はてなキーワード: セルとは
https://anond.hatelabo.jp/20170726103544
当方、元サイゼリヤ某店調理長。ただし約15~20年前。なので約15年前の情報プラス、その後のウォッチャーとして。
■パン
焼き物系は基本ジェットオーブンを通しているので、パン類というかフォッカチオはちゃんと焼いている。ミニフィセルは知らない。
■おつまみ
エスカルゴ、昔は880円だった。でも全然出なくて、在庫減らすのと回転速くするために値段399円にしたらバカみたいに出るようになった。なのであれであれは破格。値段おかしい。
「ムール貝」はごめん、おっしゃるとおりパーナ貝。でもおれは好き。
■イタリアの味
というかプロシュートとサラミとバッファローモッツァレラ。もっと評価して。プロシュートはあんまり出ないから安めの値段設定になってるのに。超お得。サラミも。
■パスタ
はい、パスタというか麺はいただけない。そのとおり。何度か変わってるけれどダメ。ペペロンチーノは580円だった頃はニンニクもちゃんとオリーブオイルで仕込んでたのに、いまはソースでごまかしてる。
でもイカスミはなんちゃってじゃなくてマジイカスミだから、それで許して。
ベシャメルおいしい。工場で仕込んで店で合わせてる。でも社員はミラノ風ドリアはあまり食べない。毎日食べると飽きる。シーフードグラタンおいしい。でも毎日食べない。
■ピザ
ピザは、うーん、どう?
■米料理
米料理も、うーん、どう?
■肉料理
ハンバーグもうーん……。
リブステーキはいい肉使ってる。ただ、誰が作ってもある程度安定するサイゼリヤにしては珍しくリブステーキは焼く人の腕による
■デザート
安いのが増えたね。どれもちょっと甘め。
ー
自分は、客単¥5,000~¥10,000程度の中級店にて10年ほどフレンチ中心にイタリアンもちょっと経験した(元)料理人。
サイゼのメニューについて「雑に」「適当に」感想を述べてみる。
(元)「料理人」であるからして基本的には自分の好みではなく、料理としてどうなのかという点から感想を述べてみたい。
(自分の好みによるコメントも含まれるがあくまでも「基本的に自分の好みではなく」な。)
もちろん、あの値段・業態なのだからそれらを無視して評価することはナンセンスと思っている。
(パスタはアルデンテであるべき!とかステーキの焼き方を聞くべき!とか、そういうのおかしいでしょ。)
■サラダ
サラダは総じて悪くない。お好みで(自由に使える)粉チーズや黒胡椒をかけても楽しめる。ドレッシングもよい。
やわらかチキンは本当にやわらかく臭みもなくうま味も残っている。個人的なおすすめはシェフサラダ。クルミを使う等がワンランク上っぽいね。
■スープ
コーンクリーム、パンプキン共に悪くない。いずれも滑らかで素材の味を十分に表現できている。
食べたことないんで評価できないが、ミネストローネは期待できない気がしてしまう。
後述もされるが、サイゼ含め廉価店ではトマト系は総じて火の入れ加減が甘く、トマト嫌いが嫌がる香り・味を残した状態のまま提供されることが多いので。
(トマトはクーリのようにフレッシュな状態を残すか、しっかり煮込んだソースのどちらかがよいと思っている。
中途半端な火の入れ方のソース(料理)を食べた結果トマト嫌いが増えると経験上思っている。)
■パン
パン類は総じて悪くない。
ちゃんとオーブン(パントリーにトースターがあるのかな?)で焼いてくるところは評価できる。
■おつまみ
野菜ソースは玉ねぎの硫黄化合物系の臭いが残り、残念ながらサイゼでは最も評価できないものと思っているが、
グリルソーセージは秀逸。古典的なソーセージの味に近い。このソーセージが好きな人はシャルキュトリを楽しめる人だ。
野菜ソースやめて更には芋もいらないから、ディジョンマスタードを添えてくれないだろうか。
エスカルゴもよい。フォカッチャよりむしろミニフィセルを合わせることをお勧めする。
以前の自分のスペシャリテでもエスカルゴはバジリックのソースを合わせた。
ペルノでフランベして生クリームも使ってくれればそれに近づくが、サイゼではまぁ無理だな。
ほうれん草のソテーは、れん草が西洋種(苦みがある)と思われるので、若干ポーションを減らしてでも
東洋種(甘味が強い)を使ってもらえたらもっとよくなると思う。
残念だが評価できない筆頭はムール貝。そもそもムール貝ではなくパーナ貝だし。
パーナ貝は食感が固くうまみ自体も乏しいので(しかも野菜ソース使用)、メニューから外してしまってもよいくらいだと思ってしまう。
■イタリアの味
■パスタ
残念だが、これは全体的にいただけない。
食感は業態を考えれば致し方がないことなので評価対象としていないが、ソースがどれもだめ。
トマトの扱いについて前述しているが、どのソースも煮詰めが甘い。高級な素材を使用するのではなく、単にもっと煮詰めるだけでおいしくなる。
ただ煮詰めた分歩留まりが悪化するので、ギリギリのバランスで提供していることは分かるが。
火を通したニンニクの良い香りはせず、人工香料に見られるような悪しき臭いのみが鼻につく。
ドリア・グラタン系は総じて悪くない。この値段にしてベシャメルはかなり頑張っていると思う。
低価格なベシャメルだと香料の粗悪な臭い(粉乳系のあれな)が鼻につくことが多いがサイゼではそのようなことがない。
このベシャメルが実現できるのにパスタ系ソースの出来が悪いので残念に思う。
■ピザ
ピザ系は総じて良い。生地についてはなんとも言えんが、業態を考えれば大変よくできている。
