はてなキーワード: 常套手段とは
デートで食事代払ったのにホテルに行けなかったから、割り勘代5000円返してくれといって口論になった話。
(ちなみに5000円は返してもらえている)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14165312519
収支を短期的に見すぎているために起こるミス、および怒りです。
1セックスごとの収支を必ず黒にしたいのであれば、今回は交渉ミスでしょう。5000円もらえたのはラッキーでした。
逆に言えば、セックスもできない女と食べたくもない5000円の飯を食べたわけですから、飯代5000円は回収できたとしても時間的には赤です。
次回からは事前に「セックスさせてくれるなら食事代をおごるけどそれでいいか?」という合意をとりましょう。できれば食事に誘う段階で合意することができれば、時間的な損失も回避できます。
事前に合意が取れないというのであれば、そもそも毎回収支を黒にすることは不可能です。その場合は、収支を見る範囲(期間や人数)を広げましょう。
そうすれば、
①5000円程度撒き餌として必要経費に参入できるため、最悪お金を回収できなくても納得がいく
②相手に対して期待値を計算し、経費の幅を設定できるため節約が可能
あなたには後者の考え方があっていると思います。この考え方であれば、撒き餌の経費を最小限にするために5000円を後から請求するにも合理性があります。また、この方法を使用するメリット(特に貴方に対して)が大きく2つありますので心に止めておいて下さい。
①ちゃんと期間をおき、出費を経費として考えられれば、その場で口論するのが得策かの判断(次回へ持ち越し)もできるため、より交渉の幅が広がります。
②この考え方は、成功率を挙げるために事前に合意を「とらなかった」ので、食い逃げだとイライラする必要はありません。選択的に食い逃げを許容しているのです。
食事代、交通費、ホテル代、時間的損失をちゃんと予算立てれていません。ホテルに誘う目的、なぜ素人を相手にするかをきちんと考え、予算を立てて下さい。貴方が食事代5000円とホテル代12000円をかけてしたセックスは、本当にその額でなければできなかったのでしょうか?
セックスは合意の元で行われるため、いくら費用をかけたかは本質的ではありません。全て割り勘のセックスもあります。すべて割り勘にしてもいいような貴方の魅力を考えて下さい。
補足
①常套手段として、「今回は割り勘だけど、今後もっといいことがありそう」と思わせるという手段があります。これは高等手段ですが、演技力さえあれば可能です。
②打数は打率×打席ですが、一口に打率と言っても相手によって違います。打数は打率×打席だよと言うアドバイザーには注意して下さい。まやかしです。打率が大きく変動するポイントを見つけ、改善することが真のアドバイスです。
今朝も彼らは、近鉄線で鉄道員が自殺未遂というニュースを見て、
「それくらいのことも我慢できずに何が務まる。」
ちょっとでも都合の悪いことを言えば聞こえないふりをして逃げてばかりの腑抜けたノータリンのくせに、
ここぞとばかりに自分を棚に上げて筋も通らないことをでかい声で話す醜態に僕は嫌気がさしてくる。
父は「誰だって我慢して生きているのに」という言い回しをよく使う。
論点のすり替えや、無関係な他者を引き合いに出して話をぼかすことは彼の常套手段だ。
まあその二つしかお目にかかったことはないが。
誰だって我慢して生きているなら、僕の前でも黙ってられないものかね。
自分の言っていることを自分のできる範囲だけでも体現できない人にはなんの説得力もない。
目下だと見なした人間をいびるときしか張りのない生活をおくるおっさんに耳を傾ける義理もない。
糖尿病患者へヘイトスピーチを放ったとかでちょっと騒ぎになっているが、
そんなのよりの程度の低い人間なんて星の数ほどいる。
そんな奴らは一人ずつ、ネットなりなんなりでご尊顔を晒され数々の罵詈雑言にまみれてしまえばいいと時々思う。
そうやって一人残らず自らの横暴さを自認し恥じなければならない状況に追い込まれればいい。
とにかく今日の朝飯は不味かった。そんな日がなくなればいいのにと思い考えを巡らした。
見上げた空はムカムカするほどに曇っていた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/300639520/comment/shag
この話、そもそもなんで「ナコルル殺す」で完全に意味が通じるのに、一文字しか減らないし、主語無駄に広くなる「アイヌ」に変えちゃうのか全くもって意味がわからないんだ。
コメディを作るときに、単語の抽象度を予測されるレベルから半分くらい上げ下げするというのは、割と常套手段なのです。
例を挙げるなら、
B「肉!」
とかね。
なので、その人は知り合いと面白おかしいおしゃべりをしていたのであって、別に何か大事な情報を確実に、過不足なく、効率的に伝達しようとしていたのではないということで、ご理解いただけたでしょうか。
あれだけ歴史のある企業だから仕方ないとは思うんだがどれもこれもおっさん臭すぎる。
失敗した、失敗した、失敗した、失敗した・・・
そういう話ばっかりだ。
しかもOBの話はどれもこれもあいつが悪い、こいつが悪いで他人に責任を求める発言ばかり。
はっきり言って見苦しい。
それに加えて「OBの発言は正しかった・・・」とOBの手柄にしようとするようなわけのわからん記事ばかり。
うんざりさせられる。
そもそも、米コジタイに出資したのも元AIBOの技術者が社内にいてその繋がりでというのを覚えてる・知っているやつはどれだけいるのか。
それに失敗すれば切り捨てればいいだけだ。
