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はてなキーワード: 英語圏とは

2018-03-05

anond:20180305075939

なるほど増田の言いたいことは大体わかった。ありがとう

それにしてもローマ字表記の読みづらさは、それはそれでトレーニングがかなり必要な気がするが…

これから増田コメントを見かけたら、なるべくスルーせずに読むようにしてみよう。どれだけ慣れるものなのか。

あと中国語漢字がそのまま変換されるのは、中国語は知らないが一つの漢字に一つの読み方しかないんだろうか?ないのか。

まあそこが日本語面白いところなので、もし増田の考えがオーソドックスになって効率という意味でそれが駆逐されてしまうのは寂しい事ではあるが。

かつてあった古来の言語がそうであったように、日本語がそうやって形骸化して失われていく未来もなくはないかもしれないな。

あとあれだ、日本語ローマ字にした単語をひとかたまりとして認識するのめっちゃ難しい。なんでかわかんないし慣れかもしれないけど。

それだったらいっそルー大柴語にしてもらった方がなんぼか読みやすい気がする。

This sentence no read wa very easy dayone! みたいな。英語圏では当然混乱する。

でもそれなら外国人日本語習得する際のコストさらに減るし、日本語がわからない外国人でも単語だけ拾ってニュアンス理解することができるではないか

2018-03-03

日本ネット世界一アホ

英語掲示板日本語のよりマシなんだよな。

どうも英語圏ではホンモノのアホは読み書きできないっぽい。

2018-02-25

anond:20180225180905

それはかなり無理矢理な解釈では…

普通に受け取ると「クソゲーに対する死ね」だと思うけど。

まぁゲームは死なない(製作者・会社に向けたとも取れるけど)んで、対象がなんであるかに依存せず汎用的な罵倒として「死ね」を使う育ちの悪い子はたくさんいるよね。

要するに英語圏の「fuck」と同じ

2018-02-24

anond:20180224233338

英語圏の国はたくさんあるけど、それぞれ民族性社会は異なるよね。

ニセ科学批判者」が堂々と歴史修正してやがるというギャグ

 放射線科PKA氏がこんなツイートをしているのを見かけて、おもわず逆上した。

https://twitter.com/PKAnzug/status/966542288368287745

リア充」の訳語に「normie(普通の人)」を充ててるのが興味深い。日本では「中道から上を見て言う言葉」なのが、英語では「下から中道を見て言う言葉」になってて、この言葉を使うオタクナード)の社会的立ち位置日本英語圏で違うことが伺える。

 中道の使い方がなんだかへんてこだけどまあ「普通の人」くらいの意味だとそこは深くとわずにおいて。

 リア充ネットしか場所が見つからないようなオタクが、「普通の人」のやることをバカにしたり嫉妬したりするときに使う単語だろ?

 リア充って、普通に休日友達と外へ遊びに行ったり、学食にたむろってたり、普通に彼女がいて街を歩いてたり、そういう人を指す言葉だったと思うんだが。

 まごうことなく、下、っていうかこの言葉ネットで使ってた人間として言うと「底辺から、「普通」を見て言う言葉だったはず。

 Wikipedia説明を引き合いにだすのもなんだけど。少なくとも発生段階のころについては、PKA氏よりもまともなことを描いているように見える。大学生活板はちょっとしかたことないけど(まだ犬学じゃなかった頃か?)、まあそういう板だった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%85%85

概念自体2005年頃に2ちゃんねるの大学生活板で成立しリアル充実組と呼ばれていたが、2006年初頭に今のリア充の形として使われ始めた。その後2007年夏頃からブログtwitterでも流行した。未来検索ブラジル主催するユーザ2ちゃんねらー投票企画ネット流行語大賞」では2007年に21位となった。2011年には女子中高生ケータイ流行語大賞の金賞に選ばれるまでに成長し、ギャル語として確固たる地位を獲得するに至った。

