はてなキーワード: 付近とは
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「女性の発達障害の気付かれにくさ」がトレンドに上がっていたけれど、
表に出た発達障害の数の男女比を根拠に、女性の発達障害は気付かれにくいって常々言われているけれど、
それって発達障害の発生率が男女同じで潜在的な数そのそのが男女で同じだけいるっていうのが前提だよね?
そもそもその前提条件が疑わしいっていうか…
知能指数だって、女性は平均値付近が多くて男性は上下に激しく振れやすいって言われているのにどうして発達障害の確率は男女差がない前提なんだ?
私は寧ろ、「女性の発達障害は気付かれやすい」「男性の発達障害は気付かれにくい」と思っている
何故ならばADHDの特徴とされるミスの多さや多動性は女性に多い主婦や事務職では不利に働くが男性に多い営業職では有利に働き、
ASDの特徴とされる空気の読めなさは女性には致命的だが男性に多い研究職では問題とされない事も多く、
LD(学習障害)も男性に多いガテン系職業をやる分には問題ない事が多いからだ。
女性の方がちょっとした事で発達障害認定されて排除されやすい。
それぞれの性別に求められる社会的役割の違いから考えると、発達障害に属する部類でも、それを特に指摘される事なく社会人やれてる人って、明らかに女性よりも男性に多いと思うよ
ついこないだも普通にサラリーマンやってて管理職まで登り詰めてる中年男性で、この空気の読めなさからしてこの人多分発達障害だろうなーってのに出会ったわ
「生理的機能を大幅に損なう治療はしない」と決めているので、外科的処置でどうにもならない病気は治療しないと決めている
医師から「もう完全に取ったから仮に陽性でも大丈夫」と言われたがそれでも心配だった
結果は陰性
母は抗がん剤で乳がんを克服し元気になったが、今でも冷たい水でヒェッとなったり、食べ物の好みが化学療法中に変わったきり昔好きだった食べ物は食べられていない
会社の上司とその奥さんは人工肛門になった父の介護に相当苦しんでいた
だから抗がん剤や人工肛門や透析なんかを使わないと生きていけなかったり、胃を全て取らなければ生きていけないならそもそももう生きないと決めているのだ
俺はまだなんとか生きられる
最近、本屋での会計時にブックカバーをするかしないかを聞かれないことが増えている。コストカットなのかもしれないが、だったらamazonで買うよ、ってなる。ポイントとかも付くところもあるが、管理が面倒くさい。
東京駅付近の再開発で無くなった本屋は何故か建設会社が経営していたが、書籍卸に経営権が移譲された途端、色々コストカットしてその本屋のしおりとかも無くなった。本を購入後に、近くのカフェで一つ一つの本にその本屋のしおりを挟むのが楽しみだったので、その他の「改善」策が逆に本屋をつまらなくした点もあって、その本屋に行かなくなった。
そもそも本を何冊も買うとなるときに、日本の本屋では会計時にやや迷惑感がある。本を沢山買う人は、amazonで買うのがもはやマナーなのかもしれない。
「謎のコストカット」「本屋での体験を作れない」「本を大量に買う人の需要軽視」「使いにくいITシステム」などなど。それらは、薄利多売、付加価値を生むことが出来ない商売感覚、雑な顧客解像度、今までやってきたことをこれからもやりたい願望の表明、日本のダメな商売の典型例である気もする。
結局amazonのレコメンドやレビューのシステムを通じて新しい本に出会う機会が多いので、自分はこのインフラが繁栄していくことを最も重視するべきなのだろう。日本の本屋業界のリーダーがダサすぎるのは、少し残念だが。
今どき、どのご家庭でもガス湯沸かし器を使っていると思う。もちろんうちでも使っている。
使っていると言っても私が能動的に「我が家にガス湯沸かし器を設置しよう!」と設置したわけではなく、入居したら当然のようにそれがついていたのだ。
もちろんそれが不満だと言っているのではない。歓迎すべき文明の利器であるし、むしろ設置されていなかったら入居しなかっただろう。
そのくらい私はガス湯沸かし器が気に入っているし、私の生活にはなくてはならない大切なものだ。
だが、ひとつだけ不満がある。
いや、この言い方はあまり正確ではない。
時間がかかることに関しては不満はない。長くても15秒も待てばお湯は出てくる。
