はてなキーワード: 諸悪の根源とは
無理だというのはわかる。わかるけども〜というほぼ愚痴なので許して。
この苦しみはおっさんずらぶ、プロメア、ツイステで味わってる。
OLの時はほぼTLのみんなが見ていてそこかしこからツイートやらリツイートやらが回ってくるため、牧春、春牧、牧春牧、春牧春、おっさんズラブ、OLをミュートワードに設定した。それでもmkhr表記などは回ってくる。リツイートをオフにしようともいいねしましたで回ってくる。正直このシステムが諸悪の根源だろ。
本人をミュートはできない。みんなはなにもおっさんずらぶにジャンル移動したわけではないので、普通の自ジャンルツイもする。それは読みたい。
ごめん。
プロメアは酷かった。ガロリオ、リオガロみんな言ってた。プロメア見てないので、いつか見ようと思うかもしれない日のためにどんな話かは読みたくない。ミュートする。リツイートもオフにする。
流れてくる。なぜ。
🔥🚒 (二次創作の絵)
は?
あとプ…とかで濁すやつ。ゆるせねえ…ゆるせねえよ…。
結果、アカウント名に🔥がつく人は見つけ次第ブロックしていった。
この間、下火になったしもう流れてくることもないだろうと解除していったら、50人ぐらいいた。
ごめん。
ツイステは絶賛今苦しんでるんだけど、絵文字が…絵文字が違うのよ…人によって…大体固定されてるやつはいいんだけど…なんかパターンあるやつ斜め上なやつ普通に文字表記……
頼む。
あと推しがかわいくて理性なくしてるのはわかるんだけど、ひらがなで崩すやつもつらい。
普通のツイートならまぁいいんですけど作品を載せるときは…できれば…ね…
消えるというか、アーケードの超難度を前提にした電子音楽みたいな一部のトラックは音楽ジャンル的な流行り廃りがあるかもしれん。だが音楽は人類がずっと親しんできた普遍的な娯楽であり、感情を揺さぶるものであり、それをアクションと結びつけて体感的な遊戯へと昇華させるという設計は不朽と言っていいだろう。つまり音楽という長い文化とビデオゲームという文化が結びついたが最後、ビデオゲーム文化自体が消滅しない限りはもっともしぶとく残るゲームジャンルの一つが音ゲーであると推測できる。将来ゲームシステムの変遷はあるだろうが、音楽つまり音やリズムに主眼を置いた遊戯である時点で非常に強力な普遍性を帯びているように思えてならない。
そして機械的に完全なプレイができることは、人間がプレイしたときの楽しさとは関係がない。音ゲーの楽しさは、完璧にプレイする機械の存在により毀損される類のものではない。逆に言えば、マクロによる自動操作プログラムを作る技量がある者でも、(ソシャゲ風の周回プレイを強いられる音ゲーでない限り)自動操作しようとは思わないし、他者も自動操作を羨んだりはしないわけだ。自分で操作すること自体に楽しみの本質があるから。
音ゲーの楽しさはいくつかの要因によって成る。無意識的に行われるパターン認識、周辺視やリズム感によってあたりをつけてて「こう弾けばいいだろう」と推測したパターンがぴったり合った時の快感(初見時に多い)。脳の処理に運指が追いつくようになり、難所を抜けられるようになった時の、いわゆる「逆上がりできた」のようなスポーツ的達成感。繰り返しプレイすることで「身体が覚える」感覚と、それに伴って精度が向上しスコアに反映されていく喜び、それがフルコンボやオールパーフェクト等のトロフィーとして残る快感。そして最終的には、最初から最後まで失敗にめげず、あるいはノーミスで来ていることに怯まずにプレイしきる精神鍛錬の要素が入ってくる。
そういった上達の過程を楽しむことが音ゲーの遊びとしての本質なのだ。その性質上、下手な人の方が得られる快感の総量が大きく、ある程度音ゲー全般で通用するスキルを得てしまった人に対しては高難度にしていくしか快感領域の伸び代を確保する術がない。そうなると、ノーツを詰め込めるタイプの楽曲は似た傾向になりがちだというのは確かにあり、問題視するのも分からなくないが、あくまでゲームなので、楽しいと思える範囲まで遊べばいいだけだと個人的には思う。それ以外に一点憂慮するとすれば、音ゲーというのは前述のように非常にパラレルで複合的なリアルタイム認知を数分間に渡り集中的に必要とするため、脳にそれを苦手とする性質がある人にとっては非常に取り組みにくくて楽しさを感じる領域に至りづらい問題があるかもしれない。音ゲーは数あるゲームジャンルの中でもスポーツ寄りだ。競争要素が乏しいのでe-スポーツ分野には入らないだろうが、運動神経を含めた感覚的な操作が求められる点で、人を選ぶ部分があり、特定タイトルの人気や流行にあてられて致命的に向いてない人がプレイをし続けることになると怨嗟を生みかねない部分もあるかもしれない。とはいえ、どのゲームジャンルにおいても向き不向きはあるもので、ゲーム自体の問題というよりは個人の取捨選択スキルの問題だろう。
