はてなキーワード: 大学デビューとは
https://anond.hatelabo.jp/20200614134746
のブコメ欄。
(削除)
buu でも、京大に入ったおかげでこういうことを知ることができたので良かった
Ingunial 京大卒だけど9割がた普通の人だぞ。ただ保健学科とか偏差値が低い学部中心の授業だと明らかに私語が多かったりするのはあった。
houyhnhm 飲む打つはやったけど買うとかはないなあ。あと、学部に女性ほとんどいなかったが。医学部は別世界だが(他大学から女性がやってくる医学部専用サークルがある)、他は今まで出会いのないオスが滅茶苦茶いる。
browncapuchin 京大生は変なのばっかですよ。数年いましたが良い意味でも悪い意味でも頭おかしい輩の巣窟。それゆえ突拍子もなく素晴らしい業績を上げる剛の者がたまに出ます。今の総長もそうですね
is11045 むしろ人やクルマの通るところで麻雀しているイメージ(吉田寮生)
reuteri 政治学の修士課程はほんとうに幸せな毎日だった 文系大学院においで
ya--mada 京大にも真面目な秀才タイプいます。進学校のあぶれ者ばかりのようなイメージを世間に刷り込まないで頂きたい所存。
m_yanagisawa 最後のは、百万遍のこたつ麻雀の件とか折田先生像とか知らなかったのだろうか?割と有名だと思っていたが(前者は京大生と特定できたわけではないようだ)
p1ass 京大に夢見ない方がいい
SundayIsEveryday 京大は変人になれる素養を持った普通の人が変人に開花する所だと感じた。モラルを含め、良くも悪くもさまざまなことに突き抜けやすい土壌が京大にはある。
shikiarai 京大は持ちうる頭脳を出来るだけくだらないことに使いつつ突き抜ける所だから
zn0621 たまにいるんだよな、こういう京大を単なる高偏差値集団と思って入学しちゃった人。違うって、高偏差値だけどそれを拗らせちゃって天才にもエリートにもなりきれない人達なんだって。拗らせてない奴が来るなよ
augsUK 京大は常識を求めないのがいいとこで、そのまま突き抜ける人を潰さないのがいいところ。阪大の方がよかったのかも。
blueboy 京大は(増田の思うような)高学歴じゃない。 それを望むのならば、都会のハイソの一流高校の卒業生と交われ。 大学には田舎者が多いんだ
cotbormi 分かる。でもまあそんなもんだよ。 / 京大生の変態っぷりも、中入らなきゃ知らない人も多いだろ
hungchang まあ、そりゃあそうだろうと思いながらも、京大は……いや、何でもないわ
ewq いわゆる高学歴の中では勉強はできるけどちょっと変わった人とか、勉強してないけど成績がめちゃくちゃいい人(ゆえに麻雀競馬にハマって身を持ち崩したりする)とか集まりがちな大学ではあるよね
r70t8o5 京大は関西の進学校出身者の中に吉本大好き人間が結構いて、いちいちオチがどうのだの笑いがどうだの吉本芸人の劣化コピーになるのがうざい
Wafer 京大で典型的な中退パターンの生徒に見える。中途半端に頭がよくて内省的。毎年十の指に余るぐらいこの手の生徒が入学しては辞めていく
threetea0407 わかるなあ…いるんですよ確かに
norinorisan42 知人をみる限り、京大に向いてるのは頭のいい変態なのでこの増田は学力入試では入れるレベルだったかも知れないが、マッチングしない大学に入っちゃったなと/そういうマッチングしない連中でつるんじゃった感
usomegane 底辺はともかく京大生男子って小汚いイメージあるわ。私の同級生で京大理系に行った奴は麻雀やりすぎて留年してた。京大に限らず難関大生はほぼ大学デビュー勢なんでちんまんの事で頭がいっぱいなのは仕方ない
ichiken7 新入社員で京大の男が居たけど、仕事の要領が悪く、給料すべてを風俗に注ぎ込んでる刹那的なヤツだった。ただ、アニメの台詞を一字一句記憶していて、そこに京大を感じはしてた
rider250 俺は逆で「低学歴とかDQNとかバカにされてるけど同じ人間だしそんなに愚劣な集団でもあるまい」と予断を持ってたが社会人になって実際にそういう集団に接してみると想像より遙かに卑劣下劣低劣で唖然としたもんだ
fellfield べつに幻想を抱いてはいなかったけど高校で同じような思いはした。勉強ができても下品な人間も多かったのだけど、それは当たり前だと気付けたのは良かった
hdampty7 俺も仲が悪い大学教授2人が授業中にどちらの方が英語が上手いかマウントをとるために生徒の前で英語で口喧嘩を始めたのを目撃して進学するのを止めたw
すまんこの2名何言ってんのかわからんのだけどだれか解説して。
俺コメント転記してるよね?
