はてなキーワード: 中学校とは
失恋といえるほどのものでもないのだけど、でもきっとこれは恋だったと思います。私は忘れっぽいたちなので、忘れないよう、書き残しておきます。長いし、重いです。
出会ったのは小学1年生のとき。初めて友だちになってくれたのが彼女でした。誰とでも仲良くなれるような優しい女の子。彼女は誰とでも仲良くなれる人だけど、私は違った。人見知りで、自分勝手で、今考えるとどうしようもないような性格だったと思います。小学校から中学校にかけての様々な件で私の性格はひねくれにひねくれ、自分がいちばん醜いとまで思うようになっていきます。それでも小学校から中学校までの9年間、ずっと仲良くしてくれました。彼女のことが一番大切だと思いました。
転機は高校のときです。彼女は特殊な高校に、私は普通の高校に進学しました。彼女の学校と私の学校はそもそもシステムが違うため、長期休みが合うことはほとんどありません。臆病者な私は、彼女に連絡することを恐れるようになりました。彼女のことがとても大切だから、勉強や部活を私みたいな存在が邪魔するのは、私自身が許せない。アルバイトを始めたと聞きました。なおさら、連絡なんてできません。そうなると(もうわかると思いますが)、あとは疎遠になっていくだけです。月日が流れれば流れるだけ、彼女を神聖化したまま、私の記憶の中の彼女はやさしくてかわいいあの子のまま美化されていき、とうといものへと変わっていきます。もっともっと大切になっていきます。高校生の間にも、数回遊ぶことがありましたが、私の前では昔と変わらずとてもやさしくて、素敵な彼女のままでした。きっとさらにすきになっていたと思います。
はたちになると、成人式があります。いろいろな場所に散らばっていた友人たちも地元に集まります。私たちも同窓会をすることになりました。久しぶりにみんなに、特に彼女に会えることが嬉しくて、人一倍かわいくなりたくて、一番お気に入りのワンピースを着て、時間をかけて髪を巻いて、丁寧にメイクをしていきました。かわいいねって言ってくれて嬉しかった。あなたにそう言ってもらいたくてそうしたのだから。この同窓会のときに、今度遊ぼうね、と約束をしました。彼女は卒業後は就職のため地元を出て都会に行ってしまうらしいのです。とてもとても楽しみにして、大学でのテストもいつもより少し頑張れました。彼女はまだテストがあったようなので、終わったらまた連絡してねと言って、そのときは終わりました。その連絡が来ないまま、彼女が都会へ既に向かっていたことを数日前に知りました。
「いつ遊べそう?」「春休み終わっちゃうね」「遊べなかったね〜」「もう都会のほうにいるって本当?」何を言っても傷つけてしまうような気がして、この文章を書いている今も、どうメッセージを送ればいいのかわかりません。高校の友達と遊んでいるのならば邪魔したくはないなあ、引越しの準備が思うよりも大変で忙しいのかもしれないし…と思い込むことでなんとか今日まで生きてきました。「どうして知らせてくれなかったのかな」とも思ったけれど、たまにしか遊ばない友達に出発の日時を教えるわけがありません。この結末はただの自業自得です。大切にしたくて、私がいちばん醜いと考えている自分から遠ざけようとして疎遠になるなんて、自分でもびっくりするくらいのブーメラン。なんて救えない。彼女にとって昔よく遊んだ程度のお友達になっていただけなんです。どうしようもない、始まってすらいない私の初恋はここで終わります。
こんなこと、誰にも話せないから、ここに書きました。友達がずっと恋愛感情を持っていたなんて知ったら気持ち悪がられるに決まってる。なによりこんなことを書いている私が、私のことを一番気持ち悪いと思っているのだから。そう思われたくない。彼女に嫌われることは何より怖い。好きだと言うことも今後絶対にない。叶うこともない。だって彼女は女の子で、私も女。彼女はたぶん異性のことを好きになる人です。それでも話せるだけで嬉しかったし、満たされていたし、じゅうぶん幸せだった。ずっとずっと仲良くしてくれてありがとう。あなたは私の救いで、大げさかもしれないけれど、光でした。あなたは強い人だから、きっとお仕事もうまくいきます。あなたがこれからも幸せであるようにここから願っています。
行きつけのレストランがある。
ひなびたイオンの近くにある、800円から1000円くらいの洋風定食メインのレストラン。
30年前から知っている。
なぜなら小学校の同級生の実家だからだ。女の子で6年間ずっとクラスが一緒だった。
