はてなキーワード: 心の問題とは
量が多く、起こすのはめんどくさいので概要だけ。
https://www.youtube.com/watch?v=sAdWcZEtGrw
あ、冒頭の土屋正忠議員、「テロ準備行為だ」の不規則発言に一切触れない姿勢。心底軽蔑します。
25分の質疑の間に立法事実が「テロ行為の抑止+条約の批准」(by安倍晋三)から「条約の批准」に変わりました。例の、3つの事例、化学薬品で大量殺人を狙って、原料の一部を入手、飛行機をのっとり、高層ビルに突撃させるための航空券を予約、都市インフラを麻痺させる目的でのコンピュータウィルスの開発に着手、という3つの事例については3月時点で山尾議員に立法事実にはなりえないことを指摘されていましたので、佐藤正久議員が桜井よしこ氏に述べていた事例が取り締まれるか否かについての質疑。
産経掲載、桜井よしこ「古代の化石のようなことを言い続けることと、民進党の支持率の低迷は無関係ではない」記事。リンクは張らない。
佐藤正久参院議員(自民)は、テロリストが水源に毒を入れて多くの人を殺害しようと企てたとしても、現行法では実際にテロリストが水源に毒を投げ入れなければ逮捕できないと指摘する
この古代の化石どころか、法的知識が皆無といってもいい事例はどうやら自民党内での説明資料で共有されているものらしく、それについて山尾議員が、殺害しようと企てて、毒物を入手した場合、殺人予備罪が適用できる、摘発できるものを摘発できないと印象捜査するのはやめてほしい、と訴える。山尾議員の質疑にもまともに答えられていなかったので、別に不要とも思いますが、一応付け足しておくと、これ多分、刑法第15章、第142条、147条の飲料水に関する罪に未遂罪がないことを言ってるんでしょうが、目的が殺人である、と明言してるわけで、大臣は毒物が致死性であることなどが要件として必要だといってたけど、別に毒物の毒性について詳細な認識が無くても、枝野さんの質疑において、林局長の答弁にもあったように、未必の故意は当然認められるので、殺意を持って毒物を飲料水に流すことを事前に察知できていたのなら摘発できないなんてことは当然無いです。どうやって事前に計画を知るのかは知らないですけどね。とりあえず自民党内部の法曹の人間はこの事例の公開に疑義ははさまなかったのかな?
さらに、ラインが令状なしの開示を22件やっていることを公表しているけれども、令状があるから大丈夫なんていえるのか、と聞いているのに「令状がないと強制捜査はできないから大丈夫」という答弁をされる金田さん。もうね、ほんとね。でも大丈夫、経読みの立法趣旨、立法事実を途中で変えるのは、精神保健福祉法でもすでにやったよ!金田さんだけじゃない。でもひっくり返してからも3日ぐらいは質疑したけどね。これはひっくり返った当日に採決。もうほんと好き放題だな。
今日も質疑の概要、資料の事前のアップ、ありがとうございます。
条約の要請について整理を求めた上で、予備行為をもってTOC条約を締結するように調査せよ、と平岡秀夫法務大臣時代の質疑を持ち出して、石破茂議員が、「政権が変わったからといって、ころころと態度を変えるな」という旨の主張をしていることに対して、当時の刑事局長が平岡大臣の意向を受けてやっていかなければならないといっているが、その調査の結果はどうだったのかを質疑。林局長は復命の前に平岡大臣が辞任したので、結果というものは存在しない、とおっしゃる。平岡さんの秘書の件は痛恨ですね。
さらに組織的身代金略取等の罪は、組織性の問題については、予備でも共謀でも変わらない(だってこの罪は組織的犯罪の罪だから)が、予備は2年以内、共謀は5年以内となってることを大臣に問いただすが、答えるのは井野俊郎法務大臣政務官、なぜか組織性と結果の重大性について答える井野さん、大臣も当然答えられず、林局長が答弁、組織的身代金略取等の予備罪は存在しないと答弁。これよくわからんけど、たぶん林局長のほうが正しい。
組織的犯罪処罰法の中で規定されている組織的な殺人等の予備罪は、2項として営利目的等略取及び誘拐の積み(営利の目的によるものと限る。)とされて二年以下の懲役と規定されていますが、身の代金略取等予備罪は刑法第228条3項でこれまた2年以内とされているので、そこを勘違いしたのかなと思う。かつて、身の代金略取等が無かった頃は、営利略取等の中で、身の代金略取を読み込んだ判例もあるようですが、刑法225条2が成立した後は、営利略取等の中に身の代金略取等は入っていないと思われるので、刑法第225条の営利に限り組織的殺人等予備罪は適応されないのかなとは思う。これもまぁ当然必要なら予備罪を用意すればいいので、共謀が必要だという論拠にはならないと思うけど、少なくとも、量刑のアンバランスに関するものとしては枝野さんの時の減免規定による整理よりは筋が悪いとは思う。
ああ枝野さんの質疑もっと聞きたかったわ。
