はてなキーワード: 芸術作品とは
美を追求するコンテストを廃止するなんて美を賞賛する事もダメなのか!
知識量を決める事と何が違うのか!
みたいな知性のかけらもないブコメ並んでてブクマカって馬鹿しかいねえな〜と思った次第。
馬鹿には分からんかもしらんが、一応説明すると人の外見において、何が「美しい」ものなのかってのがもう人に決められるもんじゃないって時代に来てんのよ。
自分の美、の基準は自分で決めよう、自分のありのままの姿を自分で認めよう。
他人が優劣をつける事はやめようって話ね。
背が低くても足が短くても、美人。
ニキビがあっても、肌がきめ細かくなくても、お尻にセルライトがあっても、それも美しいじゃない、って話よ。
もちろん建前でもあるよ?
大っぴらに
肌がきめ細く色白でニキビもなく足が長く髪がサラサラで艶があって額が狭すぎず広すぎず姿勢が良くてお尻が垂れてなくて二重で目が大きくて鼻が高くてどこかに気になるアザも大量のホクロもないって子
を、美人として優劣をつけ評価する事は、そういう美の基準を作るって事になるんだよ、分かる?
持って生まれたアザやチリチリの髪や短くて太い手足を否定して、その昔ながらの美の基準を目指そうって価値観自体がもう古いって話。
そしてそれこそそうした価値観から遠い人が傷ついて苦労して来たって話ね。
もちろん芸能みたいな商売はまだまだ利用すると思うけどさ、それとこれは違うやん?
あんな人間を売り物にするような業界自体が普通じゃないんだからさ。
知識とか運動みたいに明らかに多い少ない速い遅い強い弱いで優劣がつくもんじゃねえんだよ、美ってのは。
誰かが勝手に決めてきたもんなんだ。
んで苦しんできたもんなんだよ。
その水原希子もケツのセルライトを修正せずに出して一部ではなんで汚いものをって言われたんだよ。
それが美だよ。
まあ水原希子だって顔小さいし足長いけど、そうじゃない子だって少しずつモデルとして活動出来てきてるじゃん。
それを認める事なんだよ。
何であんなのが、って言うのは間違ってんだ。
そうなんだよ、もはやモデルって何って話で良いんだよ。
いやそれでもそれなりに色々あるだろうけどね。
リスクがあってもね。
それを否定は出来ないよ。
でもな、そうして整形願望を持つ子たちの根っこには、過去に形成されてきた画一的な美の基準があって、それに伴う世間の評価が存在してるからなんだよ。
ありのままの姿でずっと評価されて認められてきてそれが世間で当たり前になってりゃそんなリスク犯さないんだよ。
鼻が高いのが可愛いよねって価値観が男女共になければ、そんな事しなくて良いんだよ。
よくよく考えるとさ、健康を害してまでウエストを締め上げたコルセットの時代からまだそこまで進歩しちゃいねーんだよ人類。
だから少なくとも大っぴらな美の基準を固定化する行為は否定されて然るべきなんだよ、わかる?
ちなみに俺は高校生の時に学校のミスターコンテストで優勝した事あるけど、この流れは素晴らしいと思う。
これは冗談で言うけど、おまえらブサイクブスばっかのくせになんでルッキズムの片棒担いでんだよ。
というかそこにコンプレックスあるやつほど執着すんのかもな。
あれだけ従わされてきたルールが突如変更になるって、俺私のこれまでは何だったのって。
でももう楽になろうぜ。
そんで自分達の子どもの代では過去の美の価値観から解放してやろうぜって思わんのかね。
追記:アノニマスでもなんでもないけど読んでくれてあざす。
だいぶ煽ったおかげで読まれた気がするけどもその部分の反発やご指摘は仰る通り。
自分の云々は蛇足だしどうせ僻みだろみたいな反応への予防線なんか張る必要なかったし馬鹿だったと思う。
多分自分がブコメするほうでもそこ一言嫌味入れると思うしのっけから馬鹿だなんだという部分で不快になった人には申し訳ない。
ただ揚げ足取りや内容への言及なしなものが大半になっちゃったのも否めずなんつーか諸刃だった感もあって。
全部いちいち注釈入れて全方位配慮型で中庸に仕上げた文章読まないでしょ?という気持ちは今もなくはない。
重要なのは美の基準の話だけど、生理的なレベルの好き嫌いに関しても俺は後天的なものだと思うんだよね。
生まれた時から周りに自然にいる人に対して自発的に生理的嫌悪は起こさないんだよ。
