はてなキーワード: ステイタスとは
どんな思想や趣味の集団(グループ)でも、その「思想や趣味」が社会的に一定のステイタスが
築かれた後で、「後から加入して来たフォロワー」には確率的に「まじめクズ」が、まぎれ込みやすい。
「とりあえずどこでもいいから大企業に入りたい」と同じ心性。目的を持たない軽度のサイコパス。
「まじめクズ」は、普段はおとなしい「孤独相」のバッタが特定環境下で突如「群生相」に相変異して
周囲を食べ尽くす『蝗害(こうがい)』のように、匿名環境と特定の炎上案件が交差すると【まじめクズ憲兵隊】と化す。
【まじめクズ憲兵隊】の隊員は、信仰心・忠誠心の深さを自身や周囲の他人に証明するために
過激でイキった「信者行動」をとりやすい。「所属集団の中で存在感を高める」出世=承認欲求だけが生きがいだから。
俗諺(ぞくげん)に『3代目が会社を潰す』という言葉があるが、あれと同じ効果を
えー、悩み相談というのはそれを相談という形で他者に解るように言語化してしまう過程で、すでにその悩みの解法が一目瞭然誰の目にも明らかになってしまうということがまま起こるものでして。
それを他者から見ると「この人はなぜこのように自明なことで悩んでいるんだ?」などと不思議に思われてしまうものですが、一人で悩んでいる間はそにれ気づかないものなんですよね。
で、この場合もまさにそのケースで、きっともう御本人的にも悩みの答えというものはほぼ言わずもがなな状態だろうとは思いますが、一応ご相談へのお答えというものをここに返してみようと思います。
先ず、ご相談の元増田様がなぜ恋人を作らなければならぬと思っておられるのかという点についてですが、これは一読すれば誰もが解るように、
「自分が恋愛というものから落伍しているという烙印を押されることへの不満、あるいはすでに貼り付けられたレッテルを払拭したいという願望」ということに尽きるでしょう。
世間体とかプライドとか言われるものでしょうか、切実な悩みですね。
発端がそのようなものですので、元増田様が交際相手への条件として"自分と同程度の社会的地位及び容姿"を求めるのは、これもまた自然な話だと思います。
世間の目からも己の内的な目からも落伍者の誹りを受けないためには、一定程度の市場価値のある相手でないと困ります。
で、ここからが難しいのですが。元増田様が求めているのはそのような"ステイタス"であるにもかかわらず、ここにさらなる付帯条件がついてきます。
それは「ちゃんとした恋愛らしい恋愛がしたい」ということです。元増田様の表現によるなら「ちゃんとゆっくりお互い中身を知り合ってからちゃんと付き合える」ということになります。
なんということでしょう、元増田様が欲しているのは飽くまで"交際という実績"であるのに、そこに"形式的でない本当の恋愛"という矛盾した制限がかかっているのです。
解ります、
「恋愛のために恋愛するのではなく、真の恋愛(って何?)を演じることが出来るのだということを証明しなければ恋愛出来ないという誹りを免れ得ないのだ」
と考えておられるのは。
しかし、ここで「己のプライドの問題を解決する」という動機と「他人とお互いの中身を知り合ってちゃんと付き合う」という手段は決定的にすれ違っています。
だって元増田様は別に他人の中身になんて興味ありませんし、ここまで詳らかにしてきた貴方の中身を他人に知ってもらうつもりもありはしないのでしょう?
少なくとも貴方がおかきになったこれまでとこれからの中に、他者の中身に対する期待や不安、己の内面を受け入れて欲しいという渇望、のようなものが読み取れる箇所は一箇所としてありません。
持って回った物言いになってしまったので話をまとめると、元増田様は今の所他者を渇望する内的な動機はないが、ちゃんと恋愛出来るのだという証明はしたい。という現状にあります。
そのような中途半端な義務感で恋愛に取り掛かろうとするから良くないのだというのが答えになろうと思います。
学生時代の勉強のことを思い出してください。「なぜ勉強しなければならないのかは正直わからないが、やらないといけないものらしい」というように強制的にやらされるだけだと、
能率は上がりません。これが中途半端な義務感と私が言うところの状態です。
まあ勉強だったら別に能率が上がらないだけで、それでも出来るとは思うのですが、これが恋愛になると相手がいるものです。中途半端な義務感で相手を愛そうとしても、
相手から返ってくるのはやっぱり中途半端な義務感だけ、ということになりますでしょう? それは本意ではないはず。
で結局どうすればいいのかということですが、どうでしょう、ひとつ恋愛というものに対する興味をすっぱり忘れ去ってください。
そうした上で「そういえばかつて私を苦しめたあの恋愛というものは一体何だったんだ?」と、改めて興味を持ってください。
この時貴方にはかつての貴方にはなかった"批評性"というものが備わっています。そしてこの興味の持ち方ならば、
あなたの恋愛に対する興味は誰かに押し付けられたものではありませんから義務感もなく、"自分"と"恋愛"の間に適切な距離感を保ちながら取り組むことが出来るはずです。
とまあ、この処方箋部分はご参考程度に、その前段までの矛盾点の解説で大凡貴方がなぜ"恋愛"に苦しめられているのか、というのはお解りになるはずで、
その解決については自分なりに好きな方法をとってください。良い恋愛が貴方に訪れることをお祈りいたしております。
余談ですが、私はよく人生相談に乗ると相手のことをバカにしていると誤解されることが多いのですが、そのような気持ちは一切ないとここに弁明させていださきます。さようなら。
10年前に心斎橋の婚活パーティで時給815円で司会してたことを思い出すわ−。もっと、悲惨なのは、パーティ開始早々で起きる。たぶん、初めてではない女子の参加。一回はカップルになるとか、いい人見つけたんだと思う。そんな女子の二人組のうちの一人は会場内の男性の顔見た瞬間に、顔が青ざめて。もう一人の子がどうしたの?って顔してた。(常連ばっかでさ。男の方は、ステイタスだったんだけどね。女子の参加料は1500円とかだったよ。男子3000円ぐらいだったかなー。)
どうして、そういう表情になるかなって顔してた。そして、退散されてしまった。
受付で身分証の提示と参加料の支払いを済ませてから会場の内に入れるシステムだった。だから、彼女たちはお金を払ったにも関わらず、出ていったことになる。