当初は、インターネット上のコミュニティに入り浸る者が、現実生活が充実していないことを自虐的表現するための対語的造語だった。当時は友達が1人でもいればリア充とされた。その後、このニュアンスは、従来のネット文化に(触れずにいた事から)染まっていない、携帯電話を介したネット利用者たちが流入するにつれ、彼らの恋愛仕事の充実ぶりに対する妬みへと変化していった。

 大学生活板で発生して、2ch流行する。

 どうみても底辺オタクじゃないか

 もっとも俺も無知ではあった。10年代には女子中高生に広まって、ネットに広まってない利用者によって意味を変質させられているのだそうだ。それは知らんかった。

 なるほどPKA氏が念頭においてるのはこっちなのかも…… って、やっぱりオタク関係ないところで変質してんじゃねえか!

 たんに、話者が底辺にいるオタクから、中位層などの非オタク層に移り変わっただけだ。オタク階層分析の違いになんて使えたものじゃない。

 あきれますよ。あんだけ、放射線デマについて強く批判し、なにかというとメディアのどこかにアラをみつけては形相変えて「マスコミ叩き」にいそしむ放射線科医は、マスコミ以下のエビデンス歴史でっちあげていた、って。

 この放射線科医のツイートはですね、要するに日本オタクをよいように語ってるようにみえるけど、実際はそうじゃないわけですよ。むしろ北原みのりなんかの100倍、オタクのことをバカにしているといってよい。なにしろ10年くらい前までは主流だった(と思う)オタクを、存在ごとなかったことにしている。トロツキーが消されてる写真もびっくりだ。

 10年以上前ネットに主流で巣食っていたオタク

 エロゲにどっぷりはまって本田透を読みふけり、週刊少年漫画の楽しみな連載は早売りをろだに上げてもらって読む、個人ニュースサイト巡りしながら非モテ文化を語る、というより実在女性への怨みを吐く、まあそこまでステレオタイプにどっぷりな人は意外と少ないかもしれないけど、そういうオタクがいたわけですよ。当時は。俺は当時恋愛障害者2級でした。あなたは何級でしたか

 それはぶっちゃけロクなもんじゃなかったですよ。でも、当時のオタク文化というか、ネットオタク文化はそういうものだった。

 今はそうじゃない。オタクといってもいろいろだけど、今どきの一般人インドア側端くらいの意味しか持たなくなりつつある。あんまり悪いイメージもなくなりつつある。でも、昔のオタクの名残は、あるにはある。その典型例がリア充、なる言い回しなのかもしれないわけだ。

 だからこう邪推したい。「オタク」、それは今のカジュアルオタクじゃなくてどろどろとしたオタクのことだけども、それを粛清しないと、何か都合悪いことでもあるんですかね? このトンデモ放射線科医。

 二度と人にエビデンスなど求めずに、隅っこでデマ偏見だけ食ってかろうじて生きていってほしい。

 でもこのツイート、今の段階で4200越えのイイネと2600越えのRTがされている。この人たちには、修正された歴史が本当のもの、なんだろうね。

 よかったですね、「非リア」の営みを「リア充」どもの手で簒奪出来て。

 クソが。

2018-02-21

anond:20180221161102

校正のみなら圧倒的に安くなる

基本はアメリカ英語だろうけど、基本英語圏翻訳自体イギリスよりアメリカ向けの方が圧倒的に多いからそれで仕事の幅が狭まるってことはない

2018-02-19

e-sports意味云々が納得できない

最近ツイッターとか見てると、”e-sportsは体を動かさないかスポーツじゃない”という主張に対してスポーツはもともと競技という意味から問題ないんですよ!という話題が流れてくる