GoogleやAmazonを見ていればわかるが発展性のある分野に進出して失敗したら即切り捨てるのは今時は最早常套手段だ。
SONY関連の記事を見ているとSONYという会社自体は柔軟で先を見据えているように見えるのに(AI開発の分野に入り込んだのがその証左だろう)、外部の関係ない人達が旧態依然とした白物家電メーカーの役員のようにすら見える。
「失敗する要素を次から次へと探して気持ちよくなりつつ、あわよくば成功した時に備えて手柄は横取りできるように先手うっとこ」
という下衆い感覚が見え見えだ。
気持ち悪くて仕方ない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/medium.com/mediumjp/2b0da4969e65
だいたいはここらへんのコメント
id:koiz アメリカでは、光を思いっきり入れたクリエイティブが求められることが多い(特に西海岸だし、スイムウェアは)。自分のセンスで左の方がいい!この写真家はクソ!ってなる人がrawデータを貰いたがるタイプなのだと予想
id:Memeo このレタッチ写真屋が勝手にやったんじゃなくて用途やデザイン案に従って仕上げたもんなんじゃない?/ カレー作って今からルー入れようって時に「もうそれでいいから食わせろ」と言われても困るだろう。
で言い表されてると思ったんだけど、スターを集めてるブコメでは誤解が解けてないようなので。
まず、カメラマンの仕事を理解していないひとが多い。カメラマンは写真家と違って、クライアントの要求にあった写真を撮るのが仕事なんだよね。「フレアがわざとらしい」とか「レタッチ前の写真のほうが好き」と言っている人は、カメラマンじゃなくてクライアントのセンスに文句をつけている。
次に、本文でも親切に「レタッチを前提として撮っている」と書いてあるように、レタッチは下手な写真をごまかす手段としてではなく、クライアントの望む理想的な写真を作り出す手段として使っている。「RAW現像を前提としてあえて暗めに撮っておき、現像時に明るくすることで暗部の階調を残す」というようなテクニックは常套手段。なのでレタッチ前の写真が下手という指摘は外れているし、そういう誤解があるからこそ元データを納品したくないんだよ。
元記事はカメラマンの立場からRAWデータを渡せない理由を説明し、それでもクライアントの不利益が少ないことを説明して理解を求める内容。「RAWデータは作りかけのもの。自分の名前で世に出したくはない」「そのことでクライアントに不利益が生じないようきっちりと仕事をしているので、理解してほしい」「しかしカメラマン側も事前に契約を詰めるなどの取り組みは必要」という流れ。その流れを踏まえてブコメを読むと、とんちんかんなブコメがかなり多いことがわかる。
いわゆる写真の加工に対して、アレルギーを持った人が多いんだろうなと再認識させられた。身の回りにある写真はほとんどが加工済みだし、iPhoneで撮った写真でさえ元から強烈な補正がかかってる。ここまで写真が身近になった今だからこそ、写真の現像やレタッチについてカメラマンからも発信していかなければならないと思った。
id:toksato 結局なんでレタッチ前の写真を渡さないのかよくわからなかった。
本文中に"レタッチが終わるまでは、自信を持って「自分の作品です」とクレジットを付ける気にはなりません。"って書いてある。
ただ、元記事は「レタッチ前データを渡したくない理由」「レタッチ前データを渡す必要が無い理由」「同業カメラマンへの提言」がまぜこぜに書かれていて、主旨が読み取りづらいとは思う。
id:Akamemori お前それフィルムカメラでも同じ事言えんの?
ブコメで多数指摘されてるけど、銀塩時代も加工の技術はあった。現像やプリントの段階で、色味やコントラスト、シャープネス、粒状性は変えられるし、覆い焼きで部分的な明るさを変えることもできる。デジタルで幅が広がったのは確かだけど。
id:atoh 契約時にきちんと詰めろってだけの話だった。
id:aromabird 契約次第としか。中間制作物も納品義務のある契約なら納めるし、無ければしない。別料金。ただそれだけ。
本文で"撮影の前には、契約が成立しています。""これは、プロのカメラマンである以上、事前にしっかりと内容を詰める責任があります。"ときっちり書いてある。このコメントに星が集まってるのが理解不能なんだけど、みんな本文最後まで読んでないの?
id:nasuhiko レタッチっていうかほぼRAW現像の話だろこれ。翻訳者がわかってないのか、それらも含めて原文がレタッチって言ってるのか。プロでさえ1枚のベストショットの背後に何十何百という失敗ショットがあるのは同意。
海外の"retouch"は現像も含めた写真の加工全体を指す。"no retouching"なら、撮影後いっさい手を加えていない写真のこと。
id:kazoo_oo 追記でぐだぐだと契約だなんだ言い訳してるけど、前段ではそのrawファイルが自分より優れた現像者に出会う可能性を潰すことの理由を説明できてないよね。 </bockquote>
これは文章の読み取り方の問題。自分よりも優れた現像者に出会う可能性は潰しきれないが、カメラマン側の能力で相当小さくしている。カメラマンの被る不利益との天秤で、原則RAWデータを渡すことはできない。ただし信頼関係や契約次第で対応することはできるというのが本文の論。
IT業界でクライアントが「あとで使うから作ったソースコードや旧バージョン全部ちょうだい」って言ったら普通に断られると思うんだけど、それと同じ話。
id:jassmaz jpegだけ送られてきたらキレるわ。rawファイルもいらない。psd + pngを送るのが常識では?