急いでいても待てない時間ではないし、むしろ迅速だ。その間は洗面台周辺を拭いたり軽くストレッチしたりして待っていればいい。私の不満の本質はそこではない。
問題は、冷水がお湯に変わったことを目で判断できず、触れてみるしかないことだ。
お湯の出始めにブボボッと空気が混じったり、お湯になると細かい気泡で白濁したりする給湯器もあるが、うちのはそうではない。
なので、流れる水にチョイチョイッと手をひたしては、温度を確認してみるしかない。
しかしまだお湯になっていないうちはガチの冷水が出ているので、これが飛び上がるほど冷たい。これを何とかしたい。
そこではてな諸賢のアイデアを募ろうと本稿をしたためていたのだが、書いているうちに解決策がひらめいてしまった。
女性にはピンと来ないかもしれないが、男性用公衆トイレの小便器には、中央付近に小さなシールが貼られていることがある。
ここを狙って放水してねという目印で、小便の飛散が抑えられて掃除の手間が減るというアイデア商品である。
的があるとつい狙ってしまう心理をうまく衝いており、実際に効果が高いという。
そして、このシールの中には温度で色が変化するという特徴を持った製品がある。温かい小便を当てると色が変わるのだ。その楽しさを利用して的中率を高めようという算段。
ここまで付き合ってくれてありがとうございます、自己解決しました。
そのシールは蛇口に貼ってはどうか、というご指摘。そして、蛇口を触ればわかる、というご指摘について。
我が家の洗面台の蛇口は配管をプラスチックのガワで覆った構造になっており(シャワー伸縮機構のため)、給湯温度が変化しても蛇口表面の温度はほとんど変わらないのです。
2024年1月1日以降、中国大陸から台湾本島周辺に連日気球が飛来しています。台湾国防部は、中国から飛来している気球を「グレーゾーン攻撃」と非難する声明を出しました。
台湾国防部は、中国が気球を繰り返し台湾海峡に飛ばしていることを非難し、直ちにやめるよう強く求めています。また、付近を通る国際航空便が危険にさらされているとしています。
台湾では、4年に1度の総統選挙の投票日が近づいており、台湾本島や周辺海域の上空に連日、中国の気球が飛来しています。台湾国防部は、有事とは判断しにくい手法で圧力を加える「グレーゾーン作戦」の嫌がらせだとしています。
自分の成人式の日は記録的大雪の日だったから交通網もほぼ死んでてみんな親の車で送迎されてたし付近の店もやってなかったから自然と「同窓会とか無理じゃね?」「また今度集まろうか」となって自然解散したので同窓会誘われなかった陰キャ問題発生しなくて良かったな
ポケモンGOリリース開始当初にポケモンGOにハマりすぎて恥ずかしい思いをしたことがある。
今は知らんが当時はなぜか国会議事堂にジムがあって、そのジムに近づくためには正門付近に近寄らないといけなくて、正門付近でジムを攻略してたら警官に「何をされてるんですか〜?」ってめっちゃ聞かれたのだ。
(※ご存知かもしれないが永田町付近には警官が物凄くたくさんいる)
「ポケモンGOやってるんです」と説明はしたしプレイ画面も見せたけど、ずっと警官が近くに待機してる状態になってしまい、自分が「完全なる不審者」だと自覚したので数分くらいでそそくさと撤退した。
→ 嵯峨野線(山陰線)は、京都駅から梅小路京都西の間(梅小路公園横付近から京都駅まで)に単線区間があることにより、嵯峨野線の需要が大きいにも関わらず増発が困難である。また、車両の増結は他の駅の改修も要することから非現実的である。
→ 京都駅東側(京都芸大崇仁キャンパスの南側付近)で地下化した場合、河原町通のアンダーパスと交差する可能性があり、かつ東福寺駅の北側で地下化した場合は鴨川と交差することから東福寺駅の地下化も必要となるため、費用が高額になりすぎる。また、北陸新幹線新大阪延伸を考慮し地下を使うことは避けた方が現実的である。
→ 現行の奈良線の系統はすべて嵯峨野線へ直通(現行通り6本/時)。その上て、需要に応じて嵯峨野線(京都折り返し・最大8両)を適宜追加することで本数調整を実施。
→ ちゃんとした計算はしていないが、阪和線をモデルケースとして計算すると現行より輸送量が増加するのでは?(詳細な計算は未了)