まあ実際問題職業地位向上を目指すという点でこの反論大事だし、論理としても通ってると思う

しかツイッターの闇というか、一度話題が上がるとハイエナのごとき人々がこぞってツイートを始めるんですね

「私の知り合いの外国人が」「英語圏に住んでる友人に」「俺今アメリカにいるけど」などなど

ぶっちゃけ見ててイタい

何よりもイタいのが日本人馬鹿にしているような言い方をしてるツイート

あのさ、そもそもスポーツって日本語じゃないわけよ

辞書とか翻訳とかが溢れてるから忘れがちだけど、そもそも違う言語ではどうしても齟齬が生じがちなわけ

先人たちが見える範囲単語理解して、教えてもらって、その単語を使ってより難しい単語説明してもらって、徐々に感覚を近づけた結果にあるのが今の言語理解なわけで、絶対的意味が同じの状態ってまあないわけでしょ

なのに偉そうに「そもそも」とか原理主義的な話をしてもそれは逆に普及は遠のくじゃん、言われた方は気悪いし

ていうかそもそも論ならオリンピアの祭典がクッソフィジカルで始まって今に至ったこと考えるとe-sportsオリンピック採用に関して違和感生じてもしょうがないでしょ

ていうか!そもそもe-sportsオリンピック採用に関しては外国でも賛否両論からな!googlee-sports olympics comments とかreactionsで検索すれば色々出てくるから

ジハードってあるじゃん

あれって聖戦特攻)的な意味合い理解されてるけど、本来は「努力」って意味らしいのよ

どっかの記事で見かけたんだけど、最初は近所の人から白い目で見られてたモスク運営してたイスラム教徒の人ができるだけ地域交流して受け入れられるようになった

さら震災の時にはいち早く駆けつけて炊き出しを100回も続けた

その人曰く「これが私のジハード努力)だから

この記事を見てああ、これからは軽々しくジハードだとか言わないようにしよう、とかイスラム教徒ってだけで身構えるのは良くないな、とか思ったんですわ

でもこれを例えばイスラム教徒でもない、ていうかお前誰みたいな奴に日本人は遅れてる、ジハードって別に特攻って意味じゃないしwww的な言われ方したら

「はあ?でも911とかテロとかで奴らがジハードかいって何人も死んでるねんぞ調子のんハゲこら」ってなるじゃん

なんていうか、外国では〜とか一面的なこという奴に限って英語できないし外国人の友人(一人か二人レベル)な気がする

そして別に日本人e-sportsへの意見を変えようとか思ってなくて、単にrtが欲しかったり上から目線でモノ言いたいだけだと思う

いつだってことをややこしくするのは当事者ではなくて、調子乗ってる外野だったりするんだよね

e-sportsのものに関しては好きにしたらいいんじゃない

オリンピックは行き過ぎじゃないかなあと俺は思うけどね

anond:20180219070454

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。

まあ私の文章煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。

あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。

これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初増田anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。

理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

そこからか。何のために研究雑誌Book Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャー学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分オリジナリティについても言及するよな。

あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html適当なUniversity PressのHPを開いて適当新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。

駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合学術雑誌書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣書評も見かける)、まともな研究書なら議論典拠は明示してあるんだから議論双方向性に問題はないでしょ。

三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いかタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズム起源流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄アイヌ台湾朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者けが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断たらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。

何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティ希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくま形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女学術業績としてカウントされるべき本を書いていますしか言いようがない。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。

「著書はオリジナル研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナル研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初増田anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナル研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナル研究書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナル研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。

後段、著書はオリジナル学術業績とはみなされないという理系ローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャー文系研究分野ではだいたい研究書はオリジナル研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナル研究業績です)、文系からするとその常識通用しない方が非常識ですよ。理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

院生だろうが単著論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者自分学生論文名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップ批判されるべきだけど、理系では自分指導してる学生論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。

その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。

将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語英語以外の言語で書かれた日本学論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人ポーランド語日本学論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人外国研究者がその国の言葉日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本アカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与ポーランドアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。

当たり前だけど西洋古代史の論文日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度研究先進である先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というもの存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本アカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。

で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージ貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。

根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たち言語研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたか英語日本語フランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。