いわゆる顔面うんたらみたいな障害持ってる人とかも、出会ったことがなければ衝撃を受けるのは自然な事だけど、仮に身近に当たり前にいれば生理的嫌悪も起きないわけよ。
現代の美的感覚も西洋の文化からの受け売りのものが多数であって、心理的なものですら必然的な現代生活の刷り込みあっての後天的な環境要因あってのものだと思うわけ。
現代文明に触れてないジャングルの奥の少数民族が同じ美的感覚持ってると思うか?って話。
だからそれらも刷り込みであって、その土壌を作ってきた1つの美の様式を小さなとこから解体していくべきと俺は解釈してるわけ。
それはある種文化を壊すことにもなるけどそれがあるべき人間の進歩には間違いないわけよ。
海外の流れがそういう考えを元にしてるとは思わんけど、自分の美の基準を自分で決めるべきってところを掘ってくとそういう話にもなるわけ。
今までの基準を壊していく事、刷り込まれてるものを一旦全部リセットしてっていう。
ファッションだって黒人がヴィトンのショーを数日前にやって、ストリートの手法がどんどんラグジュアリーにも本格的に受け入れられて、まあそっちはマーケットベースで動いてるけど、そういう一連の流れと多様性と価値観の進歩は全て共鳴してんのよ。
藝大みたいなとこは、って言ったのはアートとかそういうのは価値観を先に進め時代を牽引するものであって、だからこそ表のミスコン?にはそういう意図があった中、保守的な従来型のミスコンをやるってのがそりゃ違うでしょってなるのは必然って話。
あと運動能力や知識量は明らかな勝敗がつけれるものであって、生まれ持ったものに左右されるのは確かだけど、美の基準が後天的に作られてるっていう前提からすると同列には語れない。
それも比較するな、となったら努力を否定する事になるってのは分かるけど、運動能力や知識量は目指すべき方向性が決まってる。
それに対して美への努力は何を持って美とするか、を誰かが決めるものではないって話。
あと芸術点のある競技の話に関して鋭いツッコミあったけど、これは競技に限らず芸術作品、文芸、ファッション、音楽とか全てにおいて権威が評価を決める事への反発の動きもあって時に変動するからこそ基準に対して流動性があって良しなわけ。
それにそれらは人が作った競技だから基準を人が作っても良いわけよ。
でも美人の基準は流動性がなく(ほんとは若干あるけど、流行りの顔とか。でも生理的なものとか言われるくらいだから根底はあんまずっと変わってない)、なおかつ人の外見なんか人が生み出した競技ではなくその美の基準だけ人が生み出して、それで苦しむ人がいるわけやん。
んでミスコンはそんな外見の優劣なんて競技に参加したつもりもない人間を判別する基準を制定する事になる行為だって話。
だから取りやめる事は必然であって、他の競技も出来なくなるとかつまらない時代とかって批判はおかしいっしょっていう。
この辺が話の本題で本質ね。
ブコメが本質の話にあまり至ってないのは俺の責任でもあるけど、少しでも気にかかった人はこの追加まで読んでくれると真意は伝わると思う。
再追記:タイトルや煽りで損してるのも分かってるけど敢えて改変はしないつもり。
キモい、とかそういう内容に言及しない批判はどうでも良いし、的外れな批判を取り上げて持論を補強する卑怯なやり方もしないっす。
でもブコメの意見がめちゃくちゃバラバラでそれは良いのかなと。
勢いで書きなぐったのでまとまってないのは申し訳ない。
誤解を生むのも自分のせいかなと思うけど、未だに「黄金比みたいな美の基準は決まってる」みたい論は、それ後から決まってきたものであって、例に出してる現代文明に触れてない人間には通用しないんじゃない?=文明の影響で黄金比を感じる土壌が出来てるのであって後天的なもんだからそれを普遍的な美だと決めつけて人様の顔に当て込んで評価するのやめようぜって話。
で、そうした美の基準は多様で良いって前提なら従来型の画一的な美の基準に照らした評価を継承するミスコンは無用で過去の価値観を補強し定義する害悪って言ってる。
美以外にも努力は否定してないし、ただ美の努力の方向性を勝手に誰かが決めてくのは終わりって話よ。
肌が綺麗とかどーとかよ。
ありのままでええやん、が本旨。
何回も言うけど、他の運動や芸術などのコンテストや競技は競技自体を作ったのが人間であり、何かを行ったもの、を評価するものだから評価基準を人が作って良い。
