な医療を受けるという法的利益を侵害され、
財産的損害、精神的損害を被ったとして、同病院の開設者である君津郡市の病院組合及び初めに診察した診療所に
対し、不法行為を理由に損害賠償を請求。君津郡市の病院組合につき、診療拒否について正当事由の存在が認めら
れないとして、財産的損害(逸失利益)・精神的損害について不法行為に基づく損害賠償責任が認められた事例。
(1862万円の請求に対し、1395万円が認容)
【判旨】
• 「被告組合は、君津中央病院が、適切な治療をする設備がないのでAのためを第一に考えて他の病院への転送を依
頼した行為は、診療拒否にはあたらないと主張する。Aのような気管支肺炎の患児の診療には、後記のとおり入院
設備が不可欠であると考えられるので、君津中央病院が、木更津消防署から同月二二日午前九時四五分、最初に収
用依頼を受けた際、入院設備が不十分のため設備のある他の病院への転送を依頼したとしても、それがAのためを
第一に考えたものとするなら診療拒否にはあたらないと解せられる」。
• 「しかしながら同一〇時三分、Aを乗せた救急車が同病院に到着した時点においても転送を依頼し、その後容易に
Aの収容先が見つからないことを認識しながら、同一〇時一五分、同一〇時三五分にも転送を依頼し、同一一時五
分にO医師が診察した後も転送を依頼したことは、もはやAのためを第一に考えた行為とは言えず、診療拒否にあ
たると解される」。
• 「医師の応招義務(注:医師法19条1項)は、直接には公法上の義務であって、医師が診療を拒否すれば、それ
がすべて民事上医師の過失になるとは考えられないが、医師法一九条一項が患者の保護のために定められた規定で
あることに鑑み、医師が診療拒否によって患者に損害を与えた場合には、医師に過失があるとの一応の推定がなさ
既婚、31歳。結婚7年。
俺たちは愛し合ってた。
まるで10代みたいに心がときめく恋だった。
俺の中にこんな心が残っていたのかと驚くくらい彼女に恋していた。
長年セックスレスと会話レスで妻からの愛情を感じない暮らしをしていた俺にとって、彼女は女神だった。
幸せだった。
離婚してこの娘と一緒になりたいと思った。
そんな折にちょっとしたことで妻と諍いになり、妻の方から離婚だと言い出した。
渡りに船と思った俺は、互いに自分の両親に報告し、これから資産の処分について話し合いをしようということになった。
そこで妻は「やはり離婚したくない」と言い出した。
俺に対して「もう好きじゃないし、今後好きになることはありえない」と言ったくせに。
「触られたくない。セックスしたいなら外でしてきて」と言ったくせに。
「一緒に寝たくない。寝室は別にして」と言ったくせに。
「仕事だ」と嘘をついて他の男と県外のテーマパークに行ってたくせに。
何を考えてるのかわからない。こんな妻より素直に愛情を伝えてくれる彼女がいい。
ひとり寂しい思いをシている彼女をこれ以上待たせたくない。早く離婚しなければならない。
夫婦カウンセラーに行った。妻はカウンセラーからも不審がられていた。
俺は妻に嫌気が差していた。
他に好きな人がいるということを伝えた。
それ以降妻のヒステリーが増えた。
彼女をこれ以上待たせたくないのに、話し合いすらできない。
俺は家では妻に無関心を決め込んだ。
ある晩、妻とは別室でゲーム仲間とゲームを楽しんでいた。その中に彼女もいた。
談笑しながらゲームを楽しんでいると、二階から妙な物音がして、不審に思って見に行ったら妻が首を吊っていた。
すぐに縄を切り助けた。妻はすぐに目を覚ました。
その日から妻はヒステリーが収まった代わりに首吊を繰り返すようになった。
妻から目が離せなくなった。外出も満足にできない。
一度救急車を呼んだ。医師からは保護入院を勧められ、俺もそれがいいかとおもったが、妻がヒステリーを起こしたので断った。
入院したくなかったらしい。
俺はすっかり疲れ果てていた。
妻の両親を呼び出し、離婚したいことと妻が自殺企図を繰り返して辛い、申し訳ないがひとりでは面倒を見きれないということを伝えた。
殴られる覚悟だった。が、殴られはしなかった。
妻の母親が同居してくれることになり、俺は仕事に復帰することができた。
彼女ともしばらく会えていなかったので、仕事にいくふりをして会いに行った。
彼女と会うと、妻からの苛みで感じていた苦痛が全て吹き飛んで幸せな気持ちになった。
両親はもとから妻のことをあまり気に入っていなかったので、離婚に関しては応援すると言ってくれた。しかし人命最優先だから、妻の精神異常が落ち着くまでは離婚を強行しないこと、と話し合った。
実家から帰る前、路肩に車を止めて俺は彼女に電話をかけた。彼女が逃げてしまわないか不安だった。
彼女を失ったら生きていけない。離婚を諦めていないこと、時間はかかるかもしれないが待っていてほしいということを伝えたくなった。
彼女は優しくうんうんと話を聞いてくれた。怒るどころか、俺の心配までしてくれた。彼女の妹も自殺未遂をしたことがあるらしく、側で介護していた母親の苦労を見ていたらしい。
増田くんがそんなふうに苦しんでいないか心配だと言ってくれた。
俺はこんなに心優しい彼女が愛しくて仕方がなかった。
「正直、疲れている。もう俺が見てないところで死んでほしい」と彼女に打ち明けてしまった。
良くないことを言ってしまったかと思ったが、彼女は「そんなふうに思ってしまうのも仕方がない。自分を責めないで、抱え込まないで医療や周りの人を頼るんだよ」と言っていた。
俺は癒やされた気がした。
数日後、俺の仕事中に妻はまた首を吊った。妻の母親が助け出し、一命はとりとめたものの、意識が戻ることはなく、10日後に亡くなった。
ついに助けられなかった。