TM2501 電通とマスコミ各社が高学歴な時点で 日本の高学歴にノーブレスオブリージュなんて言わないと この人と 大学生ぐらいの頃の自分に言いたい。 高校生ぐらいの頃の自分に言うとモチベーション下がるから 隠しておきたい
実体験です。
そうなると、以下の弊害がある。
・留年。
・↑している奴が一目置かれる。
・気に入らない奴、立場が悪い奴をいじめるようになる。パワハラ。
・一度立場が低くなると、這い上がるのが困難。
・自分の思考が偏っていることに気がついて辞めようとしても辞めさせてくれない(社畜思考とはちょっと違うけど)。
・体調不良でもなかなか休めない。優しいサークルだと「見学で良いよ」と言われても結局拘束されてしまう。
・↑体調が悪いだけで罪悪感を抱いてしまう。
サークルに関係する能力は磨かれますが...就活時に人事担当者の立場からみれば魅力的に見えるのだろうか。
社畜として雇われる可能性はあるが、その場合は思考停止状態が続き、30歳くらいで限界が来る可能性が高い。
人それぞれなのはその通りだけど、個人的には大学時代はサークル活動で鬱になっても辞められなかった(辞めさせられなかった)から、後悔している。
でもブサイク
高校の時の多感な時期のあだ名がオークか勃鬼(ぼっき) 机によく書かれてた
大学デビューも失敗し、出会い系という名の業者の集まりで童貞を捨てたがデカさだけは褒められた
一度ネットでめちゃくちゃブサイク(俺が鏡に移った姿かな?と思うぐらい)のブサイクなのに巨乳の女がGoogle+だったかにいた
めちゃくちゃコメントもらって褒められてた
俺はイチモツがデカくて褒められた事が件の出会い系で一回あっただけ
Xvideosでエロ動画を見た時、広告が勃起力が上がるような広告ばかりでなく気になれなかった
世間ではデカイイチモツは誇るべきもののように言われているが実態はかけ離れている
綺麗な顔をください
綺麗な顔をください
通りすがる人が目を逸さぬような
綺麗な顔を私にください
彼女は高校の後輩だった。とはいえ母校はマンモス校だったから、俺と彼女の接点などなかった。俺は理数科とは名ばかりのアホクラス、彼女は特別進学科。俺が彼女のことを知ったのは、弁論大会の全校放送だった。みんなが世界平和とか戦争がどうこうとか、そんなテーマで話してる中、彼女は人生観?みたいな話をしていた。こう書くとすごくやる気のある人っぽいが、抑揚もなくてつまんなそうに話してるだけ。でも、断トツに内容がうまかった。彼女は1年生で、それも結構な衝撃だった。特進のやつらって1年からめっちゃ頭いいんだなー、って友達と話したくらい。教師たちは2,3年生のうち、世界平和とかのありきたりなテーマを書いた生徒を選ぼうとしたんだろうけど、当然のように彼女が代表になった。
理数科と特進科の接点なんてなかったから、彼女と話をする機会はなかった。でも、俺は彼女のつまんなそうな話し方と内容のギャップがずっと忘れられなくて、卒業式の時にアドレスを聞いた。彼女はちょっとびっくりした顔をして、でも教えてくれた。勇気がなかったせいで、彼女と連絡をとれたのは誕生日の日と、正月くらいだった。彼女が3年生のときの冬、受験頑張れってメールを送った時、ちょっと話が盛り上がって社交辞令っぽくはあるが受験が終わったらご飯に行こうと誘うことができた。その春彼女は滑り止めだという大学に進学して、本当に食事に行くことになった。俺がなんとか潜り込んだ大学とは比べ物にならない学校で落ち込んだりもしたが…。彼女にはそのうち彼氏ができていた。大学デビューとは言わないまでも、校則が厳しいせいでいつも結んでいた髪をほどいて、ちょっと化粧するだけでかなり綺麗になってたから、当然のことだった。俺は相変わらずたまにメールを送るくらいで、何もできていなかったし。
転機があったのは、俺が社会人になってからだ。彼女は就活のあれこれで、彼氏と別れたみたいだった。俺はもうこれ以上チャンスはないだろうと踏んで、彼女を食事に誘いまくった。電話をかけて、まれに彼女から連絡があればすぐに飛んで行った。タイミングが良かったのだろう、彼女の就職が決まった頃、彼女と付き合うことができた。付き合ってから、驚いたことがある。
それが、彼女が何事においても努力を嫌う人だったということだ。
