はてなキーワード: 都市とは
2020年日本のみならず世界を襲った100年に一度の大恐慌と1000年に一度の疫病、2020年頃になると東京全体に「鉄道社会は恥ずかしい」という共通認識が完全に定着しました。もはや東京の結婚離れならぬ満員電車離れも時間の問題です。
鉄道社会は環境が作り出すものです。自分が鉄道好きになること、家族や知人を鉄道好きにしてしまうことは社会的にとても恥ずかしい行為という認識が定着した東京には、連綿と続いてきた鉄道社会の伝統を継承する者がおらず、あとは絶滅危惧種に指定された少数の鉄道社会が滅んでいくのをただ待つのみです。
しかし、一時は最大勢力を誇ってきた東京の鉄道社会も完全にいなくなってしまうとなるとなんだか寂しい気がするもので、人々の間では昔を懐かしむかのように私鉄や満員電車を懐かしみ、その滅亡を惜しむ声も聞こえてくるようになりました。だからといって自分が鉄道好きになるかといえば、そこまでする勇気もないわけで、ただただ傍観するしかないのでした。
このような状況下において、元鉄道好きの中から自然発生的に「鉄道社会と満員電車の保存運動」が叫ばれるようになります。すでに「日常風景」としての満員電車や鉄道社会は滅んだも同然ですが、代々続いてきた鉄道社会の消滅をこのまま黙って見ているわけにもいかず、鉄道社会を文化遺産の一つとして保存しようとする動きが出てきたのです。その昔、満員電車の本場とまでいわれた東京ですから、この運動が実を結ぶのにそれほど時間はかかりませんでした。
そして、ついに「東京の鉄道社会」は国の無形文化財に認定されました。今では祭りなどのイベントで年に数回みられる程度になってしまいましたが、それでも大晦日から新年にかけての「電車祭り」には毎年たくさんの見物客が訪れ、いまや東京で最もメジャーなイベントになりつつあります。
また、鉄道社会保存のための鉄道社会基金に集められた寄付金で、さきごろH市に鉄道社会記念館なるものがオープンしました。そこには往年の東京の通勤電車や通勤ラッシュや鉄道オタクの写真などの資料の展示をはじめ、鉄道オタクなりきりコーナーや鉄道警察体験コーナーや痴漢体験コーナーなどのアトラクションにいたるまで鉄道社会に関するありとあらゆるものが展示され、新たな鉄道オタクの聖地となりつつあります。
この頃から各地で絶滅寸前だった鉄道趣味の生き残りがしだいに聖地東京に移住するようになり、都市不況に悩む都市といわれていた東京は鉄道社会を観光の目玉に据えることで、日本はもとより海外からの観光客をも取り込むことに成功したのでした。あまり知られてはいませんが、東京の鉄道趣味と本場ドイツの鉄道趣味との国際交流もさかんに行われているようです。
結局、東京から満員電車は日常風景から消え、鉄道社会はその規模こそ減ったものの、最後まで滅ぶことなく、一つの歴史遺産として代々後世に受け継がれていったのでした。
私は次第に岩田先生のことを信頼しなくなっていきているというのもあるのですが、今回の記事も納得出来るのは半分くらいで、残りの半分の半分くらいはそうなのかなぁと疑っています。
今回の記事でそうなのかなぁと疑っている一番大きなところはロックダウンが成功したという指摘。
この記事のブコメを見ると「完全に同意」みたいな人もいるけど、以前から欧米がロックダウンに成功したと捉えているのだろうか?ブコメ掘るぞこの野郎。
あえてロックダウンに成功した国を挙げるとすればそれは中国。だけど、中国の都市封鎖についてはこの記事で言及なし。
もちろん中国が発表している数字をそのまま受け取れないとの考えもあるでしょうし、論文もないのかもしれません。
それでも欧米より中国のロックダウンの方が上手く行ったのは間違いないだろうと私はみています。
推定されている実行再生産数は日本では二度高くなりました。それは国内に最初に入ってきた時(実際に国内にウイルスが持ち込まれた最初という意味じゃなくて、流行が始まった2月上旬)と、人によって第二波と呼んだ欧米から持ち込まれたとされる3月上旬から中旬の2回。
2月上旬はついに国内でも流行が始まったかと対応したことで実行再生産数が下がったのかもしれません。しかし、二回目の実行再生産数の高まりと減少について岩田先生は言及したことがないのでは?
