はてなキーワード: 孫の顔とは
いつかその日が来るとは思っていたが、ついに、自分は孫の顔が見れなかったんだと老いゆく母に泣かれてしまった。流石に堪えたが、自身の性格上どうしようもなかったような気もしている…
私は人生で一度も恋愛をしたことがない。もちろん人に好意を持つことはままあるが、世間で言う恋愛感情と他者への好意は少し違うようである。誰かを恋愛対象として好きだという気持ちがよくわからないことに、今まで随分悩んできた。中学生でようやくオムツが外れた夜尿症持ちであったので、そういうことに目覚めるのも人より何年か遅れているのかもしれない、脳の発達段階や精神年齢が人より幼いのかもしれないとも思った。悩みすぎてついに自分は異常者なのではないかと友人に相談すると(答えづらいことを言われて友人も困惑しただろう)、まだそういう人に出会っていないだけだよと慰められ、そういうものかと思っているうちに突然の恋に目覚めることもなく34歳になってしまった。
私は容姿が悪く明るい性格でもないので、男性から告白されたことがない。要するに真喪であるため、きっと都合のいい言い訳を用意して現実逃避をしているに過ぎないのだとも思う。普通に生活していては男性との縁が皆無であることをよく知っていた両親は、積極的に見合いの話を持ってきた。両親は資産家であったのでそれなりに良い伝手も多くあった。特に母は躍起になっていたが、肝心の自分は果たして結婚したいのかどうかすらわからなかった。家庭を持てば、きっと子供だって作ろうとするんだろう。性行為は抵抗なくできるのだろうか?何よりもし子供が生まれたとして、親になりたいのかもわからない親を持つ子供はシンプルに気の毒だと思った。
婚活市場で、私の強みは男性のアピールポイントとよく似ていると思う。身長が170cmあり、昔で言う3高の条件も満たしている。しかし逆に言えば女性としてのアピールポイントを何一つ持ち合わせていなかった。容姿、性格の良さ、年齢、家庭的であること…家事のほぼすべてを家電とダスキンに任せている自分には、最後の項目すら無縁なのであった。
本気度のかけらもなく、家庭的でもなければ容姿も性格も悪い高齢喪、そしていい年をして結婚したいのかどうかもさっぱりわからない。どう考えても男性が自分と結婚するメリットがなかった。時間を割かせる申し訳なさと自身のやる気のなさとで見合いはすべて断ってしまった。
母方の従姉妹は女の子と男の子に恵まれ、二世帯住宅で3世代仲良く暮らしている。それを伯母が母に同情の体で自慢してきたのだという。
私は姉に負けたんだ、悔しいよと泣く母に、こんな娘でごめんなさいとしか言いようがなかった。
お子さんも手を離れて、そろそろ孫の顔が恋しい頃では❔
ステージ3なので手術は行わず、放射線治療と薬物療法を行うこと。
親も決して若くはないので、むしろ自然なことだと思うけれど、いざ自分の親のこととなると受け止めるのに時間がかかりそう。
自分は故郷を離れて大学に通い、就職して、結婚して、子供も生まれ、転職して地元から離れた他地方に根を張って生活している。
父の癌宣告を聞き、近くに居てあげれない悔しさと、今の生活を切り上げて父を看取るために地元に帰るほどの優しさがない自分にも気付かされた。
誰も見ていないこちらで文章にして、自分の気持ちを整理したい。
母から連絡があったのは、5時半を少し過ぎた時間。いつも電話してこない時間帯の電話だったので嫌な予感はしていた。
母:今、大丈夫?
私:仕事の合間だけど、どうしたの?何かあった?
私:どうしたの?何かあったなら聞かせて?
母:いいよ、また後で大丈夫
上記のような問答が続き、ついに父の癌のこと(進行がんがみつかり、ベッドが空き次第入院治療になること)を話してくれた。
頭の中に色々なことが浮かんだ。
本当に?診断は間違ってないの?ステージは?父の仕事は大丈夫?母に心労はない?いつまで生きられるの?