TOC条約が要請する、既遂や未遂とは違うということをわざわざ整理しているが、推進行為、アメリカの例で言えばovertactのようなものを予備ではダメだとは書いていないし、立法ガイドは、各国の法体系を覆すような法整備をしてはならないとしていることを冒頭で指摘する(これが緒方さんがやるんだろうと私がおもってたとこ)。その後、「組織的犯罪集団の認識が、構成要件として絶対必要で、条文上明らかで、将来にわたっても解釈が変わらない」ということを明確に確認する枝野さん。維新のアリバイ修正は無意味だけど、この答弁は一応ちょっと意味があるかもしれない。捜査段階での歯止めにはならないけど、裁判段階では、多少の影響を持っているということだとおもう。威力業務妨害、信用毀損の特異性について駆け足で整理する。信用毀損はまさに表現行為の規制であり、実行されていない信用毀損は内心の問題、というのは前回質疑。今回は主に威力業務妨害について。威力の定義、共謀の段階で威力業務妨害が判断できない場合が多いことを指摘。「犯人の威勢、及び人数、並びに周囲の状況より見て、被害者の自由意志を制圧するに足る犯人側の勢力」をどうやって共謀段階で把握するのか。特に、威勢、周囲の状況はむりでしょうね。計画でわかるのは人数ぐらい。マンション建設、基地建設、原発の再稼動を止めようとする反対運動、参加者は、どこまでやる気かはいってみないとわからない、誰もわからない。でも多分参加してる人は犯罪の明確な意思はないけれど、未必の故意はある。林さんは、あらかじめ定められた計画にしたがって、犯罪実行の具体的かつ現実的な合意がいるから大丈夫、という。これって前回の、組織的犯罪集団と、外部の人も含めて、計画を知らない人がいてもいい、実行部隊との関係を多分意図的に混同してるので、当然枝野さんに、混ぜるな危険といわれる。さらに、マンションの反対運動、基地反対運動の人たちの結合の基礎としての共同の目的は何か、と聞く。
枝野
「マンション建設の反対運動の、基地反対運動の、あるいは、環境を破壊するなんたらの反対運動の結合の目的はなんですか」
林
「まさしく委員が質問のなかで言われたことがまさに、共同の目的に当たります。マンションの建設反対、あるいは環境の保護、とかそういったものが共同の目的になろうかと思います。」
枝野
「これらは全部ね、相手方見れば業務なんですよ。マンション建設するのは、業者に取ったら業務なんです。基地を建設するのは、国交省、防衛省に取ったら業務なんです。環境破壊になる建設、国土交通省なのか、農水省なのかわかりませんけど、そこにとっては業務なんです。それらをやめさせることをのものが、これらの団体にとっては共同の目的そのものなんです。そのために、デモをやったり、座り込みをやったり、いろいろなことをやるわけです。多くの人たちはそのことが業務妨害にあたるかどうかなんて意識しないでやっている。まさに実際に行ってみないと、威力業務妨害罪の境目を越えるかどうかは、組織を作った段階では誰もわかんないんですよ。実際にやってみたら行き過ぎてしまった。刑法としては当然未必の故意は認められますよ。だから危ないんですよ。共同の目的自体が業務を止める、あえて言えば業務を妨害することなんですよ。妨害という法的な評価が入るのは適正な範囲を逸脱したときですけど、それは実行してみなきゃわからない。計画のほうには、具体的な計画ということで未必の故意を否定はできないだろうけど、それだけではダメだというかもしれないけれど、(組織的犯罪集団の認定に際しての)共同の目的には未必の故意で足りるんじゃないですか」
林
「マンションの反対が共同の目的であっても、その共同の目的を達成するためにさまざまな手段があると思います。何も業務妨害という形での、法定刑に当たる行為、それを手段として、必ずその手段でなければ、参加しないと、そういうことでなけらば、犯罪実行が共同の目的となっているというわけではないわけであります。」
枝野
「まさに本質が出てきました。いろんな運動の仕方があります。マンション建設が一番いいかもしれない。基地だと多くの国民の皆さんが、私関係ないわって思っちゃうかもしれない。しかし近くに高層マンションがたつ、日当たりの問題が出る。これは反対だ、と自治会で話し合う。デモとか座り込みとかやると、威力業務妨害になっちゃうかもしれないから、それはやめておこう。こういう萎縮効果があるから、少なくとも威力業務妨害罪のようなものは外す、あるいは未必の故意では足りない、明確に犯罪の実行目的がなければならない、せめてそういう話にしていかなくちゃならない。そういう段階に行く前に終局して採決してるから怒ってるんですよ。」