妻が首を吊った寝室からはパソコンが見つかった。それから買ったばかりのSDカードリーダー。
俺と彼女の会話を聞いて、俺が居ないときに首を吊ったのだろう。
俺はようやく自由になって彼女とずっとしたかったお泊り、旅行、買い物、デート、セックス、たくさんした。
彼女の横にいるだけで幸せだったのに、不思議なくらい、彼女に心が動かなくなった。
お前が居なければ妻は死ななかったと思ってしまう時があった。
あんなに煩わしく憎んでいた妻のことを、美化して思い出すことも増えた。
そして、彼女に恋愛感情を向けていた頃の自分を思い出すと寒気がする様な、忌まわしく感じるような、そんな気がした。
今となっては、あの頃の俺は恋愛に狂っていたと言わざるをえない。
彼女に対して優しくなれなくなった。
そして彼女は少しずつ壊れていった。
あんなに強く優しく寛大だった彼女が、ちょっとしたことですぐ不安になり、俺を責め、泣くようになった。
自傷するようになった。彼女のきれいな真っ白のふとももが、目を覆いたくなるような傷だらけになった。
そして彼女も首を吊るようになった。
俺は慣れたもので、冷静に縄を切って失神から目覚めさせ失禁した彼女を風呂に入れた。
彼女のことは入院させた。彼女の母親に連絡をとって保護入院にサインしてもらった。
それが去年のこと。
先月、ついに彼女も助けきれなかった。
ある日帰ったら、冷たくなった彼女が居た。
妻が首を吊ったのと同じ場所だった。
俺何してるんだろうな。
妻に死なれて、彼女にも死なれて、俺は何をしてるんだろう。
俺が死んだほうがいいか。
自称・気は優しくて力持ち
の 頭の中は 食欲 性欲 睡眠欲
アブノーマルな嗜好
恋愛至上主義 束縛男
蹴り飛ばされて そこから蹴り上げられて
病院に迎えを頼んで 渋々やって来て
第一声が
『女に暴力を振るった事はないのに こんな事させたお前が悪い。謝れ』
恋は盲目
必死に立ち直らせようと頑張って
吐き捨てられた言葉は
『水も飲み過ぎたら毒。お前の愛情も同じ』
かっちょい〜い
そして9ヶ月音信不通
1人泣いて泣いて泣いて
立ち直って 次の恋がやってきて1年
突如現れ 人を浮気女呼ばわり
そんな過去があるなんて誰も信じないであろう良い人のフリして にこやかに 自称◯◯家とかで のうのうと生きてるのを SNS発信してる事に嘔気
自論
歩くし健康にいいかなと思っていたけど、歩きスマホするので妹から怒られて7年経ってる。
で、自分の母を運ぶ救急車の中でも、母が亡くなった霊柩車の中でもしてた。引いた。
でも たしかに自分はすることがない時間だし「ちょっとしたスキマ時間にしてるだけ」とも考えられる。
が、マナーは悪い。(これを「マナー」と言っていいのかどうかもわからないけど)
ただ、父は発達特性持ち的なところもあるので「マナー悪いから」の説明だけでは スマホゲームを止められない。
孫といる時は「おじいちゃんと手を繋ごうね」と促して 歩きゲームをさせないようにしてるけども。
どうしたらいいんだろうな…。
なんか書いたけどクソ長いから外国の精神科措置病棟が気になるやつは下までスクロールしてくれ。
お前らは精神科に入院したことはあるか?俺は一回もなかった。でも精神科/心療内科に通院はしてた。俺はADHDだから、毎日ストラテラを飲まないと仕事にならない。ストラテラは処方薬だから医者に行かねば貰えない。毎回医院に行って1分話して処方箋貰って金払うだけ。
ある時、俺は海外に一身上の都合で引っ越した。医療制度というのは国毎に大幅な差異がある。引っ越した先の国では生憎ストラテラは18歳以下のみの保険適用だった。やっとのことで見つけたクリニックの先生は、ビバンセを勧めてきた。言うには最新の作用機序でリタリンよりODの不安もない。そして保険適用。かつてコンサータがまるで駄目な方にしか効かなくて3日でやめた記憶もあったものの、軽い気持ちでスイッチしてしまった。
ADHDにはニ種類の薬がある、と俺は思ってる。集中力を高める薬と、気が逸れにくくする薬である。似たような響きだがまるで逆だ。後者が俺の相棒であるストラテラ、前者はコンサータ(どちらも先発名)。コンサータは薬というと聞こえはいいが、どちらかといえばヤクと読むべき、ほぼ覚醒剤である。もちろん患者が薬物依存になるとまずいので、徐放剤といってガツンとキメないように調整はされている。先生の勧めてきたビバンセもこの覚醒剤サイドで、違いといえば覚醒剤原料が体内で覚醒剤に変わるというところである。ビタミンAじゃなくてカロチンなのかくらいに俺は認識していた。間違ってたら教えて。
そうして薬をビバンセに変えたら途端に寝れなくなった。初日なんて考えてるだけで夜が明けた。今思えば当たり前で、覚醒剤なんだから眠れなくなるのは当然だ。でも俺は一日の睡眠が減っても活動できると喜んでいた。季節は夏。高緯度の日照も相まってたいそう便利だった。
しかし季節が進むにつれ、困ったことが出てきた。まとまって考えることができないのである。仕事の都合上ゆっくり腰を据えて考えられないのは致命的だ。家族にも最近まるで話ができないと呆れられている。俺は薬が足りないのだろうと考えた。先生に相談して薬は一日40mgから徐々に増え、ついには120mgまで達した。高緯度では夏昼が長いかわりに冬がとことん暗い。俺史上で最悪の冬が迫っていた。
冬になると俺の考えはいよいよまとまらず、出前一つ頼むにも1時間かかるレベルになっていた。仕事でも当然頭は微塵も回らない。上司は進捗の無さに苛立ちを隠せず、俺は完全に途方に暮れていた。家族は心配してるものの俺にも全く見当がつかない。しっかり薬を飲んでるのに…俺は焦って更に薬を飲んだ。そうして寝室に籠もって考えると、ふと人生とは詰んでいる気がしてきた。人生とは詰んでるから人生は詰んでるのだ!ただの循環論法、小泉進次郎も逃げ出すくらいのアホくさい"証明"だが、当時の俺にはQEDと思えた。そして俺は一切の社会活動をやめた。