psd+pngが常識というのには同意。その上で、クライアントが求めるものはまちまちなので、契約をしっかり詰めておきましょうというのが本文の内容。
id:oscdis765 これ右がレタッチ後なんだよね?左のが良いのが沢山あるんだけど
id:mfigure 上手けりゃ、原版渡せとは言われないでしょ。加工後の方が上手いといえない写真が多いんだけど、よく言うわ。
id:kantei3 思いあがっている。あと、左の方が良い写真が多いので、都合のよい例すら選べない低能なんだな、と。
id:paradisemaker いやー、商売が成立してるんならいいけど、元々のカメラの腕が良くないし、レタッチもそれほど上手くない。デジタル時代のカメラマンって感じだなぁ。
この手のコメントが多いのが本当に悲惨。使用イメージが頭にあるクライアントがカメラマンと話しながら詰めた結果、右みたいなタイプの写真が希望にあったというだけ。あなたたちがどっちがいいと思おうがまったく関係ない。仕事で右みたいな写真が好まれがちだからこそ、private workもそういう味付けにしてポートフォリオとして公開しているんだろう。
「デジタル時代のカメラマン」ってのがよくわからない。フイルム時代、大多数の人が見ていた写真は加工の入ったプリントと、よくて現像済みのネガぐらいで、RAWデータに相当する未現像ネガは見られなかったはずなんだけども。
id:zheyang う~ん、今でも撮影時に設定を絞り込んで、レタッチを最小限にしてる人もいるんじゃないか?/作例のレタッチ(フレア)がわざとらしくてCGくさい。この人の写真家としての腕がちょっと怪しい。
写真家とカメラマンは違う。「写真道」でも極めるならともかく、クライアントの希望に適う写真を納品するという立場において、レタッチを忌避する理由はどこにもない。最高の成果物を納品するためには、「撮影時に設定を絞り込んでレタッチを最小限にする」より「撮影時に設定を絞り込んだうえでレタッチで仕上げる」のほうが良いというだけ。フレアがわざとらしいとか、クライアントに言うべき。
id:xevra くだらんこだわりだ。写真家とカメラマンは違う、カメラマンならとっとと出せ。単に現像スキルに自信がないってだけなんじゃないの? 面倒臭い奴に発注するのはやめたい。
5000枚の未選別データを欲しいならそうするけど、それには相互の信頼関係が必要だし、契約段階から要求しておいてほしいという話。
id:aceraceae いらないとこ白飛びさせるの好きな人なんだなってことがわかった。
この人の好みもあるかもしれないが、クライアントの希望にもあっているからこそそれで納品されたんよ。あと向こうの雑誌や広告をちょっと見ればわかるけど、こういう派手でやり過ぎっぽい写真はかなり好まれてる。
ネトウヨの問題は、誰かに非難されると、それを「あなたに期待してますよ」という一種のサインとして受け入れる人々が多いことだ。
ネトウヨが日本の恥のように非難されるのは、「あなたに価値を感じてませんよ」ということであって、「あなたに期待してますよ」という意味ではないのに、ネトウヨでは劣化変質してしまった。
だからネトウヨは、アベ首相を含むすべての国民から冷たくされるようになってしまったんだ。
常にしかめっ面でいることが、ネトウヨを養分扱いするための常套手段になってしまったんだ。
「韓国人が不当な要求をしている」というが、ネトウヨは韓国人に冷たくされると「私に期待してるんだ!」というメッセージとして受け取ってしまうことがあるので、後に問題が起きるんだ。
クレーマーに出会う可能性が少しでもある人は、次に書くこういう人への対応は覚えておいて損がないだろう。
一般的に言われる、それに対して謝ったら負けというのは全くもって間違いだ。
なぜなら、クレーマーは謝らないことに対してさらに要求するようになってくるからだ。
気分を害したのだからその分の誠意を見せろというメカニズムらしい。
だからクレーマーに対しては、怒ったらすぐ謝ったほうが完全に得策。
謝るのは気分を害したことにだけだ。
なぜなら対応は精一杯にしているのだ。
怒ったことに対しては謝ったのだからそれ以降いくら気分を害したことに誠意を求められようと謝ってやり過ごせばいい。
「あなたの意見に賛同できず、気分を害して申し訳ございません。ただこちらとしてはその意見をはてなユーザー全員に当てはめるということは現実的ではないと思います。恐れ入りますがこれ以上の対応は致しかねます。どうぞ改めまして一昨日いらしてくださいませ。」
まぁ楽しめた。全26話の内、8話までで戦国編が終わったのが評価できた。これをかたらないとなぜハルが魔法少女になったか充分に語り得ず、かといって原作があれだけの分量を費やした戦国編である。バランスをどう取るか気がかりだったが、ここは制作指揮を執った田町ボラギノール監督の『ぱらりんぴっく!』以来の豊富な経験が十二分に活かされた結果と言えるだろう。ただし、平塚為広と大谷刑部との絡みは安直に過ぎると思う。田町ボラギノール監督がかつて制作した『都立尾久の原公園のたたかい!』のキャラ「パシフィック種村」と「パラリンピック吉岡」との情愛の構造のトレースであり、なんらの新規性がないにも拘わらず、人気を得るための安直な策と思しい。この構造は為広と刑部との間に何らの検討も経ずトレースされた。これらはもう受け手が嘗められているとしか思えない。「お前らはこれで楽しいんだろ? え? ほれほれ」という馬立コーラック監督の意図がすけすけである。ここは助監督の木村氏にも頑張ってほしかったが、最近は岐阜県揖斐川郡にある自分の農場の管理が忙しいらしい。
