はてなキーワード: 孫の顔とは
子どもの頃、母方の叔父は独身で羽振りがよく、長期休暇に母の実家に行くといつもゲームソフトを買ってくれるので大好きだった。
就職してからは忙しい日々を過ごし、しばらく母方の実家にも行かず、叔父とは会わなかったが、息子が産まれたのでひ孫の顔を見せようと年に一二回顔を出し始めたら、距離を近く感じ始めたのか、些細なことでLINEを送ってくるようになった。
また、息子に対して誕生日だけでなく、何か事あるごとに贈り物も届く。
なんだか距離を詰められているようで不気味である。祖父母も90過ぎているので、近く独りになった時の繋がりとしてターゲットされてるのではないかとすら思う。
あんなに大好きな叔父だったが、今ではゲームを買って甥っ子から感謝されるあのコミュニケーションをうちの息子とやろうとしてるかと思うと本気で嫌だ。
こんな感情、リアルではなかなか言えないので、誰か共感してくれる人いないかと思い吐き出してみる。
独身の叔父や叔母が大好きだったけど大人になってからまるで自分の親みたいな距離で来て気持ち悪く感じたことのある人っていないかな。
ここのところ、ウクライナのニュースを見ては気が落ち込み、どうしたら事態が解決するのだろうと考えている。
どうだろう、みんなは何か良い手だてを思いつかないだろうか?
自分の考えはこうだ。
どうだろうか。
増田に集まる自分を始めとする知識人のみんながこうして知恵を出し合えば、光も見えてくると思う。
是非みんなの考えを聞かせてほしい。
孫の顔が見たいという親がいる?勘違いするな。親は単に寂しいから、ただ可愛がれる生き物がほしいだけなんだ。自分のことを慕ってくれる無力な存在であれば、あなたの孫でなくてもいいんだ。もしその親を喜ばせたかったら、あなたがそれを演じればいい。無力なフリをして簡単なことで親を頼れ。それで十分だ。
配偶者が、あなたとの子供がほしいと言っている?勘違いするな。それは、あなたと子育てをしたい、という意味で、その子供があなたの子供であるかどうかは重要でない。その証拠に、以前に子供ができないと診断された、と言ってみろ。きっとテクノロジーを駆使してあなたの遺伝子なしで子供を作る方法を探し出し、同意を求められるだろう。
どうしても自分の遺伝子を残したい?だったら精子バンクや卵子バンクに登録しておけ。うまくマッチングできれば、あなたの遺伝子を求めている誰かのところにあなたの遺伝子が残る。その誰かが欲しかったのはその誰か自身の遺伝子を受け継いだ子であって、あなたの遺伝子を受け継いだ子ではないかもしれないが、結果は同じことだ。気にすることはない。
将来、自分自身が子供や孫がほしいと思うかもしれない?それこそ勘違いするな。その心配は詳細に分解するとだいたい解決可能だ。子育てがしたいなら養子を探せばいい。遺伝子を残したいならそういう機関に登録しておけ。老後の金が心配なら仕事を頑張れ。本当に自分の遺伝子を持った子供を自分で育てたり、その孫の顔を見ること以外では達成できないような欲求は、なかなかない。
だから、あなたの子供を必要としている人はいない。子供がいないことで感じるプレッシャーは、全部勘違いだ。
気にせず好きなことをやれ。
https://anond.hatelabo.jp/20220125183017 が何か盛り上がっていたので思いつくままに追記...しようと思ったのですが、私の話より先に、いただいた「やりたいこと」をまとめさせてください。
たくさんのコメントありがとうございます。拾えてなかったらすみません。
いただいたものを眺めつつ、この週末に新しいリストを作ってみようと思います。
私のリストは、結構個人的なものも含むのでそのうち整理して、気が向いたら公開します。
...とは書きましたが、だからといって不幸な気分ではありません。
たとえばクイズのバラエティ番組を見てて、世界遺産とか地域の名物がクイズの答えになってて、そこに行った思い出の話を楽しんだりとか、普通にあります。行ったことがない観光地が紹介されていて、行ってみたいなーと思うこともありますし、実際に行くこともあります。ただ、それは「死ぬまでに絶対に行きたい」から行ったというよりは、暇だしまあいいか、という感じです。そういう細々としたやりたいことはたくさんあるので、それほど不幸でもないし退屈でもありません。
ブックマークで「子供がいたら、無限にやりたいことは出てくるはず」というコメント(ブックマークはコメントなの?わからん。)を多数いただきましたが、全く同感です。ただ、年齢的に子供はいませんし予定もありません。少し羨ましく思います。
それから「奥さんと幸せな老後を暮らす、という項目はないの?」というコメントもいただきました。項目にはありませんでしたが、そうなるといいなとは思っています。
122個目をやるときの気持ちを知りたい。「やったるで!」という感じだったのか、「アカン終わってまう…」という気持ちだったのか
粛々と...という感じでしたね。やり終わった時は感慨深かったです。ものすごい達成感を味わいました。
じゃあ死んだら?
