はてなキーワード: 中学校とは
中学校の先生が不良の更生をできないように、体育の先生が運動音痴を治せないように、個人間のトラブルも裁判所が解決することはできない。
大きな建物や東大卒のブランドに圧倒されて、本来できないことが出来ると洗脳されて信じる人がいるだけ。
国の発行する権威はこけおどし
「片思いの子に振られたので短歌を見せて感想もらった」的なブログのタイトルを見たとき、めちゃくちゃ心臓が痛くなった。最悪だ。あのときの気持ちをめちゃくちゃ思い出した
俺もすごく似た経験があるからな。正直これも書きたくない、恥ずかしいし
同じといっても、彼と俺とでは年季が違う。なんと15年もだ
忘れもしない、17歳のときだ。相手は小学校、中学校とクラスは違えどずっと同じ女の子だった
「ずっと好きだった。付き合ってください」
「ムリ」
一瞬だった
彼女は一見飄々としていて、人を簡単に切り捨てることもあれば妙に情熱いところもあった。彼女のそういう矛盾までもが大好きだった。なんせ小学生のときからずっと好きだったんだから
振られて次の日に俺は何を思ったのか、彼女へのラブレターを書き始めた
ひたすら彼女への思いと世間話を書き綴った。もし今の俺が見たら俺の顔は核爆発を起こすであろう
手紙用紙5枚分位を毎日書き、相手に渡した。むしろ嬉しそうだった(そうであったくれ)
放課後に彼女は「お返し」としてびっしり書いたラブレターへの感想を俺に渡してくれた
「〜って表現が良かった。私なら〜って書くかも
あと〜くんがーーー」
みたいな感じだ(今でもその手紙は全部保存してるよ)
もう一度言うが、彼女のこういうところが大好きだった
大学生になっても近くに住んでいたので毎朝家のポストに届けに行った
彼女は全てに返事をくれた。呆れ顔だった、「そこまでやるの?」とよく言った
それに対して俺が「好きだからしかたない」と返すのがお決まりだった
社会人になってからは彼女が上京することになり、ついにこれも終わるのか?と危惧された
結論から言えば、俺も金魚の糞のように一緒にへばりついて上京した
彼女の家の近くに住んだ
彼女への愛を書きまくった。とにかく書きまくった。好きだったから仕方ない
俺も愛せる人を見つけて結婚した(その人にはラブレターは書いてないよ!)
よく見れば、飄々としていた彼女はもういなかった。子を持つ母親の顔だ
やがてどこかへ引っ越してしまい、連絡先も繋がらなくなり、縁は断絶した
32歳になった今でもラブレターを書いている。もはや日課だ。渡す相手はいない
もう返事は帰ってこないが、それでもいい。好きだから仕方ないよね
https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2473_9316.html
いちばん最初に試験をしたときの問題が、別にむつかしいはずはなかったのであるが、中学校の三角の問題のような、公式へはめればすぐできる種類のものでなくて、「吟味」といったような少しねつい種類の問題であったので、みんなすっかり面食らって、きれいに失敗してしまって、ほとんどだれも満足にできたものはなかった。その次の時間に先生が教壇に現われて、この悲しむべき事実を報告されたのであったが、その時の先生は実にがっかりしたような困り切ったような悲痛な顔をしておられた。あんなやさしい問題ができないのは実に不思議だと言われるのであった。
板垣退助こそ民主主義である。彼は仙台へ行った。宿につき女中にきくと、
「誰方とでもお会いになります。いえ、誰方にも名刺を下さいます。私もいただきました」
ただ、阪大の近所に住んでたので、
ちなみに中学校は同級生が隣の中学の奴にナイフで刺されたりする底辺公立校でしたが、
(義務教育なので退学処分がない代わりに、自主的強制転校がまかり通ってた学校でした)
(貧乏なので塾なんかは行かせてもらえない)
ちなみに、高校も大学も滑り止めの私立すら家族に受けさせてもらえず、
インドに逃げると言ってたら、高校の同級生がインドカンパをしてくれました)
なんとかなるので頑張ってみて下さい。
マグロ漁船に乗らなきゃ返せないレベルの奨学金を手にしましたが、
(5年ごとに在職証明を提出しなきゃならんけど)
うち(地方都市の郊外)の近所でのことだけど、中学校受験をする子はわりといる(35人クラスで2~3人)。
でも、ほとんどが公立中学に進学する。これは、不合格になっているわけではなくて、「特待生になれなかったから」合格しても進学しないんだって。
高専卒の方のエントリーが上がっていたので,レアな存在である高専について私も語ってみる.何度目の焼き直しになるかわからないが.