もう一つ、音ゲーと同じような特徴をもつゲームジャンルがある。それはレースゲームだ。他プレイヤーやNPCの車による物理干渉という不確定要素を排するならば、レースゲームというのは非常に音ゲーに似た「機械的に最善がトレース可能な遊戯」だ。最適なライン取り、アクセルワークというのは厳に存在する。リアルなゲームだと路面状況の変化やタイヤの摩耗などの要因もあるとはいえ、最速のAIは容易に作れてしまう。音ゲーと違う部分は、常に一定でプレイ結果と無干渉に進行していく譜面に対して、レースはコース自体は不変ながらも進入時のブレーキング地点・進入角・速度の僅かなズレが後々のライン補正すなわちリカバリー操作に大きな差異を生む点だ。ただし、それらを寸分違わず毎回再現できるならばプレイ結果は同じになる。
そうした差異はあるとは言え、大雑把に言えば音ゲー同様にパターン認識によってあたりをつけてプレイし、反復してプレイすることで腕を上達させていく、試行錯誤の過程の快感に主眼を置いたゲームジャンルであることに違いはない。とはいえこれはタイムアタックのような早く走ることを目的としたゲームモードの話であって、カジュアルなレースにはカーチェイスなどの多様なゲームモードがある。その点は音ゲーより多様性に富んでいる。しかしそれは選択肢が増えてるというだけで、純粋に進化と捉えていいだろう。音ゲーが将来多様なゲームモードを開拓していった場合も、それはゲームジャンルにとって良いことだと思われる。
ところで、薄々感じてはいたが、元増田は本当は音ゲーに対して悲観的なのではなく、単純に、音ゲープレイヤーに嫌悪感を持っているだけではないのか。自分以外の音ゲープレイヤーに軽薄さを感じており、あるいは恨みを持つに至る出来事があったのかもしれないが、ともかく自分が人を嫌悪していることを自覚したくなくてゲーム自体に諸悪の根源を求めようとしているのではないか。イキったプレイヤーを見て「それが何になるんだ?」とマウントを取れる要素を列挙して拗ねているように見えるのは自分だけだろうか。
自分は、モノ自体に善悪はないという信念に近い価値観を持っている。誤るのは常に人間のほうであり、モノが過ちを誘導しているように見えたとしても、人間はモノに惑わされない知性を備えているべきで、備えていると考えてモノは作られ、使われるべきだと考える。さもないと、人間はどんどん白痴になっていき、モノに操られるモノ以下の存在に貶められるだろう。モノが特定の性質の人間を集めていると感じ、それを良しとしないのなら、自分が好む性質に改変したモノを作る側になるしかない。この増田に対して適用するなら、増田の思う軽薄でない音ゲーを作れるのは増田だけだと思うのだ。安易にジャンルそのものを悲観して多様であるはずのプレイヤーをまるごと切り捨てんとする夢想に耽るよりは、よっぽど現実的で建設的な考え方だと思うのだが。
ICチップ読み込む機械全然どこにも無いんですけど。例えばそのへんの街の喫茶店で財布忘れたので質草にマイナンバーカード出すじゃん。100%ICチップの中身読み取らないよ
てかICチップ読み取られたらめっちゃ危険だし、質草に使えない。不便
これは割と多くの人がこの認識だと思う。
漏れても大丈夫という言説も見かけないし、じゃあなんで番号マスクするシートがデフォルトで付いてるの?あれ意味無いのに付いてるの?
本当に漏れても大丈夫なの?さすがにそれは嘘だよな。漏れたらヤバいです。自分にはなぜヤバいのか説明できないけど。
漏れても大丈夫っていうまともな理由を説明一切見かけないので、漏れたらヤバい論は結構真実味ある。
後半のマスクに対する言説を見るに、君の意見としては漏れても問題ないっていうことなんだろうけど、にわかに信じがたい。
(追記:数字をコピーすると目的外利用で違法だからか…何じゃそりゃ…)
えー分けてる意味無いじゃん。なんで分けたの?混乱させて無駄な仕事を増やすため?意味無いことには変わらないし、これは反論になってない。
全体としてはあきらかに給付遅かったことに対して、極端な一部の例を持ち出すのは反論になってない。
負けられなくなった戦はたくさんある
だからマイナンバーのトンチンカンな政策にお金と時間と労力じゃぶじゃぶそそぎこみましょー。ってのは賛成できない。
ヤバい部分多いので見直せるところは見直すべき.