俺は恐怖に怯えて布団にこもる。世界は詰んでるから何をすべきかわからない。俺は何日も何週も寝てないように感じた。もはや家族もこの世界を詰ませた陰謀の一角に違いない。俺は家族の一人をその首謀者と断定し、他の家族と俺は囚われているから処分しなければならないと画策した。幸いこの企てはすんでのところで失敗し、家族は俺を行きつけの精神科に連れて行った。そこでも俺は先生に向かっていかに家族が俺の世界をダメにしたか語った。診断は統合失調症、なんか薬を処方されて俺はそれを飲まざるを得なかった。そして俺は意識を失った。
意識を取り戻すと俺は大変なことに気づいた。家族は俺を陥れるのに成功し、完全に俺は世界から分断されてしまった!行動するのは今だ、そう思った俺は誰かに家族の陰謀を告白するたった5,6行のメールを2時間かけてしたためて、覚悟を決めて救急車を呼んだ。俺はこの内容を見せて告発するんだ。しばらくして警察が家に来た。俺はぱっと玄関に出た。あれ、俺は鍵かけて閉じ込められてたんじゃなかったのか?それに警察?でも俺が家族に嵌められてることを説明するには誰でもいいか。そう思い俺は警察官についていった。本当は俺が傷害罪の犯人っぽいから警察署に連れて行かれたんだけど、俺は家族が悪いと信じて決めつけている。警察官も通訳挟んでもまるで話が通じない東洋人にさじを投げたのか、救急車で措置入院と相成った。
救急車は外国っぽい青いライトを光らせて夜の山道をひた走る。救急車に本人として乗るのに怪我一つしてないのは不思議なもんだなと、妙に冷静なつもりの俺は思っていた。どれくらい走ったか、救急車は薄暗い建物の前に止まった。俺は促されるとおり建物に入った。石造りの古い建物で、照明もロクにない薄暗い廊下を右に折れて、15人位入りそうなでかい部屋に通された。巨大な机の向こうに何人か人がいて、書類に何通かサインさせられた。正直何喋ってるのか全然わかんなかった。部屋が暗かったのか、その人たちは顔だけ真っ黒に塗りつぶしたように見えた。その後は夜も遅かったこともあり、すぐ相部屋の寝室に通された。枕元にはスーパーで一番安い炭酸水のボトルが置かれていた。一杯だけ飲んで徐々にせり上がってくる不安に蓋をした。途中同房の人にトイレの場所を聞いたところ、寝ているように見えたもののすぐ教えてくれた。でも何言ってるか分かんなかったから自分で探した。
次の日起きて俺は焦っていた。なんで精神科に入院してるんだ…言ってる意味が全く分からないと思うが、マジで焦っていた。
朝起きたら何もすることはない。みんなおもむろにロビーに出たり朝飯を食べている。それがまず気に食わない。生産的ではない気がする。周りのやつの目が全部死んでるように見える。ここにいたら俺は終わりだと思った。なんのことはない、家族を仮想敵に仕立ててたのが精神科になっただけだ。なんだけど、俺は自分の危機的状況に最悪なリアクションを取った。錯乱だ。
まずはでかい声を出して職員を探した。しかしまるで相手にされない。そのまま逃げようと思って大声を出しながら雪の上を素足で走った。しかし、精神科だけに柵がある。逃げ場はなさそうだ。少しだけの理性で俺は柵をよじ登るのを諦めて戻った。すると職員が騒ぎを聞きつけて何人か集まってきた。外に出れるチャンスか?俺は必死に自分はまともだからここから出せと迫った。しかし職員はつれない態度ですぐ俺を元のロビーに戻して対応をやめようとする。なるほど、騒ぎを大きくすればするほど対応する職員も増えるんだな。それを学習した俺は更に声を荒らげて職員を捕まえた。
彼は俺にこういった。あなたがまともなら、それでいいじゃないですか。俺は焦った、こいつはこのまま話を終わらせようとしている。逆を言えばいいのか?そう思って俺は自分がサイコパスだから危険だから病院から追放したほうがいいと逆張りしてみた。そうすると職員はサイコパスかどうかは血液検査しないと分かんないですねと返してきた。んなわけないだろ、その時の俺ですら分かった。分かったが、検査を受けないと何も変わらない気もしていた。なので必死にサイコパスだね俺は危ないねと話を合わせ、とうとう採血までされるに至った。
しかしどうだろう、検査が終わったら彼は、はい用済みと言わんばかりに俺をロビーに戻すではないか。これまでの会話で勝手に検査=退院と思い込んでいた俺は完全に頭にきて、いよいよ本気で暴れた。そうすると複数の職員が外国語で(当たり前だ)何か言いながら迫ってきた。それがちょうど進撃の巨人の普通の巨人みたいに見えた俺は恐ろしくて走って逃げた。ロビーから裏の通路を通って行き着く先は袋小路。ドアが閉められたとき、俺はそのドアにドアノブがない事に気がついた。
入った部屋は6畳くらいで、日本人の感覚で言えば十分な広さだった。床はリノリウム、壁はクリーム色一色で、はめ込みの厚い窓が冬の寒々しい景色を切り取っていた。部屋には唯一つベッドが置いてあった。退院するために暴れてたのに閉鎖病棟に入れられるだって?冗談じゃない。俺はドアをバンバン叩くがまるで開けてもらえなさそうだ。覗き窓からゴミを見るような職員の顔がちらりと見える。次に俺は窓を開けようとした。割ろうとも思ってこちらも叩くがなかなか頑丈でヒビひとつ入らない。この時点で俺は寝たら廃人になると思い込んでいた。ここ10日寝てない(体感)から、寝たらパソコンのRAMのように頭に入ってる記憶知識知恵すべてが失われ廃人になるに違いないと。しかし体は完全に疲労困憊していた。トイレに行きたいが行かせてくれる気配もまるでない。いよいよ俺は錯乱して部屋の中で小用を足した。これがもしかたら窓の外から目に止まり救出されるのではと思ったが、あとから思えばもし見えたとて重度の精神病患者が暴れてるようにしか見えないだろう。ともかく俺は疲れ果てて寝落ちした。
