はてなキーワード: オーダーメイドとは
ビジネスモデルの違いが大きいよね。
サービス開発は、沢山の人にプログラムを使い続けてもらうことで収益を上げるモデル。
SI開発は、作ったプログラムで業務効率化をはかり人件費を節約して収益を上げるモデル。
なので
サービス開発は、利用者が魅力を感じるために改善し続ける必要があり、継続投資に意味がある。
UIの改善、パフォーマンスの改善、接続数のスケール、セキュリティ、他社サービスとの接続、各種デバイスへの対応などなど。
早くローンチが重要な場合もあるので、まずベータで出してブラッシュアップさせてVer1.0を目指すことも可能。
受注業務で10人が電話やFAX応対してたのをWeb化、自動化して3人で回せるようにする。
営業が残業して顧客情報をExcelで管理してたのを一元化して残業代を削減する。
とかとか。
なので開発予算が最初に決まるし、継続的に高いお金をかけて改善していく意味もほとんどない。
(システム導入時のようなコストインパクトを改善では出すのが難しい)
素敵なUIにする必要はないし、少しくらい応答が遅くても問題ない。「運用でカバー」だ。
オーダーメイドなので開発費は高くなる上に
継続的に改善しないので、導入時点でVer1.0どころか、2.0、3.0 の機能を求められる場合もある。
そりゃ保守的になる。
枯れた技術・設計がいいし、少しでも安いエンジニアを使いたくなる。
設計の手戻りは許されないので、顧客との調整力、フェーズごとに仕切れる段取り力、「ここまでしかやらない」と言える交渉力
決められた作業を決められた期間に決められたコストで実行するマネジメントが重要になる。
プログラムは自社フレームワーク化して、コーディングをパターン化していくこと。
新規サービス開発で求められるような技術力は基本的に不要だし、技術動向は一部のR&D部門の数名が研究していればOKな世界。
マイナンバーやeTax関連でも、クラウドサービス化して「利用者が増えれば収益が上がるモデル」になってるところは
高い技術力の人がいて頑張ってるんじゃないですかね〜
発達障害者の処世術 http://anond.hatelabo.jp/20151101094059
このコピペに結構反応があるようなので、自分なりに構築したもう少し詳しい処世術について書いてみたい。
ここは同じ。厳密に言うと、定型発達者の生き方を見習ってはいけないということ。
幸せそうに見える彼らと同質の生き方ができる解の存在を信じないこと。存在しないかもしれないから。
尖ったところ凹んだところに合わせて、オーダーメイドでより生きやすい形を模索しないといけない。
以下も自分の歪み方や歪みの大きさに合わせた戦略なので、他の人にどれだけ参考になるかはわからない。
対人関係は勘に任せて動くと必ず失敗する。
ただ、社会生活をしてるとどこかで避けられない交流を強制されるので、その時点で無策なのが一番まずい。
匿名で適度に炎上しておいたり、状況として許されそうな時はややリスキーな選択肢を取っておいた方が学習が捗る。
一部のこだわりの対象以外はどんどん忘れていくので全部メモしておく。
特に転んだ結果と把握したタブー、その対処法は確実に保存しておくこと。
自分の歪みに合わせたマニュアルは自分しか作れないので外の言説を鵜呑みにしないこと。
こだわりの対象に関連のある技術や知識が要求される職に就いて、能力如何で生存が決まるような業界に居着くこと。
間違っても人柄がどうのコミュニケーション能力がどうので命運が左右されるような業界を選んではいけない。
特にアスペの場合は瞬間的な話し言葉の送受信に欠陥がある場合が多く、これは定形発達者と同じ土俵で戦う際に著しい困難を伴う。
われわれに限った話ではないけど、発達障害者は特に、家族友人その他どんな相手にも本音を漏らすべきではない。
医療関係者は除く。元増田みたいにネットの掲示板(匿名に限る)で放言するならよい。
ただ、隠し続けた結果自分の本音が分からなくなるとアイデンティティが危うくなって混乱してくる。
抱えている障害の程度によるが、障害者レッテルを受け入れるかどうかは真剣に考えた方がいい。
障害を自称した時点で、対人関係の大部分はマウンティングされることが前提になるので周囲の善意に期待するしかなくなる。
流されていった先に安穏と暮らせる場があるならいいが、無かったら詰みである。
得意なこと以外は実年齢マイナス5歳ぐらいの相手と張り合うのが精一杯で、これは恐らくどうにもならない。
比較して自分の状況を確かめるのはいいにしても、追いつこうとして実現不可能な努力をし始めるとまずい。
指示助言を受けたら一度飲み込んで咀嚼して処理可能な形に変換してから実行すること。
彼らの実行可能領域と自分の実行可能領域は異なることを自覚すること。
何もかもまず批判的に受け取る。結果的にそれがお互いのためになる。当然この本音は外に出さない。
ろくなことにならない。例え同一ラベルの障害を持つ人を模範にしても上手く行かない。
定型のスタイルがベースで、発達障害者はそこからずれた生き物。
それぞれの発達障害者は三々五々に異なるベクトルでずれていて、同じずれ方をする確率は低い。