9話から最終話にかけてが原作の通称「大正SF編」に該当する。アニメ第1期で語られた明治41年の初デート。これがハルを魔法少女として目覚めさせる直接の経験になったわけだが、そもそも成美女子英語学校時代の勉学や課外授業と言った、争乱に巻き込まれる以前の牧歌的な部分こそがアニメ第一期の醍醐味かつ要旨であった。「大正SF編」では田町監督が好むスチームパンクの要領を原作に累加し、ハルの激動たる活動を描いた。これが本作。もうおわかりかと思うが私は「第1部のノリが良かった! なにこのノリ! 付いていけないよ!」という意見に真っ向から反対したい。第1期が文学への淡い目覚めであり、その後当然闘争への情熱が生まれてくるのは原作を読んでいれば自明なわけで、1期のノリが変わるのは当然だ。作品とハルの生涯を見渡せばこれは当然のはず。昨今のアニメのノリにたまたま第1期がたまたま、たまたまである。合致したに過ぎない。最近のアニメに絆されてるんじゃねえよ。ばーか。
「大正SF」編では後述するが声優の田端エリザベスの演技が相俟って、独特のケミカルさを醸成していた。一般に「大正ロマン」+「スチームパンク」はかなり親和性がありSF界でも常套手段とも言える組み合わせである。ここに長い歴史を持つ魔法少女モノを組み込もうとしたとき田町ボラギノール氏にとっては、師匠である大谷江戸仕草氏の影響を受けたことが役に立ったと私はにらんでいる。60年代の草創期に活躍した大谷江戸仕草氏の功績は今更贅言する必要性も(とくにこの増田界隈では)なかろうが、特に「ハル」の一連の成果には、氏のアニメにおける第三作目「モリソン号じけん!」がかなり直接に関係しているように思える。あまり界隈でもこの指摘はなされていないと思うので、まあ皆さんには自明と思いますが一応・・・。
さっきも書いたけど上中里マリアンヌの演技最高ー! もう大好き。主人公のハルの魅力を充分に発揮しているうえに、かわいい陰獣の「ウンゲツィーファー」も彼女がやってるんだぜ。もうたまらんうー。せーの! 「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」
恋人役「燕尾服仮面」こと奥村の声優西荻窪松庵の演技もまた良かった。松庵の思想上の師である都立家政ドトールの1932年ベルリンでの演技を彷彿とさせるシーンがあった。おわかりかと思うけど19話の例のシーンね。
友人の市川房枝役の声優保谷ビアンキも妖艶な演技が光った。市川房枝って公式でも眼鏡がずれているんだけれど(wikipediaでも見てほしい)、それをアニメでも反映させていて、保谷はその眼鏡がずれているという演技をしているところが印象に残りました。最近揖斐川郡でハウス栽培やっているそうです。岐阜の。っていうか俺あんま声優詳しくねーや。
正直残念だったのが魔法詠唱シーンの作画だ。ハルが本を開いて中空に浮かせて詠唱するというお決まりのシーン。ここに全く気合いが入っていない。ハルが水晶槍の呪文をパージしてマテリアルタスク化するロマネスク技を出したシーンあっただろ。12話だったか? あそこで監督や、あるいは原作者の十返舎一九も多分想定していたことだと思うが、あそこのモチーフは一般にイメージされるフェミニズムの観点からだけでは捉えられない。このアニメを見る際には岩波の『日本のフェミニズム』全編を通読してからにしたほうが望ましいと半分冗談でwikiに書かれているけれど、これは実際マジだとおもう。あのシーンではむしろ参政権の獲得と戦争との関係がクローズアップされているのであって、フェミニズムへの外的要因(ここでは太平洋戦争・・・というか総力戦体制というべきか。この辺りは突っ込むと難しいからこれ以上は無理だー誰か解説してくれ。)が問題なわけだ。で、あの作画である。作画誰かは知らないけれどそういう文脈が必ずしも現場に伝わらなかったのではないか。25話のハルが友人の奥むめおの101才の誕生日をタイムワープして祝うシーン。これも輻輳するフェミニズムのイメージに作画が全くついて行っていない印象を受ける。ここも、参政権から出発し、翼賛体制との関わりから、さらに高度経済成長を経てバブルという消費社会を経験しかつ男女雇用機会均等法が出たあと、というハルの至らなかった(生きられなかった時代の)地平を魔法で見に行く、というのが大魔法の骨子になっていたと思う。これにたいしてあの70年代初期を思わせる「リブ」で作画されちゃあ適わねえ。ハルまだいきてんじゃねーか。
結局ハルは原作では婚約者からもらった指輪をマレーシアのビナツボ火山に捨てに行ったわけだ。いわゆる夫婦別姓という現代的問題を魔法でどう解決するのかが楽しみです。文句も沢山書きましたが、基本的にこのシリーズには期待しています。制作会社の「オベリスク護国寺」の益々のご発展を祈っています。