どれほど寝ただろうか、気がついたら閉鎖病棟に寝ていた。さっきの部屋だ。少なくとも廃人というには認知能力や記憶の連続性は失われてなさそうだった。あと、漏らして寝たはずなのに服やシーツは取り替えられていた。それには少なくとも満足した。
しかし俺はあまりの空腹と便意ですぐ耐えられなくなった。部屋は暗く時間も何日たったのかすら分からない。とはいえ2大欲求が充たされないことには始まらない。俺は再度ドアを叩いた。しかし飯が全く出されない。トイレも連れて行ってはもらえない。刑務所の部屋にはトイレがついてると聞いたことがあるが、この部屋はベッドしかない。ドアをひたすら叩いてようやく職員から得られたものは、おまるですらない用を足すお椀であった。このとき俺は完全に人権を失ってることを理解した。その後しばらくして食事も与えられた。ツナと冷たいジャガイモを混ぜた犬のエサレベルのもので、俺はさらに人権がないと思って涙をこぼして食べた。こっちはよくよく考えると、実はただのメシマズな賄いだったのかもしれない。ともかく起きた日は俺の人生でも指折りの人権のない日だった。
次の日俺はまたトイレの交渉をしてみた。ダメ元だ。しかしあっさり外のトイレに連れて行ってもらえた。人は一度酷く当たられると、多少でもマシな扱いをされた時いいことをしてもらったのではと勘違いする。その時の俺はまさにそれで、トイレに行けただけで感謝した。同時にトイレに行けない可能性に恐怖した。何も口答えする気がなくなった。そしてその日はパンとバターだけ食ってたまにトイレに出て終わった。
次の日は更に良くなった。部屋の扉を常に開きっぱなしになるように、食事も他の患者たちと取るようになった。もちろん俺はクワイエットルームに逆戻りしたくないから何も口答えはせず唯々諾々と従った。病棟全体には10人ほど入院していた。そのうち数人から閉鎖室に入れられるなんて可哀想にと同情されてしまった。そうして開かれた閉鎖部屋に何日いただろうか、ほどなくして相部屋に移された。
相部屋の相手はまともな学生さんに見えた。挨拶もするし自己紹介もしてくれた。ただ、虚空に向けて話し出すときと、段ボール箱をラジオと称して実際には携帯で音楽を鳴らすときだけはヤバい奴だと思った。実際彼は軽症なのか、一週間ほどで退院していった。他の患者は古株そうに見えた。分かんないけど。常に冷蔵庫に自分の食い物を入れては食べてるおばあちゃん、常に食洗機を回すおばあちゃん、常に電話してるトルコ人の女、2chにいそうな青年、偶数日はクレオパトラ級のゴリゴリメイクで奇数日はサロペットの地味子になる女の子、みんなそれ相応に精神を患ってそうに見えた。
部屋から出られるとはいえ閉鎖病棟で自分のいる階から外には出られない。と言っても中で暮らしていくのは暇な事以外何も不自由はなかった。朝昼晩三食食事は出るし、キッチンで持ち込みの食事を作るのも自由だ。途中から家族に文明IT機器を持ち込んでもらってからは暇潰しも簡単だった。社会に触れるのは怖かったから、オフラインのゲームだけを黙々と遊んだ。ゲームは時間を埋める作業か、あるいは順序立てて行動する訓練のように思えた。ゲームでもいいから何か進捗がないと人間としての価値がなくなるような切迫感を感じてプレイし続けた。
夜は就寝時間があり、あまり遅くまで起きていると当直の人にハロペリドールを飲まされた。すごく頭が鈍くなって好みではなかったが、あの部屋に戻りたくはないから諦めて飲まざるを得ない。
先に書いた通り閉鎖病棟から俺は一歩も出られなかった。当たり前に聞こえるけど、俺だけ外出が禁止されていた。他の患者たちは毎日午後一時くらいにお散歩に出かけていた。たまには俺も外に出たいと思って参加していいか職員に尋ねたが、あなたのズボンと靴がないんですと残念そうにみな口を揃えた。自分の足で歩いて入院したのにズボンと靴が無いことがあるだろうか?しかし何度聞いても埒が明かないので、ズボンと靴は汚れて捨てられたのだろうと解釈した。家族に頼んでズボンと靴を差し入れしてもらった。そうしてズボンと靴が揃ってもなんやかんやと言い訳して外に出れず、入院して2週間たちようやく外に出ることができた。
散歩は病棟の唯一外に出る玄関を職員が開けて、その引率でぞろぞろと歩いてついていく。まず、俺が最初にいた病棟を通った。驚いたことに、この病棟は外の道路からなんの障害もなく行き来できるようだ。柵があって出られないと思っていたが、反対側は正面の入口に繋がっていた。はじめにもう少し理性があったら閉鎖病棟に連れて行かれなかったのにと思う反面、理性がないから入院したわけだし、あの錯乱状態で外に出たら車にはねられてそうだなとも思った。
この散歩、想像していたものよりずっと大規模だった。30分から一時間位精神病院の周りの住宅街を黙々と歩いて回る。歩き電子タバコに歩き火タバコで吸い殻を投げる精神病患者達に近隣住民から苦情は来ないのか、非喫煙者としてはヒヤヒヤする。患者同士しゃべりながら歩いていて、小学校の遠足くらい伸びた列を定期的に立て直す。そしてなぜおばあちゃんが冷蔵庫に食品を蓄えてるかも分かった。多分自分でスーパーに買い物に行ってるのだ。そうなってくると家なんだか閉鎖病棟なんだかよく分からない。散歩で外の空気を吸えるのは嬉しいが、また俺はここにいたら駄目になると思った。今度こそ話で退院に持ち込まねばならない。
