はてなキーワード: エポックメイキングとは
90年代当時の男の子向け主流コンテンツには圧倒的に恋愛要素が足りなくて、それがまずときメモに代表されるギャルゲーのブームにつながったのさ
で、CSは表現規制が厳しくてセックスを描写できないから、そこに物足りなさを覚えた層が90年代後半からエロゲに流れてくる。
WIN95から始まったパソコンの一般家庭への普及も追い風になった
2000年代に入ってありきたりな恋愛ものに対するマンネリ感を覚えていたユーザーと表現の場を求めいてた若いクリエーターが化学反応起こしてエロゲブームが花開いたのさ
このとき参入した若いクリエーターたちが、大手少年漫画や地上波ゴールデンアニメのような主流オタクコンテンツとは違う、少女小説や一般エンタメ小説、純文学といったこれまでの男性向けオタクコンテンツにはなかった文脈を持ち込んだのもエポックメイキングだった
若い人には、あんな面白くもなんともないゲームが、なぜ当時エポックメイキングで、いまだにこれほど語られるのかがわからないと思う。
当時の鈴木裕という人は、バーチャファイターというその後の3D格闘ゲームに多大な影響を与えた人で
その人がバーチャファイターRPGをつくる、と言い出したことから始まった。
当時のRPGといえば、ドラクエ、FF、テイルズ、ポケモンなどであり、
ポリゴンをつくったRPGは生まれ始めていたが、2DRPGをただ3Dキャラクターにしただけという内容が多く、
本当の意味で3D空間を動けるRPGというものは生まれていなかった。
そこに、鈴木裕が殴り込む、ということは、今あるRPGを別の次元に上げる何かが生まれるのは?という期待があったのだ。
それこそ今で例えれば、スマブラの桜井さんが、これまで挑んでこなかったジャンルであるFPSに挑戦します、というものである。
「え?FPS?正直、もう枯れたジャンルであるFPSを桜井がつくるの?これは何か大変化が起こるかも!期待!」
誰もがそう思うのではないか。
その期待感と、異常な執着で生まれた怪作がシェンムーなのである。
全NPCに名前、自宅、行動パターンがあり、彼らは彼らの生活を送っていること、など
その要素によってゲームが面白くなるかどうかなど全く気にせず、
とにかくリアリティを高めることに異常な執着があるのがシェンムーの特徴である。
結果として、ゲームは面白くないのだが、多くのクリエイターに別のアイデアを生み出すことに成功した。
GTAなどのオープンワールドはシェンムーから着想を得たというクリエイターが多い(シェンムー自体はオープンワールドではない)
セガでは、ゲーム性を高めた龍が如くというシリーズが生まれた。
2010年代が終わるわけだが、2010年代のアニメベスト10を独断と偏見で決めてみたくなった。ので増田に放流。
見てない作品は語れないので見た作品だけ挙げる。見た作品の数が少なくラインナップが偏っている結果チョイスが偏った点については先に謝っておく。また、順番は順位ではなく放映順である。
長いゼロ年代の終わりを飾るというか10年代の始まりを告げるというか、とにかくエポックメイキングな作品だった。紛れもなく一時代を画すアニメであり、こんなに議論が盛り上がって人々の印象に残ったのってマジでエヴァ以来なのではという衝撃があった。
2010年代には『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』(2014/2015年)と『Fate/stay night [Heaven's Feel]』(2017, 2019年)がアニメ化され、さらにはFGOや『Fate/Apocrypha』に『ロード・エルメロイII世の事件簿』もアニメになり、いずれも素晴らしい出来だっただけにどれを入れようかすごい迷ったのだけれど、Fateシリーズに新しい客層を開拓したという点でZeroの存在感がなんだかんだで大きいかなと。切嗣の重要な台詞が微妙に原作改変でそれはどうなのかと思わなくもなかったがラストの桜ちゃんを原作ではなくボツになった原案通りに作ってくれて素晴らしかったですね。人間オルガンちゃんが再現されなかったのは残念だけど仕方ない。Heaven's Feelも本当に素晴らしかった……。何も言うことはない。俺たちの見たかった最高の桜ルートだ……。2010年代はFateアニメ化で盛り上がった10年だったと回顧できるだろう。セイバールートも作り直して。