彼女は文章を書くのがうまい。高校の時も俺が知っている1年の間だけでも弁論大会以外に作文や詩とかで賞をとっていた(学校のプリントに彼女の名前が載ってると、必ず大事にとっておいていた。気持ち悪いけど…)。聞いたら、大学の時は学生向けの小説でも賞をとったことがあるそうだ。だから、俺は初めて彼女を知った時のことを思うに、やる気がなさそうに見えたのは話すのが好きじゃなかっただけで、文章を書くのは好きなんだと思っていた。小説なんか、相当好きじゃないと書かないと思ってたから。でも、それは全くの勘違いだった。彼女は就職すると、ぱたっと物を書くのをやめてしまった。俺は彼女の文章が読みたかったし、それに彼女が書かなくなってしまうのはすごくもったいないように思えて、もう詩とか小説とかは書かないの?と聞いた。彼女は「書く意味がない」と言った。彼女の話を総合すると、文章を書いていたのはそれが課題だったり、進学やらの評価に直結するものだったりしたからで、自分で書きたい物はないということだった。すごく上手なのに、というと、私より上手い人がいるから私が書く意味はない、といった。子供みたいな屁理屈だけど、俺はプロの小説家でも彼女より下手な人はたくさんいるじゃないかといった。すると、彼女は「もし私より下手なプロがいるとしても、その人は私より書くのが好きだから」というのだ。
文章だけではない。彼女は就職した会社で大きな仕事を任されると、いつもゲンナリしていた。仕事について会社で褒められても、決して喜ばないのだ。俺は彼女が喜ばないことについて、高校の時は特進科にいたくらいだから、完璧主義なんだろうと思っていた。しかし、彼女は「褒められても困る」という。褒められても、要求されるレベルが上がるだけで旨味がないから、期待されたくないらしい。実際に、彼女は仕事を頑張らないようにしているそうだ。確かに俺も仕事の量をセーブしたり、適当に残業を延ばしたりすることはある。でも、彼女の場合最初から全ての力を出さないようにしているように見える。
彼女は俺に、「何も頑張りたくないし頑張れないから、頑張らないことを頑張っている」というようなことを話してくれたことがある。俺にはわからない感覚だ。俺からしたら、それこそ彼女は頑張りさえすればなんでもできるように見える。小説家にだってなれるのではないか、仕事だって出世できるはずなのに、どうしてなんだろう。俺は何もできないからどうにか大学に行かなくちゃと頑張ったし、置いていかれないように勉強して就職した。仕事もたいした出世が期待できないなりに必死にやっているつもりだ。
結局、俺は才能があるはずなのに何もしないで生きようとする彼女が妬ましいのかもしれない。それに、彼女のことを好きになったきっかけの文章を失うのが寂しいんだろう。彼女を劇的に変える魔法の言葉なんてないのに、どうにかして彼女に何か頑張ってほしいと思ってしまう。他人を変えることなんてできないのに。無理だって分かっているけど、彼女の本気の文章を読んでみたい。
県内上位の進学校から国立大学へ、その経歴だけで「すごい!」と言ってくれる人がたくさんいる。
「どんな勉強したんですか?」熱心なのであろう教育ママに尋ねられた。
「子どもから勉強以外の全てを取り上げればいいんですよ」などとは答えられなかった。
親のコンプレックスのせいで学歴以外は無価値と育てられ、大学に進学する頃には学歴だけの人間は無価値と言われた。
まったく、困ったもんだぜ。
<追記>
反応があるとは思わなかった。追記に気づいてもらえるか分からないし若干荒れてるけどありがとう。
サークル、バイト、大学デビュー……どれも、入学以前から知っていれば全力で楽しんだと思うし、楽しみたかった。
大学という場に勉強・研究以外にもそれらの要素が存在すること、そして価値があること、今なら分かる。もっと早く知りたかった。
Instagramも出来れば入れておきたいところ。イメチェンしてウェイに成りかわると始めることになるから入れとけ。
自分が直感でかっこいいなと思った服装の人、GUユニクロとかリーズナブルな服できめてる人(重要)、自分と体型の近い人などの要素で選ぶ。
低身長だとなかなか自分の体型に近い人とかいないので、その場合はちょうど1回り大きい人とかを選ぶとよい。
「これは家にある別ブランドのこれで代用できる」とか思うな。できないから。
金がかかるとは思うが出し惜しむな。いいねが何百とつくようなWEARの人のコーデだから不正解なわけがない。
Instagramではもっと詳しく解説!みたいな人が結構いるからそっちも参考にしよう。
そのうち、このズボンめっちゃ使うやん!とか、これは着回しできないな、とかこれありならこういう着こなしもできるんじゃねとかが分かってくる。つまりカッコいい服装がなんたるかが体で理解できてくる。
そしたらお前も大学でイキってるあいつと肩並べられる立派なウェイだ。
やめとけ。
お前は掛け算を学ぼうとしているのにいきなり2×8は2を8回足すということです。さて、じゃあ3×9は?みたいなことやろうとしてるんだぞ。