一方、顔やスタイルなどの造形は生まれた時にある程度決まっており、何かを行ったもの、ではなく存在する外見そのものを評価する事でもあるから、評価基準を人が作るべきでないって事。
努力っつっても外見に関して何に向かって努力すべきかを他人が決めるなって話。
そこからデフォルトで遠い人間がネガティブな評価を受けるから、以上。
だったら中身だけでやれって話になるので。
余談だけど俺はめちゃくちゃ性格悪い自覚はあるから言及しなくて良いっすよ。
あの150選ある100選を読んで、今まで自分が「文学」とやら何なのか今まで全く気にしていなかったことに思い至った。
目の前の便利な板曰く、「文章を使った芸術作品」「表現が内容より秀でている文章」ということらしい。
相変わらずインターネットすげえ。
馬鹿な俺にも一発でわかる明確な答えを端的に示してくれる。
「不意の土砂降りで、長年使っていた腕時計が壊れた」
より
「未練がましく乾かしていた腕時計を、結局捨てることにした。8年前に死んだ父が、大学卒業の記念でプレゼントしてくれたものだ」
でも、だとしたら文学は「何を書くか」より「何を書かないか」の方が大事なのではなかろうか。
何かを書かないために、別の何かを書いている、とでも言おうか。
そうなると、読むときも「何が書かれているか」ではなく「何が書かれていないのか」を読み解くほうがきっと楽しいに違いない。
あの100選、上から読んでいくと「ちょっと不器用な人が自分なりに頑張っている話」の陳列になっているように見える。
俺にはいまのところ文学を読み解く力がないけど、今度から面白そうなエントリーは「何が書かれていないのか」を読むようにしてみよう。
いわゆるモダンアートと呼ばれる作品と、古典的な美術作品とはまるで別物である。同列に置いて論じてはならない。
一方は落書きであり、もう一方は人の精神の深いところへ訴えかけてくる魅力と刺激を伴う神妙なものであり、これらを同じアートという言葉でくくるのは伝統的芸術作品、本来の芸術家精神に対する冒涜である。
もちろん深く精神に訴えかけてくるのは古典的美術品の方である。モダンアートは伝統的な芸術作品とは天と地ほどの差がある。もちろん天が伝統的な芸術作品である。勝負にならない。
モダンアートとはただの落書きである。これは教養なく金を手にした連中が感性高い風を気取ってただの落書きに高値を付けたことによる。戦後のアメリカ人が悪い。戦争による感性の破壊と言う線も考えられるが、大戦、冷戦を経て世界唯一の超大国となったアメリカ、火事場泥棒的な富の蓄積によるアート市場への歴史なき国民の劣等感とともに参入した成金のアメリカ人たちによる影響が大きい。彼らの悪乗りにモダンアート作品なるものの高値づかみは従来の伝統的、写実的、正統派の芸術家を隅へ追いやり、落書き小僧に過ぎない軽薄な自称芸術家たちを優遇し調子づかせ、現代の芸術的感性の退化を招いた。
集団催眠的効果を疑っても良い。集団に対しての洗脳である。落書きを価値ある芸術作品とみなす集団催眠。仮に意図的にそのような舞台を形成したと言うのなら、それこそ芸術と言っていい。人間心理操作しかも集団に対する芸術的操作である。価値なんてない落書きに巨額のマネーを引き寄せる。落書きを市場に供給することによって巨額のマネーを引き寄せる仕組みである可能性もある。
というようなことをニューヨークのMOMA、その他諸々のモダンアート現代美術作品を展示するあちらこちらの美術館をめぐって結論を得た。日本の地方の市立美術館とかがモダンアートによる浸食被害が大きい。ただの落書きに過ぎない作品を高値で購入している。見れば見るほど軽薄で、全く役に立たない落書きが価値ある作品として掲げ続けられていることに怒りすら覚えたのでこんなことを書いた。
https://twitter.com/c_ssk/status/970995446662377473
"「ショイプ・オブ・ウォーター」を見たアセクシャルの友達が「(恋愛映画なのに)理解できたの?」って言われた話が本当につらくて、今これを書くだけでちょっと泣きそうなんだけど、こういうことを問われるのは常にマイノリティだけなんだよね。お前だって半魚人と付き合ったことないだろ!!"