一作くらいは細田守を入れておいてもいいんじゃないかと思って挙げてみた。細田守、はてなでは評判が微妙だが普通に『おおかみこども』は良い作品だと思うんだ。純粋に家族愛の物語として見ると違和感とかも出るのかもしれないけど、歪められた関係性も理想化された田舎も、すべては花の回想をもとにして雪が語ったことであって、花というある意味信頼できない語り手を通して見た世界なんだよね。加えて言うなら、花が雪より雨を構っていることに批判的な意見も多々見られ、それは雪から見ればそうなのだろうし実際にきょうだいより構われなかった思い出を持つ人にとっては良い気持ちはしないのだろうけれど、でも完璧な人間でないと母親になってはならないか、といったら違うわけでしょう。母親も欠点を持つひとりの人間だし、それでも母親なのだ、という話だと思いますよあれは。それらの偏愛や歪んだ世界像を卓越した映像美でくるんで提示してくるところに、細田守が色んなひとの神経をざわつかせる理由みたいなものがあるんじゃないのかな。
アニメ映画を1つだけ挙げろ、と言われたらこれを推す。名作名作アンド名作。何を語ってもネタバレになりそうなので最高のSFアニメ映画だという当たり障りのないことしか言えない。ボーイミーツガールSFの傑作。いいから何も言わずに見やがれください。
単純なアニメ業界の楽屋ネタに留まらず人間ドラマとしてしっかり作り込んでいてくれて良い作品だった。23話はみゃーもりにつられて泣いちゃうでしょ……。5人の歩く道は凸凹していて、正解はわからずに手探りで進んでいくしかなく、それでもアニメに関わりたいという意志を持って進んでいけば夢に手が届く。そういう話の筋としてはありふれた成長譚を細やかな人物造形と堅実な脚本で良いアニメにしてくれていた。「万策尽きたー!」「どんどんドーナツどーんといこう!」などのフレーズも印象に残る。ただアニメというフィルターを通してもなおアニメ業界のブラックさが滲み出ており「これは美談にしてはいけないやつでは」みたいな感もあって、アニメの放映スケジュールが狂うことがあちこちで頻発しているのを放映予定の変更とかで視聴者目線でも感じ取れるだけに複雑な気分である。
紛れもないジュヴナイルSFアニメの傑作。可愛らしい格好をした魔法少女たちが土星の輪に突入するとか太陽系外縁部を探査するとかブラックホールを反転させるとかのハードSFな冒険を繰り広げるギャップがすごいし、荒唐無稽なファンタジイとリアルな宇宙描写を融合させた映像美はアニメだからこそ実現できるものだろう。ちょっと宇宙が出てくる魔法少女ものだと思って見始めたわけだけど土星の輪に穴を開けてエンジンを探し始めた辺りでガチのSFをやろうとしてるんだと理解したし実際かなりSFだった。降着円盤の温度まで考察されてるのすごくない……? そして根底には傷つきやすい繊細な心と他者を思いやる優しさが流れていて、映像の美しさと相まってリリカルさに心が洗われるような気持ちになる。放映終了後の喪失感は半端なかった。『サカサマのパテマ』と並ぶ2010年代SFアニメの金字塔ですわ。これが星雲賞を獲るべきだったのでは。
アクションのキレの良さ、百合描写の濃密さ、黒星紅白キャラの可愛さ、音楽のテンポの良さ、細部の丁寧さ、どこをとっても娯楽アニメとして超一級の出来だったと言うほかない。特に5話の剣戟シーンはここ十年で一番の殺陣だと思う。梶浦由記のオサレ音楽をBGMに美少女たちが流れるような作画でチャンバラするの控えめに言って最高としか言えない。また「神は細部に宿る」を地で行くような作品であり、アンジェとプリンセスの手紙の遣り取りとか、脱出用の荷物に書かれた文字とか、さり気ない描写のひとつひとつに込められた情報量が半端なく、それによって世界観と百合に奥行きを持たせることに成功していた。アンプリ、いいよね……。劇場版むっちゃ楽しみ。