私はここまで書いてきたような理由日本語論文を書くのも重要営為だと思う(加えて、執筆言語自国であることは東アジア欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本アカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。

anond:20180219020929

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。


あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。



理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。




論文英語日本語問題についてはとりあえず冷静に原文を読んでくれ。

3本しかないので数が少ないと書いただけで日本語は業績に入れないとは言ってない。日本学会で発表したり国内研究者向けに文章を書くのも意味がないわけではないことは知っている。そもそも三浦の業績もショボいと酷評しただけで全くないとは言っていないし。

それからここは誤解があったみたいだけど英語でないことは「国際政治学」だから批判しているのであって、日本中心で行われている学問なら日本語でも問題ないことは理系元増田にもわかっている。文系増田動物学を例として挙げてくれているがああいローカルな側面がある学問についてまで何でもかんでも英語統一しろと言ってるわけでもない。アジア研究についても日本語論文重要視されているということもよくわかった。


その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。


将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

2018-02-18

そもそも文系アカデミズムの泊付けを批判している

理系元増田博士)より

https://anond.hatelabo.jp/20180217012945

個人攻撃で人を撃ってるんじゃない。自分問題点に感じたところを撃っているのだから、流れ弾上等。

結果として大学ポストで過剰な印象付けを与えている例として三浦瑠麗批判になっているわけでもあるが(メディア・読者・視聴者の過度な期待が悪いという説もあり)。

業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。

理系研究者を名乗るには必ず「まだ誰もやっていない新しいこと」を研究する必要がある。もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線研究をしていることが前提だ。海外には教育専門の人もいるらしいがそれはまた別の評価軸になる。

理系から視線として、博論を除けば日本語レビュー啓蒙しか書いていない三浦瑠麗は「最先端研究者」とは見られない。DC2は博論として完成を見ているのだろうが、学振PD研究論文にならなければその研究費はどうなったのかという話になる(まだ気の早い話かもしれないし、研究には失敗がつきものなのでちゃんと取り組んだ上で成果なしであればそれは責められない)。いずれにせよテレビ研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。


最先端研究をしたならそれは世界に向けて発表すべきだ。発表しないのは論外。研究者仕事個人修養ではない。理系では一部の例外分野を除き発表のための言語統一されていてそれは英語になる。中東研究ではフランス語も標準になっているというならそれもいいだろう。もちろん国文学日本史日本法学では日本語が標準だろうから日本語論文だけで構わないし、海外研究者日本語論文を書くべきだ。

国際政治学日本語でもレベルが高い研究はあるという反論の何が駄目かというとそれが国際的研究分野であろうと考えられるのに世界からまれない点。読まれないのであれば例えばアメリカ学者に全く同じアイディア研究されてそれを新規研究として英語発表されても責められない。日本学者がそれに文句を言ってそれが認められる力があればいいんだがどうもそうは見えない。日本語論文はその「レベルの高さ」に関わらず学問の潮流からすれば全くの無駄になるだろう。辛辣になるがそんな研究には国から研究費を交付すべきではない。


文系増田日本研究者日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用アピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中学者言語習得に苦労するだろう。英語圏に勢い負けてることが確定した分野では英語論文を書け。自分で書けないなら金払ってでも誰かに訳してもらえ。雑誌国内研究者交流用じゃなくて世界トップジャーナルなりたければさっさと丸ごと英語に移行しろ欧米学者には必要ない手間に研究費が使われるのは悔しいだろうが、国際的学問の流れの中で研究した一切合切無駄になるのと比べればよほどいい。世界から孤立して「日本式国際政治学」や「国際政治学者(日本国内向け)」を名乗るのなら構わんが、それを正直に言わないなら国民を騙していると言われても仕方がない。

2018-02-07

anond:20180207083421

なるほどです。再変換というか、メッセンジャーとか会話のノリ書いてからローマ字入力から英数のままで、書いてたことに、送信後に気がつくことってことですね。

日本語(や韓国中国語圏とかの)ユーザーでないと分からない悩み事でしょうか。

言わば、英語圏の人には理解されないタイプ問題でしょうか。

全ての漢字パソコンで表示できるようになったとか、utf-8Shift JISとかのテキストエンコーディング問題で書けるようになったとか、まだまだ、色々と日本語英語翻訳とかよりも、その方が、解決したら良いことかも知れないですね。。