子供の頃は特に行く機会が無かったが、仕事の都合で東京から地元に戻って来てから駐車場付きでランチが食べられる場所を探すのに難儀し、そういえばと通りかかった時に駐車場付きであることを思い出し通うようになった。
初めて入るときは緊張した。
もしかしたら同級生がいるかもしれない。ぼくは中学校から私学に通ったので出会えば実に二十数年ぶりだ。そういえば、あの子、僕のこと好きって言ってたような…周りの女子に茶化されて有耶無耶になったけど小学校特有のノリでそんなのがあった記憶が…何するわけでもない小学生の色恋なんてそんなもんだよな。
ガラン。
昔の喫茶店のようなドアベルの音。入った。しかし、自分と同じ歳の頃の女性はいない。いるのは親御さんだけ。面識は無いし、挨拶を交わすことも無く、少し安心しつつ日替わりランチを注文し時を過ごす。
それから数回通ったが同級生がいることも無く、むしろ馴染みのランチとして通うようになった頃、完全に油断した。昨日入ったらいた。同級生が。
いたー、けど、この子かな?まあこの子かな。ぱっと見地味な印象は変わらない。彼女も完全に油断しきった仕事用普段着スタイルで、化粧をすることなく、味噌汁をついではお盆を運んでいた。
注文係はお母さんなので会話を交わすことは無い。割とじろじろ見ては見たが、同級生が来るとはついぞ思っていない彼女は終始油断しきってダラダラ親の手伝いをしている。
想像する。彼女の人生を。他に働きに出たこともあったろう。指輪はしてないけど結婚してないのか。地元にいるから他の同級生と交流はあるのだろうか。日替わりのカツレツを食べながら想像する人の人生は儚い。哀愁。なぜか失恋レストランが頭に鳴り響く。
もちろん僕は彼女に声はかけなかった。油断した相手に不意をつくのは野暮だろう。そういう相手とは会うことを前提に会うことが礼儀である。地元で生きるとこういうことがあるから人生は面白い。
Twitterでバズってた同性婚が認められて友情婚出来るようになったらツーオペ育児出来るから子供増えるんじゃないかっていたツイート見て「あー!」って思った。自分の中の怯えに初めて気付いた。
育児に疲れた末の虐待があれば母親だけに責任を求める風潮、オムツ台が女性トイレにしかないような環境、親子で奨学金返済におわれる未来、問題山積みの小中学校に送り出さなきゃいけない不安、保育園に入れない状況、飲食店などで常に母親が主に子供の面倒を見ている現実。
そういう不安を背負う責任が同性のパートナーだと全部半分になる。異性のパートナーだと良くて7:3、相手によっては10:0
私は出来た人間じゃないからこんな日本で子供なんて無理だとずっと思い込んでた。私みたいなすぐストレス溜めそうな人間が母親になれるはずないって思ってた。でもそれは一人ですべての責任を取ろうとしてたからなんだって気付いた。
心の根っこに染み付いた『母親が苦労するのが当たり前』っていう『常識』と『子どもの未来が真っ暗すぎてこの世に生まれさせてしまうのが申し訳ない』って不安がなくなれば少子化ってなくなるんだろうな。
不安を軽減するのに『夫に協力してもらう』ことより『友人と協力しあう』方が遥かに楽ちんなんだと無意識に思ってることに気付いてなんだかやるせない。
私の旦那はいい人だから、助けてと言えばちゃんと助けてくれると思う。でも助けてと言わないと分かってくれないと思う。二人の子どもなのに『助ける』って変な話だ。
同性のパートナーだったらそもそもスタートが『二人で育てる』だから助けるんじゃなくてお互い補助し合う関係になる。
もし、同性婚が認められてもそう簡単に世間の偏見は変わらないだろうし、さらに恋愛でなく友情での結婚となると風当たり強いと思う。頭でシュミレーションするほど上手くはいかないんだろう。
でも気持ちとして『子供を産むという選択肢が私にも有り得たかもしれないのか』という発見はかなり大きかったので心の整理のために書いた。
印象的な出来事だったので、ネットの海のどこかに残してみたいと思った。この場のことは代名詞が増田さんなことくらいしか知らないが、唐突な自分語りをしても許されそうなのでここに書くことにする。
妹と私は年が離れており、私は妹の生まれた時から姉と母親の中間みたいな立場で妹の成長を見守ってきた。
幼い頃の妹は、子供らしくて可愛い子だったけれど、あまり要領の良い方ではなく、優等生タイプだった私としてはヒヤヒヤすることが多かった。たとえば、自分から率先してクラスの中心にいる意地悪な女の子の取り巻きになって、何でも借りパクされてしまうような子だった。