素晴らしい作品だった。2018年はTVアニメ豊作の年であり『ゾンビランドサガ』『SSSS.GRIDMAN』などオリジナルの良作が次々と放映されたわけだが、なかでも別格だと思うのが『よりもい』。毎話毎話が最終回のごとき余韻を残し話ごとのメリハリも利いていて軽くシネマっすねという感じだったし、「先に行けって言われて先に行く薄情にはなりたくない!」「友達ってたぶんひらがな1文字だ!」などの印象に残る名台詞の数々は記憶に焼き付いて離れない。花田! 神回しか作れずに恥ずかしくないのか? 視聴者を泣かせて食うメシは美味いか? なかでも特筆すべきは12話で、まさか受信メールフォルダを映し出した画面に泣かされるなんて思ってもみなかった。アニメ史に刻まれる名シーンですわ。
岡田麿里が本気を出してファンタジイをやったらなんかすごいのが出力されてきた。失ったものにいつまでも抱いてしまう妄執とか、恋と愛の区別があやふやになって煮えたぎる思いとか、無理やり連れ出されて見せられた世界の美しさとか、そういったドロドロした感情を叩き込んだ闇鍋から人は互いに織り上げあう物語であるというテーマを掬い上げて観客の前にどーんと呈示してくる素晴らしい映画作品。ただただ名作と言うほかない。15歳しか離れていない不老の種族の美少女なお母さんに育てられたいだけの人生だった……
『君の名は。』(2016年)で俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がってしまい、遠くに行っちゃったんだな……とゼロ年代に魂を囚われたオタクたちが訳知り顔でホロリとしていたところに投げ込まれた傑作。いや~原作PC版のクライマックスを忠実に再現してくれてましたね! 私は原作だと夏美ルートが好きで、彼女が晴れ渡った青空を見て浮かべる笑顔の爽やかさと、その青空の意味を後続のルートで種明かしされて味わうことになる切なさがめちゃくちゃ印象に残ってるんですよね。でもやっぱりあの長編エロゲから1ルートを取り出して劇場アニメにするとなったら陽菜ルートになるのも納得がいくわけで(甲高い早口)
……という感想を諸人こぞりて口にしはじめる辺り、完全にゼロ年代のエロゲだった。テン年代最後の年にゼロ年代を煮詰めたような要素てんこ盛りの作品を公開してしかもそこにセカイ系を力強く肯定するオチをつけるわけですよ。ゼロ年代の亡霊が昇華された感があり、なんというか新海誠すげえわ、一生ついてくわ。
それはつまり
という話でしょうか
うーん?
いや、俺の言ったことそのまま受け取ってよ
ゆがめてまとめず
マミー本人は露悪的な釣り師だったと思うけど受け手の大部分は本気で気分悪くなってた(俺含め)
(彼の手法は薄く広く広まって陳腐化したけど、技術自体は今の基準で見ても高かったと思ってる
マミーはひたすら醜い悪として自己表現してたし、受け取る側もそうだったの
強いとかかっこいいサグという消費なんかなかった
「マミーの影響で高卒差別はかっこいいといいだす奴」なんていないの
ドキュンという言葉自体も(マミーの高い言語センスのゆえに)広まったけどぜんぜん違う意味になってるでしょ?
悪人のことを罵る、これは共感されやすいことであってマミーではない
マミーはむしろ「まじめに生きてるけど高卒なので浮かばれない人」という憐れというべき人物像をドキュンとしていた
明かにかわいそうな同情されそうな人をおまえが高卒だからそうなるんだ高卒なのが悪いといっていじめる、それがマミーの芸風
荒らしや釣りにおいてはここの差を理解して注目できる程度の頭脳は必要
要するにマミーは高い釣り力という力の跡だけは残したけど理念的には全然フォローされてない
それ以前に理解もされてない
俺みたいにマミーに私淑した人間だけがマミーを理解して今に至るまで覚えてる
きみはマミーを全然理解しなかったので記憶も自分の今の理論に都合いいように変質してしまってる
(というかほんとにマミーを見たことあるの?というとこから俺は疑ってるのだけど)
繰り返し言うけどマミーはいいとこの大学生でも気分が悪くなるつくりになってた
ツッコミどころの多いプロフィールとか全然かっこよくない顔写真とか、
マミーの釣りの全ては自身をみっともないむかつくやつとして憎ませようとしてたのであって、
ダークヒーローになんかなろうともしてなかった
マミーの差別を見て「差別はかっこいい」なんていう人間はいなかった
マミーのメソッドをきちんと真似して吸収できるのは俺のような自覚的な掲示板荒らし志向者だけなので
有象無象には無理だし、現にメタ観測者気取りのきみですら無理だろ?