職員はのらりくらり退院の話を誤魔化し続け、医師の診察もろくになく、どうなってるのかと思い始めた、入院一ヶ月後。小原ブラス似の職員の引率で卓球とテーブルサッカーを遊んだ帰りに唐突に俺は数日後の退院が告げられた。退院する支度中に、その職員が「あ~ここにあったわ〜」みたいな猿芝居をしながらロッカーから俺のズボンと靴を出してきたが、既に俺にはツッコミを入れる気力は残されて無かった。彼らからしてみたら、話の通じない患者にどうやって秩序を与えるか、自分の気が狂わないか考えた結果がその猿芝居なんだろう。
そうして退院して数ヶ月はものすごく不安で仕方なくどうなるかと思ったけどその後はすっかり元通りになった。相変わらずのADHD、薬を飲まねば仕事にはならない。先生も上手いことストラテラを保険で落ちるようにしてくれた。ビバンセは少なくとも依存性は無かったようで、リタリン系の薬を飲みたいとも思えない。元々飲んでキマってた訳では無いからかもしれない。そのあとめちゃくちゃ面倒なことになったんだけどそこは割愛。勝手に敵に仕立てて迷惑一方的にかけたのに見捨てない家族には感謝の言葉しかない。
薬キメてたとかじゃなかったら素直に病院行こうな
別に大した額じゃないし分割払いもできるから。相談すればさ・・・ってスゲー思う
血まみれの自転車乗りのおっさん。気絶してて意識を取り戻した後も横たわったまましばらく朦朧としてた
→ 救急車呼んだのに血まみれのまま立ち去る
高校生〜大学生くらいのロードバイク乗りの子。段差で盛大に前のめりにコケ、ロードバイク大破して血まみれ
タクシーに乗ろうとしたばあちゃんが、歩道とタクシーとの段差に盛大にすっ転び流血し動かなくなる
→ 頭を打ってたので動かさず声かけだけしたが、自分でムクっと立ち上がり、ふらついてたので支えたら、
今日、駅から地下に続く階段で、20代くらいの男性がつまずいて下に転げ落ちるのを目撃した。
俺はこれはまずいと思ってとっさに駆け寄ったんだが、どうやら頭も打ってるらしく男性は立ち上がりそうになかった。
だから俺はとりあえず救急車だと思って119に電話したんだが、話してる間に男性が起き上がった。
そして「大丈夫、大丈夫です」と救急車は呼ばなくていいと男性は言った。
周りの人達も「救急車呼んだ方がいいよ」と強く勧めたんだけど、本人が大丈夫と言ってるのに呼ぶ訳にもいかず、救急車は断った。
男性は確かに歩けているし会話も成り立ってるので問題ないようにも見えたが、頭を打ってる後から症状が出る可能性もある。
本当は救急車乗った方がいいと思うのだが仕方ない、「病院行った方がいいですよ」とだけ伝えて立ちさった。
・救急車を呼ぶとき、テンパって何話せばいいか分からなかった。救急であること、現在地、本人の症状、性別と年齢を伝えるのがいいらしい
・周りには50人以上はいたんだが、見てるだけの人が多く、駆け寄ったのは5人くらい。自分は少し離れてたから、自分が救急車呼ぶとは思わなかった
・それでも、駆け寄ってくれた人達がいてくれてよかった。感謝を伝えたい
救急車の音はよくきこえる
【追記】
こんな駄文にとても多い反応があって凄くびっくりした。
励まし・慰めの言葉をくれた人、後輩を悼む言葉をくれた人、本当にありがとうございます。正直、時間が経った今でもあの日のことは夢だったんじゃないかって思うことがあって、でも現実を突きつけられて。の繰り返しだった。けど、これを書いたことで、少し気持ちが楽になった。今まで誰にも相談できなくて鬱屈としてたんだけど、誰かに聴いてほしかったんだな。
書いてると感情が凄く乗ってしまって、嫌に創作臭くなってしまった。
事故に関する記事については「高速道路名 事故 後輩の名字」で調べないともう出てこなくなってしまっていて、これはさすがに晒せないから事実ということを証明するのは少し難しいんだ。
けど、それじゃ「嘘松だ」っていう人を納得させるのは難しいし、自分としても後輩の死を嘘松って言われながら消費されるのは絶対に嫌なので、事故にあった後の車の写真を置いときます。これを見て事実かどうか判断してもらえたらと思う。
ちなみに、今までにインターネット上に公開したことは無いから、画像検索しても出てくることは無いと思う。
また、この画像を見て交通事故の恐ろしさを改めて認識していただけると救われます。
https://gyazo.com/0b58ed31e1a84df6198a377d71c0b94f
https://gyazo.com/5390deb73e4458ef787743ac240fe85f
【追記終わり】
大学の部活で仲が良かった男4人組で日帰り旅行に出かけた帰り道での出来事だった。
片道250kmくらいの道のりで、あと50kmくらいで無事に家に帰れるはずだった。高速が事故で渋滞していて、渋滞の最後尾に追いついたんだ。
トラックの後ろに停車してハザードを焚いてバックミラーを覗いた。それから数分間の記憶はない。
目を覚ますと、運転席の中だった。目の前に巨大な鉄の塊があって、本来それと自分たちを隔てる、あるべきものがなかった。
状況が理解できなかった。けど目に飛び込んでくる夥しい量の情報がその事実を残酷に突きつけていた。
助手席の友人に大丈夫か聞くと返事が帰ってきた。彼に一旦外に出ることを伝えて、ドアを開けて外に出ると前のトラックの運転手が携帯電話でどこかに電話していた。
「そうだ、自分も通報しないと」携帯を取り出して110番に通報した。
電話を終えて後ろのトラックをチラッと見てみると、運転席に運転手が座っていた。60〜70くらいの男性だろうか。呆然とした様子で、誰かに電話をかけるような様子もなければ、降りてきて救護する様子もなかった。
でも、自分には彼にかまっている暇はなかった。後部座席に座っていた後輩2人の無事を確認しなければいけなかった。
後部座席を運転席側から覗くと、とても現実とは認めがたい光景が眼前にひろがっていた。
