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はてなキーワード: ダダイズムとは

2020-12-23

あるるも氏の受賞を批難している美術関係者に恐怖を感じる

ヒトラー世紀末芸術ダダイズムキュビズムといった『退廃芸術』への弾圧を行ったが、この事には『自分美術大学入学できなかったのになぜあの連中は認められなかったのか』というコンプレックス逆恨みが背景にあったと言われる。

一方で、パンモロアニメ絵が受賞したこと技術面は認めつつも「"美術”としては相応しくない」と批判している人にはまるでヒトラーのような「なぜ自分芸術は認められずアニメ絵は認められるのか」というコンプレックス逆恨みを感じる。まさにヒトラーのようだ。

批判している人たちが仮に政権を取ったら再び『退廃芸術弾圧が起きるのではないかと恐怖を感じる。

2020-12-21

anond:20201221224516

大喜利に例えるのはズレてね?

マルセルデュシャンの泉みたいなもんでダダイズムばりばりの藝術作品やと思うけど

2019-05-21

文字書き同人女のどこが問題なのか

anond:20170811212332

「私の好きな作品評価されない世界は間違っている」と言わんばかりだが、

もちろん世界ではなく元増田が間違っているのである

同人女はごく狭いコミュニティ独自ルールに染まりがちである

そのうえ「文字書き」は幼い頃から一人きりで小説を読んできているためか余計に独善的なきらいがある。

いったい何が間違っているのか?

喩えるなら「ルネサンス絵画けが正しい絵画だ」と主張しているのが彼女なのだ

ゴシックバロックロココ印象派キュビズムダダイズム

水墨画浮世絵日本画漫画商業イラスト萌え絵

すべて「下手だ」「間違っている」「真の絵画ではない」と切り捨てながら、

「どうして漫画のようなリアリティのない白黒の絵ばかりが評価されるのだろう」と嘆いている。

ルネサンス絵画写実的な美しさと鮮やかな色遣いを理解できないなんて」と。

いや、絵画のことであれば、彼女らも「さまざまな評価軸があるのだ」ということを理解できるだろう。

しか小説のことになると途端に「正しい表現」「あるべき小説」に囚われてしまう。

それは「審美眼を備えた読書家」としての自負であり矜持であるのだろうが、

はっきり言ってしまえば、多くの本を読んでいる人ほど異なる表現形式には寛容なものだ。

2017-09-18

anond:20170918034231

確かに、言われる通りピカソビートルズ過去オリジナルの上塗りだと思う。

ただ、悲しいがなそれらは時代が進むにつれてオリジナルからコピーへと進化し続けるしかない。

現代技術発達に伴いもうオリジナルがどうとか盗作がどうとかい時代ではない。

過去トリスタン・ツァラが唱えたダダイズムからまれた、デュシャンレディメイドにしても既製品という概念オリジナルと捉え、それを開き直って芸術しか呼んだ。創造概念として独り歩きし始めたのだろう。ましてや写真映画は複製芸術という言葉通りオリジナル芸術作品なんてものは、今の現代はほぼ存在しない。ご存知の通りそれらを皮肉ってアプロプリエーションという表現もある。

オリジナルが正しいという概念を捨て、オリジナル過去の作者の人生観経験普遍的観察を植え付けて概念を形や文章にして創り上げていくことが現代創造である個人的には考える。


コピーすらも創造だと思う、自分も親のコピーもの

2016-02-01

デリヘル問題のアレ

現代アート展示会場にデリヘル嬢を呼ぶ」というクソみたいなことをやろうとしていた界隈が本当にクソだった

http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20160131/1454226318

アートの公演にデリヘル嬢呼ぶな!

http://togetter.com/li/932391

これはアートじゃないボケコメントばかり目についたので雑感。

怒りのまとめを目にした時、ああ、ハプニングなんだねと思った。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0

1950年代から1970年代前半を中心に(略)

ギャラリー市街地で行われる非再現的で一回性の強いパフォーマンスアート

作品展示などを総称するのに用いられる美術用語

ハプニング創始者と言われているアラン・カプローによると

「きまった時間空間の中で演じられる点では演劇に関連をもった芸術形式」。



日本でも関西の具体美術を中心にハプニング制作・実行されており、

東京でも1960年に、アンドロイドCMで現役ばりばりにボクシングペイントをしていた

篠原有司男が「ネオダダイズム・オルガナイザーズ」が結成されている。

この界隈というか中心にいたのが、一昨年なくなった老人力の「赤瀬川原平」。

その赤瀬川原平が結成していたのが、ハイレッド・センター

ハイレッド・センターというか、赤瀬川原平は、1,000円札の模写で

1965年通貨証券模造取締法違反に問われ、起訴されることになる。

というわけで、いたって古典的ハプニングがいまだに行われていることに驚いたけど、

それはさておき、犯罪アートは同時に成立足りえるので、

そこのところは分かっていた方がいいんじゃないかな。

ではどこからアートで、どこからアートじゃないのか?

結論を言うと、市芸で実行されたらそれはアートになってしまうんだね。

それはなぜかというとまたの機会に。

 
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