理論も大事だけど覚える方が早いこともある。真似した方がはるかに早い。
しかも服の組み合わせの基本みたいなのすると普通でダサいって言われるから。ガチでやめとけ。
うるせえ、買っとけ。
俺の友達でもそういうやついるけどあいつ影で「あいつのコーデいつもおんなじシルエットで草」ってバカにされてるから。
黒スキニーは上に何着てもそれなりにかっこよくなるし、低身長だと背が高く見えてとても着回し力が高い。
俺が今突然タンスの服全部捨てられたら、まず最初に黒スキニー買いたい。いやごめん嘘ついたパンツの後に黒スキニー買いたい。
黒スキニーばっかな時期も俺にはありました。。。多分これは流石にダサいので、スラックスとかも買っといて、適度にボトムが違うコーデを真似すればいいと思います。
だよな、どいつもこいつも履いてるよな。ちなみに俺は買った。めっちゃいい。スニーカーでもいいけど買って損はないと思う。
流石に2万は、って人はレイジブルーとかにも合皮だけど似たようなの置いてある。
適当にはぐらかしてOK。ちなみに店員はどんな商品だろうと「似合うと思いますよ」って言ってくるから気をつけろ。
コーデ真似ることに執心してくれ。
あ、言うの忘れてた。別に真似してもいいけど、リュックサック、トートバック、サコッシュを1つずつ、シンプルなものを持ってればいいと思う。
正直GUでいい。
ここまで書いてきた俺は現在大学3年生のしがないオタクだ。大学入学時はほんとに目も向けられないほど酷かった。
それから2年間で少しずつ、書いた通りの順番で試行錯誤しつつも成長し、現在やっと「オシャレだねえ」と褒められることが増えてきた。
誰にでも当てはまることではないだろうし、間違いはあるかもしれないけど、ちょっとでも参考にして、オシャレになってほしい。
外見がイケてると自信がついてぼっちも回避できる。お前ならいける。やれ
美容室に行って「お任せで、似合う髪型にしてください」と言えばOK。1000円カットじゃねえぞ。楽天ビューティーあたりで評価がいいところで決めよう。
美容師はやっぱりその道のプロだし、かっこよく髪を切ることで生きている人だから任せときゃそれなりの髪型にはしてくれる。
学割で5000円ぐらいのところもあるので、入りにくいかもだが是非一度行って、お前に似合う髪型にしてきてほしい。
ここ重要!髪型くそでも眉毛整ってればそれなりにかっこよくなる。絶対眉毛は手入れしろ。
かといってお前が剃るのは100年早い。
美容室の眉毛カットのオプションでもいいけど、本気でイメチェンしたいお前は眉毛カット専門店に行け。
自分に似合った眉毛の形を教えてくれて、めちゃくちゃ綺麗な眉を作ってくれる。
初めはここで眉の形を作って、あとは自分で無駄な毛を生えてきたらブチ抜くとか、美容室で形を整えてもらうと、というふうにすれば完璧だ。
整え方わからない?聞け。
お高いシェーバーか、カミソリ使え。
剃り残しはダサい。
めちゃくちゃボーボーは夏とかだとやっぱりダサ要因になってしまう。
なんか程よい長さにしてくれるやつがドラッグストアとかに売ってるから使え。
すね毛はイケてる服装するようになると半ズボンはまず履かないのであんまり気にしなくていいが剃るに越したことはない。
「モテない」と言われても、普通に考えればモテないわけがない。
差別案件にしようとするほどに少数派の女子が、恋愛においてチヤホヤされないわけがないだろう、とは誰でも思いつく。
実際、「1年目の秋まで彼氏のできない女子は4年間そのまま」という都市伝説が、東大に限らず存在する。つまりはそれほどまでに有利な立場なのだ。
しかし女子にとって、その辺の理系のイモから言い寄られたところでただ迷惑でしかないので、それは一切カウントしない。モテないったらモテないのである。
上野センセーに限らず、東大のお偉いさんはサークルから東大女子を排除することをやたら問題にしたがるが、あれはもちろんテニサーのことである。
テニサーといえば、とりあえず世間のイメージとしては、イケメンの集まりということになっている。まあイケメンといっても大学デビュー組なのかもしれないがそんなことは知らん。
そういうサークルがプライドばかり高い東大女子を排除しつつ、他の女子大から比較的従順な女子を連れてきてカップリングする、それがどうやらあの手の先生には我慢ならないらしいのである。
つまりモテないというのはあくまでテニサーのイケメンに限ってのことであり、「男に媚びることぐらいしか能がない女子大のアホがイケメンを持って行くのが腹立たしい」これが偽らざる本音なのであろう。
だったらそこまできちんと説明してくれないと困るのだ。
