はてなキーワード: ステイタスとは
フリーター女子18歳さんが、昼勤のパートさんから映画鬼滅の刃のDVDを借りて観たそうで、
「普通漫画ってあんな風にキャラが死んだりしないと思ってたからびっくりしました!」
と言っていた。そうなのか。私はHUNTER×HUNTERとDEATH NOTEを通過した古のオタクであるので、重要人物がポックリ死んじゃうのもよくある話だよねーと思ったけど、今時はそうなのか。
と、思ったが、更に少し会話を続けたところ、実はフリーター女子18歳さんは「漫画が読めない」ということが発覚した。漫画が読めない人……たまにいるけど、当人の属性によっては漫画を読めないことがむしろステイタスのようになっていて、いつまでも漫画を読むスキルを獲得しないでいるものだが、しかしほんの一歩、外の世界に踏み出してみると「漫画すら読めない馬鹿wwwwww」と嘲笑されるため、複雑な拗らせ方をしている場合がある。
「漫画が読めない、なるほど。コマ割りがね。どこから読んでいいのか分からないっていうね」
「そう、そうなんです! 学校が漫画読むの禁止だったから、漫画読んだことなくて。そしたら読み方わからなくなっちゃったんです」
「真面目か!」
いや、大抵の学校は漫画読むの禁止って言うけど、でも家庭までそんなルール律儀に守ってる奴いないって。という話じゃなくて、学校のルールを持ち出してまで、漫画を読む能力の欠如を彼女は正当化したいのであり、正当化したいと思うほどにこれまで小馬鹿にされて来つつ、それでいいと肯定してくれる仲間もたぶんいるのである。
なお、彼女のお姉さんは漫画を読める人らしく、鬼滅の単行本を全巻揃えたそうなのだが、妹に貸して読ませることをせず、一通り最後まで読んで売っ払ってしまったらしい。姉ちゃんケチだな。私の妹と同じタイプ。
私の実家ではきょうだいでそれぞれ同じ漫画を買ってはいけないというルールがあった。単に、ダブるからである。それぞれ別の漫画を買い、きょうだいで貸し借りし合えば、自分のお小遣い以上に多くの漫画が読めてお得だろ? という、「親の理論」な訳だが、そんなことが子供に通じる訳もなく、ジャイアンタイプのきょうだいから漫画を借りて読むことは出来ず、しかも自分の漫画は勝手にもって行かれるし、「この漫画は自分が買うからお前は買うな」と牽制される。
これは我が家だけでなく、友達の家庭でも同じようなルールがあり、きょうだい間競争に負けた子供が漫画から脱落するということが起きていたので、珍しいかもしれないけど希にあるのかもしれない。
そういうわけで、漫画読みの姉を持ったが故に漫画の読み方も知らない妹が生成された、というのがフリーター女子18歳さん家の家庭の事情なのかもしれない。
漫画の読み方が分からないのは嫌だが漫画は読んでみたい、だが漫画の読み方を覚えるのは嫌だというフリーター女子18歳さんにどうしたらいいですか? と聞かれたので、スマホで読める縦長の漫画読めと答えた。
私はオッカム先生と逆の立場で、おそらくこの論調では上流階級(自分から言う物でもありませんが…)の人間です。
大学に入り、オッカム先生のような地方から上京した人とお会いしました。
今までわたしの周りにいなかった方で、現在も友人としてお付き合いがあります。友人は元々才能があったのだと思いますが試験の成績もよく、教授ともよく交流されていました。
現在は大学ではないのですが、とある組織のエリート集団と言われるほどに出世されています。大学は奨学金を使用しており、おそらくご実家は困窮していたと思いますが、現在はそれこそセレブと言われる人でしょう。
私はそもそも親類はほとんど東大か早慶、医学部しかいない環境で育ちました。その親類からは、優秀であって当然だというプレッシャーも強く、円形脱毛症にもなりながら、ほとんど血反吐を吐くように勉強してきたのです。
もちろん、夫を決めるときにも同じような学歴やステイタスが求められました。結局お見合い結婚ですが、現在は専業主婦としてそれなりに生活できているかと思います。