どういうことか、カンのいい人って気がつくかもしれない。
たぶんさー、一度交際した相手がいたんじゃないのかなって思う訳よ。訳ありで、別れたかな。。一日2回ぐらいパーティ開催して、2回とも参加する男の人がごろごろいたしなー。いやー、大変大変。あのねー、変なリピーターがいてねー、出会い産業って、ちょっと、色々あるのよー。
婚活パーティーの経費と言うと、基本的に参加者を募るための広告費が大半だった。当時は、フリーペーパーに掲載されているのがメインで今のようにネット広告は、まだまだ、下火の時代だった。また、会場はビジネスホテルの会議室の中で、ロの字型に並べる形だ。
本格的な司会者の人(芸人さんとか、結婚式の司会とか出来る位のレベル)もいるんだろうけど。この時のバイト先は普通の素人がやってたよ。
もちろん、真面目に素敵な人との出会いがあって人生のパートナーを見つける人も数多くいるんだろうけれど、一部、そういう事例もあったなーと。
友達に、アイドルみたいに小顔で可愛くてお洒落ですごく気が利いて話もいつも面白いけどガチヲタでBLを楽しみすぎてるあまり恋愛にも結婚にも興味なくて異性のアプローチも全部断る生活を10年以上続けてる子がいる。
一方、身内のママ友に、オウムの麻原が女体化したみたいな外見で肥満アンド不潔コンボでいつも会話の空気を読めず周りに迷惑かけてるドゥフフ笑いの子持ちがいる。夫の勤め先がそこそこ名が知れている会社であることと、既婚であることがステイタスらしい。
オタクをやめようと思いはじめてきている。
というのも、洋服や化粧、オシャレに対して興味を持ち、色んな事が楽しいと思い始めたら、オタクに対して疑問を持ってしまったから。
アニメとかゲーム、漫画のオタクで、前はキャラをイメージしたアクセサリーを可愛い、普通に使えると思っていたけれど今になっては少し恥しさが残る。
グッズのキャラも一つの絵柄から様々な媒体で売っていて、絵柄同じなのに何でだろうと疑問が残ってしまった。
そのような疑問が色々と積み重なって、オタクに対して疑問を持ってしまった。
その時にふと自分は盲目的にオタクをしていた数十年を思い返してみた。
その時、自分にとってはとても処理出来ない、悲しい事があった。
そこからどんどんと飲まれていくように、恋愛ゲームやオタクグッズなどに手を出していった記憶がある。
私は、集めるのが大好きで、キーホルダーなどビニールに入ったまんま保管が多く、溜まっていく一方だから部屋がとてもじゃないけど見せられない状況。
それが当たり前だった。
物があるのが、現実を考えなくても良く、夢中になれる事があるんだって考えられたからかもしれない。
その時私は、その思い出とプラスで自分に対してのコンプレックスや自信のなさが凄くあって、自分に対して不満で、諦めていて、拗ねてる感じでオタクをやっていた感じがするなあと今更ながらに思う。
顔も良くないし、体型だって太っていて、どうせ私なんてとかそんな感じの。
何故か、その人の闇を感じる時がある。
自分で取り返しがつかない劣等感とかコンプレックスや思い出がある気がする。
言葉の端々にそれを言ったり、言葉で出てる気がするからそれ気にしてるのかなって思う。
それを見つめたくなくてオタクをやってますっていう人が多いのかななんて推測してしまう。
それだけでは、その時の私はオタクやめようかなんて思わなかったと思う。
それを知っている自分がステイタスで、好きなキャラクターのグッズを持っている事で相手に認識させる、相手の気持ちを考えもせず一方的なコミュニケーション、前好きだったアニメの話を全く言葉に出ない所など書いてしまえば多くなってしまうぐらい疑問が多くなってしまった。
高校生の頃、田舎もんはブランドもんを買った買い物袋、ストアバック?っていうの?に運動着とか入れて斜め掛けにするのがステイタスだった。
ブランドもん、っていっても高校生だから当時はヒステリックグラマーとかオリーブ・デ・オリーブとかあとは関西なのでspinsとか、学生にはちょっと高いなくらいの袋が好まれた。
特にオリーブは我々がちょうど大好きで価格もほどほどだけど小遣い程度の高校生には頑張れば手が届く、会いに行けるブランドだった。
めったと買わなかったオリーブだけどたまたま安く売ってたTシャツかなんかを買ったら、その時限定のかわいい袋に入れてもらえた。買ったTシャツより袋がかわいくてやったー明日から学校に持っていこ~!と思ってウキウキ体操着入れて持っていった。
田舎もんのわたし、大慌て。「えっ!!袋ない!!オリーブの袋!!」半泣き。
するとあっ、と後輩が「たぶん、男バレ(男子バレー部)のマネージャーっすよ!さっき見ました!!」と告げ口をくれた。
そしてわたしは「今謝れば許すから、許すうちに謝りに来いって言えや」って真顔で後輩に言った。たかがビニールの袋に。
数時間後、2年生のわたしの教室に男バレのマネージャー二人がきて、泣きながら「ごごごご、ごめんなさぃ、!!ごめんなさぃ、!!」ってビニールのオリーブの袋を持ってきた。
あー、なんてことをしたんだ、と当時その瞬間からくそほど後悔した。すぐ「あっ、いや、いいの!!ごめん!!言い過ぎた!!ごめん!!」って笑って謝った。
ただのビニール袋に対して執着した自分の情けなさ。限定の、とかたかがそんな響きだったのに、しかも執着だけならともかく下らない脅し文句。本人に直接聞いて返してもらえせめて。今でも情けなさナンバーワンエピソードだ。
幸い、男バレのマネージャー二人はとてもいい子だったのでその後もわたしを見ても「こんにちわー!」と挨拶をしてくれて、少し救われた。
故郷には、本当に何もなかった。
遊ぶ場所は友達の家か、外か、イトーヨーカドーか、くらいしか選択肢がなかった。
それは別にいいんだ。自然に囲まれて、それなりに楽しかったから。
しかし、田舎特有の性質なのか、周りにいる子の多くは早熟で、恋愛至上主義だった。
早い子は小学校高学年から、普通の子でも中学生のころには付き合っている人がいるという状態だった。
女子は、ちょっと顔がタイプとか、足が速い等という理由でバンバン告白していた(今でも、あの積極性はすごいと思う)。
部活の帰りに待ち合わせして、男女で手をつないで帰るのがステイタスだったようだ。
友達同士で話す内容は、ほぼ恋愛か、巷で流行っている音楽の話、雑誌に載っているおしゃれの話だった。