https://twitter.com/c_ssk/status/970995641299042305
"シスヘテロ恋愛ものを見て感動した非シスヘテロは「わかるの?」と問われたり、「わかんないでしょ」と決めつけられることさえあるのに、シスヘテロの観客がLGBTの話に感動したら「これはLGBTの映画じゃない」とか言い出す。いい加減にしろよ。物語を剥奪するな。"
チキささの「アセクシャルの友達」が文字通り「理解できたの?」と言われたのかどうかは不明だが、そのアセクシャルの友達と「理解できたの?」発言の人とは一定の信頼関係があったことは予想できるし(日ごろからアセクシャルであることを誰彼構わず触れ回ってるなら別だが)、真相は「デル・トロといえども恋愛至上主義からは自由ではないんだねぇ」「アセクシャルならこの残念さよくわかるよね」という発言にアセクシャル側が同意を求められ、たまたまデル・トロ好きだったから(日頃の主張も忘れ)不快になった、という程度の話なのではないか。
そもそも、ある物語が住む地域も人種も宗教も違う人々をも感動させるのはそこになんらかの普遍的な要素があるからで、「内観」という、人間が情動を理解する唯一の手段を働かせるという意味での共感性があるからである。かつての権威づけされた芸術作品には貧困層などは排除されており、その作者やその作品の同時代人たちが考える「人間の基本的な条件」が現在よりよほど狭く設定されていたことが普遍の描き方に反映してしまっていた。しかし、現代では大衆化されさまざまなマイノリティ性を含んでもなお、そこに普遍を描くことができ、物語製作は豊かなになってきている。
つまり、「人間なら異性に惚れるのは当たり前だよね」と条件づけられていた「普遍」は、現代の人々が同性愛者の存在を広く認知し尊重するようになったことにより「同性に惚れるのだって人間だよ」というように拡張してきているのである。
ここで「物語からマイノリティを排除するな」という訴えは要するに、「普遍」を描く際の人間の条件からマイノリティを排除するなということであり、「現代社会はアセクシャルを排除している」という訴えは、ほとんど全ての創作物が謳いあげる「普遍」に性愛要素が含まれることを撃っているのである。その意義は大きい。「行け!稲中卓球部」で誤解から卓球の選抜チームに入った前野が、実際には卓球の実力も熱意もないため、卓球の話ばかりする選抜チームの中で退屈さと疎外感から唐突に「サメの話しようぜ」と言い出す滑稽な場面があるが、アセクシャルにとっては行く先どこもに恋愛の選抜チームが結成されている状況であり逃げ場がなく、前野とは違うのである。
ここで「シェイプ・オブ・ウォーター」に戻ると、そもそも恋愛映画であるが登場するのは半魚人である。繰り返すが、人間には情動を理解する手がかりが自分自身にしかないため、動物だけが登場する作品においてさえ、動物は人間が化けたように子の死を嘆き、群れからはぐれれば孤独を感じるように描写される。これは「動物性の剥奪だ」と非難する事すらできるだろう。動物のことはわからないのだから勝手に当てはめるなとも言えるだろう。2008年のディズニー映画「WALL-E」は、荒廃した惑星でただ一体動くロボットが主人公だが、その主人公は物語中で「女性の」ロボットと出会い、彼女との性愛関係を志向するようになる。遠い未来のロボットであってもヘテロセクシャルなのか! と当時ディズニーの物語製作には大いに落胆させられたものである。
「シェイプ・オブ・ウォーター」も物語構造の核としてシスヘテロ恋愛でしかなくこの種の批判は免れない。アセクシャルの友人が批判的コメントを求められることはありそうなことだ。
チキささは「お前だって半魚人と付き合ったことないだろ!!」と言うが、半魚人と付き合ったことなくても、自身のシスヘテ恋愛経験を拡張して半魚人と付き合うことまで理解してしまえるのが「普遍」だし、そこに同時にアセクシャルを排除したシスヘテ至上主義の傲慢もあるのである。
たまたまチキささとそのアセクシャルの友人がデル・トロ贔屓なのかもしれないが(おそらく「パシフィック・リム」においてベケットとマコが最後にキスしなかったことを評価しているクチだろう)、「シェイプ・オブ・ウォーター」は批判するべき作品である。
そもそも「アセクシャルならヘテロ作品わからないでしょ?」なんていう見解は圧倒的少数であり、アセクシャルが戦い、苦悩しているのは「やっぱりヘテロ恋愛には感動しちゃうよね。人を好きになること、これは人類不変の原理なんだよ」というような理路である。実際にそんなリプがついている。こんな藁人形叩きに近いツイートが大きな共感を得ているのは、シスヘテ至上主義の側がこのツイートに「救われている」からである。チキささは無能なアライであることを自覚するべきだ。
今回は少年ジャンプ+
本作の見所は、登場人物たちの紡ぐ芸術作品の奇抜さにあることは明白だと思う。
ただ精彩ではあっても精細さに欠ける印象。
だから、分解して評価するとつまらなくなったり、粗ばかりが気になりやすい。
コマ割とか、構図とか。
これは「わざわざ声に出して説明する」っていうギャグだと思うけれども、説明しなくてもいいことを説明するからには、その内容が面白い必要があると思うんだよね。
しかも、ギャグ以外の場面でも説明口調を多用しているから効果が希薄になって、全体的に平坦な印象を与える。
加虐心という偏愛性を持つ主人公の苦悩を、後半で判明する更なる事実によってより露わにしようという試みが興味深い。
テーマがより色濃くなるし、構成上でも絵的に盛り上がる場面を入れられる。
ただ、些かごちゃごちゃしている感じはする。
前半の主人公の苦悩を描きながら、主要人物の様子も丹念に描き、更には後半に明らかになる事実のための伏線をはるという構成はしんどい。
全容が掴めない事はサスペンスとしては面白みもあるけれども、掴み所すらないとどういう気持ちで読めばいいから分からないから困る。
まあまあふつうな人。もっと主張していいし、はっちゃけてもいい。自分が思っているほど他人は自分のことを考えていないと知るべし。
ごくごく一般的な人。多少ズレていても一般性の軸がしっかりとしているのでブレない。
真面目な働き者。物事を深く考えることができないので騙されないように常に注意したほうがいい。
良くも悪くもミーハー。馬鹿にされがちだけれど、ミーハーを貫き通せば大丈夫。
そんな人いる?
堅実な人。ややマニアックなので人を困惑させることもしばしば。
夢見がちな人。人生に迷っているので、ちっぽけなプライドは捨てて、だれかに(占い師でもいいから)相談すべし。
みんなの潤滑油あるいは緩衝材。あまりモテないけれど、そういう星の下に生まれただけなので気に病む必要はない。
ナルシスト。美形だとキマっているけれど、そうじゃなかったら悲惨。鏡とよく相談すること。
自分は他人とはひと味違うと思い込んでいるけれど、そんなことはない。写真(風景)写真(人工物)の項を参照。
優秀でもないし頭もよくないけれど、周囲とうまく合わせていける人。仕事もそつなくこなすのに、なぜか馬鹿にされがち。こういう人を馬鹿するのは品性がない証拠。
自分は他人とはひと味違うと思い込んでいるけれど、そんなことはない。写真(空、宇宙、海中、砂漠など)の項を参照。
これをクールだと思っている人は中途半端なミーハー、とくに注目されることなく人生を終える。クールだと思わない人はキモオタ、良くも悪くも印象的。
自分を完全に見失っている。バランス感覚が大きく欠如している。もう人に相談とかいうレベルじゃないんで、強く生きろ!