息子に結婚を強いる前に、旦那の愚痴ばかり言うのを辞めればいいのに。
嫁姑同士の罵倒し合いも、お互いいい歳なんだからそろそろ辞めてくれよ。
というか、そういった長年の「教育」が、俺の結婚に対するイメージを相当悪くしているのに早く気づいてくれ。
それに、何事にも愚痴ばかり言うお前を見てると、将来の家庭でもお前が強く介在してきそうで心底恐怖を覚える。
配偶者のこと、育児のこと、何でもお前が意見を言ってそれに従わないとキレる、そんな未来が見えそうで怖いんだ。
そのせいで、自分の思い通りの結婚生活を思い描けない。それが結婚を躊躇う一番の理由だ。
人付き合いが苦手だとか以前に、結婚したい相手さえ思い浮かべられない。
お前が気に入らない相手ならどうせダメなんだろうと思ってしまう。
と、そういった葛藤で苦しんでいる中で、お前が悪びれもせず見合いを勧めてくるのが今日も苦しい。
そんな愚痴を言うような結婚というモノを息子に押し付けてまで、孫の顔って見たいものなのだろうか。
見合いを設定する前に、まずは結婚することの良さを語ってくれ。人生の先輩として。
そして、必要以上に介在せず、息子たちの結婚生活を遠くから見守る姿勢を示してくれ。
まずはそこからなんだ。
いちばん辛かったのは、通う保育園の『園児の家族が濃厚接触者になっただけで自動的に休園』というルールかな。
その年齢のクラス以外は通園しても…とか、園児じたいは濃厚接触者じゃないんだから…とか、そういう甘えを許さない徹底したルール。
疑い児のPCRが出るまでは病児保育も使えないし、これで貯めてたぶんの有休も全部吐き出しました。
あと、勤務先はさらにキツいルールで、『体調不良(中身は不問)の家族がいたら完全回復後1週間在宅勤務強制』。
これも、従業員のためお客様のため(2021年世界的な不足が話題になったアレを作ってる生産ラインなので止まったらヤバい)なんだけど、
保育園通い初めによくある子供がちょっと熱出すみたいなので在宅勤務になってキツかった。
自分のシゴトは試作ラインでいろいろ実験したりR&Dにちょい噛みしたりで、現場に行かないとどうしようもないことが多く、
在宅勤務の日は独身の後輩(韓国出身で実家にはもうずっと帰っていない)に作業指示をして報告を待つみたいな日々をずーっと送ってました。
後輩くん(兵役のせいでじつは同年齢なんだけど)。。。。。。すまん。。。。。
逆に楽だったのは、実家にまったく行かなくても良かったことかな。
義実家のほうは1回だけ行ったけど、自分の実家は1回も行かず。
母の過干渉&宗教どっぷりが辛くて大学進学で家を出て、ずっと仲悪いので、今さら顔も見たくねーよ、という自分の意向もあり、
コロナ禍じゃなかったら盆正月帰る必要があったのかと思うと正直助かった。
第1子が人工授精&高齢出産だったこともあり、欲しいならそろそろ第2子妊活を始めないといけないが、
現実的に無理じゃないか? ということで自分は第2子をやんわりと拒否してる。
フルタイム共働き&両実家遠いという条件だと、よっぽど第1子が育てやすくないと第2子を、とはならないのではないかと思う。
いまだに専業主婦家庭のほうが多い会社なのでそれも難しい話ではある。
自分はもともと今の仕事が好きでやってるところがあり、これからも変わらず続けていきたいのだが、
少なくとも独身時代の仕事のやり方には戻れない、というところに寂しさを感じてはいる。
労働基準法では、研究開発職は年間960時間の残業が認められているが、以前はなんだかんだでそのギリギリまで働いていた。