「持ってると便利」と行政は宣伝するけど、余計な手続きが増えているってことを言いたいのでは
デメリットとしては弱いな
昔々、それはもうあきれかえるくらい昔。重箱の隅をつつくようなこの世界の片隅に、
仙人のごとく白髪白鬚を腰にまで下ろした枯草のような顔のおじいさんと、
齢千年に及ぶ木の皮の表面のようにしわくちゃな顔のおばあさんが住んでいました。
おじいさんは大気圏を超えるほどそびえ立つ山へ芝狩りに、
おばあさんは大河のように広い川へ、一億二千枚の服の洗濯に行きました。
おばあさんが川で怒涛のように洗濯をしていると、
ドドドドドドドドドドドドドンブラコ、
ドドドドドドドドドドドドドンブラコと、
大河の両岸を削りながら超巨大な桃が流れてきました。
婆「おお、こいつは重畳(ちょうじょう)!!じいさんへのみやげにしてくれるわ!」
おばあさんは超巨大な桃によってできた洪水を乗り越え、その桃を片手でつまみあげると一飛びで家へと持ち帰りました。
そして、おじいさんとおばあさんが桃を食べようと、対城用超超巨大白銀刃(しろがねやいば)で舞空術(ぶくうじゅつ)からの天地開闢(かいびゃく)切りで桃をたたっ切ると、
なんと中から家の屋根をぶち破るほどクソデカい男の子が飛び出してきました。
爺「でかぁあああい!説明ド不要!こいつは神様からの超贈り物ぉ!」
子どものいなかったおじいさんとおばあさんは三日三晩踊り狂うほど大喜びし、二人は男の子をクソデカ桃太郎と名付けました。
クソデカ桃太郎は笑っちゃうほどスクスク育って、クソ強い男の子になりました。
桃「このちっぽけな銀河の端くれでクソ鬼どもが悪さをしているらしい。俺は惑星鬼ヶ島へ行って、悪鬼羅刹(あっきらせつ)を退治してくる」
おばあさんは天界で仕入れた黍(きび)を使い、地表の三分の二を覆い尽くすレベルの黍団子を作って渡すと、クソデカ桃太郎は、その九割を一口で食べると思い切り跳躍して宇宙へと飛んでいきました。
アステロイドベルトにまで到着すると、月くらい大きい犬に出会いました。
桃「クソ鬼ヶ島へ、クソ鬼退治に」
犬「それでは、お腰に着けた黍団子!一つと言わず全部くれ!お伴してやろう!」
桃「貴様には一つだけで十分だ!」
犬は隕石大のきび団子を口に突っ込められ、桃太郎のおともになりました。
そして、アンドロメダ銀河を飛び越えると今度は木星くらいあるサルに出会いました。
桃「クソ鬼ヶ島へ、クソ鬼退治に」
猿「それでは、お腰に付けたきび団子!1つと言わずお前ごと食らってやろう!」
桃「貴様にはその辺の星で十分だ!」
サルは近くの星を口に突っ込められ、桃太郎のおともになりました。
そして、別の宇宙にまで到達すると今度は銀河系どころの大きさじゃないキジに出会いました。
桃「クソ鬼ヶ島へ、クソ鬼退治に」
雉「それでは、お腰に付けたきび団子!1つと言わずこの世の全てを食らい尽くす!」
キジは無数にある宇宙の1つを口に突っ込められ、桃太郎のおともになりました。
こうして、イヌ、サル、キジの仲間を手に入れたクソデカ桃太郎は、ついに一片の光もない虚無の底、全宇宙の始まりの場所である「無」に存在するクソ鬼ヶ島へやってきました。
鬼「察する通りだ。我らは全生命体の魂に潜む『悪』『欲望』『怨念』を司る鬼である」
闇に巣食うは一兆一京(いっけい)を超えた無量大数の鬼。蛇蝎魔喝(だかつまかつ)にして、永劫不変(えいごうふへん)の、人の原罪!