自分をクレバーでクールな人間だと思い込んでいる勘違いクソ野郎。周囲からはつまらない・意味不明・気持ち悪い人間だと思われていて、最悪の場合セクハラをはたらいているけれど、当の本人はまったく気づかないどころか周囲を小馬鹿にしている。みずからの偏った知識(しかも古臭く、やたらと権威主義的で、そのくせ穴だらけのガバガバな雑学知識)を誇っており、二十一世紀のいまを生きる人間(とくに創作をしてる人)をなんの考えもなしに嘲笑する品性のなさに気づけない。自分はこの世の真理にすこしは近づけているはずだ!という無様な妄想をふくらましているけれど、じっさいは常識知らずで頭の能力が低いだけ。これらのことをちょっとでも指摘すると逆ギレか説教がはじまる。その内容は、私のような高らかな知識(笑)と豊富な経験(笑)を身につければ無知なお前にもわかるようになるよ的な内容、知るかボケナス。ほんとうに救えない。どうしようもない。手遅れ。恥知らず。もう手の施しようがないんで、このまま愚かな一生を過ごせばいいよ。
ダメ人間。
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曖昧さ回避 「ベートーヴェン、ベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
Beethoven.jpg
別名 楽聖
生誕 1770年12月16日頃
死没 1827年3月26日(56歳没)
活動期間 1792 - 1827
ベートーヴェンのサイン
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。
目次 [非表示]
1 生涯
2 作風
2.1 初期
2.2 中期
2.3 後期
3 後世の音楽家への影響と評価
4 芸術観
5 思想
6 人物
6.1 名前
7 死因また健康について
7.1 聴覚障害について
8 親族
9 弟子
10 代表作
10.1 交響曲(全9曲)
10.2 管弦楽曲
10.3 協奏曲、協奏的作品
10.4 室内楽曲
10.5 ピアノ曲
10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品
10.7 宗教曲
10.8 歌曲
11 著作
12 伝記
13 脚注
14 参考文献
15 関連項目
16 外部リンク
16.1 録音ファイル
16.2 伝記
生涯
ベートーヴェン(1803年)
1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。
1787年、16歳のベートーヴェンはウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。
1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノの即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。
20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。
1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。
40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。
1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。
作風
初期
作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドン、モーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。
中期
1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。
中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。
これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。
後期
1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲、ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。
後世の音楽家への影響と評価
ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。
ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。
中でもワーグナーは、ベートーヴェンの交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。
一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークやチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルク、バルトーク、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ラッヘンマンにまで影響を与えている。
芸術観
同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルやモーツァルトなどから影響を受けた[7]。
ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。
思想
ベートーヴェンはカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスやプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。
また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。
政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒのウィーン体制では反体制分子と見られた。
その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。
人物
身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。
基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者と誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。
当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。
潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。
性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。
師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。
パトロンのカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。
テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。
交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントン・シンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。
聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。
死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。
これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。
メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番やハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。
彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。
パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。
コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。
名前
原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。
日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナー、ヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。
姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラント(フランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。
vanはドイツ語、オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。
偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。
詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照
死因また健康について
慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。
ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。
1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。
聴覚障害について
難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。
耳硬化症説
伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。
又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。
先天性梅毒説
「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。
鉛中毒説
上載の死因また健康についてを参照。
メッテルニヒ政権説
ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。
有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。
デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。
完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。
親族
フランドル地方・メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンス・アウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。
祖母:マリア・ヨゼファ
父:ヨハン
母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版) ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。
甥:カール(ドイツ語版) カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。
弟:ニコラウス・ヨーハン
同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。
弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。
弟子
カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。
フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。
ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。
ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。
アントン・シンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。
代表作
詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照
交響曲(全9曲)
第1番 ハ長調 op.21
第2番 ニ長調 op.36
第3番 変ホ長調 『エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]
第4番 変ロ長調 op.60
第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]
第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]
第7番 イ長調 op.92
第8番 ヘ長調 op.93
第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]
『レオノーレ』序曲第1番 op.138
『レオノーレ』序曲第3番 op.72b
序曲『コリオラン』ハ短調 op.62
交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91
『命名祝日』序曲 op.115
『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113
『献堂式』序曲 ハ長調op.124
協奏曲、協奏的作品
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61
ロマンス第1番 ト長調 op.40
ロマンス第2番 ヘ長調 op.50
三重協奏曲(ピアノ・ヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56
合唱幻想曲 ハ短調 op.80
弦楽四重奏曲(全16曲)
第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1
第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2
第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3
第10番 変ホ長調(ハープ) op.74
第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95
第12番 変ホ長調 op.127
第13番 変ロ長調 op.130
大フーガ 変ロ長調 op.133
第14番 嬰ハ短調 op.131
第15番 イ短調 op.132
第16番 ヘ長調 op.135
弦楽五重奏曲 (全3曲)
ヴァイオリンソナタ(全10曲)
第5番 ヘ長調 『春』 op.24
第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47