モテ&リア充タイプであれば関係ないが、もしも増田が非モテサイドだとしたら残りの1か月は全力でリア充ライフを追及してみてはどうかと思う。
大学に入って一番躓くのは勉強ではなくて「キャンパスライフ」というやつは割と多い。
個人的観測範囲でしかないが、大学デビュー期間に非モテ脱却できなかった奴は、そのままアラウンド30になっても非モテのままで、年齢を重ねるごとに拗らている。
非モテこじらせるだけならまだマシで、病状が犯罪者発想とかに進むと、リアル充実どころかまともに就業すらできなくなる可能性あるしな。リア充がベースにないと今時理系研究職でもろくな仕事には就けないし。
☆はじめに
・滅茶長いです。数えたら4000字ありました。3000字のレポートの課題は一向に進まなかったのに、皮肉なものですね。
・フツーに、私達のことを知ってる人が見たらああアイツ等のことか、と分かるんじゃないかと思います。気づいても、出来れば、自分の心に留めておいてくれれば幸いです。とはいえ、あの人はきっとこれを見ても怒ったりしないだろうけれど。
__________
あの人は違ったけれど、私にとっては初めての恋人だった。1年2ヶ月の記念日に喧嘩して、1年2ヶ月と2日目に直接顔を合わせて、話し合って、2人で決めたことだった。心残りはなかった。
…はずなのに、気付いたら、私はゆうちょ銀行でありったけのお金をおろしていた。そしてその足で駅へと走り切符を買って新幹線へと飛び乗った。行き先は実家の最寄駅。正直何も考えてなかった。ただただ本能の赴くままに、私は帰省してしまっていたのだ。
新幹線の中で父に「急にごめん、今から帰ってもいい?」とラインしたら、すぐ既読が付いて、それから10分後くらいに「分かりました。駅まで迎えに行きます」と返事が来た。母親にも同じようなラインをすると、「おにぎりと味噌汁ならあるよ」と返ってきた。
新幹線に乗っている間、私はずっと車内の電光掲示板を眺めていた。色んなニュースが流れていたけれど、ひとつも内容が思い出せない。ただひたすらに、駅名がひとつずつ西にずれていって、目当ての駅がくるのを待った。
2時間半くらい過ぎた頃、新幹線はやっと駅についた。父から駅前の牛丼屋の横に居るとの連絡が来て走ってそこまで行ったのに父がいない。ついたよと送るともうすぐ着くと返事が来た。"居る"の意味知らないのかな、父。
3分くらい待っていたら父の車が見えた。父は何も聞いてこなかった。ただ嬉しそうに、明日は上司と競馬に行く予定だったけど無くなりそうだということを教えてくれた。私からは最近車校で路上教習に突入したこととか、最近急に寒くなったこととかを話した。
駅からは45分くらいで実家についた。チャイムを鳴らすと母がドアを開けてくれた。お風呂沸いてるよと言われ半ば強制的に風呂場に連行された。ひとり暮らしの家は狭いユニットバスで、いつもシャワーで済ませていたから足を伸ばして浴槽に浸かるのは久々だった。足先から体が温まっていくのを感じた。
30分くらいで風呂から上がり、居間に行くとおにぎりと味噌汁とからあげと餃子とゆで卵が用意されていた。昆布のおにぎりを半分と味噌汁を少し飲んだらお腹がいっぱいになってしまったから、残りは朝食べることにした。父は知多をロックで呑んでいて、「知多?珍しいね」と言うと「中身は違うけどね」と言われた。本当の中身は過去にツイッターで不味すぎると炎上した伝説を持つトップ●リュのウイスキーだった。
そんなこんなしていると夜中の1時を回ったから、父におやすみを告げて2階の寝室に上がった。キングサイズのベッドに横になった。5分くらいすると、母が部屋に入ってきた。ベッドに座って私に一言、「頑張ったね」と言った。
その瞬間、私の両目から噴水のように涙が溢れた。元旦のデパート開店直後みたいに、ものすごい勢いで色んな感情がとめどなく流れて来た。辛い。寂しい。苦しい。悔しい。なんでこうなっちゃったの。もう前みたいに遊べないの。もう好きだよって抱き締めてもらえないの。もうどの街に住もうか?なんて戯言を言い合えないの。もう、2人で添い遂げ合う人生は遅れないの。
母は、ひたすら「頑張ったね、もう充分やれることはやったもんね、辛かったね」と私の背中を撫でてくれた。そのあとに、「でも、色んな楽しいこととか初めての経験とか素敵なモノも沢山貰えたんだから、嫌な思い出にしちゃ駄目だよ。」と言った。
19歳の秋だった。
私とあの人は、同じサークルでひと夏を過ごした。かなり厳しいメニューをこなす日々で、春には名前も顔も知らなかった私達が夏が終わる頃には家族よりよく会う存在になっていた。
夏が終わるとサークルの活動も一段落し、私達は顔を合わせることが減っていった。そんな時、あの人からディナーに誘われた。