私は本が好きだった。星が好きだった。この世界の不思議に興味があった。
でも、そういうことを話すと茶化されてしまったから、ずっと一人で胸の中にしまっておくことにした。
誰かと付き合うこと自体が怖かった。
中学のころは、そのことで散々からかわれた。付き合ったことないって言うとすごく驚かれた。
高校になってちょっと垢抜けたせいか、告白されるようになった。
彼氏がいたことがないのが恥ずかしくて、いい人だなと思った何人かと付き合った。そうして、「過去にいた彼氏の数」を増やしていった。
高校三年生の頃、付き合っているうちに好きになった人にセックスしたいと言われた。
私は拒めなかった。
理由は二つある。
一つは、その人に嫌われたくなかったから。
大学進学のために上京し、東京で暮らすようになってからすごく驚いたのは、
周りにいる人々の多くが、付き合った経験がない、あるいは付き合った経験があってもおそらくセックスはしていないということだ。
そして、中学生の頃に共有したいと強烈に願っていた事柄を話せる人がたくさんいることも、
誰とも付き合わなくても、別に変ではないということも。
見栄のために人と付き合い、処女を捨てたことが今では人生の汚点になっている。
私がこのような恋愛遍歴になってしまったのは、育った環境によるところが大きいだろう。
しかし、もし私がその中でも「人は人、自分は自分だ」と強い意志を持ちつづけることができたなら
後々恥ずかしい思いをすることはなかっただろうとも思う。
ステータスの高いほうが恋愛の手綱を握れて相手をコントロールできる
この場合のステータスというのは一般的な「ステイタス」を指すものではなく
好きになったほうが負けっていう、あの状態のこと。
本当にその通りだなと感じる
私はいつも片想いが多くて、自分に興味のなさそうな相手ばかり好きになってしまう
自分に興味を持って接触してきてくれる人の事はほとんど好きになれない
どうしてなんだろう、これなんとかしないと一生孤独な空回りじゃないか
そんなのは嫌だとおもっていろいろ考えてみたところわかった
私がいつも好きになってふりまわされているのは
自分のことを楽しませてくれる能力が自分よりもはるかに高い相手なのだ
自分はとてもらくちんなのだ、相手はきっと私といてもそんなに楽しくないので
私には興味を持つことはない
でも私は楽しかったので、もっとその楽しい時をくれ、くれ!となる。
一方自分に興味を持ってくる相手はこっちが適当にあしらっていても
そういう人を楽しませるのはカンタンだけど自分はいっこうに楽しくない。
わかったところでどうしようもないけど
相手よりもっと楽しませる事なんてできないし、どうしたらいいのかすらわからない
私が若くて美しい女性なら、ただ横にすわってにこにこしているだけで
じゃあ、ってことで自分の御しやすい同じレベルの相手と付き合って見ても
一部のラディカルフェミニストがピルや緊急避妊薬を蛇蝎のように嫌う背景には、「生殖の為に、女は有害な行為を受容させられる」「その過程においてコンドーム装着を受け入れさせることは、男への、女による影なる支配力の行使である」という、「男」へのマウント意識があるのではないかと思う。彼らにとって、生殖は選択不可能な苦行であり、反面、男への影響力を駆使するための手段でもある。そこに、産むことも性を謳歌することも万人に与えられた権利である、という意識はない。
一方、リプロダクティブ・ヘルス・ライツの整備に反対する保守層は、女性が人生に対する主体的な選択を行うことを、「ふしだらである」として忌み嫌うかたちで、その権利を奪おうとする。しかし、性教育の不徹底と、不完全な避妊方法である"コンドーム教"の盲信は、避妊失敗の社会的責任を、男性のみに背負わせる。女を妊娠させたとき、男は責任を取らねばならない。育児・出産によって労働の機会を失う女たちを「養う」ことで、男たちは権力を得る。生殖を巡るパワーゲームを維持するという構図において、彼らの利害は一致する。結果として、リプロダクティブ・ヘルツ・ライツの話題そのものを忌避する社会が完成する。
リプロダクティブ・ヘルツ・ライツを巡る議論においてのみ、本来なら敵同士であるはずの彼らの利害が一致する。この構図は、彼らのプロレスじみた対立が、本質においては「同じ権力構造の内部でマウントを取り合っているに過ぎない」のだ、という事実の証明に他ならない。男性のありとあらゆる性の営みを監視し・支配するラディカル・フェミニズムの主張は、結果として、敗戦と高度成長によって闇に追い遣られた「影なる支配者」としての女の復権に等しい。そして、一部のミソジニーをルーツとする保守主義者は、女性の社会進出を嫌う。育児出産が女の手に占有された世界において、女が労働によって金銭的自由を得てしまえば、男たちはパワーゲームに勝てない。男の欲望を受け入れ癒し、子孫を増やし育む機械である女と、女によって欲望を充足され、労働し、財を得て、社会を富ませる機械である男。どちらが権力を握るべきか。彼らの諍いは、どこまで行っても、同じ地点に収束する。
日本における家制度は、男尊女卑の見掛けを取りながら、男を肯定し、てのひらで転がし、そして扱き使う「女たち」の、影なる支配によって成り立ってきた。そうして労働力と構成員を吸い上げてきたのが、それぞれの時代における「社会」だ。人は社会に帰属し、「世間」の強制力は空気のように蔓延する。保守的な男女観に固執する限り、彼らは、どこまで行っても、彼ら自身を苦しめる抑圧から逃れ得ない。その事実を、このところネットで頻発する「アンチ・フェミニズム」の趨勢は象徴しているように思う。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツへの問題提起は、女が生殖への主体性を手にするための運動だ。しかし、同時に、男が「自らの意思で」生殖、もっと言えば異性との利害を伴った関係性に踏み込んでゆくこ権利を得る活動でもある。二者間の合意によってパートナーシップを構築するとき、男は「働かなければ価値のない生き物」ではない。そして、純粋な利害関係に基づくパートナーシップが、男性による労働の社会的価値を損なうことはない。出産・育児と労働を天秤に掛けるとき、労働を選択する女性ばかりではないからだ。