  

(ちなみに、私、MacATOKユーザーです。vimというテキストエディターを使うときは、なんか日本語変換も一つのモード変換みたいで、面倒なので、他のエディターに変わりました。)

英語圏はてな

匿名ダイアリーみたいなのないのかな。英語圏実名普通から無理だろうか。英語の書く方練習したいけどブログだなんだ作るほどの気力はないんだよなあ。

技術質問のためにforumに書き込んだりしたいけど、読むほうはともかく書くののはむずかしい。

2018-02-05

フィクションに使う言語として、英語日本語より優れてる点ある?

ダーリンインザフランキス4話目のキャプ公式非公式かわからないけどほぼタイムラグなしで英語字幕つきのものネットに上がっている)で、02の台詞の「ボクに乗りたいの?」が「You wana ride me, huh?」になってた。

そう、ボクっこを表現する手段英語にはないのだ。


また、02は「ボクに乗りたいの?」とは言うが「ボクに乗りたいのか?」とは言わない。一人称がボクであること以外は女の子の喋り方だ。もし「ボクに乗りたいのか?」だったら喋り方全体がより少年っぽく堅い、ひいては自己決定として少年的なそれの持ち主だということになる。「か」の有無だけでガラリと変わるこういうニュアンス英語では伝わらない。


02のような自信満々で攻撃的で実力のある女は英語圏では大人気なので02は大ヒットしているが、未だにボクっこだと気付いてない人が大勢いる(日本語音声で観てても結構聴き分けられないらしい)。もっといえば15のようなキャラニュアンスもっとからないのかもしれない。「謝らないで」と「謝るな」と「謝んな」はどれも全く違う。その一言だけでどんな類型キャラかとか16とどんな関係性かとか情報が大量に入っている。そういうのが英語翻訳するのが不可能だ。


どうも英語の会話を見ていると、そういうニュアンス表現力の乏しさは声の抑揚や顔の表情で補ってるような気がする。だから日本人だと芸能のクロウト以外はかなり一本調子の抑揚でしゃべるのに対して、英語話者は一般人でも声がかなり乱高下するし顔のジェスチャーが多い。

いやでもスネークボア日本語だとヘビじゃん

へび、おろち、だ、み、じゃ、だいじゃ、すねーく、ぼあ、ばいぱー、くちなわ、どくへび、ながむし

英語も蛇は色々あるけど、フィクションで使うには日本語の方がいろんなキャラや技や伝承表現やすいと思う

というか英単語をとっくにとりこんじゃってるのはずるい。ずるいけどちからだ。

「くじゃへびひめことぼあ・はんこっく」とかいキャラが平然と出てくる。

主語だけで示す方法が無いからといって、「少年が話すような英語文章」が無いわけではないでしょう

うーん

これについては最初に「少年のような話し方」と「女の子の喋り方だけど一人称だけボク」の、繊細だけど大きなニュアンスの違いについてをあらかじめ書いたんだけどなあ ゼロツーの台詞文章を全体的に少年ぽくしても「女の子の喋り方だけど一人称だけボク」なニュアンス表現されないよねっていう

ある。文字簡単さ。これには誰も反論できないだろう。

文字簡単なことってフィクションで優位ある?