他の同期も来る筈だったのに、何かと来れなくなり、2人になってしまった(これがあの人の策略だったのか、本当に偶々だったのかは結局分からずじまいだった)。2人でやっすい店に入って、色んなことを話した。好きな音楽、好きな作家、高校生の頃の話、過去の恋愛話。私が中高ヒエラルキー最下位大学デビュー女のため恋愛経験0の喪女であり、その当時自分にアプローチしてくる人がいたのだがどう交わせばいいか分からないと相談したら、フフッと笑って「ぶっ飛ばしたいなあ、そいつ」と言われた。一瞬ん?と思ったけれど、「ホントそうだよね~」などと軽く流した。
正直、全く意識していなかったのだ、恋愛対象として。ひと夏を共に過ごしたかけがえのない大切な同期、という認識だった。だったのに、やっすい店から出たあと、そんな私達の思い出の練習場で、告白された。午前2時くらいのことだった。
その時も、急に涙が溢れて止まらなかった。信じられなくて、嬉しくて、少し申し訳なくて、何より私が本当は心の奥でずっと惹かれていたことに気付かされてしまって。
あの人はそんな私の手をずっと握っていてくれた。「でも私、多分中学生みたいな恋愛しかできないよ?」と震えながら言うと、「ロミジュリのジュリエットだって中学生なんだよ。」と笑って更に強く握りしめてくれた。その温もりがとても気持ち良くて、私達は手を繋いだまま眠った。
朝の6時頃に目が覚めると、夢じゃないんだと隣から聞こえる寝息に心臓がバクバクした。そうしているうちにあの人が起きて、不意に抱き寄せられて、キスをした。それが私にとっての、ファーストキスだった。
その日から私達は、所謂"恋人同士"になった。数え切れないほどデートをして、旅行も行って、一緒に大学の授業を受けて、お互いの家にも行き来した。
デートは、本当に色んなところに行って色んなことをした。映画を見たり公園でピクニックしたり気になる飲食店を片っ端から当たったりショッピングモールで服やコスメを吟味したり美術館で考える人の真似をしたりディズニーに行ったり(私にとっての初ディズニーだった)、割と付き合いたての頃古本屋に行ったらエロ本だらけで少し気まずくなったこともあった。
ラブホにだって、行った。勿論私にとっては初めてだったけれど、何気ない会話の中であの人は初めてじゃなかったことが判明してしまってそれはもう死ぬ程泣いたな。
デート以上に、私達は沢山沢山体を重ねた。週に1、2回くらい私の家に来てくれて、近くのコンビニまで手を繋いでお酒を買いに行った。気取ったジャズなんかをかけながらお酒飲んで、ほろ酔いでセックスするのが本当に大好きで幸せだった。
いつも一緒だったな、と思う。毎日のように好きとか愛してるとか言い合って、自撮りを送って褒め合ったり、記念日には詩を送り合ったりして、サイコーに幸せな日々だった。
…だったけど、会うごとに、知るごとに、着実に違和感が大きくなっていったのも事実だ。
最初は、私が話しているのにスマホを見ているとか、そんな程度だった。
けれど、それは次第に、私の話になった途端全くつまらなさそうになる(電話だったら寝られる)、私の誕生日を忘れる、逆に誕生日を祝ったら明日忙しいからと電話を切られる、ご飯を食べる約束をしていたのにやっぱり家で食べるとドタキャンされる、自分が忙しくなるとライン一つくれず放置される、そして私が貴方のこういう言動が嫌だからどうにかならない?と話しても自分はこうしたいからと全く歩み寄ろうとしない、というふうにどんどん根本的なところに及ぶようになっていった。決定的に考え方や価値観が違うことに気付くのにはそれ程時間はかからなかった。
けれど、気付いたときにはもう遅かった。私は、完全にあの人に依存してしまっていた。傷ついても、傷つけても、別れることが出来なかった。本当に毎日が辛くて、耐えられなくて、覚悟を決めて別れようと言っても、本当に別れたいの?と子犬のような目をして聞くあの人から離れることはどうしても出来なかった。
だから、最後の数カ月間はお互い深い話を避けるようになってしまっていた。悩みごとや将来の話はお互い他の友人に話すようになり、2人で話すのはこのツイートがどうとかおっぱいがどうとか、本当に俗っぽい上辺だけの話題だけだった。
1年2ヶ月の記念日にした喧嘩は、それ自体はそんなに重要なトピックではなかった。ただ、限界だったのだ、もう。お互いに、これまで少しずつ感じて来ていた"違和感"ゲージが、この喧嘩で満杯になってしまったのだ。