個人的感想で申し訳ないが、コロコロ(ルーレット)いらない。ナイフとフォークの方が食べやすい。(大人数で食べるならしかたないが。)
でもああいうところでコストダウンしてるから、あの値段で提供できるんだよね。
■米料理
ごめん。食べことないので評価できない。どうなんですかね?増田諸君。
■肉料理
これらは妥当というしかないね。値段を(考えてはいけないんだけど)考えれば非常によく出ている。
前述しているが、野菜ソースはサイゼで最も残念なものなので(素材の悪いところしか出ていない)
それを使ったメニューについてはお好みならどうぞという他ない。
どうでもいい話だが醤油ベースのソースをガルムソースと名付けた意図はなんなのか。
ガルムとは古代ローマの時代から使われた魚醤(ナンプラーとかしょっつるとか)のことだが(ブオナッシージによる)、
こんなマニアックな名称を使うのなら、サラダはインサラータと言ってほしかったし、ミネストローネもミネストラと言ってほしかったし(ry
■デザート
ごめん。ほとんど食べことないので評価できない。おそらくいずれも妥当と思われる。
■(おまけ)酒類
サイゼのワインについては言わずもがなだが、グラッパ(少々癖がある)も悪くない。
興味がある人は一度食事(飲み)の最後に飲んでみることをお勧めする。
メニューには「ぶどうの焼酎」などと書いてあるが、普段日本の焼酎を好む人が好むものではなく、
ワイン、ブランデー等ブドウ由来の酒をたしなむ人は気に入る可能性があると思う。
■(おまけ)その他
オーリオピカンテではテーブルをベトベトにされてしまうだろうし、タバスコでは酢が立ってしまい辛味のみの提供とならない。
タバスコをテーブルに置かなかった、しかし用意はされているのは大変に賢明であったと思う。
自分の好みだがベシャメル系の料理に卓上でタバスコをかけて食べるのが好きなので。
ちなみに、ベシャメルは古典的には塩とカイエンペッパーで調味するものであり白胡椒は使われなかった。(ベシャメルに限らず白いソースはほぼそうであった)
タバスコをかけることとは全く違うけどね。
以上
いや、たとえばドキュメントの途中に章を挿入することになって、以降の章番号を振り直すことになって、それで午前中がつぶれるとか。
自動でやったら一瞬だよね。
方眼Excelだと、行は自分で区切って次の行にするから、用語の変更とかで一括置換すると行の長さがガタガタになったりして揃えるのにまた何時間もかかるとか。
紙に印刷して、それを正だとする現場だと、レビューでセルで切れてる文字がないかとか目で確認とか。
方眼Excelのせいでない部分もあるけど、基本的に方眼Excelを使っているところは徹底的に手作業で書式を整えるって発想だから、書式を簡略化して自動化すれば3割どころじゃない工数の削減が可能だね。
Wordなど他のソフトが使いづらい/コストが高いという理由でExcel方眼紙を擁護しているブコメがある。
http://b.hatena.ne.jp/entry/341713451/comment/clapon
Wordだとレイアウトが勝手に変わってムキーっとなるからExcel方眼紙を使わざるを得ない。印刷がずれる問題やコピペ問題があるけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/341713451/comment/fusionstar
Word は Enter 押すと行挿入になってすぐレイアウト壊れるしなぁ。 罫線主体の様式なら Excel のほうが十倍速く作れるのはまちがいない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/341713451/comment/shields-pikes
Wordで作るよりはマシ。データ連携や演算が目的じゃなくて、入力箇所と表示位置が指定できて、全PC標準装備のソフトで誰でも編集・印刷できるフォーマットが作りたかったんだろ。目的によって必要な品質は変わる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/341713451/comment/kitakokomo
本来ならイラレかInDesignあたりですべき仕事なのだが、そんなものOfficeには入ってないし正規で買うとアホみたいに高いしaiファイルなんて送られても普通の人は開けない。Excelで書くしかないんだよなあ
http://b.hatena.ne.jp/entry/341713451/comment/shozzy
あえて書く。1セル1文字は入力しづらいから論外だが、セル結合してあれば普通に入力できるし参照もできるから問題ないのでは?レイアウトを自由にできるという利点も。他に追加コスト無しで同様に使えるソフトある?
http://b.hatena.ne.jp/entry/341713451/comment/yum1271
いつもExcelが叩かれるけど個人的には問題ないと思ってる。具体的に何が悪いんだっけ?ITレベルが低いから叩く?フォーマットを作ることは効率化になると思うんだけど。このために数百万の専用ソフト買う?
http://b.hatena.ne.jp/entry/341713451/comment/muu2000
エクセル方眼紙ってだけでみんな好き勝手叩いてるけど、エクセル方眼紙にもメリットデメリットあるだろ。データとして活用しにくくなるとは思うが、そんな叩くことか?なんか問題あるのか?