しかし、オッカム先生のように、自分のために勉学を追求できる環境であること、周りからの無駄なプレッシャーがないこと、また子供たちの進学先等に無駄に口を挟まれることがなく仕事に集中できる環境にいられた友人については当初そんな人もいるものか!も驚愕しましたし、今もなお羨ましいと思います。
自分の希望どおりの分野をのびのびと勉強し、それを一生続けられる自由な環境から、オッカム先生のような博学な研究者が生まれたのでしょう。
人間に勝ち負けなんてないのです。勝てないなんておっしゃらないでください。
オッカム先生はもともと、北海道の裕福でない家庭で生まれ育った自分の境遇と、階級格差・地域格差への怨嗟をたびたびつぶやかれていました。たとえばこれとか。オッカム先生にとっては、その境遇から脱出するための唯一のキャリアパスが、大学の研究職になることだったということで、「うちには資産がなく告げる(sic)仕事もなく、もう大学組織に雇われるしかない。それで業績や大学の規模やステイタスに拘りました」とか、「私はガリガリ亡者のように(大学教員)職を求めていました」みたいな話はよく書かれてました。今回消されたツイートの中にも「大学に職を得られないなら死ぬつもりでした」というのがありました。地元dis・ご実家disについてはやや自虐芸が過ぎるようにも思ってましたが、それは個人的境遇についての説明とモチベーションにつながる話でもありますし、自分もこういう文化資本を含めた階級格差・地域格差がアカデミアでのキャリア形成に及ぼす影響(再生産)というのは、充分考察・検討に値する問題だと思っています。
そういった背景のうえでの、件の炎上について。オッカム先生は、国際会議の同時通訳をやれるほどの能力を持ちながら、研究もしていなければ常勤でもない既婚の女性達を見て、
北大助手時代に「東京は恐ろしい所だ」と思ったことが一度だけあります。国際会議のロジやっていた時、同時通訳を派遣してもらいました。最初は研究者なんだから通訳くらいできるだろうと思ってたのですが通訳は甘いものではなくまるでうまくいかなかったのです。まして同時通訳など訓練なしには無理。
アカデミアの国際会議でしたから専門用語だらけですが、事前に資料渡しておいたら、それはそれは見事な同時通訳がなされました。通訳者はすべて女性だったのですが、これが皆さん、専業主婦だったのです。東大やICUを卒業した専業主婦です。セレブバイトだったのです。
東大やICUや東外大(ICUや東外大は大学院を駒場で修了してたりする人もいました)出身者が専業主婦やってるのです。ジェンダーの問題は本件ではちょっとおいておきます。とにかく北北海道の辺境出身の私にはあまりにもイカツイ学歴の持ち主が専業主婦やって、セレブバイトしている。衝撃と畏怖でした。
繰り返しますが、ジェンダーの問題は専門外なのでおいておきます。彼女らは比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかしキャリアをガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那のパートナーとして読書し語学を磨き子育てしている。雲の上より私には高かったです。
あり得ないのです。あり得ない世界だったのです私には。研究者としては、彼女らの旦那(が研究者だった場合)を凌ぐことができるかもしれない。しかしあの高学歴と語学力でキャリア志向のない妻を迎えることは想像もできなかった。つまり僕は絶対に勝てない。一体どんな世界なんだと背筋が凍りました。
という感想を抱かれました。当時その体験から受けた階級格差・地域格差の衝撃、圧倒的な語学力を持ちながら自分が切望する大学研究職というキャリアパスには興味を持たずに暮らしている(暮らせる)方々が存在することの衝撃をそのまま言葉にした結果、一連のツイートには、当時のオッカム先生がお持ちだったジェンダー観も交錯した形になり、そこが批判の対象になりました。