鬼「我らは人の数ほど存在し、ありとあらゆる欲求の渇望、競争を生む概念そのもの!」
鬼「我らを滅するは全宇宙を腑抜けにすること。繁殖欲求すら失うならば人の滅亡!それでいいのかクソデカ桃太郎!」
猿「ば、ばかなぁあああああ」
雉「鬼は人。人は鬼。それもまた一つの側面ということか」
三匹の視線がクソデカ桃太郎に集まる。彼は今の一瞬で三千世界の悟りを開いた。
桃「ふはははははははははあ!」
彼が手を叩くと、その衝撃が宇宙を超え、銀河を超え、ある惑星の、大河に佇む老婆の横に咲く、無数の花を揺らした。
桃「俺はこのために生まれたのかもしれん」
鬼「何?」
桃「かかれええええええ!」
クソデカ桃太郎と三匹は無限の鬼の大群に突っ込んでいきました。それはどれだけ時間をかけても終わらない戦いでした。無の外では、宇宙の滅亡と誕生を繰り返す輪廻(りんね)の輪が広がっています。生命が一つでも宇宙にある限り、鬼は滅ぶことはない――彼らはいつしか互いに相反(あいはん)する概念として溶け込んでいきました。
やがて混沌とした無の中で一つの芽が生まれ、宙(そら)に向かって落ちていきます。原初の海から数万億光年先へと飛び立つと大きな爆発を起こして新しい世界が始まりました。
岩が星となり、その地に生命が生じ、絶滅と進化を繰り返していきます。知恵ある生物が文明を興し、それもまた滅亡と勃興(ぼっこう)を数えきれないほど繰り返していきました。
子「ももたろさん、ももたろさん、おこしにつけたきびだんご、ひとつわたしにくださいな」
そんな他愛のない昔話を読む姿を両親は優し気に微笑むのでした。
そう――彼らは今、かけがえのない善性となって全ての人間の心の中にいるのです。
完
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63336240S0A900C2MM8000/
公取にどれだけの強制力があるかはわかんないですけど、これ、どうにもなんないんじゃないかなあ。どうにかなるとしたら、公取とやらの決定に尋常じゃない強制力があって、抜け穴の発生しない法整備がなされた場合だけだと思う。個人的には過当競争が諸悪の根源だと思ってて、ここですよね。これ距離要件とかじゃぜんぜんだめで、売上とか利益の保証で束縛しないと絶対にどうにもならないと思う。田舎のロードサイドなんかだと、5キロ離れてても影響出ますし。
時短もそう。競合が24時間の状況で時短やったら、確実に潰されるから。全国一律で一斉に時短にする、つまり法律で営業時間縛らない限り無理っすわ。
そもそも、もうフランチャイズって制度疲弊ですよ。右肩上がりの状況でないと成立しないもの。人口が減る局面では、あれもう無理。しかも三大チェーンの図体がでかくなりすぎた。個人的には、この先に来る省力化とか考えても、直営主義でないと厳しいと思ってるんですけど、こんだけ図体のでかいもの、小指動かしただけで甚大な影響出るじゃないですか。
つーか、功罪はさておくとしても、某鈴木元会長が有能すぎましたわ。いまのコンビニの状況、ほとんどあの人ひとりでこしらえたようなもんでしょ。
最近は色々なところで色々なものが燃えているがとうとう自村も燃やされた。
・これまでのあらすじ
発端はとある絵師が男児型ラブドールを購入し、そのレポ漫画をpixivにアップしたことらしい。
私はその漫画を読んでいないし、リアルタイムで事態を追っていたわけではないので、漫画の内容や作者本人の発言等についての言及はしないが、ようはリアルなショタコンの実態が描かれた漫画が非ショタコンの目に触れてヤバイキモい性犯罪者やんけ!!!と批判されてしまったというのが大筋のようだ。
まず本題に入る前に、ペドフィリアという性癖がペドフィリア以外の人にとっては気持ち悪く、危険なもののように感じられるということについて、私は反論するつもりはない。
小児性愛は倫理的に大きな問題を抱えた性的嗜好(指向)であり、性的マイノリティのLGBTQと比べても、受け入れられ難い。
また、児童への性的行為は明確に犯罪であり、その被害者が実在する以上、けして公にできない趣味である。
当事者は自分の性癖に関して慎重に振る舞う責任があると思うし、理解のない人たちがペドフィリアに対して身構えてしまうのも仕方のないことだ。
そのうえで、今回の漫画の内容、公開手段には問題がなかったと主張したい。
ここでは、争点の一つとなったであろう「インターネットの公共性」について考えてみようと思う。
これ、本当か?