http://b.hatena.ne.jp/entry/341713451/comment/tnishimu
一度渡して終わりなファイルならこれでいいんだよ、作った当人にとって効率的ならそれで十分だ。 それよりマシな程度でエクセル知識自慢の方が非生産的。
http://b.hatena.ne.jp/entry/341713451/comment/hyoutenka20
統計表をセル結合しまくったEXCEL方眼紙で作ってるなら問題だけど、今回はそこまで問題は感じない EXCEL方眼紙はIT詳しい系の人たちの上から目線ネタになってる感
これらの人々は重要なことを忘れている。
あるいは気づいていても目を背けている。
それは, この程度の文書でレイアウトに凝る必然性など1ミリもない ,ということだ。
大事なのは中に書かれている情報であり,それが伝わるのであれば1セル分ずれようが10セル分ずれようが問題は全くない。
普通にプレインテキストでタブを使って書けばいいだけの情報であり,こんな細かいセルで位置合わせするのはムダでしかない。
こういうブコメを書くような人々が,PowerPointで改行と全角半角空白を駆使して位置合わせをしたり,HTMLで
を使って位置合わせをしたり,Webデザイナーに「この文字を0.5ピクセル左へ」と言ったりしてるのだろう。
残念ながら日常作っている文書やWebサイトはごく一部を除いて芸術ではない。実用品だ。
見た目にしか努力できない人々にとっては不都合かもしれないが,それが真実である。
実用品である以上,かけるコストに対して得られる効果を常に考慮すべきだ。
ゆえに(繰り返すが)情報が伝わりさえすれば問題ないものに,方眼で位置決めして「手作業によるぬくもりのある美しいExcel文書」を作るのが正当化されることは決してない。
https://togetter.com/li/1129182
画像を見ると何かの案内なんだろうけど、
釣りだといってほしい。
を作っていた。
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作るのは大変じゃない。
10分もかからない。
エクセルの表は行ごと列ごとでセルの大きさ決まっちゃうから、大きいセル作るときいちいち結合したり解除したりしなきゃいけないからあとから変えるのがめんどくさい。
https://togetter.com/li/1129182
私たちは仕事柄罫線をよく引きます。解答用紙の作成なんかがそうです。
wordの罫線機能は終わってます。引きたいところに自由に引けません。縦書きにもうまく対応できません。
がんばって引いても,今度は書きたいところに文字が書けません。やたらと設定が必要です。
皆さんが忌み嫌うセル結合を駆使すれば文字も自由に配置でき,どのような解答用紙でも自由に作れます。
そもそも関数を使ってないので,再現性なんて気にする必要ありません。
エクセルは表計算ソフトであり,これが本来の使い方とはかけ離れていることは承知しています。
ですから代替案を示してください。いままでこれ以上に使いやすいソフトに出会ったことがありません。
エクセル方眼紙並に自由に罫線が引け,文字入力が縦横自在に出来る文書作成ソフトがあるのでしょうか。
一太郎は罫線は確かに引きやすいです。ただ,セルの書式設定という概念がないため,(1)(2)・・・という入力がめんどうです。
エクセルならセルの書式設定で(@)ってやって1,2,3・・・って入力すれば良いですから。
フォントの大きさも「縮小して全てを表示」があれば簡単に設定ができますが,一太郎にはそれがありません。
Illustratorも同様の理由で却下です。そもそも仕事で使うツールに月980円も自腹切るのは変です。
IT系の仕事に就いている方の多いはてな民の皆さんにとって,エクセル方眼紙は目眩のする使い方でつい馬鹿にしたくなるのでしょうが,現場にはこのような需要があることをご理解ください。
セル幅の自由変更,セルの結合という機能をMSが提供している以上,それを使って何をするのも使い手の自由のはずです。
でも,この使い方を続けていくのも嫌です。
全国の介護士のみなさん、今日も資料作りに残業していませんか?
もう、やめましょう。
仕事で「Word」や「Excel」を使うのは、もうやめにしましょう。
パソコンで行うから効率がいいという勘違いにはもううんざりです。
いやいや、正確に言うと、正しい使い方も知らないのにパソコンを魔法の道具だと思ってしまっているのがダメなんです。
パソコンを使うからこそ効率よく管理ができる?そもそも、管理する必要があるようなことをやっているんですか?
いっそ、全部手書きにして、アナログで管理した方が早いんじゃないですか?
手書きじゃ綺麗に作れない、時間もかかるし手も疲れるというんなら、それこそタイプライターでも使ってみてはどうですか?
タイプライターなら、「Word」もないし「Excel」もない。
確かにパソコンを使えば様々な機能があり、それらの機能はとても便利そうに見えるし、使いこなすことによって効率よく仕事ができるような気がするでしょう。
でもそれが勘違いなんですよ。
より便利に、より効率的に、なんて考えてる暇があるならさっさと文字を入力したらいいんですよ。
より完璧なファイル管理の方法を模索している暇があるんなら、タイプライターででも文字入力して、印刷された紙を所定のファイルにでも綴じておいてください。
それなら、その紙に直接修正書きしてください。
修正箇所が多すぎる?
それならその紙は別のファイルにでも綴じて、新しい紙を作ってください。
それでもまだ多少の修正があるなら、それはやっぱり手書きで書きこんでおけばいいんです。
そうしておけば、より便利な「Excel」の機能を調べたり設定したりする必要もなくなります。
そうしておけば、より便利になった「Excel」のワークシートを見て、どのセルがどのシートのどのセルを参照していて今どうしてエラーが出ているのかを考える手間もなくなりますよ。
文字を書くにしても、「Excel」で作られた下品な枠組みが必要ですか?
そんなもん自作してる暇があるならね、市販の用紙を買ってくださいね。
とにかくね、介護士のみなさん、いや、そのボスのみなさん、パソコンは魔法の道具じゃないんです。
遊びで使うんならともかくね、仕事でパソコン使うには、あなた方ではノウハウが足りなさすぎるんですよ。
どうしてもパソコン使いたいっていうならね、もう「Word」も「Excel」も手放してください。
それでね、信頼できるソフトウェア会社なんかを探してね、こういう資料をこういう人たちが作るためのアプリケーションをこれくらいの値段で作ってもらって定期的に使用感についてのフィードバックも得てバージョンアップしていってほしいんですけど的なことを頼んで、しっかりと制作環境を整えていかないといけないわけ。
そこまでしたくない?