(もしかしたらTwitterでは書いているのかもしれませんが、こうしてまとめて書いたもので触れたものを見たことがないのが私の岩田先生に対する不信感の一つです)
ちょうど志村けんが亡くなった頃に実行再生産数が下がっているので、その衝撃で警戒を高めた可能性はありますが、岩田先生はマスクは否定していますし手洗いが効いたのでしょうか?
記事中ではロックダウンの効果は2週間かかるとしていますが志村けんが亡くなってから2週間かからずに実行再生産数は落ちています(国内の実行再生産数は予測によりますが減少に転じるのは志村けんさんが亡くなる数日前から亡くなった翌日あたりと推定されていて、多少誤差があるとしても2週間はかかりません)。
もちろん、岩田先生がよく使うようにたまたま運がよくて実行再生産数が下がっただけかもしれませんが。
記事では言及されていませんが、ヨーロッパはオーストリアやチェコなどの東欧は全体的に、あとはギリシャも人口辺りの感染者も死者も少なめ。岩田先生に限らず、東欧についてはなぜか言及されることがほとんどありません。
ブコメに見られますが周辺国の感染状況と立地を考えるとヨーロッパの感染拡大は単に陸続きだからとは言えないでしょう。
東アジア、東南アジア、東欧と、感染が少ない地域はある程度固まっているわけで、それを運が良かったの一言で済ませるのはどうかと思うわけです。
死んで償ってくれ という考え方もあるが、そうなると、猶予と 楽に殺してくれ となり
結果 ヒロポンをはくれ となるから やはり おなじになった。多角的にこうやって、くだらない可能性から1つ1つ検討をしていき
コロナにより、経済が弱り果てた という事態を鑑みると まずは 冗談めかして コロナを鑑みひrポンを街頭で無償配布せよとことあるごとに言う事態となった。
これで、説明は満足言ってもらえるだろうか?可能な範囲で丁寧に説明した。あとは様々な専門家に知見を応援してもらってほしい。
コロナの緊急事態で都市閉鎖とは直接は関係ないが、影響はある。統合的に判断するとまだ早いと思っていた意見を 当面 格上げせざるを得ない事態であると すこし 警戒を強めている。
他方 以前からそのようにそちらも言っているが
代替案としては娯楽が必要であり、これはすでに行われたとの報告があるが テレビを所有していない家庭にテレビを配布せよというのは至極正当であり、実施された自治体があるようでそれらは満足行く政策だと考える。緊急性はそちらのほうが上だろう。我が家は直接的にはテレビはない状態だが、いくつかの補助手段を組み合わせることで視聴は可能であり 実際NHKの受信料を支払っている。
ゆえに 必要に応じて 補助機材を復活させ かつ 組み合わすことでテレビの視聴をするかもしれない。
ご家庭で直せる範囲で要修理状態とはいえかつ自分の技術力を考慮すると修理可能ではある、受信機は生きている。ゆえに視聴料は支払っている。
この場合 そのスキルの人間を その金額で募集できる 特記事項なし たしかにそうなんだが これは どう考えても 事故る 保護作があるならいい ただ 野党側が1発で気が付かないとした場合あそりゃ事故る 何が悪いって いや 法律がおかしいと思うしか無い そりゃ いくらで売るもいいけれど 相場観がおかしい そりゃ事故るだろ 10年働いた後 もうどうにもならんだろ そいつの人生 じゃぁ 100社落とせばいいのかって そりゃそうなるわな
1万社会っても 1万社落とすしか無いだろう そりゃ 結果論 売春するしかなくなる
で売春をした 1桁 高い仕事を 紹介してやりゃいいだけ 労働者も クライアントも 満足する
それが 食うに困っって 売春して 結婚 そりゃ 法律がおかしい 実験都市ごと 閉鎖 そりゃしろよ そんなもん
なぜ 令和のこのご時世に 空に困って 売春 って 話を 聞かなきゃいけないんだか わからん
クレーム入れられなきゃ わかりませんでした と言われた場合に そんなもん じゃロゴと閉鎖しろよ
この話で クレーム入れられないと 何が問題かわからない団体が 表現の審査をします といわれたら じゃロゴと閉鎖しろよ
是非はあるから だめではない、 表現って そういうものだから。R-18つけりゃできる。
ついてなかった。
それ、クレーム入ってないから しんさしなくていいとおもった ってジャロが言ったら
どうみてもR-18の番組を テレビ局が放送して 注意書きがない
これは流石に 自分たちでなんとかしろと思われて 1件も クレームが来ないレベル
国に じゃろをなんとかしろって 通報するしか無いだろそんなもん だけど それをやったらおしまいだろ?