→ 奈良線側は、現状京都芸大崇仁キャンパスの南側付近に多少の空き地があることからそれを活用する。嵯峨野線側は、京都鉄博のSL線を拝借した上で工事を実施する。よって、支障なし。(京都鉄博SLユーザーはごめんなさい)
やっぱ40付近で"狂う"んだな……
【速報】「死ぬまで塀の中に入っていたいからやった」JR品川駅で60代女性を突き落としか 30代の男を逮捕 警視庁|日テレNEWS NNN
https://news.ntv.co.jp/category/society/27460d0cbe1d43f7b6dddfe7876f5111
能登半島を襲った地震の被災住宅に侵入してミカンを盗んだとして、石川県警は5日、愛知県刈谷市の男子大学生(21)を窃盗と住居侵入の疑いで現行犯逮捕
5日午前8時40分ごろ、石川県輪島市内の住宅に侵入し、ミカン6個を盗んだ
ミカンを持って出てくる大学生に付近住民らが気付き、その場で取り押さえ近くにいた警察官に引き渡した
大きい地震がちょいちょい来る地域だけど(今回は震源付近じゃないけど可也揺れた。震度6弱)
揺れてる時なんて何も出来ない。這いつくばって頭抱えたり出来るなら超優秀だと思う
グラッと来た初動は建物出口に向かっていけるけど、爆揺れ中はそっから動けなくて中腰になってる
(どっかに掴まっちゃう人は揺れの隙をついて逃走する際、掴まったものから手が離れなくなる場合があるから注意だなあ。特に老人)
ガチの震源地だった時は睡眠中だった為にベッドから落っこちて天井を見上げて「うあああ」とか言ってるだけだったぞ。一緒に寝てた猫も傍で固まってたほどだ
あの太刀打ちできない感、何回味わっても慣れることはない(でもその恐怖は直ぐ忘れる。そうじゃないと生きていけないからな。繊細な人はドキドキしっぱなしで辛いだろう。過敏になるし)
もーやだなー(今回の地震後、何が嫌って、この季節に「やたら晴れてる」ことだよ。異常だよ。毎年このくらいの時期は雨雪霰霙で空は常に灰色だぞ。冬の晴天なんて不気味過ぎるんだよ。フラグ立てんなよなあ)
「絶対潰れない家」が作れるならなあ。揺れで倒れる家具とかすっ飛んでくる物とか置かないで暮せば安心だよな
太陽光発電とオール電化導入しておけば地震直後でもほぼ通常の暮らしが出来るし(敷地内に井戸があると尚良し。飲料用じゃなくてもトイレや風呂に使える)
まあ…津波で根こそぎ流されたら、どうもこうもないけどな
今回の地震は能登半島の北東端の珠洲市付近が震源地になっていて、能登半島全域が被害を受けたが、一番甚大な被害を受けたのは珠洲市である。
しかしテレビやネットニュースを見ていても、輪島市の被害ばかりを取り上げているような気がする。
輪島市は観光地として大変有名な輪島朝市の朝市通りが燃えてしまったので、輪島を訪れたことのある日本全国の人達が一番関心を持っている場所だからだろうか。
ビルが倒壊した光景も、テレビや報道写真としてインパクトがある。
輪島市の次に取り上げられやすいのは、震度7を観測した志賀町と、和倉温泉などがある七尾市だろうか。
震度7のインパクトは大変大きいし、近畿地方の人たちの御用達温泉地である和倉温泉のある七尾市は注目されやすい。
Dukomo火山付近では12月29日、ドイツ空軍のDLRが二酸化硫黄の噴出を観測し、1月2日に大爆発した
その間、太平洋プレートは日本方向へのズレ圧力がかかっていたと見られる
その前は12月3日、スマトラ島マラピ火山が突然爆発して登山客に死者が出ている
大地震には火山噴火が続くと言われているし、噴火しない限りプレートは動くんだろうし、2004年のスマトラ地震は酷かった
どうしてドイツ空軍に火山観測システムが出来たかは知らないが、マグマの動きに霊力みたいなものが絶対関係ないとは言えないからね
普段、犬のトリミングは家族が車で連れて行っているが急な予定が入ったとかで、私(ペーパードライバー歴3年)が連れて行くことになった。
ゴールド免許持ちの優秀なペーパードライバーなので車を使うのは早々に諦め、徒歩と電車で連れて行くことにした。
トリミングで疲れるだろう犬を犬用バッグに入れて坂を下ること40分、海辺のトリミングサロン付近に到着した。
民家に擬態しているタイプのトリミングサロンで場所がわからず犬に
「君、場所を知ってるでしょう。案内してくれない?」
と話しかけながらウロウロしてたらたまたま店員さんが外に出てきて、
うちの犬を見るなり