労働運動では、団体交渉は、威力業務妨害、偽計業務妨害に外形上区別がつかないので、労働組合法で明確に除外されている。こういう立て付けにしている理由は、まさに区別がつかないからで、なぜわざわざ除外規定とかを設けているかというと、どうみても労働組合は、(テロ等準備罪での)2条の団体に該当するからでしょうと。労働組合は、明確に除外されているが、類似の反対運動などは、当然同様の混同を生む、という話をして終了。ここんところも、もっと時間があればなぁという感じ。実行の手段は複数ある中で、その中のとりうる手段の一つが犯罪の場合、捜査に着手するのかどうかとか、当然発生する疑問だけど、どうするんだろう。
もうこれ金田さんでは、安倍さんか菅さんが言い出した「一般の方々は捜査の対象とならない」は覆せないんだから答弁不能。
警察庁の官房審議官に、警察が、一般人を捜査の対象とすることはないのかについて延々と聞くものも、必要な情報収集をするだけだから、テロ等準備罪とは関係ないと答えるだけ。当然金田さんの答弁の否定はできない、ということしか確認できない。ひたすらにわかりにくく、「捜査範囲は法務省の答弁どおり」(これ汎用性高い)でかわしていく。逢坂さんの、「警察法2条に定める情報収集の対象者に法令上限定はありますか」という質問はうまかったけど、当然まともには答えない。まぁ逢坂さんのスタイルはこの短いのには合わないね。
実際の組織的詐欺事件とし立件された事例から、事後的に組織が認定されていったことをもって、嫌疑を持って、どこまで対象の範囲になるのかということについては捜査側の恣意性がどうしても消えないだろうと。林さんは、捜査の対象については、とうぜんどういう計画で、どういう合意があったかということを調べていくことになる、リアルタイムに現在行われている犯罪に限らないという旨を答える。井出さんは、今までの捜査とは、証拠の量、質がぜんぜんかわってしまうから危ないっていってんですよ、という話。そのあと、合意に関わった場合の離脱の判定はどうするのかということを整理。共謀共同正犯からの離脱でも個々の事件において、別々に判断されてきたが、整理すると、離脱するものが、ほぼ全員に対して、離脱の意志を伝えなければ、離脱したことにはならない、という答弁。当日、まぁ臨機応変にうまくやってくれ、ぐらいの感じで、集まれよ、といわれた人の離脱について議論した後、特定機密保護法でも配慮規定がついた上に、国会の中にいちおうチェック機関がある、通信傍受も立会い条件は消えて、拡大はされたが、それでも一応配慮規定はあるし、令状の歯止めはある。GPS捜査については、最高裁判決が出るまでに少なくとも10年間任意捜査で使っていたような警察が、果たしてこの法律のような規定が無い状態で、適正に任意捜査ができると思えない、という話でしめる。
上西小百合さんは、公安を警察から外せ、という主張に対する、権限の濫用はない、警察の監視強化は不要とした金田大臣に、自分の名前を勝手に使ってた風俗店だかの捜査で、警察が、上西さんとなんか関係ないのか、としつこく聴いた上で、マスコミに上西さんの名前を出してご注進をしていた例をひいてから、警察がまともにやれるとは思えないというような主張。金田さんをひとしきり馬鹿にした後、答弁させる。金田さんは一応冷静に交わした後、時間切れのなか、丸山穂高議員が院外からわざわざやってきて採決を促す役割をやることは、維新が国にとって害悪にしかなってないことを示していて恥ずかしい、という主張。まぁご本人はサボっておでかけとかされて、除籍されたわけだけど、民進党に頭を下げて、5分でも欲しい、というような形でもらったみたいですが、心を入れ替えられたのかな。
この藤野さんの質疑はよかった。安倍さんの立法事実と、金田さんの立法事実が答弁する日によって異なり、こんな不確定な立法事実にもとづいて立法することは許されないことを指摘。流出した、日本在住ムスリムの監視、その家族に至るまで、イスラム系テロの候補者として、身体的特徴や口座情報、金銭の出納状況まで精細に調べていることについて、警察に今もやっているのか、と聞く。当然警察庁は、捜査に差し支えるからという理屈で答えない。国連の委員会の中で、宗教や人種に基づいて、予断を含んだ捜査が行われている実態についての改善指示が出ていることを政府に答弁させる、など、筋道もよかった。
また休日に赤旗を配っていた公務員を29日間、朝から晩まで、捜査員が延べ170名、ビデオ等で監視していた件で、最高裁で被告勝訴になった事例。この公務員と接触した人の身体的特徴を記録、氏名等を調べようと、行動確認をしていた件について。
藤野
「警察が動き出したということは、ターゲットになった人だけじゃなくって、その人に接触した人についても、捜査の対象になっている。一般人は捜査の対象とならないとおっしゃっていますが、警察が目をつけた人の知り合いだったら、警察にマークされて行動確認される尾行される。大臣、この資料で明らかじゃないですか」
金田