そして嫌韓厨は当初から「不謹慎ネタ」とか「やばいこと言っちゃう俺等かっこいい」とかいう自意識など持ってない
彼等についてはそれこそ「ネットde真実」という揶揄のほうがきみの頓珍漢な理解よりはよっぽど事実に近い
嫌韓厨は韓国人のことをシリアスな脅威と感じていて、戦わなければいけない、知らせなければならない、と使命感持ってた
彼等は真剣だったし韓国人を無力で可哀想な存在などと定義してもいなかった
バカじゃなければ誤解するわけもないことを念の為に言っておくが
何を「自分も覚えてる」みたいに話を合わせてるんだ
俺はきみのことを最初から疑ってたのでマミーの自称にフェイクを混ぜたがきみは突っ込めずに引用した
きみはマミーをリアルタイムで見ていないし空気を感じてもいない
それどころか、そもそもきみはマミーのサイトを隅々まで読んですらいないだろう
きみのネット史理解は滅茶苦茶であり、マミーについての記述はデタラメの極みだ
まず前提として俺ははてなのこと愛している。それは信じてほしい。だからお前らには恥をかいてほしくないし、俺はてな見てるんだって言いたいからあんまりださいことはしないでくれ!!!!はてなはマジでくそひがみおじさんみたいなところもあるけど俺は全体としては愛してるしインターネトにこんな空間があることを神に感謝してる。サンキューマイメン達!!
だけどもう本当に本当に本当にふるさと納税批判については限界なんだ!!!!!(ちなみにカワンゴ批判についても同様だけどな!!!!!)
そりゃ問題があるのも分かるよ、うん、新しい制度だからね。早く治さないとね。でもね、ふるさと納税というのは本当に税制史上革命的に素晴らしい出来事で一石三鳥いや四鳥くらいの効果があるまじで考えた役人ほんとすごい神って感じのエポックメイキングな出来事なんだよ。(軽減税率とか言う現場を無視したゴミみたいな案を考えた奴らははよ去ねな?????)
いやほんとこんな素晴らしい税制をくそみたいな制度って雰囲気作られたらね、まじでやべぇなって思ってあのヨッピーの記事流れてきて今回超ひさしぶりに増田とかに書いちゃってるわけよ!
もちろん何かを評価するときにポジションっていうのは超大事だよね。お前らがアーティスト側だったらたぶんガチでジャスラックは批判しないわけじゃん?やりすぎじゃねwくらいでしょ?つまり今回でいえば個人としての視点と国としての視点というのは大事だよね。今回俺が言いたいのは国としての立場でふるさと納税がいかに素晴らしいかってことなのね。
でもまぁいいやとにかくあのヨッピーの記事でふるさと納税を意地でもやらないとかいってるやつ。あれな。例えるなら「みんなで美味しいものたべようよー^^」「いいねー!ここのステーキおいしいよ^^」とか話してたら急に「牛肉は動物の命殺してるから意地でもやらないっッッッッ!!!!!!!」って言ってるのと同じ感じだよ!!!うおおおおおお恥ずかしくね!!!!!!!1もうやめてくれ!!!!!!!!ごめんごめん悪かったまじでさぁ森にお帰りってなるでしょ???
まぁね、わからなくはないよ。嫌なんだよね、きっといろんなコンプレックス?とかうまくいかないこととかあるもんね。そんなひっそりと生きてるのにわざわざ国が格差を刺激するようなことしなくていいよね。でもね!これだけは言わせて!!!!!!日本にとって!!!!!ふるさと納税はいい制度なの!!!
今まで使い道が決められる税金があった??その一点だけでも本当に日本にとって必要な素晴らしい制度なんだよ。ふるさとの特産品をじっくり見る機会あった?????佐賀の美味しい名産2つ言える???本当に地方にとって価値がある名勝とかなくなってもいいの???俺は言えるし、地方の名勝も残っていてほしいし、なんなら俺の知り合いの奥さん(50代主婦)は美味しすぎて旅行までいったよ!!!!俺は税金を何に使ってるか意見もしてるよなぜならふるさと納税してるからね!!!!!
はてなはあのめちゃくちゃスリップしそうな万年簿記一級受験生(もう6年くらいじゃね?)の記事がバズっちゃうくらい会計リテラシーとかくそ低いしあまり専門的なことは書けないけどでもこれだけは信じて!!!ふるさと納税はみんなのためにいい制度!!!税金に対する意識を啓もうしてるんだよ!!!あれは日本を思う役人が考えた税制ハックだ!!!!!頼むわかってくれ!!!!!!!