われわれの孤独はこのようにして生じているので、同質の何かとは滅多に巡り会えないのだと知るべき。
http://lacucaracha.hatenablog.com/entry/2015/11/11/100336 の説明を見て、簿記や会計を初めて知る人が誤解されかねない箇所が多々あり、さすがにどうかと思ったので、自分で簿記のエッセンスをまとめました。
まず辞書をひいてみよう。国語辞典が手元にあればそれでひいてほしい。残念ながら手元にない人は、Web上の辞書をひいてみよう。
できれば複数の辞書をひいてみよう。複数の辞書の意味を見較べてみよう。
ぜひ本当に引いてみて欲しいのだが、今私が引いた結果を記しておく。
Wikipediaでは、 ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B0%BF%E8%A8%98 )
簿記(ぼき、英語: bookkeeping)とは、ある経済主体が経済取引によりもたらされる資産・負債・純資産の増減を管理し、併せて一定期間内の収益及び費用を記録することである。より平易な言い方をすると「お金やものの出入りを記録するための方法」が簿記である[1]。
大辞林 第三版の解説 では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 )
ぼき【簿記】
一定期間における経済活動を,一定の記録方法で帳簿に記録・計算・整理し,財産・資本・負債の増減を明らかにする計算制度。記入方法により単式簿記と複式簿記に分けられ,業種により商業簿記・工業簿記・銀行簿記・農業簿記などに分けられる。 〔「帳面に書きつけること」の意。英語 bookkeeping の訳語。福沢諭吉「福翁自伝」(1899年)にある〕
デジタル大辞泉では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 )
会社・官庁・組合など経済主体の活動を一定の方法で帳簿に記録・計算し、一定の時点で総括して損益の発生や財産の増減を明らかにする技法。記帳方法によって単式簿記と複式簿記に分けられる。
日本大百科全書(ニッポニカ)では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 )
世界大百科事典 第2版では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 )
企業や政府のような特定の経済組織体が管理する資本や財産の価値変動を一定の表現技法にのっとり記録・計算し,その結果を伝達する行為,またはその表現技法をいう。〈帳簿記録〉という用語に由来するとされ,日本では1873年(明治6)大蔵省公刊のアラン・シャンドAlexander Allan Shand(1844?‐1930,イギリス)《銀行簿記精法》で簿記という訳語が使われて以来,一般化した。この技法は現在あらゆる経済体制を問わず,さまざまな組織で用いられている。
とそれぞれ説明されている。
どの辞書や辞典を見ても、共通する言葉がある。例えば「経済主体」や「経済組織体」といった言葉。「帳簿」、「記録」、「計算」、「一定」も共通している。「技法」という言葉や、「増減」といった言葉も目につくだろう。
どの辞典でも使用されている同じ単語を、うまく抜き出して意味をまとめてみよう。こんな感じになるだろうか。
経済主体が行う経済活動(これを取引といったり、財産などの価値の変動ともいうようだ)を、一定の方法で記録したり、計算する。その結果を帳簿に書いておく。場合によってはそれを伝達する。これを簿記という。
さらに簡単にまとめてしまえば、「お金やものの出入りを記録するための方法」を簿記という。
1.ある個人や集団がいて、
3.増加したり、減少したりしたときに、
4.それを帳簿に書いておく。場合によっては誰かに伝える。
ということが簿記のエッセンスである。簿記が行っていることはこれだけだ。とても簡単なことに見えるだろう。
よくある間違いは、簿記=財務諸表をつくるもの、といった短絡的な勘違い。財務諸表がまず何かわからない人も多いと思うが、主に会社が、ある期間の業績などをアピールするために作成している書類で、決算書と呼ばれることもあったりする、くらいの意味合いを抑えておけば十分だ。
いままで見てきたように、簿記そのものは、財務諸表ではない。財務諸表を作る上で役に立つが、簿記自体は財産の変動を記録して帳簿に書いておく、といった意味合いしか無い。したがって、簿記の説明で「財務諸表の説明だけしかしない」のであれば、それは間違いだ。簿記から財務諸表を作ることができるよ、といった説明ならば、もちろん間違いではない。簿記と財務諸表は別の言葉であり、意味は等しくはならない。
例えて言うならば、プログラミングをする上で様々なプログラミング言語があるわけだが、では、ある言語を持って、「それだけ」をプログラミングと呼ぶか?というようなものだ。「Java言語でプログラミングをする」という文は間違っていないが、「プログラミングをすること=Javaである」というようなことを言われると、それは誤解である。C言語やPythonや他にもいろいろプログラミングをする上で利用されるプログラミング言語はあるのだから。「USBメモリー=USB」みたいな、誤解されかねない意味の略し方になりかねない。