一般に、「金のない男」が若い女と恋愛できないのは何故か。女が打算的だから、男に養われ、楽をしようと意図するから、ではない。現在の日本社会においては、生殖そのもののコストが女性側に一任され、経済的負担は男性の側に強く圧し掛かる。金のない男はその負担を負うことができない、と判断される。それは合理的帰結に過ぎない。
単独で家族を養うに十分な社会的資本を持たない彼らが、現代社会において異性と関係を結ぶためには、ハンデを飛び越えるに足る利害調整力と、自分の社会的な立場を見極める市場観察力、利害の一致する相手を見出し、交渉する主体性と行動力が必要となる。しかし、アンチフェミニズムを標榜する視点において弱者男性の問題が論じられるとき、男女関係における責任問題の現実的側面に目が向けられることはほとんどない。
彼らの世界に、「主体的に選択し、行動し、異性関係を構築する」という選択肢は存在しない。その選択肢を得た個人は、現代社会においてもはや弱者ではないからだ。保守的な男性の世界観においては、「男性としての名誉」も、トロフィーとしての女も、世間に従い、勤労し、地位を獲得することによって、主体なき「社会」によって宛がわれる。しかし、社会全体の資本が不足し、そして、かつて公共財であった女が人権を獲得してしまったこの時代、トロフィーを得るためには、生まれながらのステイタスと弛まぬ努力、そして大いなる運が必要となる。加えて、トロフィーを獲得しても、幸福になれるとは限らない。双方が主体的選択と責任意識を放棄して「規範」によってマウントを取り合う関係性、外的抑圧によって維持された家族関係において、性的抑圧は再生産され続ける。
セックスが「男女の問題」ではなく、「主体的な二者間の問題」であるとき、生殖に関与する両者は、二人の協力者である。
男性側のアクションとしての、コンドームに代表される避妊手段、女性側のアクションとしてのピルやIUDの使用、リスクヘッジとしての緊急避妊薬の存在、性病検査の徹底。生殖に参加する関係性の帰着を見据えた上で適切な手段を選択することで、初めて、両性にとっての「主体的な生殖の選択」は可能となる。この状況下においては、「全てのセックスはレイプである」という命題は否定される。その上で、生殖に前向きな人々が、意思以外の諸要因を理由に断念せざるを得ない状況を減らしてゆくこと、が、理想的な(あくまでも理想的な!)「少子化対策」と呼べる。このことは、シラク三原則が成果を挙げたことによって実証されている。
しかし、この「現実的側面に対して、現実的に議論する」こと、そのものが、世間の一部の人々には(蛇蝎のごとく!)忌避されている。フェミニストを名乗る、ミサンドリーに支配された「女たち」と、家社会、部族社会の論理に連なる男女関係を信望する保守主義者の人々、女によって自らの居場所と財産と名誉を奪われたと盲信する「男たち」。インターネットにおける緊急避妊薬を巡る議論への反応から見て取れる。彼らはひとの良心や想像力をも支配したがるのと並行して、パートナーシップを構築する二者が対話し、尊重し合うことを志向するというごくごく当たり前の幸福を、社会の構成員から取り上げるべきだ、と主張する。生殖の主体的選択が一般化したとき、救われるのは"望まぬ妊娠をさせられた女性たち""中絶を強制される女性たち"だけではない。男らしさ規範による、自尊心の欠損や経済的な搾取に苦しむ男性もまた救われることになるというのに、である。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツを巡る議論は忌避され、遠ざけられる。問題提起を行えば、「フェミニスト」からも「保守主義者」からも袋叩きにされる。この風潮は、そのまま、日本におけるフェミニズム・リベラリズムの歪みの象徴であるように思われるのである。
TOEFL、TOEICの勉強をしていると、自分の勉強のできなさに心底うんざりする。そして、毎日膿やケロイドみたいなものが凹凸や赤みで覆われている汚い自分の顔に出てきて、絶望する。
すると大抵、登場人物のスペックというのはなんだかんだ言って高く、周りからの扱われ方も良いことに気づく。
読み進めれば読み進めるほど、登場人物のスペックが高くて、苦労していないことに腹が立ってくる。
勉強をしなくても、よい点数が取れるだとか、容姿がいいだとか、容姿がいいだとか。
最近の流行り小説でも、主人公である女が、なんかよくわからない闇取引をしている部族にナンパされたときは、あぁこいつは顔がいいんだろうなと感じた。
さらに読み進めると、かなり社会的地位として上に属しているようで、あぁ自分には関係ないんだなと思い始める。
ごく稀に、自分と同じような能力の人間がでてくることがあるが、それに対してはどこまでも惨めに感じる。
あまりないが、専門書でもごく稀に疎外感を感じることをがある。
それは、自分が一生該当しない、みんなが羨むステイタスに属する人間に対する研究だ。
自分の動機や感情を極限まで切り分けていくと最終的には快・不快・無に分けることができる。
快はプラスの感情、心地いい・好き・欲しい・興味ある・興奮するなど活動のガソリンになる感情だ。
不快はマイナスの感情で気持ち悪い・嫌い・無視したい・軽蔑したい・怒りたいという負の要素だ。
無は、無関心・興味なしだが厳密には不快に入る。
不快の性質でその人間の苦手なものや思考の壁、身体的・心理的欠陥を知ることができる。
つまり自分の思考と感情を快と不快に切り分けていくことで自分がどういった人間なのか、
とある状況だとどういった行動を取ってしまうのかというのはおのずと予測を立てることができる。
ネコババするほうが快だと思うなら自分は倫理的・道徳的なステイタスが低い人間だと分析できるので、
人助けには向いていないとか、逆に感情を挟み込まないような職業のほうが向いているなど予測できる。
女同士ではなく男と女のカップルでは不快感を感じるというのなら、
簡単に言うと相手役の男に不快感を感じる以外に原因となる要素はない。
しかしその不快感がどこから来るのかはもっと掘り下げて考えることができる。
男ではなく、美女と野獣のような化け物だったらどうか?とか、
男っぽい女の子だとどうだ?とか仮に自分が対象だとしたらどうだ?とか
色んな類似のケースに当てはめていくことで細かい快・不快に切り分けられる。
それを集めておけば自分がどこに進みたいのかもおのずと見えてくる。
でもそれがどうした?