「エポックメイキング」とか
「トランスヴェスタイト」とか
専門用語ではないけど一般的ではない言葉を「知ってて当然」みたいに使う人は
信用しないことにしている。
繊細で、陰湿で、幼児的で、良い歳して毎週日曜日八時半にテレビに向かう大きなお友達の自分語りを増田に聞いてほしい。
性自認がどうとか、性指向どうとか、そういう話でもないし、素養もない。
両親もよく呆れずに付き合ってくれたと思う。
クリスマス、誕生日プレゼントはバンダイのおもちゃ、寝間着はプリキュアパジャマ、お菓子は全部プリキュア、帰ったら衣装を着て鏡の前だ。
勿論全て親が買ってくれたが、足りない小物は自作していた。
休日に家族で出かける場所といえばプリキュアショー一択だったし、よく最前列で「がんばえー!」と声を張ったものだ。
休み時間の過ごし方というと、同年代の女の子とプリキュアごっこ。彼女たちがプリキュアから「卒業」していくと、低学年の女の子とプリキュアごっこに興じるのが常だった。
プリキュアになるにしても、若宮アンリのようなスタイルの良い美少年なら良かったが、生憎俺は類人猿顔のド短足だ。
美墨なぎさに憧れて、髪を伸ばそうとした時期があった。でも酷い天然パーマがそれを邪魔した。
酷いいじめ、外見と理想のギャップに苦しんだ俺は、中学に進む頃にもなると、立派な醜いオタクの子に成長を遂げた。
熱暴走していた「プリキュアになりたい熱」は強制スクラムして、前々からやっていた女児向けアーケードゲームにずっぷりハマるようになった。
中学校は、行くのをやめた。
行かなくなるまでにも色々あったけど、今は関係ないだろう。
学校には行かずともゲーセンには欠かさず通った俺は、通信制高校を経て、私立のFラン大に自己推薦で入った。
今も、毎週日曜の朝八時半にテレビの前に座ることは続けている。
地デジになって、10チャンが5チャンになっても、プリキュアを、プリキュアになりたいという気持ちはずっと持ち続けている。でも、ひどいコスプレはやめた。
HUGプリは面白い。間違いなく。
若宮アンリというキャラクターの登場はプリキュアシリーズの中でもエポックメイキングだろうし、俺は彼の登場を好意的に受け止めている。
契機は19話だ。
池の平ホテルの「男の子は仮面ライダー、女の子はプリキュア」というCMが放送後に炎上したのも記憶に新しいが……
その回に登場する、恐らくは抑圧を象徴するキャラクターとして形作られたであろう、愛崎えみるの兄、愛崎正人に対して妙な親近感を感じたのだ。
らしさ、というのは重要だ。俺はいくら類人猿の顔をしているとはいえ、ブサイクを見るとブサイクに感じてしまうし、類人猿顔は類人猿顔だし、オタク顔はオタク顔に見える。女は女だし、男は男だ。
人は生まれ持った「らしさ」で生きればいいし、「らしさ」の枠を飛び越せるのは、若宮アンリのような才溢れる美青年くらいのものだ。
そうだな、君にとってはムダかもしれないけどな、俺は人生の大部分をムダにして、らしさに従うのも「賢いやり方」だというしょっぱい教訓を得たさ。
僕は僕の心を大切にする、君は君の心を愛せ?
分かったよ!若宮アンリくん、頑張ってくれ!君は若宮アンリだ!
俺は俺の類人猿らしさで頑張るよ!
彼の振る舞いにはそれに裏打ちされるだけの才能と、美貌と、それに裏打ちされた芯の強さがある。
翻って、俺はどうだ。
プリキュアになることをやめ、のうのうと生きている。悪いくせみたいにダラダラとプリキュアを見続けている。
ひどい人生だ。
俺は若宮アンリと、彼に感化された「少数者を自認する人々」が、正直よくわからない。
そして昨日の42話だ。
増田のプリキュアフリーク達は、「キュアゴリラ」というプリキュア戦士を覚えているだろうか。
お笑いコンビFUJIWARAが出演した、スマイルプリキュア!17話以来、俺は原西孝幸さんが好きになって、彼がプリキュアについて語る番組は殆ど見た。
「あれ、大きなお友達ってさ、ご法度の裏街道を歩く渡世、天下の嫌われものなんじゃないの?」
そうだ。俺はゲーセンでコソコソと女児のなす列に並び、プリパラのED差し替えでニチャニチャ笑い、ネットで陰湿に笑いを共有しようとする徒である。まとめサイトのコメント欄とかでね。
原西さんは娘さんの影響でプリキュアにハマった、ということらしいが、低身長低学歴低収入の類人猿が、家庭を作るなんて逆立ちしたって無理だ。
彼は大きなお友達であることを隠しもせず、プリキュアを芸に取り入れて人々を笑わせている。
そうか、俺は類人猿なのにキュアゴリラにもなれないのか、という落胆と、自分に対する失望だけが残った。
そのキュアゴリラが、若宮アンリがプリキュアへと変身するシーンで現れたのだ。
男の子でもプリキュアになれる、というより、結局若宮アンリがキュアアンフィニに足るものを持っていた、原西さんがキュアゴリラに足るだけの何かを持っていた、というだけじゃないのか?