15年前に卒業.化学系学科.情報としては古い点も多々あるかと思う.ただ学生会長で全国高専につながりを持っていたので、情報ソースは1校のみではない.
①進学が容易
後述する.
高校1年次から専門教育を受けられる.全課程が専門教育というではなく,高校や大学で履修する一般教養とのミックスになっている.年次が低い段階では一般教養の比率が高く,年次が上がるにつれ逆転するという塩梅だ.まともに単位を取っていれれば5年次は週の半分は研究だった.
①進路が固定されやすい
大多数が工業系の道に進む.進まざるを得ないといっても過言ではないだろう.感覚的に同級生の8割はメーカにいる.世界が技術系一辺倒なので,その他が見えにくい.入学時点で15歳なので、染まりやすく視野を広く持つことも難しいという点もあったかも知れないが,情報網が発達した現代はまた異なるかもや知れない.教員も普通の研究員なので,理系のアカデミアで純粋培養されたような癖が強い人がごろごろ.コースを変更しようとしても,マイノリティになるため後押しもロールモデルが少なくハードルが高い.
専門性が高い故、入学後に技術に興味がないことに気づいてしまった場合,モチベーションが下がりついていくのが困難になる.高専は受験日が普通高校に比べて早いので,度胸試しで受けてみたら受かってしまった,偏差値が高いのでなんとなく来た,という層の一部がこの状態に陥る.一念発起して3年次にセンター試験を受け大学に進学、文転したものもいた.これはレアなケース.
③恋愛チャンスは共学に比べ少ない.15-20歳という多感な時期に恋愛経験はまあ一般的に重要だろう.学科構成に依るとは思うが伝統的な学科であれば女性が少ないので競争は激しい.然しながら化学専攻などは女性比率が高い,それでも半分程度だろうか.
授業時間は90分.1年次から週1-2回のペースで半日かかる実習or実験があり,1年次から毎週毎週濃密なレポート提出を課せられる.締め切りや採点も厳しく,図書館での追加調査を含め毎週5-6時間をレポートだけで費やしていた.科学的文章の書き方の下地はここで醸成されたと感じる.専門科目が入っている分,一般教養が割かれている.歴史はなく,地理も確か1年前期しかなかった.その他普通科高校と比べて色々なものが削られていたに違いないが、よく分からない.
また,数学が難しかったことを殊更に覚えている.入学後すぐに三角関数,確率,2年次に上がる前に微積,線形代数.2-3年次で重積分,偏微分,常微分・・・.4年次以降で複素関数,曲面,群論,ラプラス変換,ベクトル場等の応用数学に入っていく.他にも電磁気,化学,熱力,固体物理・・・うっ.
①就職
就職率100%.求人倍率~20倍.県内の有力企業,大手の現業職(現場職長候補)に比較的楽に就職できる.ただ高専生は世の中のことをよくわかってないので,企業や業態研究をせずに適当に就職してしまい数年後に後悔する同級生はそこそこいた.先生も技術バカが多く,経済的なリテラシー教育はほぼなかった.私のころはインターネットの情報量も多くなく,現在はまた違っていると思われる.
②進学
大きく2つに分かれる.専攻科か大学か.
専攻科:
自校に残り,2年間の延長教育を行う.大卒の資格を得られる.ほぼ研究メインの生活を行う.研究8割,授業2割くらいか.卒業後は旧帝や技術系大学院(奈良先端科技大/豊橋技科大/長岡技科大)などに院進する人が多かった.就職する場合世間的にはレアな存在であり,専攻科?そんなのがあるんだ?という反応をされ,研究漬けで辛い生活を送ってきたのにも関わらず就職アピールとしては弱いと友人はボヤいていた.
進学(3年次編入):
ここが最大のうまみであろう.
①いくつも受験が可能.大学毎に試験日程が統一されていないので,費用と日程確保さえできればいくらでも.自分の場合は4大学に出願し,3大学目で決めた.偏差値が低いほど早めに行う傾向があった.
②受験科目が少ない.例えば東大は数学と英語だけだった.(東大のみ2年次編入だったが)問題も奇天烈なものでなく,真面目に授業を受けてしっかり対策していれば十分に解ける範囲である.