「〇〇ちゃんですね〜〜」
近くの駅から電車に乗り別の駅に移動して時間を潰してると終わったと連絡があり、犬を迎えに行った。
トリミングを終えてすっきりした犬は元気そうなので、駅までちょっと歩かせてからバッグに入れ、電車に乗った。
少しでも鳴いたら諦めてまた40分かけて今度は上り坂を延々と登るつもりだったが、犬は鳴きもせず動きもせずに静かだった。
電車を待つホームでバッグを覗いたら、犬はバッグのメッシュ地に鼻を押し付けて外をじっと見つめていて、
「15年間生きてきたけど、こんな場所は来たことがない」と言わんばかりの様子だった。
私も15年間この犬を飼っているが、電車に乗るのが好きというのは新しい発見だった。
”珠洲沖セグメント”と呼ばれる活断層=プレート同士のぶつかり合いで常に強い圧力が掛かっていて、いつズレてもおかしくない場所。
に、付近の群発地震の原因となっていた流体(おそらく、高温高圧の水)が流れ着いたのが原因でしょう。
いつズレてもおかしくない高エネルギー活断層に、流体が流れこんだら、摩擦力が一気に減って動いてしまう。
ただそれだけのことなのだ。
犯罪者の人権だけは守らないと違憲だと日弁連が言うので、どこの刑務所にも、大きな弁護士会会館を併設しよう
津波が来たら、まず電線が切れて、外部電源は劣化で動かず、道路は寸断で内陸とは途絶し、次いで高床が崩壊して、全てが海に落ちる
令和になってもひどすぎる。
古くからのサクチケ特権なのか利権なのか知らんが黙認されるべきではないでしょ、この問題。
ダミーサークルや転売で入手した輩が増加し転売ヤーが入り込んでいるのはもう事実。
サクチケを利用し人気サークルを巡りたいがために参加している人も、
開場前行列なんか無くていいからサークル参加したい!って人がサークル参加すべきじゃないのか。
またチケット制、アーリーチケットの実装による一般参加者の保護の面もある。
夏の酷暑の中参加して開場前行列に買われて売り切れ~とか可哀そうでしかない。
実際、アーリーチケットの先頭付近でも買えない同人が出ている現状は正常とは言い難い。
「それがコミケ」とすませてしまうのは現代ではナンセンスだと思う。
そして度々この手の話題が運営の準備集会とか連絡会でているのは知っているし
だが思い付きで対策を言えば、自サークルのブース内にいないサークルチケット参加者は一度外に出し
何もサークルチケット参加者は他サークルの同人を買うなとは言っていない。
ブース内にいないサークルチケット参加者を外に出すスペースがない?アーリーチケ入場待機列の前にスペースはあるぞ?
ブース内の出入り禁止の管理?人員不足?コミケの拡大を考えている運営ならば目途がついているのでは?
サークルチケット=人気サークルの同人が他の参加者より買いやすい、という現状が健全ではない。
サークルで対策する事も可能だとは思う。「通販」してしまえばね。
でも権利問題なのかサークル主の信念なのか通販しない人気サークルも多い。
まぁ今では「同人で飯食う」のが大分正当化されている部分も有るけども、
「コミケ(同人)で儲けを出したくない!」という古き良き同人活動をしている作家さんもいる。
そういった事情もあるとは思うし単純に通販する膨大な手間と時間の問題もあるから
・小森家
恐らく作中最貧家庭
扉の上部に外を見られるようにガラスがはめられていて、普段はカーテンで仕切っている。
これは古い住宅に見られるつくりで、発表時期を考えても築年数がだいぶたっていそう。
父親は不明だが養育費の支払いなどしていないだろう、生活保護世帯か。
寝たきりなら行政の世話がありそうなものだが、行き届かず介護の重い負担が中学生の小森くんにかけられていた。
独居老人が暮らしそうな規模の家に見え、小森くんには個室もなかったのではないか。
これでもかと貧しそうに描いているのに小森くんがファッショナブルなのはなんでだろう。
どこに売ってんだよという服なので、市販品ではなく竜の子に生成させたものなのか。
・小沢家
社宅団地住まい。4階建てで南棟かに分かれた団地という趣だが、小森家ほどの最貧っぽさはなく、それでも平均より貧しそう。
エレベーターがないようだ。
和室として作られたのを洋風にリノベーションしたのかな、仕切りが襖。
台所にガス湯沸器がついているのも古い家だ。