財産という言葉を聞くと、簿記や会計を全く知らない人は、現金(硬貨とか紙幣)だったり、あるいは、金の延べ棒みたいなものとか、袋にドルマーク($)が描かれたものをイメージとして浮かべがちだ。実際に簿記でもそれらは対象になるのだが、「お金自身の動きだけをもって、簿記である」と勘違いしてほしくない。あくまでも、「財産」の変動を対象にしている。この財産とは「経済的な価値を持つもの」全部を指すのだ。だから現金以外もいろいろ入ってくる。
例として、火災や天災などが挙げられる。(他にも会計的なものはいくらでもあるが、知らない人がわかりやすいのはこれ以外には少なかろう)
火災や天災によって、ある会社の工場や営業で使っている自動車が焼失したり、破損することがある。このとき、会社からお金は減っていないが自動車が使えなくなってしまうために、財産として計上している「自動車の価値」を減少させる。複式簿記の仕訳で書けば、
○月☓日 (借方) 火災損失(天災損失などもあるだろう) □□□万円 / (貸方) 自動車(車両運搬具だったりもするが) □□□万円
といったようになる。よくわからないところが多いと思うが、「お金そのもの」がどちらの側にも無いということを確認してほしい。
「簿記=お金」のイメージが学び始めのころはついてまわると思うが、だんだん学習が進むにつれて、お金そのものを扱っているといった見方では説明できないものがたくさん出てくる。むしろそういうものばかりになる。
それゆえに簿記の言葉を説明するときには、「財産」とか、「経済的な価値変動」といったような、お金よりも抽象的な言葉で説明せざるを得なくなる。わざわざ難しそうな言葉を選んでいじわるをしているわけではなくて、正確な言葉を使わないとあとあと矛盾がたくさん出てくるゆえだ。定義がピンとこない人の方が多いと思うが、誤解しないでほしい。
記録する対象が商業であれば、商業簿記になる。ここでいう商業とは、ものを仕入れて、仕入れた商品をそのまま販売することをいう。スーパーマーケットの(惣菜みたいなそのお店で調理していないで、)袋詰されて並んでいるものは対象に含まれる。加工している場合にはその加工にかかった費用を計算する必要があるので、商業簿記では取り扱われない。
工業簿記は、商業簿記とは異なり、仕入れたものを加工して販売する。典型的なのは自動車産業のようなものだ。鉄やガラスなどを加工して、自動車を作り、それを売る。加工する途中で、工員が作業を行う必要があるし、加工のために工具や電気代、燃料代などがかかるだろう。そういった加工を伴う簿記が工業簿記の範囲である。(工業とついているので、工業だけと思われるかもしれないが、加工を伴うものであれば工業以外でもよい。例えば洋服をオーダーメイドで作製する個人商店なども、布地を加工して服に仕立てるので、工業簿記の範囲だ。生の牛や豚をさばいて、畜肉にする作業も加工を伴っているので工業簿記である。テクニカルタームだが、そういうときは副産物や連産品として処理したりする。金額的な重要性によって会計処理が変化することがあるが)
他にも農業簿記や銀行簿記といった言葉もある。それぞれ農業で使用される簿記、銀行業務で使用される簿記である。(私も詳しくは知らない)
ここまでは、業種に応じた簿記の違いであった。複式簿記と単式簿記の違いは、記録のとり方(これを記帳方法と呼ぶ)の違いである。
単式簿記は、記録を取るときに、科目を一つだけにしぼって記帳する方法である。家計簿や子供のおこづかい帳のようなものだ。(と書くと、ほとんど使われていないと思われるかもしれないが、少し前までは東京都は単式簿記で記帳していたし、他の自治体は、今でも単式簿記によるところもあると思われる)
○月☓日 おこづかい 500円
などと、お小遣い帳に記帳する。もしおこづかいから、おやつを買ったときには、
○月△日 おやつを買った -300円 (あるいは支出欄があれば、そこに300円と書く)
などと書いていけば良い。この「○月☓日 おこづかい 500円」といった部分を仕訳と呼ぶ。
複式簿記は、記録を取るときに、科目を左側と右側の両方を立てて記帳する方法である。
○月☓日 (借方) おこづかい 500円 / (貸方) おこづかい受贈益 500円
などと、帳簿に記入することになる。この、「○月☓日 (借方) おこづかい 500円 / (貸方) おこづかい受贈益 500円」の部分を、単式簿記の時と同じく、仕訳と呼ぶ。(受贈益という言葉が気になるかもしれないが、今回は説明しない。正確に書くための前提知識がそれなりに必要なので。今回は例に挙げただけなので、もらって得した、というくらいの浅い理解で十分だ)
この、仕訳を書く帳簿を仕訳帳と呼ぶ。(たまに普通仕訳帳と読んだりもするが、その場合特殊仕訳帳があるケースがほとんどだ)