チェロソナタ(全5曲)
ピアノ三重奏曲(全7曲)
第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1
第7番 変ロ長調『大公』 op.97
その他の室内楽曲
ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17
六重奏曲 op.81b
七重奏曲 変ホ長調 op.20
管楽八重奏曲 op.103
ピアノソナタ(全32曲)
第8番 ハ短調『悲愴』 op.13
第15番 ニ長調 『田園』
第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2
第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53
第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]
第26番 変ホ長調『告別』 op.81a
第30番 ホ長調 op.109
第31番 変イ長調 op.110
第32番 ハ短調 op.111
その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)
創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34
創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35
『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78
『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79
創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80
創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76
ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120
アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57
幻想曲 op.77
ポロネーズ ハ長調 op.89
7つのバガテル op.33
11の新しいバガテル op.119
6つのバガテル op.126
バガテル『エリーゼのために』 WoO.59
本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。
オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品
歌劇『フィデリオ』 op.72c
劇付随音楽『エグモント』op.84
劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113
宗教曲
ミサ曲 ハ長調 op.86
ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]
修道僧の歌
歌曲
アデライーデ op.46
汝を愛す
鶉の鳴き声
新しい愛、新しい生
口づけ
追憶
懺悔の歌
人間らしく生きるためには、考える力が必要です。そして、考える力を取り戻すためには、「何もしなくて良い時間」を増やす事が必要なのです。子どもたちを成長させる遊びや、人々を感動させる芸術作品などは、「何もしなくて良い時間」から生まれています。
最近は時間の大切さに気付く人も増え、お金よりも時間に価値を感じる人が増えてきました。特にお金がなくて困っている訳でもないのに、無理して働いているという状況に疑問を持ち、進んで仕事を辞めていく人も多いです。いくらお金があったとしても、過労で倒れてしまっては意味がないし、自分の時間がなければ楽しめません。
多くの人は自分の時間を犠牲にして必死に働く事で、収入を得ていています。そのため、時間の大切さを忘れてしまい、いつの間にか年を取っていたり家族と過ごす時間を失ったりするのです。しかし、忙しく働いていると、そんな事を考える余裕すらなくなってしまいます。それはすなわち、人間にとって大切な「考える」という力を仕事に奪われているという事です。実際にブラック企業などは、過酷な労働環境に疑問を持たないように従業員の考える力を失わせる事で成り立っています。
この記事を読んでいるあなたも、きっとお金よりも時間が欲しいと思っている事でしょう。人間は誰もが未熟なんです。弱い人間とか未熟な人間の方が、はるかに膨れ上がる可能性を持っている。熟したものは逆に無抵抗なものなのです。いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きること。それを忘れちゃいけないと思うのです。
人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきです。それが誇り!死ぬのもよし、生きるもよし。ただし、その瞬間にベストを尽くすことです。何か、これと思ったら、まず、他人の目を気にしないことです。また、他人の目ばかりでなく、自分の目を気にしないで、委縮せずありのままに生きていけば良いのです。これは、情熱を賭けられるものが見つからないときも大切です。つまり、駄目なら駄目人間でいいと思って、駄目なりに自由に制約を受けないで生きていく。そうすれば、何か、見つけられるチャンスがおのずから開けてくる。
今さらですが僕たちが生きるこの社会では、お金がなければ生きていくのが不可能です。
お金が無いからと言って、人さまの家に勝手に上がり込んで冷蔵庫を漁ったり、畑から食べ物を盗むわけにはいきませんものね?
自分で稼いだお金で快適な衣食住環境を整え、毎日お金と食べ物を交換し生きていくしかないのです。
要はなんらかの経済活動(仕事)を行わなければお金が手に入らない社会システムの中に生きる限り、お金がなければ生きていくことが不可能なのですね。
ところがいざ社会に溶け込めば会社や従業員同士の競争の縛りから逃れる事が出来ません。
この矛盾が人間らしく生きる活力を奪い、僕らの健全な思考さえも奪います。
しかし上には上がいるもので、時に誰かと自分を比べては落ち込んでしまう。
その意味では競争とは一般人を24時間365日死ぬまで働かせるための罠なのかもしれません。
1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。
1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみると いいでしょう。
1週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。
1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。
1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。
インスタ文明衰退の鍵は食文化にある、と考古学者の吉村教授は語る。
「この遺跡から発掘された食器を見てください。ハエのような昆虫の死骸が付着しているでしょう。」
『はい、けっこう大きいですね』
「インスタバエと言います。当時の人々は宗教上の理由からインスタバエが触れた食べ物を食べることが出来ませんでした。インスタバエは地獄からの使者の象徴であり、触れた食べ物に手をつけることは地獄への一歩を意味していました。」
「現代人であれば、駆除を真っ先に考えるでしょう。しかし、インスタ人はハエが付着した料理を視覚的な芸術作品として、再利用することに執心してしまったと言われています」
→ 来週につづく!