この「格差の衝撃」が、最終的に「自分と彼女達の旦那との勝負」(同時通訳者達の配偶者男性のことは、それまで話題に一度も登場していないし、そもそも研究職かどうかもわかりません)になり、しかもその彼らに自分は「絶対に勝てない」と勝手に敗北感を抱いてしまう…というくだりについては、多くの方が「もしかしてオッカム先生は、『男性の価値は、配偶者の属性や能力や、その配偶者を専業主婦として養えるかどうかによって決まる』という価値観をお持ちなのではないか?」という風に読まれたようです(自分も、素直に読んだらこの文章の意味はそうなってしまうように感じます)。そこで「トロフィー・ワイフ」という言葉を出して批判する方々も出てきましたが、オッカム先生は、この言葉を使ってオッカム先生を批判する方々に対して「女性はモノじゃないでしょう」「私、思いつきもしませんでした」と非常に憤られています。
もうさ、「トロフィー・ワイフ」という言葉がふっと思いついた人が2桁いるんですよ、確認した範囲で。どんな人生送ってきたんだと思うし、女性はモノじゃないでしょう。私、思いつきもしませんでした。
そして、「思いつきもしなかった」理由として、
思いつきもしない理由を考えてみました。
あともう一つ、アメリカ研究では、人種とジェンダー研究が盛んです。だから、「男女差別が具体的にどう現れるか」の研究を死ぬほど聞きます。だから「ジェンダーのことは置く」としたのは、自分のような政治史はジェンダー研究者から見たら子供レベルだからです。でも他分野の人よりは知ってます。
と言っています。オッカム先生は、ご自分が「自分が性別で他者を差別しない」方だと考えられています。なぜならアメリカン・スタディーズは半分以上女性の、実力の世界だし、「男女差別が具体的にどう現れるか」の研究を死ぬほど聞いているからです。これに説得力を感じるかどうかは読者の皆さんによって異なると思いますが、自分はちょっと、皆さんから指摘されていることの肝心な部分が伝わっていないのかな、と思いました。
もうひとつ、同時通訳という仕事について。同時通訳というのは、通訳・翻訳界のひとつの頂点で、その中でも国際会議などの同時通訳案件を請けられるのは本当のトップクラスの人材です。同時通訳というのは、どこに専門性があるかが誤解されがちな仕事で、語学力があればできる仕事…たとえば「米国からの帰国子女で、英語・日本語どっちも十分な語学力があれば、同時通訳ができる」という風に思われる方も多いようですが、実はそうではないのです。
英語を話される方なら「英語脳と日本語脳を切り替える」みたいなイメージは割と湧きやすいと思いますが、同時通訳というのはいちいち脳を切り替えてはダメで、「2つの言語モードを、脳のなかで同時並行で走らせる」という特殊な訓練が必要です。これは2言語ネイティブであってもなくても、練習なしには極めて難しいことです。
自分は同時通訳なんてとてもできませんが、一時期フリーランスの書籍翻訳をしていました。翻訳業界では「米語ネイティブで日本語も達者な人なのに、英日翻訳をやってもらったら商用出版に耐えないクオリティだった」ということをよく耳にします。頭が英語のモードのまま日本語に翻訳をすると「単語を日本語に置き換えた英語」になりがちで、日本語ネイティブが読んだときに不自然だったり意味が通らなかったりすることが多いのです。だから頭を日本語のモードに変えて、自分は英語原文を知らないというつもりで読み直して、それでも意味が通るかどうかを検証しています。
同時通訳者というのは、これをリアルタイムでやる仕事です。頭をフル回転させて、耳から入力された言語Aの内容に意識を研ぎ澄ませつつ、語り手の立場、聴き手の立場、その場の文脈などを加味して、最も適切な言語Bでの表現を選び出して、言葉として淀みなく紡ぎ続けるわけです(個人的には、同時通訳者さんの脳内では将棋や囲碁などの知的ゲームのトッププロ並の情報処理が行われていると思っています。「アスリートに近い」という人もいます)。想像していただければわかると思いますが、同時通訳は脳にかかる負荷がものすごいので、長時間はできません。国際会議などのように尺が長い場合は、複数の同時通訳者をアサインして、15分交代でやります。