自分は世界で誰も作ったことがないプロダクトに関わっているんだ、という高揚感に、
口ではキツいキツいと言いつつ、楽しんでいたのは認めざるを得ない。
残業代も全部出たしね。
今は残業はしても月に5時間とかだから、年収としては正直下がった。
これを自分の評価が下がったと受け止めちゃうとヤバいので、そうは考えないようにしている。
それに今はフルタイム共働きなので、世帯年収でいうとかなり上がったことになる。
このまま田舎で暮らしていれば、おそらく子供が海外の大学に行きたいと言ってもおカネを出してあげられるくらいは貯まるだろう。
それだけが唯一の救いではある。
平日8時から18時まで保育園に預けていると、子供を見ているのは朝夕のわずかな時間(朝1.5h、夕2h)だけなので、
正直負荷としては大したことはない(そりゃ疲れるけど)。
余裕があれば夜寝る前に明日の仕事の準備をしたりこうやって日記を書いたりできる。
問題は土日だ。
絵本をひたすら読み、おやつに大好物の動物ビスケットをあげ、アンパンマンを見せ、散歩に行き、
それでも機嫌が悪いときがある。
そこがとにかくしんどい。
自分でもクソだとは思うが、子供の睡眠がかなり良いのをあてにして、
朝は平日よりも遅い時間(8時ごろ)まで寝かせ、昼寝もたっぷりさせ、夜は平日より早く寝かせる(19時過ぎ)ことで、世話をする時間を減らしている。
当然部屋は別室。というか生後2カ月くらいからずっと別室で寝かせているので、そこはもう当たり前になってる。
夜泣きはない。神。
えっ?!夜にめっちゃ自由時間あるじゃん?!と気づかれたかもしれないが、
夫婦ともに体力がない&自分の時間がないと死ぬタイプなので、これでもけっこうギリギリなのだ。
機械やコンピュータばかり触って生きてきた自分は、思い通りに動かない存在に対処する準備が欠けていたんだろうな、と今になって思う。
頑張って適応してきたけど、そろそろここらへんでしんどさを吐き出しておきたい。
いつかこんな日々もあったなと懐かしく振り返ることもあるんだろう。
恋人とはとある趣味を会して知り合った。遠方に住んでいたため交流はネットが中心だったが、年齢の割に向上心がありそうなところや、誠実に向き合ってくれそうなところから好意を抱いた。向こうも同じような理由から私に好意を抱いてくれたらしい。お互い好意を抱いていることを知ってからはトントン拍子で交際が始まった。私は実家暮らしだし、年齢的にももう恋愛なんてできないかなあ、親に孫の顔を見せられなくて申し訳ないなあ、と思っていた頃だったので舞い上がっていたのかもしれない。
恋人は嫉妬深かった。仕事・プライベートを問わず、異性との関係をとにかく嫌がったし、私の行動を常に把握したいと言い、Zenlyをお互いに使うようになった。そうした生活の中で口に出しては言わないが、SNSなどを通じて「自分以外の異性との交流がいかに不必要か」ということを懇々とアピールしていた。恋人のSNSには私の異性の友人を罵倒する言葉が定期的に浮上しているようだったし、私を監視したい、異性との交流は全て絶ってほしいという希望がありありと浮かんでいたが、私はあくまで「そうしたことはできない」「当然、異性と2人きりで会ったりするなど、誤解を招くようなことはしない」「他の友人は私にとって大切な存在であるため、交流を絶つのは嫌だ」と伝え続けた。恋人が年下だったこともあり、人生経験を積んでもらえればそうした関係の必要性も知ってもらえると思ったからだ。