娘に4畳くらいの個室を与えるゆとりはあるが、収納が少ないのか壁に服がずらっとかけられている。
父親は仕事で朝帰りが多いとのことで、夜勤なのか、長時間ブラック労働の残業代でなんとか家族を食わせているのか。
大した仕事ではないように語られており、ブルーワーカーだろうか。
一人娘を私立中に通わせようとしていた程度の余裕はある。
ただこれは最寄りの公立中が非常に荒れているという事情のもと。
それでも、幼稚園ではなく保育園に入れていたし、「娘の手が離れたら私も大学でも行こうかしらね」などと母親が言っているので、カツカツな暮らしではないようだ。
・玉依家
風呂場はバランス釜でテレビはダイヤル式、だいぶ古いアパート。1DK。
父子二人で暮らし、父は民間航空機パイロットで母は大学教授なので、経済的には恵まれている方のはず。
父の実家が離島の古き良き大きな家であるため、レトロ趣味による物件チョイスであり、貧しくて古い家しか選べないというわけではないだろう。
自転車は金がかかっていそうな趣味性の高いものなので、貧乏だからリユース扇風機しか選べなかったわけではない。
畳部屋を寝室にして父娘で一緒に寝ているようだが、これ思春期になったらキツイだろうな。
畳部屋は娘に個室として与えて父はリビングで寝るようにするとか、もっと広いところに引っ越すとか、そういう想定があったのだろうか。
・佐倉家
一人娘に四畳程度の個室を与える余裕はある。和室。
出入り口が一つしかなく、定食屋の中にある階段を通って自室に入るというのは、内気な娘にはけっこう辛い環境。
付近にあまり食事処のない住宅街の中で売れている店であるらしい。
娘の部屋の畳の敷き方が1巻と5巻で変わっている。これはただのミスかな。
・貝塚家
戸建て。二階建て。庭には樹木。主要キャラの中で最も裕福な家庭。
大豪邸というほどではないが、年収1400万円以上ぐらいの世帯じゃないだろうか。
小沢さんの娘さんは成績優秀だが家柄審査(親の職業・学歴)に引っかかりお嬢様中学の受験失敗したが、貝塚さんの娘さんは進学できる予定だった
そのことから、いかにもお金持ちそうな父親だけでなく、母親も一定の学歴を持っていそうだ
娘の個室のクローゼットの大きなことよ。
リビングのソファは、父母と娘の三人家族では持て余しそうな数と大きさ。
無意味にインテリアとして皿を飾り、実用ではなく趣味性の高いものとして暖炉がある。
観葉植物の横にあるジョウロですらなんだかお高そうだ。
小学校は公立でもおかしくはないけど中受は絶対にするぐらいのお金持ちという現実的なスケール。
・須藤家
俺が通っていた小学校では、全校を挙げて朝にマラソンをする定例行事があった。通年行事だったのか、マラソン大会シーズンだけだったのか忘れたが、そんなのがあった。
みんな朝から体操服に着替えて校庭に集合し、10分間だったか忘れたが、グラウンドを走った。まあ、マラソンというよりジョギングに近いものだ。
で、6年生のある時、俺は軽い遅刻をした。
その遅刻が自分のせいだったのか不可抗力だったのかは忘れたが、みんながグラウンドを走っている頃に登校し、教室に着いたのだ。
全校行事だから教室には誰もない。いや、教室どころから校舎中から人が出払っていた。少なくとも教室の付近には誰もいなかった。
そんな中、ただ一人教室に残される俺。そして、みんなの机の上には脱がれた私服が置かれている。
女子の服を嗅ぎたい、と。好きな女子、可愛い女子の私服に顔を埋めてもいいのではないか、と。
みんなグラウンドを走っていて校舎には誰もいない。変態的罪を犯すのにこれ以上の好機は無い。そしてこの好機が訪れることも2度と無いだろう。
小学生の俺は変態キャラではなかったし、優等生では無かったにせよ普通のキャラだった。
短い時間の中で、見つかるリスク見つかったときのリスクと、欲望との間で葛藤した。特に、当時俺が好きだった女子は隣の教室でよりハイリスクだったので余計に悩んだ。
しかし結局、俺は罪に手を染めぬまま全校マラソンの時間が終わりを迎え、みんなが教室に戻ってきた。
俺が罪人になることは無かったのだが、全校マラソン中、教室には誰も来なかった。
恐らく、俺が女子の服を嗅いだとしても誰にも見つからなかっただろう。
服もぐちゃぐちゃにするならまだしも、上からほんのり嗅ぐぐらいなら本人も気付かなかっただろう。