国だって 放送見て わからないわけはないけど 動けるか って うごけないだろそんなもん
それをきいて 通報が来ないならやっていいんだと思ったといわれたら
たとえば 嗤っていいともで 放送中に セックスしたら どうしてだめなんですか?っていわれたら
法律的には だめだろうな。
そうきまってるからな。
コロナで休日の予定がなく、撮りためた写真を整理していたら思い出がよみがえってきたので備忘録的に書く。
今じゃ考えられないが、ここ数年中国のLCCの春秋航空が片道\1,980とか異常に安い値段でセールを連発していたので土日+有給1日つけて中国旅行に行きまくっていた。
訪れた都市は上海・合肥・蘇州・南京・広州・深圳・西安・敦煌・ウルムチ・カシュガル・成都・東チベット・天津・青島・大連・丹東・ハルビン・瀋陽・香港・マカオ。
その中でも印象的だった4つのエリアについて、思い出話を書きたいと思う。
■ 丹東
国境の町。大河鴨緑江を渡るとそこは北朝鮮。中朝貿易の拠点として知られていて北朝鮮とのヒト・モノ・カネの連結点になっていると聞いていたのだが...
2019年に訪問した時には経済制裁の影響かほとんど人の往来が見られなかった。2つの国を結ぶ道路を歩いているのは巡回の兵士のみ、鉄道も全然動いていなかった。
北朝鮮レストランはまだ営業していたが、客足はまばら。冷やかしで入り口まで入ったが店員さんは塩対応。英語は話せるっぽい。
結局、中国人経営と思われる店で冷麺を食べて北朝鮮のビール、大同江ビールを飲んでみた。冷麺の味は可もなく不可もなくというところで、ビールは普通にまずかった。
大同江ビールは北朝鮮の主要な輸出品目らしいが、東南アジアのビールのように暑くて湿気の高い日に合いそうといったこともなく、無個性でただひたすらにまずいという印象だった。
ウイグル自治区。少数民族の弾圧が報道されている昨今だが、外国人の俺でも普通に自由旅行ができた。ただし、公安の警備の目は他の町よりも厳しい。
中国では地下鉄に乗るときにセキュリティチェックがあるのが普通だが、ウルムチではこれに加えてホテルやショッピングセンターの入り口でもセキュリティチェックがあった。
地元住民は中国の他の町と比べて彫の深い顔立ちで、ウイグル語表記の看板と合わせて異国情緒が強い。
町の中心部は中国語の建物が立ち並んでいるが、バスで郊外に向かうと昔ながらのバザールや家畜市場も残っており、意外に少数民族の文化が温存されているように思われた。中国政府としても(国内向けの)観光資源として金になると踏んでいるのかもしれない。
余談だが、ウイグル人のタクシードライバーは普通にぼったくってきた。この3年間、中国旅行でぼられたのはこの一度だけ。抑圧されているマイノリティといえど、常に善良というわけではないのだ。
ウイグルと違って、チベットエリアはガチで少数民族の抑圧が強い。最大都市のラサは一人旅で入ることができないため(政府公認のツアー参加必須)、成都からバスで10時間以上かかるという東チベットエリアに潜入した。
時期によって外国人の入境が出来たりできなかったりするので、ネットの旅行記を見て行けたという報告の上がった翌週に1週間休みを確保して飛んだ。多分今はもう行けない。
東チベットは山がちで人口も少ないため発展著しい都市部に比べるとインフラ整備は遅れているのだが、ここにも開発の手が及んでいるようで、日本の首都圏で言うと圏央道くらいの規模の立派な道路が建設中だった。
果たして採算は取れるのだろうか? それとも採算無視で鉄鋼の過剰生産解消のためにオーバースペックなインフラ整備をしているのだろうか?