・「公共性」とは
「公共性」、最近一部界隈でよく見かけるようになった言葉だ。インターネット激アツエクストリームスポーツであるところのツイフェミvsアンチフェミ闘争では毎秒この言葉が使用され、醜い表現物を公共の場に持ってくる持ってこないの論争が日々行われている。
これまでツイフェミ陣が燃やしてきたものは、主に自治体や献血等のコラボポスターだったりテレビCMだったりした。
フェミ陣営の批判の根拠は多岐に渡るが、その中の一つが「公共の場に相応しくない表現である」というものだ。
ポスター、広告、政府のHP、そのどれもが(一応は)不特定多数に向けて無差別に公開されているものであり、しかるべき場所に行けばいやでも目に入ってくるため、それが苦手な人たちにとってハラスメントになりうるというのがだいたいの主旨である。
この話題に深く突っ込むことはしないが、これらの炎上と今回の炎上が決定的に異なる点があるとするなら「公共性」、この点だと思う。
過去、インターネットとは便所の落書きであった。汚い言葉の廃棄場であり、そこには現実とは異なる独自のルールが存在した。
インターネットにおいては、基本的に「嫌なら見ない」がマナーだった。そもそも歩いていれば目に入ってくるような看板広告などとは違い、インターネット上のコンテンツは基本的に検索しなければ出てこない。
「全世界どこからでもアクセスできるから」「誰でも見られるから」
だから発信するな、やるにしてももっと隠れてやれ、そんな意見をたくさん見た。
でも、本当にこれが規制の根拠になり得るのだろうか。誰でも見ることができる、ということは、誰の前にも無差別に出てくる可能性がある、ということではない。
インターネットの仕組みは見たい人が見れるというものであって、見たくない人に無理やり見せつけるようなものではない。
今回の漫画に関して言えば、これはpixivにアップされたようだ(もちろんR18タグや注意書きありで)。あとTwitterで告知もしたかもしれない。
この時点で、件の漫画が目に入るのは「pixivで作者をフォローしている人」「似たような絵をいいねしていてオススメ欄に表示された人」「Twitterのフォロワー」そして「RTでそれを目にした人」たったそれだけだ。作者には3万人フォロワーがいたらしいが、絵師のフォロワーは大多数が作品のファンであると考えられるので、数の多さは重要ではない。
この中のうち、一つの集団を除いては、誰もあの漫画を問題とは思わないだろう。好きで見ているのだから。
この点から、問題の本質はインターネット上で公開したことではない、ということがわかってくる。好きで見るなら問題はない。
彼らはどうだろう。もちろんショタラブドールレポ漫画を堂々とRTするような人をフォローしている人は、似たような変態だろうと考えるのが自然ではある。
でも万が一、そうでない人がいたら。見たくもない特殊性癖のディープな漫画を見つけてしまい、さぞ不愉快な気持ちになってしまうことだろう。
つまり、問題の核心は「公開をある程度限定しているにもかかわらず、見たくない人の前にその情報が流れた」というところにある。
なぜショタコンでもない人にショタラブドールレポ漫画がシェアされてしまったのか?
これはTwitterの仕様であるリツイート機能が原因だと思う。
自分のフォロワーに向けて特定のツイートやウェブ情報を公開できる機能は、手軽に情報を共有できるという利点はあるが、相手に見たくないものを見せてしまう危険性を常にはらんでいる。
リツイートはたんに便利なだけの緑色のボタンではない。ある意味では、二次的な情報発信手段なのだ。だからリツイートする人は、その情報がフォロワーにどんな影響を及ぼすかを配慮する必要があると私は思う。
RT先で誰かが嫌な思いをした場合、そのツイート主本人よりも、むしろリツイートした人間にこそ責任が問われるべきなのではないだろうか。
そう、まさにこのリツイートという行為こそ、炎上を引き起こす諸悪の根源に他ならない。
想像してほしい。
インターネット教室の隅で、オタクがキモい絵を描いている。それ自体めちゃくちゃキモいし、周囲から白い目で見られてしまうのはもう仕方がないことだが、その中に猛然と突っ込んできて絵を引っ掴んで