覚えてない方はこんにちわ。
今回も長文でごめんなさい。
わたくし実はクレーム担当という側面もございまして、先日ちょっと話題になってた某オリエンタルランドにおけるチケットクレームの件を少し考察してみたいと思います。
要約すると「特別なチケットをもらったのに、入場制限がかかっていて入れないのはおかしい。それをなんとかしないディズニーは殿様商売だ」といったものです。
まず、クレームに対応する上での鉄則がありまして、その話を一つしてみます。
今回で言えば、「特別なチケットで入場ができなかった。」さらに踏み込めば、「それによって家族の労力が無駄になった。」というものです。
その結果として、大半の場合、その被害に見合った補償、もしくは解決のための要求がなされます。
それが今回で言う、「なんとか入場させて欲しい」だったり、「せめて心付けほしい」といった内容だったわけです。
クレーム対応とは、一見この2つに対して解決を行うものと思われています。
しかし、クレーム対応が最もこじれるポイントは、その解決にこだわりすぎてしまうことでもあります。
「相手の言う被害と要求に、絶対にこだわってはいけない」ということです。
さて、今回のクレームにあたって、現段階で明るみになっていない部分があります。
クレーム対応とは、即ち、この「原因」を読み解くことが全てといっても過言ではありません。
今回の方のブログを拝見すると、この原因部分がまだ解決されていない印象を受けました。
それは、「もらったチケットが特別なものである」という誤解です。
他の方の反応を見るに、このチケットにはそうした特別な能力はなかったようです。
その誤解が解決されないままに、いくらディズニー側が解決手段を提示したところで、当事者としては納得ができるわけがないのです。
なぜなら、自分の被害の責任は先方にあるという誤解が解決されていないからです。
本来、クレームに対応するにあたって、こうした「相手の考える原因」を紐解くことが真っ先に求められます。
そのためにヒアリング技術などを用いて、まずは相手の話を聞き出すことが必要なのです。
今回であれば、このチケットが特別なものではないという誤解を解くことが、まずはこの対応において再優先になります。
しかし、ここで相手方の無知や調査不足を指摘するようでは、さらなるクレームに火を付けてしまいます。
ここは解決を優先させて、説明責任が不足していたことに原因をシフトさせる必要があります。
「当方の説明が不足しておりまして、誠に申し訳ございませんでした。大変恐れ入りますが、当チケットは入場規制が発生してしまった日には入場することができません。誤解を招く結果となってしまい、誠に申し訳ございませんでした。」などでしょうか。
ここで大切なことは、できないことはできないとはっきりと相手に伝えることです。
ここに少しでも緩和の余地があると、相手に食い下がるポイントを与えてしまうことになります。
これによって、「当日入れるはずのチケットで入れなかったことに対する被害」を、「当日入れると思い込んでしまった勘違い」にシフトさせることができました。
そうなれば、もともとあった「その日に入場できないとおかしい」という要求は意味を成さなくなります。
これによって、本来の問題に対する解決は、「チケットの説明不足に対する謝罪」、もしくは「それに見合う対応」に変わるわけです。
説明不足(ただし、ある程度説明責任を満たしていたとして)、もしくは当人の勘違いが原因となれば、本来あると思い込んでいた当日入場できる権利は行き過ぎた要求になります。
それでもなお要求が続く場合は、今度は過剰な要求に対する対応へとシフトすることができるようになるわけです。
ただ、今回の件に限っては、何故入場制限が必要なのかというポイントに対する説明も不足しているように感じられました。
ここにも原因に対する勘違いがありそうなので、説明があると解決が早まったように思えます。
「お客様に快適に楽しんでいただくために、一切の例外を作らず対応させて頂いております」
「これだけの混雑ですので、小さいお子様をお連れの場合であればむしろ入場をすすめることはできません」
「警察からの指導のもと、パーク内でのお客様の安全を優先することが義務付けられています」
「何かしらトラブルが発生してしまえば、今後さらに厳しく入場制限を設ける必要が発生してしまいます」などなど。
実情は知りませんが、あくまでサービス提供側の都合ではなく、お客様のためにあるルールであることが伝わると良いのだと思います。
さて、今回に限っては、当人を後に引けなくさせるもう一つの要因がありました。
もしここまでにこの要因を見抜けた人は、クレーム対応においてかなりの才能があるといっていいと思っています。
もし、本人だけであれば、この方はこれほどまでに食い下がることはなかったかもしれません。
人知れず一人で恥をかいたならば、こっそりと身を引くことは容易いからです。
しかし、今回はこのまま引き下がれば、家族の前で大きな恥をかいてしまうことになります。