めんどくさいからさ。
『けものフレンズ』の面白さの本質は、ガイナックス的なアニメの価値観から抜け出しているところにある。
少し補足すると「抜け出している」という意味は、ある価値観に反発したり、故意に避けたり、過剰に抑圧したりすることではない。一例を挙げると「あんなクズな父親のような人間には絶対にならない!」と考えることはすでに父親の重力に捉えられている、ということだ。
もうひとつの「ガイナックス的なアニメの価値観」は少し複雑だ。細部へのフェティッシュなこだわり、現場のいぶし銀の技術者、ひとつの生物のように有機的に躍動する集団、学校文化と官僚システム/軍組織への熱い礼賛、マスメディアやと民主主義への蔑視……古い世代のアニメオタクの王道ど真ん中の価値観。この価値観の根底には「責任のとらなさ」がある。これについては後述したい。
私自身、『けものフレンズ』は話題になっているのをtwitterで見て、5話くらいから興味を持った後追い組のひとりだ。徐々にハマり、最後にはとても感動した。けれども、しばらくたってもその面白さをまったく言葉にできないことに気づいた。まるで「解」だけが前触れなく控えめに差し出されたようだった。この困惑について、福原慶匡プロデューサーもインタビューで語っている。
「皆さんも、なぜ魅力を感じるのか、はっきりとは言語化できてないと思うんです。食べ物でも、なぜかクセになっちゃうみたいなものってあるじゃないですか(中略)というのも、僕が5年前にその感覚を経験しているんですよね(笑)」http://a.excite.co.jp/News/reviewmov/20170327/E1490547358865.html
放送終了後、ネット上でいくつか探してみたが「大ヒットの理由」や「エヴァとの共通点」などIQの下がる批評しか見当たらなかった。その清新さや核心について書かれているものは無かった。自分で分析してみてもやはりわからない。一見すると『けものフレンズ』は、パワプロで喩えるなら「オールBでよくわからない特殊能力がたくさん付いている外野手」だ。ツッコミどころがあるようで、よくよく見ていくと隙がない。(あくまでも「一見すると」であり、構成についてはほんとに素晴らしい。監督自身は「怪我の功名」と謙遜するアライさんパートは発明と言っていいぐらいだ)
たつき監督の過去作を見ていくと、クオリティをまんべんなく上げた作品を作るというスタイルは昔から共通しているようだ。『けものフレンズ』では登場キャラクターの紹介とストーリー展開を均等に進め、両者が高いレベルで一体になることを目指したという。インタビュー記事「最終話放送直前! アニメを作るのが得意なフレンズ、たつき監督に『けものフレンズ』の“すごーい!”ところを聞いてみた!!」(以下、「最終話直前インタビュー」)ではこう話している。
「「キャラ先論」「話先論」があると思うんです。そこをまったく同じパーセンテージか、行き来をすごく増やして、キャラ優先なのか、お話優先なのか、わからないレベルでその2つが有機接合できるといいなと考えていました」http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12855680/
ところで、仕事でも3Dアニメを作り、休みの日も3Dアニメを作っているというたつき監督だが自主制作アニメ『眼鏡』発表後の2010年に行われたインタビューでは興味深いことを語っている。ここに一部抜粋したい。
―― アニメはお好きなんですか。
たつき 大学時代に「アニメ作りたいわー!」とか思い出したころからちょいちょい見だしたんですよね。
―― 「すごいアニメ好き」みたいな感じじゃないんですね。そもそもアニメをあんまり見てなかったのに、なぜアニメを作ろうと?
たつき アートアニメみたいなものは学校で見させられていたんですけど、もっと俗っぽいほうがいいなと思って「眼鏡」を作りました。http://ascii.jp/elem/000/000/532/532388/index-3.html
本人の発言を鵜呑みにするわけにもいかないが、そう質問せざるを得ないなにかを質問者も感じたのだろう。確かに『けものフレンズ』は熱心なアニオタが作ったアニメという感じはしない。1話の出会いシーンと休憩のシーンが例外に思えるほど性を表現すること行わない。その他ではペンギンの脚やカワウソのケツぐらいだ。もちろん全年齢向けというコンセプトもあるだろうし、動物と人間という認識の違いに厳密に取り組んでいることもある。だが、繰り返し見てもそこに「ほんとはエロくしたいけど抑えよう」や、「萌えを感じさせよう」などという作為が感じられない。肩の力が抜けているというか、監督の視線が別のところを見ているような奇妙な感覚があるのだ。
話題にもなったペンギンの脚については「最終話直前インタビュー」で、こだわったポイントは肉づきであり、それは未だ言語化できていないパラメーターと語っている。やはり焦点が別のところに当てられているようだ。このたつき監督独特の感覚について、チームの中では「ガラパゴス的」「ほどよく鎖国している」「天然」(「最終話直前インタビュー」)と表現されている。
たつき監督の制作に対するスタイルがかすかに見えてきたが、根本的なところ、なぜ面白いのか、なにが新しいのか、どこが違うのかが一向にわからない。繰り返し観ても「サーバルちゃんかわいい」「言われるも!」以外にこの作品を語る言葉は見つからなかった。
そんな時『シン・ゴジラ』についてのツイートがたまたま視界に入ってきた。ああ、あの作品は私にとって全然ダメだったな、なぜってあれはオタクのウェーイだったから。だから受け入れられなかった……だから『けものフレンズ』は良かったのか。本来なら過去や同時期に放送された作品に触れ、その違いを論じることで導き出すのが正統な論証だろう。だがここでは『シン・ゴジラ』を補助線に引くことでショトカしたい。