ステレオタイプに従って生きるというのは、そんなに悪いことなのか?
プリキュアシリーズに共通するテーマである、個性と志向を互いに認め合い、共生していくという取り組みは素晴らしいことだ
しかし、これといった特別な自認も、指向も、笑いの才能も、フィギュアスケートの才能もない、マジョリティの最低層にいる一介の大きなお友達が俺だ。
俺はどうやったらプリキュアになれるんだ?
誰か教えてくれ。
今年もあんこう祭に行きました。
楽しみだった訳でもなく、行って楽しんで来た訳でもなく。
むしろなんで俺はここにいるんだろうと思った始末。
俺が脅迫観念めいた動機であんこう祭に行くようになってからどれくらい経ったのだろう。
とにかく最近は、「行かないと後悔する」という動機であんこう祭に参加している。
時を遡って2012年か2013年。俺は当時大洗から車で20~30分の場所に住み仕事をしていた。
なりたかった職業に近いかもしれないけど、厳密にいうと全然違う、というか下っ端というか、そんな仕事をつまんねーと思いながら安い給料でこなしていた。
俺はこのままでいいのかと思っていた矢先、ガルパンのことを風の便りで知った。
そして後輩に居酒屋で「金の匂いを感じさせないからいいんだよ」とか「街の人も一体になってやってるから盛り上がんてるんだよ」とか「現実を作中に持って行って、作中のものを現実に引っ張り上げてる融和感がいいんだよ」とか、自分の目で見た訳でもないのにドヤ顔で大洗の人たちがやってることがオタに受けてる理由を雄弁に語ったもんだ。うんこ
で、ある週末、ガルパンを一気見した。土曜日のことだったと思う。
次の日には大洗へ車を走らせていた。
俺は殺されたね。ドヤ顔で語っていたことを見事に撃ち抜かれたリアル。
つまり、大洗でガルパンがどんな展開をしているのかを自分の目で見て体験して、ネットの情報だけで後輩にドヤ顔であれこれ語ってた俺の無様さをまざまざと見せつけられた。そんな衝撃。
そもそもガルパン面白かったんじゃ。だからこそ次の日には車を走らせていたわけで、お話そものものが面白かったんやな。そんで大洗行ったら劇中の街並みそのままだし、グッズもなんか本当に大洗女子学園や学園艦がこの世にあって西住みほや他のキャラクターがこの世に存在しているようで……そんな印象を覚える硬派な(?)アイテムがズラリよ。
そんで俺は思ったんだよ
こんな近くの町の人々がこんなに面白いことをしているのに一方俺はネットで得た知識でもって何かを知った気になって一歩引いた目線で傍観者になった気でドヤ顔で何かを語ってさ
俺は何も分かってなかったし、一歩踏み出せてないだけなのに傍観者気取りでドヤ顔でいたってのがもう無様で無様で
こんなすぐ行ける町でこんなことをやっているのに一方俺は何をしているんだ?
俺はこのままでいいのか?
と思い悩み脳みそがいい感じになった俺は転職のために仕事をやめ地元に戻った。
その後地元での転職活動に失敗し、なんだかんだで家を飛び出し(失踪)、見知らぬ土地でコンビニバイト1年くらいした後、都内に引っ越して名前だけは夢だった職業に就くことができた。
その間もどれだけ金がなくても欠かさなかったのはあんこう祭への参加である。
「ガルパン」っていうのはそれだけ俺にとってエポックメイキングなコンテンツだったのである。
しかし、最初のうちは夢への指標であり、希望であり、自分を変えるきっかけとなったガルパンだったが、今はというと実のところ「呪い」に変質しているのではないかと感じるようになったのが冒頭に繋がる。
つまり今ではあんこう祭に対して義務感や強迫観念めいたものしか感じなくなってしまっているのである。
別に大洗やあんこう祭さんサイドは俺に義務を課してるわけでも脅迫してるわけでもないのは改めて明らかにしておくとして、
俺の中でガルパンが神格化されてしまったが故に、自身の環境やイベントの規模の変化によって気持ちが離れてしまっても参加せずにはいられないのである。
また、近年のファン層の変質(顕在化?)もそれに拍車をかける事態となっている
どういうことかというと、
やれ聞こえてくるんだよ
町営駐車場で酒盛りして大騒ぎしてるとか、公式に認可されてないグッズはダメよとアナウンスされているのにそういうのを作っている連中とか、駐車場を痛車展示場にしてるとか、そういうキナ臭いあれこれが。