ぐるぐる色々なことを考えながら冷静を装った。
根掘り葉掘り聞くのも憚られたし、あまり深刻な質問はしないよう心がけていた。冷静に話を聞く自分に対して、冷たいなとも思った。
その一方で、冷静ぶることで自分を保っているような、不思議な気持ちになった。
母曰く、病気については父からでなく母から私に伝えてほしいらしく、もうすぐ父が病院から帰ってくるらしい。
その後自席に戻ったが、さきほどの冷静さはいつの間にか消え、色々なことをぐるぐる考えていた。
それでも冷静ぶる自分もいた。
やはり仕事が手につかず、帰路へ。
帰り道、父に電話。
思ったよりも深刻な様子はなく、病気を受け入れている様子。
自分も大病を患ったことがある(何なら今も。付き合っていく系の持病)から、病気と向き合うのがスタートだよね、と話。
それに頼んでもいないのに母に電話を代わった。
もしかしたら、息子にこの話をするのが辛いのかもしれない。
もともと仲が良くないこともあり、そっけない態度。
おまえは帰ってこれないんだから、心配だけしてもしょうがないとのこと。
全くそのとおりで、入院の世話とかができないけど、なんとか母を手伝ってほしいこと、その他にできることがあったら何でも言ってほしいことを伝え、兄も体に気をつけて、と話しした。
家に帰って色々調べたが、わからないことだらけ。
もともと医療業界に近い仕事を過去していたが、自分の親のこととなるとさっぱり。
せめて、入院中にたくさんテレビ電話をして孫の顔を見せてあげたいと思う。
一歳を過ぎた次男の顔をテレビ電話でしか見たことのない父に次男を抱っこしてほしい。
恥ずかしくて一緒に飲んでいない酒も飲みたい。
父の作った野菜を孫に食べさせてあげたい。
父の癌種は5年生存率3割以下だそう。
父がいなくなる日はきっとそう遠くない。
いまだ、信じたくない。
こうなって思い出すのは小さい時の優しかった父ばかり。
大人になってからも、思い出になるようなことをしてあげればよかった。
ぼくは東京を選んだんじゃない、地元から弾き出されてここに流れ着いただけなんだよ。
可愛くて頭のいい嫁、来年小学生の可愛い娘、綺麗な中古マンション、大企業で待遇もかなり良い。仕事も職場も順調だ。2人の稼ぎを合せれば将来億近く貯めることも夢じゃないし、経済的な苦労は恐らくしないし子供にもさせない。ここには院の同期や趣味の友人も多い。健康にも気を使っているし、体も生まれながら頑強だ。
運と人に恵まれた、幸せな人生なんだよ。間違いなく。絶対に手放したくないし、そのためならどんな努力でもする。
東京で幸せそうに生きる息子に両親は鼻高々さ。地元でここまで都会的な人生を歩む人間は限られてるからね。高卒のおれらから鷹が生まれた、もうその話は聞き飽きたからw
そうだよ、ぼくはうまくやってきた。これからもやっていくだろう。
でもそうじゃないんだ。
本当はこんな人生望んでなかった。
地元のコミュニティで、大変でも楽しく生きる人生がおくれるはずだった。新居を建てて両親と住み、孫の顔を毎日見せられるはずだった。
でも祭りと村社会に馴染めない人間には田舎に居場所はなかった。
悲しいかな、ぼくにはその能力が無かった。だから都会に出て生きるしかなかった。
東京に帰る時に寂しい目をするのはやめてくれないか。残りの人生貴方達と何度顔を合わせ、たわいのない話をすることができるだろうか。本当は貴方達と同じような、貴方達がぼくに期待した人生を選ぶべきだった。
親不孝でごめん。
世の中には善人も悪人も性別に関わらず両方おり、一部のゴミの性別が男だからって、全部の男がそいつと同じゴミじゃないことは頭で分かっている。
だが先日、柏の通り魔に不運な男性数名が襲われひとりが殺されてしまったとき、被害者を素直に悼む思う一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。
「そんな暗い夜道を歩いていたからいけないんだ。殺されるようなお前に落ち度があったんだ」
女に産まれていれば腐るほど聞かされる、犯罪の被害に遭った女性を嘲笑い落ち度を責める言葉をそっくりそいつらに投げ返してやりたい衝動で胸が一杯だった。
被害に遭った男性がたはそんな酷いことを考えるような人たちではなかったかも知れないのに。
木島香苗の事件やそれに類する保険金殺人が起きたとき、人を騙して殺すなんて最低の女だと犯行を憎む気持ちの一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。
「そんな女に騙されて付き合う方が悪い。犯罪者だと見抜けなかった見る目の無いそいつがいけないんだ」
だってそうじゃないか、女はストーカーに遭って殺されようが勤めていた耳かき屋の頭のおかしい客に殺されようが女が悪いと言われ、場合によってはビッチに気を持たされた男性が可哀想だなどと加害者に同情まで起きるんだ。下心見え見えのアピールに簡単に引っかかって、ホイホイその相手に入れあげて殺される落ち度がもし女にあった場合、間違いなく男のそれの10倍は酷く言われるはずだ。
女が日頃から言われまくっている事に比べたらちょっと連中の言葉を借りて言い返す事なんか屁でもないはずだ。