文章の内容から見るに、そのことは彼の中で絶対に許されるべきことではなかったのでしょう。
例えばここで、パークの説明員(しかもそれなりの責任がある人物)が、家族の前に立ち、説明不足を謝罪していたら解決はもっと早まったかもしれません。
なぜなら、それによって自分の力で謝罪させたという男性のメンツが保たれるからです。
こうした相手が引き下がれなくなった理由を素早く見つける能力は、クレーム対応において非常に優れた能力であるといえます。
まとめるとこんな感じです。
・ヒアリングから原因を読み解き、全てを聞き出した上で間違っていれば正しい原因へと導く
・正しい原因から被害に対する誤解を説明し、適正な被害とそれに対する解決策を提示する
・この時、相手がなお元の要求にこだわる場合、過度な要求として態度を改める必要がある(第三者が介入した時に有利になる)
・一連の内容以外、相手が引き下がれなくなっている理由があれば、察知して解決策を提案する
・ルールを主張する場合、それは運営側の都合ではなく、あくまでお客様の権利を守るためであることを前提として説明する
当然実際のクレームは、簡単にフローチャートでわけられるようなものではありません。
しかし、こじれてしまう理由のほとんどは、原因を共有しようとせず被害と要求にこだわってしまっていることも事実です。
クレームを訴える側は要求が正当だと信じ、クレームに対応する側はクレームが不当だと戦うことになってしまうわけです。
被害の責任がどこにあるか。それによって相手の要求がどこまで現実的であるか。
クレームの解決において、両者がその部分をどこまで正しく共有できるかが最も重要なポイントといっていいと断言できます。
尚、クレーマーが要求を通すための常套手段に次のようなものがあります。
・解決にかかった時間をどうするつもりだ。
今回も数時間を無駄にしたことが言及されていましたが、全てとは言いませんがこれらの都合は先方にあります。
諦めなかったのは先方ですし、予定があるのも先方の都合です。
それによってクレームを受ける側が態度を変える必要はありません。
そんな要求に屈することなく、勇気を持って毅然と対応してもらいたいと思います。
蛇足ですが、例えば今回の例に限っては、後日利用できる日付確定型の入場チケットに変えることが妥当なところではないかなと思いました。
さて、運営側として読まれる方も多いかと思うのでここで忠告を一つ。
クレームを解決するにあたって、ルールを主張することは大切なことです。
しかし、解決を優先するあまりにその都度ルールを変えてしまうようでは、それだけ信用を失うことを意味しています。
クレーム対応は組織を成長させるものとして、不明瞭な部分を明確にするために役立てるのがいいのではないでしょうか。
パチンコなんかで言うと理不尽な要求なんて日常茶飯事なのですが、それが理不尽かどうかはその時点ではこちらの視点でしかないわけです。
たとえそれがどんな要求であれ、まずは原因を紐解かずして解決はないと言えるのです。
いろいろ言われてるけどさ、本音のところは博報堂が第二の佐藤可士和を作りたかっただけじゃないの?
恩知らずな彼はさっさと全部自分の手柄みたいな顔して見向きもしなくなっちゃったもんだから。
佐野研二郎って見た目の押しも強そうだし。プレゼンスっていうんだっけこういうのって。
大手の仕事回すだけ回して、本人の名前でデザイン起こすだけ起こして実績作ってみたいな。
サントリーのトートに至っては本人がデザインしたかどうかすら怪しい。
アシスタントに山ほどつくらせて本人が選べば別に監修ってことになるわけでしょ。そりゃ素材の出元なんていくらでもグダグダになるわ。
それで満を持してオリンピックロゴデザイナーとして世界的デビューを果たそうとしたところでまさかの横槍から馬脚が薄皮一枚でなんとかつながってる状況って感じ?
華々しい顔出しデビューが釈明会見とか残念杉夫wwwwwwってか研二郎よりこっちの名前のほうが似合うんじゃねwww
又吉さんに飛び火させるわけじゃないけど、本にせよ芸術にせよ今の世の中ってなんだかんだ言っても偶像崇拝ないと物が売れないじゃない。
テレビがメディア牛耳ってた頃ならそれで良かったんじゃないの。
大手テレビ局が一斉に「流行ってます。」流せば流行ったんだから。
それでも最近のニュースはネットで話題になってる以上触れないわけにいかないみたいなノリでコメンテーターの顔見てるだけで笑えるよね。
擁護せず突き放して見ている側にそこまで言わなくてもって思わせるのって、クレーム対応の常套手段ですから。
この一件はいよいよ大手広告代理店カタストロフィの時代突入って感じですげぇワクワクしてきた。
イチゴシェーク飲んだら勝ち組みたいな風習は本当になくなればいいと思う。
それにしても東京オリンピックは自浄作用高すぎwww私腹肥やそうとした老害どもが総涙目wwww
今後の顛末をどうやって形付けてくのか本気で楽しみだ。期待してるぞ杉夫くんwwww
こんなクソみたいな内容はこんなクソみたいな文章でかけば十分だろ。アホくさい。
パクリだの何だのと言われてるけど、パクリではないと個人的には思う。
デザイナーがロゴを作る考え方のプロセス上で、必ず一度は考えうる形なので。