確かに、参加人数は年々増加の一途を辿ってるし、劇場版を皮切りにかなり人も増えて層も様変わりしたように感じる。(めんどくせえツッコミを恐れず表現するなら「ゴロ」っぽーい感じ)
特に感じるのがコスプレイヤーの存在で、ガルパン放映直後かその次のあんこう祭は確かにコスプレイヤー、いるっちゃいるなって印象だったんだけど、その翌年にはレフ板持ったカメコ引き連れてたりするコスプレイヤーがいたりして、いやいや、ここはあくまで町のお祭りであってアニメイベントではないんだよってスゲー思ってっつうか正直ドン引きして、なんかその頃から毎年毎年「なんか違う」感が蓄積されて来たというか住み分け感が崩壊してしっちゃかめっちゃかになってるっていうか
そんな感じで毎年毎年覚える違和感やキナ臭い話なんかも耳に入ったりでどうなんだろうなーと思いながらもやっぱり参加しないことでの後悔が恐ろしくて結局今年も朝早起きして大洗に向かってしまった俺の話。
呪いだよな
呪いだよこれ
取り巻くアレコレに疲れちゃったのかも。
今度時間があるときはイベントでもなんでもない日にふらっと行って自分のペースであれこれ買い物したいなって思った。海とかボケっと見てさ
おわり
追記:
まとまってなかったのでいくつか
1.自分の中でガルパンが絶対的なものになってしまっているので離れたくなっても離れられないという話
一部のファンやガルパン・大洗そのものが呪いを掛けてきてるとかそういう話ではないです
2.後半の部分に関して杉山Pが言いたいことを分かりやすく言ってくれました。
ガルパンファンは町やそのお祭りに受け入れてもらっている立場だというのを忘れてはいけないと思いましたまる
修正:
ここで語る萌え絵は00年ごろに完成したエロゲの表現様式としての絵柄を指す。なぜならそれが初めて萌え絵と呼ばれた絵柄であったという歴史があるからだ。
現代の感覚で萌え絵の範疇を広げた挙句その源流を少女漫画やらミュシャやらに求め出すアホはすっこんでろ。
さて、現在萌え絵と呼ばれている絵柄は幅広いが、元々萌え絵とは00年頃に絵柄が完成したエロゲ絵のみを指していた。
萌え絵は少女的無垢性を表現したものという言説もあるが、そんな綺麗事は萌え絵が一般のアニメ絵マンガ絵に多大な影響を与えて却って薄まってしまった現代だからこそ言える戯言であり、元は少女が脱いで媚態を晒すシチュエーションとセットであったことを忘れてはならない。
しかしながら完成した萌え絵がエロとセットであった期間は非常に短い。多分10年もない期間のことだろう。具体的には、Windows98の発売によりPC向けのエロゲーで表現できる絵が豊かになった98年頃からCLANNADが発売した04年までだ。
萌え絵の完成というのは当時のオタク界にとってはエポックメイキングであった。
ここで当時の萌え絵の特徴について整理したい。
まず、よく挙がるのが非常に大きな目の表現である。これが萌え絵の大きな特徴であることは間違いない。ただ、ここだけを以って萌え絵の源流は少女漫画だと語る人も多いがそれは間違いだ。萌え絵と少女漫画には大きな隔たりがある。それを作っているもう一つのキーワードが立体感である。
萌え絵には大きな目の他にもう一つ、丸っこく柔らかい影をつけて体の立体を表現しているという特徴がある。その表現は平面的な水彩塗りを主とする少女漫画には存在しないものだ。そしてその表現は、女性の裸体を質感をもって表現するという必要性と、当時のCG塗りに使われていたPhotoshopのエアブラシというツールの二つが合わさって発明された。
立体感を持つ体に大きな目が合わさって初めて萌え絵となったのだ。
この萌え絵という表現様式は控えめに言っても非常に優れていた。可愛いとエロいを初めて両立させた絵柄だったからだ。
それまでのエロ絵と言ったら劇画調のものが主だった。一方で可愛い絵と言ったら少女漫画か吾妻ひでおあたりで、これらにエロティシズムを感じるのは当時のオタクの定義でロリコンと呼ばれたオタクの中でもさらに一握りの人々だけだった。つまり、このころはまだ可愛いとエロいは両立していなかったのだ。
それを両立させた萌え絵がエロゲーというジャンルから現れたのは必然であった。
そして萌え絵がエロとセットになっていた時代を終わらせたのは、エロゲー界に流行った泣きゲーというジャンルの物語だ。