③高専によっては提携大学がある.私が卒業した高専では所在県の大学,提携の私立大学(関関同立など)は指定校推薦でほぼ全入していた.高専から私立大学に行く人は少ないので,競争率も低かった.就職したくはないが勉強も好きではないモラトリアム層は延命策としてこの選択肢をとっていた.大学編入後は一般教養はほぼ単位認定(=免除),専門教科も高専で齧っていることが多く,比較的楽.実験,研究発表においては経験の差が歴然.学部レベルでは専門を変えない限り大きな問題はないだろう.私も彼女が欲しくてテニスサークルに入ってみたが,雰囲気についていけずすぐ辞めたというオチ.
ピンキリ.トップレベルの明石高専や豊田高専などは偏差値60後半でそこらへんの進学校を超える難易度だが,商船高専などは50前後.学科としては電気がいつも大変そうだった.数式だらけで理解するのが大変.材料や土木,環境,その他新興分野はおぼえればいい科目も多く,比較的楽.
全寮制の高専は確かなかったと思うが,大概他県や遠隔地からの学生用に寮が用意されている.寮ではゲーム相手に事欠かない,発売日に漫画がすべてそろう,ありとあらゆるジャンルのエ〇本を閲覧できるなどのメリット(?)もあるが,大きなデメリットとして私が通学していた20年前では上級生による「しつけ」という名の体罰が行われていた.木曜日の夜に1年生を呼び出し,暗闇の中で数時間正座をさせて悪事を白状させるというもの.(風呂掃除に数分遅れたとか,寮の敷地内で先輩を発見した際百m離れていても90度おじぎをして挨拶を”叫ぶ”必要があるが,そのお辞儀角度が足らなかったなど)一定数白状しないといつまで経っても終わらないため,どうでもいい些細なことを報告するのが常であった.正座のみならず1時間両手を上げっぱなしにさせるなど.終わった後は体が痛んだ.脚が痺れを通り越して暫く立てないレベル.なぜ木曜の夜かというと,金曜になるとみんな帰省してしまうため.
さすがに今はもうないだろう.しかし,中学校を出たばかりの小僧に大学1-2年生相当の先輩たちはとても怖い存在で,且つ退寮して親に金銭的負担をかけられないため多数は我慢を選択する,という構図だったし,私の親も鍛えられてこい,という感覚だった.家が比較的近いやつは馬鹿馬鹿しくて通学に切り替えていた.私のころはなかったが,以前は先輩から達しが出るや否や吉野家の牛丼を30分以内で代理購入してくるという「吉野家ダッシュ当番」なるものもあったそう.尚,年次により寮内でのルールは緩くなっていく.年次による権力を揶揄した称号があり,1年次から「奴隷」,「見習」,「平民」,「貴族」,「神」.1年次においては共有スペースの炊事禁止,テレビ閲覧禁止,風呂掃除や朝食準備などの各種当番,祭りでの汚れ系出し物など.2年次になると共同場のテレビ閲覧可,3年次から個室があてがわれ、テレビも自室に設置が可能となる.今思い返せば,陰湿な日本文化を如実に体現しており,乾いた笑いが出る.
私は上級生になった際このシステムを廃止しようと試みたが、全体的にそれを維持したいという空気が流れており結局叶わなかった.ただ親元を離れて集団生活を送ったことで自身も随分たくましくなったと思う.
メーカを何社か転職し,現在はITでデータ解析職.製造業に興味がないことに気づくのに大分時間がかかり,また気づいてからも収入を維持しながらも他業種へ脱するまでが大変だった.現在は34歳で年収950万円.奨学金は500万ほどあったが30歳前に完済することができた.
【2022年追記】現在37で1700万.幸運が重なり待遇の良いコンサルへ転職することができたが,周りの優秀さに埋もれつつありキャリアピークも近いかと感じている.がんばりたい.