この頃から成績は良くなく、田舎の公立小学校のテストでも平気でひどい点をとっていた。妹曰く「提出さえすれば自由時間になるから半分は解かずに出してた」とのことだったが、それを差し引いても何をどこまで理解していたのかはわからない。たぶん人間関係的に、良い点を取らない方が便利だったのだろうと思う。
そんな妹は、地元の中学校に入ってから、当然のように性格の悪い女の子の取り巻きになって媚びへつらうようになってしまった。成績は5教科で280点くらい。そして、案の定といっては可哀想だが、ひどいいじめに巻き込まれて不登校になってしまった。
このとき私はちょうど東京の国立大学に合格し一人暮らしを始めたところだったのだが、電話で親と話しながら妹の気持ちと将来を思うと、心がヒリヒリした。妹の体験と比べたら大したものではないが、自分にも荒んだ公立中学校独特の空気の中で、自己肯定感を失っていく気持ちには身に覚えがあった。
妹が幸運だったのは、両親が進歩的な考えの持ち主だったことだろう。
保健室登校で今の学校に通ったらどうかと言う私や学校教師の意見を無視し、両親は妹を不登校児の集まる遠方の私立中学にさっさと転校させてしまった。とにかく制服が可愛く、規則が緩い学校だった。集合写真を見ると、男子生徒の地味さと女子生徒の派手さがアンバランスな程際立っていて、私は「こんなのいかにもじゃないか」と心配した。
しかし、妹は、この特殊な学校への転校という大きな賭けに勝ったようだった。半ばカウンセラーのような先生方と一緒に時間をかけて精神を回復させ、1年ほどすると転校前の同級生がいない遠方の遊び場になら外出出来るようにもなった。
また、この頃から、いつかは昔の同級生を見返してやりたいと思うようになったようで、美容と勉強を頑張るようになった。特に勉強に関しては、多くの同級生が通信制や定時制の高校に進学する中、普通科高校に行きたいと強く希望した。当初の妹は不登校時代のブランクのため中3頭になってもbe動詞の活用だとかx^2-4=0の因数分解だとかが分かっていなかったのだが、元が低いだけにやる気になってからはぐんぐん伸びた。そして、進学校ではないものの、偏差値60弱くらいの私立高校の進学系のコースに最低点で滑り込んだ。なぜ最下位なのを知っているかと言うと、入学後に先生から異例の二者面談を組まれ、激励されたからだ。
そこからの妹は一層、人が変わったようだった。「JKっぽい遊びは中学でもうこりごり」とばかりに、不登校時代にやっていた痛いSNSもネット上の囲いも捨て、半ば遊びだった彼氏もいなくなり、字が綺麗になり、プリクラが減り、電車内で英単語帳を読むような高校生になった。高校のレベル別クラスも、半年で1番下から1番上まで上がり、これには両親と私も驚いた。
特に、ビリギャルに倣ったのだろうが高1高2では英語ばかりを熱心に勉強していた。英語系の塾にも通い出し、1年ほどで当時TOEIC800点の大学院生だった私をゆうに追い越してしまった。中学まで不勉強だった名残で、英単語帳に出てくる日本語の単語の方を知らない、漢字が読めないということが多発し、英語の語彙が増えるに連れて日常会話がルー大柴化した。その後、次第に英語以外も徐々に勉強するようになり、成績はうなぎのぼりだった。もちろん本人の中では、伸び悩んだり、不安になったりすることもたくさんあったそうだが、側から見ていると面白いほどに成長していた。志望大学もどんどん上がっていった。
そしてこの春、妹は通常より1年余分にかかったものの、早慶MARCHの滑り止め受験校3校をすべて合格したのち、晴れて第一志望の大学に進学する。妹は「これでようやくお姉ちゃんと肩を並べられるわ~。姉が○大生とか、これまでは人に言えなかったんだからね」と言った。
姉からすると、どん底から這い上がってきた妹の方が、とっくに自分よりすごいと思っていたので、妹がまだそんなことを思っていたことに驚いた。でも、自分がプレッシャーになっていたと同時に、ひとつの道しるべにもなっていたようでそれは嬉しい。
もともと地頭が良かったんだろうとか、親に金があったからできたことだとか思う人もいるかもしれない。また、大学合格なんてまだ単にスタートラインに立っただけじゃないか、まだ何も終わってないぞという指摘があるかもしれない。ごもっともだ。それでも、私はここまで来た妹の努力がすごく誇らしいのだ。
この先の人生、私たちの出身地の田舎じゃできないことをたくさんしていってね。姉はあなたのことを応援しています。
姉増田より
それまで公園とかで楽しく遊んでいて自分に対して好意的だった(はず)の人が急にそっけなくなったり、何となく仲間外れにされたりしがちだった。