「そもそも一般の方々という言葉を私ども使ってまいりましたが、使用される文脈でその意味は異なると思いますが、我々はテロ等準備罪の捜査の対象とならないという文脈においては、組織的犯罪集団とかかわりの無い方々、言い換えればなんらかの団体に属さない人はもとより、通常の団体に属して、通常の生活を送っている方がたという意味で用いております。そして捜査というのは犯罪の嫌疑があるものに行われるものであって、その被疑者と一定の関係を有するものから事情を聞く、というような場合、その事案の解明に必要な限度において、捜査が行われることはありうるんですけれども、特段の理由が無いのに、被疑者でない人物の行動監視を行うことは想定しがたい。あくまで被疑者の嫌疑を解明するために行われるものであって、その人物を被疑者として行われるものではありません。したがって一般の方々がテロ等準備罪の被疑者として(NEW)捜査の対象となることはないのであります。」
この被疑者は最高裁で無罪になった一般の人だと思われるけど、共産党シンパだったから監視対象になったわけね。共産党員と接触すると、監視の対象になりますよ、という話ですよね。この件も、志布志事件も、和歌山の選挙に行こうっていう話でも、大垣の市民監視事件でも全部警察は謝罪していない。そんな組織に、共謀罪を与えたら、どんな人権侵害が発生するかわからんよ、という話。
いきなりやってきて今までの議論の内容をくさし始め、維新の修正内容を盛大に宣伝する。どうぞ、巣におかえりください。
土屋理事が動議するも、紙、マイクを野党理事に抑えられて、動議の内容、鈴木委員長の整理も全部聞こえなかったけど、与党議員起立。国重徹議員が、付帯決議を読み上げる。速記がとまる。また議事録の捏造が確定する事案ですなぁ。聞こえなかったけど、速記はとまったし、与党議員もなんかしらないけどずっと立ってたし、可決したみたいね。
30点ぐらい
整形外科は何でそれを診断すると思う?
心の問題じゃなくて物理的に飛び出してるものは飛び出してるのよ
瞑想しても治りません
本当にお前の言うことを徹底するって言うのは
つまり仕事休む場所変えるレベルなわけだよね つまり生活を変える
そこまですると確かに快方に向かう可能性が強い
ヘルニアを招いたなんらかの必要な習慣が生活の中にあって、それが取り除かれちゃうからよ
確かにお前の言うとおり、整体行っても治らないよ
ヘルニアを招く生活の中の何らかの動作や姿勢がそのまま保存されてるからね
整体行っても治らないと言うのは実際に観察出来る事象で、そこまではお前は正しい
でもそれは「ヘルニアの全部または大部分が心因性である」なんて突飛な結論は保証しない
家族の迷惑を考えるとDVと同じで警察が介入できるような法改正が必要な問題に思える。本人をだまさず、公にせず、しかし強制的に一度は受診させる権力の介入が必要ではないかと思った。
増田の心の問題は、これを読んだ限りは自信のなさ、自己肯定感の低さに問題があるように思えた。本人も書いている通り。
一般の人も理由があって自信を持っているわけではない。鬱傾向や自閉症スペクトラムなどで同じように自己肯定感の低い人はいっぱいいるので、自覚して(必要あれば人を頼り)対処されるのがいいと思う。
ああ重複トラックバック消したい。(本人の追記よりも上のツリーに自分の返信が表示されちゃってると、勘違いして削除を繰り返した)
会社をやめて数ヶ月経ったので、色々と整理もできたし、あのとき自分が何を考えて居たのかとかもまとめながら吐き出したい。
今でもたまに思い出して「ウッ」っとなることはあるけど。これで楽になれるんだろうか。
文章を書くのはあまり得意でないので読みづらい文章だと思うけど、勘弁。
自分は小さなベンチャー企業で働いていて、最初はそれなりに上手くやれてたんだと思う。
でも、入社してからずっと抱いていた疑念?みたいなものがあった。
それは、上司とそのチームないの古参メンバーのなんとも言えない確執のような、お互いがお互いを信頼していない、または「うわべだけ上手くやっている」風な空気を感じることが少なくなかった。
入社してまもない自分は、「まぁどこもこんなことあるよね」って思いながら仕事をしていたんだけど、ある時チームの飲み会でそのことについて少し聞いてみたら、古参メンバーから、「一緒に仕事する機会が増えたらわかるよ。」と言われた。
詳しいことを書いてバレると心配だからあまり書かないけど、彼らの言ってることを理解するのにそう長い時間はかからなかった。
気になっていた点をあげると
これらの出来事が共同作業をし始めて3ヶ月間程度のうちに発生していった。
正直かなり辛かった。
信頼が置けないし、人と真面目に会話しているのかと疑いたくなる。
「あの時ほんとは言いたかったのですが」
「実はこう思っていた」
「実はこういう意図だったんです」
「その時は頭が回っていなかった」
ある事象が発生した時、「こっちの方がいいといっただろう的」なことを言われたけど、それを指示したのは他ならぬ上司なのである。