休憩中はしっかり糖分を取る人も多いようです。業界トップクラスの年収数千万円レベルの方々でも、持ち時間の終盤にさしかかってくると、徐々に言葉が途切れたり、不本意な倒置などが増えたりしてくることがあります。それほどハードな高度技術職なのです。日本トップクラスのフリーランス同時通訳者の田中慶子さんのお話( 日本トップクラスの同時通訳者が明かす、英語で困ったときの切り抜け方 - ログミーBiz)など読むと、その内実が伝わりやすいかもしれません(ちなみに田中さんは帰国子女ではなく、高校まで愛知で育った方です)。
また、担当分野に関する深い知識も当日までに身に付けなければいけません。通訳業界ではしばしば「その場にいる人の中では、通訳が一番話題に疎い人物」みたいな言われ方をします。商談でも政治交渉でも学術会議でも、母語は違っても同じテーマについて語りたい人達が集まって話す場なので、通訳以外の参加者達はテーマ自体については深く理解しているのです。その2者の橋渡しをするのがその場で一番アウェイな通訳だと考えれば、どれほどの事前準備が必要か、というのは想像に難くないと思います。
こうした仕事の性質上、企業の常勤正社員で、毎日同時通訳ばかりしている方はあまりいないと思います。契約社員などでの社内通訳というポジションもあるにはありますが、数は多くなく、そういう方々の中にも将来的なキャリア形成として、より高収入で仕事も選びやすいフリーランス通訳者を目指す方は多いようです。オッカム先生がおっしゃられている状況を考えると、会議にいらしたのは、おそらく首都圏でサイマル・インターナショナルなどにエージェント登録されているクラスA以上のフリーランス通訳者だと思います。おそらく全員が、事前に当該分野・当該テーマについての予習をみっちりして、前日に首都圏から北海道に飛行機で前乗り込みして、複数人の体制でブースに入って、アカデミックな話題について原稿なしの同時通訳をやられたのではないかと思います。トータルの拘束時間は3日ぐらいかかっているのではないでしょうか。そういうプロフェッショナルの同時通訳者の方々が、その時はみなさん既婚の女性だった、という状況なわけですが、自分はこれを「キャリアに興味がない専業主婦のセレブバイト」と呼ぶのは無理があるし、そう言いたくもないなあと思います。この表現には「有閑階級で時間がある主婦だからこそできる、暇つぶしの趣味的な仕事」というニュアンスがどうしても漂いますが、仕事の実態はとてもそんな風に軽々しく言えるものではないし、だからこその高給でもありますし、将来につながる立派なキャリア職でもあるからです。
炎上ツイートの冒頭を読むと、同時通訳が「訓練なしには無理」のハードな仕事だということはオッカム先生も認識されていたようなのですが、そういう高度技術職に携わっている既婚女性達が、〈既婚〉で〈女性〉という手がかりだけから「比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかしキャリアをガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那のパートナーとして読書し語学を磨き子育てしている」と推定して、「専業主婦のセレブバイト」という評価に到ったのは、当時のオッカム先生が同時通訳という業態についてそれほどお詳しくなかったこと、お話をされた同時通訳の方がご自分のステータスについて「専業主婦」と仰ったこと(どういう質問に対してこの答が出てきたのか、答えられた方がどういう思いでこの言葉を選んだのかはわかりませんが)、男女の性別役割に関して当時お持ちだった先入観が絡まり合っていたこと、の3つによるのではないか、と感じます。
過去の物の見え方は物の見え方として、問題なのは、帝京大学教授として後進指導にあたる立場になられたオッカム先生が、当時ご自分がお持ちになられたそうした印象をどう考えられているか…なのですが、今日までのつぶやきを拝見すると「当時の自分の物の見方には、今からしたら偏っていた部分もある」といった形でそれを相対化する振り返りは自分の見た限りではあまりなく、むしろ一部の批判に対しては訴訟をする決意を固められているようです。自分は正直、事態があまり好ましくない方向に向かっていると感じています。