そうやってのらりくらりと躱して半年経った頃、恋人はあからさまに凶暴になった。毎夜通話していたが、物を投げ、汚い言葉で苛立ちを露わにする。私も耐え切れず言い返すことが増えた。
誤解しないでほしいのは、私にとって恋人はあくまで好きな人である、ということである。恋人がいることで頑張ろうと思えることは確実に増えているし、仕事を頑張る気持ちにもなっている。
しかし、私にとって大切なものーーー仕事、友人、趣味、家族などーーーが複数あるのに対して、恋人にとっては大事なもの=私であり、それ以外は不要なものになっているという現状は、あまりに不健全ではないだろうか、と思っている。恋人は「私が言うなら友人だって縁を切るし、なんだってする」と言うが、私が望んでいるのはそんな隷属的関係ではない、と伝えても頭で理解はしていながらも、感情がそれを拒否しているような状態になっているらしい。さすがにそれはどうかと思ったらしくメンタルクリニックにも通い始めたようだが、あくまで恋人は「自分はおかしくない」との感情を崩していないようである。恋人のことが好きな気持ちはあるが、恋人のようにならなければ愛しているとは言えない、ということなのだろうか?
今のこの現状は間違いなく共依存なのだろうなと思う。別れたい気持ちと別れたくない気持ちが混在している。間違いなく恋人は私に幸せをくれたが、今私は幸せも苦しみも受け止めなければならない重圧に押し潰されそうだ。
ワイ30歳こどおじ、奥さんになる予定の人は25歳こどおばなんやけど、ワイ貯金1500万、奥さん予定者も500万で結婚したら合わせて2000万になる
新居も最近死んだじいちゃんばあちゃんの遺産の一軒家に住ませてもらうことになった(ひ孫の顔を見せることができず死んじゃったのは辛かったけど)
年収は二人合わせて1000万とそこまでパワーカップルやないけど、お互い地元に残ってたことでパワーカップルになった感ある
お互い衝突無くこどおじこどおばできるくらい両親とは仲が良いから今後も子育て支援等はしてもらえる予定
だから、奥さん予定者も子供が産まれた後も仕事を辞める予定はない
お互いの両親も元気で、これから3年以内に子供を産むことができたら子供が高校卒業するまでは元気で居そう
親と仲良いから介護が必要になったら介護するつもりだけど、子育てと被ることはなさそう
また、お互い親とは仲が良いからあまり考えたくないけど、お互いの両親が死んだらマンション2部屋、そこまで良い立地ではないけど土地が1つ貰える(相続税かかりそうだけど金も残してもらってるのでなんとかなりそう)
そこらへんの遺産を運用すればお互いFIREは無理でも再雇用なし、定年で辞めることはできそうだね、と話している
まぁ不安としてはお互い大学時代に一人暮らししていたし実家で家事手伝いはしているので家事はできるつもりではいるが、実際上手くいくのかわからないことくらい
まぁルンバと乾燥機付き洗濯機と食器洗い機があればなんとかなるっしょと思ってる甘い自分もいるが(料理はお互い好き)
ローンで苦しんでる夫婦を見て年収や貯金額なんかより地元に残れる、親と仲良しって最強のアドバンテージなんやなと思いました。
幼少期の暴力きっかけで父親とここ15年ロクに会話せずだったんだが、一応実家に帰った時はそれとなくしていた。母親を悲しませたくなく
が、昨日今日の大晦日、正月と家に帰ってご飯を食べていても、父親の声がとにかく腹が立つ。足音が腹が立つ。メルカリがなんだと大声で話す。60過ぎたジジイがリゼロがどうとか。知能の低さがなんかもう、決定的にダメだった。