泣きゲーというジャンルのエロゲーは、Key、Leafといったエロゲーメーカーが得意とするものだった。いわゆる葉鍵系である。これらのメーカーが出すエロゲーはエロゲーでありながらエロはおまけ的であり、その価値は泣かせる物語にあった。
この泣かせる物語は正直エロとは相性が悪かった。だが、萌え絵にはそれらの物語ともマッチする懐の深さがあった。萌え絵はエロのみに価値があるわけではなかったのである。
これらの物語と萌え絵のマッチは、元はエロゲーの絵柄として発生した萌え絵からエロを剥がすことに成功した。
そしてそれから萌え絵はエロゲーを表現する絵柄であったというコンテキストから解放され、アニメ絵、マンガ絵に多大な影響を与えていくのである。その過程で萌え絵自身もどんどん進化していき、今となってはエロティシズムとは無縁の絵柄に到達したものもある。
一方で、エロゲーの絵柄としての萌え絵も残り続けた。可愛いとエロいを両立させ続けている絵柄だ。
さて、ここで萌え絵を性的なものだと言って批判する人々が連想している萌え絵とはなんなのか考えてみよう。
今のオタクが萌え絵と言って連想するのはエロのコンテキストから引き剥がされた現代の萌え絵だ。
だが、萌え絵を性的だと殊更に槍玉にあげる人々が連想しているのはエロのコンテキストにべったり沿った、いわゆる原義通りの萌え絵だろう。それらは主流派ではなくなったが今でもまだ存在している。
これでは両者の話が噛み合わないのは当然である。
さらに萌え絵を性的だと批判する人々がなぜ萌え絵を特別視するのか考えると、そこには萌え絵が実現した可愛いとエロの両立が非常にショッキングなものであることが大きな要素になっているだろう。
萌え絵以前はエロといえば劇画であり大人の世界のものであった。一方で可愛いといえば少女漫画であり、子供、特に女の子のためのものであった。しかし萌え絵は可愛いの世界にエロを持ち込んだのだ。
これが子供を守る親の視点から見て、ショッキングでないはずがない。
だから私自身は萌え絵が好きなオタクであるが、個人的には萌え絵を批判する非オタクの大人の批判も宜なるかなと思っている。
そして、萌え絵といえばエロゲー用の絵柄であったという歴史に目をつぶり、萌え絵はエロくないと言い張って萌え絵批判を批判するオタクには幾らかの憤りを感じる。
重要なところを復習する。
まず、初めて萌え絵と呼ばれた絵柄はエロゲー用に完成された可愛いとエロを両立する絵柄であること。
それは一般的に見て非常にショッキングな絵であり、それを受け継いだエロい萌え絵が今も存在していること。
これらを今のオタクは忘れてしまったのだろうか?少なくとも今のアラフォー以上で20年くらい前からオタクをやっていたような人は覚えているべき歴史ではないのか?
これらの歴史をまるでなかったかのように扱い、萌え絵はエロいという人を一方的に非難するのは非常に不誠実ではないだろうか?
今萌え絵と呼ばれている絵柄は非常に豊饒で、エロとは無関係のものが主流だ。それは確かな事実である。
一方で萌え絵はエロゲ絵から始まり、今もそれを引き継いだエロい萌え絵が存在するのも事実である。
普通に考えて、萌え絵を性的なものだと批判する人々が連想しているのは後者だ。前者に引きずられて後者を連想している場合もあるか。
その期間ってかアニメって基本的にエポックメイキング同士の間ってあまり語られんよ。ヤマトとガンダムの間とか、ガンダムと攻殻機動隊の間とか、攻殻機動隊とエヴァの間とか。で、エヴァの次にエポックを作ったのがハルヒだったってこと。
んで、エヴァ(95)とハルヒ(06)の間に何があったかっていうと色々あって、
とか。
個人的に思い入れが深いのが少女革命ウテナ、カウボーイビバップ、スクライド、カレイドスター。
少女革命ウテナは男装少女が奇妙な学園で戦う話なんだけど、人の心の暗いところをぐりぐりえぐる話。今でも熱狂的なファンがいる。
カウボーイビバップは太陽系を舞台にしたSF×マフィアもの。良質な洋画みたいで話も絵も超ハイクオリティ。
スクライドはなんていうか考えるより感じろ的な熱血アニメ。とにかく見てみろ。
カレイドスターは土曜日朝の女児向けアニメなんだけど、そのまっすぐさが眩しいスポ根話。
ハルヒ以前に何もなかったと思うってことは相当若いんだろうけど、エヴァ以前も相当面白いアニメが山盛りなので、ぜひ色々観てみてほしい。