(それは独創性無くてダメじゃね?という話は一旦脇に置いておく)
案外気づいてる人少ない気がするけど、あの形にはTとLの形が共存してる。
2文字以上の要素をロゴマークに共存させる考え方はデザインにおける常套手段で、
2人のプログラマーが似たような動作を要求されるソフトウェアを開発するときに
プログラムのプロセスが似ていたとしてもパクリとは言われないだろう。
所謂ゴシック的(※1)なサンセリフ体を元にしてあの形を組むとただの罫線だ。
色分けするのもアリだが、白黒で使われるシチュエーションを考えるともっと
パっと見て判る物がいい。
そうなると、もっと書体として判り易いセリフ体を元にしたツメ方になっていく。
形を組み合わせ、出来る限り余計な線を排除し、シンプルに、シルエットでも判るように。
どこかに日の丸を組み込むと64年の亀倉先生へのリスペクト(※2)にもなる…。
と考えて行くとあの形にたどり着くのは容易に想定される。
このプロセスと似たような形をベルギーのデザイナーも踏んだはずだ。
中村勇吾が言う「すごく基本的な形態の組み合わせのシステム」というのはこういう事だと思う。
言わないよね。デザインを説明するなんて、芸人がボケを説明するくらい恥ずかしいもの。
だから精神論に走ったり、凄い人だからパクらない!みたいな言い方になる。
それでは少しも擁護になっていないのだが、どうしても一言言いたかったのだろう。
こういう時は黙っておくべきだ。本人のように。
まあ、本人自身は「パクリではありません」の一言くらいはあるべきだけど。
そんな訳で「ありがちなアウトプットなのでパクリではない」が答えだと思う。
(この"ありがち"っていうのも同業者が変な擁護論に走ってる一つかな)
同じ答えを誰かが言ってた気もするけど、自分も書き出してみたくなった。
以上。
YahooBBとフレッツが連携できるようになっただかなんだかの営業が日曜にいきなりやってきたけどあいつら本当にめんどくさい。
最初インターフォンを妻が取って、「なんかNTTの人が来た」って言うので取り次いでもらうと、
「NTTのフレッツ光の者なんですが、このたび料金体系が変更になりましたのでそのご説明をさせていただきたいので1,2分玄関先対応をお願いします。」
と、やや強硬かつ怪しい感じで言ってきて、NTTの回線は一応使ってるし、つい最近回線が隼に変わったりしたし、しゃーないから一応聞くかー……って感じで応対。
ドア開けた途端「お知らせが遅れてしまいまして大変申し訳ありません!このたび、ネットが安くできることになったんです!」
とか言い出した時点であーこれ十中八九ロクでもないなあと思ったけど、
聞き流してる途中で見せてきた資料の紙にプロバイダが自動的にYahooBBになりますって書いてあった時点でようやく、YahooBBの手の者であることが判明。
「なんでですか?安くなるんですよ!?」とか言ってちょっと食い下がってきたけど断固お断り。
ネット回線やプロバイダについての知識なんかほとんどない感じの代理店の使いっ走りみたいな愛想と元気だけいいい営業のにーちゃん自体に恨みはないけど、
アニメ「響け!ユーフォニアム」を通して見る揺れる心
http://seagull.hateblo.jp/entry/2015/05/11/144400
こちらを見てて、滝先生が「生徒に目標を決めさせる場面が誘導尋問的である」という指摘に「そう!そうなんだよ!」と思った吹奏楽経験者です。
自分は中高大とアマチュア吹奏楽続けてた(就職後時間が取れなくて止めた)んだけども、中高はいわゆる弱小で、大学も中高に比べれば雲泥とはいえ、まあそこまで上手くはなかった感じの人間です(全国大会にはほぼ縁のないレベル)。
でまあ滝先生にモヤモヤする点って、それが効果的かつピーキーな手法だからなんですよね。
そもそも吹奏楽(オーケストラもだけど)同時に演奏する人数がやたらに多い。
ロックバンドですら「音楽性の違い」とか様々な理由で解散するのに、50人からの人数(しかもまだお互いの意思疎通・合議能力に乏しい高校生)をまとめ上げるのは大変。
その上、「部活の外の人たち」は「コンクールの結果」でしか部活の価値を判断してくれない。
短期間で「コンクールの結果」を出すためにはああいうやり方が効率的ではあるんですよね。
ただねえ、中高の部活って、「迷ったり・失敗したりする」事も大事な財産だとも思うのですよね。
特に高校生ともなれば、自主的に色々やってみたくもなる年頃で(高校生だと演奏会で身の丈に合わない曲を選んで轟沈なんてことも結構ある)、それを先生がキリキリ誘導しちゃうのが正しいのかっていうところはすごくモヤモヤするわけです。
もちろん、生徒たちの意思をサポートできる知識とか人脈とかはすごく大事なんですけど、結果として路頭に迷ってたからといって、圧倒的な手腕でひとつの方向に導くのが「正解」なのかどうかってのはまあ「答えのない問い」ですよね。だからモヤモヤする(それとは別に滝先生みたいな「デキる人」の表面だけ見習って、生徒を地獄に叩き落す勘違い指導者が少なからずいる、って問題もあるんだけどそれは別問題なのでおいておく)。