インターネット鬼退治しようとしていたら過去に童貞を差別・侮辱する過去の発言を重ねていたことから普通に叩かれているはあちゅうさんですが、ものごとを良く理解できていないようで、よくわからない反省(外から見ると後悔と区別がつかない)をしてしまっています。なんか可哀想になってきたので物事を簡単に整理しました。
はあちゅう曰:
その自称する「童貞っぽさ」に関して、私が言及するのもNG、童貞を自虐として言わせている社会も、童貞の自虐を受け入れる私も悪い、というのが今の流れだと認識しています。
傷つけてしまった方に深くお詫びするとともに
今後は個々人が持つ言葉のニュアンスの違いに気を付けて発言するよう、
https://note.mu/ha_chu/n/n9f000c7bb226?creator_urlname=ha_chu
この人は「傷つく人がいるからダメ」だと思ってるようですが、本件の本質は「特定の集団に対する差別表現であった」ことだけです。
「傷つき易い人もいるのね、ごめんね★」という認識をもっている彼女は、どうやったら自分が「差別的な表現をした」と気付けるのでしょうか?たぶん、彼女が知っている「頻繁に差別の対象となっている集団」への置き換え例をたくさん考えてみるのが一番簡単ですね!やってみましょう。
童貞が「html...エッチtmlってなんかエロいですね」と言った時、私は、童貞というのは救う方法のない病気なのだと悟った。すごいね...ほんとにすごいね。
童貞を、ブスに置き換えて読んでみましょう。生理前の女とかでもOKです。
黒人に置き換えて読んでみましょう。
童貞の人って、女子に相手にされないのを基本として生きているから「あのレベルより二次元のほうがいいもんね」とか言って普通の女子を好きにならないのだけど、逆にスーパー美人が優しくしてくれると「俺に女神降臨!」っつってコロっと好きになっちゃってでも高根の花だから落とせなくて結果童貞だ。
童貞の飲み物って私統計ではダイエットコーラか午後ティーで、たまにダイエットとかいって黒烏龍茶飲んでるんですよ。シュワシュワと優しい甘味が好きなのだと推察。RT @GAIAnoHIKARU: @ha_chu
黒人に置き換えてみましょう。USっぽいリアリティを出すために、飲み物の名前を「ダイエットコーラか午後ティー」→「ファンタかコーラ」に、「黒烏龍茶」を「ダイエットコーラ」にしてみましょうか。
一般論として、特定の性質から不必要な決めつけをすることは差別です。それは特定の性質を描写することを阻むものではありません。芸術作品で童貞を描写したり、芸術作品に登場する童貞が「ステレオタイプ的な」振る舞いをすること自体は差別表現ではありません。これは、米国の映画に黒人が登場し、例えば黒人が抱える経済的苦悩や音楽的センスという「ステレオタイプ的なイメージ」が描写される「だけ」では差別とされないのと同じことです。社会で広く「差別されている」と認識されている集団に対しても、そうでない集団に対しても集団に対して不必要な決めつけをすることは差別なのです。
はあちゅうさんの過去のツイートは「童貞を描写している」のではなく「童貞に対する決めつけ」を行っており、それゆえ差別的なのです。はあちゅうさん、この理屈がわかったらぜひ、童貞の件で自分を擁護している人のリツイートをしまくるのをやめて、岸さんの件に注力してください。童貞の件の話を続けるかぎり、味方は増えませんよ。
「差別的であった」ことが問題である事に気づけずに「人を傷つけた」という謎の気持ちで解釈してしまうと
被害者叩き(victim blaming)をする人の心理は「悪いことが起きる人には悪いところがあるに違いない」となっているそう。
との発言に見られるように、自分が被害者として叩かれていたという謎の自認を産んでしまうようですね。ちがうよ!加害者として、叩かれているんだよ!
確かに、言われる通りピカソ、ビートルズも過去のオリジナルの上塗りだと思う。
ただ、悲しいがなそれらは時代が進むにつれてオリジナルからコピーへと進化し続けるしかない。
近現代の技術発達に伴いもうオリジナルがどうとか盗作がどうとかいう時代ではない。
過去にトリスタン・ツァラが唱えたダダイズムから生まれた、デュシャンのレディメイドにしても既製品という概念をオリジナルと捉え、それを開き直って芸術としか呼んだ。創造は概念として独り歩きし始めたのだろう。ましてや写真や映画は複製芸術という言葉通りオリジナルの芸術作品なんてものは、今の現代はほぼ存在しない。ご存知の通りそれらを皮肉ってアプロプリエーションという表現もある。
オリジナルが正しいという概念を捨て、オリジナルに過去の作者の人生観や経験、普遍的観察を植え付けて概念を形や文章にして創り上げていくことが現代の創造であると個人的には考える。