自分に嘘は付けない。
それを知ってもまだ好きでいられる、その強さが好きでいることに必要だ。
やぁやぁ、どうもお疲れさま。
narwhal 妊婦なんかどうでもいい。転部準備がんばれ。増田は増田のために生きればいい。
koiyaro 「これからかわいい笑顔に出会える幸せいっぱいのお前が、おれみたいな生まれてこのかた女っけのないブサイククズ野郎に席を譲られるなんて屈辱だろ?」
って思いながら上から目線で席を譲るといいよ。おれみたいに。
d-ff コンビニ女店員が釣銭を投げ落とさないだけで幸福を感じる男になろう。特権は妊娠中に電車に乗らないとか、多大なガソリン生活を享受しながら石油危機だと経済的徴兵を進める連中だと考え、リヴ・タイラーを愛そう。
kutabirehateko 生病老死のサイクルのひとつじゃなくてステイタスみたいに思っているんだね。その考え方だとてっぺんにいけない限りずっとみじめだよ。
Nihonjin 完全に乗り遅れた。/「勃起したら席を譲る」というのは、ルールとして面白いかもしれない。
saavedra 妊婦や老人にはよく席は譲っているが、それはそういう人物が目の前にいるとある種の圧迫感を感じてしまうからで、善意からではない。
hidex7777 全人類が敵に回ってもぼくは増田の味方をする。
kyousuke104 他人に優しさを要求する行為自体がすでに優しくない。他人に優しくすることはマナーであってルールではない。
ルール(特に法律)は人を強要することがあるが、マナーは強要すると不幸になる。
tomiyai 優しくする必要はない。内心どう思っていようと実際に攻撃しなければ何も問題ない。
そもそもマタニティマークは優しくされるためにつけてるんじゃないっていう話なわけだし。
siomaruko 世の大半は自分が好感を持てる相手にのみ優しい。妊婦は弱者だからではなく「おめでた」が道徳的に好感を抱く事象だから気遣われている。
気持ちいい事や相手しか視野に入れない偽善者ほど増田を毛嫌いするんだろうな
kanenooto7248 キャプテンルサンチマン。文句をいうのは「優しくない社会」であって、「妊婦」ではないよね。
なんというか、障害を抱えた人間の中二病みたいなもので、精神障害者の俺にはよく分かる。
kuroihikari ブコメ欄に理解のない意見もあって悲しくなるが、俺はおまえを全力で応援したい。がんばって生きてくれ。
wdnsdy とりあえず増田は文章を読む限りでは、他人に席を譲れるほど心身共に健康な状態であるとは言いがたいから、別に無理に譲る必要はないと思う。
席を立つことができないほど傷ついてるんだし(心が)
toksato 他人に優しくするには、自分でいっぱいいっぱいになってちゃできないってだけの話。
この人はだから優しくできない。でもそうなったのにも原因があるのかもしれないし、ないのかもしれない。そんなのわからない。
ahomakotom 女の子が大好きで優しくしているのに、ただただ傷つけられる日常がここにある。
aniram-czech そういうふうに考えてしまう気持ちはわからなくはないので、そういうふうに考えなくて済む方法はなんかないのかと考えてしまう。
zyzy 不細工に優しくないのはこの人であって、妊婦じゃないよね、というシンプルな話。
要は自分の行動がくずなのを、容姿のせいにした結果、自縄自縛に陥ったというね。しかもそれを回りに撒き散らすんだから既に加害者だ
toronei 露悪的なことを賞賛すると、知的快感をもたらすアドレナリンみたいなのが出るってやっぱり本当なんかなあと思うわ。
sdtrd こじらせて世の中を憎悪する人はどうしたって一定数いる。犯罪にさえ走らなきゃまあ別にいいんじゃね。
でも呪詛を撒き散らしても本人含め誰も得しないと思うよ。溜め込むのも良くないけど発散するなら適切に。
citron_908 これ妊婦案件じゃなくて非モテ案件だよね / 一昔前の喪男板まとめの「夏の葬列」を思い出したのってもしかして自分だけ?時は流れた
houjiT 筆者が優しさを希求してるなら考慮するが、自分を守りつつ他人の幸せの否定にしか使ってない以上、境遇を気に入ってると思うので放っておいていいかなと。
marony0109 自分が幸せでないと他人に幸せを分けてあげることはできない。逆に、幸せを分け与えることで、自分を幸せにする方法もある。
不幸の拡大再生産を止めるためにも、増田には幸せになってほしい。気楽に楽しく生きろよ
htnmiki 一見クズっぽいけど実はこれ世間にありふれたナチュラルな容姿差別の問題孕んでるからどうコメントしていいかわからないな
kuzumaji インターネッツの闇の妖精っぽい。人間は誰かに与え続けた人と、与えられ続けた人が居て、それが年齢とともにはっきりしてくるんだな。
と、最近色んな人に会って思う事が増えてきた。
sardine11 増田の鬱屈はどうでもいいんだが、差別的なことは心の中に留めておけよ。
全く個人的な感情を無節操に振り回せばそれで傷つく人がいることくらい、病気の患者として気持ち悪がられた増田ならわかるだろーが
kyonishi333 優しくせずとも危害を加えなきゃ、何の問題もない。優しくしないことと、危害を加えることにはそれだけ大きな隔たりがある
nerimarina よし、じゃあわたしが君の分も立つ!いろいろ気にすんな!