自分がしゃべるとなんかちょっと変な空気になる。でもその原因がわからない。周りの人が何を考えているかがわからない。
中学校と高校では、それぞれ在学中の半分くらい、いじめられた。仲が良かった人が突然冷たくなるのだ。理由を聞いても、「いや、別にそんなことはないけど…」と目をそらす。そうしてしばらくすると、また元に戻って、あのときはごめんね、と言ってくるのだ。(でも理由は教えてくれない)
高校では恋人のいる期間が二回あった。最初の人は自分から振ってしまったが、二番目の人は、なんかおかしいよ、と嫌われてしまって半年後にふられた。
気がつかないうちになんかやらかしているのだ。きっと。
それで、人と深く付き合うのはやめようと思った。狭く浅くにしようと誓った。
不思議なことに、周りの人のことなんかどうでもいいし、変に思われたっていいやと開き直ってからは人に好かれることが多くなった。自分の発言で変な空気になるのは相変わらず何度かあったが、それでいじめられたりするようなことはなかった。
大学には色々な人がいる。そのため、自分のような人でも排斥されないのかもしれないと思った。
好きな人ができた。数年ぶりだった。
相手のパーソナルデータはほとんどわからない。知っていることは、どんな姿をしていてどんな服をきてどんな声でどんな喋り方をしてどんな文章を書くか、あとは少しのくせのようなものだけだ。月に数回会って事務的な話をする。初めはそういう感情なんてまったくなかったのに、数ヶ月後にいきなり好きだ!!!と強烈に自覚した。
その人の怪訝そうな顔が気になって仕方なくなった。何かおかしな発言をしていないか気になりすぎて会話を録音するようになった。業務メールも十数回推敲したうえでいったん自分に送り、このメールを他人から受け取ったとしたらどう思うかとか、何か失礼がないかとかを病的なまでにチェックするようになってしまった。
その人は、勘違いかもしれないが、基本的には自分に対して人間として嫌いではないと思ってくれていると感じる。でも時々ひやりとした雰囲気になることがあって、きっとまたなにかやらかしているせいなのだ。
それで気付いたのは、周りの人間がどうこうというよりも、相手になにかしらの形で執着するとやらかしが加速するんだろうということだった。つまり個人的な問題なのだろう。
録音した音声を聞いてみても、きちんと丁寧な言葉を使えているし、失礼はない。ちょっとどもりがちではあるが、吃音症のレベルではない。
いったい何をやらかしているんだろう?
この世界は自分の知らない暗黙のルールみたいなもので満ちていて、みんなそれを知っているのに自分だけ身に付けることができなくて、やばい奴だと思われているのではないかと怖くなる。昔みた「トゥルーマン・ショー」という映画を思い出す。話の筋は全然ちがうが、周りの人は知っていて自分だけ知らないという状況は似ている。どんな悲惨なものだとしても、自分もやはりトゥルーマンのように真実を知りたいと思う。
なんらかのやらかしをしていた経験のある人がいたら、どうやったら自覚的になれたか、そしてどうやって改善したのか教えていただけませんか。本当に困っています。これ以上嫌われたらたぶん死んでしまう。
自分より優秀な人を育てるのは簡単だ。自分が必要だったものを教えれば後輩に必要なものはだいたい揃っているからだ。
自分より無能な人を育てるのは大変だ。自分にとっては当たり前のことから教えなければならないからだ。
研究室における独自の知識を伝えればそのうち自分よりうまく研究をしてくれるようになった。
自分も後輩も学部で習うようなことは説明しなくても当然の常識として扱っていたので知識の継承がごくごく限られていた。
会社のことを知らないのは当然だし仕方のないことだ。
しかし、使ったことがない機能を見るたびにマニュアルも見ず考え込んだりするようなのは勘弁してほしい。使い方がわからないならマニュアルを見ろと何度言っていても変わらない。
意味不明な文章の添削を頼まれても、まるで理解できないのでひたすら書き直してもらうしかない。文章のつじつまをあわせるなんてのは小中学校で習得することだと思っていたと愚痴ってもしょうがないが。
どうにか上手いやり方はないものかな
https://www.asahi.com/articles/ASM3652RWM36UDCB00Q.html
千葉県教育委員会は6日、男子中学生にキスなどをしたとして、担任だった県北西部にある市立中学校の女性教諭(44)を懲戒免職処分にし、発表した。当時校長だった男性教諭(61)も監督責任から減給1カ月(10分の1)の懲戒処分とした。同日付。