「おい!!!!!!オタクがこんなキモい絵描いてる!!!!!!!」
と触れ回る奴がいたら、どうだろう。
オタクは自分たちのキモい絵をパンピに見られたくはないし、みんなもそんなもの見たくない。なのに、わざわざそれをオタク→一般人に拡散するやつ……
なんでそんなことするんですか。
放っといてくれればいいじゃないですか。
不快なものを見たとき、「ウワ!マジでキモい!!」と言いたくなる気持ちはわかる。だが幸にして、インターネットは情報を選択することができる。見たくないものはミュートできるし、気に入らないユーザーはブロックできる。
もしオタクのキモい絵をみて反射的にRTしてしまったら、フォロワー全体にそのキモい絵が拡散されてしまう。キモい絵をみた人たちは嫌な気分になり、その中からさらに絵を拡散する人が出てくる。
だが、最初にキモい絵を見たとき、「これキモいんだけど〜!」と言いたい気持ちをグッと抑えてRTの代わりにブロックボタンを押すことができたら。キモい絵はオタクたちの間でひっそり閲覧されるし、フォロワーはそんな絵のことなど知らずに可愛いねこの画像とかにいいねをする。
それは被害者の方であれ、まだ幼い子ども(といってもインターネットは使える程度の)であれ。嫌だなと思うものは見なくていいし、公開する側もそういう選択ができるように、キャプションやbioで注意書きをしている。
見たくないし、見られたくない。ペドフィリアと一般人の間の距離感はそんなふうに保たれてきたし、これからもそうあるべきだと思う。
結論。燃えるべき問題など最初からどこにもない。ショタコンの漫画はショタコンしか見ない。内容が多少、かなり、めちゃくちゃ過激だったとしても、見ない人には「関係ない」。
それなのに、
性犯罪の被害者や、子持ちの親御さんや、多感な時期の子供を不安にさせる、
そんな人たちこそ、1番の加害者なのではありませんか。
今、現在、性犯罪の被害者や子供たちを直接傷つけているのは、気持ち悪いペドフィリアたちではなく、あなたかもしれないのです。
・おわりに
これを書く前、あるツイートをみた。
「自分はショタコンだったが、子供が生まれて考えが変わった。ペドはいるだけで不安だから、規制してほしい」
なんだよそれ。子供産まれたら気が変わったからもうショタコンは消えてくれって?
ふざけやがってクソが。テメーみたいなのが一番迷惑なんだよ。そんな程度の気持ちでショタコンやってんじゃねー
以上です。
これが荒れに荒れている。
そりゃもうお気持ちブログやお気持ちフセッターの嵐である。大体が失望やがっかりの内容でおり、喜んでる人もいるっちゃあいるけどそれより強い言葉で失望を表してる人がTL観測上多い気がする。まあ強い言葉はよく目立つしね。
ここまで荒れに荒れたのかはなんでか適当に考えてみる。
ゲーム開始直後から休止期間なく楽しんでる審神者で、全年齢とR-18両方の二次創作もやってる。
ミュもステも全部じゃないけどほぼ見てる。推しキャラはミュとステそれぞれに分かれていて、推しを演じる俳優さんも両名応援してるけど腐の目では見てない。地方住みで仕事も休めないから見たい演目だけ土日に遠征する、そんな奴です。
まず、御笠ノ出るの聞いてない。
彼が諸悪の根源だった気がする。
藤田玲さんと唐橋さんの司会ならなんとかまだ持ったと思う。スタジオにお二人ともダブル三日月の黒羽さんと鈴木さん、それで十分だったし、もし出たとしても天の声的に時々小ネタ言うだけで十分すぎた。
いい意味でも悪い意味でも、御笠ノ氏は業界の人すぎて我々には理解できないし、昨今の世の中の流れとか絶対わからない人(わかろうとしない人)だと思う。
御笠ノ氏がグラビアアイドルの話出してきたときは「あー炎上」って思ったもん。それ系の話題は確実に叩かれるのに、それに気づけない当たりは空気読む読まない以前の問題だった。
トレンド入りは喜ばしくない時にも入るんだよ。あちゃーって感じだった。
大体「はじめましての人が多い」ってなんだよ。ステの方が出演者多いんだからはじめましてだらけに決まってんだろ。そういうのは事前に済ませといて。
そんなビジネスみたいにしてるかと思いきや、ソハヤと大典太の二人には地元トーク投げるし、年齢トークもガンガン振るしプライベートにも晴れちゃうし。
なんだろう、私はステの面接見せられてんのか?