ブコメやトラバで勇気でた。買うわ。ありがとう。全てのコメ主に幸あらんことを。
ハザードマップのうち、内水(降雨)による氾濫リスクのマップを見よう。これの色がついた土地は要するに水はけが悪く、ジメジメした環境になる。生活環境もしかりだが、湿度は建築の寿命に多大に影響する。欧州の建築が何百年も持つのは地震がないこともあるが、空気が乾燥しているのも一要因。
確率の高い順に、
— レベル1:確実にくることがわかっている —
親が要介護になる/日本全体の人口減少/大都市への人口集中/自分も周りも高齢化/子供の成長と共に家が狭くなる。
共働きができなくなる/おいらの収入が減る/家具が倒れるレベルの地震/隣人がキチガイまたはキチガイ化
— レベル3:起きるかもしれない —
無収入になる/家族の誰かが死ぬ/ヒビがはいるレベルの地震/大雨による氾濫/管理組合が機能不全になる
レベル4リスクをカバーするために高いローン組んだり郊外の物件にすれば、レベル1,2リスクの影響がでかくなる。だから、レベル4のリスクは目を瞑る。
尾崎が生きていた頃は、歌詞は過激でも見た目は普通のイケメンだったので、ファンも普通の陰キャ的な子が多かったよね。
当時のリアル不良が好きだったのは、見た目もワルな横浜銀蠅とかでしょ。
中森明菜や工藤静香も不良っぽい見た目で人気だったし(今はそんな女性アイドルはいない)、
ルックスがワルっぽい芸能人が今とは比較にならないぐらいたくさんいて、それなりに支持されていた。
大体、校内暴力が問題化した反動で管理教育が肯定されて、暴力教師が普通に存在したからね。
毎月、持ち物・服装・頭髪をチェックされて、特に髪型が校則違反だと職員室で雑に髪を切られたり、
遅刻者は校門締め出し(どっかの学校で校門圧死事件が起きてからなくなったと思うけど)
体罰もビンタ、ケツバット当たり前。それも、忘れ物しただけでビンタとか。
初恋の人に告白できなかった夢見た。このパターンの夢は1年ぶり50回目ぐらいなんじゃなかろうか。
そのぐらいコンスタントに同じ内容の夢を見続けている。
初恋の人とは小中学校が同じで、進学先が分かれた高校のときも好きだと思い続けていた。
毎回毎回、これを逃すともう会えないってタイミングで告白できないままになるのを追体験している。
10年以上その人には会ってないし、夢の中に出てくる顔も相当おぼろげだ。
毎回めちゃくちゃ後悔した気分で目覚めることになるんで、一回ぐらいちゃんと告れないもんかなと思う。
まあ無理なんだろうなー。リアルで無理だったから夢に見続けてるんだろうし。
こういうのいつになったらなくなるんだろう。ひょっとして一生モノだったりする?
当方、地味な人間で人間関係もあまり良くなく楽しい学校生活は送れなかった。
T先生という人がいた。
数学を受け持つ先生だけど、数学の授業は、できる生徒、まあまあできる生徒、数学が苦手な生徒の3クラスで分けられていて自分はまあまあできるクラスで数学の授業を受けていたが、T先生は数学が苦手な生徒の授業を受け持っていて、自分とT先生は中学校の3年間で一切の関わりがなかった。
中学校の卒業式の日、卒業証書授与とかの一連のプログラムが終わって、自分も含めた卒業生たちが出席番号順に体育館から外へ出ていく。玄関に在校生と先生たちが出迎えてくれている。
みんなそこで仲が良かった人同士で記念写真をとったり思い出話をしている。
自分は他の学年の人とは関わることがなかったし、そこにいても特にやることもなかったので、そのまますぐ帰ろうと思って、ただ歩いて在校生の間を抜けていく。
突然後ろから誰かが僕の肩に手を添えて来た。振り向いたらT先生だった。「頑張れよ」と言っていた。
自分はT先生と関わりがなかったからなぜ嫌われていたのか本当の理由かはわからないが、おそらく嫌われていた原因はT先生の外見ではないかと思う。
太っていて、脂ぎってるくせ毛で、なんとなく中学生ぐらいの年齢だとそういう人を集団で嫌う現象があることに心当たりのある人も多いと思う。
自分は一切面識のなかったT先生に卒業式で話しかけれて、驚きもあり、そのまま何も言わずにT先生から離れた。
離れてT先生の様子を見てみたが、特に他の生徒に話しかける様子もなかった。T先生はなぜか僕にだけ親密だった風な言い方で話しかけて来たようだった。
「一切関わりがなかったのに、なぜ僕にだけ話しかけて来たんだろう」
ちなみにこの時思った↑の疑問の答えはその時も、今現在もわからないし、もう一生謎が解けることはなさそう。