単式簿記は科目が1つで、複式簿記では科目が2つになることがわかるだろう。これは正確に言うと、複式簿記は科目を書く欄が「左側と右側と2つある」という理解をしてほしい。したがって、もし、お母さんだけでなく、その日にお父さんからもおこづかいをもらったとしたら、複式簿記で仕訳を作ると以下のようになる。
○月☓日 (借方) おこづかい 1200円 / (貸方) お母さんからのおこづかい受贈益 500円 / お父さんからのおこづかい受贈益 700円
右側が2行になったことがわかる。左側は1行のままだ。そして、右側の金額を合計すると、左側の金額の合計と一致していることもわかるだろう。これも複式簿記の仕訳である。このように、右側が2行になったりすることもあるし、反対の左側が2行になったりすることもある。もっと行数が増えることもある。仮におじいさんやおばあさんからももらったとしたら、3行、4行と増えることになるだろう。(狭義の簿記の範囲外だが、連結財務諸表の合算の仕訳などが典型例だ)
このように、複式簿記は「左側と右側」にそれぞれ科目を立てるゆえに「複式」簿記と呼ばれる。
(余談だが、行列簿記など、他の記帳方法も存在する。自分も詳細は知らないが)
複式簿記の場合、仕訳帳に仕訳を書いたあと、勘定科目ごとに総勘定元帳と呼ぶ別の帳簿に転載する。この転載する作業を「転記」と呼ぶ。(この後もいろいろ話はあるが、まあこれくらいのことがわかれば複式簿記のイメージが持ってもらえるはずだ。)
いろいろ例を挙げて説明してきたが、今までの内容をまとめる。
1.簿記とは「経済価値の増加や減少を記録して、帳簿につけること」を意味する言葉である。
2.簿記の頭に○○簿記と言ったように、修飾語がつくときには、その修飾語は業種や記帳法(帳簿の記入形式)を詳しく説明している。前者は商業簿記や工業簿記など。後者は単式簿記や複式簿記といった言葉がよく使われる。
3.複式簿記という簿記は、仕訳が左側と右側の2つに分かれている。左側の合計と右側の合計は同じ金額になる。単式簿記は1つである。
といったことを説明してきた。おそらくこれだけ知っていれば、簿記という言葉がおおよそ何を意味するかわかるはずだ。(会計という言葉はまた別の意味になる。単語が違うということは、当然その意味は違うのだから)
もしこれを読んだ人に子供さんがいたりして、その子供に「簿記って何?」と聞かれたとしても、今までの内容を漏れ無く、内容を興味を持てるようにある程度やさしいものに組み立てなおして説明してもらえれば十分わかるはずだ。
簿記という言葉の意味については、会計方面に接点がない人は、今までの内容を理解してもらえれば、十分である。もちろんこれから会計を学ぼうとしている人も、今までの説明で、これから学ぶ内容と矛盾が起こらないように配慮して説明してきたので、そこそこ役に立つはずだ。
ある人は、コーヒーは(砂糖やミルクを入れて)飲めるし好きだけれど、ブロッコリーの苦みはどうしてもキライ。
http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/agc/ishiura/ishiura28.html
またある人は、薬くさいのが好き。ドクターペッパーと、かぜ薬シロップの味が好きだそうな。シナモンとは違うの?
http://portal.nifty.com/2010/11/08/b/
好みは人それぞれで、口でいえないけれど、いわば、5味(甘み・しょっぱみ・辛み・渋み・苦み+うまみ)の伝達の強弱が人によって違うと思えば、どういうハーモニーが好きなのかバランスがそれぞれ違うことにも納得がいく。
さらに漢方だとオーダーメイド薬なので、同じ風邪に人によって違う薬が出るけど、共通点は良薬口に苦くないこと。ものすごく苦いとかまずい、匂いがキツくてとにかく飲めないという漢方の場合は処方違いの可能性がある(妊婦に無理に出される漢方にこの手の処方違いが多い)。
逆に風邪がすっかり治ると昨日まで飲めていた漢方がまずくて飲めなくなる。マスクされていた匂いセンサーが回復とともに有効になってしまうから。
そうしてみれば、料理がすべて同じ味で出してもある程度売れることのほうが、奇跡といえる。
主婦はオーダーメイドで料理つくっててエライって褒めてくれていいとおもう。
あと、主婦といえば、ある年配の知り合いが挽いたコーヒー豆を鍋でミルクと煮て漉して飲んでいた。チャイみたいに。
今の、スタバ系cafeのカフェイン偏重、ブラックコーヒーもどうかとおもうよ。
もともと日本人はそんなにカフェインに強くなくて人によってはカフェインの不眠とかβが刺激されて動悸不整脈、そしてカフェイン中毒も普通にありえるので。
陰謀は大げさだけど、アルミって加工がしやすくって単価が安い。アルミの単価は日経のどこかの隅に載っているから参照いただきたい
温めると、クッキーの型抜きのように「ところ天」のように押し出しで作ることができる金属
だから窓サッシの凸凹ができるわけ。大量生産しやすい金属。成形すると硬い、当たり前、金属だから
安い、軽い(輸送費とか)、サビない、いいことばっかり
それをガラスが入って大工や工務店、ハウスメーカーが10万とか請求する
でも弱点があって、熱をスイスイスイーッと通す。いわゆる熱伝導率。おなじみ鉄なんかより3倍もの熱を通す。3倍?シャーか?