(被害に遭った男性がたはそんな酷いことを考えるような人たちではなかったかも知れないのに)
あるサイトで、自分が男性不妊である事が分かってEDになってしまったという、とても落ち込んでいる男性の記事を読んだ。
「そこまで思い詰める事は無いのに。夫婦で話し合って子供を持たず暮らす道もあるじゃないか」という慰めの言葉の反対側に、間違いなく闇があった。
「こいつだって妻が不妊だったら掌を返して石女は要らないと捨てたり、マトモな嫁が欲しかったと被害者ぶるくせに」
「これが女だったら産めない欠陥品の上に便器としても役立たずだと言うくせに」
「女が原因ならどんなに苦痛だろうと当然のように治療をさせて金がかかると文句を言うくせに」
「嫁とそのご両親が可哀想だから早く離婚してあげろよ、我が子や孫の顔を見られない人たちの気持ちも考えろ(皮肉)」
「孕ませられない種無しの欠陥品になんて価値ないよね? 結婚してる意味ないよねこの男(皮肉)」
自分と同じことを考えている女が案外世の中にはいるものなんだなと思った。
(悩んでいるその男性は、妻に対してそんな酷いことを考えるような人ではなかったかも知れないのに)
暴力や浮気を受ければ女が至らない(見る目が無い)せい、犯罪に遭えば女の落ち度のせい、子供が出来なきゃ欠陥品、作れば迷惑な邪魔者、子育てに落ち度があれば母親失格、容姿が冴えなければブス、年齢が20歳を超えていればババア、共働きでも家事育児全てこなさなければ亭主を蔑ろにする無能妻、専業やパートは寄生虫、独身女は出来損ない、男の本能に従わない女は愛されないクズ、女はゴミ、家畜、劣等生物、産む機械、便器、
そんな言葉をネットに吐き捨てるのは心の歪んだゴミのやることだ。人生がうまく行っていない不幸な連中が、自分より劣っていると勝手に信じている他人を理不尽に攻撃して、その場限りでも強くなった気分に浸りたいだけの単なる戯れ言だ。
良識をお持ちのご立派な他人に今更言われなくともそんなことはわかっている。だからなんだ。黙っていたって反論したって汚い言葉で倫理の歪んだ言説を撒き散らすあいつらが、そう割り切ったら全員死んでこの世から消えてなくなるとでもいうのか。
何年もそうした奴らを黙って見ない振りして来た。やり返すのも同罪だから大人になろうと諌める理性的な同性に従った。それで何が変わったのかと言えば何ひとつ変わらなかった。増長してより一層汚らしい言葉を撒き散らすばかりだった。
増長し過ぎて幼女のマ○コ舐めたいだの女強姦して孕ませ家畜にしたいだのネットの隅で一般人にバレないよう隠れて言ってりゃよかった性癖を堂々と表で抜かすようになったものだから、とうとうPTAや教育委員会といった冗談の通じない方々の目に触れて表現規制問題なんて物が起きた。言論弾圧だともっともらしいことを言って被害者ヅラする連中に内心笑いが止まらなかった。ざまあみろなにが言論の自由だ。諌める声を片っ端からブスマンコ黙れだの幼女に嫉妬するババア乙だの罵って封殺して来たお前らが言うな。
ネットから離れてPCの電源を落とそうが、周りのまともな男女と話して現実を取り戻そうが、そいつらの言葉は心の中にわだかまっていつまでも闇を作ってきた。
だから男が酷い目に遭ったと聞くと内心胸がスッとする。
被害に遭ったのが何の落ち度も無い男性ならば本当にお気の毒だ。
だが、あるとき心の中にわずかでも「される女にも落ち度があったのだ」と被害者の女を安全なところから責め立てて悦に入った日があったなら。
人生がうまく行かなかった頃のある日にカッとなって「女なんか肉便器だ。全員家畜にしてやればいい」と過ぎた言葉をどこかに書き込んだ事があったなら。
心の底から指さしてそいつらを笑ってやれる。少しの良心の痛みも感じない。
かつて散々罵って来たそいつらの言葉を、堂々と投げ返してやれる瞬間のなんと気持ちがいいことだろう。
お前らに落ち度があったからそういう目に遭うんだ。ざまあみろ。日頃お前らが言ってることだろうが。自分が言われた途端に被害者ヅラなんて論理的な男性のすることじゃないだろ? 女みたいにヒスを起こして感情的になるなよ。冷静な男なら笑って受け流せよ。ははは。はははは。
まっとうな男性とまっとうな男性を身内にお持ちの女性には、読むに耐えない暴言を深くお詫び申し上げます。
どうせこんなもの書いたところで女叩きが大好きなキチガイ君共の脳に届くことは一生ないのだろうが、今日という今日は書かずにいられなかった。
NHK「それでも子どもをもちたい 広がるSNS精子提供」を見ててぼんやり考えてたらちょうど親ガチャがトレンド入りしてたので消化させてくれ。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4582/index.html
わたしは平成生まれ この国の景気は下がったニュースしかほぼ聞いたことがなく、
豊かさは一部のものでしかないハリボテで、その実ずっと昏く見える。
エンタメですらわかりやすくかみ砕いたもので満足して、他人の感想や解釈を読むことですべてわかったような顔をして、