王下七武海、九蛇の蛇姫こと”海賊女帝ボア・ハンコック

とか文字でモリモリと凄みとか中二分とか盛っていくこともアルファベットオンリーだと出来ないし

「ボク」と「ぼく」と「僕」で全部人格イントネーション示唆するものが違ってくる~なんていう使い分けも出来ないし


ハインラインの「夏への扉」、英語だとピート(猫)の鳴き声が、主人公真意確認する場面では「Now?」、

決意を促す場面では「Now!」なんだよね。日本語訳ではそのニュアンスが無かった

それ言語の壁じゃなくて訳者あかんかっただけでは


アニメくらいでしかみかけない珍妙一人称や語尾のキャラクターを取り上げてフィクションのくくりで言語の優位性を語ってしまキモオタ…これが若さ

アニメの喋りでのニュアンス表現力の話をしてるのに「アニメくらいでしか見かけない!」って

・ボクっこを例に取ったけど珍妙な語尾のキャラの話なんて出てきてない気がする


例えばふつーの社会人男性キャラ一人称について、ワタシかワタクシかボクかオレかだけでも

人格ニュアンスグラデーションが出るしハイコンテクストデータベースへの接続も開かれる

珍妙一人称や語尾に限った話をしてる訳ではないし、読み取る能力がある他の人は既にそれは理解してると思う

ネイティブ言語に対して表現力豊かで複雑なものである、と言う感覚を持つのは当然。

この人もそうなんだけど、

一応こちらとしては広く適用できる具体的な用法長所を述べているのだから

反論も具体的な英語長所日本語短所提示でなければ反論たり得ないのでは

具体論に対して具体的な反論なく「ネイティブからそう思うだけ!」とか「キモオタ!」では

読む価値が無い



正直言うと、

こういう乱暴エントリを書けば英語に造詣の深い人が具体的な反論ビシバシとしばいてきて英語についての勉強が出来ると思ったんだけど、どうも自分英語苦手です)と同程度までの英語力の人しかいないっぽいな

いっつも英語学習エントリが後で読むされてるしな

2018-02-02

anond:20180201201328

日本人じゃなくて英語圏の人が好きなんじゃ?

それらの言葉はもちろん、英語圏の擬音はそんな感じの多い

カタカナ語はだいたい英語圏の「何このリズムめっちゃ気持ちええわあ!」を輸入して

日本人が「おお、これマジ気持ちええな! クセになるぅ~」となっているだけじゃない?

日本語だと まだまだ ガラガラ いやいや いろいろ しみじみ はらはら ほろほろ など

文字に繰り返しが気持ちいから多いのだろうし

文字を「強弱強弱」に分類した言葉も多く、例えば剣呑、穏便、陰険、鈍感、敏感、貧困、燦然、暗澹など

「○ん○ん」のパターンや、それに似た曖昧、貧相、貪欲貧乏棍棒梱包とかも多い

2018-01-27

駐在員の妻に飽きて辛い。

英語圏(治安は悪い)に帯同中。

30代、就労ビザなし、子なし。

語学学校へは通ってて言葉の面で困るとかそういったことはなし。

こちらへ来て1年半。

生活には慣れたけど、慣れ切った分、飽きが来すぎててかなり辛い。

もともと海外志向ゼロ(住んでみたーい!とかも皆無)、普通に日本で働いて普通に日本で死んでく気満々、コンビニ日本チェーン店(スシローココイチ)があれば幸せ基本的には仕事してるのが好き(バリバリはしてない)。リアルで頻繁に会うような友達特におらず。子はもともと持つ気一切なし。家事は好きでも嫌いでもない。

なんか、なんでこんなにここでの生活に、最近はもはや生きることそのものに飽きてきちゃったのか、自分でも書いててよくわからない。仕事ができないからなのかな、やっぱり。

まあ、間違いなく言えそうなのは自分自身海外に来てやりたいことなんてなに一つ思い浮かばなかったのに、帯同する必要はなかったってことかなあ。食事面とかで支えようと思ってついてきたけど、夫はしっかりしているうえにめちゃくちゃ頑丈な人だから、なんかあまりわたしが付いてきた意味?が感じられなくなっちゃったんだよね。で、そうなってくると、私はここにいても特になんの目的もないしなあ…という。気晴らしのための旅行にすら飽きたと思うし。

やっぱり、先行帰国かなー。

2018-01-16

中国スターウォーズコケてるのを見ると今後非ポリコレ映画中国市場向けに作られるかもしれない

英語圏はいろいろ言われるもの中国では自由に作ることが可能になるのではないか

中国政府規制あるけどそこまできつくはないし君の名はみたいなエロ多めでも許されるし

2018-01-12

寒い

さむい、さむい

独り言を言ってしま

英語圏では

coldcold

なんだろうか?