Sion96 いいんじゃね?暴力とか振るうのはダメだが、優しくしたくないならする必要はない。
douzokun ●●だから優しくしろ!って強制される社会は息がつまる。した方が良いと思う人はすれば良いし、必要ないと思う人はしなければ良い。
お互い強制するのやめれば、争いがなくなる
u-account ブコメの理解度が絶望的だな。自己の生を根本で肯定できるのでなければ道徳は成立しないんだよ。
増田に社会防衛を説くならまず社会が増田にとって守るに値するものにならねばならない。この順序は決して逆転しない。
camellow 社会にはいろんな人がいるのだ。積極的に害をなさない限り法にも触れないし。
みんなが(妊婦に限らず)みんなにやさしくできるのが理想だと思うけど、全員同じ考えを強要するのも気持ち悪いし不健全だ。
mellow_px 優しさは等価交換ではない。それを学ぶことができなかったのは、親の愛情不足かな。優しくしなくていいから、害は加えないでほしい。たのむ。
deneb-y これだけのドロドロを抱えていながら「優しくしない」「席譲らない」程度で済む増田。内面がどうあろうが殴るジジイよりよっぽど出来てる。
kuwa-naiki 人に優しくってのはそのときそのときで出来る人がやればいいって『いいひと。』で言ってたけどそれで良いと思う/この増田もそう思えるときがくればやればいい
shinonomen 幸せな人が妬ましい気持ちは分かるし、環境が性格に影響を与えるのはその通りだと思うが、増田の書き方だと人間に自由意思がないみたいじゃないか。
ninjaripaipan 妊婦かと思って席を譲ったらただのデブでお互い不快な気持ちになったことがあったので、デブは逆マタニティマークをつけてほしい。
妊婦かデブかは話しかけるまでわからないことがある。シュレディンガーのデブ
teebeetee ギブアンドテイクの文脈に乗せていいものとそうじゃないものの区別がつくのって大事だよね。何か他のことで頭をいっぱいにできるといいと思う。
kamayan1980 「席を譲った」なら立派だと思うけど、「席を譲るべし!譲る気持ちになるべし!」には疑問が浮かぶ。増田は増田のまま、幸せになればよい。
Ri-fie 読み違えてる。妊婦に優しくしないものは死んだほうがよい、ではなく、妊婦に優しくない社会はいずれ死ぬ、だ。
/あなたが優しくせずとも、今ならまだ、他の誰かが妊婦に優しく接する。どうぞあなたのよきように
aatoku 大前提として自分にやさしくできるひとであってほしい。それ以上に社会が求めることを無理に気にする必要はない。
white_cake 正直、読んだ瞬間はいらっとするのだけど、増田が幸せでないこと、だからこそ生まれた文であることはわかるので、どんどん悲しくなってくる。
feita んー赤ん坊や母親に寛容な世界たれとは思うが、今のところ人間の善意に寄りかかったもんだとは思うし、そこが行き過ぎて「妊婦にやさしくしない奴は死ね」は言い過ぎだわな。
You-me 増田が母ちゃんのお腹にいたころに優しくされたはずなんやで/マタニティマークの必要性は「妊婦なんで優しくしてあげて」という話以前のところにありますので。
spacefrontier 妊婦さんとか関係なく、自分に余裕が無いと他人に優しくなんてできないよね。
満員電車でのベビーカーと同じ。社会的に庇護されるべき対象が自分より恵まれていると感じた瞬間、どす黒い感情が生まれる。
mogmognya 自分は妊婦にはできるだけ優しくするつもりだが、増田に押し付ける気はない。
増田はとにかく自分を大事にしてあげよう。そして他者を故意に傷つけるようなことさえしなければ上出来だ。増田に幸あれ
GROOVY こういう人もいるって事。別に妊婦に危害加えないならいいんじゃないの。危害加える奴は最低だけど、こんな人は結構いると思うわ
a8888 障がい者などに優しい社会では全くないのに、妊婦にだけ優しくしろというのも無理な話だとは思っている。少しづつ全体的に改善していくしかなかろう。
ite この問題は妊婦ではなく、こう思ってしまう人がでてきてしまうほどに、容姿以外の努力が認められない社会であること。
akimaruworks きみが優しくしたい人に優しくすればいい。報われない境遇を人への怒りにすりかえる人は優しくしてもらえないよ(経験談)
miki3k 席を譲るのは、やさしさの問題ではなく、社会の要請だ。
underd 性別や年齢、仕事やプライベートに関わらず体調を理由に予定をキャンセルする人は無条件で許す事にしているが正解だった。
ドライな言い方をすればそれで感謝されて利を得る事もあるのでおすすめ。幸せスパイラル
eri_pico 暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう/
Twitterにも書いたのだけど、身体的(物理的)弱者と社会的弱者を一緒に語るのはおかしいと思う。妊婦、赤子は身体的弱者じゃないですか
sanam 別に席譲らなくてもいいけど、妊婦は恵まれてる教はインチキカルトだという事と、ブコメにも見られる通り教義に暴行の推奨が含まれてる事は覚えとけよ。
anigoka 社会的互助って奴がそーゆー単相の一対一だけで成立してるわけじゃないことぐらい分かれや お前は性格やルックスが悪いんじゃない、アタマが悪い
kash06 私は相互にどうこうではなく、単純に、今現在辛い人には保護が割り当てられるべきだと考えている。
だから、これを読んで当時のあなたにも与えてあげたかった。いや、私の自分勝手な感傷に巻き込んですまないが。
・増田の感情は間違ってない、ルッキズムによる所の被害者意識が強いのである。実際に被害者であるし、仕方がない。
・増田の悩みに妊婦云々はあんまり関係がないが、「マタニティマークの必要性は一般に大いに勘違いされて認知されている。」
・別にみんな増田に死んでほしいわけではない。かと言って喧嘩したいほど興味はない。そりゃ誰でも誰にだってそうだ。(しねって書いてる人もいるがな)