政治家でも芸能人でも失言をしようものならヤフコメで重箱の隅をつつき回し、追い込み打ちのめしたことで正義面をしている。
親ガチャなんて言葉が生まれるくらい目に見える格差があること自体、あるべき国の体制として破綻していると思うけれど
島国特有とも言われる排他的な体質・価値観は、多様性を認める今の時代にフィットするまで多分まだまだ時間がかかるのだろう。
わたしのうちは生まれてからずっと貧乏で、何かにつけうちは貧乏なんだから、と言われて育ってきたし実際そうだったんだと思う。
それでも今思うとネグレクトもされず貧乏なりにお金をかけてもらったと思うが
(この国に於いての子育て、本当にお金がかかるよね 世の親の立場の人たち、本当にすげーという気持ちしかない)
いわゆる“普通”レベルのくらしをしてきた家庭とは常に一本、うっすらと線が引かれているように感じていた。
友達からそれを態度で示されたこともなかったので実際にその線を引いていたのは自分なのだろうけど
普段の会話の端ばし、おさがりでない服や持ち物の買い替え頻度などから生活水準の違いを子供ながらに感じてしまっていた。
幼いころの母親の影響力は大きかった。
母は若くから働いていたらしく、本人曰く学がなかった。
(そこで困ったことも多かった経験からか習い事はいろいろさせてもらった、というかさせられた)
母が自分を卑下して言うので母には学がないのだと染みついていて見くびっていたのだと思う、
母はわたしを褒めたけど、母自身を貶めて褒められる自分に対して自己肯定感を育てることはできなかった。
なぜならその人間から生まれた自分の程度なんてたかが知れているとわかっていたからだ。
進路で悩んだときに、進学するという考えは生まれもしなかった。
頭の出来はまあ普通だったので進学をしようと思えばできたのだろうし
進路指導の先生には進学を進められたりもしたけれど おおよそそんな余裕があるとは思えなかったし、
奨学金をもらってまで進学したところで程度の知れている自分に何ができるとも思わなかったので、そのうち諦めることばかりが上手になった。
結局、それはずっとコンプレックスとして残り続けている。
いまだに学歴でふるいにかけられることは少なくないし、給与体系やキャリアの選択肢が異なるのもざらだ。
学歴でふるいにかけ続けた職を転々とし、取り繕った生活をしては逃げて、を繰り返してきた。
(と言いつつ、バックレる胆力はないのでこちとらいつでも円満退職よ)
一番薄っぺらなのはわたしの方で、自分を変える努力なしに何者かになれるわけでもないのだから何をか言わんやだが
一緒に仕事をしていてどんなに頭の回転が遅く要領の悪い人間も、実はみなそれなりの暮らしをしていたりする。
この身で思い至る前にそれを知りたかったが、知る努力を諦めたのは自分の方だ。
人生を変えるのは努力次第、努力は決して裏切らないというのは耳ざわりのよい言葉で
これらは100%の嘘ではないけれど、この場合の努力とは、何かを犠牲にする程のたゆまぬ努力が結実された場合を指すことが多いと思う。
しかし低賃金に明け暮れる人間には血のにじむような努力をする余裕はない。
(あとは運要素もあるだろうが、諦めスキルレベルがカンストすると運に対するスルースキルも高確率で発動してしまう)
運で親ガチャの話に戻るが、思い返してもわたしは「この親じゃなかったら」と思うこともあるし
親が云々よりそもそも生まれてきてしまったことを恨めしく思う。
人生の先輩に出会うと、結婚しても子供を産まない選択肢もあると言ってもらえたり、
子供を産み育ててからの方が人生が楽になった話を聞かせてもらったりもして、
人生の主役から一度自分を解放してやりたいと思うことはあった。
多分これも親ガチャから報われる乱数調整の方法のひとつなのだろう。
でもわたしは誰かと生きることも考えていないし、子供を産む気もない。
この経験を共有したところで所詮わたしだけのものだし、もし子供を産んでも自分のような人間を増やすだけで幸福にしてやれるとは思えない。
結局傷つくくらいなら最初から誰にも何にも期待しない方が楽だからだ。
ネグレクトの末にわが子に手を・・というニュースを見るたび、自分はそっち側になる可能性が存分にあるぞと己を戒めている。
親にかけてもらったお金を返せるわけでも、孫の顔を見せてあげられるわけでもなく
貧乏なのに子供を産んだのだからしょうがないと思ってもらうしかない。
ここまでの無思考他責的で浅慮な言葉が出てきてしまうほど、わたしには生れ落ちてしまったことが恨めしい。
だってやっぱり土壌が整っていないのに生みたい・育てたいはエゴだと思うもの。
その土壌を少しでも肥沃にするのは国の務めだとは思うんだけどね
中身が古いままなのにラベルだけ張り替えて先進国のような顔をするな
サスティナブルとか言ってないで先ず自国を持続可能な形に整えてくれ
できれば産み育てる環境が整っていて子供を持つことを望む方たちには母子ともに健康に、
難事なく産み育んでいただきたくお祈り申し上げたいところですが
今はひとりでも楽しいことを見つけて生きているけど、人間はみないつかは死ぬ。