31歳になった今も、ごくたまに思い出す。あの時女子の服嗅いでたらなぁって。一瞬だがいい思いが出来てたのになぁって。結局今も童貞だし。
約10年前、中学生の時に生まれて初めての海外旅行でカンボジアに行った。初めての海外だったので、たくさん写真も撮ったしメモもした。だというのにそれ全部失くした。当時のパスポートも失くしたので、私の初めての海外旅行の記録がこの世に何も残ってない。それはなんだか寂しいなと思ったので、今のうちに覚えてる限りを記しておこうと思った次第である。
最初に断っておくが、10年前の記憶を頼りに書いているので、曖昧な部分、記憶違い、今とは違うなど、事実と異なる部分があるかもしれないが許して欲しい。
●経緯
なぜカンボジアに行くことになったのか。
当時、従兄弟がカンボジアでビジネスをしていて、その従兄弟に夏休みの間に遊びにおいでよと誘われたから、それだけである。
しかし私の過保護な母が「娘(私のこと)を1人で海外に行かせるなんて無理」と言い張るので、当時既に70代後半に差し掛かっていた祖母と2人で行くことになった。当時の私は、「ばあちゃんも一緒かー!やったー!」ぐらいにしか思ってなかったが、70代の婆さんを連れてあの広大なアンコールワット遺跡群を歩き回ったの尋常ではないよな。
●入国
カンボジアに着いたのは夜。しかも天気が悪かったので周りは真っ暗で何も見えなかった。従兄弟のビジネスパートナー兼飲み仲間で、現地でガイドをしている日本人(タナカさん?ノナカさん?よく覚えてないけど今回はノナカさんと表記することにする)に迎えに来てもらって、トゥクトゥクでホテルまで向かった。トゥクトゥクとは東南アジアでよく見かける3輪タクシー🛺のこと。見た目の割に乗り心地は結構いい。ホテルまでの道はガタガタで、中学生ながらに「あぁ、インフラが行き届いていない貧しい国なんだなぁ……」と思ったことを覚えているが、後でノナカさんに聞いたら「外国人がスピード出しすぎないようにわざとガタガタにしてるだけ」とのことらしい。本当かどうかは知らん。
次の日、早速アンコールワットに向かった。アンコールワットまでの道筋はやはりトゥクトゥク🛺
この時初めてカンボジアの様子をしっかり見た。第一印象としては「思ってたより綺麗だし、のどかな雰囲気でいいな」だった。道端にハンモック引いて寝てる奴がいたり、トゥクトゥクの中で寝てる奴がいたり、なーんかのんびりしてる印象だった。これも後にノナカさんに聞いたことだが、「カンボジア人は1年の半分は農業をして、もう半分は暇してるから大抵その辺で寝てる。」とのことらしい。本当なんかな?
で、アンコールワットだが、これはもう本当にすごい。想像してるよりずっと広かった。よく知らないけどアンコールワットって規模がデカすぎて1部は未完らしいね。
一応仏教寺院らしいが、時代によって仏教の統治者になったり、ヒンドゥー教の統治者になったりとコロコロ変わったらしい。あと、ポル・ポトっていう本当にやばい共産主義者(ポル・ポトがどれだけやばいかは私じゃ説明しきれないので調べてくれな。)によって壊されたりもしたみたい。
今はどうか知らないけど、私が訪れた時は明らかに現代的なコンクリートむき出しの部分がちょいちょいあった。これは各国が手分けしてアンコールワットの修復を行った時、フランス?だかどっかの修復が強度を重視した結果コンクリートむき出しになったとのことだった。よく知らんけど。
あと印象的なのは江戸時代にはるばるやって来た日本人の落書きが残されてたこと。割としっかり残ってて笑った。どうやらその日本人はアンコールワットをインドと勘違いしてて、はるばるインドまで来たぜ的なことを書いてるらしい。
アンコールワットは欧米人観光客がめっちゃ多かったんだけど、チラホラとカンボジア人もいた。そのカンボジア人たちが何故かうちの祖母とすれ違う度に祖母をガン見したり、中には祖母を拝むやつもいた。これはノナカさん曰く「カンボジア人の平均寿命は50~60代くらいだから、70代後半のおばあちゃんはもはや生き仏なんだと思う」って言ってた。そんな生き仏扱いされてる祖母とずっと一緒だったからか、行く先々でカンボジア人に優しくされた。