運転席側に座っていた後輩は口から血の塊を吹いていて、目を見開いていた。気付くと血の塊を手で拭っていた。血の塊はゼリーのように半固形状になっていて、事故が起きてから経った時間を物語っていた。
大丈夫か問いかけても反応がなかったけれど、なんとか息はしているようだった。奥を見やると、助手席側に座っていた後輩の首から上が、後ろのトラックに圧迫されているのが確認できた。
一気に自分の心拍数が上がるのを感じた。次の瞬間、思わず叫んでいたことだけ覚えている。窓から手を伸ばして、背中を叩きながら、ただ一命をとりとめてくれることを叫んで祈るしかなかった。
急いでドアを開けようとしても開かない。ビクともしなかった。追突の衝撃で歪んだせいだろう。どれだけ力を加えても開けることができず、それがより不安を加速させた。
ビクともしないドアが、生と死の境のように感じられた。それからずっと、救急車が来るまでただひたすらに、叫ぶことしかできなかった。もし少しでも止めてしまったら、2人がもう二度と帰ってこない気がしたんだ。
気付くと、救急隊の人が到着していて、引き剥がされながら、いつの間にか脱出していた助手席の友人と救急車で近くの病院に搬送されることになった。
結局、自分は左足骨折と頭を数針縫う怪我を負い、助手席の友人が頭を数十針縫う怪我、運転席側の後輩が顎の骨が砕けて、全治半年以上の怪我を負った。助手席側の後輩は帰らぬ人になった。
今でもあの日のことを思い出す。あの日、あのとき、直前のSAでもう少しだけでも休憩していれば。JCTで別の高速道路に抜けていれば。停車したときにもっと車間を空けていれば。別車線にいれば。そもそも誘わなければ。
事故を防げたかもしれないあらゆる可能性を思い浮かべては、そうできなかった自分を責めている。
数日後に控えていた後輩たちの旅行も台無しにして、亡くなった後輩のご両親からもただ一人の息子を奪ってしまって本当に申し訳がない。生きている価値がない。
あれからずっと、生きている実感が無い。
ここまで読んでくれた人たちにお願いがある。交通事故は本当に、誰一人も幸せにならないから、本当に気をつけて運転してほしい。
寒波によってアパートの水道管が凍結しているため炊事とトイレは貯蓄していた水で賄えるが、風呂と洗濯は全くできていない状態にある。
その状況を、不動産管理会社、不動産契約時に加入させられたサポートセンター、大家さん、大学、警察、市役所、水道局と、思い当たるところすべてに対して電話相談しましたが得られた回答は『自然解凍するまで待って』というものです。
天気予報を見たところ、凍結の危険性があるという最低温度−4℃のラインを下回るのは31日いっぱいまで続くらしく、自然解凍により水道が通じるのは早くて2/1からだと予想できる。
以下経緯
24日の夜
この時に料理をしたのですが、これが最後の水道を使えたタイミング
25日の朝
水が出ないことを確認。
25日の夜
アパートの外壁表面には水道管を見つけられなかったため、とりあえずキッチンのある部屋をストーブで温め室温15℃程度をキープさせたまま寝る
26日の朝
水道はまだ通じないため、不動産会社の電話窓口と、住居トラブルサポート窓口に電話をしたが『自然解凍を待つように』と言われた。
26日の夜
夜、改めて大家さんに電話し、そのおかげでアパート付近の電気屋さんが見に来ていただいた。電気屋さんは何もできないとの事。また、大家さんもアパートに来ていただき、『27の朝にお風呂屋さんに電話してみる』とのこと。
27日の朝
水道使えず。
風呂屋さんから電話あり。『行けないので、月曜日になっても水道止まってたら、また改めて電話してほしい』とのこと
27日の夜
研究室の先生『君水泳部じゃん。プールのシャワー使いなよ笑笑』
大学の学生課に相談に行く。『災害時のための飲用水と食べ物の備蓄はあるが、衣食住の衣住に関しては用意がない。医学部病院の職員用シャワー室を使う時は、バレないようにやってほしい』との事。
自宅に帰り、ストーブで部屋全体を温めるのは諦めて、電気毛布で床を温めてみる。
28日の朝
相変わらず水は出ない。
110番してみる。『水は自分で買ってください。風呂は我慢してください。トイレは、まあ、頑張ってなんとかしてください。ここはそういうのの窓口じゃないんで、警察署に電話してください。電話番号は〇〇〇〇』
おそらく警察署の電話番号『うちでは何もできない。市役所に電話してみてください』
水道局『結局は業者に頼むから、業者が来れないっていったら、ウチは何にもできない』
市役所の代表番号『災害対策本部も立ってないし、何にもできない。トイレは近くのコンビニへ行ってください。お風呂は温泉とかにいってください。』
僕『コンビニは1キロ先だし、温泉行くにしろ、水買うにしろ車は持ってない。ライフラインが断絶して、最低限の生活が送れてないのですが、行政は何もやってくれないのですか?』
法テラスに電話した。行政を訴えるとかそういう話なら、月曜に改めてその地域の法テラスに電話してほしいとの事
(その後追記、人権相談とか法テラスに電話したのは、以前福祉事務所に相談に行った時も門前払い受けてて、法律の知識ないと軽くあしらわれるだけだって思ってるから。でもAmazonで法律書買って、配達されるの待ってから勉強してるような状況ではない。憲法25条が、公務員の義務を定めてるのか、ただの目標を示してるのかは学説は分かれてるくらいで、素人にはさっぱりわからん)
29日の朝
水は出ない。
手を洗う水、トイレを流す水が少なくなってきた。
地方紙に投書してみた
29日の夜
まだ水は出ない
どこからも取材の連絡がない。断水も俺だけなのか?1人だけならば、災害ではなくて、ただの設備の故障で、自助努力で何とかしろと?