冬に窓が結露するのは安いアルミとガラスを使っているから。つまり暖房しても熱が窓から逃げちゃうわけ
でも残念ながら価格破壊が起こらない
サッシの原価なんぞ前述の通り安い安いペラペラ
断熱性の高い樹脂サッシや二重サッシにすればいいのだけど値段が倍する(北海道の人は知ってるよね)
規格を統一すれば、樹脂サッシや二重サッシを大量生産できるじゃん
これって二酸化炭素排出量とか、老人が風呂場で死んじゃうヒートショックとかまとめて対策出来るんだと思うよ
でも、しない、されない、できない
多くの人が価値を感じているし、歳をとってから価値が最大化する。
歳をとってから欲しいと思っても手に入らない。産むリスクは上がるし、産めなくなる。
手に入れてもランニングコストが高くつく。主に体力がついていかない。
あえて物として語るならそれは既製品でオーダーメイドじゃない。
少なくとも、子育てには永遠に終わらない社会的価値のあるプロジェクトという側面がある。
そこから得られる充実感や満足感はなかなか代替のきくものではない。
継続して運営するコミュニティーとしての側面もある。気に入ったメンバーで快適に過ごせるコミュニティーには価値がある。
でも事業の永続性は疑わしい。また多くの人は事業なんてやってない。
その人が後になって子供を作れば良かったと思うのではないか、
今回は息抜き関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
まあ、それはそれとして、嫌だと分かっているのになぜ見るか、というと。
正確に言えば、その解消に努めることとセットだが。
もちろん、適度なストレスをな。
能動的にストレスを受け、それを解消するだなんておかしいと思うかもしれないが、別にそんなことはないぞ。
意外と、そうやって自分の血液を循環させる人が多いことは、この世界を見ても分かるだろ?
創作の世界でも、敵のムカつき度が高ければ高いほど、ヒーローにコテンパンにやられるという法則もあるし。
テレビにも「痛快TVスカッとジャパン」といったマッチポンプ番組もある。
要はカタルシスというやつだが、これが過度になると病的だ。
カタルシスもないのに、それでも自らストレスを受けようと飛び込む。
……いま適当に思いついた造語なのに、検索したら引っかかったぞ。
どうなってるんだ、この社会は。
答えはNOだ。
もちろん、そんなことは当事者たちも分かりきっているので、彼らはその概念を細分化した。
「機会の平等」といったようにね。
まあ、かなり政治的な判断が含まれている定義だし、見方によっては「妥協」と受け取る輩もいるが。
……それで誰が幸せになるのかって?