本配信はなんとか見られたけど、再ライブ配信は途中で無理だった。消した。
元々、ロクな話はできないのはわかってた。
俳優だけで73人、配信時間でパン割したら、どう考えても一人当たり2分もない。
しかもzoomってのは直前に告知されてたから、何人かで寸劇やるとかは無理だろう。
それぐらいは事前情報で割り切ってた。
大体配信代1980円って破格だし、あの銭ゲバ……お金に厳しいネルケとマーベラスが許すはずがない値段なのは、本来無料で十分な内容なんだろうなってのは、これまで2.5を追ってたらわかる事だった。
だから、最初に書いたように、そこそこ満足してる自分もいるのだ。
一応zoomで推しは常に写ってたし、一応話は振られていた。ステの方の推しはふざけてたけどちゃんと適切なツッコミ入れられてたし、ミュの方の推しはちゃんとニコニコしてて受け答えも満足だった。
幻の台本の内容もチラチラ聞けてよかったし、オープニングとエンディングはとてもよい曲だったと思う。ミュによく関わる方が、ステ風味で作ってくれて、あの曲をお蔵入りさせなかったことは評価できる。
そして何より、スタジオの鈴木拡樹さんがちゃんと大演練を実現させる事を確約させた(御笠ノの存在価値は唯一ここだけだったと思う)のは生きる希望になった。
でも、配信が終わった後、
「ずっと楽しみにしてたの、こんなだったのか……」ってがっくりしちゃったんだよ。
確か、もっと見たいものはあったはず、なのに、それはただでさえ低い期待の、さらに数%しか見れなかったな、って思ってしまったんだ。
最初にも書いたけど、私の推しキャラはステとミュ、それぞれに分かれてる。
ゲーム内で関わりはあるけど、何故かこれまで派生では一切絡みは無かったのだ。
その二人が、やっと大演練で出会う。しかも、事前に出たインタビューやファン向けのイベントでも、お互い会えるのを楽しみにしてると言ってくれて、そりゃもう期待が高まらない訳がない。
おそらく組み分けされるだろうから、せめて同じ組に入ってほしい……と思ったのだが、その願いは打ち砕かれた。
いや多分、期待してた組み合わせを打ち砕かれた人、すごくすごく、多いと思う。
なんで刀種でわけるんだよ。
そこは、ミュとステのメンバーをシャッフルさせて、満遍なくトークさせるべきじゃない?
そもそも「太刀あるある」「打刀あるある」って、別に普段から太刀や打刀持ってるわけじゃないよ?
なんか無理やり縦割りにされた課外活動を見せられた感じで、そりゃ俳優さんもふざけるしかできないわなとがっかりした。
だいたいそんな話、数人やって終わるに決まってる。なら、もっとキャラクターについて語ってくれたら嬉しかったのに。
だいたい、あの組み合わせなんなんだろう。
「新入りさん」って、明らかに江だらけで江じゃない二振り浮いてたし、
それより、ここでしか見られないような兄弟の組み合わせが見たかった。虎徹三兄弟が揃うの、私はファンってほどじゃないのに、ものすごく期待してたもん。
一人は一つの組みのみ、その時だけって。たしかに画面が写ってる時間は平等だった。でも、少しぐらい組み合わせでダブっても、多分、あまり文句は出ないと思ったよ。
つまり、今回の不満点は
・我々からしたら知らん裏方のオッさんがでしゃばり
という事だろうな。
まあ、我々も期待を高めすぎていたのかもしれない。
19年年末に発表された大演練、その頃はまだ2.5次元舞台の予定がずらずらと決まってて、
この俳優さんは8月は◯◯の舞台があるし、その俳優さんは多分稽古期間で〜、って、誰が8月11日に出られそうか、必死で情報をすり合わせてたんだよね。
そして明けて2020年、歌合終わった頃からマスクが消え、豪華客船で新型ウイルスが蔓延し、日本でも感染者が増え、学校が休校し、ライブハウスクラスターが喧伝された。
あんなに予定が詰まりに詰まっていた2.5次元舞台も、中止、休止、延期の嵐。あまり舞台を見ない私でさえ、何枚も何枚も払い戻しした。
応援してる俳優さんが、やっと掴んだ主演舞台も、あっけなく中止になった。多分もう、プロジェクトごと消えると思う。
刀剣乱舞の2.5だってそうだ。パライソは数公演で中止。綺伝は科白劇に形を変えてマスクをしての公演。双騎と天狼は長々と注釈をつけてギリギリでの先行……。
4月から7月にかけて、エンタメが大変な中で、ミュもステも必死にもがいてるのが痛いほどわかる数ヶ月だった。
そんな中で、大演練は希望だった。
