既に議論が収束してる感があるけど、ブコメで言及しちゃったので(http://b.hatena.ne.jp/entry/281603224/comment/zn0621)、以下の記事に対する反論を書きます。
(誰か読む人いるんだろうか……)
http://nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2016/03/10/165519
『思うこと』
http://nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2016/03/11/182349
元記事からは、全体として、"安易に"死んでほしくない、という"善意"が感じられました。
父親の死についてのご自身の感情の整理もかねてお書きになったもののようで、大変、"情感豊かな"文章だなと感じました。
また、内的な動機から出発しながらも、広く社会全体に目配りした主張をしようと努力なさっているところが見受けられました。
「怒られたから」「自尊心を傷つけられたから」「理不尽な理由で希望する進路に進学できないから」
というような理由で死んだとは限りません。
自分の経験の話で恐縮ですが、僕が彼と似たような経験をしたときは、
初めは「どうしてこれだけ説明しても信じてもらえないんだろう」と"不思議"でしたが、
何度かそういった経験を繰り返した結果、「こちらがどれほど誠実であるかということと、ちゃんと自分が理解・評価されるかどうかということは、無関係なんだ」と気づいて、何かが"腑に落ち"ました。
要するに、「誠実さは愚鈍さによって簡単に踏みにじられる」という"この世界の仕組みそのもの"に絶望を覚えた、ということです。
「この事件を乗り越えても、この先、生きていく限り、何度もこういうことがあるのだ」ということを実感し、巨大な虚しさを覚えたのです。
彼の場合どうだったのか、本当のところは分かりようがないし、僕と同じとは限りません。
ただ、何度か担任と進路のことでやりとりしていた結果、ああいうことになったそうで、
「突発的な行動」ではなく熟慮の末の行動であった、という可能性を簡単に否定することはできないと思います。
絶対そうだとも言いませんが。
いずれにせよ、事情をよく知らない外野が人の心の在り様を適当に決めつけている様を見せつけられて、
大変、不愉快でした。
「少年を責めるような内容は一切書いてません」とのことで、
確かに、主眼は彼を責めることにはなかったのだろうなと感じます。
主に、「命の重さにに比べれば、どれほどの絶望だろうと、それは『そんなこと』です」というご自身の主張・価値観を押しつけることに主眼があり、
彼を責めるようなトーンはその副作用として生じたものなのだろうと感じました。
ほんと、「命が大切だ」一点ばりで、人から何を言われようと自分は正しい、と"素朴に"確信しておられて、うんざりさせられます。
突き詰めれば、自殺を選びたくなるような我々の心の在り様に興味がないのではありませんか?
若い世代の自殺というショッキングなニュースを聞いたことと自身の過去の経験(父親の死)との兼ね合いで生じた感情(ヒステリー)の処理のために書いた文章なのでは?
「自分のために生きる価値がないと思うなら誰かのために生きろ」というご主張かと思いますが、それは「その誰かのために精神的にゾンビになれ」ということではありませんか。
全体的に、「なぜこの世界はつらいのか」という我々の心の問題にとって、何の役にも立たないご助言です。
我々に必要なのは、このどうしようもない世界での生きづらさを少しでもいいから軽減するためのハウツーであって、漠然とした精神論の押しつけではありません。
あなたのように、誤解をもとに決めつけ、自分の価値観を押しつけ、しかもお為ごかしで接してくる人がいるから、
我々は、この世界で生きる意味について、疑問を感じてしまうのですよ。