母親がなんだかんだ父親を立てるので、こちらが空気を読めないダメ娘みたいになる。
20後半だが結婚の予定もなく孫の顔を見せれず、父との確執で母親と祖母に気を遣わせ、母と祖母への申し訳なさで涙が止まらない。
母がいっそ離婚でもしてくれたら、一緒に父の悪口を言えたのに。私は母と祖母とテレビを一緒に見るだけで幸せだったのだが、実家に帰ると父に気を使う空気がずっと流れているのが耐えられず、無言でご飯をかきこむ無愛想な娘。
これまでの3つの例に比べて短めにしている。政治的な話題になるからだ。代わりに、閑話休題補完的な内容に文章を割いている。
政治というのは厄介なもので、敵と味方を二分する性質を持っている。はてな民ならお分かりだろう。ちょっと前だと、弱者男性の存在について大いに語り合っていたはずだ。本日(2021/12/20)時点だと、オタクコンテンツの表現規制だとか、M1に出ていた芸人が人の見た目を馬鹿にするネタを~みたいな話題で盛り上がっているようだ。
今から私が話すケースが好きな人はすごく好きだし、嫌いな人はすごく嫌いだろう。よって、短くまとめたい。
D乃さんは、労働組合で活発に動いているタイプの職員だった。もうすぐ定年で、K市に合併される前の海沿いの市町村で採用された。人権運動や同和教育に意欲的で、労働組合の行事や集まりには必ず顔を出していたらしい。
さて、そんな彼女がある年、泊まりがけの研修に行くことになった。公民館で講座をしたり、まちづくり活動の会合でコーディネーターをする人を養成するための、文部科学省が主催し、都道府県が運営を行うタイプの研修だった。
2日目に事件は起きた。D乃さんが県の職員と大喧嘩になったのだ。原因は、そう……『日本国旗』だった。国立の研修施設だったので、毎朝誰かがラジオ体操の時に国旗をスルスルと掲揚するのだが、それに選ばれた彼女は国旗の掲揚を拒んだ。
県の話によると、「太平洋戦争を引き起こし、部落問題を長年放置してきた人権侵害の象徴である日本政府、その国旗なんか掲げたくない」とのことだった。大騒ぎになったので、県内他市町の職員らにも知られることとなった。後日、県から正式にクレームの内容が書かれた文書が届くことになる。大恥をかかされたK市の幹部は、D乃さんに対して停職以上の厳しい処分を与えるべきという結論を下した。
さて、私は、「この類の人と面談する意味はないな」と思っていた。まさにそのとおりになった。
指導面談の場では、D乃さんは「私は悪くない」をオウムのように繰り返すばかりで、「これ以上続けるなら組合に訴え出て解決する」という。この年齢の人にありがちだが、思想的にガチガチに固まっていて、新しい価値観を受け入れることができない。
結論からいうと、D乃さんには一番軽い処分を下した。文書戒告。わかる人にはわかるだろうが、文書戒告は処分ではない。昔の人が考えた言葉のマジックであり、実質的にはただの注意だ。
この処分の一つ目の用い方は、とある職員個人やそのチームがきっちり真面目に仕事をこなしたけれども、それでも大きな失敗をしてしまい、責任の所在を示さねばならなくなった時だ。
二つ目は、この文書戒告を受けても、さらに悪行を積み重ねる救いのない者についてだ。この場合、処分内容がどんどん次のステージに上がっていく。やがては退職勧奨へと至り、それでも改善が見込まれなければ問題のある職員から不要である職員へとカテゴリが変化する。かくして、そういった人間専用の部署やポジションに異動することになる。