確認が遅れるとなんども連絡がくる。
忙しい身なのなら、みんながいる平日にきちんと出社したらどうか。
結果どうか。週の労働時間は上司が一番短いし(皆、労働時間が長いのが良いという風には思っていない。)その働き方でチームメンバーからの信頼はガタ落ちである。
「実はこうしたかったんです」プロジェクト終盤で言ってくるのでそれを実現するためにまた時間がかかってしまう。
問題が大きなところではないのに、そこを通さないと承認が全く得られない。
「あれどうなった?」「これは?」をひっきりなしに聞いてくる。もちろん休日・深夜問わずね。
そんなにマネジメントが好きなら全ての管理を上司に依頼したい。
そんな数々の事象の結果、上司に反抗的な態度(でもしないと仕事が回らなくなってきた。)をとるようになった挙句、「立場をわきまえろよ」と怒鳴られ、
不眠・次の日には会社に行こうとすると吐き気を催すようにようになる・上司に連絡をするときに手が震えるようになり、すぐに退職した。
自分はその辺の心の問題?的なところに関しては人一倍強いんだと勝手な自信があったけど全くそんなことはなく、むしろ非常に弱い部類だったんだろう。
まだ正常な判断ができる時でよかったと思う。
と色々書いて言ったけど、モロではかけないので意外にもスッキリしないかと思いきや、存外、心が軽くなった。
退職後、他のメンバーになんで辞めないのかと聞いたら「辞めても行くところがない」「職場を変える方が面倒」などの言葉が返ってきた。
でも、普段からだらだらと仕事をしていたような人たちだったし、それでいいんだろう。
今もし、上司との関係に悩んでる人がいたら、まずは周りに相談・しんどいと思ったら仕事を変えればいいよ。と言ってあげたい。
難しい判断だろうけど。
http://anond.hatelabo.jp/20161107104928
偏狭な正義感に溺れて、提起している問題を無視されているようです。
潰すか潰さないかではなく、どう潰すか、あるいは潰さずどうホワイト化するかという質問/提案をしました。
そこまでしっかり考えていく段階に来ているのではないかというメッセージです。
潰せばいいなんて想像力のない人でも言えることです。
ブラック企業の問題は一体何かという原点に立ち返って欲しいのですが
それは労働者が不当な苦しみを強いられているということになるのではないでしょうか。
ところが、「ブラック企業を潰せ」と言って思考停止する人たちは
「企業を取り締まる労働警察官」「理想を持ったホワイト経営者」みたいなマクロ寄りの立場なんですね。
選挙の話で政局の話を楽しそうにしちゃう人たちみたいな感じです。
そうじゃなくて、ブラック企業の労働者たちが苦痛から解放される、優しい目線で考えましょうと言っているつもりです。
大事なのは不幸をなくすことであって、捌いて捨ててフタをすることではないはずです。
最近の日本は目的が「レッテルを貼り、ゴミ箱にポイする」ことを目的にしてる人が多くて本当に残念に思います。
さて、今まで頂いた意見について少々疑問に思う点が合ったので、より議論を進めるために質問させてください。
まず「潰れても仕事は残るから、そこが働き口になる」という意見ですが
現状のキャパを超える仕事量の場合、設備投資の問題が生じます。
業務の内容によるのですが、そうそう簡単にお金を出せるわけではありませんので
また誰もが再就職でアピールできるスキルを持っているわけではないという点も考慮していただきたいと思います。
それから、基本的に「新しい現場で働くのは嫌だ、つらい」という心の問題もあります。
労働者には心があり、誰もが転職を受け入れられるとは限らないのです。
加えて、想定される二次被害としては、「あぶれた仕事の受け皿」になった会社で急にに残業が増え、
某広告会社の社員のように過労自殺で亡くなる方が出てくることもあるでしょう。
次に、ブラック化は生存競争の(違法だが有効な)戦略であるという点に着目して頂きたい。
生き残ったものが勝利する世界ですので、ブラックの懲罰として潰れた会社や
バレずに生き残ったブラック企業が得をするということになります。
ブラック企業を同時に一斉に潰さない限り、生き残った企業が得をすることになるのです。
ホワイト企業が圧倒的である業界なら、ブラック企業を順次潰すことに意味はあるかもしれません。
しかし飲食業界を見ればわかるように、同じようなビジネスモデルであればどこもブラックになりがちです。
つまり、ブラック企業を一つずつ潰していくことは他のブラック企業に利するだけで、不公平になる可能性があります。
「生き残った側のブラック企業も潰せばいいじゃないか」という反論は容易に想定できます。
しかし、十分なパイを得て生存競争に打ち勝った企業は「殿様商売」が出来るようになります。
当然利益が上がり、ホワイト企業に擬態化し、摘発を免れるようになるのです。