手洗いの水、トイレの水が無くなってきた。
そもそも明日はテストあるから、日中家にいれないので、業者呼べない。午後も歯医者に行きたい。マジでくそ
歯痛くてもの食べるの辛い、土曜空いてる歯医者徒歩圏にない。マジでくそ。
こんな発展途上国みたいな土地早く脱出したい。こんなところでは嫁と子供を住まわせられない。缶瓶ペットボトルの回収が二週間に一回なのくらいは我慢できるけど、災害時に頼りにならないような自治体はもうダメだと思う。
30日の朝
歯が痛くてあんまり寝れなかった。バファリン欲しいが徒歩圏内にドラッグストアはなく、バスで往復1時間で700円ほどかかる。
田舎に住むということは、貧弱な行政、貧弱な交通機関、医療資源へのアクセスの困難さなど、地方衰退の影響がいろいろな形で皺寄せになって、生命の危機にすらなると痛感している
田舎の学問より京の昼寝というか、貧乏暇なしというか、インフラが貧弱だと、普通の生活を送るだけで体力削られてしまって、勉強どころではない。今日のテストダメで、単位落とすかも。
30日昼
業者にはもちろん掛け合ってるし、不動産屋のサポートセンターのお姉さんも地域の業者探してくれた
でも、そもそも地域の業者がみんな手一杯で、ここ数日は来れないらしい
知らんけど、業者のキャパがそもそも小さくて、行政が腰を上げるレベルまでとのギャップがあるんじゃないかな?
救急車気軽に呼ぶ人が多いっていう問題はもちろん知ってるし、それで、本当に救急車が必要な人の迷惑になってしまっているのももちろん知ってる。
そんで断水ではすぐには死なないし、救急でも消防でもないのもわかる。
でもこの時に、民間のどこも頼りにならないくて、どこに頼らばいいかってパッとはわかんなかった。給水車とかは水道局とか自衛隊だと思うけど、水道局に電話しても休みで繋がんなくて、自衛隊に電話なんてできない。
そして、じゃあ行政の誰に頼ればいいのかって思いついたのが、警察で、『警察』って新明解国語辞典見ても、そんなふうなこと書いてあるし、とりあえず電話することにした
そのとき、110番するのと近所の交番の電話番号調べて電話するのと、どう違うのかは自明ではないようにおもうのだが、、
そのあと結果的に、市役所の代表経由で水道局の何かの部署に繋がったけど、、、
アパートの住人は俺と隣のおばあさんだけで、断水初日に飲料水持っていったけど、水道はチョロチョロ出るからいらないって言われた
そんで、おばあさんは何回ピンポン押しても出てこなくて、ドアドンドンしてやっと出てくるような感じ
30日夜
道路は凍結してて自転車は使えない。トイレすんのに1キロ雪道歩くしかないなんて、負担が大きすぎる気がする
1日の大半を大学で過ごすようにしてるから、家帰ってくんのは23時とかになるけど、その時間に近所の人の家にピンポンするのは気が引ける
ドアドンドンって、みんな言うけど、おばあさんの家のチャイム壊れてるorスピーカーの電源切ってるので、廊下でおばあさんの歩く聞こえた時に追いかけていって、ドアを指でコンコンしてこんにちわ〜って言ってんだけなんだけど。
役所に電話する時ももちろん丁寧な言葉づかいをしてるつもりです。さすがに、市役所の代表には、憲法25条持ち出して食い下がったけど、あくまで失礼のないような話し方はしたつもりです。
ここには精神科医が多いな
厚生労働省の水道関係のメールアドレスにも、断水の報告のメールを送った。
結局どこからも何の連絡もない。風呂屋は来れない。歯医者は予約の30分で手術終わっちゃってまだ治療途中で、痛いまま。
彼女がAmazonで災害用トイレ、シャンプー、ボディータオル買って家に送ってくれた。マジで感謝。
床を温めても効果が一向にない。水道管破裂か?去年の水道法に関する最高裁判決は俺のケースは関係ない??法律の専門家同様の細かい知識を、いちいち要求されんのか?行政に何か訴えんなら、法律勉強してからにしろってか?ハードル高くないか?