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(以下、脇道)
上の『二つ目』について、不要職員と判断された者について、①②③により一般的な例をひとつずつ示す。
①男性の場合は、事務から現業に職種を替えたうえで、公園、観光施設、し尿処理場や〇〇センターなどの施設管理(特に肉体労働)の部署に送る。其処では、K市きってのサイコパスが管理監督者を務めており、厳しいノルマが課される。かくして彼らは、精神的にも肉体的にも追い込まれていく。仕事をロクにしないサボりタイプの職員に多い配置パターンだ。
②女性の場合は、上下水道局のような男性が多い部署、それも自分以外すべて男性の部署に異動させる。そこでは、水道メーターの検針管理や上下水道用品の棚卸し、料金滞納者への督促や集金回りといった業務を担当する。そのうちストレス過多になり、職場に来ることができなくなって辞めていくパターンが多い。私がこの類の人事案件を担当することはなかったが、後輩へのいじめやハラスメントだとか、勤務中に大声で他人を罵倒するなどを繰り返した者に多いようである。
③男女問わず、その職員が家庭の役割を担っている(介護や家事や親の自営業など)場合、自宅からの通勤が難しい(片道2時間近くなど)僻地に異動あるいは出向させる。毎日定時に退庁できるが、だんだんと僻地の職場が嫌になり、数年以内には「異動させてほしい」と上司や人事に訴え出ることが多い。だが、人事課内部では、「更生が認められない限りは定年まで〇〇支所。決して再任用を受け入れないこと」などと引き継がれているため、希望が適う可能性はゼロだ。組織にとって終生不要だと判断したから、そういう処遇を与えている。
この3例すべてにおいて、当人が苦境から解き放たれる可能性は少ない。「改善された」と人事課に認められない限りは、ずっとそのままだ。個人的な感覚だと、こうした処遇を与えられた人間の約3割が自ら退職を選び、残りの5割はゾンビのような人間的活力に乏しい人間になる。
最後の2割は、苦境の中で自らと向き合い、努力の結果として更生を果たし、十分な実績を挙げることで――晴れて一般の部署に戻ることができている。
いま述べた行為を残酷だと思われたなら、想像してみるといい。仕事をせずにのんべんだらりとしている地方公務員に、あなたの財布からお金を渡している場面だ。あなたが払った住民税や所得税の一部が彼ら彼女らの給料になるのだ。
残念ながら、「私は最低限の仕事すらしたくない。首を切られることはないし、それが一番いい」などと心の内で考えている職員は多い。私の感覚だと、最低でも1割はそんなことを思って職場に来ている。
公務員がチート(若者言葉でズルくて強いという意味)と言われる由縁である。若手・中堅社会人向けのメディア(noteなど。後はビジネス誌のネット記事)を見ていると、『どうすれば成長できるのか』『圧倒的な価値を創造するために』『自己研鑽がなぜ大事か』といった記事が踊る中、公務員はそんなことを考えなくても経済社会を生きていける。
仕事が好きな人はとにかく働いているし、ほどほどにやりたい人は合格最低点より少し上の品質で仕事を切り上げる。家庭や個人の事情で働くことができない人間はそれに対応した長期休暇を取るし、そもそも働きたくない人間はこれ見よがしに無能アピールを行い、割り振られる仕事を減らそうとする。
上のどんな働き方を選んでも、犯罪などをしでかさない限りは首を切られることはない。まさに自由な働き方だ。給料は50代までは右肩上がりだし、有給休暇は電話一本ですぐに取れるし、年金制度は手厚いし、希望すればほぼ全員再雇用される。