そりゃあ、みんな幸せになるし、みんな不幸にもなるさ。
それでも強いて言うなら、そういう概念を作った人たち、ということになるだろう。
善悪がどうとかは知らんよ。
もし真の平等を目指すなら、そりゃあ人間が滅ぶのが手っ取り早いと思うが。
そして知名度が上がったら、個人や企業の依頼で、オーダーメイドの画像で儲けるといった具合さ。
実際のところは知らないが。
就活用の服を一式買うときに青山だか青木だかみたいなスーツ屋に行って恥ずかしかった話。
「お、何かスポーツされてたんですか?」
「自転車通学を……」
「じ、自転車通学ですか……」
みたいな定番のやり取りをしてまずは軽く店員を威嚇。
体の中でもアンバランスさが際立つ太ももがギリギリ入るようにかなりでかいサイズで選ばれたズボンは、
チビなので裾を1/4だか1/3だかぐらい裾上げする勢いで豪快に折られる。
裾上げ位置で折り返したら折り返した分が膝近くまで届いてた。
逆に胴は長いのでジャケットの裾がツンツルテンになるからってことでワンサイズ大きくしたら、
予想通り今度は肩、袖、とかのそこかしこがダッボダボになる。なにこの借り物感。
靴選びでは、足が小さめ(24.5㎝)で割と細い形をしてるので、靴選びのおねーさんに
「柳の葉みたいな足されてますねー」って言われる。褒めてねーだろ。
色々試着するけど、おねーさんが持ってきてくれる靴が全部でかかったり、
つま先の方の本来足が入らないはずの隙間に足が細くて入っちゃうから踏み出した瞬間にすっぽ抜けちゃってヒモをギュウギュウ締めてもまともに歩けない。
「これ以上小さくて細いのだと男性用はちょっと……」と言われて持ってこられた、
女性用のシンプルでかわいいローファー?を履いたら、かつてなくぴったりフィットするとかいう哀しみを味わう。
その他、ネクタイとかも一通りそろって姿見をみたら、薄々わかってはいたけど新中学生が初めて学ラン着たか、
お父さんの背広来て遊んでる小学生みたいな印象の生き物が出来上がってた。
で、一番下にチマっとした靴があって、ダボダボブカブカの膝まで折り返したズボンがあって、
でも膝を超えると太ももはそのでかいズボンがパツンパツンになってるっていうクリーチャーっぷり。
既製スーツって、特定の範囲の体型の人がよりかっこよく見えるように作られてるのね……。
その分、逸脱してるとものすごい異形に見えるっていう。
なんにせよ買わないわけにいかないから買って就活にも使ったけど、スーツ着ない職場に就職できてホントよかったなーって思う。
大学に、私に少し良くしてくれる男友達Aがいるのだが、その友達はとてもかっこいい。背は高いし、運動しているから綺麗で硬い脚を持っているし、きれいな顔立ちとすべすべの肌を持っている。着ている服や小物も質のいいものを身につけているのにまったく嫌みがなく、よく似合っている。
彼氏の仕事の都合で2ヶ月会えない間、そのAに目移りしてしまった。
まず、今までなんとも思わなかったAのことをかっこいいと認識するようになった。
Aとは共通の話題がそこそこあったので、すぐ仲良くなった。Aは人と接する時に厚めのATフィールドを張る人で、最初の印象は皆「ちょっと怖い人」だが、共通の好きなものを話題に出して親しくなっていった。ATフィールドをゆっくりと解いてもらい、他の人より少しだけ仲良くなるのが嬉しかった。
Aは一度信用した友達ならとても優しく接する人で、冗談もよく言う。髪型が素敵だと褒められた。
新歓の日、Aは幹事として普段着ないスーツを着ていたのだが、これがめちゃくちゃかっこよかった。ちゃんとしたオーダーメイドのスーツを抜群のスタイルで着こなしていた。酒も入って普段より笑った顔が増え、饒舌になっていく。私も酒の力を借りてどんどん近づいていき、Aと肩を組んだりのボディタッチを増やし、彼の脱いだスーツの上着を着てみたり、その匂いをかいだりした。三次会まで残り、朝になりそうな時間におひらきになってから、講義に登校するまでの間Aの家に泊めてもらった。女2男3、みんな酔いつぶれて寝ていたが、私は早く目覚めてAの寝姿を見ていた。
それからまたあった飲み会やBBQも、二次会の後Aの家で宅飲みをして、泊まった。女1男2。その日はAのシングルベッドに、Aと私がただ寝ていた。これが添い寝フレンドか。
Aの姿を校内で見かけると目で姿を追うようになり、笑顔で挨拶をされるだけでその日1日浮かれるようになった。
彼氏とは一緒に泊まったことがない。いつも日帰りだ。だけど考えてみてほしい。彼氏に会えない間、男と夜を明かしたことのない彼女が男友達Aの家に泊まって、一緒に文字通り寝た事実があることを。
こんなこととても彼氏には言えない。けれどもAは美しい。美しいものはできたらそばに置いておきたい。
何よりきゅうっと心を締め付けるのは、Aは私に彼氏がいて、私がAのことを好きでいる事実を知っているということだ。知っていながら親しくし、お家に泊めて、隣で寝ることを許す。Aは付き合っていた女と3ヶ月前に別れたので彼女はいない。このシチュエーションがたまらない。Aが何を考えているのかがつかめないが、それでも優しくしてくれる。