37歳 男、都内在住。
年収は700万円位。この前のボーナスは額面で約90万円出た。
所属している会社は、部署ごとに激しく赤字と黒字を出しているので
会社全体はトントンorチョット黒で今年度は着地しそうと部長。
「会社はまだ大丈夫。うち(の部署)はド赤で(今年度の売上)締めたいから、できれば来期に納品できるように調整して」
と、部長からありがたいお言葉を頂いたので、テレワークをしながらのんびり来期に向けた仕事をしている。
皆少し寂しいのか「ゲンキ~?」と学生時代かのような挨拶をし、会議が始まる5分前に入ってきて雑談する。
そこで近況や最近お取り寄せで美味しかっただの、子供に対する愚痴などを話しながら、全員揃ったタイミングで会議スタート。
終わりは「じゃあ他に何かある人いる?いないみたいだから終わりにします。お疲れさまでした。」 「「「お疲れ様です」」」
スッパリ終わる。
会議終了即資料送付&議事録作成・報告&チームmtgができて無駄がない。
残業が激減した。
同じくテレワークをしている妻と18時頃に「今日は何たべよっか~」と話し、スーパーに買い物に行く。
近くにスーパーが3件、酒屋さんもあるので、ワイン選びで困ることがない。
夫婦でお酒が好きなので、今まで買わなかった3000円オーバーのワインを選ぶことも多くなった。
お刺身に合うかと白ワインを買って、「この前買ったやつの方がお刺身には合ったね」
「これだったら牛のタタキの方があうかもね」と感想を言い合う。
生活が変わった。
仕事終わりでまっすぐ家に帰ってきたことはほぼ無かった。24時は超えていた。
僕と同じくらい稼いでいるので、平日外食が週2回はあった。
外食すると二人で1万円。
二人そろって休日が取れればお出かけ。
それぞれ2千、2千、1万。。。
エンゲル係数が高かった。
だが家でゆったり食べるのも悪くない。
仕事がなくなったり、大変な方を拝見するに、その心慮りたい。
ただただ環境が変わった。
自分にできることは、外食せず、サウナに行かず、休日も家にいよう。
両親・義両親にも合わず、連絡を取り合う。
それくらいだ。
最初は退屈していたが、そのうち慣れた。
わかってはいたが、外食・夏休み旅行がいかに大きな支出だったか。
東京のど真ん中で力一杯働いて、力一杯に楽しむことが最上だった。
消費をステイタスと思っていた部分もあるだろう。
だが意外と日常をゆったりと過ごせるということが分かった。
あう辞めるって言ってる人たちって、そもそもどうしてあうと契約したんだろ?
あうだけじゃなく、ドコモあうソフバンユーザーの人ってどうしてその三社にいるの?
何がよくてその三社で契約しようと思ったの?
その三社がかっこいいと思ったからでしょ?
CM見てすごいなーとか思ったり
そういう「僕は大手キャリアと契約してるんだぞ」って言えるステイタスを感じるために三社を選んだんでしょ?
それなのに今の君の姿はどう?
※が多いとか価格が高いとかそんなことゆってる君の姿を若いころの自分に見せられるの?
アハモに行くもん!AUやめるもん!ってゆってる人たちには三社のお客になるんだと財布を握りしめてキャリアショップの自動ドアを開けた時の自分を思い出して目を覚ましてほしいですね
趣味は赤字であるべきというひとって、オールドタイプなんだよな。
それ古い。
今の時代、趣味が高じて金儲けにつながるケースは枚挙にいとまがない。
youtuber、同人作家、イラスト描き、なろう作家、日曜漫画家、動画作成、ゲームクリエイター、趣味が高じて金儲けをやることが何らおかしくない時代に突入している。
二次創作だってそうである。趣味はカネを使うことが当然、赤字であるべきという考えは「道楽」であり、今の時代、そんな巨額の道楽をできる趣味人がどれだけいるんだろうか?