(脇道ここまで)
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話を戻そう。私は経験上わかっている。D乃さんの年齢の職員が更生することがないのを。
定年も近かった。たとえ免職処分にできたところで市にとってのメリットは薄いし、このことを根に持った彼女が退職後にK市に嫌がらせをする可能性もある。
よって、D乃さんには普通に定年退職してもらった方がいいと考え、K市の幹部(繰り返すが、私の役職は部長級だが実質的な権限はない。プロパーの課長にも劣っている)に対して以下の提案をした。
「D乃さんの場合、組合内での役職や立場を考えると、厳しい処分をした後の余波が重いものと考えられます。よって、今回は文書戒告とすべきです。ご希望に沿えず申し訳ありません。その代わり、もし彼女が定年後の再任用を希望した場合、私が責任もって拒否します」
※最終的には再任用ではなく、公民館の職員になった。こっちの方がまずい気もするが……。
渋々の承認をもらった私は、「地方公務員って意外とヤバいな(※当時の日記そのまま)」と感じつつ、3階の窓から、人もまばらな夕方の駐車場を見下ろしていた。終業のチャイムが鳴ったばかりであり、何人かが駐車場をポツポツと歩いて自家用車に向かっている。
視線を移すと、市街地の住宅や商業ビルに混ざって、田んぼや畑や空き地が点々とあった。やがて、K市の役場のすぐ前にある雑木林に視線を移すと、遠くの方から、ぱたぱたと翼を羽ばたかせてメバルが飛んできた。
メバルは、たぶん小さい声でピピピ、と鳴いたのかもしれない――雑木林のクヌギかコナラの枝に止まった。周りをササッと見渡すと、ちょんちょんと枝の上を移動していく。春になると、桜の木の枝にも止まるのだが、これがまた絵になる。
「カメラを持っていればよかったなぁ」と思いながら、私はそいつをずっと見ていた。昔、実家にある柿の木の枝にトリモチを付けて、メバルを何匹も捕えたのを思い出した。適当に作ったトリモチでも、これがまたよくひっつくのだ。最大で7羽もひっついていた。やり方は祖父に教わったんだっけ。
夕焼け雲に視線を移すと、数年間に、祖父から「ひ孫の顔が見たい」と言われたのを思い出した。見せてやれなかったのは残念だったが、もうこの年で子どもは難しいだろう。精子も劣化している。なにより元気がない。風俗店を利用するのも年に数回あるかないかだ。
わたしはクリスマスに生まれたけど、死ぬときもクリスマスに死ぬと思う。
これから日本は貧しくなる一方なんだからそれをよく考えてから動きなさい。
そんなことを日本の凋落がここまでとは予想されていなかったバブル崩壊の頃から言ってたらしい。
この子はなかなか結婚しないけど〇〇才には結婚するからそれほど心配しなくてもいい。
ひ孫の顔を見せるために母と一緒に訪れた帰りに、やっぱり当たったよね、
と母にそのことを言われるまで忘れかけていた中学生の頃のエピソードだったが確かにそのとおりになった。
あまりに不相応な場所に思えたから尋ねようとしたら先回りして母が答えた。
お前らが物心ついた頃にはあれだったけれど、
そういえばかなり薄っすらだけど、曾祖母ちゃんの家で遊んでたとき
おつきの人に何人も囲まれたおじいが来ていたことが記憶に残ってる。
へーそうなのかあ、親類のことだからって何でもわかってるわけではないんだねえ。
でも何で教えてくれなかったのだろうか?
