はてなキーワード: ダダイズムとは
「私の好きな作品が評価されない世界は間違っている」と言わんばかりだが、
同人女はごく狭いコミュニティの独自ルールに染まりがちである。
そのうえ「文字書き」は幼い頃から一人きりで小説を読んできているためか余計に独善的なきらいがある。
いったい何が間違っているのか?
喩えるなら「ルネサンス絵画だけが正しい絵画だ」と主張しているのが彼女らなのだ。
ゴシックもバロックもロココも印象派もキュビズムもダダイズムも
すべて「下手だ」「間違っている」「真の絵画ではない」と切り捨てながら、
「どうして漫画のようなリアリティのない白黒の絵ばかりが評価されるのだろう」と嘆いている。
「ルネサンス絵画の写実的な美しさと鮮やかな色遣いを理解できないなんて」と。
いや、絵画のことであれば、彼女らも「さまざまな評価軸があるのだ」ということを理解できるだろう。
しかし小説のことになると途端に「正しい表現」「あるべき小説」に囚われてしまう。
確かに、言われる通りピカソ、ビートルズも過去のオリジナルの上塗りだと思う。
ただ、悲しいがなそれらは時代が進むにつれてオリジナルからコピーへと進化し続けるしかない。
近現代の技術発達に伴いもうオリジナルがどうとか盗作がどうとかいう時代ではない。
過去にトリスタン・ツァラが唱えたダダイズムから生まれた、デュシャンのレディメイドにしても既製品という概念をオリジナルと捉え、それを開き直って芸術としか呼んだ。創造は概念として独り歩きし始めたのだろう。ましてや写真や映画は複製芸術という言葉通りオリジナルの芸術作品なんてものは、今の現代はほぼ存在しない。ご存知の通りそれらを皮肉ってアプロプリエーションという表現もある。
オリジナルが正しいという概念を捨て、オリジナルに過去の作者の人生観や経験、普遍的観察を植え付けて概念を形や文章にして創り上げていくことが現代の創造であると個人的には考える。
「現代アート展示会場にデリヘル嬢を呼ぶ」というクソみたいなことをやろうとしていた界隈が本当にクソだった
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20160131/1454226318
これはアートじゃないボケ、コメントばかり目についたので雑感。
怒りのまとめを目にした時、ああ、ハプニングなんだねと思った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0
日本でも関西の具体美術を中心にハプニングを制作・実行されており、
東京でも1960年に、アンドロイドのCMで現役ばりばりにボクシングペイントをしていた
篠原有司男が「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」が結成されている。
この界隈というか中心にいたのが、一昨年なくなった老人力の「赤瀬川原平」。
その赤瀬川原平が結成していたのが、ハイレッド・センター。
ハイレッド・センターというか、赤瀬川原平は、1,000円札の模写で
1965年に通貨及証券模造取締法違反に問われ、起訴されることになる。
というわけで、いたって古典的なハプニングがいまだに行われていることに驚いたけど、
そこのところは分かっていた方がいいんじゃないかな。
結論を言うと、市芸で実行されたらそれはアートになってしまうんだね。
それはなぜかというとまたの機会に。