で、そんな祖母のことで忘れられないエピソードがある。アンコールワット観光中に祖母が急に立ち止まってガサゴソしだした。どうしたのか聞いたら「持ってきた20万円が無い」とか言い出す。私は知らなかったのだが、何かあった時のために祖母は日本円で数十万持ってきていたらしい(何も無くて特に使いどころがなかったら異国で頑張ってる孫(私の従兄弟のこと)にお小遣いとしてあげるつもりだったらしい)。それをホテルに置いとくのが不安だったからアンコールワットに持ってきたけど、どこにも無いと言い出したのだ。従兄弟とノナカさんと私と祖母で探したけどどうしても見つからず、多分スられたんだろうということでその場では諦めた。その一時間後ぐらいだったか、なんかすごく徳の高そうなお坊さんの前で祖母が再びゴソゴソしだしたので、今度は何事かと聞いたら「ブラジャーが後ろに回ってしまって気持ち悪いから直してくれ」とのこと。どうやったらブラが後ろに回るんだよと思いつつ、祖母を手伝ってあげていたら、ブラの後ろから祖母の汗まみれの20万出てきた。心配性の祖母は、スリ対策でブラジャーの内側にポケットを縫い付けて、そこに現金を仕込んでたらしい。で、そこに仕込んでたことをすっかり忘れて20万円無くなったと騒いでいたってのが事の真相だった。うちの婆さんは、20万円出てきたのは徳の高そうなお坊さんのおかげだって言ってそのお坊さんを拝んでたけど私も従兄弟もノナカさんも大爆笑だった。ちなみにお坊さんはお坊さんで、高齢の祖母のことを拝んでいた。生き仏。
まあそんなこんなでアンコールワット観光は終えて市街に戻ることになったのだが、帰路は再びトゥクトゥクを使う。びっくりしたんだけど、朝に私たちをホテルからアンコールワットまで送ってくれたトゥクトゥクのお兄ちゃんが待っててくれて、帰りも送ってくれた。我々が観光してた間ずっとアンコールワット付近で寝てたらしい。
あと、アンコールワット周辺にはよく分からない物を売りつけてくる人がいた気がするけど、そんなにしつこくないので怖くなかった。現地の言葉が分かるノナカさんが一緒だったからかもしれない。
別日にアンコールワット以外の遺跡も行った。カンボジアの国旗にもなってる🇰🇭有名な遺跡以外にも大小様々な遺跡があって、それらをまとめてアンコール遺跡群として世界遺産に登録されてるんだったはず。確か。
タプロームとかバンテアスレイ?とかいう遺跡に行った。名前がかっこいい。正直どれがどれか覚えてないんだけど、赤い壁が印象的な遺跡とか、イッテQのセットの左後ろにあるデカい顔の実物を見たことを覚えてる。
いちばん面白かったのは、日本人観光客の間でオーパーツじゃないかって話題になってたらしいどう見てもステゴザウルスにしか見えない彫刻。これは本当に見れば見るほどステゴサウルスなのでぜひ「アンコールワット ステゴサウルス」で画像検索して。
アンコールワットの他にはトンレサップ湖にも行った。クソデカ湖なんだけど、ここで水上生活してる人たちがいて、従兄弟いわく非常に勉強になるからぜひ行こうとのことだった。
水上生活の様子を眺めつつ、船でワニ園に向かった。このワニ園での記憶は正直ほとんど無い……大分の別府にワニ地獄ってあるんだけど、それと雰囲気一緒だったと思う……
あとワニ園で急に写真を撮られたんだけど、これは別に悪用されるとかではなく、遊園地のジェットコースターでいきなり写真撮られるみたいなもんで、旅行の記念に写真を買いませんか〜って商売。気に入らなければ買わなければいいだけ。私の顔写真とトンレサップ湖と日付入りの皿を作ってくれた。なんで皿なのかは分からん。正直いらないんだけど、祖母が無断で購入していた。ノナカさんは「日本人で買う人初めて見た……韓国人は自分のこと好きだからよく買ってる」って言ってた。
日本に普通に住んでると物乞いなんて見ないからすごくビックリした。我々を見て日本人だって判断して、船で近づいてきて日本語で「1ドルください」って言ってくる。誰が日本語教えてるんだろう?欧米人に対しては英語で迫るのかな?
まあ気になることは色々あるんだけども、私は生まれて初めての物乞いにどうすることも出来ず、ただただ慌てるだけであった。そんな中、私の祖母は慌てず何も言わず、行きの飛行機でもらった豆菓子を物乞いにあげていた。豆菓子で物乞いは普通に去っていった。ノナカさんはこれにもまた「豆菓子で対応する人初めて見た」と言っていた。
当時の私は、ばあちゃんすげーと思ったけど、今思うと最適解でない気がする。カンボジアに限った話ではないんだけど、物乞いにはどう対応するのが正解なんですか?