そんな、「年間100万円カメラに使いました」とか、そういう趣味ができる人間はなかなかいない。
だから、赤字を少しでも圧縮する方向に進んだし、時代は「金もうけできる趣味」が増えている。
今の時代、You Tubeを見れば、趣味でカネを稼いでいる人なんて沢山いる。
写真にしても、写真加工のスキルを利用して副業に生かしている人も沢山いるのだ。
旅行を記事にして、広告収入を集めてる人間はそれこそ大勢いる。
元増田の、趣味は赤字がデフォルト。赤字こそ自然で、黒字を出そうとするのは趣味ではないという認識は、30年前のバブル期のものだ。
しかし、10年前にしても、ゲーム趣味の人間が、そのゲームをブログの感想をかいて広告収入を得ていることだって珍しくはなかった。
現在、趣味は「赤字垂れ流しこそ格好いい」という時代ではない。
むしろ「赤字をいくら圧縮したか?」とか「趣味が金儲けできるまで高じた」ということがステイタスになる時代ですらある。
それは趣味ではなく仕事だというが、この二つを切り分けて語ろうとすること自体がもうすでに時代に適合していない。
だって、もうその二つは切り分けられないほどに領域が曖昧であり、趣味で金儲けすることが可能な時代に突入しているからだ。
こういうふうに趣味は赤字なのが当然というほど、沢山の給料をもらってる人もいないから、赤字垂れ流しで趣味を続けること自体がもう難しいのだ。
むしろ、趣味の収支を安定させて金を儲けること、きちんと趣味を継続させることこそが現代的な趣味の形だとも言える。
中央区と千代田区と港区に住んでる同僚や友達、知人とか20組くらい思い返してみたけど誰も車持ってない。借りる。
多分世帯年収は4000万〜1500万くらい。代わりに別荘とか持ってて借りた車で行く。車に価値を求めるのはだいぶ田舎っぽい気がする。
もちろん子供がいる人が8割方でランドセル買うか買わないか位の年齢だけど不要。思い出の車は借りものでいいんだよ。普段は駅まで歩いているんだし。
世帯年収高いと車保有率が高いみたいなのあったけど、世帯年収高いのって大体バブルより上の世代でしょ。
大体じーさまばーさまの世代は車があるのがステイタスだったりするし、海外に移動とかあんまり考えなくてもいい世代だから欲しいんじゃないの。
アラサーに足を踏み入れようとしていた数年前のこと、元友達であるマウンティング女を含めた小学校時代の同級生たちとよく遊んでいた。
当時の元友達は、仕事は契約社員でそこそこに頑張るに留めて実家で何不自由なく暮らし、プライベートでは旅行に行きまくり彼氏とも同棲目前の関係で、公私ともに順調そのものだった。
こちらとしては特にやっかむ気持ちもなく自然に接していたのだが、会話の中でどうも引っかかるようなことを言われることが次第に増えていった。
彼女はいつも私と二人きりになると、一緒に集まっていたプライベートが上手くいっていない同級生たちのことをこき下ろすような口ぶりになった。
例えば、婚活を頑張っているが結果が振るわない子や彼氏と不仲に陥っている子を指して、「あの子たちと私ではステージが違うからねw」と言ったり。
きっと当時の元友達は、彼氏から結婚を視野に入れた同棲話を持ちかけられていたことが余程嬉しかったのだと思う。
ちなみに彼女が小馬鹿にするようなニュアンスでそう話していた聞き手である当時の私には彼氏さえいなかった(笑)
私が猫を飼えば「またしばらくは彼氏できないねw」と笑い、ちょっとした身だしなみの抜けを目ざとく見つけると「そんなんじゃ彼氏できた時困るよ~」などなど、今思えば私自身ずいぶん彼女にマウント張られてたんだなあと思うようなことを言われてきた。
他にも実家の貧富の差や、学歴、容姿、スタイル、友達の数等々いろんなことでチクチク言われた。
他人にマウントを取るだけならまだしも、元友達は自己肯定感が異様に強く、いつも自信満々で且つ他人の批判を絶対に受け入れない女だった。
職場にTPOを考えない派手な格好で行って指摘されれば「きれいな子が華やかな恰好しているのが気に食わないんだと思う」と言ったり、カフェで大声で喋っていて注意されると「若い子の声は響くからねってお母さんも言ってた」と言ったり、自分の話ばかりで人の話を聞かないことを女友達に面と向かって指摘されると「あの子は私が男の子と遊んで楽しそうにしてるのが気に食わないんだと思う」などと、何の臆面もなく言うのだ。
あまりにもサラッと言われたので当時は聞き流していたが、今書いていて改めてすげーなと思う。
とにかく何でも「自分に対する批判=自分への嫉妬」と捉える女だった。
さらには、元友達の行動の動機のほとんどは損得勘定によるものだった。
友達が多いことがステイタスなので無節操に交友関係を広げるが、いざ結婚式等の冠婚葬祭に招かれると掌を返して厳しい取捨選択をする。
なんでも「私は友達が多いから自分の式の時に呼んでもいいと思える子の式にしか参列しない」らしい。