死ぬまでずっとお金の苦労には付きまとわれる、しかも老いるにつれてランニングコストはどんどん膨らむばかりだ。
息が止まるということは単純に苦しいのでわたしは積極的に迎えたくないけれど
せめて安楽死できる国に行く旅費と費用くらいは賄えるようになりたい
なんてあかるい未来なんだ。
第5波の感染爆発がオリンピックと無関係とする説は、デルタ株の感染力の強さが原因と考えるのが主流のようだ[1]。
デルタ株の感染拡大がたまたまオリンピックと重なっただけなのだ、と。
現在、全国各地に広がっているデルタ株の系統で最も初期のものは、ことし5月18日に首都圏で海外渡航歴がない人から検出されたウイルスだったと分かり、さらに調べると、これとよく似たウイルスが4月16日に空港の検疫で見つかっていた[2]。
一方で、ことし5月ごろ関東や関西、中部、九州などで確認されていた、海外から流入したとみられるデルタ株のクラスターの多くは大きな感染拡大につながらず、7月初旬ごろまでにはほぼ収まったとみられる[2]。
もしデルタ株の感染力の強さだけが感染爆発の原因ならば、オリンピック期間中より人流が多かった5月、6月に感染爆発が起こっていたはずだ。
現実には感染爆発につながった遺伝系統以外のデルタ株は7月初旬で収束していた。
そして感染爆発した系統もオリンピックの開始を待つように急速に感染拡大した。
オリンピック開催によって、感染拡大防止のための堤防のどこかが決壊したと考えるしかない。
国立国際医療研究センターの大曲貴夫氏の指摘どおり、オリンピック開催に伴い局地的・一時的に密な状態が生まれた事実は否定できない。
ここではもうひとつ、国民の側の感染防止策に対する意識がおろそかになった可能性を指摘しておく。
5月から6月にかけて、オリンピック開催、さらに有観客開催を主張する中で、感染拡大防止策を軽視するかのような無責任な言説がまき散らされた[3][4]。
「国民にあれするなこれするなと要求しておきながら、自分たちはやりたい放題か。付き合ってられねえ。」
このように考えた人を責められるだろうか。
個々の国民にとっての帰省は、アスリートにとってのオリンピックと同等以上の価値があるかもしれない。
あるいは1年半近く慣れないライフスタイルを強要されてきた国民の中に、
「なんだ、これまで活動自粛だの、会食回避だのしてきたけど、感染防止策とか関係なかったのか。」
と受けとめる人が現れても不思議ではない。
不慣れな行動を意味も十分に理解できないまま強要されていること自体がストレスなのだ。
人は基本的に見たいもの、耳当たりのいい情報に流される(何より、政治家とその取り巻きはその権化ではないか)。
当局が矛盾したメッセージを国民に発信すれば、国民の感染拡大防止策に対する意識が弛緩するのは当然だ[5]。
とはいえ、新型コロナに感染して損をするのは間違いなく私たち自身である。
無責任な当局関係者や御用言論に惑わされることなく、感染防止策の基本をもう一度肝に銘じたい。
新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見(令和3年7月30日)
https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0730kaiken.html
[2]デルタ株“1つの起点から全国拡大か” 国立感染症研究所が分析
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013183971000.html
[3]観客上限1万人 規模縮小でも有観客に踏み切った首相
2021/6/21 21:07
https://www.sankei.com/article/20210621-23SHMAUX2RIENACWHNH4UWVCIA/?outputType=theme_tokyo2020
[4]緊急事態宣言は「屁みたいなもの」 「さざ波」発言の高橋洋一内閣官房参与がTwitterに
久しぶりに実家に帰った。
今帰省中である。親は俺のことを心配そうな目で見つめてくる。ああ、配偶者をみつけたしもうこの子は安心だなと思わせることはこの先ないんだなと思った。俺のことを一人前になったと思うことはなく、親は俺のことを心配し続ける余生を過ごすことになる。
とはいえ、それは親の自業自得でもある。つまり、その程度のスペックにしか産み育てることができなかったという話だ。
こういう話をすると自分の駄目さを見つめずに親のせいにしているという反論も聞こえてきそうだが、むしろとことんまで見つめた結果、親のせいだとおれは気付いた。
俺はダメな人間だ。生きている価値がない。なんでこんなクソみたいな性格をしてクソみたいな人生を送っているんだ。うつになるぐらい考え抜いた。過去のことをひとつづつ紐解いていくと最後は親にぶち当たる。当たり前だ。親の遺伝子を受け継いで、親が用意した環境で育ったんだから。
全ての子供は生まれるか生まれないかの選択肢を与えられないまま生まれてきているが、親は自分の意志で子を産んでいる。産まないという選択肢もあったのに。当時子供を産まないといけないという社会的圧力が強かったにせよ。