『シン・ゴジラ』はあの庵野秀明監督による作品だ。詳細は割愛しよう。宮台真司の批判とか概ね同意だ。私がアレルギー反応のような拒否反応をおこしてしまったのは別の部分になる。同作でも、指揮命令系統のフェティッシュともいえる再現、圧縮された膨大な情報量、巨大な生物のようにフル回転する官僚機構がたっぷりと描かれる。ああ庵野秀明だ、ああガイナックスだと感じた人も多いだろう。ただ、結構な面積が焼き払われ、放射能に汚染され、東京の中心で彫像のように固まったゴジラが実写として映し出されるとシニカルな感想も浮かぶ。「想定外の天災」とはいえ主要な登場人物はなんの責任も取らないだろうな、“庵野秀明だから”。
ガイナックスや庵野秀明に代表される彼らが、凝縮し、エッセンスを取り出し、世に提示してきた価値観。古い世代のオタクの王道ど真ん中の価値観。そこには、新兵器があるなら使おう、ボタンがあるなら押そう、ロケットがあるなら飛ばそう、人類補完計画があるなら発動させよう……後は野となれ山となれだ、という姿勢がその根本にある。責任の取らなさ。それが露出してしまうと、フェティッシュに埋め尽くされた119分はオタクが「ウェーイ!」とはしゃいでいるようにしか見えなくなる。
新しい爆弾が作れるなら作りたい、作ったなら使ってみたい。そういう欲望はギークな価値観として近代には普遍的にあるものだろう。それは責任とセットになっていなければ極めて危うい。『ジュラシックパーク』(1作目)に出てくるでぶが度し難いように。『シン・ゴジラ』の官僚たちは誰一人弾劾されず、断罪されずスムーズに復興へ移っていくだろう。彼らの合理性なら、半減期が2週間なら翌月から暮らすことができるだろう。三権が一体化した効率の良い行政システムを築くだろう。責任を切り捨てたからこそ、フェティッシュの興奮に耽溺できたのだ。棄てられた責任は野ざらしにされ担う者はいない。
2000年代、2010年代のアニメにおいてもガイナックス的な価値観は揺るいでいない。おそらくこんな声が聞こえるだろう。「『ハルヒ』は?『らき☆すた』は?『けいおん』は?『まどマギ』は?『化物語』は?日常系を無視するなとんでもない!“大きな物語”をまだ求めるのか?!」このあたりはもっとその分野に詳しい人の評論を待ちたいと思う。私の見立てでは、それらは(主に女性の)キャラクターについてのフェティッシュを深めたにすぎず、逸脱はしていない。フェティッシュに注力すればするほど与えられた価値観の中での反復行為となり、自らをその価値観の内部に限定させるという結果を生む。そして、目を背けた価値観そのものは形骸化しながらもしっかりと保存され、視聴者を貴族的な愉しみという隘路に導く。
もし汲々とした再生産のサイクルの中にどっぷり浸かった人なら、そこから抜け出すには並々ならぬ苦闘と意志が必要だ。たつき監督にはそうした努力は必要なかっただろう。『けものフレンズ』は最初から“できている”。
これは自由の味だ。
ジャパリパークではフレンズたちは当たり前のように責任を持ち、細部へのこだわりは新しい領域に向けられているがそれ自体に耽溺していない。古い価値観を超えるものを作ろうとして頑張った結果やっとできた、ということではなく、初めからそうした問題意識そのものが存在していないかのように新しい価値観を持っている。それほどあまりに自然に表現された作品として我々の前に現れた。
可能にしたのは主に3つの要素からなる。「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」。この3つは密接に関係している。「手書きには温もりがある」という言説は否定できないが、大勢が1枚1枚セルに色を塗るという時代ではなく、1人である程度は全部作れる3DCGという環境がたつき監督にとって不可欠なものだったことは想像難くない(実際はirodori時代から分業していたことはブログからも伺えるが、作業量や機材を比較して)。Wikipedia情報によると、彼はサンライズ作品のCGを担当することで商業的なキャリアをスタートさせ、以降手がけた仕事は一貫してCG関係だ。これがもし手書きのスタッフとしての参加なら、今の形の『けものフレンズ』は存在しなかったし、たつき監督もおそらく従来の価値観に染まっていただろう。
3DCG上で現在主流の2Dの表現をそのまま再現することは難しい。「不気味の谷現象」ではないが、3DCGから2Dアニメに寄せようとすれば違和感が増え、それを克服するためには新しいアプローチが必要になる。たつき監督はレイアウト(構図というよりも画角)の段階からキャラクターの正面を巧みに演出し、同時に正面ばかりで飽きさせないように一話一話を構成することでこの問題に挑んでいる。技術的な分野における刷新、さらに強く言えば断絶。これにより従来のアニメ表現から自然と距離をとることができたことは『けものフレンズ』にとって幸運なことだった。
次にバランス感覚が挙げられる。たつき監督のスタイルにも作品の全てをコントロールしたいという欲望が見える。映像作家としてこうした欲望は一般的なものだ。ただ、「監督、コンテ、演出、シリーズ構成、脚本・たつき」と商業アニメで網羅しているのは尋常ではない(脚本についてはWikipediaの項目を参考にした)。福原Pは、その秘訣はレイアウトからビデオコンテ、セリフ、声の仮当て、声優への細かな演技指導、修正、差し替え、調整という全ての作業をやりつつも「作業のカロリー計算ができる」ことだと語っている。
「そこらへんはプレスコで作ってきた『てさぐれ!部活もの』の経験が活きていると思います。たつき君はその場のグルーヴ感で「これはやったほうがいい」と思ったら作業しちゃうんです。その後のカロリー計算も、しっかりできる人」
http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395