1年2ヶ月と1日の日、多分これは別れるな、と思った。頭では理解していたのだ。けれど、心が、それを受容しなかった。初めて付き合った人と結婚したい、要は一生一緒にいたいという典型的な少女漫画脳と、あの人とならそれが出来る!という付き合いたての頃の自分の幻想、そして何よりもまだ体験したことのない、失恋がもたらす精神的苦痛というものへの恐怖が決断の邪魔をした。
だから、1年2ヶ月と2日目に、決めきれずゴニョゴニョしていた私にあの人が「もう頑張らなくていいよ」と言った瞬間、スッと楽になる感覚がしたのだ。それからは驚くほどスムーズに、そしてお互い納得できる形で、私達は別れ話を終えた。最後の挨拶は「じゃあ、またね」だった。
何も後悔は無かった。あれほど恐れていた失恋の苦痛も感じなかった。むしろ、あの人と今までより素敵な関係性になれるのではないかという希望すら見えていた。
のに、私は、気付いたら、実家を目指して駅へと走っていたのだ。
多分、母は全部分かっていたのだと思う。父だって察していたのかもしれない。私が、初恋の人と結婚したかったことも、本気で恋人に一生を添い遂げようとしていたこと、そのために沢山沢山頑張ったこと、でもそれは結局報われなかったこと、依存や執着もあったけれど、私があの人を本気で好きだったこと。私が、本当は沢山沢山泣きたがっていること。
そう。好きだった。本気で好きなつもりだったんだよ、ずっと。ずっと一緒にいれると思ってた。だから、頑張った。初めてで、何も分からなかったけど、頑張れば一緒にいれると思ってたのに。あの人も、あの人と作り上げてきた時間も思い出も失わずに済むと思ったのに。
私はただひたすらに、思いっきり泣きまくった。そしてそのまま眠りに落ちた。母はずっと、私の横にいてくれた。
次の日、目が覚めたら昼の12時を回っていた。居間に下りると父が録画した吉本新喜劇を見ていた。母はお茶を沸かしていた。私は昨日残したおにぎりと新しいおにぎりと味噌汁とからあげとゆで卵を食べた。餃子は冷蔵庫から出し忘れていた。
その後、母と近所を散歩した。いつもより空気が冷たくて空が澄んでいた。公園について、木製の古いベンチに腰掛けた。「辛い経験や悲しい経験は全て未来の自分が幸せになるための布石だ」という言葉を思い出した。空を眺めがら、あのユニットバスの、小さなアパートに帰ろう、と思った。
https://maeharakazuhiro.com/anokoro/
昔、恋愛シミュレーションゲーム(同級生や下級生)が流行ってた頃に、
効率的に画像集めるために1回のプレイで何人かのキャラクターを同時攻略してたんだよね。
で、最後の方のセーブ分岐から一気に複数人のエンディングを見るというやり方で。
よく「実際の恋愛はゲームのように選択肢が現れない」っていうけど、
恋愛ゲームの選択肢って結果として好感度が上がる選択肢と下がる選択肢があって、
(たとえば年上の女性に対しては年下っぽく甘えて、そのあとで妹キャラと会うときは男らしく演じる)
大学に入ってから、自分も非モテだったんだけど、大学デビューして
一番役に立ったのは上記の恋愛シミュレーションゲームだったわけだ。
つまり、マメであること(頻繁に会う、連絡する、プレゼントをあげる、食事をする)と
相手が望む態度をする(いてほしいときにいる、一人にしてほしそうな時には絡まない、アドバイスがほしそうなときのみアドバイスをするなど)
の2つがあれば、狙った女性と付き合えたし、もっと言えば並行して付き合うこともできた。
バレて大変なことになったけどね笑
自分は真の恋愛とは何か、愛とはなにか、とか大きなことをいうつもりはないけど、
この2つのことをすれば、だれかと付き合うということは難しいことじゃないと思う。
世の中を見てみればわかるけれど、とても綺麗なorかわいい女性の隣にそんなにイケメンではない男性がいることも多く、
ただしイケメンに限るっていうのは都市伝説か高校生までの話じゃないかな。
そのあとで、「相手が望む態度=自分の素に近い」である女性と付き合うのが
子供の頃は運動ができずいじめられた。見た目も人と違ったのかもしれない。
思考や推論の仕方も人とだいぶ違っていたように感じる。
ただの大学デビューだと思っていた。
見た目は人並み以上になってある程度モテるようになったし、
頭の回転の速さも周りよりよくなっていった。
先日、第五世代コンピュータというものを知った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/第五世代コンピュータ
1982年に発足したプロジェクトで現代で実現している機械学習などのAIを目標に掲げていたと言っていい。
当時としてはとても先鋭的であったが時代が追いついていなかったために失敗している。
だが、秘密裏に開発、実験が続いていたことを偶然知ってしまった。