## 概要
ビリギャルじゃないけど、慶應卒の、頭のなかお花畑なゆるふわOLの私がカフェでハイスペ男子をあさり、とうとう先日結婚までこぎつけるに至るまでに駆使したメソッドの紹介。一部フェイク含。酔っている勢いで書いているので誤字脱字していたらごめんなさい。
## はじめに
慶應卒と言っても、ピンきりであることは言うまでもないと思うけれど、私はその中間ぐらい。上を見れば本当に裕福な家庭で育ったお嬢様だとか、社長令嬢、はたまた、〜国の大使館の娘等、慶應にはそういう人たちがたくさんいる。私は特段裕福というわけではないが、ある程度余裕がある家庭で育ち、成り行きで慶應に進学した。私は、そこそこ勉強が出来る程度で、特に目立った特技もなく、本当に、「普通」な女性だと、自身ではそう思っている。見た目も普通。とは言え、女性なので、それなりに見た目には気を配っているけれど・・。ネイルや髪の毛、お肌の手入れ、「どこにいても他人に見られていることを必ず覚えておきなさい」という母の昔からの教えが刷り込まれている。父もマナーには厳しかった。内面的にも外面的にも。私は、ジャンル的には、いわゆる、男性が言う”清楚系”なのだと思う。黒髪ロング。もちろん処女ではないし、おおっぴらに言うものでもないが、自慰もするし、Sexも好きだ。そういう行為に目覚めたのは女子校時代だと思う。女性、大体そういうものなので、世の中の男性は幻想を抱きすぎだと、常日頃からひしひしと周りの男性の話を聞いていて、思う。
## きっかけ
そんな私が、大学を卒業してマーケ関係の仕事に就いた。狭い社会、噂も、裏話も、あっという間に広まり、飛び交う、とても居心地の悪い会社だ。同期や先輩は、良い大学を卒業した頭のキレるエリートなのは、間違いないのだが、どうしても、何かかけている人が多い印象。女性比率が圧倒的に少ない会社。男性が多い会社でありがちな、セクハラまがいのことも少々あるが、軽いセクハラ程度でメンタルをやられるほど私はヤワではなかったので、テキトウにあしらいつつ、ひたすら業務に集中していた。そういう生活を3年続けて、そろそろ大学の友達や高校の友達からの結婚の話がFacebookで伝わったり、結婚式に招待されることが多くなってきた。私は学生時、2年間お付き合いしていた、大学で知りあった男性がいたが、卒業と同時に彼が海外の大学院に行くことになり、お別れすることになって、それ以降、誰とも付き合わず社会人を続けていた。もちろん、その間に男性からアプローチされることはあったが、その時は仕事を優先したかったことと、それらの男性達があまり魅力に感じられなかった。もちろんお食事に誘われたら、特段「生理的に無理」等なければ、行きはしたが、もちろん私にはその気がないので、美味しくご飯を頂いて、男性のお話をきき、口説きをスルーする、そういうことはあった。とは言え、少しづつ危機感を抱き始めていたことは間違いない。しかしながら、社内でそういう相手は到底見つかりそうもない。私は、学生時代の友達をつてに、合コンを開催してもらうも、魅力的だと感じる男性には当たらない。そもそも合コン開催回数が少なかった。巷で「週5で合コン」「アフターファイブ」「20時から合コン」「仕事を早上がりして・・」「一人で仕事後バーに行ってみよう」等、女性向けの婚活情報誌やメディア、特定のツイッターアカウントが、そのようなことを煽ったりしているが、ある程度キャリアがある女性にはそれが不可能に近いなことは言うまでもないと思う。毎日終電後タクシー、平日に合コンする時間も、余裕もない、休日も仕事に追われることが多い。家では本当に寝ているだけ、たまった疲れをひたすら回復するために、外出する気力も出てこない。給料は多い、けれど、それは「命を削って得たお金」と揶揄できる。
## 受け身ではだめだ
「受け身では駄目だ」と、合コンに参加して、あまり自身の好みや理想にヒットする男性が現れず過ごした日々の中で、私は悟った。遅いね。とは言え、仕事後バーに行ったり、知り合いと交流する余裕が当時私にはなかったので、どうすれば私の好みの理想の男性と出会えるか、自身の生活習慣や生活拠点から考え直すことを始めた。まず、私は仕事上、夜に時間を作ることがほぼ不可能だった。そのため、私は朝をメインの活動時間にしようと考えた。当時、ちょうど、「朝活」「朝カフェ」等が巷で流行り始めた時期だった。では、安直に、そのクラスタでまず探してみようと私は考えた。ものごと、流行り始め、アーリー・アダプター、アンテナを張っている人はある程度、様々な意味合いで”平均以上”であることが多い、と何かの記事で読み、それを真に受けた。それでは、朝、そういう場で、理想の男性と出会える確率を上げるには、どうすればいいか、と考えた時に、まず自身の住んでいる場所がそれに適していないことに気がつく。私はすぐさま、都心、具体的に言えば恵比寿に引っ越しをした。地理的にある程度お金に余裕がある人が多い、民度が高そう、住みたい街のランキング上位、そういう理由で恵比寿を選んだ。のちに、それが大成功だったと気がつく。
## 行動開始
恵比寿に引っ越した私は、まず近場で開催されている不特定多数が参加する朝活の集まりや、朝から開いているカフェの情報を集めて、積極的に平日の朝にそれらに赴いた。当時は、それらが流行り始めたばかりだったので、来る人は、ある程度ステイタスがある人が多かったように思える。恵比寿にある外資の男性も多数いらっしゃった。朝カフェも、仕事前に新聞を読んだり、読書をしている、出社前の、”エリートそうな”会社員の方が多かった。私はそういう場で積極的に男性に話しかけてみた。朝活では、特段何もしなくても、そもそも交流目的のものや、読書会等だったので、自然と男性とお話することができた。一方で、朝カフェは少し難易度が高かった。何度か朝から営業をしているカフェを偵察し、店内の様子や、常連、その時間帯にいる店員、様々な要因を調査し、どこが適しているか、どういう交流の始まり方が適当か、を検討する必要があったからだ。恵比寿、代官山周辺は朝からオープンしているカフェが多い。そのため、人も散らばる。しかしながら、いわゆる「雑誌に掲載されるようなオシャレカフェ」には、そういったたぐいの男性は来ない。彼らはチェーンのカフェに多い。特定の場所で申し訳ないけれど、ガーデンプレイスのスターバックスとか、駅周辺のチェーン店のカフェに彼らは朝来ている。そのため、私はそちらを主な活動拠点として選定した。次に、どのようにしてカフェ内でそのような男性と交流するか、という一番の課題と向き合うことになる。カフェでいきなり話かけるほど、不自然なものはない、国内では。私はとりあえず日経新聞を持込み、ラップトップを開く。最近ではメジャーになったMacBookではなく、windowsマシンだけれど。以下、私が試みた話しかけるきっかけづくり一覧だ。