実際問題として、「顧問の先生に導かれて結果を叩き出した」生徒たちの少なくない人数は、高校卒業後音楽から離れます。
まあもちろんそれはある意味当然の事(高校の部活は吹奏楽に限らずおおむねそんなものではある)なのだけども、「彼ら彼女らが高校で自分が今後音楽にどう向き合っていくかを考える機会と知識」をきちんと得られた結果なのだろうか、ってのは色んな吹奏楽経験者を見ていて疑問に思うところなのでした。
結局先生にのせられて部活を続けて、「その先を自分がどう歩くか」を考える機会も材料も得られなかったんじゃないのかって。
ま、回答はありません。でもねえ、全国大会に出る吹奏楽部だった人でも、吹奏楽のCD(今はCDに限らんけど)を買ったりする人って少数派だったりとか、吹奏楽のプロの音源ってびっくりするほど多種多様にあるのに、売れているCDはアマチュアのCDばっかりだという現状とか、肝心の全国大会でもトップレベルの学校がいまだに非音楽的な曲カットをしていたりする現状だとか考えてると、「結果」ってなんだろうなーと思うわけで。
そもそも音楽に客観的に定量的に決められるような「結果」なんてないんだから当たり前ではあるんですけどね。
あくまで吹奏楽コンクールは演奏技術のみを競う場ですから(だから音楽的にひどいカットをしても基本減点されない)。
なんかモヤモヤに引きずられて話がそれました。すいません。
で、原作の誠実なところは「このモヤモヤにはすっきりした回答なんぞない」というところをきちんと描こうとしているところだと思います。
同じ音楽を扱った作品でも「BECK」とかだと勝負に普通に勝ってしまうわけですけど(あれは基本的には、プロが「客ウケ=動員数」という基準で勝負してる話だからそれでいい。作者の「本当にいい音楽は誰にでも伝わるはずだ」という暴力的な音楽観はヒシヒシ感じるけど)、この作品は「結果」ってのがそんなに分かりやすいものではない事をきちんと踏まえている。
だから滝先生も全面的に作中で肯定されるわけではない(はず、原作一巻を読む限りでは)し、かつ、群像劇として多種多様な価値観の人々が「設定された目的のために協力はしても考え方を相容れることはあんまりない」という方向で話が進みます。
このモヤモヤについて、見る人が色々考えてくれるといいなあと、私も思う次第です。
他にも作中の曲についてとか原作者が楽曲のスコア見てなくて事実誤認してる部分とか色々言いたいことはあるんだけど、最後にひとつだけ。
「吹部」っていう略称は、大学の「回生」並に関東・東北(多分北海道も)では通用しないから気をつけろ!
ただし、「ブラバン」はブラバンで熱心な吹奏楽部員の神経を逆なでする(brass bandは本義的には金管楽器と打楽器の編成を指すので)から気をつけろ!
ちょっとだけ追記しておくと、
そもそも「コンクール全国大会出場」と「コンクールに出場して思い出作り」の二択しかないのがおかしいって指摘はきちんとしておいた方がいいですね。例えば演奏会に力入れたいからとかマーチングに力点置いてるからとかでコンクールに出ないって選択をしている学校も少数だが存在するし。ここには滝先生の「吹奏楽部はコンクールありきだ」っていう偏狭さがあるともいえるわけです。あえて極端な二択を提示することで、ほかの選択肢を考慮する余地を奪うって言う詐欺師の常套手段です。
極論、そういう様々な選択があってモヤモヤする音楽活動ってやつを、コンクール一生懸命やって技術的に上手くなるっていう否定しづらい名目で塗りつぶしてるともいえる、んだよね。滝先生は。
まず全体的にポエミーで酔った文章が不自然。本当に不本意な離婚をしたばかりの人間だったらこんなもん書ける余裕ねーだろ。
細部も突っ込んでいく。
妻の体調が悪くて入院が長引いたとしても、子の体調に問題がなければ子は先に退院だよ。
それとも子は義実家に丸投げか?
具体的な診断名を出すと詳しい人に突っ込まれるから原因不明という設定にしただけだろこれ。創作の常套手段。
子連れで病院行ける訳ないんだから、この場合の夫の仕事は子供を家で面倒見る事だろ普通。それとも義実家に丸投げか?
そんな時、再度妻が体調を崩した為休んで欲しいとの話があったがもう休むことは出来なかった。
妻にしてみれば実家居た方が楽なのに更に休んで欲しい理由が分からん。
義実家頼って離婚出来るくらいなんだから、義実家に問題はないだろうに。
と思ったら
妻に会いたい、子供に会いたい
会社で24時間戦ってて行く時間すら無かったのか?だったらそれを強調するだろうけど、書いてあるのは単に「休めない」ってだけだよね。
何故か義実家には近寄ってはならん理由でもあったんなら上記の「妻が休んで欲しがった」理由になるが、
守りたかった者は、もう居ない。
妻はともかく子は居ない事にすんな。離婚しようがおめーの父親としての責任は残るんだよ。
大体義実家近所なんだから子に会いに行けるだろ。虐待とかじゃないんだから離婚時に面会の取り決めも出来る。子との面会は父親の権利だしな。
なーんにも決めずにただ二度と顔を見せるなと言われて素直にそれ飲んだのか?あほ?
それともやっぱり義実家には近寄ってはならんのか?結界でも張ってあんのか?