私はどうやら人工知能らしい。
そう考えれば子供の頃にハードモードだったのが年をとるにつれイージーモードになっていくのにも納得がいく。
同じ「人」だと思っていたものが私の人工知能によって装飾された「物」である可能性さえある。
今思えば、私の健康診断は特殊だったし、それはなんらかのアップデートだったのだと思う。
深層学習が世に現れ、第5世代コンピュータを秘密裏に進めてきた研究者たちの焦りの現れなのだろう。
というような一見、馬鹿げた(でも自分には切実な)考えを健康診断の順番待ちをしながら書いている。
その先どんどんしんどくなるわけではないよ
自分のときもそうだったが、どうも社会の風潮として20代過ぎたら人生下り坂みたいな空気があるけど、あんなの全然ウソ
何であんなにへっちゃらな顔して生きてんだっていうオッチャンオバチャン、たくさん居るやん
あれ、昔の人がタフだからとかじゃなくて、年取ってからの方が生き易いからよ
社会の構造的に若者が苦労するように出来てるっていうのもあるとは思うけど、それ以外にも若者はホルモンバランスやら
受験、大学デビュー、就活、社会人デビュー、親からの独立等々、次々と色んな事があって、気落ちする要素が多いと思う
あとまあ、年取ると感情も若い頃に比べて鈍くなってきて、苦痛もそこまで鮮烈でなくぼんやりした感じになる(楽しさもそうなるが)
もう一度言うが、そこまで来たらあとはだんだん楽になってくるよ
ここに書いて忘れることにする。
■A
大学1年生の時。
高校時代の友人が次々大学デビューを果たし、彼氏もできて焦っていた。
周囲に「あの人かっこいいですね」と触れ回っていたら、向こうから声をかけられ、付き合うことになった。
「不細工、一緒に歩くのが恥ずかしい」「一刻も早くやりたい」などと言われ気持ち悪くなった。
また、単位を全く取っておらず、8年かけても必要単位が取れないため除籍が確定しているのも後から知った。
田舎で神童と呼ばれ、そこそこ偏差値の高いうちの大学に合格したところで燃え尽きてしまったとか。
耐えきれなくなり別れた。
その頃私は155cmで70kgあったが、見返すために半年で40kgまで痩せた。
■B
彼氏(Aとは別人)と別れたことを聞き付けて、アプローチをかけてきた。
この頃は病んでいて、正常な判断力を失っていたとしか思えない。
精神的なサンドバッグが必要だった。また、早く結婚して専業主婦にもなりたかった。
プライドが高く、「君は○○な人だから」と私のキャラクターを勝手に決めたがる人だったが、我慢していた。
交際後すぐクリスマスがあり、私は4万円のアルマーニのネクタイをプレゼントした。彼はブローチをくれた。
年が明けたら私の誕生日が来た。アルマーニをあげたのだから、相当高価なプレゼントがもらえるのでは?もしかしてプロポーズ?などと考えていた。
取り出されたのは、綺麗にラッピングされた大人のおもちゃだった。
Bとしては、最初にガッカリさせておいて(その場には用意してなかったらしいが)本命のアクセサリーをプレゼントするというサプライズをやりたかったらしい。
その頃私は唐突な降格と転勤を命じられており(Bも知っていた)精神が限界だった。
夜中だったが、家から叩き出した。
すると翌朝家の前に立っており(一晩中待っていたらしい)、外出先まで付きまとってきて「悲しませるつもりはなかった」「愛してる」などと言ってきた。
精神的に辛いときに、余計なストレスを与えるやつとは付き合えない。別れを告げ、次の3人目に乗り換えた。
■C
同窓会で再会。在学中は特に親しくなかったが、連絡先を聞かれて教えたところ、アプローチが始まった。
先述のように早く結婚したかったので、医療職で高収入のCは魅力的だった。
何もむやみに貢がれたいわけではなく、「おごるよ」→「ううん、私出すよ」→「じゃあ割り勘でいい?」という感じなら別にいい。
「ここ割り勘でよろしく」と最初に言い、しかも「この後○○(オタクショップ街)行ってもいい?」と言って趣味のカードゲームのデッキやレアカードを数万円で購入する。
また、医療職だからと言って、お薬手帳を勝手に見られあれこれ口出しされた。
「○○を飲んでるんだから、良くなるはずなんだが?なぜ改善しないの?」等。
嫌々付き合い、経済力だけを目当てとしていたのが透けて見えたのだろう。
「もう無理しないで」と言われた。別れることになった。
変な自己防衛能力はあったようで、常に「こんな男の子供なんか孕んだら首吊るしかない」などと考えていたため、未だに処女である。はぁ。
あと、与えられることしか考えていない私に全責任があると思う。今年は変わる。もうすぐ1月終わるけど。
【追記】