現地の町ではヤクが放し飼いにされており、そのバターを使ったチベット料理を堪能した。いたるところでマ二車が回され、宗教が生活に根付いているような地域だった。
途中タクシーで修行僧と乗り合わせたが、日本人とわかるとフレンドリーになった。ネットで調べておいた簡単なチベット語のあいさつをすると上機嫌になり飲み物をごちそうしてくれた。
同じタクシーには家族連れも乗っており、小学生くらいの子供が、おもちゃのガラガラのようなマニ車を回していたのがとても新鮮だった。面白そうなのでお土産に1つ買って帰った。
いつか政治的抑圧がなくなって、自由に旅行に行けるようになると嬉しい。
■ 香港
デモの渦中の2019年に訪問。公安とデモ隊の衝突に巻き込まれないか不安だったが、twitterでデモ情報を見ながら移動したので幸か不幸かデモに巻き込まれることはなかった。
主要道路沿いにはデモ隊の落書きが残っており生々しさを感じた。こんな情勢でも地下鉄や船等の公共交通のセキュリティチェックは無く、ネットの接続制限も体験した限りでは見られなかった。
Google, Twitter, Facebook, Line, Fanza。すべて問題ない。アメリカや日本のWebサービスを自由に使える。なんて開放的なんだ。素敵!最高。今後もどうか香港の自由が保たれますように。
「日本は~」には「諸外国と違い日本は〜」という意味が内包されてるだろ
「東京は~」には「道府県と違い東京は~」または「世界の都市と比べて東京は~」という意味だろ
横
オリンピックの負債で今後行政サービスの劣化やら再開発計画の予算縮小やらが確実に続く以上
コロナで満員電車一つ解決できない、医療破綻に日本で一番近い都市ってこともわかったしな。
首都でなくなることでプレゼンスや地価が落ちるのを心配してる住人が反対するかもしれないが
ここまで経済的に他の都市との格差があるなら、政府のおひざ元でなくなった方が
却ってフリーハンドになって政府に圧力かけやすくなるんじゃないか。発言力は逆に高まると思う。
地価低下はおそらく埼玉や神奈川では大きいだろうけど、23区ではそれほど影響ないんじゃないか
※★マークはSpotify未解禁の楽曲も多いアーティスト、ただしマークが無い=全曲配信済というわけでもない
※SawanoHiroyuki[nZk]は「SawanoHiroyuki[nZk]:○○」名義の分も集計されてるっぽいのでトップ3省略
※ヒゲダン(236万)、ワンオク(206万)、ミセス(201万)より多いLiSA、もしかして国内アーティストトップなのか
221.083 | 戸松遥 | 「courage」「Resolution」「ユメセカイ」 |
218,832 | fripSide | 「only my railgun」「white forces」「black bullet」 |
155,571 | 坂本真綾 | 「プラチナ」「逆光」「色彩」 |
143,738 | 雨宮天 | 「Skyreach」「月灯り」「PARADOX」 |
140,910 | 水樹奈々 | 「ETERNAL BLAZE」「Synchrogazer」「Exterminate」 |
115,467 | 放課後ティータイム | 「GO! GO! MANIAC」「NO, Thank You!」「U&I」 |
111,367 | μ's | 「Snow halation」「僕らは今の中で」「START:DASH!!」 |
105,945 | i☆Ris | 「Re:Call」「アルティメット☆MAGIC」「FANTASTIC ILLUSION」 |
104,572 | ヒプノシスマイク -D.R.B-(Division All Stars) | 「ヒプノシスマイク -Division Battle Anthem-」「Hoodstar」「ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- +」 |
102,134 | TrySail | 「adrenaline!!!」「High Free Spirits」「かかわり」 |
100,770 | Machico | 「TOMORROW」「fantastic dreamer」「コレカラ」 |
330,283 | GRANRODEO★ | (参考記録) |
超人類が、マジでありえんくらいクッソ増えまくった人口を多元宇宙に移民させまくるようになって、さすがにキレる程とっくに、六千万と半世紀が過ぎていた。はくちょう座V1489星の四方八方の信じられないほど巨大な人工都市は、超人類の第三兆五千億目の故郷となり、見上げても顔が見えないような大きさの人々は、そこでショベルカーを思わせるような子を産み、ビルのようなサイズに育て、そして半径500億kmを巻き込み死んでいった。……多元宇宙世紀000000079999999999、はくちょう座V1489星から気が遠くなるほど最もクソ遠い多元宇宙都市サイド3333334516721はネオジオンスカールフリート公国バンガードンズを鼓膜が擦り切れる程しつこく名乗り、地球連邦政府に独立戦争を三京二兆回挑んできた。この五億ヶ月あまりの戦いで、ネオジオンスカールフリート公国バンガードンズと連邦軍は総人口の一人残らず死に至らしめた。人々は、自らの行為に激恐怖した。ゲロヤバイ戦争はマジでまっっったく動かん膠着状態に入り、八十億ヶ月あまりが過ぎまくった…
高等遊民っぽい雰囲気出してるけど人生でモテたこと死ぬほどない、なんの取り柄もない小狡いITエンジニアの巣窟
正確には
な
プログラミング全くできない人は自分より圧倒的に社会的地位格上でも、周りから尊敬されていても思いっ切り下に見てニンマリする都市大レベルの大学しか行けなかったバカ
緊急事態宣言が解除されて都内の休業要請も19日は全面解除になるのだけど、これだけは釘を刺してほしいと思うのはマスクはやっぱり自分に対する感染予防には全く役に立たないということ。
すでに感染した人が、感染拡大を防止するためにはとても役に立ちます。そういった意味で全員がつけ続けることは大事です。
しかし、周りを見回してみると、マスクを付けてさえいれば安心とばかりに、マスクがまるで普通の生活を送るための免罪符のようになり始めています。
毎日、むしろどこかに立ち寄る度に新しいマスクに変えるならまだ多少は効果があると言えますが、今、マスクを付けて外出している人のうち、どれほどがそれだけの頻度でマスクを変えているのでしょうか。
それではどう頑張っても感染拡大を止めることはできません。
人との交わりを減らすことです。
新しい生活様式とはそのことで、今まで直接合わないとできないと思っていたことを、テクノロジーによって解決しましょうという試みです。
それなのに、いつのまにかそれが「一日中どこにいってもマスクをつけて生活すること」に置き換わってしまっているのが現状です。
日本人はアメリカのことをよく知っているが、アメリカ人からすると日本なんて地図のどこにあるのかも知らない。