生き残ったものが勝者であり、血みどろの戦争を勝ち残った人間が王となり、野蛮人が聖者のような顔をするようになるのです。
まあ、これは極端な例ではありますが
目についただけのブラック企業を潰すことは他のブラック企業を利するだけだということには留意してください。
以上の二点を踏まえても、マクロ寄りの視点でブラック企業を潰すとしても”計画性”が必要なのです。
これについても考えて頂きたいなと思います。
左右分かれ道があったら自分でどっちかのレバーを倒しているか、それに気づかず通り過ぎているだけ。
自分でレバーを倒した方向に進んでいるくせに非正規になって文句言う馬鹿、
こいつらは自分のトロッコの行先を自分で決められない、決めてる自覚のない馬鹿ども。
本当にレールから外れた宣言するなら誰も送ったことの無い人生に突き進めよ。
現状では、どこにでもいるし昔からいる文句垂れのカスのレールの上でしかないから。
ちゃんと全員レールの上走ってるし、ある程度予測立つ。
予測が立たないのもレバーを選ばないのもお前の能力ではなく、心の問題。
心というコストゼロに対してお前が自主的に何もしてないから発生してる問題。
そんなに考えて生きたくないならトロッコの中で空だけを眺めて崖に向かって突っ走れゴミ共。
頑張れよ。
数年続けたブログを一旦休止にした。
これという理由は確かにいろいろとあるけど、つまるところ自分の心の問題だと思った。
私は他人に認められて初めて自分が生きていていいと自分を許せる人間だ。
そういうことが恋愛なり仕事なりからふつふつと炙りだされるように出でてきたように思う。
どんな生い立ちも環境を自分を慰めるための方便になってしまい、それが我慢ならなかった。
周りからは頑張っているよと言われることもある。でも自分はそんなこと考えられなかったし、
そこから救われたくでブログを書き自分の経験や心情を書き他人から承認を得て
ようやく私は生きていい人間なのだと思ったりしていた。いつも。
でもそれではいけないんだと思う。
他人に自分の評価を委ねては、他人と比べて虚しくなっていくだけだと思った。
ふと一人になると、このまま消えてしまいたいと思う。
誰かと協力せずに、一人で一貫してできる仕事というのは、比較的
規模の小さな問題を解決するものだったりする。内容にもよるけれど大抵はそう。大きな問題の解決は協力者が必要になる。
だから、過去(前世など)に、一人で一貫してできる仕事を達成してしまった人間は、次に(今世では)、より難しい課題、皆で協力しないと解決できない大きな課題に取り組むように本能が作られてしまっている。一人で一貫してできる仕事に興味が向かない。
困難を抱えるにも関わらず、より大きな課題に向かおうとするのは、理にかなっている。生命は、成長する生き物という理由もあるけれど、小さい課題解決であればあるほど他の人でもできる仕事になってくるからだ。つまり、とって変えられやすくなり、自分の存在意義の問題になる。
大きな課題に向かうのは、できるかできないか、簡単でないとか、賢くないやり方とか、そういう問題ではなく、問題解決に焦点している。
しかし、ここで問題が生じる。協力して解決する大きな課題とは、
そこそこに、精神がきたえられていて、社会の課題解決に心が向かっている人間でないと協力できない。
未熟な人間であればあるほど、世の中の課題よりも、自分の問題(とりわけ心の問題)のほうが重大だから。自分が救われるか救われないか、
自分に関心がある。大抵は、自分が認められるかどうか。自分がチヤホヤされて華やかになれるかどうか、に関心がある。
なので、問題が目の前にやってきても、社会問題を聞いても、問題としてキャッチしない。これをリアリティーがない、と感じるらしい。他人事の様に感じるのだ。日本の経済がヤバイとか、会社という組織がガヤバイという事よりも自分が認められるか、というような(自分だけの問題)、より小さな事に関心を向けている。
このような、まだ卵のからが割れていない未熟な人間と共同する場合、其々が強みを生かした共同の仕方、横並びの連携がとれない。
半人前なので、人に使われるような働き方になってしまうし、当然、本人もそれは嫌だ。
というか、半人前は社会の課題を自分が解決するために働くという意識ではなく、仕事が自分にサービスしてくれるものであるかどうかを考えている意識だったりする。
>ヒーローアカデミアのアニメ1~2話は良い話だったような気がしましたけど、
そういう「ナードな僕も努力したら報われました!!」みたいな話ではなくてね、
喧嘩してた太郎君と花子ちゃんが僕が仲直りのパーティ開いたら仲直りしました!!とか
腰を痛めていたおじいちゃんのための椅子を造ったら大喜びされました!!みたいな
日本人特有の和を尊ぶ精神から発生した思いやりや慈しみの心に溢れた話ってこと。
誰か悪をぶっとばしてハイ良い話、それ違う。