31日の朝
水はまだ出ない
歯痛くて何も食べてない。ジュースは飲んだけど
大学は、メーリングリストでも何も言ってこないし、学生寮や職員寮は案内できないらしい
業者もまだ来てくれない。大家さんも管理会社もなんかいろいろ問い合わせてくれてるらしい。
近所の方に、ポリタンクに水を組ませてもらった。
俺が非常識で無知なのは分かるけど、じゃあ法律とか生活のノウハウとかの全く知らない情報、検索ワードすら知らない情報に、どうやってアクセスしたらいいんだよって思う。無知の知や、認知の歪みを能動的に突破するのは、原理的に不可能だと思ってる。
地元の業者も、行政も何の頼りにもならなくて、使えるのはただ外資のAmazonだけって、、、、日本に住むのは、、、、って主語もっとデカくしたくなる。
Amazon欲しいものリストって言ってくれた人もありがとう。水は備蓄してたのもあったし、減ったら自分で買ってるので大丈夫です。ありがとうございます。
31日の昼
不動産管理会社には、ホテルとってくれないか、別の水道生きてる部屋に避難させてくれないか相談してみた。返答待ち
家族は頼りにならない。頼りたくもない。
お風呂は何人か友達の家に借りに行ってる。いつもお菓子差し入れしてるし、上がる時もお風呂掃除してから上がるけど、さすがに何回も行くのは気が引けてくる。
研究室の先生は、最初相談した時に鼻で笑われたので、あの人に頼るのはちょっと気がすすまない。赤ちゃん生まれたばっかりで、先生だって大変だし。
この投稿がはてなのトップからも消え始めてきた。タイトルをマイルドにしたからか?結局、どこの誰にもつながらなかった。なんやねん。
業者や、不動産屋さんと電話してても、電話が途中で切れてしまう。楽天モバイルの回線が貧弱過ぎる。楽天モバイルも半年以上訴えてて、消費者生活センター経由で総務省にも話しがいってるが、一向に改善しない。楽天モバイルのサイトのエリアマップでは5G繋がるはずなのに、lte回線のアンテナ0〜1本しか立たない。代替え機もらっても、電話はデザリング関係ないから意味ない。水道も電話もライフラインだと思うんだけど、インフラ貧弱すぎんだろ。最低限度の生活すらできてないと思う。田舎は人間の住むところじゃない。
31日の夜
不動産管理会社に電話してもどっかのコールセンターにリダイレクトされて、この地区の担当の人とは話せない仕組みになってる。なかなか話がつかない。
大家さんが普通は灯油入れる感じの赤いポリタンクに、4、5リットル水入れて玄関前置いててくれたけど、安全性が不明すぎて飲む気にはなれない。トイレ流すには少ない。謎。
やっと、業者の人が来てくれた。手を血だらけにして作業してた。申し訳なさ過ぎる。たくさんの家で凍結してて何件も何件も回ってるらしい。その地域で断水してる家庭がどれだけあっても、メーターの先の凍結ならば行政は一切動かないらしい。くそ。水道管の大部分は壁に埋まってるが、少しだけ露出してる箇所があったのでそこをヒーター巻いて温めることになった。業者さんも四つの水道管のうち、この部屋の配管がどれかわからないので、全部の水道管にヒーター巻きつけてた。結局、水は出なかったので、一晩放置することに。
やっと水出た。
やっと!!!
はぁ〜、疲れた。
風呂屋のおじさん本当にありがとう!お大事にしてください。本当にありがとう!!!
民間のキャパが小さいのも、行政サービスに穴があるのも、田舎だからかと思ってる
ただやはり、その後も取材等の連絡は一切ないので、俺が全面的に間違ってるんだと思う。
厳しい言葉もたくさんあったが、それと同時にたくさんの人に励ましの言葉をいただいてほんとうに感謝している。ありがとうございます。
っていうのは言い切りに過ぎるのはわかってる。でも、こういう派手なフレーズを入れなければ、ネットにも無視されると思ったからワザと言っている。
(その後追記、大家さんも70過ぎのおじいちゃんで、店もやってて、急な出費が嵩んで大変そうだし、いろいろ気遣ってくれたし、家賃減額は求めないつもり。ただ、コールセンターにリダイレクトする不動産管理会社はクソだと思う。エイブルおまえだ!
役人に迷惑かけんな!って話は、役人に電話口で「何もできません」って1分かそこら受け答えさせるっていう仕事をさせてしまったことを責めていると思うんだけど、、、はぁ?意味がわからん。
警察が水道管理してないことくらい知ってるよ。水道局が休みで頼れない時、じゃあって「公共秩序を守り、国民の生命と財産を保護する行政機関」に電話するのはそんなにトンチンカンなことなのかな?
俺はたまたま健康な若い男and学生という状況があるから、業者が来るまでの7日間をなんとか生活を維持できたけど、逆にアパートの隣のおばあちゃんが断水してたら、どうなってた?地域の業者パンクしてるってことは、断水してる家庭がいっぱいあるってことだよな?頼れる人がいないとか、車がないとか、インターネットわからないとか、みんなそれぞれ事情がある中で、一律に自助努力を求める行政というのは、それはあるべき姿なのか?投書したのも増田に投稿したのも、そういう行政のなんもしてないって言う話に、異議申し立てをしたかったからです。別に俺を助けてくれ!っていう話はしてないです。そこらへんがうまく伝わってなくて、自助努力すべきって非難されてるんだと思った。)
コロナ以前から「インフルエンザでいちいち病院に来るな」というのは医療現場側から何度も提言されてたのに
「会社が求めるから」とか「万が一大変な病気だったらどうするんだ」とか言い訳して無視してきたのがお前らだろ
医療現場が心配ならいちいち病院行くな。水も飲めないほど衰弱してるわけじゃねえんだろ。
軽症であればインフルエンザが心配だからと病院に行くのはおすすめしない - NATROMのブログ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/natrom.hatenablog.com/entry/2019/01/30/113000
インフルエンザで「早めの受診」は間違いです!(新潮社 フォーサイト) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180131-00543278-fsight-soci
レ点🧬 on Twitter: "某ウイルス検査に限らず、インフルエンザの救急受診や震災地域の甲状腺マススクリーニングや人間ドックの腫瘍マーカーの議論を聞いていると、日本人には「アウトカムの改善に寄与しない検査は行う必要(利益)はない」ということは永遠に理解できないのではないかという気がする"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/m0370/status/1231051940903043072
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20191207173529