この前やっと彼氏に会えたが、幾度となくAがフラッシュバックした。彼氏の家で行為に及んでいる時ですら。
大学生だしまぁこういうことがあってもいいよね〜彼氏には言えないけどなんか青春〜〜〜程度にしか考えてない自分がいるのが恐ろしい。
<結論>
彼女できなかった。
若干ドキュンになった。
<スペック>
デブ→BMI30、ベンチプレス120キロ、スクワット170キロ、格闘技で賞を取ったことある。
ハゲ→デコが広い、小学生の頃ストレスで抜きまくった、正面から写真取ると、顔の5%くらいしか髪が無い
仕事→同年代の5倍稼いでる、親が金持ちでそのおかげで一生困らないレベル
顔→チャンとしてれば雰囲気フツメン。ノーケアだとダントツでブサメン
いない暦=素人童貞、勉強ばっかりしてきたから女の扱い分からない、元キモオタ。
<やったこと>
モテナイ友達達と彼女作れるようお互いファッションやトーク、考え方など指導しあった
ユニクロ、H&M、ウィーゴみたいな、シマムラよりかはいいらしい服屋で買った
ジムに通った
美容院に月1通った
40人ナンパした
女性に話を合わせられるよう、バンドやアニメ、女性用ファッションを調べた
ガールズバー10回くらい行った。
ソープなど10回くらい行った。
ユーチューバーやニコニコの実況者の会話テクニック、動きの見せ方などを学んだ
肌水や化粧、カラコンをやってみた。風呂入ったら必ずドライヤー(髪をセットしやすくなる)、ヘアトニック。
<考察>
化粧はへたくそでうまくできない。BBクリームくらいはぬれるが、アイラインは難しい。カラコンは不自然すぎてダメだった。
ファッションはユニクロで多少清潔感が増えたが、デブなためジャストサイズの服が無い。やせなければ無理。胸板、肩幅と太ももがでかすぎるのが致命的だった。パンツは太ももから上に上がらないからデブ用しかダメ。肩幅と胸板で服が浮くからぴったりした服だと乳首浮く。オーダーメイドじゃないとダメっぽい。無難カッコイイというのでグぐるとファッションサイトたくさん出てくるが、そのタイプの服は着れない。ユニクロやウィーゴに俺の体型で買える服は無い。
美容院に行ったため、髪のセットを覚える。髪の毛ごまかせば雰囲気リア充のブサメンくらいにはなれる。
ナンパは見た目がクソ過ぎて全然だった。最初は声かけすらできず3時間なにもできないとかあったが、今は1時間で3人くらいはいけるが、ラインやお茶など全部ダメだった。ストリートナンパばかりだったので、店内ナンパをすればいいのかもしれないが、店内で声をかける勇気がなかなかでない。
トークは笑いはいくらでも取れるし、相手に話しさせる技術もそれなりだとは思う。しかし、発達障害っぽい感じ、ものすごく浮くことは少ないが、少し浮く。女性ファッションや女性意識的なものを読んでるので女性がしたい会話を多少織り交ぜられる(アンクルージュなり、メジブレイなり、ラッスンゴレライなり、ベイビーメタルなり、そういう女がすきそうな話題に合わせられるようにした)。トークがそこそこなためか、リア充の飲み会に誘われることが多くなったし、リア充女の友達も多少できた。
ヒゲや、服のしわ、クツの汚れみたいなのを女性は『清潔感が無い』と嫌うらしい。発達障害なので正直その感覚は分からない。「女は男を見た目で好きになることはない、分からない、自分を好きな人を好きと思いやすい」=「女は自分に構ってくれる感じが好き」=「豆な男が女は好き」=「服のしわなどはマメさが無いから嫌われる」、という理屈らしい。できるだけ細部に気をつけているし、変な行動や汚い食い方にならないように注意はしている。
ナンパ以外での出会いはあまり積極的に行けなかった。積極的に話かけたり挨拶したり、そういうのはやったが、あんまりうまくいかず、お茶などのデートに誘う勇気も、ライン教えてっていう勇気もでなかった。
ソープやガールズバーで、「パーツはそろってる」などとおだてられ調子にのったが、やっぱ見た目ないとダメらしい。
基本的に、リア充はつまらなくて好きじゃない。リア充より中二のノリが好き。こいつらが得して女をかっさらうから俺に女が残らないんだ!っていう僻みと言うか客観的な弱者殺しの原理を目の当たりにすることが多く、非常にいやな気分になることが多い。
<今後>
とりあえず、「オラオラしたらモテル」と思ってたんだけど(ナンパ師のツイッターや、ホストや、まとめサイトでは女はオラオラされる系の強いタイプに心底弱いという意見で一致してたから)。これ、単なるブサメンならいけるが、チビデブハゲというのがそろいすぎてるとダメらしい。弱い男に女はなびかない。
やせなきゃ未来が無いし、髪が無ければ未来が無い。チビはシークレットブーツ、やせるのはホント意識持って、髪は植毛。これは多分必須条件だと思われた。服もまともなやつ買えないし。顔は関係無いから、化粧とか覚えても無駄。人は見た目が9割ってこと。毛生え薬は俺にはきかなかった。AGAってハゲ遺伝子も調べたけど異常なし、純粋に髪を抜きすぎたのが原因らしい。