というか守りたい平和は調和のはずなのに何でいつの間にか己の勝利になってんのか
まあ、分析しなくても分かるんだけどね。
戦う以外にも平和を守らないといけない問題や方法は山積みなんだよ。
それは戦う以上に難しいことだったり尊いことだったり本当に必要なことだったりする。
なぜかヨイショはされてもその本質に触れる人間がいない「和」の話。
手術と悪人と戦う以外にも個人個人の心の問題も解消していってるからだ。
それぞれの人生まで治療していってるから未だにブラックジャックは多くの人に愛されていて
ドラマ化もアニメ化も何度もされるのにアトムは不人気で火の鳥も良く分からない作品扱いされてる。
三つ目が通るだって立派に面白い手塚作品なのにリメイクが少ないのも
もちろん長い目で見ればそれだけじゃないのだが。
ただそういうのは大人になって余裕ができて初めて他人を労わって別視点に立つことができる。
しかし今や大人も余裕がなくなりつつあり、子供にも勝ち組になれと他人を踏みつけろという教育が主流になった。
今の少年漫画は悪をぶっ飛ばして俺(俺ら)自己成長!の完全実利主義に帰結してるって話。
そんな漫画を正として捉えて大人になったら他人は全て悪で俺と俺らが勝てばそれでいいという目標しか立てなくなる。
全体を幸福にすることが最終的に自分の最大幸福に繋がることすら教えられずに人生を進むことになる。
ヒーローアカデミアも人助け人助けとか言いながら今のところ自分たちしか助けてないし、
能力授かる前のデクは人助けもろくにせず自分のためにノートとってばっかの精神性もナード、
今も相変わらず自分とすぐそばの人間のことしか考えられないナード精神。
能力なくても道案内とかゴミひろいみたいなボランティアで人を助けることはいくらでもできる。
今までジャンプで連載されてきた主人公の中で一番自己中でどこまでも利己的な精神と行動。
能力的な魅力がなくても、精神的な魅力・カリスマがあれば自然と味方ができる。
実際に人助けをしているオールマイトがどこをみてこいつに魅力を感じたのか理解できないご都合主義展開。
こいつの行動原理のふしぶしが弱者を救いたいという気持ちではなくて
単にオールマイトがカッコいいから真似したいっていうファン根性由来。自分がカッコつけたいだけ。
最初にオールマイトがいなければ何の価値もない正真正銘のナードってこと。
こんなのに魅力を感じるわけがない、まだサイコパス気味のルッピさんの方がカリスマ性あるだけマシ。
ヒーローアカデミアは「ナードな僕がカッコよくなれる自己犠牲マジきもちい」漫画。
共感できる人ってナードな部分に共感してるだけで自己犠牲もマジきもちいいの部分もフィクション。
宗教とはなんなのかというか、信仰とはなんなのだろうかよくわからない
私は無神論者であるとも言い切れないし、日本人的にいろんなものに神は宿る気がするし占いは適当に信じたり信じなかったり
旅行の日の天気が悪かったり、何かツイてないこととかがあれば「日頃の行いが悪いからかも」とか思ったりもする
欧米の映画とか見ていると日常的な考えにキリスト教的考えが含まれていてなるほどと思う
多分日本の文化や習慣にも仏教とかの考えに基づいた習慣というものがあるのだろうし、
クリスマスとかそもそもキリストの誕生日だし、ごちゃまぜになってるし
そこから信仰だけがすっぽり抜けてしまっているという気がするので、なんなんだ?と思うんだろうな
そもそも国家自体共同幻想の上に成り立っているものだと思うし宗教もそんなものなんだろうか
宗教を信仰するというのは、共同幻想の上にルール付け、国で言うところの法律のような決まり事=戒律を作って
そのルールの中で生きていることを課している人々だと思っているけど
自らの宗教においての決まり=戒律を守って暮らさないといけなくなるよね
戒律を破ったから死ぬわけではないじゃない、心の問題しか無いのになぜ守ろうと思えるのか
神の素晴らしさを知れば違うんですかね
でも道徳に置き換えて考えればまぁルールを破った時、道徳的問題を犯した時に心の居心地の悪さというものはあるし
一般的に言う「作ってくれた人や農家の人とか命を与えてくれた動物たちに対する感謝の気持ちを込めてやっている」
という事は説明できるけれど、別にいつも意識して言っているわけでもないし形骸化しているとも思うわけで、
宗教的に食事の前のお祈りだとか断食だとかそういうものに対して特定の”神様”に向けての感情というやつがよくわからないという事なんだと思うけど
想像できないこともないけど、どういうものなのかいまいちピンと来ない
私は無宗教だから祈る対象はその時々によって変わるけど、何がしかの信仰がある人はそれがすべて同じ神様に向けられるものなんだな
親の代からとか先祖代々とか同じ宗派というならそのままの流れで入信しててもおかしくはないけど
神を信じるために生きて行くうえでのルールまで変わるとはどういうことなんだ?