インバウンドで人が増えているというが、アメリカ観光客が劇的に増えているわけでもない。
スシやラーメンや抹茶など、アメリカ人にウケている日本文化はあるものの、物珍しさから来るものだろう。
アメリカから日本への直接投資はずっと横ばいのままだし、アメリカから日本への留学生が多いわけでもない。
日本人にアメリカの場所を聞くと大抵は答えられるだろう。(州や都市の名前までとなると減少するだろうが)
日本からアメリカに移っている人数は毎年増えている。日本からアメリカへの直接投資も年々増えている。
Netflixで多くのアメリカのドラマを見て、アメリカに移り住んで日本人の知らないアメリカ事情を知っていることで、マウントを取ることもできる。
ソフトウェア産業なんて、日本企業に勤めるよりアメリカ企業に勤めた方がステータスなのか、それだけでマウントを取れる。
黒人問題は、日本人が愛したアメリカじゃないから、おどおどしている。(トランプが出てきてからずっとかもしれない)
そんな日本人でも食に関してはアメリカを嫌っているのが面白い。
日本で生産された食品というだけで安心を感じる。(安全かは知らない) 薬も嫌っているか。
日本人は日本企業のことは信用できず、儲けるのは許せないし、見えないところで何をしているのか信用できない。
メルカリを見てると他人の目が無いところでは日本人は何をやってるかわからず信用できないっぽい。だが他人の目があるところ(銀行や喫茶店など)だと保険や投資信託など信用して疑わない。
日本政府も他人の目がない所で何やってるかわからないので信用できない。でも金はくれ。
ネットは他人の目があるから安心できる。自分が思いつかなかったこと(嘘でも陰謀論でもいい)が書かれているから安心できる。(安全かは知らない)
私は一介の十二国記ファンである。中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。
本記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈や思い入れにも立ち入るかもしれない。
各物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟の視点から見た世界よりも、庶民から見た世界の比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座に上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆のレジスタンスの物語であり、それがさらに大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。
もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベルで出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。
しかし、「丕緒の鳥」からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理な世界で生きる人々へのエールとなっている。
つまり、これから尚隆や陽子の視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。
前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。
十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。
天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。
しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上の奴隷だっている。
そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。
言い換えると、天は王と官吏と農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会を形成してきた。そして、この世界の民衆はルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主の世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領に支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たちの世界の大統領・首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たちの世界の鏡像なのだ。
今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。
それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界の宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。
十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟の運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠・出産からの「解放」だ。女性の苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観も女性に優しい。王も麒麟も官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性は再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSF・フェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。
しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会の軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに性暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界のセックスワーカーがどれほど過酷な生活を送っているかは不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実の中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。
考えてみれば、官吏は女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である。育児の負担がこちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。