繁華街にアンジェリーナ・ジョリーも来たことがあるというレッドピアノというパブがあって、そこで食べたピザがめっちゃ美味しかった。レッドピアノは雰囲気もイケてて大変良かった。レッドピアノのある界隈は、観光客も現地の人もいてすごく活気があったような気がする。
私が美味しいピザに大満足していたところ、ノナカさんが急に「昨日そこの通りで銃撃事件があったんだよ〜ハハハ」等と言い出した。普通に怖いんだけど。
あまり詳しくないが、先述したポル・ポトの残党?ポル・ポトの思想に感化された奴?ってのが存在するらしく、度々危ない事件が起こってるとのことだった。
正直食べ物に関してはこのレッドピアノとココナッツジュース飲んでお腹壊したこと以外に記憶が無いので多分可もなく不可もなくだったんだと思う。(この数年後に高校の修学旅行で再びカンボジアを訪れることになるのだが、その時に食べた現地の料理はあんまり好きじゃなかった。なんか、当たり外れの落差がすごかった。同級生も概ね同じような評価であった。)
あとホテルの朝食ビュッフェに関する思い出がひとつある。欧米人観光客がこんな会話をしていた。
「What's this?」「Ah……I think so…… it's TOFU」
私は本当に英語が苦手なんだけど、さすがにこれくらいの簡単な英語は聞き取れた。豆腐があるんなら私も食べたいと思って欧米人観光客の視線の先を見ると、サイコロカットされた牛脂がピラミッドのごとく積まれていた。欧米には牛脂無いの?てかIt's TOFUって言ってた奴は2~3個取ってたけど食べたんだろうか……もしこれで豆腐のことを嫌いになっていたら悲しい。
私のリクエストで、ノナカさんと現地のショッピングセンターに行った。日本のちょっと田舎の寂れたショッピングセンターとほぼ同じ感じで、ショボイゲームコーナーがあった。クレーンゲームでクマのぬいぐるみが割と簡単に撮れたので、アームの設定は日本より良心的なのかもしれん。あと、プリクラがあった。せっかくなので撮ってみることにしたんだけど、これはとてつもないカルチャーショックであった。
まず、プリクラの入口におばちゃんがいる。お金はこのおばちゃんに支払う。お金を払うとおばちゃんがパンフレットみたいなのを渡してくるんだけど、そこに背景やらフレームやらがたくさん載ってて、どうやらここから選べとのことだった。背景はやたら豊富で、普通に日本にもありそうなやつから明らかに違法であろう踊る大捜査線の映画のポスターやらがあった。確か10くらい選んでよかったはず。踊る大捜査線のポスターはもちろん選んだ。
で、背景を決めたらいよいよ撮影なんだが、日本のプリクラみたいに自動で撮影してくれる訳では無い。撮影ブースにおばちゃんも一緒に入ってきて、おばちゃんが手動で「3.2.1」のカウントして、おばちゃんがシャッターを切る。撮影した写真は即座におばちゃんが確認しておばちゃんが気に入らなかったらもう1テイク撮らされる。もうとにかく何もかもがおばちゃん主体である。最終的にはおばちゃんがポーズから表情まで何もかも指示してきて、10分くらいかけてやっと撮影が終わる。長すぎ。
ちなみに落書きの制度はなく、撮影が終わったら出来上がった写真を渡されて終わり。写真は日本のプリクラみたいにシールになってるわけではなく、名刺より一回り小さいくらいのカードであった。無駄に表面にキラキラのホログラム加工がしてあって笑った。
カンボジア生活が長いノナカさんも、「普段プリクラなんか撮ることないから知らなかった、マジ衝撃」と言っていた。このプリクラも無くしたんだよな…これが一番ショック。
●祖母
私はこのカンボジア旅行中、祖母に何度も助けられた。特に、ココナッツジュースでお腹を壊した時は祖母が神様のように見えた。祖母はお腹が痛くてホテルのベッドで寝込むしか無かった私に無言でお手製の梅干しを差し出してきた。この梅干しは祖母が毎年漬けてるやつなんだけど、本当に有り得ないくらいすっぱい。なんで梅干しなんか持ってきてるのか意味が分からなかったけど、祖母の梅干しを食べたら嘘みたいに体調がよくなった。日本の懐かしい味を食べてお腹が安心したんだろうか。とにかくこの経験以降、祖母の梅干しは私にとって必須アイテムです。体調不良がすぐ良くなる。逆に怖いまである。
ちなみに祖母はまだまだ元気だしボケてもないので、久しぶりにカンボジアのことを聞いてみたら
「暑いし階段が多かったから疲れた。やっぱり日本が1番。もう行きたくない」だそうです。
●その他
思い出はまだまだまだあるけど疲れたのでこれで終わりにする。特に何も考えずに思い出を羅列しているだけなので非常に読みにくかったと思う。まじすまん。
私自身、このカンボジア旅行は本当に楽しかったし、初めての経験が沢山で、行って良かったと思ってる。でもこれを機に海外旅行にハマるわけでもなかった。高校入試の面接の際にはこの旅行中のエピソードを引用しまくって、最終的には「勉強を頑張って国際理解に努めたい、グローバルな会社に入りたい」みたいなことを言って無事合格したけど、英語が本当にカスで、結局地元企業でしがないOLやってる。今のところ海外旅行に行けるほどの金は無い。まあでもそんなもんだよね皆。
最後に。
読んでくれる人がいて本当に嬉しかった。
ありがとうございました。