「北風がバイキングを作った」ではないが、繁忙期は1ヵ月ほぼ泊まり込みだったという『てさぐれ!』における過酷な進行がたつき監督を鍛え上げたことは間違いない。余談だが、ファンによるスタッフロールの解析やたつき監督のTwitterでの発言から、『てさぐれ!』2期からirodoriメンバーを関西から呼び寄せたようだ。一部で話題になった出来事もこのあたりに遠因があるのかもしれない。閑話休題。
福原Pの言うカロリー計算とは、「作業量」と「かかる時間」と「納期まで時間」を正しく見積もることができるという意味だ。結果、各話を見ても全体を通して見てもまったく破綻していないばかりか、各話のバランス、全体のバランスがとても良い。ほとんどの工程にアクセスし、手を入れ、なおかつどこか一場面に片寄っていないということは特筆すべき能力だ。このバランス感覚はミクロの視点とマクロの視点、ミクロの作業とマクロの作業の両セットを備えていないと成り立たないものだろう。シナリオ含め、一貫してたつき監督の思想が反映された『けものフレンズ』。そこでは、「美少女の細部にひたすら耽溺したい」というような偏ったフレームは分解され、ごく抑制の効いたボリューム/表現としてバランスが整った形で配置されることになる。
最後は、アニメばかりを見ていないアニメ監督。これは富野由悠季が公言し宮﨑駿も暗に語る「アニオタが作るアニメはつまらない」という言葉の裏返しである。たつき監督がケニア育ちだったから、というわけではないが本人の発言ではアニメを「ちょいちょい」見るようになったのは大学で「アニメを作りたい」と思った頃からだという。この時点で「東浩紀は『セーラムーン』をリアルタイムで観ていなかったニワカ」とディスられたレベルでのガチのアニオタではないとも言えるが、ここではirodori制作の短編を元に検証してみたい。
1作目『眼鏡』にあるのはメガネ萌えの主人公、エヴァ風ギミック、NARUTO風アクション、ジョジョネタ(格闘ゲーム版)、東方という、既視感のあるオタネタだ。テンポの良さやオチの付け方など評価できるポイントはあるが、お約束というメタ設定(いくら殴られても負傷しない、カエルが空を飛ぶ、怒りで異形化、いくらでも撃てる弾薬など)のあしらい方はごく普通のオタクが価値観を共有している人向けに作った短編という印象だ。
続く『たれまゆ』では全体的にパステルカラーでキャラクターの柔らかい描写に取り組んだことが見て取れる。手描きによる2Dアニメで制作され、架空の田舎の超常的儀式を通して小さな世界が描かれる。しかし、作業コストが高かったのか、合わなかったのかこの後は2D手書き手法は行われていない。
第三弾『ケムリクサ』では再びソリッドな3DCGに戻る。NARUTO風のアクションはレベルアップし、設定も作り込まれている。リナちゃんズと呼ばれる5人の可愛らしさと非ー人間ぽさには独特の魅力がある。『眼鏡』のようにネタをそのままネタとして扱うことはなくなり、説明は最低限。たつき監督の作家性の輪郭がはっきり見えだした時期だろう。30分弱の作品にかかわらず、構成やカット割りに無駄がなくかなり洗練されている。しかし、完成度の高さと裏腹に、注目を集めた『眼鏡』よりも再生数や評価は低調だった。ニコニコ動画の過去のコメントを見ると『眼鏡』の軽いパロディのノリを期待する声が多く、制作側としては不本意な結果だったのではないだろうか。ここでは、1作目でふんだんに盛り込んだパロディで注目を集め、2作目では手描きアニメに挑戦。結果、手描きからは撤退し3作目では3DCGでストイックな作品に挑戦したという流れを指摘するに留めたい。
4作目となる『らすとおんみょう』は福原Pと出会うきっかけとなった作品と言われているが、1話を作ったのみで未完となっている。女性のキャラクターの表情はまた一段レベルアップしており、3DCGの中で2Dアニメ表現に歩み寄りたいという制作者の努力が見て取れる。何がこの作品を放棄させたのかは推測でしか語れない。多忙となったためや、異国の魔女と「適当だけど超強い男子中学生っぽい陰陽師(の下請け?)」が子作りするという設定に着地が見出だせなかったのではないかと思われる。現在残された多くの断片からは具体的な落としどころは示されていない。同作はいわゆるハーレムものの構造を取っており、一方でたつき監督の描く萌えはごく控えめだからだ。
5作目となる『のための』はirodoriとして最後の自主制作作品となった駅長さんシリーズ。できあがった時期は前出の『てさぐれ!』の激動を超え、プロフェッショナルとして確立した後になる。正確には『らすとおんみょう』より前に断片的な映像が出ていたが途中に長い中断があり、実質的に『てさぐれ』後に作られたものとみなすことができる。時系列で書くと2012年に2年がかりで『ケムリクサ』が完成。2013年前半に『らすとおんみょう』(1話)。2013年後半から2015年まで『てさぐれ!』シリーズ。2016年8月末に『のための』が『駅長さん フル版』(以下、『駅長さん』と便宜的に表記する)として完成した。この作品は5分という短い時間ながらプロの仕事というべきものだ。目が描かれていない駅長さんの動く姿には、これまでに向上した技術が昇華されシンプルな姿で完成している。
ここで「アニオタの作るアニメ」(以下、オタアニメ)の定義について考えてみよう。もちろん厳密な定義などできようもないが、本文章が求める要件は「特定の層だけをまなざしている作品」であり、具体的には「アニオタ視聴者を満足させることを目的とした作品」である。たつき監督は『眼鏡』では明白にオタアニメを目指し、続く『たれまゆ』では本格的に手描き2Dを試み、より迫ろうとした。ここで最初の転機が訪れる。手描きという手法があまりにハイカロリーだったからか、ここでこの方向は放棄された。なろうと思っていたがなれなかったのだ。以降、アニオタ視聴者をメインの観客に据えることはなくなり、アニメばかりを見ていないアニメ監督として本来の姿、幅広い層へアプローチする道を歩むことになる。