けど、死んだら葬式の場所のことで理由を聞かれるからそのときには教えていい、と言ったらしい。
嘘みたいな話過ぎて怖い。
まあいいや。
先日3歳になる息子を祖父に会わせてきた。僕と祖父とは住んでいる場所が離れていたことと、コロナの影響で直接顔を合わせるのが難しかったこともあり、初めて対面した息子の様子を見た祖父はとても嬉しそうだった。曰く一族で曾孫の顔を見られたのは彼が初めてのようで、同席した僕の父が苦笑いするくらい僕の息子のことをご近所さんに自慢しているらしい。
僕達親世代にとって、彼らのように子供を笑顔で見守ってくれる存在はとてもありがたい。僕の父親は非常な堅物だったのだけれど、彼が今まで見たことのないような笑顔で自分の孫に向かって話しかけて、孫を肩車して、二人で広場で遊んでいるのを見た。僕が子供だった頃はああいう父親だったのかなとか、僕の記憶に残っていない父親を見た気がした。僕はまだ父親になって数年しか経っていないから彼らの気持ちを完全に理解できないけれど、子育てを終えてしばらくして、自身の育てた子が子供を持って家に遊びに来るのは、ひょっとしてとても嬉しいことなのかもしれないと思った。
暖かく当たると「いつまでも一緒にいたい」
折に触れて「ママはあんたより30年早く死ぬ」って言い続けてはいる
自分の病院もこまめにいってあそこ悪いといわれたここも悪いといわれたもう年だから治らない体調下降する一方っつってフラグ立ててる
けど全く危機感ない
最近一番悲しかったことは課金できなくてゲームでランクインできなかったことだそうな
はたらいてくれ・・というか金持ってきてッていう意味じゃなくて親以外に頼る先をつくってくれ
ネットもゲームも同人もイザというときのお前をたすけちゃくれねえよ
孫の顔みたいとかいわないから子供世代同士でどうにか生きていけるようになってくれ
むしろ子供世代同士のつながりをつくってほしいことをやんわり伝えたいためにててなしごでいいから孫の顔がみたい、代わりに育ててやるからどっかで処女すててこいって言ってるとこある
ぜったいイザ付き合い始めたら仲良くなれる優しい子たちなんだよ、ただそのやさしさをささげる上位にゲームだの同人だのが来ちゃってるからおかしいだけで
同世代で生きていけないっていって無敵の人化して刑務所に「頼って」生きて行ってるやつみるともうちょっと何とかなっただろって思う
でも理解したり間接的に仲良くさせようとすると「俺が若いのと」仲良くなってもしょうがないのになっちゃうんだよ
うちの子ぉ
具体的にどこのサークルとまでは聞いてないけど同じド田舎の大学で会った。
男性:そのころはニヒルで役者みたいだった父(高卒で就職して企業内留学)。タバコは吸わない。背は高い。読書家だがアウトドアも好き。寡黙(多人数兄弟から養子に出されて一人っ子の育ち、すごく静かな家庭で育った)。麻雀で授業料の足りない分や生活費を稼いでいた。即降りダマテンピンフのみで負けない麻雀(つまらないのでよく呼ばれたなと思う)。
女性:めちゃ頭のいい高校から進学。長女。背は低めでかわいいが気が強い。よくしゃべるし喜怒哀楽が激しい。たぶん女性側から声をかけて付き合った。
男性と女性はド田舎高校の同級生で美男美女カップルで高校のうちに結婚しようという勢いだったらしいがのちにいろんな理由で書類上離婚した事実婚状態。
1,2を身近に知っていたがめちゃくちゃ面食いでダメな異性をひいて2~3回離婚。最終的に年金を分けたくない独占したいという理由で離婚されてもういいや的一人暮らし。
工業高校卒と高校卒が中小企業でであった。男性側が8歳年上(に見えない)小柄な女性に惚れこんだが年の差が気に食わない実家にめっちゃ反対されて半ば駆け落ち状態で結婚し専業主婦へ。営業職で転勤・転職が多く家族で全国を10回ほど引っ越しで渡り歩いたが男性はわりと根っからお祭り男なので引っ越しをあまり手伝わないので呆れられていた。それ以外は喧嘩一つなし、実家とも孫の顔をつかって和解。
上の世代の年の離れた末っ子で20代なら昭和50年代ごろには結婚していたはずだが忙しくてなにもできず。同じ職業の人の娘さんでよくわかってる人とお見合い。結婚してからも忙しくて家庭も育児も全部おまかせ。よくわからないお金の使い方をしている(あれだけ稼いでいて赤字すれすれ)ようにみえるが幸せならそれでよいとおもう
同じ専攻やサークルのコンパやカラオケや試合旅行などで絆を深めた。
おなじ職場で同僚だったりセンパイだったりで絆を深めた。(たまに患者と看護師とかのクライアントとの結婚もあり)
平成:なぞ×3
「お見合い」や「結婚相談所」や「居酒屋ナンパ」だった結婚式は出会いが謎っぽくぼかされる(当人にあまり出会いについてつっこまないでねっていわれた)けど披露宴ではちゃんと「運命の出会い」とさらっと流されて祝われます