↓
T先生はみんなから嫌われていたから、「自分のことを嫌わなさそうな大人しそうで地味な生徒に「頑張れよ」と言っておけばきっといい先生としてポイントアップする」と思っていたのではないか。
↓
僕のことを地味なやつと思って接してくるなんて、ショックだ、なんてひどい先生だ
↓
それだけでは飽き足らず人をいい先生の押し売りの道具として扱うなんて、最低だ。
↓
それもそんな最低なことを卒業式という最終日にやってくるなんて。そもそも面識にないのになぜか話しかけれて怖い。自分はT先生に対して殺意まで湧いていた。
今の年齢になって思うのは、あの時に思った↑のような考えは、全く自分本位な勘違いだとわかる。
地味でつまらない学校生活を送ってしまった自分。それを受け入れられない、見合わない高いプライドを持ってしまっていた学生時代の自分。
そんな中、嫌われ物の先生が僕を利用して、他のイケてる生徒から好かれようとしてくる。そんな勘違い。
だがもう、自分も卒業してT先生と会うこともなく、考えても仕方がないのでT先生のことは忘れていた。
T先生は僕が殺意を持っていることも知らないし、僕が辛い思いだけすれば、それはそれで良かったのだが僕が高校生になった時にT先生を傷つけてしまう。
僕は3年間バイトしていたが、2回ほどコンビニにT先生が買い物に来ているのを見かけた。
向こうは僕に気づいていたようだった、距離は5メートルほど離れていた、僕はT先生を見た瞬間に、卒業式の日の殺意がよみがえる。
顔に出てしまった、ものすごい形相でキレた顔をしてしまった。そんな僕の顔を見てT先生の顔が曇る。ショックだったろう、ごめんなさい先生。
そんな僕の様子を察してか、T先生は僕に話しかけるようなことはせず帰っていった。
1回目の遭遇から1,2習慣後、T先生がコンビニに来ているのを見かけた。僕がレジにいるのに気づいたT先生からは、ショック、または怖がっているような雰囲気がした。
T先生からしたらなぜ僕が嫌っているのか全く意味不明だろうから、そうなるのも無理はないと思う。
これは僕の予想だけど、なぜ僕が嫌いなのかの理由が知りたくて、2回目来たのではないかと、ちょっと思ったりしている。
2回目も僕はT先生に対して思いっきり嫌悪感を持った態度を出してしまった。それは別にT先生にやり返そうとかいう感情ではなく、ただ単に心の底からT先生を嫌っていて自然と態度にも出てしまったものだった。
先生を傷つけてしまったことを、今の年齢になって後悔しています。
ここまで読んでくれた方なら、なんとなくわかると思うが、僕は頭のおかしな人間だ。だからT先生、僕に嫌われても何も気にするようなことじゃないんですよ、僕が人間として至らないだけなんですよ、先生は何も悪いことをしていないんですよ。
もう何年も昔のことでT先生がどこで何してるかもわからないし、そのことを伝えることはできないわけだけど。
そして自分のこの性格で他にもたくさんの人を傷つけて来てしまった。
後悔の念ばかり、もし人生がやり直せるなら、誰も傷つけずに生きて行きたい。
もし、同じ時代に自分とは別の人間として生まれ変われるなら、僕が誰かを傷つける前に殺しに行きたい。
どうしていいかわからないので、とりあえずユニセフに毎月募金を始めた。
この世には募金ビジネス超儲かるウハウハなんて人もいるだろうけど、そんな人も含めて、僕の金で誰かが喜んでくれるなら本望な気がする。
僕が中学生の頃から、自分の驕りたかぶる性格と向き合って、後悔する努力すれば何か変わっただろうか。
この世に無数にいる人間の中で、自我を感じられるのはたった一人、自分だけ → 自分は特別という勘違い。
全ての人に主観があることに気づけない想像力のなさ、頭の悪さ、出来損ないの自分が恥ずかしい。
自分で考えても間違いだらけだった、今の僕に何ができるか、誰か頼む教えてくれ。
私は遠い昔に参加したいくつかの卒業式のことを思い出していた。
一番思い出に残ってるのは大学の卒業式で肩組んで校歌熱唱したことかなぁ。
そういえば校歌ってどんなのだったっけ、と思い返してみると全然思い出せない。
中学校はかけらも思い出せない。
高校は応援歌のメロディーは思い出したけど、校歌は全く覚えていない。
https://anond.hatelabo.jp/20181201054847
を見て、参考になるかと思い、書く。