それと、生理の問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から「解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信・タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。
天帝が女性、または西王母が兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから、天帝が西王母より偉い理由は別にない。
十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である。麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋な空想だ。
考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝がラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに「黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。
だが、もともと中国・道教の死生観がそういう面がある。「救急如律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国の役人が賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。
そして、自分は天帝がラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記が不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧な世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。
私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。
また、
そして、長編がありうるとしたら
と考えている。
少しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。
王朝の最後にはいくつかの傾向がある。一つは陽子を暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人の劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所が裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実を検討する能力に乏しかった。
で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らしをしろ、という趣旨の台詞がある。
これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しかも御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険なものはない。ああいう仲のいい家族が崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。
「王気」という言葉は一見すると単純な造語である。しかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。
黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。
十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人のお話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義が歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。
また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。
最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力を行使可能な麒麟がいるとか、かなり危険な情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。
楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝は盗賊が活躍するピカレスクロマンである。文人肌の楽俊とはだいぶ違う。
桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」の意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。
祥瓊の父の字は仲達で、三国志の諸葛亮のライバル、司馬懿と同じだ。雁の白沢は瑞獣の名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国の官僚や文人たちから名前が取られている。とはいえ、名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い。
「帝」という称号は始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである。
しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。
語彙だけではない。現実の中国の文化には、周辺の異民族との交流から生まれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートやキルトではない、ズボンやパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界が匈奴や西域の影響の薄い中国の文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。
十二国記のアニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。
つらつらと書いてしまった。
残念ながら、小野不由美の他の作品との比較・検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。
積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。
そして、次回の新刊をのんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語の物語を完結させてくださり、ありがとうございました。