どこぞの宗教の勧誘で勧誘されたとして信仰は生まれるものなのか?
■2016/05/11 9:35追記
思いのほかたくさん反応があってびっくりです。
こういったことを追及する学問があるだろうけどどういうジャンルになるのかいまいちよくわからず、
うまく調べられなかったのでとりあえず書いてみたんですが、ブコメなどに記載されていた本など読んでみようと思います。
ありがとうございました。
既に議論が収束してる感があるけど、ブコメで言及しちゃったので(http://b.hatena.ne.jp/entry/281603224/comment/zn0621)、以下の記事に対する反論を書きます。
(誰か読む人いるんだろうか……)
http://nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2016/03/10/165519
『思うこと』
http://nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2016/03/11/182349
元記事からは、全体として、"安易に"死んでほしくない、という"善意"が感じられました。
父親の死についてのご自身の感情の整理もかねてお書きになったもののようで、大変、"情感豊かな"文章だなと感じました。
また、内的な動機から出発しながらも、広く社会全体に目配りした主張をしようと努力なさっているところが見受けられました。
「怒られたから」「自尊心を傷つけられたから」「理不尽な理由で希望する進路に進学できないから」
というような理由で死んだとは限りません。
自分の経験の話で恐縮ですが、僕が彼と似たような経験をしたときは、
初めは「どうしてこれだけ説明しても信じてもらえないんだろう」と"不思議"でしたが、
何度かそういった経験を繰り返した結果、「こちらがどれほど誠実であるかということと、ちゃんと自分が理解・評価されるかどうかということは、無関係なんだ」と気づいて、何かが"腑に落ち"ました。
要するに、「誠実さは愚鈍さによって簡単に踏みにじられる」という"この世界の仕組みそのもの"に絶望を覚えた、ということです。
「この事件を乗り越えても、この先、生きていく限り、何度もこういうことがあるのだ」ということを実感し、巨大な虚しさを覚えたのです。
彼の場合どうだったのか、本当のところは分かりようがないし、僕と同じとは限りません。
ただ、何度か担任と進路のことでやりとりしていた結果、ああいうことになったそうで、
「突発的な行動」ではなく熟慮の末の行動であった、という可能性を簡単に否定することはできないと思います。
絶対そうだとも言いませんが。
いずれにせよ、事情をよく知らない外野が人の心の在り様を適当に決めつけている様を見せつけられて、
大変、不愉快でした。
「少年を責めるような内容は一切書いてません」とのことで、
確かに、主眼は彼を責めることにはなかったのだろうなと感じます。
主に、「命の重さにに比べれば、どれほどの絶望だろうと、それは『そんなこと』です」というご自身の主張・価値観を押しつけることに主眼があり、
彼を責めるようなトーンはその副作用として生じたものなのだろうと感じました。
ほんと、「命が大切だ」一点ばりで、人から何を言われようと自分は正しい、と"素朴に"確信しておられて、うんざりさせられます。
突き詰めれば、自殺を選びたくなるような我々の心の在り様に興味がないのではありませんか?
若い世代の自殺というショッキングなニュースを聞いたことと自身の過去の経験(父親の死)との兼ね合いで生じた感情(ヒステリー)の処理のために書いた文章なのでは?
「自分のために生きる価値がないと思うなら誰かのために生きろ」というご主張かと思いますが、それは「その誰かのために精神的にゾンビになれ」ということではありませんか。
全体的に、「なぜこの世界はつらいのか」という我々の心の問題にとって、何の役にも立たないご助言です。
我々に必要なのは、このどうしようもない世界での生きづらさを少しでもいいから軽減するためのハウツーであって、漠然とした精神論の押しつけではありません。
あなたのように、誤解をもとに決めつけ、自分の価値観を押しつけ、しかもお為ごかしで接してくる人がいるから、
我々は、この世界で生きる意味について、疑問を感じてしまうのですよ。