まず観客は無理だろうと思ってたけど、それまでにサザンやジャニーズがドーム規模での配信を成功させていた。だから、配信なら行けるだろう。実際、7月の頭にあったshowroomで「配信でやる」って聞いた時、ものすごく嬉しかった。
あの広いドームを無観客で使えば、ソーシャルディスタンスを守って演劇ができる。なら、配信でミュとステの交流が見られる!エンターテインメントの復活だ!!と。
……けど、結果ドームでの無観客ですらなくなり、代わりの配信が、ああだ。
配信してくれただけありがたい、それはわかる。
けど、それまでの期待感はすこーんと抜けてしまって、何を見せられてんだろうという虚無感ばかりがどうしても目立ってしまう。
しつこく手洗い消毒して、検温して、死ぬほど気を遣いながら過ごしてきて、
もし感染したらという恐怖と、感染して村八分にされる恐怖と戦いながら、
どんなに自分が自粛してようと、好き勝手やる人達が感染者数を増やしていく(ように感じられてしまうような閉塞感漂う)とんでもない非日常の中、
それでも刀剣乱舞がある、8月11日には大演練があるからって、頑張ってた人、多かったんじゃないかな。
実際、大演練の直前にあった綺伝科白劇の大千秋楽公演、
私は最初の暗転というか音が消えた所、舞台が始まるって瞬間から泣いてしまったよ。
本当に良かった、本当に、本当に幕が上がってよかったと、安堵の気持ちでいっぱいだったんだ。
内容もとても満足したし、こんな状況下でもできることがあるんだ、と感動したんだ。
それも、期待値を高めちゃったのかもしれない。
正直言うと、大演練で増やしてくれただろうサーバを、綺伝でも増やしといて欲しかったな。大演練は滑らかに見られたけど綺伝酷かったもの。
これまでのミュとステの作品が好きで、これからも好きで居たい人が、13万人も居た。
あのとんでもない視聴者数は、そう言うことだったと思う。
13万人の視聴者たち(俳優さんファンもいるだろうから審神者とは言わないよ)が知りたかった、見たかったのは、
それぞれが好きなミュの作品orステの作品、そしてお互いがお互いの作品をどう感じてるのか、お互いどのような違いがあるのか、という話であって、けしてグラビアアイドルとか年齢ではなかったと思う。ましてや本八幡ってどこだよ。全国放送やぞ。
たくさんの人が怒ってるユーミンが太陽神として出てくる演出、あれは私はどうでもいい。だって艦これは伊藤みどりだし、だいたいミュのメンバーはDA PUMPやサブちゃんと共演してるんだし、ありっちゃああり。
今回の配信の不満点は、それ以前。
ニーズを掴めないというか掴まないのが刀剣乱舞の特徴であり、ある意味その場だけの声に易々とおもねらない良い点ではあるけれど、
ファンが見たいであろうものを把握しておきながら、それでも敢えて御笠ノ氏の独演会をしたのならば、
多分今後もぼうぼうに炎上するだろうなと思いました。
ただでさえこのご時世、エンターテインメントが夢を見させてくれなかったら、私たちはどうやって夢を見たらいいんだろうね。
政治家の質が低いと言われて久しい。
最近のコロナ対策一つ見ても、感染拡大局面でGoToキャンペーンを前倒ししながら帰省は自粛してほしいなど矛盾した事を言ったり、
IT技術に疎くFAXで感染者を集計している状況が半年近く改善されなかったりと、ひどい話ばかりであきれ返っている。
だけど、現役政治家の経歴を見ていると、高い専門知識を持つ政治家はちゃんと存在しているのだ。
素人目だが、コロナ対策一つとっても適材適所の人材配置ができていれば今より状況は良くなっていたと思う。
例えば、ハンコ議連会長ではなくて、IT会社を経営していた山田太郎氏をIT政策担当大臣に起用していればコロナ対策のIT活用は今より進んでいただろうし、
ダイヤモンドプリンセス号での集団感染でも陣頭指揮を執るのが世襲ボンボンの橋本岳氏ではなく、
生物兵器対策を担う自衛隊の化学部隊に在籍していた佐藤正久氏を充てていれば岩田健太郎氏に指摘されるようなお粗末な結果にはならなかったと思うのだ。
なんというか、適材適所が図れない人事って諸悪の根源だよなー。
議員の専門性を生かした配置よりも、専門分野の能力を何も担保しない当選回数や血縁で業務分担を決める恐ろしいばかりの前近代性。
与党の話ばかり書いたけど、野党にしても知名度があるからといって実務能力に疑問符しかつかない鳥越氏を擁立したり、
科学的な裏付けのないデマをばらまくおしどりマコ氏を擁立したり人選の基準がとにかくひどい。
まあ、民間でも同族企業の家族経営でうまくいってる例もあるから、合理的な人事だけが全てじゃないのかもだけど、なんだかなとは思う。