クラブでのナンパはそこそこ声かけしたらとまってくれる女が多いので、クラブナンパを中心にしたい。あと、出会い系サイトは業者(ライン教える→ラインから釣りサイトに誘導ってパターン)が多いが、まとめサイトなどではコミュ障JDや人妻と出会えるらしいので、やってみる。出会い系サイト登録してみて1月だが、女性からメッセージ、月3くらいである程度は来る。
リア充イケメン金持ちの友達が増えたので、行き遅れの親戚に紹介しまくる予定。多分、リア充が女に持てるっていうのは、こういうイケメンコネクションで金持ちを女に紹介できるからなのかなーって思った。俺がかわいいこにイケメン金持ち紹介→女のほうも、恩義を感じて俺に女を紹介、みたいな。
彼女さえできれば、彼女にファッションやトークや女が好きなことなどをアドバイスもらえるので、彼女さえできればカクヘン引けると思う。しかし、彼女を作るためには、女の口説き方、アプローチ法を先に学ばないといけないためつんでる。だから、ブスでもなんでもいいから、彼女を作ることが大事くさい。
<具体的にやること>
ジムだけでなく、ランニングを取り入れる(格闘技の夏合宿では毎年5キロは体重が落ちていたが、あれはランニングをやりまくったおかげだったと推測してる)、ジムだと筋トレで無駄に筋肉ばかりついて、やせない。
俺はオラオラ系でモテルのは不可能、戦士に魔法使いの装備や呪文を覚えさせるくらい非効率。戦士用の呪文や装備があるはず、ジョブチェンジしなきゃ、ザーラや109に俺が買える装備は無い。
引き続き、リア充の飲み会に参加し続ける。誘われたら行くし、誘う。
植毛の医者選び。
http://anond.hatelabo.jp/20140826195632
>自分が木材から自分で調達して、自分で切り出してあまりきれいにならかった椅子を夏休みの自由課題で提出して何の賞も得られず、
>その隣でショッピングセンターで売ってる椅子組み立てキットを組み立てて作った椅子が隣に置かれて組み立てキットの椅子が評価高くされてたのを思い出した。
最強の北教組の根城だったせいなのか知らんけど、自分の学校から、誰かの作品がコンクールに出されたことは在学中一度もない。
自分でものを作ることの楽しみは、必要なもの、遊びたいものをゼロからデザインしたり、工夫したりしてつくることにあると思うんだけど。
ようは世界一顧客の要求を忠実に再現してくれるオーダーメイド。いや、100%じゃなくても作ってるうちに愛着わくしね。
ショッピングセンターで買ったキットで作った椅子に座りたいなら別にキット使っても良いと思うし。
でも、基本的に「物」を作るわけだから、他人に評価されるためにはもう一工夫必要だと思う。
これは大人になって気付いたことだけど。
椅子だったら、木材選びから、切り出しの時の写真を記録に残すとか、
自分で考えた工夫とか、技術で木工やる前なら釘の使い方の注意点とかをノートにまとめて添えたりしたら、ちょっと評価も変わるかも。
ただ作っただけじゃないんだぞ! という。努力って目に見えないから。
というようなアドバイスを大人がしてくれると子供は助かるよね。
あと、「自分が使いたいものの関連物で、自分の使いたいタイプのものが市販されていない」場合に「よっしゃ作ろう」と思えるようになったことは良かった。
twitterで「男の理想の女子は152cm37kg」みたいなのが流れてきて、案の定「キモい」だの「骨格標本かよ」だのいった反論が山のようについてた。
https://twitter.com/junnai_0601/status/485417071140810752
自分は162cm40kg。BMI的には152cm37kgより細い。
別に拒食症とかではなく、小食で胃腸弱いので高校時代からずっとこの体型。
残念ながらDカップではない。市販の下着はサイズが合わないのでオーダーメイドの下着屋に行ったら分厚いパッドを買わされて以来中学生向けのスポブラ一択。
生理は一応来てるけど体温ずっと35度とかだしたぶん無排卵なんだと思う。
で、上記のような「キモい」とか「そんな女子実在しねぇよ」とかいった反応を見るたびに、自分の存在を否定されてるようですごい凹む。
たぶん言ってるのは標準体型の健康な女子たちなんでしょうけども。
自分たちの言ってることが一種の差別発言になってるなんて思ってもいないんでしょうけども。
「男の理想は37kgだからみんなこれくらいやせなきゃダメだぞっ☆」みたいなノリでダイエットを煽る雑誌は叩かれるべきだと思うけど、
「37kgが好き」という男性や、ひいては37kgの女性を叩くのはほんとやめて欲しい。
少なくとも私は「37kgが好き、細い女性が好き」っていう男がいたら嬉しいし、自分みたいな体型でも認めてくれる人がいるのか、欲情してくれる人がいるのか、と安心する。
ただしモデルの自称体重を真に受けて「37kgが好き」って言っといてリアル37kgを目の当たりにしたら「キモい」とかいう男は速やかに死ね。