だから、子供には親を怨む権利があると思ってる。親は子を恨む権利はない…お前の選択の結果だろ?じゃあ最初から産まなければよかったのに、という理屈だ。
とはいえ、年を取るにつれて彼らも彼らなりに一生懸命俺のことを育ててくれたんだという考えも芽生えてきた。親を赦す気持ちにもなった。親を怨む権利を放棄するようになった。
ただ、反出生主義的な考えは消えないわけで(論破不可能じゃね?)、さらに親を赦したところでスペック値が上昇するわけでもないので、親を安心させるために結婚しようと努力するモチベーションは全く生まれてこない。不細工で挙動不審な非モテだし。
まあ結婚=子供産むでもないんだが(精子も腐ってるだろうし)、どっちにしろモチベーションはわかない。付き合う以前に、男として見られるためのスタートラインがあまりにも遠すぎる。そのスタートラインに立つためにどれだけの努力をしなければならないのかと考えると気が滅入るわけだ。結婚なんて、宝くじに当たる方がはるかに簡単だと思える。
ともかく、親がそういう余生を送る羽目になったのはこんなスペックにしか産み育てることができなかったことの当然の帰結だと思う。だから言ってしまえば自業自得なのだが、やはり親はかわいそうだと思うわけだ。親を怨む権利はもう放棄したから。ただ、俺としてはどうしようもなく悲しい気持ちになる。スペック的に俺には親を喜ばせることはできない。親の心配そうなまなざしに途方に暮れるしかない。自分を責めても親に刃が向くだけだ。
せめて親孝行ぐらいはしようと思った。結婚して安心させるとか孫の顔を見せるとかは無理だけど。メシおごるくらいは定期的にしてやろう。
ああ、あと、男らしさの呪縛から降りろみたいな話。俺が降りたとしても親が降りるかどうかはわからん、というか無理だろうなと。親が価値観をアップデートしたら心配から解放されるのかどうかは知らんが、まあちょっと無理があるよね。古い人間だから。
本当のことを言えば怒られた発端は俺の炊飯予約がミスってて朝に米が炊けてなかったことなのだが、ここから色んなトコロに連鎖的に怒りが爆発して
「お前みたいな米も炊けない半人前になびく女なんかいない!」
「孫の顔も見せない親不孝者が!」
「お前は『結婚する気が無い』んじゃなくて『結婚できない』んだ!」
こんな感じで最終的にはとにかく女性に縁が無いことと、家庭を作る方向での発展が一切無いことを徹底的になじられた。
ウチの母は『人は年頃になれば自然と異性に興味が出て恋人の一人や二人は作るモノだ』とずーっと昔から思っていて、実際中学生くらいの頃からそう言われていた。
しかし、俺はというと未だかつて恋人どころか女友達すらいたことが無く完全に女性と無縁の存在なので、母から見ると一体何を考えているのか理解できなくて気持ち悪いしイライラするんだろうな。
(もっと言えば、姉が一人いるのだが姉は人様並みに恋人を作っていたし、今は良い旦那を捕まえ二児の母として暮らしているので、猶のことそれ真反対の俺が気持ち悪いのだろう)
だけどねぇ、母には(父にもだけど)悪いけど多分この後もずーっと俺は女性に縁が無いから結婚できないし、結婚しようって気も無いよ。
悪いけど俺については色々と諦めてくれ。
収入がイマイチだし、なのにズルズルと大学院まで行ってたから奨学金返済がすげーあるし、
性格は内向的かつ面倒くさがりだから人間としての引き出しが全然ないし、
完全に縄文人系の顔と体毛で図体がかなりデカいからビッグフットが頑張って人里に降りてきたみたいな見た目だし、
もう34歳のいい歳こいたオッサンなのに子供部屋おじさんだし、
なんというか自己評価でも男性としての魅力がまるで無いのである。
(一応、子供部屋おじさんに戻ったのは3年前のことだし、家族的な事情があってのことなのだが、そんなのは外野からしたら知ったことではない)
世の中は広いから、こんな俺がストライクゾーンに合致する女性も奇跡的に存在するのかもしれんが、
そんな人がいたらハッキリ言ってゲテモノ好きすぎて美的感覚がぶっ壊れているから逆に俺の方が恐怖してしまうと思う。
上に書いた通り、男性としての魅力が完全に死んでいるので負け試合とわかっている恋人探しだの婚活だのをやる気は全然ない。
お金かけて負け試合に突撃してボロクソにされたら心が死んでしまう。
更にもう一つ言うと、大学院生時代に勉強の一環として弁護士の無料離婚相談に同席させてもらった経験から、女性や、伴侶を得ることに恐怖を覚えてしまったのもある。
・基本的に相談に来るのは女性であり、相談に来ると相手(旦那)のことをダニかゴキブリかっていうくらいボロクソに言う
・でもダニかゴキブリかっていうくらいボロクソ言っていることの理由、つまり旦那の落ち度はイマイチ見えてこない
(彼女らの感覚では自分を被害者側だと思っているハズなので、その被害をアピールしてくれればいいのだが、そのアピールが無いか、要領を得ない)
大体こんな感じの傾向であった。
もちろん、全ての案件がこの通りという訳ではないことは念のため言っておく。あくまでも俺が見た限りの傾向の話でしかない。
...