とかくお祝事に関してはシビアで、自分に戻ってくるアテが無い限り友人たちに何かしてあげるのは嫌なのだそうだ(アラサーのくせいに誕生日プレゼントを500円以内で済ませようとしたこともあったな)。
近しい友人たちのうち、彼女に結婚式の出席を断られた子が私の知る限りで3人いるが、そのいずれにもご祝儀だけでも渡すかお祝いのプレゼントだけでもするといったようなアフターフォローさえしないばかりか、出欠の返事をすっぽかす非礼ぶりだった。
特にここ1~2年の彼女のこうした行動は、もう自棄になっているんじゃないかと思うくらいひどかった。
そうして、当然私に彼氏ができた時も結婚する時も大した感慨もなさそうな反応だった。
ちょうど別の子の妊娠報告と重なったので、ひとまとめにして「おめでとー!」の一言のみで済ませ、その後集まってお祝いしようという話の流れには「私は最近海外旅行から戻ったばかりで金欠だからパス!」とのこと(笑)
散々周囲の共通の友人たちに対する失礼な態度を見せつけられてきたので別に傷つかなかったけど、もし彼女がこの先もこういうスタンスを改める気がないのなら、きっと苦労することになるだろうなとふと思った。
そもそも、自信満々のわりに顔はいとうあさこの若い頃を小奇麗にした感じなので特段美人ではないし、スタイルも抜群じゃないし、料理もできないし、仕事も非正規雇用だし、第一性格が悪い。
だからこそそれなりにちやほやされる時代にさっさと結婚すれば良かったのに、同棲までした彼氏には散々わがまま言って振り回した挙句、たった数か月で浮気されてフラれて実家に出戻ってきてしまった。
その後できた彼氏もイケメンで女の扱いは上手いが婚歴がない(結婚願望はある)アラフォー経営者という怪しい男で、遠距離恋愛をしていたがなかなか連絡が取れなかったり向こうのタイミングで急に会いに来たり旅費自腹で会いに行かされたりなどしていて、結局数か月間都合の良い女扱いをされただけでフラれていた。
このあたりでもうヤバいことに気づけば良いものの、彼女はまだまだ自分はイケてると思っているようで、今もインスタにバンバン遊び呆けている写真をアップする日々を送っているようだ(最近では飼い犬とキメ顔で映っているステイホーム写真にすり替わったらしい)。
とはいえ今年30歳。
周りの友達はどんどん結婚したりキャリアを積んだり、そうでなくても年相応に充実して地に足着けた生活を送っている子がほとんどなのにもかかわらず、彼女の過ごし方は大学生や新卒そこそこの若い頃と何一つ変わらない。
実家で家族とぬくぬく暮らし、家事もせず、仕事もお小遣い稼ぎ程度だろう。
今年の正月に夫と一緒に帰省した時に、地元で元友達とその家族が一緒に歩いているところに出くわした。
その時の彼女のひきつった笑顔と、さっさと立ち去りたそうにしていた様子は忘れない。
傷つきはしないが、彼女を特別敵視したつもりも嫌われるようなことをした記憶もない自分が何故こんな態度を取られるのかよくわからなかった。
彼女にとっては、いつからか私との友情は私を下に見ることができる状況でのみ成立するものになっていたのだろうか。
結婚報告した時の元友達の態度で「もうここで関係は終わりだな(向こうもそうしたいと思ってるんだな)」と思っていたので、その場は適当に挨拶だけして別れた。その後、一切連絡も取っていない。
彼女のような成長のない人間は、今後どんなふうに歳を取っていくんだろう。
自分の生き生きした若さに多大なる自信があって、それだけを頼りに生きてきた人は、この先の人生をどうシフトしていくんだろう。
特定の相手と深い関係を結ぶのも難しい質だろうし、許される限りずっと実家で子供の頃と同じように過ごすんだろうか。
余計なお世話だとも思うけど、正月に地元ですれ違った時、バリバリにオシャレしてお父さんお母さんと歩いている元友達を見て「この子の時間は止まってるんだな」と思ったのだ。
あくまで今までの彼女の生き方の総括を見た結果の感想であって、別に30過ぎて実家の両親と過ごすことが悪いと思ってるわけではない。
ただ、私は夫と一緒に帰省して、実家の両親に挨拶して義両親の家にも行って色々と気苦労も多かったけど、目先の楽しいことばかり消費して何も成長せず時間が止まっている彼女よりはずっと良いと思った。
知り合いが顔出しアイコンでやってるTwitterで甘酸っぱい恋愛Tweetをしていた。
元金持ちマダムでいまも悠々自適でバツイチで十代の子供がいる。
タイムラインは高価な買い物や旅行の話が一割、あとは恋愛アカウントの名言やら引き寄せやらソウルメイトやらで埋まっている。
惚れるのは仕方がない。いくつになっても恋愛はままならない。
でもいかにも脈がなさそうな十も二十も歳が離れた年下から惚れられていると言い張るいい年をした大人を見るといたたまれない気持ちになる。
あれ、なんでなん?