2. すみません、携帯がなくなってしまったのですが、一度私の電話を鳴らしていただけないでしょうか。
3. 忘れ物をわざとする
5. 読書している本について聞く
6. 出張できた風に装い、周辺のことを聞く
一番自然だったのは、1の「無線LANへのつなぎ方わかりますか?」だ。困った顔で、ゆるふわ風に聞くとより効果的だった。話始めた後は、あなたの会話力次第。そこには言及しないけれど、私はそこからうまく連絡先を聞き出し、そうやって出会った人と、お付き合いを開始し、つい先月、結婚をした。正直、女性に話しかけられて不快と思うような男性はほとんどいない(*あなたが普通以上の身なりの場合)。なんだかんだ、男性は紳士の方が多いので、親切にしてくださる。少なくとも、朝恵比寿のカフェに来ているようなサラリーマンは。
朝活の方は、コミュニティ的な要素が多く、そこでの恋愛への発展は、コミュニティ的に面倒になりそうだったので、私は自然と朝カフェでの活動にシフトしていた。結果的にはそれが正解だったらしい。 最近では、いわゆるマルチ勧誘がそういう場でされていることが多発しているらしいので、今やるのであれば、私はカフェを押す。
これは個人の好みによるので、正直書く必要がない気もするが、足切りの基準程度は参考になるかもしれないので書いておく。以下のポイントを抑えている人だと良い。
1. 短髪
2. スーツ
3. 社員証をかけている
5. PC開いている
6. 黒髪
7. 読書している
茶髪でMacbookを開いている人もいるが、彼らはワナビーである可能性が高い。 学生もいるのでしっかりみわけないといけない。社員証をつけていれば、ある程度保証があるが、逆に社員証を見せびらかすタイプの可能性もあるので注意。私は黒髪短髪のキレイ目の男性を足きり基準にして行動をつづけていった結果、私のタイプで、且つ趣味もあう、男性と出会えた。短髪、黒髪、私服だけどキレイ目、PCを開いてコード?を書いている、そういう人だった。もちろん「無線LANってどうつなぐのですか?」で会話をスタートした。IT系の会社に勤めている人で、物腰もものすごく柔らか、女性慣れしていなさそうな方で、とても好印象だった。
0. 駅近ドトール
http://www.starbucks.co.jp/store/search/detail.php?id=946
http://www.starbucks.co.jp/store/search/detail.php?id=1269
こっちはいったことないのだけれど、この戦法を伝えた友人が良い男性をここで多数見かけるとの情報を教えてくれたので記載。
## まとめ
夜繰り出す時間がない、バー等一人で行く勇気がない、出会いがない、仕事が忙しい、そんな女性に、朝型の出会いの戦略をお伝えしました。朝カフェ戦略、伝えた友人は、わりと楽しんで、しかも良い男性と出会えているようなので、ぜひ皆様もお試しください。最後あたり、のろけになってごめんなさい。IT系の彼なので、この記事みつかったらどうしよう。いいや。みつかっても。ちょっと話したし。あと、恵比寿の情報ばかりでごめんなさい。恵比寿が良い街なので。。
昨日、会社帰りにコンビニに寄ったら、駐車場で見知らぬおっさんに声をかけられた。
私と兄は仲が良くも悪くもなく。兄弟だけど接点が無かった。
父と折り合いが悪かった兄は、中学に入ると家に帰らず毎日遊びほうけ、中学を卒業してしばらくすると地元を離れて音信不通になった。
最後にまともに会話したのは、お互いが小学生の時だったと思う。
20年ぶりに会った兄は身なりこそ小奇麗にしていたが、どこか胡散臭くて相変わらず暴力の香りがする人だった。
突然の再開に私はパニックになり、まともに会話ができず、聞かれるままに近況の報告等をして、すぐに別れた。
別れる間際に、兄が私の腕を軽く叩こうとしたが、私が強張る素振りをしたので、兄は寸前で手を止めた。
兄は苦笑いをして、結局手を降って別れた。
地元の外の友人に、「不良漫画の世界みたいだ」と言われた事もある。
兄は喧嘩が強く、それこそ漫画のような武勇伝を幾つも持ち、地元の不良なら知らない人はいない、そんな田舎不良界の有名人だった。
そんな有名人を兄にもつ私はといえば、不良でもなく、かといって勉強もスポーツもできない地味な奴で、スクールカーストの底辺、いわゆる「2軍」だった。
兄が地元にいる間は年上の不良に「有名人の弟」としてたまにチヤホヤされ、兄が地元を離れ、年上の不良達が卒業し、同世代の不良達が幅をきかせだすと私は「有名人の弟だからって調子に乗っている奴」となり、いじめられた。
毎日のように不良に呼び出され、同級生や名前も知らない他校の不良と「タイマン」を強制された。
「有名人の弟」として私をチヤホヤしていた年上の不良が、話を聞きつけて、私をいじめる不良達を叱りつけたが、いじめが陰湿なものに代わるだけで、いじめは私が地元を離れるまで続いた。
私はずっと兄を恨んできた。
兄のせいで自分の人生は台無しになったと、何もかも兄のせいにして、兄への恨みを糧に生きてきた。
20年ぶりに会った兄は
「俺がいなくなってから、大変だったんだってな。お前には悪いことしたな。」
と事もなげに言ってきた。
家に帰ってから、ずっとその言葉が頭のなかで勝手に繰り返される。
胃が重たい。吐き気がする。
「兄の弟」として生きてきたように思う。
何もかも兄のせいにするのはとても楽だから。
私がうじうじと引きずり続けた事なんて、兄にしてみれば少々心を痛めた程度の事。
分かっていたが、実際に兄の口から言葉にされて、自分がとてつもなく空っぽだと気付かされた。
何を恨んで生きていけばいいのかわからない。
兄と会いたくなかった。