相談者の年齢・婚姻期間は本当に幅広く、殆ど新婚みたいな案件から、子供が完全に成人して独立していったような案件まで様々だった。
ただ、どんなカップルであっても、恋愛結婚は言うに及ばず、仮にお見合い結婚だったとしても、最低限結婚に至るまでの間に
という自分自身の判断がなされていると思うのだが、それでもその相手をダニかゴキブリかっていうくらいボロクソに言うのである。
子供を作って、独立まで送りだして、夫婦としてやってきたのに。
(よっぽど古風かつ厳格な家で結婚することにも相手にも自分の意見が言えなかった女性も世の中にはごく少数いるだろうが)
『奥さんたちにボロクソ言われまくった旦那たちは、結婚して身近な存在にさえならなければ、逆にここまでの敵意を向けられることも無かったんだろうなぁ』
『このご夫婦なんかもう中々のご年齢だけど、多分関係修復は無理だろうし、この後お互い一人になって結局一人で死ぬんだろうなぁ』
なんていう風に思ってしまうと、結婚することによって一体何を得るのか?という疑問がどうしても自分の中から消えず、結婚への動機が湧かないのだ。
多分これを母に言ったら
「つまらん言い訳で主体的に独身を選んだことにして、『結婚できない』ことから目を逸らそうとしている」
とまた怒られると思う。なので言わない。
まぁ、孫の顔については姉夫婦が両親に見せてくれたし、これで満足してもらおう。今どき内孫外孫の違いをどうこう言う時代でもないしな。
すまんね、こんな息子で。
従兄は20歳専門学生男。父親はおらず、母親、祖父母とともに暮らしている。
従兄とその彼女の間に子供ができたらしい。彼女のことはよく知らないが働いているらしい。
従兄は専門学校で資格を取る勉強をしつつ、私の父の会社で修行を兼ねてたまに手伝いをしている。
私の母のもとに連絡があったようで、母も父もはじめは戸惑っていたが、なんだかんだ「良かったね」と言っていた。
私はというとドン引きした。ええ?学生で学費も何もかも祖父母に出してもらってて学生デキ婚することの何がめでたいの?と。
従兄は昔から勉強は苦手ではあったが、将来やりたいことのために努力していたし、資格のために深夜まで勉強を続けたりしていて、私も素直に応援していた。いっちゃ悪いが、こんな馬鹿なことをするとは思わなかった。
とは言ってももう20歳、学校やめて働いて奥さんになる人と生まれてくる子供養います。というわけでもなく、学校には通い続けるらしい。
まったく祝福する気持ちになれない。だいたい、20歳にもなれば何をしたらどうなるかっていうのが分かるじゃないか。
私も学生の身分であるが青春や色恋とは無縁の人生を送ってきたので、誰が好きだから結婚したいとか、誰の子供が欲しいといった気持ちがまったく分からないが、それを差し置いても何かおかしな感じがするのは気のせいか。
私の母は「まだ学生の従兄と右も左も分からない彼女さんのためにできることをしなくちゃね」とやる気満々で、下手したら子供を家で預かって見るなんてことが起きそうで憂鬱である。
従兄の結婚に対する気持ちとか関係なく、私は子供が大嫌いである。
結婚式にも出たくない。祝福するつもりのない人間が式に出ても失礼だし、イトコなんて出席しなくても大して問題ないだろうから、向こうには課外授業があるとか言って欠席したい。
まあ、私は子供産む気も結婚する気もないし、私も従兄もひとりっ子なので、元気なうちにひ孫の顔を見られる祖父母に対しては「良かったね」と思う。
現在恋人と呼べる人はおらず、最後に彼氏が居たのはもう一年以上前になる。
恋愛下手で、周囲の人間は口を揃えて「男を見る目が無い」と言う。
今後の自身の価値観の揺らぎ方によってはこの方針が変わることも考えられるが、今のところその予感もしない。
私の意思とは無関係に、周囲からの結婚しないの圧は年々高まりを見せている。
実際もう90近い歳の祖母からは「私が生きてる間に、あなたの結婚式には参加したい」というようなことを言われたことがある。
親からも「いつ結婚するのか」「いい人はいないのか」という問いかけはもはや当たり前になり、私はその度に「相手はいないし、探さないし、結婚するつもりもない」と答えている。
孫の顔が見たい問題も、姉と弟がすでに達成していることで解決されているはずであり、是が非でも私が産まなければいけないということはない認識でいる。