公立小学校→公立中学校→高等専門学校。なお、貧乏だから高専行った、という事情の人はめっちゃいるようで。私もその一人。奨学金と言う名の借金の返済が早い&破産が少ないのは高専卒だと、どこかで読んだ。
高専にしたのは正解だった。なぜか頭良さそうに見えるらしい。世の中のほとんどの人は大卒or高卒のため、高専卒をイメージできないのではないかと。ふろむださんの「錯覚資産」みたいなものか、、
1社目: ちょうどバブル全盛期で、母校にも空前の求人が来ていたらしい。一人あたり5社~10社。同期もみんな社名を聞いたことがある企業に。私は一部上場の子会社に就職。しかし、大企業の子会社でも、やってることは業者 (って言ってもNEC・Unisys・IBM) に仕事放り投げるだけ (のように見えたのよ、若いから)。つまらなくて、あっという間に辞める。
2社目: 現在の勤め先。当時は20名弱の会社。自分で手を動かせる仕事ができそう、と選んだ。吹けば飛ぶような超零細企業だと思っていたが、、まだ存続しているし、従業員が倍以上になった。
会社は、人数の大小ではなく、元請けかどうかというのはかなり大きい。もう一つは、業界の競争が激しいかどうか。勤め先は超ニッチ業界。
正直なところ、偶然そうなっただけ。
現在の役職は技術系の部署、担当課長とでも言うのか、課長相当・部下なし。まわりからは、それなりにリスペクトされている、ようだ。年収は約950万円。月の手取りは40万~45万くらい。残業代全額支給 (30H/月くらい)。数年前は90H/月近く働いて1000万を超えた。賞与は年間6ヶ月前後。
年収が1,000万超えたときは、マクドナルドをバーガーキングにしたが、BK閉店でマクドナルドに戻る。
妻とは職場で知り合って、現在は専業主婦。子供は1男1女。小学生と2歳。娘超可愛い。
食費は、、約3万。ほぼ外食しない。
保険料、、約6万。
住宅ローン、、約4万。フラット35。家は結婚前 (40前) に建てた。月々6万。10年経って、フラット35でも借り換えできることに気づき、実行。金利3%→1.3%になり、2万支払いが減った。ローンは1,000万を切った。繰り上げ返済はできるけど、うっかり死んじゃったときは団信が払ってくれるから、そのまま。
ローンは、当時の年収 (600万) の3倍以下になるようにした。結果的に2.5倍でローン組んだ。頭金を同額以上突っ込んだ。
お小遣いは、、決まってない。無制限。妻は、私がお金使わないのを知っているため、何も言わない。一度だけ「私に隠れてお金を使っているでしょ」と疑われたのでExcel小遣い帳を見せてあげた。「x月の支出: 3千円」を見て、クスッって笑われた。
車は (運転が) 怖いので持っていない。
NHKは、、契約していませんので、って言ってたら最近来ない。
預金は4,500万、投資信託450万。なお全部インデックスファンド、、
毎年、預金が3-400万増えていく。
今から無収入になっても、この暮らしぶりが続くなら、15年はもちそう。
私と妻に共通しているのは、貧乏、でしょうか。そのため、慎ましく生きてます。
妻のほうが倹約家で、ケチな私が、そこまでしなくても、、と思うレベル。
美容院も殆ど行かない。毎月QBハウスに行く私のほうがお金かかってます。
妻は、他の家庭が家族旅行とかに行くのを、うちより収入が多いから、と思っているようですが、多分違います。
でも、生活レベルを上げるのに躊躇する、というか、そんな気が起きないです。
子どもたちには、自分のような思いはさせたくない、それだけですね、、
皆さんブクマありがとうございます。
皆さんのコメントの中からいくつか選びコメント書いてたのですが、全部消えてしまい、心が折れました、、
なので、超端折ります。
県内の他の自治体との違いといえば、あるときにワンマン市長が「うちは学力向上で、土曜授業やる!」って言い出した。
といっても、習い事やスポーツ少年団とかで休む子供もいるので授業は先に進まない。プリントで自習して丸つけしてもらったりして、お昼で帰る。(小学校の場合)
教員だって、土曜に自分の家のことやら何やらをしなくてはいけない日もあるから、教員でシフトを組んで、毎回臨時時間割みたいなのを組む。その作業に疲れて、野田市教育委員会に爆破予告を送って逮捕されてしまった教員もいた。
んで、今回の事件。
主な原因ではないけど、ワンマンのトップの顔色を見ながら仕事することに慣れて、なおかつ、日々疲弊していく現状も、何かの遠因になっているんじゃないかなぁ。