2018-01-10

ポケモンの鳴き声が先か名前が先か

ピカチュウは「ピカチュウ!」や「ピカ!」「チュウ!(チャア)」となく。

アニメ世界はある程度のポケモン名前の鳴き声をしてくる。(一部、ロケット団ニャースイシツブテヒトデマンなどは例外

では、鳴き声が先なのか、名前が先なのかを考えてみよう。

鳴き声が先派

例えば、犬が「ワンワン」となくからワンコ」というように、鳴き声から名前が作られているという派閥

ほとんど無理筋がない意見であるのだが、いかんせんイシツブテのラッシャイ!や、ヒトデマンのデュワ!があるため、苦しい部分もある。

 

名前が先派

「そんなバカな事があるはずがない」と言われる意見だが、概ね2つの意見がある。

 

ポケモンは賢いので鳴き声を人間から汲み取っている

ニャースや、ピカチュウが喋れるように、ポケモンは従来の「動物」に比べて知能が高く、喋ることも可能ということがアニメでは示されている。

また、伝説のポケモンミュウツールギアアルセウスなどは実際に喋ったり、テレパシーを使うことで人間意思疎通が可能である

その為、人間から自分たちがなんと呼ばれているかを察して、鳴いているという意見である

但し、ニックネームをつけても共通の鳴き声なのはなぜかで議論が行われる。

 

翻訳吹き替えを行っている

すこしメタ的な意見である

例えば、英語圏では犬の鳴き声は「bow-wow(バウワウ)」と表すが、日本人にとってはやはり「バウワウ」ではなく「ワンワンである

ポケモン本来の鳴き声は電子音であると主張する派閥によって作り上げられた意見で、日本サトシ冒険する地方言語は違うため、その翻訳としてポケモンたちの鳴き声はポケモン名前を模した物を声優が当てているという意見である

また、実際に狐が「コンッ」、雉が「ケーン」と鳴かないように子供向けに鳴き声のデフォルメが行われているという意見も。

しかし、これに関してはゲームピカチュウの鳴き声が大谷育江になり「ピカチュウ」と鳴くようになっためそことのすり合わせが現在でも行われている。ピカチュウ本来の鳴き声は「ピッカァ!」なのか「ヂュードゥルイ!」なのかが現在も激しく議論されている。

 

鳴き声議論を行う上で重要な設定

ポケモンは新種が発見される度に、既存の生き物は姿を消していっている。(但しこの設定は消えつつある)

 →恐らく、既存の生き物がポケモンへと移り変わっているという意味。その為、例えば、犬から派生したと思われるガーディは「ワン」ではなく「ガン」と鳴くなどモチーフを引き継ぐ性質があるようだ。逆に鳴き声がわかりにくい魚や植物ポケモン名前に沿った鳴き声がされている。

ポケモン世界にも既存の生き物は存在する。

 →初代のポケモン図鑑ライチュウゴース説明インドぞうが存在することが記されている。ただし、アニメでは既存の生き物は描写されていない。

シンオウ神話あくまでも神話として扱う。

 →例えばこの世でも「人間は神が作った」という神話があるように。じゃないと、ミュウ細胞からポケモンが生まれた、アルセウス世界を作ったと大変訳がわからない状況になる。また、あくまでもミュウポケモン祖先なのではというのは仮説である