もちろん子どもはかわいいと思うし、現在子育てをされている方々に対しては頭が下がる一方だ。
他人との共同生活を送ることが苦痛で仕方がない私には到底できることではない。
社会全体が子育てに関わる人々、そして当の子ども達を大切にすべきだと、私は真剣に考えている。
これは性別問わず同世代の平均年収及び中央値を越えている(はずだ)。
つまり私の市場価値は平均よりは上に位置しているということであり、それなりに頑張っていると評価されても罰は当たらないだろう。(※ あくまで社会的ルールに則った評価軸で考えているものであり、私自身が私に対してどういう風に価値を付けているかは別問題だ)
1,000万円の生活には程遠いが、多少の贅沢くらいなら全く問題ない。貯金もできるし、投資にも多少は回せる余裕がある。
正直なところ、私はこの点について全く自信がない。
ここまでで薄々勘付いた方もいらっしゃるかもしれないが、私には可愛げがない。愛嬌をふりまく、ということができない。
元来負けん気が強く、男を立てるということができない。奢られると腹が立つし、高価すぎるプレゼントも素直に受け取ることができない。後日それよりも価値の高いものを返したりしてしまう。
愚痴を黙って聞くことができず、求められていないアドバイスをしてしまう。頷くだけでいいなら最初からそう言ってくれと思ってしまう。
掃除はするが本当に必要最低限で、クイックルワイパーで床を拭くだけ。トイレ掃除は月に2回すれば良いほう。水回りは時々思い出したかのようにパイプユニッシュを垂れ流すくらい。
洗濯物だけはちゃんとするが、柔軟剤なんて使ったことはない。シミ抜きの方法は先月初めて知ったレベルだ。
通販のダンボールは全然片付かないし、ゴミ捨てを忘れることも珍しくない。幸いGやウジ虫が湧いて出るレベルではないが、割と紙一重の生活を送っていると自分では思う。
加えて食にも興味が無い。
普段の食事は基本的にコンビニ。あるいは塩むすび。一日何も食べないなんてこともザラだ。
自炊ができないわけではないが融通が効かないのでレシピに書かれた通りのものしか作れない。(もしかしたらこれは一般的には自炊ができると言わないかもしれない)
残った野菜を廃棄した経験と、作って食べて片付けるまでの費用対効果の悪さに目を瞑ることができず、調理器具には5年以上触っていない。
私自身はまるで困ったことがないため恐らくこの先もこの生活が劇的に変わることはないと思うが、上記のような人間が果たしてちゃんと生活をしている人間と対等に肩を並べられる存在であるかは疑問だ。
そういう意味で、私の女としての価値(あるいは人間としての価値)は底値を割っているのではないかと考えている。
昨今では先に述べたジェンダーレスや生き方の多様化に伴ってロールモデルも変容している。
とは言え、じゃあ私のような人間が仮に婚活や恋活といった場に出たとて、その他素敵な女性陣と比べられては見劣りしてしまうに違いないだろう。
一般男性の思う理想の女性に求めるものが私には備わっていないように思えるし、相手の年収を気にする男性は女性よりも少ない印象がある。
それに稼げると言っても大人一人を余分に養えるほどでもなく中途半端だ。子どもを産むつもりもない。極めつけは人間的価値が怪しいときた。
こんな私をだれが好いてくれるのだろうか。
仮にそんな稀有な男性が居たとして、私がその男性の友人なら必死で止めるだろう。「一緒に生活なんてしてみろ。絶対に大変だぞ」と。
いっそのこと1本〜2本ほど稼げるようになれば、専業主夫になってくれる人も出てくるかもしれない。でも子どもが持てないというのはきっととてつもなくネックになるだろう。
やはり女の価値は稼ぐ力ではなく、接するだけで癒やしてくれたり、子どもを産むところにある気がしてならない。
そう思えば思うほど、私が所帯を持つことはほぼ不可能な気がしてしまう。
あるいは「期待されている女性像」と釣り合う稼ぎが500万円では済まないのだろうという直感があるのかもしれない。
ここが解消されない限り私が恋愛や結婚願望を持つことは難しいのだろう。
白馬の王子様はいらないが、適度なヒモなら居て欲しいかもしれない。
あぁ、だから周りに言われるのだろう。
「男を見る目がない」と。