県教委によると、女性教諭は2017年12月15日~18年1月26日までに少なくとも7日程度、放課後などに同中学の校舎内のパソコン教室や教科準備室、休日には2人で出かけた東京ディズニーランドや葛西臨海公園(東京都江戸川区)で、当時担任だった男子中学生を抱きしめ、キスをした。
女性教諭は県教委に「互いに好きだった」と述べ「いけないことだと分かっていたが、気持ちを抑えられなかった」と認めているという。
中学から私立だった。うちの地域は公立中で集まる感じが主だったのもあり成人式には行かなかった。
自分は男で、晴れ着とか着る予定もなかったし、もともとあまり興味もなかったのでなんとも思わなかった。
夜になって小学校組の一部で飲んでるって連絡が来て途中から参加した。たぶんそいつらも私立行ったやつが大半な感じ。
どうでもいいが、ほとんど全員、会ったのは小学校卒業以来だった。イケメンキャラだったやつがモヤシみたいな暗くて弱そうな感じになってたり、毎朝席までおはようって挨拶に来てくれてた聡明な感じの女の子はハイレベルなギャルになっててビビった。
アンマーは沖縄の貧困シングルマザー問題を象徴なのかもしれない。
察するに母子家庭。
その仕事が終われば2件目の低賃金労働に向かうのかもしれない。
親の社会的弱者により親から与えられる有形無形の資産が少ない。
この歌詞を書いた人は音楽で成功しているらしいので少なくともお金には困っていないだろう。
が、この事例はかなり例外的と言わざるを得ないのが現実だろう。
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何もせずにただ毎日を
だらだらと過ごし続け
浴びる程に飲んだ私が
明け方眠りに落ちる頃
まだ薄暗い朝の街へ
母は出ていくのでした
http://uutann49.com/kariyusi58-anmaa
さらに深刻といえるのが、子どもの貧困だ。2016年4月、沖縄県は子どもの貧困率29.9%という衝撃の発表をした。全都道府県では6人に1人といわれた子どもの貧困は、沖縄は約2倍の数値であり、3人に1人が貧困状態で暮らしている。
新垣さんは母子家庭で育った。離婚と出来ちゃった婚が多い沖縄では、決して珍しくない母子家庭ともいえる。出身中学校では「母子家庭が半数を超えた年度もあった」という。
24歳女です。ネトストに使うのはFacebook、mixi、Twitter、Instagramです。
先ずはターゲットのフルネームが分からないHNのみのTwitterのアカウントから絞っていきます。鍵垢であっても、鍵垢ではないアカウントからのリプライはID検索で誰でも見えるので検索をかけて誕生日や地域を絞っていきます。稀にこの時点で「下の名前」とかも分かっちゃったりします。
ターゲットのフルネーム、又は苗字等が分かったところで次のステップに移ります。分からない場合はここで試合終了になります。
増田様たちのネトストライフ、お力になれず申し訳ございません。
地域を絞るのに苦労した方が多くいらっしゃるかと思いますが、古典的なIPを抜くといったようなリンクを踏ませるなどのハイリスクなやり方がしたくない方はSkype、discord、LINE等で音声通話が可能であれば仲良く通話をして親睦を深めつつ探っていきましょう。ターゲットの自宅付近の外で通話する機会を作ってフライトレーダー(https://www.flightradar24.com/60,15/6)で照らし合わせて行きましょう。
フルネームがわかる場合先ずはFacebookで平仮名、ローマ字、漢字で検索をかけて行きます。この時点で住んでいる都道府県くらいは分かっているとネトストしやすいです。田舎の方で〇〇郡とかに住んでいる場合は小学校や中学校が少なくて出身校の特定がスムーズに進むので、Facebookの時点でターゲットのページは掴めると思います。
次は親しい友達の特定です。同じ生まれの年で同じ出身校でmixiを始めます。すると20代より上の人間は大抵mixiをやっているのでターゲットが出てきます。紹介文から親しい友達から元恋人まで漁りましょう。あとはFacebook、mixi、Twitterで別のアカウントで周りから鍵垢の異性を中心にフォローしていき身辺調査のスタート(ネトストライフ)が始められます。
私は5年付き合っていた人のgmailにログインすることに成功し、閲覧履歴や再生履歴を漁っていたところバレて振られてしまったので今の彼氏では脱ネトストに専念しています。