2018-01-04

anond:20180104213338

色白だからよく初対面の年寄りに「白い」と言われるので

色黒に憧れたことはあるな

色に憧れたんじゃなくて年寄りが持ってる

日焼けした人に対してのイメージが欲しかったんだけど

英語圏白人に良い肌の色してるねとか混血かとか

言われたことあるから向こうでも肌の色に対する

何らかのイメージがあるんだろう

黒色を塗るだけで多分何らかの負のイメージを加えたって印象なのかも

2018-01-02

anond:20180102014815

ネット定番ネタと言うにはGoogle検索結果は旧2ちゃんねる限定すぎるように見える。2008年からVIPなんJ嫌儲ニュー速で細細と続いていた。1人、2人の粘着がいれば立てられそうな本数。大抵はレスが付かずに流れる2017年になってから何故か頻繁にまとめサイトにまとめられるようになったように見受けられる。

Twitterでも書くやつがそこそこいるか

ニコ生文化圏ひとつ震源地がありそう。食えないと発言して叩かれた主がいたらしい。

2ちゃんねる以外では英語圏redditで去年の初め頃、2000年代前半のダウンタウンの笑ってはいけないが蒸し返されたのが目立つ。

https://gatchan.live/cache/view/poverty/1509536351

https://www.ここをレディットに置き換えて.com/r/GakiNoTsukai/comments/4dr5sx/yugawara_onsen_and_police_batsu_in_hq_and_hard/

でも思い返してみたらインド人左手でお尻を拭く習慣を受けて、インド人の握る寿司食える?という質問は随分前からいたことがある気がする。

2017-12-30

英語圏にも「空耳」があるらしい。

PSY - Gangnam Style - English Version With Lyrics

https://www.youtube.com/watch?v=yQrza1dQj-0

歌詞言葉が別の言葉に聞こえることの空耳タモリ倶楽部で有名な)が、英語圏にもあるようですね。

上記動画の歌は朝鮮語ですが、英語を無理に当てはめています

例えば、Oppa Gangnam StyleOpen Gangnam Styleが当てられています

2017-12-28

中華ガジェットレビューブログが書こうとしないこと

中国から出荷されてくるガジェットにはマルウェアインストールされているということ。

英語圏ではさんざん問題になっているのに、日本語情報源ではあまり議論対象にならない。

中国で発売されるAndroidデバイスほとんどはメーカー独自カスタマイズをしており、メーカーが想定するマーケット対応する言語しかインストールされておらず、日本語はもともとサポートしていないことが多い。

Gearbestなどの中華オンラインストアはこうした製品世界中に出荷できるように、Global editionあるいはInternational editionと称して、各国語言語サポートを追加した独自ROMインストールしている。これはベンダーROMとよばれる。

まり中華オンラインストアは、メーカーカスタマイズしたAndroidさらに改造している。

この過程で各種のマルウェアを混入させることがある。

たとえば、Xiaomiスマートフォンはまだ日本で売られていないが、Gearbestでは日本語対応したベンダーROMインストールしたものが売られている。

これを購入して電源を入れ、数か月すると、突然、スマートフォンスリープから復帰させるたびにポップアップウィンドウが開き、オンラインカジノデートサイトなど、明らかに怪しい広告執拗に表示されるようになる。

この現象は、Xiaomi公式サイトから公式ROMダウンロードし、自分クリーンインストールすると消える。

マルウェアXiaomiインストールしたものではなく、Gearbest等の再販業者の手に渡り流通する過程インストールされたことは明らかだ。

まり中華系のオンラインストアからガジェットを買う場合自分公式ROMを焼くだけのリテラシーがある人にとっては、これはそれなりにお得な選択肢ではある。

一方、そういうことがいっさいわからない人が、ただ安いからといって、中華オンラインストアから買う場合、値段の安さの代わりに、マルウェアをとおして自分個人情報をまるっと渡していることになる。

中華ガジェットレビューブログは、アフィリエイトプログラムを使って製品を紹介する以上、本来はこうしたリスクについて明記するべきだろうと思うが、そんなことをすると自分ブログの売り上げが減ってしまうと思って、やらないのだ。

この問題については何度か書いたことがあるが、いっこうに状況が改善されないようなので、しつこく書いてみた。

2017-12-27

anond:20171227164146

英語圏いったら苦労するだろ...

恵比寿みたいな発音でIESUならありかも

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