『ケムリクサ』の段階で3DCGによる手法に迷いはなくなり、削られたカットからも抑制の効いた演出を志向していることが見て取れる。この作品から作風が変わったようにみえるのはテーマがシリアスだからだ、という批判も予測されるが「ストーリーがシリアスになる=オタクに媚びていない」という短絡は採用しない。実際、表向きはオタク向けの作品ではないと装いながら水面下で「今回はこういう感じで行くのでひとつよろしく、へへへ」と、メタ構造(オタアニメにおけるお約束の構造)やメタ構造を逆手に取った仕掛けを差し出すという交渉を行う作品は実に多い。同時に「まったくオタクに媚びてませんよ」という宣言は、冒頭に挙げた父親の比喩と等しく、オタアニメの枠組みから実は一歩も踏み出していない。『ケムリクサ』では前2作であえて“なろう”とした努力が消えている。木の枝が河に落ちるように自然に、観客と交わす密約もなく、反発もなく、媚びていない。ピンポイントに評価される層よりも広い範囲をまなざしている。『眼鏡』よりクオリティは高いにも関わらず受け入れられなかったことは間接的な傍証になるだろう。
『らすとおんみょう』ではその揺り戻しといえる現象が起こっている。ギャグがテーマとTwitterで発言しているが、いかにもオタアニメという構造(そのままアフタヌーンあたりで掲載されても不思議はない)にチャレンジするも1話を完成させた後に頓挫。理由は色々考えられるが、これまで見てきた通りハーレムものの企画自体がたつき監督に合わなかったと考えるのが妥当だろう。この時期が2度目の転機になる。ある程度スタイルが固まったのだ。それは『ケムリクサ』で表現されたスタイルの延長にありジャパリパークへ続く道だ。キャラクターに瞳を描くことさえ取り止めた『駅長さん』は『らすとおんみょう』の続きは作らないという静かな意思表明とも受け取ることができる。
再び繰り返しておきたいのは「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」この3つはどれかひとつが先立つものではなく、お互いに深く関連しており不可分なものだ。『けものフレンズ』ではこの全ての要素が花開いている。この作品に超絶的な技巧が込められた作画や、ぴちぴちとした美少女あるいは美男子を求めることはできない。あるのはサバンナに向けて開かれたような、開け放たれた窓だ。振り返ると、室内にはエヴァ以降20年にわたる作品がある。時代を代表する色褪せない傑作もあるだろう。でも、もう昔の作品だ。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、清々しい朝日に貫かれた後では、戸惑いつつも思い知らされるのだ。どれだけ偏狭な価値観に縛られていたか。こんなにもこだわっていたものは汲々としていたか。自由とはこういうことだったのかと。
自由の味。開放されるということは、決定的に変わってしまうということでもある。一度開放されたことを理解してしまうと、重さの無いなにかが失われてしまい、二度と戻ってはこない。それを無視して、例えば「エヴァ風けもフレ」というように馴染みのある文脈に引きずりこみ安心することもできる。「ローエンドなCGでもいいものは作れるんですよ」と心の平穏を装うこともできる。でも、そういうことはもうやめにしよう。『けものフレンズ』はこの20年間潜在的に待ち望まれていたアニメばかりを見ていない監督によって作られたアニメなのだ。その面白さの本質は、ガイナックス的なアニメの価値観とは別の場所に立っていることによるのだ。私はたつき監督の成果に最大限の賛辞を贈りたい。素晴らしい作品をありがとう。
ただ、アニメを見る目がこれまでとは違ったものになったことは少し寂しく感じてしまう。世に次々と出てくる新しい作品がどれだけ面白くても、それらが“過去の遺跡の新作”ならばそれだけで手放しで楽しめなくなったからだ。つまり、ちょっとした困難をかかえこんでしまったことになる。でもそんな心配はあまり気にする必要はないのかもしれない。なぜなら、すでに誰かが言っていたようなのだ。困難は群れで分け合えと。
お、がんばってるな。
残念だけど、納品前に「全社員でチェックして直してほしい部分まとめたから見て」でその細かい文字の大きさやセル内の文字寄せは戻るかもっとわからないようになるぞ☆
グラフィックデザインがメインの会社で社内でたったひとりのWebデザイナーなんだけど、今やってるWeb制作の案件がちょうどこんな感じ。
ホームページビルダーで更新できるように、レスポンシブで、記事なんかを色々と書きたいということで静的サイト50ページほどを作成。
明らかにWordpressなり使ったほうがお互いラクだと思うんだけど、それは断固拒否された。ホームページ・ビルダーでできないからだそうだ。
サイトマップ、リンクの導線も全部ド素人のクライアントから完全指定。迷路みたいなサイトで、作っている自分でもどこにどのページがあるのか未だに覚えられない。
そして今9割ほど出来てるんだけど、とにかく修正が多い。修正というより変更。
Tableタグ内で、このセルのみ左揃えにして欲しい。やっぱり右。やっぱりフォント少しだけ小さく。だとか
あっ ここのサイトっぽくしてください。ここのサイトとここのサイト混ぜたような感じで。だとか
普通のWebサイトのセオリー・デザインのセオリーを全て無視したクライアントの意見を尊重しないといけないので、インターネット上に漂うゴミをひたすら捏ねている気分。
デザインの4大原則? もう跡形もない。 分かりやすい導線? 作ってる自分でさえテキストエディタのツリー見てURL入力しないと各ページにたどり着けない。
そもそも悪いのはこんな案件を安易に受けてきた営業さん。CMSナシで記事をどんどんホームページ・ビルダーで更新してかつレスポンシブ?
静的サイトでどうやって? アーカイブとか過去記事とか全部手入力するの? Jekyllとかの静的サイトジェネレーターの使い方でもクライアントに教える? それならWordPressの方がずっとマシだ。
今までクライアントから届いた修正のPDFの量は100をとうに越えている。1つのPDFにつき5ページくらいだから500ページ分?