「どう考えても無理目な恋愛やのに本気になってもうた…」と頭抱えるのが筋じゃないん??
彼女の解釈によると相手は未熟さとか内気さとか何らかの養育的背景により、自分の本心に素直になれないらしい。
それでもう一年以上LINEの返信がないし、電話は留守電だし、会うのももちろん無理。
それで数日おばはんは浮かれていた。フォロワーからも祝福のリプライが届いていた。
跡が残るところを覗きに来るとは熱い想いを抑えきれない証拠という解釈である。
一年無視してきた相手のSNSをのぞくって怖いもの見たさ以外思い浮かばないんだが、このポジティブさはどこから???
こういうアラフィフおばはんをこれまで何人か見てきたんだが、見かけるととてもいたたまれない気分になる。
言い張っているのがおっさんのときは「アホか!キモいわ」と呆れ、軽蔑するがそれ以上悩むことはない。
おっさんは図々しく行動化して相手に接触しようとするから目につきやすく、批判も浴びやすい。
しかしおばはんの場合は相手からの誘いを待つので、はっきり断られたり周囲から批判されたり、現実をつきつけられたりすることが少ないようだ。
「素直になれない彼」「本心を隠す彼」を待っている系おばはんのステイタスは様々。
バツイチ子あり、既婚子なし、未婚といろいろいた。
しかしひとりも、ただのひとりも、外見的にイケてる女子はいなかった。
若いときにモテたとか、同世代から引く手あまたとかもなさそう。
それなのになぜか一回り前後年下の男から惚れられていると思いこむってどういうこと??
内心がどうあれ現実は片思いなわけだから惚れられない自分を顧みれば謙虚になっていいはずなんだが
「なぜはっきり告白したり交際を迫ったりしてこないのか」と自分の受け身な態度は棚に上げて相手の優柔不断さ(!)にイラついていることが多い。
「彼の本心をはっきりさせるには?」って避けられていて相手に彼女がいる時点ではっきりしとるやろ!
しかし自分の悩みはこういう思春期回帰型の女性が存在することではなく、こういう女性を見るとものすごくいたたまれない気分になることだ。
思春期回帰型おっさんも数多く目にしてきたが「キモい。以上、終わり」である。
恋されたい。
付き合いたくないけど恋されたい。
どうしようもない欲。
この欲、仮に叶えたところでその先がない。
その先の「付き合う」というプロセスは怖すぎて恥ずかしすぎて無理だし、逃げたくなるんだ。
恋されるところまでは気分よくなれる娯楽だけど、
その先、自分が真剣に相手と関わっていくとなると、できなくて、
お高く止まっているうちに相手も離れていくんだなぁ。
というかそんなに良いものでも多分ないし、すべきことでもないんだわ。
私が綺麗売りして幻想持たれて好かれるところまでやりたいのと、
正直な自分の姿を晒して人とリアルに付き合っていくということは多分別のことなんだ。
でもそうやって何を得られるというのか?
ただ悶々と私のこと好きでいて欲しいし、
私はそうなったことを実感するだけして逃げたい。
そうなったら多分私の執着も消えるんだろうな。
急にその人に興味がなくなる。
そしたらもう会わなくてもいいし、その人が別の誰かと付き合おうがもはやどうでもいい。
なんて無駄な執着なんだろう。
ちやほやされたいし、ステイタスで勝ちたい。