細かい文言の変更、ウィンドウサイズは人それぞれなのでである程度は仕方ないと伝えているのに改行がおかしいだとか。グラフィックデザインと勘違いしていらっしゃる。
何が悲しいかってこんなことがもう半年続いているということと、くだらない修正をしても何のスキル向上にもならないということ。
ヘイトがすごい溜まっている。
社内SEになった。
仕事を辞めて主夫業に勤しんでいたら、知り合いから声がかかった。
1人で社内システムを作ってきたおじいさんがあと数年で定年になるから、
引き継げないかとのこと。
メインのシステムはベンダーに委託してて、そのおじいさんが作っているのは、
メインシステムのデータを加工して2次利用しているものがほとんどとのことだった。
社内SEはなんとなく楽そうなイメージがあったので、就職した。
中身を見るとどちらもかなりやばい。
VBA編
・ウォッチウインドウを知らないのか、変数はすべてセルに入れてる。
変数名はすべてRANGE("A1").valueみたいな感じで全く意味が分からない。
・処理遷移がおかしい。
セルに1を入れる。そのセルのchangeイベントで処理が動くとか。
・なるべくワークシート関数で処理してる
データベースからとってきたデータを丸ごとワークシートにコピーして
if,vlookup,match関数を駆使して帳票にしたり、CSVにしてる。
データ100件制限があったり、1関数を直すときは100行コピーしないといけない。
画面中に埋め尽くされたワークシート関数をみて途方に暮れる。
・format関数を知らない。
8桁の日付をとりたいときyear、month、day関数がワークシートにあり、
その下の行で月の二けた判定、日の二けた判定のif関数で頭の0をつけ
3行目でconcatenateしている
・タイマー起動
毎朝100本ぐらいのマクロが動いてる。
タイマー起動なので、毎日セットしないといけない。(タスクスケジューラーを知らない)
がんがんエラーが発生するので、マクロ設定をエラー処理対象外のエラーで中断にしないと動かない。
・遅い
textboxのchangeイベントでDBからのデータ取得処理を入れているので、データが多くなると1文字打つごとに数分待つ状態。
DBの更新処理でもテーブル全件とってきて、ループしながらキーが一致するのを探して更新。
そんなつっこみどころしかないEXCELマクロが200本以上ある。
VB編
・.NET1.0
windows7や8に無理やり.netframework1.0を入れて動かしてる。
・オブジェクト名は代えない
変えられることを知らないのかもしれない
textbox100とか存在してる。
EXCEL同様変数は隠しtextboxに入れてる。
1.0なのでconfigがないのはしょうがないが、設定ファイルは固定パスのテキスト
行数で管理
・WAITがいっぱいある
試しに取ったら動かない
例外が発生するまでまわす。
ない。基本グローバル。
・クラス
ない。
・ネスト
ない。
https://anond.hatelabo.jp/20170616211934
MステのMonster Visionが、キツイと思うのはフリースタイルダンジョン見てないとわからない内輪ネタをラップしたからだろ
でも、日本人ラッパーには色々な人がいて、面白いんだと思うだけどな
あのMステ見てるだけでも、肝心の最後のキメ顔してる時、漢がアレのハンドサインしてたり、般若が関ジャニ∞と戯れてたりさ
DOTAMAはこれからどうなるんだとかさ
そもそもフリースタイルダンジョンは、来週晋平太と漢がバトルするけどどうなるんだとかさ
こういう楽しみ方を増やしている今の日本語ラップ界はエンターテイメントとして面白いと思う
今あげたのも楽しみ方の一つに過ぎないんだけど、そうやって楽しみ方の裾野を広げてくれればいいと思ってる
あの出演してた8人以外にもラッパーはめちゃくちゃいるんだし、今のバトルブームやセルアウト的な売り方が嫌いなラッパーもたくさんいる
自分なりの楽しみ方を見つけて自分で楽しめればいいんじゃないか
って感じではじめてみてはどうだろうか?
料金設定で競合になるのは
って感じか?
未だに理解できてない人もいるのが驚きだけど
日本の政治は自民党という与党と最大野党であった公明党が連立した時点で
政権交代の可能性も立ち消えたし与党を是正できる実務能力のある野党も立ち消えたから政党で応援するだけ無駄
ベジータとカカロットがポタラでくっついてる状態でヤムチャやクリリンで勝てるわけがない
仮に元気玉を送って奇跡的にヤムチャが勝利したとしてもヤムチャじゃセルも魔人ブウも時間稼ぎすらできないことが露呈したから
政治的思想が対立しないといけない同士が連立して平気な国民性が異常なんだけど
実は裏の政治的思想は対立してなくて「老人の票を獲得する」という宗教で意気投合してるから成り立ってる
完全に自分らのオマンマのための勝ち戦を開始したのが日本の政治家
これに対して野党は下手に政権取ったら実務能力ないせいで失策して経歴に傷がつくのを民主党で勉強したから
まともな反論や対案をせずに形だけ有権者にアピールする方向に切り替わった
わざとIQを下げてキン肉マンを読んでるのと同じで、建設的な議論にもっていかないようにしてるだけ
国会中継はどうやったら投票数稼げるか安寧とオマンマ食えるかのゲームを見ているだけ
「砂がたくさんある」とかスケキヨとか本編で使われた要素を必然性も無いところに流用するのってなんなんだろう
(セルフパロディとは違うがちゃんとした言い方はあるんだろうか)
個人的にはただの盗用、オリジナリティの欠如にしか見えなくて凄まじく萎えるんだが、ブクマで褒めてる奴らは平気なのか?
ついでにいうと親しくなる理由に生命の危険をもちこんでるところも安っぽい
本編1話でもセルリアンとの戦闘は発生しているが、あれは世界設定や、人を助けようとするサーバルの性格、機転をきかせるかばんを見せるためのエピソードであって、二人の仲を深めるためのものじゃないんだよなあ
吊橋効果みたいなのに頼らないと成立しない仲のよさなんて大したもんじゃない
そういうのは例えばH×Hのナックルとシュートみたいに、本来なら相性が悪くてまず友達にはなれない奴らをくっつけるときにだけ使うものなんだよ